卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」
此処に出雲と同様、“大量の銅剣”が埋めてある! 全国歴史ファンの方々、三上山に集合せよ。
釣りじいさん北田昌利氏を悼む ・そのⅠ
  朋友<釣りじいさん>を悼む・そのⅠ
何っ?」 じいさま>を悼むだとぉ! と反問する己がいる。 今、涙を流してはならないとブレーキをかける自分がいる。「何故、このようなことに? どうして、このようなことに?」との思いが強いからだ。  
             【'10年4月29・30日に追記をしました】


     四月1日(木)夕から、四月7日(水)朝までの(彼の)空白の時間を知りたい!

 その間、彼が何を思い、どのように行動していたのか? <その時間を共有したい>と思うのだが、なにかしら「ポッカリ」と胸に穴があいたようで、心と身体は乖離(かいり)して動いている。同じような想いをしているお方がいるのであろうか。彼がリンクを張っている方達からの訪問を受けたり、したりしている。 少しでも、じいさま>のことを知りたい。 少しでも、じいさま>に近づきたい。 『 何があったのか?』その時間が共有できるまでは決して涙を流してはならない。

 以下、支離滅裂になるとは思いますが、素人の想いを記録にとどめておきたい。
  (尚、以下は彼のブログから得た情報の “覚え” であり間違いを含みます)


<私は、釣りじいさんのことを知らない>(4/13記)
私は、釣りじいさんのことを知らない。ブログでしか知らない。そのじいさま>を知ったのは○年○月前。当時の私は、スパムさながらで「卑弥呼・・」の広報活動をしていた。1日に3・4人。多くても7人程の訪問しか受けないmyブログに対して、彼は、日々200人に近い訪問を受けていた。彼のブログは特にめずらしいものではない。 その特異性は、その<人柄>と<コメント欄>にある。 色々なジャンルの人をも受け入れる包容力。 「ぼやき」とは云っているが決して 「グチ」ではない。ども”で始まり、にゃは”で終わる軽妙なタッチ。 20年来の孤独感を味わっていた自分には、『この人は、この素人を真摯に見ていてくれる。見定めていてくれる!』 何故このように多くの訪問者があるのか? そのことを忘れ、どんどんその魅力に惹かれていった。マウスを握れば、必ずその<コメント欄>を見る。じいさま>のことを少しでも多く知りたい・・・。

<そのじいさま>と一度だけコンタクトを取ったことがあった>(4/15記)
myブログへ、意味不明の英字コメントの嵐が吹き荒れた。多い時には60。日夜を問わず終日入ってくる。最初は人差し指でスペルを拾いながらも解ろうとしていた。もとより分かる筈がない。(笑)困り果てて、じいさま>に相談のコメントを入れた。他の人とのやりとりで、彼が英語も教えていると知ったからである。

  それ等のやりとり、ここへ入れられたら後で調べて入れます。^^!

管理人のみの交信ではあったが、以外や以外!「わしでよかったら」と、グローバルの住所と携帯の番号まで教えてくれた。わたしは携帯電話は持っていないので妻の携帯からお礼共々連絡をとろうとしたが不通。今度は彼からかかってきた。妻いわく。2度の入信を「不明番号だから切った」 「あちゃ~、じいさまからだぁ^^゛」 早速の電話。その風体からしゃがれ声かと思っていたが^^? そのお声は意外に高いトーンで若々しい声であった。 初めてとは思えずのやりとり♪。そばで小3の孫が 「ブログでは名前(本名)をいうものではないよ」 だって^^! その彼の「奥様によろしく」とのことばが最後になった・・・、

<何故、そこまで英字コメントにこだわるのか?>(4/16記)
myブログの主目的は「広報」にあり、世界にうって出るように英文の記事も掲載しています^^。もし、それが外国の人の目にふれてコメントをくれたのなら、決して逃してはならない。との淡い期待感を持っているからです。もとよりの稚拙・駄文で専門家には<20年来>伝わっていない(笑)。ストレスは溜まる一方。 そこで知り合ったのが<釣りじいさんのぼやき>。 軽妙なタッチと決してひとを反らさないお人柄。母上への思い等で重なるところもあり、ブログジャンルはまったく異なるが、彼とのやりとりでブログ活動の楽しさを知った。ジャンルの異なる人との交信の方が楽しいと^^!。

彼との交信が途絶えた!
<彼のPC活動>(4/18記)
じいさま>は、原爆ドームからさほど遠くない所で、彼を含めて4人の先生方で30数年来、学習塾の経営をしていた。自宅はそこから、○○山を挟んだ北側にあり○km(5~10km?)離れている。自宅へはパソコンは置いていない。92才で共に亡くなられた母上との二人暮らし。彼は今年の5月21日で67才の誕生日を迎えるはずだった。 ・・・、したがって、PCが出来るのは日曜・祭日をのぞく学習塾へ出勤した日のみとなる。 想うお人はあったようですが結婚歴はあったのかな? 親戚縁者は関東にお住まいの従姉妹のみ。この従姉妹さんが叔母さんの見舞いがてら毎年の夏前(?)だったかな押しかけてきて?母上と団らん三昧♪。彼はというと、ほんとは嬉しいくせに、それを評して『やれやれ』だって^^。

  それ等のやりとり、ここへ入れられたら後で調べて入れます。^^!
[涙がでるほど。] 2008 09 08 より引用
この土日、今年の夏の最後の来訪者。
従姉妹たちが大挙しておふくろのお見舞いにやってきてくれた。
その数6名、狭い我が家は8人の人間であふれた。
さすが女性軍団、駅前のスーパーで食料を買い込み、
家に来るや否や挨拶もそこそこに料理を作り始める。

おふくろやわしに迷惑をかけまいと、細かいところまで気を使ってくれる。
3年前におふくろが倒れてから、毎年夏になると「元気なおふくろを見に」
遠く東京や千葉や山梨からやってきてくれる。

涙がでるほどありがたいことである。
それぞれに年をとった親を抱えているのに・・・。
父親が戦死し、兄弟もおらず、寝たきりのおふくろを抱えるわしにとっては、
毎年のように来てくれる従姉妹たちには心底頭が下がる。
久しぶりの賑わいにおふくろに笑みがこぼれる。


<じいさま>の日課を探る>(4/19記)
その前に、何故わたしが釣りじいさんのことをじいさま>と呼ぶようになったかの経緯を・・、
以前、島根半島・出雲竜を縛り付けている「銅かを捜せ!」という記事を掲げた時、遊び心を交えて八つ目の「宇海・うみ」へ操り出すための「クルー」を募ったことがあった。(カテゴリー出雲地方参照)その時の愛称が<じいさま>。 その時以来、じいきま>と呼ぶようになった。他には総裁>と呼ばれたり、じいちゃん>と呼ばれていましたねえ^^。

 じいさまの起床は早い。am4~5時かな?(想像も含めて記事をすすめますので正確には、後で調べて修正します^^!)父上を早くに亡くなされ母一人子一人の暮らしである。 母上は3年程前から身体が不自由となられ、寝たきりであった。

それ等のやりとり、ここへ入れられたら後で調べて入れます。^^!
[ブログ開設満4年-おふくろの愛した花々-] 2009 04 15より引用、
おふくろは91歳。
寝たきりになって3年になるが、元気な頃は庭いじりを趣味としていた。
買ってきた鉢植えは所狭しと庭におろし、頂いた鉢植えも全て庭におろしていた。
そんなわけで我が家の庭は雑草と鉢植えでおろした花々で満ちていた。
そうそう、今日はブログ開設満4年。
ほしいかさんに勧められて何となく始めて・・・4年!!
長いようでもあり、短いようでもあり、今では生き甲斐になっている。ブログを通じて多くの知己を得、また、その後消息不明になった方もいる。お相手が数日間更新がないと心配になる・・・だから、わしもネタの少ない中でなんとか週1回は更新したいと思っている。こんなじじいの戯言と、しょもない写真の記録であるがご容赦願いたい。


そのような状態であるから、炊事掃除洗濯のすべてを彼一人でこなした上に、母上の面倒(食事や下の始末も?)を看ての出勤となる。じいさま>は、免許を持っていないから自動車に乗らない。免許を取らなかった、(忙しくて?)取れなかった? 彼のような立場で責任感の強い人にはよくあることで、免許取得のための約1ヶ月の時間をつくり出せなかったのである。従って往復○○kmは、バスか自転車での通勤となる。授業は何時から始まるのかは知らないが、PCへ向かうのは、お昼休みの12時から1時が多かった。記事のアップ数が500を越えたころであろうか、自らのことを「PC中毒^^」と称していた。次にPCに面するのは16時ころだったかな? コメントの返事は遅いときで20時ころのものがあったと記憶?している。授業の終了は何時かは知らないが帰宅はpm10時を過ぎる。それから母上の面倒を看て就寝は0時を過ぎる。2時頃になることもあったようだ。・・・、

<今から半年程前だったかな? 記事のアップが月1のペースにダウンした> (4/20記)
自営の学習塾の先生で、寝たきりの母上の面倒を看て、週1の記事のアップとコメントへの返事。彼は、我が訪問者数を増やすために“足跡”だけを残すタイプではない。リンクを張り相手方の記事を読む。それに加えて、2週に一度、『神様お願いです、せめて週末は雨を降らせないように(笑)』と云ってブログの主題でもある鱚釣りを楽しみにしていた。かように寝る間もないような生活が長くつづくわけがない。記事のアップと他への訪問を減らす。自ずと訪問者数は減ってくる。 彼は 『それはそれで意味があること』 だと云っていた。 最終的な来訪者は30人~40人だったかな^^! (最多は彼の没後4月10日の1944人でした。)

<じいさま>の釣り仲間>(4/21記)
じいさまの釣り仲間は団塊の世代の数人。なかにお一人若い方がいたかな? じいさま>は免許を持っていないからこの方達との便乗となる。釣り場へは瀬戸内にしろ日本海側にしろ片道2時間(往復か?)はかかると云っておられた。彼の思いとする魚は「鱚釣り1本」。キスはサヨリやシシャモに似ている^^?が、美しい虹色の肌をもつ。狙いは<肘たたき>! 肘たたきというのは釣り用語で釣り上げたキスを持った時、肘のところへ達するような大型のもので1尺30cmに近いものをいう(調べました^^)。これは通常の群れのなかに越冬して大きくなったものが混じっているとか? 一般的にいって「雑魚は直ぐ食いつく」との言葉があるように幼魚はよく食いつくが大きくなると用心深くなってなかなか釣れない。その肘たたき>を釣り上げるのがじいさま>の願い。わたしの方は、大量の銅剣か、銅か(矛に似た戦闘具)を“予測して”掘り上げるのが願い。どちらが先になるか、それまで共に長生きしましょうねと言ったのに・・・、・・・・
    釣りじいさんのぼやき、「キス」とひと言で言うけれど。 2005 11/11 より、
『・・・(キスは)普通3~5年で捕獲されてしまうので20~25cmの体長であるが、8~10年生きる物もあり体長は30cmをゆうに超える。いわゆる「尺ギス」である。わしが狙っているのは実は「青ギス」、昔は日本海でかなり獲れたそうだが、最近では韓国の釜山やチェジュ島でしか見つかっていないようだ。死ぬまでに是非拝んでみたい。』
 そういえば、じいさま>は負けず嫌いだったなあ、お仲間が大型や漁獲が多いとくやしがる・

<母上の様態が段々にわるくなる>(4/22記)
母上様は、キスが好物(うなぎも^^)だったようで、キスのてんぷらがお好き。彼は料理のほうも上手だったようですが・・・・、
釣りじいさん【2010/3/15,12:13】(時期尚早の)桜の花の写真を掲載、
入試が終わって一段落、が・・・。
おふくろの体調がこの2週間思わしくない。
ぼけが進み、食欲もない、顔つきもよくない。

ってなわけで、キス釣りにも行けない・・・。
お仲間さんの釣果写真を見て気持ちも騒ぐが・・・。
もうしばらくの親孝行、我慢、我慢。

陽気も大分暖かくなり、チラホラ桜の便りが届き始めた。
あっという間の1年だったな~。
ま、わし自身の体調は悪くはないが、どうも気が抜けた。
さっ、今年も生徒募集に力を入れなければ・・・やれやれ。


<『 が・・・。 どうも気が抜けた。』が気になって、次のコメントを入れました> (4/23記)
いっそのこと♪ 【2010-03-30 07:14】
おはよう御座います♪
昨日は、母が住んでいた実家のリホームで出たガラを片づけに、小3の孫と山の畑に行きました。息子達が住んでくれるのは嬉しいのですが、十年間そのままにしておいた思い出を片づけてゆくのはやるせない気持ちです。ウグイスが鳴きツクシが出てるというのに・・・、じいさま>も、いっそのこと往復4時間をかけて釣りくれば、案外母上さまもぺろりと食べて元気がでるかも知れませんよ^^!。一つでも多くの喜ぶ顔♪を見るために・・・、

Re: ごくろうさま。 【2010-03-30 12:05】
P.C.Homelessさん、ども!(註:P.C.Homelessというのは「卑弥呼・・」の広報活動休止後のわたしの別名です^^!)
ごくろうさまでした。ほんと、わしも後かたづけのことをそろそろ考えています。切ないことです。
往復4時間、2時間遊んでも合計6時間。今の状態では無理、無理、ぶつぶつ。ご心配ありがとうございます。

何故、このようなコメントを入れたかと言うと、私事で恐縮ですが、私くしの祖母が一回目の脳溢血を患ったあと、あれほど自分が食さず『孫に孫に・・』といっていた菓子でしたが、その枕元にはいつも“キンギョのあられ”がありました。死期が近づくと食欲がでるのでしょうか? 20年前、死の一週間程前の父に「何か欲しいものはあるかなぁ」と聞くと聞き取りにくい程の小さな声で、『おひたしが食べたい』といいました。コンビニの始まりの頃の深夜の3軒でしたが“ぬた”しかありませんでした・・・。このような会話はじいさま>と母御の間でも必ず交わされていたはずです。 しかし、自分の思いとは別に、『わしも後かたづけのことをそろそろ考えています』と、わたしの思いとは別の方向へ進んでしまいました・・。何の?『後かたづけ』・・・?? 


<じいさまが何を考えているのかが分からない>
  朋友<釣りじいさん>を悼む・へ つづきます・・・、
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釣りじいさん北田昌利氏を悼む・ その続き,
朋友<釣りじいさん>を悼む・ その続き,

[ ニュース・各社よりの概況 ]
四月七日(水)の朝7:45分頃。 広島の住宅地で(北田氏方)民家木造モルタル2建て約120平米が燃えているとの119番。一階に寝ていた母上(92)は、近所の人の救出を受け病院へ運ばれたが、[ まもなく死亡・死亡を確認 ]との二通りの報道あり。 赤い火が上がる程の火勢で隣のアパートと隣家の一部も被災。 近場に連絡をとれる縁者はなく、全焼の焼け跡から、≪じいさま≫のご遺体とその後確認。(- 合掌 -) 警察と消防が出火の原因を調査している。



<じいさまが何を考えているのかが分からない>(4/24記)
何故? 母上が御存命なのに『後かたづけ』のことを考えているのか? ふつう後かたづけは、その没後に考えるものだが? 『そろそろ』の言葉の意味がわからない。

春の講習会ー前半終了【2010-03-26 17:23】紫木蓮のつぼみ一輪の写真を掲載
このところすっきりしないお天気が続いていましたが、
今日は寒さはあるものの久しぶりに青空がのぞきました。
春の講習会前半が終了、土日がお休みで、月曜から後半が始まります。

おふくろの体調はあまりよくありません。
食欲がなくなり、声も弱々しくなってきました。
ぼけもだんだんひどくなっているようです。心配です。

わしは・・・元気に、子どもたちと闘っています。
でも・・・生徒の数は・・・あまり伸びません、やれやれ。
これから頑張って増やさないと、食えなくなります(苦笑)。

陽気が暖かくなると、キス釣りがしたくて、むずむずしますが、
おふくろの体調を考えて・・・ってか、2時間以上の外出は禁じられているので、じっと我慢のよい子です。
ぶつぶつ。
さっ、後半戦の準備にかかります。
この記事が絶筆となりました(-合掌-)

<介護ということ>(4/26記)
「ぼけもだんだんひどくなっているようです。心配です。」
彼のように92歳の母を66歳の息子が介護するというのは「老人が老人の介護」をする昨今、めずらしいことではない。一口に介護するというが、その形態はさまざまであり、重度になると要望に応じて月30万円(??)程のヘルパーさんの手助けが選べる。入浴介助。おしめの取り替え。食事のお世話。長くなると床ずれ。必要ならば点滴液の取り替え。それ等に加えて「ボケや物忘れ」が加われば大変だ。
この「ぼけ」というのが厄介だ。(見たり聞いたりしたことから^^!)通常の会話からはごく普通の印象をうけるが・話のつじつまがあわない。何度も同じ事を聞く。夜と昼が逆転したり、昼夜かまわず人を起こす。人の名前を忘れたり呼び間違えたりする。ひどくなると付き添いの嫁さんは判るのだが、夕方見舞いに来る息子さんを「あんた、誰かいねえ^^!」。昔のことはよく覚えているのだが近場のことはすぐ忘れる。記憶してないのだ。80過ぎの妻を看ている夫の言「病気だと思わにゃあなぁ~・・、(腹が立つことを言い出すから)」。 わたしの友は「寝たきりの母を看るのには1、5人要る妻一人では、とても無理・・」といって定年迄を1年残して会社を辞めてしまった。定年退社と自己都合退社とではその退職金は大きく異なるのに。このようなことは、程度に差こそあれよく見聞きすることなのではあるが・・・、

<じいさま>からは、グチを聞いたことがない>(4/27記)
母一人子一人。周りに相談や、そのグチを聞いて貰える人があったのだろうか? いつぞやは母上の長距離の長電話、「月末の電話代が心配だ。やれやれ」。塾の経営は2~3年来?の赤字続き。
これ等の『悩みや、グチ』を話せるお人があったのだろうか? 彼の場合、いつもその受け手側であり発信者側にはない。それ等を癒してくれるのが、お仲間とのキス釣りであったのに・・・
陽気が暖かくなると、キス釣りがしたくて、むずむずしますが、
おふくろの体調を考えて・・・ってか、2時間以上の外出は禁じられているので、じっと我慢のよい子です。
ぶつぶつ。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下4/28に移設)
お元気そうで。 【 2010-04-01 16:42 】釣りじいさんのレス
ちょい投げ男さん、ども!

お元気そうで何よりです。
この3日間こちらは小雨が続いていますが、どうやら土日は絶好の桜日和になりそうです。
おふくろは今日も病院に運ばれましたが、自宅療養を要求しているので今夜もばたばたしそうです、やれやれ。


↑じいさま>のコメレスがあるのは、4月1日 木曜日の16時42分まで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ↓以下には、コメレスはおいていない。

お久しぶりですね  【 2010-04-01 23:22 】 MATSUTAKEさんから
                ( 連絡がとれずUPのご了解なしで掲載しています^^!) 
釣りじいさんのぼやき・・・ぼやいて下さい!
わしなんかで良かったら、休みの日には協力しますよ~
とは言いながら、釣りじいさんの事わかっていないのに・・・
チョイ協力でも良いので(わし、週休2日なので)
気晴らしにキス釣りですね(^^♪


<ちょい投げ男さん>のコメントから考えられること?> (4/29記)
Re: お久しぶりですね。
    わしなんかで良かったら、休みの日には協力しますよ~
    チョイ協力でも良いので(わし、週休2日なので)
    気晴らしにキス釣りですね(^^♪

ふつう訪問コメントは「お久しぶりです」から入り「・・・ですね。」とは云わない。続いての文面を察しても、釣りじいさん>から≪機会があったら“釣り行き”に御一緒出来ないか?≫との依頼があったのではないだろうか? それを伺いたくて<ちょい投げブログさん>へ訪問するのではあるが、(写真の掲載が多いとダメなのかな?)私のPCからはエラーが出て^^!コメントも置くことが出来ない。その依頼があったと仮定して話を進めると・・、じいさま>は母上に何か欲しい(食べ物)をたずね、<キスが食べたい>といわれたのではないだろうか? でも、ちょい投げ男さんは、4月3日の土曜日のam5:00の出港で、Sさん家族との釣り行きであり、そのメンバーにじいさま>は入ってはいなかった。 ・・母上様が危篤状態か・・・?? それで、釣り行きは、叶わなかった?

これも私くし事です。
最後の肉親である叔父を看取った時のこと。 日々の見舞いで「“魚○”のサワラが食べたい」と聞いた。“魚○”は私の実家の近くにある魚屋さんのことで、「それが美味しかった」という。私が買って来たその刺身を三度に分けて食べたと叔母は云った。そういえば、じいさま>にも云われたなぁ~ 「スーパーの魚と釣った魚」とでは味が違うのだという。<あなたに、わたしの釣ったキスを食べさせたい>と・・・。スーパーさんゴメンナサイ^^!
その一週間ほど後のこと。先生から 「アゴを上げているのは喘ぎ(あえぎ)の状態で終期が近いです」 と聞いた。 わたしは叔父貴の右手を握り、左手で脈をとりながら、彼の耳元で 「おじちゃんっ! おばちゃんも!○○ちゃんも○ちゃんも!○○さんも! 皆んな側に居るからね!」
それを聞いた叔父は心臓の鼓動を止めた・・、別室でモニターを見ていたのであろう。先生と婦長さんが急いで来られた・・ 「先生ありがとう。おかげさまでいいお別れが出来ました」 ・・ 姉から聞いていました。大きな手術の後は、耳は聞こえるのだが声が出したくても 「声が出せない」と。皆さんも例え患者さんが反応を示さなくても、その手を握りその耳元で語りかけて上げて下さい。 その昔、母から聞いた童歌などを・・・

P,C.Homelessより、じいさまへ (4/30記)
『おふくろは今日(4月1日・木曜日)も病院に運ばれましたが、自宅療養を要求しているので今夜もばたばたしそうです、やれやれ。』
この言葉を見て、じいさま>へ次のような内容の管理人のみのコメントを入れました。
このコメントは管理人のみ閲覧できます【 2010-04-02 00:04 】
一人で何役もこなされ大変なご様子。ましてや末期の患者は病院でもナース管理室に入れるほど。自宅でお一人。看護が出来るわけがない。関東の従姉さまか、先生に頼んで「強制入院」にしてもらったら? じいさま>が倒れたら最悪ですよ・・・」と入れた。

<・・悲しい思い出・・・>(5/01記)
これも、私事です。わたしの母は10年程前88歳でなくなった。彼女は十年程の一人暮らしではあったが4人の子夫婦達からも大事にされ、その意味では、幸せな老後だったと思う。花が好きなところはじいさま>の母上と同じ。姉が誕生日に送った花かごを造花に差し替えていくつも保管していた。わたしはその○長男。その母が風邪を患って肺炎となり入院した。歳のせいもあり悪化する一方で点滴あり。酸素吸入ありの状態。妻は家事を済ませて病院。わたしは勤務を終えての病院へ寝泊まりの日々。病状は室外禁止の絶対安静。彼女は難聴で補聴器。視力は眼鏡がないとほとんど見えない。それでも会話は出来た。入院から2週間ほどたったころであろうか仕事を終えて病院へいくとナース横の管理室へ移動していた。タンを詰まらせての処置で、その口には人工呼吸器が差し込まれていた。わたしの聞いた母の言葉は『家に帰りたい。拷問じゃあ~(器機につながれて身動き出来ないから)』それと、『子供達の名前を呼んで・・、しばらくして、おじいさぁ~ん・・、般若心経・・・』が最後となった。

面会時間は、10時と3時の15分間に制限された。それでも妻は大きな字の筆談で日々のことを伝えると ‘うなずいて’ くれたという。とある日にいくとベットに両手をくくられていた。先生に聞くと器機を外すのだという。母から聞けた最後のことばの「拷問」を伝えると『そうでしょうねえ。私のいないときの処置で喉の切開で呼吸器を入れれば良かったのですが、緊急なことで口から入れてしまいました。』 それでも妻はその時間には軟禁をはずし手をさすり足をさすりしていた。わたしも出来るだけ休みをとり面会していたが、今度は両足もくくられていた。看護婦(当時の呼称)さんは、『暴れる』のだという。人工呼吸器を外すことは死を意味する。そして眼鏡と補聴器も外されていた。彼女は外界との関係のすべてを断たれた。そばにあった記録を盗み見すれば心拍数は180を超えていた。
「先生、家へ連れて帰って死なせて上げたいのですが?」『その時には私も付いて行きますが、そこまで考えるのは早いでしょう』 その2・3日後に母は亡くなった。その顔は苦渋でゆがんでいた・・

このような看護と死別は、決してめずらしい事ではない。<今の看護の現状は看護する側に立っての看護であり、死に行く者の側からではない!>私達は何かのために何かを失ってしまった。暴れるほどに家へ帰りたがった母を<何故、連れて帰って上げられなかったのか! それをすれば医師も私も罪に問われる。そんな良識など「くそ喰らえだ!」 たとえ罪に問われようが、そうしておけばこんなに苦しまずにすんだものを! 私は、少しばかりの良識のために、世界で最も愛してくれた母を<拷問>にかけてあの世に送った。
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

<このような経験から> (5/02記)
じいさまの『おふくろは今日も病院に運ばれましたが、自宅療養を要求しているので今夜もばたばたしそうです、やれやれ。』が、病院か自宅かの間(はざま)でゆれるじいさま>の心が痛いほどに伝わってきた。母上は戦死した夫のお仏壇のそばで死にたかったのだ。病院にいてさえ前述のような状態なのに、それが自宅療養となると並の労苦ではない。じいさま>は、それを『やれやれ』とだけの表現にとどめているが、決して一人で持ちこたえられるものではない。 わたしは彼の言葉の末尾の「やれやれとか、・・・」を知りたい!」

<じいさまの交信が途絶えた> (5/03記)
このような状態では、グローバル塾へおいてあるPC活動どころではない。じいさま>は、私が3月1日の「卑弥呼・・」の記事を最後に記事の更新はしないと“活動休止宣言”をしたにもかかわらず、土日休日以外は毎日訪問の足跡を残してくれていた。そうすることが彼と私との繋がりであった。その足跡が4月1日・木曜日で、バッタリと途絶えてしまった。
それを表にすると、  

    グローバル塾  釣りじいさん  マツタケさん  PCホームレス   ちゃみさん  さこっちさん
         今朝母上が病院と自宅
4/1(木)   16:47投げ男さんへRe
                     23:22お久しぶり
2(金)春講習会前半終了             0:04強制入院を 17:04お久しぶり      
3(土) 休み             AM5:00釣り行 
4(日) 休み
5(月)講習会後半始まり
6(火)
7(水)       朝7:45出火                              16:34先生・・、
           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<次は表にある、ちゃみさん>と,さこっちさん>のコメントです。> (5/05掲載)
       ※只今、掲載をお願い中です。・謝々^^。じいさま想いの方をお一人でも多くと、
 ちゃみさん>より   【 2010-04-02 17:04 】
お久しぶりです。
春休みでもお忙しいようで。
子供全体の数が増えないと、生徒も増えないんでしょうかね。

うちの子供が通っていた私立の保育園も、
なかなか数が増えないようですよ。
公立はいっぱいですけど。

         
4月7日(水)朝7:45分ごろ出火!

 さこっちさん>より  【 2010-04-07 17:04 】
先生、先生ブログずっと続きま・・・、
         ※さこっちさん>はHPメッセージのようです。
             只今、当方は訳あってメッセージは閉鎖していますので、
             釣りじいさんブログ[春の講習会-・・]の方でご覧ください。

4月1日・木曜日の16時45分;ちょい投げ男さん>への『今夜はばたばたしそうです』のRe:を最後に、その日の23時22分にコメントを入れた、マツタケさん>と、それ以後の(私)PCホームレスと、ちゃみさん>のコメントは、じいさま>は目を通していない。
さこっちさん>の、「先生、先生ブログずっと続きましたね。・・・」は、その火事(合掌)を知ってから開いたものだ。じいさまブログには承認後に開くという鍵がかかっている。それを開いてくださったのは、グローバルの<竹内先生>かな?

<出火の不思議>(5/06記)
以下は、事実に基づかないまったくの素人探偵の想像でありますから、どなた様か教え正して下されば幸いです。 尚、より詳しい情報をお知りの方はコメントをお願いいたします。
(といっても、只今迷惑さんの関係でコメント欄は閉ざしています。運がよければ・・・^^!)

*ありがとうございます。いつも訪問してくださる9名様へ。下記の要領で記事を進めるつもりでしたが、やるせない脱力感におそわれ思考がまったくすすみません。・・ゴメンナサイ・・・じいさま>ブログへいきます・・・

<4月1日・木曜日夕方 ~ 4月7日・水曜日の朝までの、じいさまに何があったのか?>
その出火原因を知りたい! それがわかる迄、私はじいさまに「何んと哀悼の言葉」をかけたらいいのか? 『 じいさまっ! ・・・でしたねっ!』 の<・・・>が言えない!

<何故、朝方の出火なのか?> (5/08記)
4月1日(木)の「今夜は、ばたばたしそうです」から、4月7日(水)の出火までの一週間、彼は不眠不休の状態であった。一口に「不眠不休」などというが常人では2日?が限度。3日目にはうたた寝か爆睡状態かは別として必ず前後不覚の睡眠はとっている。要は本人がそれと自覚していないだけだ。じいさま>の場合、その限度を超えていた。一人っ子で近くに縁者もおらずつかの間の休息のための交代要員がいない。「ああしよう。こうしよう」と相談する相手もそばには居ない。又々、私事で申し訳ないが叔父が入院したとき叔母は、その看護疲れのあまり倒れて叔父と一緒に一週間ほど入院してしまった。完全看護の病院ですら、このような状態なのに、じいさま>のようにたった一人で自宅看護ができるわけがない。

4月1日の夜から4月7日の朝までのお二人は、どのような過ごし方をされたのであろうか?
何故、午前7時45分頃の出火なのか?この時間帯ならじいさま>は起きている時間だ。起きていれば火事の第一発見者は彼になっていいはずだが??

<出火場所は何処だ?> (5/09記)
じいさま>の家は“木造モルタル2階建て”約120平米。モルタル造りは30年ほど前に?流行った工法だが漏電を来すほどの古さではない。母上が1階に寝床があったのは分かっている。じいさま>の寝起きされていたのは1階か?2階か? このような場合1階に寝るのが当然のような気がするが、私の場合は2階だった。十年間の一人暮らしの母とは生活のリズムが合わなくて^^!。彼女が寝ている間にいって寝ている間に帰る。唯一の連絡方法は、途中シッコに起きた母がわたしの履き物を揃えること。たまにはその寝息を聞いたり、襖を開けっ放しにしている2階までゴソゴソと母が覗きにくることがありました。3日に一度、遅くても一週に一度、泊まりだけには行くようにしていた。その母の死後『じいさんが仏様を大事にしないから不幸になるんだ』と咎める娘に対して、「死んでからのことは、わしにゃぁ分からん。死んでからお線香や、しきびの一本をたむけるよりも、そのお金でわしが生きている間に好物の一片や、優しい言葉(電話)の一つをかけてくれ! そのほうが(わしゃぁ)よっぽどうれしいわッ」と、バチあたりなことを子供達には言っています^^!)なにも出来ないことをせよと言っているのではない。各々が「今の」私くしに出来ることをすればいい。(皆さんも^^?) ちょっと脇へそれました。

火事写真のチラッと見では、北田家は今様の総二階ではなく2階の部屋数が少ないとみた。この場合だと階下で火事があった場合屋根を伝って飛び降りることができる。しかし、彼は、そうはしない。布団をかぶってでも階下の母上を助けようとする。・・・。じいさま>のご遺体(合掌)は、間取りのどの部分で発見されたのか? 階段より上か下か?? それによって想いは大きく異なる。 朝の7:45分。 出火時に彼が1階にいたならば、彼はなにをさておいても母上を助け出す。彼に何かそれが出来ない状況が発生したのか?

<出火原因はなにか?> (5/10記)
 朝の時間帯からいってお鍋の火か? ならば気付くのが遅すぎる。彼の場合真っ先に母上を救出する。それとも吹きこぼれによるガス漏れへの再点火か? それだと爆発音がするから近隣の人達のコメントとして残るはずだが・・?

 過労爆睡からの寝タバコの火か? じいさま>は、グローバル塾のコラムの絵にもあるようにヘビースモーカー。煙草はなにやら聞き慣れない薄緑のケースの洋モクで1日40本は吸う。『わしは・・・1日40本のたばこをなんとかせんと・・・、やれやれ』。 酒は学出のころの商社マン時代、接待で身体をこわしそれ以来飲まないと聞いていた。寝煙草だと一気に燃えあがるものではなく、それだとしたら皆が起きている時間帯にしては、火勢(全焼)が強すぎる。

 それともストーブの火か? 4月とはいえ薄ら寒い日もあった。母上はどちらかというと寒がりで? そばの布団が加熱しての引火? しかし、じいさま>は、端からそのようなことはしない。たとえそうであるならば火元が1階の母上の寝床となるわけであるから母上は助け出されはしない。何故に、じいさま>の方の火傷が激しかったのか??
いずれにしても、寝たきりを抱える親一人子一人。ふだんから火の元には充分すぎるほど注意していたと思われるが?? それとも、じいさま>自身に何かがおきたのか?? その出火原因が解らない!

<その時、お二人はどうしていた?> (5/11記)
1階の母上は近所の人が救出している。救急車は息絶えておられる人は搬送しない。母上は病院までは生きておられた。生きておられたとすでに亡くなっておられたとではその様相は大きく変わってくる。『わしは元気(?)です・・・、 』といって居られたじいさま>の遺体の損傷のほうが何故激しいのか? これ一つをとっても出火の原因は謎だらけだ、私(素人探偵)にはその解明は無理だ。 思考がからまって冷静にそのことが判断できない。どなた様か 『 何故、こんな事になったのか? 』 を教えて下さい。
それがわかる迄は私(素人)は、じいさまに「何んと哀悼の言葉」をかけたらいいのか? その言葉がみつからない・・・、涙をながして号泣してしまえばもっと楽にはなるのだが・・
わたしの知る所で、じいさまは二人のお友を亡くしている。お一人は同じ塾の先生をしてその後、自営に変わって過労死された。その時のじいさまの言。「出会いと別れ」2007 7 2 より、 『 人生につきもののこの現実。生きていれば楽しいこともあろうが、何故・・・。それはその人間にしかわからない。一見エネルギッシュに見えて、快活そのものに見える人間にこそ、端からはわからない辛さや悲しさや厳しさがあるのだろうか。何故そこまで自分を追いつめてしまったのか。こうなる前にひと言相談して欲しかった。』  私・素人は、この言葉をそっくり貴方に返したい。そうすれば その“辛さや悩み” が共有できたのに・・・
もうお一人は、ブログ友でそのコメントや記事の更新が途絶えてそれと知った時。その時アップしていた花の写真がシクラメン(かがり火草)。じいさま>が知ってか知らずかは知らないが、何故にと思って調べると、その花言葉は「過ぎし日の朋友を懐かしむ」だった。

 もうすぐ彼の納骨儀式・四十九日(5月15日)が来ます。 

じいさま!貴方に問いたい。  (5/12記) 
これが貴方のいう、『 だからわしは還暦過ぎて、もう4年。そのご褒美が・・・おふくろの介護。』
ならば、       釣りじいさんブログ “「育む」と言うこと” 2007 7/6 15:19 より、
その介護の“ご褒美”が最愛のお母様と一緒にあの世へ逝くことだったのでしょうか?? ・・・と!、
  そのお母様は、94歳で亡くなられた姉様への弔電で、
『もうすぐ行くから 待っててね そっちでゆっくりお話しましょうね』 といって居られましたよね。


<最後の記事の写真が紫木蓮の一輪でした> (5/13記)
あなたが母上様にせがまれて所有する2・300(?)の写真のうち、何故に?その中の一枚を選ぶのかを考えるのも楽しみでした。 ある時、(あじさいの花に似てる?)ランタナの花一輪の写真アップに対して、沢山咲いている写真をブログ友にすすめられて、
『わしはどちらかというと一輪の花が好きなんです。』と云っておられましたよね。今の私は貴方のような気持ちにはなれません。

 崇高に  上を向いてや  紫木蓮 
   何故に一輪 写したまふや 全ての蕾 上向きおるに
 
(神様 なぜにその一命だけを 召し(撮り)賜うや 我等ブログ友の全ても 上を向いておるのに)
 
ちなみに、紫色の紫木蓮は、お母様も好きでしたよね。その紫木蓮の花びらが、こぼれ始めました。その花びらのコボレが、不二の朋友じいさま>の微笑みと思えるとき迄・・、
                               2010 / 5 / 13 ( 平 素人 より )

追伸; 我が朋友として<北田昌利氏>の名を共に歴史に刻むために記事を掲載しました。
この記事をもって、PC活動を終えることになると思います。FC2>関係者さま、閲覧をして下さった皆様、コメントを置いて下さった皆様ありがとう御座いました。出来れば(覗くだけではなく)あなたの『応援します』のコメントが欲しかったのですが叶いませんでした。そうしておけば貴方の名も“世界史”に残すことが出来たのに・・(^^)。又のご縁がありましたら、その時まで・・
(それが50年後?100年後? それとも今日・明日になるのでしょうか^^?)
                        When will I see you again... (^-^)Thanks.

     ( 長い間、ありがとう御座いました。 5/13にこの記事を完了しました。)

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(2012, 5/12) どなた様> 拍手をありがとう御座います。
記事:アーカイブ2010-05-01-Sat 【朋友・釣りじいさんを悼む・】←のコメント欄の、
 平 素人 | URL | 2012-05-12-Sat 18:10 [EDIT]の、 <紫木蓮に想う・・・>へ、
(2012, 5/14) 『たがために、血へど吐くかや、ほととぎす、おぼろなりとも、月さえあらまじ』
 当カテゴリー<ゲスト様>より、^^?、 その時鳥(ホトトギス)の声を今年は全く聞いていません。
  地球温暖化のせいでしょうか? それとも何かが異変なのでしょうか??
どなた様>拍手(3)をありがとう御座いました。(‘10 5/21)
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