BC.2001年の巨大隕石!祖先からの伝言(英訳用の原文です)
1996 March 17;
祖先が、私達子孫に残した謎の巨石遺構物がある。 有名なものに、イースター島の石像、イギリスのストンヘンジ、フランスのカルナク列石がある。 そして、ストンサークルがノルウェーやスエーデンに、日本にも(北海道・忍路にストンサークル、秋田県・大湯に環状列石)がある。 なぜ、これ等の遺跡が造られたのか決定的な答は出ていない。 その目的とするところがはっきりしないのである。 紀元前2000年頃より始まった、これ等の遺跡が<同一の>巨大彗星の(衝突)を引き金にしたとの推論に至った。
信じられないことではあるが、この大惨事でも絶対多数の人類が生き残った。 否、むしろ大干ばつに苦しんでいた人達にとっては、それがもたらした慈雨によって救われたと言い換えたほうが良いかも知れない。 この大事変は、人々の心に神の存在を植え付けた。 これは、人間が、集団で行動をとる核となる。 つまり、人々は、神の存在を信じ神格化した人物をつくり、その人物の意志でうごく集団社会へと発展した。 そして、この事は、取りもなおさず、巨大なものの建造が可能になったということでもある。
日本の秋田県・鹿角市にピラミッドがあるという学者があらわれた。 三角錐状に整形されたという高さ80mの頂上付近から、石器時代の土器も発見された。 この説は一部でとなえられているだけで、まだ一般には受けられてはいない。私は、巨大隕石に興味を持っていたので、それに結びつけて、その方向性に注視した。この黒又山と呼ばれている北西の稜線を延長していくとストンヘンジやカルナク列石があった。さらに、この延長線上にイースター島があったのである。予想は見事に的中した。しかし、西瓜の表面のどこに印を付けようが、(任意の)3点では包丁で切れてしまう。(fig.1)
(fig.1) 彗星の軌跡

彗星が、太陽系へ侵入した推定 軌道図 !
北半球・冬至( winter solstice )

イースター島上空から進入しドーバー海峡、シベリアを経て日本の東北地方へ!
鹿角市の大湯(黒又山・クロマンタ) → 三角錐に整形か?
管理者からのお願いと、お詫び :
絵を載せるには、色々な制約があったり、その方法を知らなかったりで(汗~)、予定している記事(A4-7枚)での掲載は、控えておこうかと思っています。('22/9/19に掲載)
尚、この絵は、拙著の電子出版、極秘報告書「巨大隕石と大津波」(←クリックして下されば、そのほうへ飛びます←絶版)頁12~38迄に掲載しています。
初版のこの「報告書」には、多くの誤りが含まれていて、(正)BC.2001年、(誤)BC2000年が、その一つです。
この線上に4点目はないかと捜したところ、これ等とは、少し異なるがペルーのナスカ市の岩肌に、大小さまざまな地上絵が刻まれていた。 この謎解きから始めよう。 このなかに200mをこすコンドルを模したものではないかと云われているものがある。(fig.2)
この絵を地上から確認することはできない。測量の技術もたいしたものだ。大きく広げた翼と尾羽、ガッシリとした足、それと丸い頭と細長いくちばしが印象的だ。 ところが東北へ向かって飛んでいなければならないはずの鳥は南東に向かっていた。それに、この鳥のくちばしは、曲がっていないで鶴のように先がとがっている。 ・・、現在にこの冬鳥である鶴は見かけない。 頭が丸いぃ、? ・・、 これだっ!!、 丸い頭が巨大彗星で、くちばしがその尾なのだ。そして南東に向かっているのではなくて、その方向からやって来たことを表現しているのだ。 これを描いた人達は、それが飛び去った方向より、太陽からの使者として来た(朝方の)方向に興味があったのである。
(fig.2) 講談社 Quark special(1994 04)から作図→以下同じ(着色は独自です)
ナスカの地上絵 200mを超える、(羽を広げた)コンドル??の地上絵

さらに、これ等の絵をよく観察すると、fig.3、fig.4、fig.5の、 三つのグループに分けることが出来る。
(fig.3) 講談社 Quark special から作図・着色
彗星の分散を表すグループ

fig.3、のグループは、この上空で彗星が分散したことを表現している。 但し、方向は作為している。 羽が足が、根っ子が、葉っぱが分散を表現している。 ところが、分散にしては、すこし変わった部分が描かれている。 鷲の頭、サンゴの枝、鳥の曲がった首が、それである。 これは、その分散のしかたが単純ではなかったということであろう。
(fig.4) 講談社 Quark special から作図・着色
彗星の分裂を表現しているグループ

fig.4 では、さらに、それが強調されている。長くのびた蜘の足、胸から飛び出したとも思える鳥の内臓、長く垂れ下がったトンボの顔である。 これは、分散したなかの一つが、皿のように砕けて、ヒラヒラと蛇行しながら落下したと伝えている。
それは、(軌道を外れて)メキシコのユカタン半島に落下した。 その地にあるチェチェン・イッツアの遺跡と、三つ目のグループで、fig.5 に描かれている渦巻きの謎解きは、後の楽しみに残しておこう。
(fig.5) 講談社 Quark special から作図
渦巻きの絵が付属しているグループ

( 次は、後述記です。英訳にはありません。)
彗星は、「汚れた氷玉」で、太陽に近づくと太陽風で氷が溶けて尾っぽになるとの論がありました。 素人の彗星・小惑星に対する考えは、これとは少し異なります。 彗星は、氷~岩~金属等の割合で成り、太陽から比較的離れた所や、直近やらを周回する色々なタイプがあるとみています。 いずれにしてもそれは太陽系のはるか彼方からやって来るわけですから冷え切っている。 太陽は灼熱のコロナ100万度を持っている。 彗星はその熱に炙られ、太陽に近づくほどスピードを増す。 その結果、表皮と内部に温度差ができ、これが地球の大気圏に突入すると、その表皮が剥がれてまき散らかされる。
この時の落下軌道下の、(スペイン北部?リアス?)、 フランス、 イギリス、 ノルウェー、 スエーデン、 北海道の忍路・秋田県の大湯に、環状列石と訳されているストンサークルがある。 これ等の遺跡の<類似性>を語るとき、「文化の伝達」では、それを語ることができず、そこには、「何かの」同一事象・同時性があると唱える学者がいた。 その何かがBC2001年12月24日(欧州時間)25日(日本時間)の地球を半周した巨大彗星・巨大隕石だ! それを「竜」と呼ぶか、「巨大隕石」と呼ぶかは貴方の自由だが、それを巨大隕石と呼んだら<科学で>、竜と呼んだら<伝説かぁ>と、ご先祖さまが、怒ってらっしゃいますよ。?(笑) これ等のストンサークルを、素人探偵は、 『竜のマーキング』 と、名付けました。 その巨大隕石を何故、BC2001年12月24・25日にしたかの詳細は、又の機会にしましょう。
なぜ、「衝突の日時までもが判明したの」? それは、祖先に聞きました(^-^)。
→ http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html
話をもとにもどして、
南半球の時は夏至、昼の3時頃、ナスカの上空で分裂・分散した彗星は、北東のドーバー海峡方面へ向かった。その形を衝突痕に似せているストンヘンジは巨石の落下地だ。大変な労力を費やしてまで巨石を平地へと運ぶには、それなりの理由がいる。どこでもいいやとはいかないのだ。 その方向性は、太陽からの伝言を受け取った彗星の襲来が北半球の冬至だったと教えている。 想定した彗星の侵入経路は、fig.9 に示している。
BC2000年頃に造られたカルナク列石は 「巨大隕石の廊下」ですよと云っている。
(fig.6) 学研原色現代新百科事典(1971 12)から作図 →以下同じ
(フランス) カルナク列石は “巨大隕石の廊下”だ !!
(イギリス) ストンヘンジ(ストンサークル)は “竜のマーキング”
そして、ヨーロッパでは、次のような伝説を残している。 それは12月24日の夜だった。真っ赤に輝いた星が空を走った。これは後のキリスト信仰に結びつきクリスマス・イブとなり、サンタクロースとなった。赤い服と三角帽子で彗星を表現し、トナカイと樅の木の若木の枝で、彗星の分裂を表現している。 夏からの大干ばつで乾ききった大地に慈雨(大雪)というプレゼントを持ってやってきた。 サンタが煙突から入るのも問題で、合理的な考え方をする欧米人が、(冷暖房の整った)近代的な家にも、これを残しているのは何故だ。 これは、空から来襲した巨石が、大地に突きささったチムニーロックだ。巨石の下には、赤い血か赤い炎の跡がなければならない。 巨大彗星が地球とぶつかる前に、衝撃波や衝撃音が発生する。シャンシャンとなる鈴の音は、巨大な隕石が放つ衝撃音にしては、少し可愛い過ぎるかも知れない。こんなに派手な登場では子供達は起きてしまう。私なら、ひそやかに、隕石痕ににせている靴下(昔の靴下は棒状だった)に、そっとプレゼントを入れてやる。 そして、真っ赤な服やトナカイにもこだわりはしない。
(次、後述で、英訳文にはありません。)
なぜ? 対であるはずの靴下が一つなの? そして、チョコレートやクッキーのような食べ物を入れるには不潔だ。 さらに、サンタさん一人で全ての子供達にプレゼントをくばるのは大変だ。極めつけは、あの巨体のサンタさんが煙突から入る? ススで汚れる。 ちょっと無理があるよねえ。 わたしなら、小さくドアーをノックして中に入れてもらいたい。大きな荷物もかついでいるしねえ。(笑) 貴方は、この矛盾だらけの、サンタさんの話をどのように子供達に説明していますか? なんでもない話なら、とうの昔に淘汰され今の世まで残ってはいない。 それが語り継がれているのには、そこになにかが隠されていると気付くべきだ。 遠く離れた欧州のサンタさんと、日本で似たような発想の大黒さまがいるのも面白い。
さらに、この巨大な塊は、(空気)抵抗を受けて減速(?)しながら、巨石をまき散らしながらスエーデンや、シベリア、中国の北東部を経由して、日本へと向かう。 中国では、これをドラゴンに見立てている。大きな頭と細長い尻っ尾で空を駆ける隕石を表現し、角とヒゲで分裂を表している。 その大きな口から発する咆哮は、空に鳴り響いたに違いない。 そして、鋭い爪に握られている火の玉は真っ赤な隕石を象徴している。 ドラゴンが雨に乗って天上する水神さまとして扱われるのは、この大事変がもたらした大雨による。 海洋国日本では、ミルキークラウンを頭に戴いたカッパという伝説の化け物がおり人畜を水の中に引っぱり込むという。これは、海に落下した巨大な塊と津波とを言い伝えている。
(fig.7) 学研百科事典から作図
祖先が残した巨大隕石の形
(前方後円墳を、勝手に改めて^^!→) 前円後方墳 と、 銅鐸の図
いずれも、半円部分を下にして描いています。

後には、前方後円墳と呼ばれる流星形の巨大な墓を造らせたり、流星形の実のなる槙木で棺を作ったり、首長、つまり神の化身が変わるときに打ち鳴らしたと思われる流星形の銅鐸を埋納させたりした。一度その音を聞いてみたい。 それは、きっと巨大な隕石が発する音に違いない。 そして、ここでも人身御供という赤い血がつきまとう。
( 銅鐸の謎解きについては、報告書の本文で色々に挑んでいますが、銅鐸を首長の化身としたのは間違いでした。 最終的に銅鐸は忌みとか、慈雨をもたらす荒神を呼び寄せる媒体になったと謎解きしています。)
(fig.8) 学研百科事典から作図 (前図参照)
大湯のストンサークル 落下・衝突の瞬間を表現している。
石棒(明治大学蔵) 石棒の出土は中部以北で、(男性根に似ている)
祖先からのメッセージを語るとき、三つのキーワードがある。竜星形と真っ赤な色と、轟音である。 それは、犠牲を伴った豊穣を約束する。 我々が‘昔から’と云っている所作や形にも、それ等が隠され受け継がれていると知るべきだ。 いよいよ、この巨大な核は、最終地の日本へ達した。破片をまき散らしながら。 北海道にストンサークルがある。大湯のそれは、実に衝突の瞬間を模している。 ピラミッド黒又山の近くに三角形の地形に似るたところが二ヶ所ある。 もし黒又山がピラミッドならば単発では考えにくいので、これも調査が必要だ。 日本の中部地方より北で石棒という石器時代の遺物が発掘される。 中部より北ということは飛核が低い位置になったということでもある。
(fig.9) In AM6:00 25 December 2001BC. Big Comet on Japan!
祖先は、その事象を「地名」で残している !!
※ それは、未だ暗い朝の6時だった!
(なぜ、その時間や、日にち迄もが、解ったかは別紙で述べることにしましょう。)

北海道・白神岬、龍飛崎 の上空から → 釜石 ・ 気仙沼 ・ 大槌 辺りか!?
その空を「竜・リュウ(音)」が、飛んだと龍飛崎! 天からの、ビッグハンマー大槌に!?
< 白光化(衝突光)と、その山影に(住んでいた)なったことを表す、地名・山名 >
北海道・白神岬、青森・白神岳、秋田・岩手県境の真昼岳 (真昼のように白光化した!)
山形・宮城県境で、 アナ恐ろしや 白髪山! そのオモテ・顔も白んだ 面白山 !
その光!、山で止めたと、 丁岳(ヒノトだけ)!
『 東北地方 ・ 祖先からの伝言 』
(拙・電子版からの転載です。 尚、これは英訳文にはありません。)
その昔、竜が飛んだと、“龍飛崎” 全天覆った“奥羽”の羽 “大槌・釜石”に降臨した。
“松前”のそちらに飛んだと“白神岬”、白光見たと“白神岳” 、真昼のようだと
“真昼岳”、私も見たよと“面白山”あな恐ろしや恐ろしや木々も白んだ“白髪山”
「しろひげやま」と読みます。立ち枯れて幹だけが白く残ったんでしょうかぁ?
祖先は、その衝突光を白いという地名で遺している。
fig9.は、 日本の東北地方の図である。 これに鹿角市の上空を通り南東へ向けた線を引いてみた。ところが不思議なことに、図・Aの海岸線は、リアス式と呼ばれる複雑な形をしているのに、図・B(この北の久慈側)と、C(この南の阿武隈山地側)では、単調な海岸線をしている。普通に私達は、特異なことには目をむけるが当たりまえと思われる事には注意を払わない。これは、巨大隕石で発生した津波による浸食がBとCには及ばない位置になるから遠い海上ではなくなり、衝突点は、陸地に近くなる。 気仙沼があやしい。 釜石鉱山も気になる。
この衝撃で発生した大津波は、Aの表土を洗い流した。 岩石が飛び散り、多量の水蒸気が空気中に放たれた。 大地は揺れ動き、火山を誘発し、舞い上がった粉塵は、大雨の核となり地上に降りそそいだ。
(別談; 筆者は、この衝突を引き金に大洋側から陸側への”列島ストレス”の全てが連鎖的に解消したとみています)
( 次も、英訳文にはありません )
この大事変後を地球規模でみれば、その粉塵は太陽光をさえぎり、“隕石の冬”(→核の冬)という気温の降下へと進んでいく。
巨大隕石が地表をたたく衝撃は、核爆弾の比ではない。そして同じ応力でも地下100kmと地表とでは格段の差がある。 これを実験するには、お風呂の湯面をたたいた拳と同じ力で、その拳をお風呂の底の方で動かしてみるとよく分かる。 その核の大きさを素人は、φ10km~20km弱と推(よ)んでいますが、軟化した塊か?、固いままの塊か?が解らないのです。 祖先は、それを牡鹿(半島)とか、竜舞(崎)とか、金華(山)とか、あるいは、八大竜王とかの、散らばったような言葉で表現しています。 巨大隕石=固い塊、という固定観念でみると史実を見誤るかも知れない。 いつだったか木星へ巨大隕石が落下衝突したが、これは、その衝突のまえに、21個?かに分裂しましたよね。
この大事変の痕跡は、「必ずよめる!」と思って、地質図を取り寄せましたが、それがどうして「全く、よめない!」 その痕跡が全く見えないのです。 このような時、素人は、その地名が何時ついたのかは分からないが、『ご先祖様の伝言(地名)に嘘はない!』 それが推めないのは、この私の(今の科学の?)考えが至らないからだと、ワラジ(笑)を預けることにしています。
そのワラジ(下駄)を東北の皆さんに預かって欲しい。 その痕跡は<必ずある> 皆さんが、当たりまえだと思って育った土地には、他の地と比べて、「当たり前でない」 何かがある。 それを捜すとき、今までの科学という固定観念をもって捜してはならない。全く新しい概念を開拓しようとしているのだから。 ・・・
①祖先は、その時の津波の大きさを「水界峠」250mと云っているが?
(津波の高さは、その地形と震源との位置によって大きく異なります)
②その時積み上げた土石堆を、「仙台」、「一関」、「盛岡」と云っているが?
③その時の“波状”を、「区界峠、一戸~七戸と云い、八戸、九戸を戻り波だと云っているが?
④「黒森山」とは、その時の熱風等で燃え尽くしたと云っているのか?
⑤又、立ち枯れた木々が風化し、幹だけが白く残り、林立してヒゲ状になったか?
山が白髪化したように見えて→後の白髭信仰へ?
⑥その時の強い衝撃光で目をやられて見えなくなった人がいたか?
電気溶接遮光面 →東北地方で遮光土偶の出土あり
⑦その衝撃と大津波で、その表土をかっ去らい、「岩の手地方」になったと云っているが?
まだまだ、東北地方の人に聞きたいこと、見直して欲しいこといっぱいありますが、長くなりそうなので別の機会にして、話を元に戻しましょう。
大津波は、太平洋に浮かんだ(島々の)石器文明を一瞬のうちにして呑み込み、押し流しながら遠くイースター島にまで達した。 イースター島には、約1000体のモアイと呼ばれる石像があり、大きいものは20トンもある。 こんな小さな島に、よくもそんなエネルギーがあったものだ。 そのほとんどは、海に背を向けて立っている。 普通、私達は海に向いた方が気持ちがいいので墓なと゜は海へ向けて建立する。 これは、背の方向、つまり、海からの津波の上陸を意味する。このなかにプカオと呼ばれる赤い凝灰岩で出来た帽子風のものを乗っけた巨人がいる。 口をかたく結び空を見上げて立っている。
(fig.10) 講談社 Quark special から作図
イースター島の、 モ ア イ ( 7 体 )
ペルー の、 山の斜面に大きく描かれているフクロウマン
( 別談ながら、この目玉の大きいふくろう人間は、その太古の当時に、「宇宙人の飛来があって」 それでもって、滑走路のための?無数の直線をひき、片手をあげて合図をしているとした論がありました。 一流科学誌にですよ。 ♪笑 )
逆T字形の赤い帽子は、空を飛んだ巨石が赤かったということで、わざわざ火口の赤い石を切り出している。 その人数も問題で、材料と労力さえあれば何人にしょうかと迷う。 一人では淋しいから二人にしようかなどと考える。おまけで三人にしようかなと思ったりもする。 ところが5を過ぎるあたりから、その数が意味をもつ。 建立には多大の労力を要するから、この人数分に彗星は、分裂したと伝えている。 そして、分裂の一つがグループを離れたことを表すのに、気をつけをした親指を反らしている。 それでは固く口を閉ざして空を見上げているのはなぜだ。我々は、びっくりした時には大口をあけるが、恐ろしさに打ち震える時には、口を固く閉ざすのである。 太古の人達は、このビッグイベントに驚愕し、目を据えてその恐怖を私達子孫に伝えている。
日本で発生した大津波は、約1日をかけてペルーのナスカに達する。 再び地上絵の謎解きにもどろう。 fig.5の、「渦巻き」は、大津波なのだ。 イルカが、魚が、サンゴが、鳥が、 海に背を向けて、傷つき破壊されて打ち上げられたのだ。
(fig.5) 講談社 Quark special から作図 ・着色
津波によって打ち上げられ、腹を上にし、傷付けられた海産物と漂着物。
(これ等の絵が、どちらに向かって描かれているかの方向性に注視して欲しい)
私達はキャンパスに絵を描く時、関心のある方に向かって座る。これ等のすべては、
日本からの、津波が来襲した"北か北西"の方向を向いて描かれている。

ここでは、居るはずのない尾長ざる迄も描かれている。 大津波によって運ばれたこれ等のおびただしい海産物や漂着物をこの地の人達が、天にまします神からの賜りものとして描き記すことに何の疑いがあろうか。 無数に引かれた直線は、太陽の動きや、その仲間と思われる星座の動きが観測されている約4000年前の貴重なデータだ。 そのなかの1本は、(南半球では)夏至の日没の方向を示している。 また来るかも知れない。 山肌に大きく目を見開き右手を高々とあげたフクロウ人間と呼ばれている地上絵は、これと関係ない方は見てはいない。貴方は、信じられますか? この地上絵のある高台は、海から50km、そして高さが500mの所へある。
ここで、津波についてふれておこう。 津波とは海洋国日本の言葉である。 津の波とは、港に入った波という意味で、遠浅でV字形の湾奥では、猛威をふるい一瞬にして陸地に駆けのぼる。 ところが、大洋に浮かんだ小舟は、それがあったことすら感じなかったり単調な海岸や、ポツンと浮かんだ小島では水位が増してくる程度なのだ。( 津波警報がでた時、船が沖合に待避するのは、この理由による。) 津波のスピードは、およそ時速700kmで進む。深い所では速いし、浅い海岸近くでは、それより遅れて進む。浮いたものは流されるし、沈んだものは流されにくい。小さいものや軽いものは遠くまで流されるが、重くて大きいものは流されにくい。形の丸いものはよく流されるが、形の角ばったものは流されにくい。
『 力が水という媒体によって運ばれる時、物質は非常に効率よく分別される。』 平 素人
この当たりまえと思われることが、さらなる謎解きのキーポイントとなる。
この時、分離した隕石の落下地であるメキシコの<チェツェン・イッツァ>の遺跡は、生け贄の心臓を取り出して、神にささげるという祭祀センターであった。 このショッキングな儀式は、寒気がするほど正確に巨大隕石の落下というビッグイベントを模倣していた。この謎解きは、(報告書本文のP26~P32)で後述しています。 尚、この祖先からのメッセージは、本文(www.Boon-gate.com ノンフィクション05、巨大隕石と大津波)の、一部であることを付け加えておきます。
(fig.0) Chichen Itza (Yucatan Pen)
この巨大な祖先からのメッセージは、私達の先祖が、私達の子孫へ、
何を、どのように残すべきかを 教示してくれている。
有り難うございました。 確かにこのメッセージ 受け取りました。 口
註: 以上の記事は、英文化して頂いたその原文を掲載しました。
拍手をありがとう御座います^^。 只今('10 5/23)までで5拍手になりました。
1996 March 17;
祖先が、私達子孫に残した謎の巨石遺構物がある。 有名なものに、イースター島の石像、イギリスのストンヘンジ、フランスのカルナク列石がある。 そして、ストンサークルがノルウェーやスエーデンに、日本にも(北海道・忍路にストンサークル、秋田県・大湯に環状列石)がある。 なぜ、これ等の遺跡が造られたのか決定的な答は出ていない。 その目的とするところがはっきりしないのである。 紀元前2000年頃より始まった、これ等の遺跡が<同一の>巨大彗星の(衝突)を引き金にしたとの推論に至った。
信じられないことではあるが、この大惨事でも絶対多数の人類が生き残った。 否、むしろ大干ばつに苦しんでいた人達にとっては、それがもたらした慈雨によって救われたと言い換えたほうが良いかも知れない。 この大事変は、人々の心に神の存在を植え付けた。 これは、人間が、集団で行動をとる核となる。 つまり、人々は、神の存在を信じ神格化した人物をつくり、その人物の意志でうごく集団社会へと発展した。 そして、この事は、取りもなおさず、巨大なものの建造が可能になったということでもある。
日本の秋田県・鹿角市にピラミッドがあるという学者があらわれた。 三角錐状に整形されたという高さ80mの頂上付近から、石器時代の土器も発見された。 この説は一部でとなえられているだけで、まだ一般には受けられてはいない。私は、巨大隕石に興味を持っていたので、それに結びつけて、その方向性に注視した。この黒又山と呼ばれている北西の稜線を延長していくとストンヘンジやカルナク列石があった。さらに、この延長線上にイースター島があったのである。予想は見事に的中した。しかし、西瓜の表面のどこに印を付けようが、(任意の)3点では包丁で切れてしまう。(fig.1)
(fig.1) 彗星の軌跡

彗星が、太陽系へ侵入した推定 軌道図 !
北半球・冬至( winter solstice )

イースター島上空から進入しドーバー海峡、シベリアを経て日本の東北地方へ!
鹿角市の大湯(黒又山・クロマンタ) → 三角錐に整形か?
管理者からのお願いと、お詫び :
絵を載せるには、色々な制約があったり、その方法を知らなかったりで(汗~)、予定している記事(A4-7枚)での掲載は、控えておこうかと思っています。('22/9/19に掲載)
尚、この絵は、拙著の電子出版、極秘報告書「巨大隕石と大津波」(←クリックして下されば、そのほうへ飛びます←絶版)頁12~38迄に掲載しています。
初版のこの「報告書」には、多くの誤りが含まれていて、(正)BC.2001年、(誤)BC2000年が、その一つです。
この線上に4点目はないかと捜したところ、これ等とは、少し異なるがペルーのナスカ市の岩肌に、大小さまざまな地上絵が刻まれていた。 この謎解きから始めよう。 このなかに200mをこすコンドルを模したものではないかと云われているものがある。(fig.2)
この絵を地上から確認することはできない。測量の技術もたいしたものだ。大きく広げた翼と尾羽、ガッシリとした足、それと丸い頭と細長いくちばしが印象的だ。 ところが東北へ向かって飛んでいなければならないはずの鳥は南東に向かっていた。それに、この鳥のくちばしは、曲がっていないで鶴のように先がとがっている。 ・・、現在にこの冬鳥である鶴は見かけない。 頭が丸いぃ、? ・・、 これだっ!!、 丸い頭が巨大彗星で、くちばしがその尾なのだ。そして南東に向かっているのではなくて、その方向からやって来たことを表現しているのだ。 これを描いた人達は、それが飛び去った方向より、太陽からの使者として来た(朝方の)方向に興味があったのである。
(fig.2) 講談社 Quark special(1994 04)から作図→以下同じ(着色は独自です)
ナスカの地上絵 200mを超える、(羽を広げた)コンドル??の地上絵

さらに、これ等の絵をよく観察すると、fig.3、fig.4、fig.5の、 三つのグループに分けることが出来る。
(fig.3) 講談社 Quark special から作図・着色
彗星の分散を表すグループ

fig.3、のグループは、この上空で彗星が分散したことを表現している。 但し、方向は作為している。 羽が足が、根っ子が、葉っぱが分散を表現している。 ところが、分散にしては、すこし変わった部分が描かれている。 鷲の頭、サンゴの枝、鳥の曲がった首が、それである。 これは、その分散のしかたが単純ではなかったということであろう。
(fig.4) 講談社 Quark special から作図・着色
彗星の分裂を表現しているグループ

fig.4 では、さらに、それが強調されている。長くのびた蜘の足、胸から飛び出したとも思える鳥の内臓、長く垂れ下がったトンボの顔である。 これは、分散したなかの一つが、皿のように砕けて、ヒラヒラと蛇行しながら落下したと伝えている。
それは、(軌道を外れて)メキシコのユカタン半島に落下した。 その地にあるチェチェン・イッツアの遺跡と、三つ目のグループで、fig.5 に描かれている渦巻きの謎解きは、後の楽しみに残しておこう。
(fig.5) 講談社 Quark special から作図
渦巻きの絵が付属しているグループ

( 次は、後述記です。英訳にはありません。)
彗星は、「汚れた氷玉」で、太陽に近づくと太陽風で氷が溶けて尾っぽになるとの論がありました。 素人の彗星・小惑星に対する考えは、これとは少し異なります。 彗星は、氷~岩~金属等の割合で成り、太陽から比較的離れた所や、直近やらを周回する色々なタイプがあるとみています。 いずれにしてもそれは太陽系のはるか彼方からやって来るわけですから冷え切っている。 太陽は灼熱のコロナ100万度を持っている。 彗星はその熱に炙られ、太陽に近づくほどスピードを増す。 その結果、表皮と内部に温度差ができ、これが地球の大気圏に突入すると、その表皮が剥がれてまき散らかされる。
この時の落下軌道下の、(スペイン北部?リアス?)、 フランス、 イギリス、 ノルウェー、 スエーデン、 北海道の忍路・秋田県の大湯に、環状列石と訳されているストンサークルがある。 これ等の遺跡の<類似性>を語るとき、「文化の伝達」では、それを語ることができず、そこには、「何かの」同一事象・同時性があると唱える学者がいた。 その何かがBC2001年12月24日(欧州時間)25日(日本時間)の地球を半周した巨大彗星・巨大隕石だ! それを「竜」と呼ぶか、「巨大隕石」と呼ぶかは貴方の自由だが、それを巨大隕石と呼んだら<科学で>、竜と呼んだら<伝説かぁ>と、ご先祖さまが、怒ってらっしゃいますよ。?(笑) これ等のストンサークルを、素人探偵は、 『竜のマーキング』 と、名付けました。 その巨大隕石を何故、BC2001年12月24・25日にしたかの詳細は、又の機会にしましょう。
なぜ、「衝突の日時までもが判明したの」? それは、祖先に聞きました(^-^)。
→ http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html
話をもとにもどして、
南半球の時は夏至、昼の3時頃、ナスカの上空で分裂・分散した彗星は、北東のドーバー海峡方面へ向かった。その形を衝突痕に似せているストンヘンジは巨石の落下地だ。大変な労力を費やしてまで巨石を平地へと運ぶには、それなりの理由がいる。どこでもいいやとはいかないのだ。 その方向性は、太陽からの伝言を受け取った彗星の襲来が北半球の冬至だったと教えている。 想定した彗星の侵入経路は、fig.9 に示している。
BC2000年頃に造られたカルナク列石は 「巨大隕石の廊下」ですよと云っている。
(fig.6) 学研原色現代新百科事典(1971 12)から作図 →以下同じ
(フランス) カルナク列石は “巨大隕石の廊下”だ !!
(イギリス) ストンヘンジ(ストンサークル)は “竜のマーキング”
そして、ヨーロッパでは、次のような伝説を残している。 それは12月24日の夜だった。真っ赤に輝いた星が空を走った。これは後のキリスト信仰に結びつきクリスマス・イブとなり、サンタクロースとなった。赤い服と三角帽子で彗星を表現し、トナカイと樅の木の若木の枝で、彗星の分裂を表現している。 夏からの大干ばつで乾ききった大地に慈雨(大雪)というプレゼントを持ってやってきた。 サンタが煙突から入るのも問題で、合理的な考え方をする欧米人が、(冷暖房の整った)近代的な家にも、これを残しているのは何故だ。 これは、空から来襲した巨石が、大地に突きささったチムニーロックだ。巨石の下には、赤い血か赤い炎の跡がなければならない。 巨大彗星が地球とぶつかる前に、衝撃波や衝撃音が発生する。シャンシャンとなる鈴の音は、巨大な隕石が放つ衝撃音にしては、少し可愛い過ぎるかも知れない。こんなに派手な登場では子供達は起きてしまう。私なら、ひそやかに、隕石痕ににせている靴下(昔の靴下は棒状だった)に、そっとプレゼントを入れてやる。 そして、真っ赤な服やトナカイにもこだわりはしない。
(次、後述で、英訳文にはありません。)
なぜ? 対であるはずの靴下が一つなの? そして、チョコレートやクッキーのような食べ物を入れるには不潔だ。 さらに、サンタさん一人で全ての子供達にプレゼントをくばるのは大変だ。極めつけは、あの巨体のサンタさんが煙突から入る? ススで汚れる。 ちょっと無理があるよねえ。 わたしなら、小さくドアーをノックして中に入れてもらいたい。大きな荷物もかついでいるしねえ。(笑) 貴方は、この矛盾だらけの、サンタさんの話をどのように子供達に説明していますか? なんでもない話なら、とうの昔に淘汰され今の世まで残ってはいない。 それが語り継がれているのには、そこになにかが隠されていると気付くべきだ。 遠く離れた欧州のサンタさんと、日本で似たような発想の大黒さまがいるのも面白い。
さらに、この巨大な塊は、(空気)抵抗を受けて減速(?)しながら、巨石をまき散らしながらスエーデンや、シベリア、中国の北東部を経由して、日本へと向かう。 中国では、これをドラゴンに見立てている。大きな頭と細長い尻っ尾で空を駆ける隕石を表現し、角とヒゲで分裂を表している。 その大きな口から発する咆哮は、空に鳴り響いたに違いない。 そして、鋭い爪に握られている火の玉は真っ赤な隕石を象徴している。 ドラゴンが雨に乗って天上する水神さまとして扱われるのは、この大事変がもたらした大雨による。 海洋国日本では、ミルキークラウンを頭に戴いたカッパという伝説の化け物がおり人畜を水の中に引っぱり込むという。これは、海に落下した巨大な塊と津波とを言い伝えている。
(fig.7) 学研百科事典から作図
祖先が残した巨大隕石の形
(前方後円墳を、勝手に改めて^^!→) 前円後方墳 と、 銅鐸の図
いずれも、半円部分を下にして描いています。

後には、前方後円墳と呼ばれる流星形の巨大な墓を造らせたり、流星形の実のなる槙木で棺を作ったり、
( 銅鐸の謎解きについては、報告書の本文で色々に挑んでいますが、銅鐸を首長の化身としたのは間違いでした。 最終的に銅鐸は忌みとか、慈雨をもたらす荒神を呼び寄せる媒体になったと謎解きしています。)
(fig.8) 学研百科事典から作図 (前図参照)
大湯のストンサークル 落下・衝突の瞬間を表現している。
石棒(明治大学蔵) 石棒の出土は中部以北で、(男性根に似ている)
祖先からのメッセージを語るとき、三つのキーワードがある。竜星形と真っ赤な色と、轟音である。 それは、犠牲を伴った豊穣を約束する。 我々が‘昔から’と云っている所作や形にも、それ等が隠され受け継がれていると知るべきだ。 いよいよ、この巨大な核は、最終地の日本へ達した。破片をまき散らしながら。 北海道にストンサークルがある。大湯のそれは、実に衝突の瞬間を模している。 ピラミッド黒又山の近くに三角形の地形に似るたところが二ヶ所ある。 もし黒又山がピラミッドならば単発では考えにくいので、これも調査が必要だ。 日本の中部地方より北で石棒という石器時代の遺物が発掘される。 中部より北ということは飛核が低い位置になったということでもある。
(fig.9) In AM6:00 25 December 2001BC. Big Comet on Japan!
祖先は、その事象を「地名」で残している !!
※ それは、未だ暗い朝の6時だった!
(なぜ、その時間や、日にち迄もが、解ったかは別紙で述べることにしましょう。)

北海道・白神岬、龍飛崎 の上空から → 釜石 ・ 気仙沼 ・ 大槌 辺りか!?
その空を「竜・リュウ(音)」が、飛んだと龍飛崎! 天からの、ビッグハンマー大槌に!?
< 白光化(衝突光)と、その山影に(住んでいた)なったことを表す、地名・山名 >
北海道・白神岬、青森・白神岳、秋田・岩手県境の真昼岳 (真昼のように白光化した!)
山形・宮城県境で、 アナ恐ろしや 白髪山! そのオモテ・顔も白んだ 面白山 !
その光!、山で止めたと、 丁岳(ヒノトだけ)!
『 東北地方 ・ 祖先からの伝言 』
(拙・電子版からの転載です。 尚、これは英訳文にはありません。)
その昔、竜が飛んだと、“龍飛崎” 全天覆った“奥羽”の羽 “大槌・釜石”に降臨した。
“松前”のそちらに飛んだと“白神岬”、白光見たと“白神岳” 、真昼のようだと
“真昼岳”、私も見たよと“面白山”あな恐ろしや恐ろしや木々も白んだ“白髪山”
「しろひげやま」と読みます。立ち枯れて幹だけが白く残ったんでしょうかぁ?
祖先は、その衝突光を白いという地名で遺している。
fig9.は、 日本の東北地方の図である。 これに鹿角市の上空を通り南東へ向けた線を引いてみた。ところが不思議なことに、図・Aの海岸線は、リアス式と呼ばれる複雑な形をしているのに、図・B(この北の久慈側)と、C(この南の阿武隈山地側)では、単調な海岸線をしている。普通に私達は、特異なことには目をむけるが当たりまえと思われる事には注意を払わない。これは、巨大隕石で発生した津波による浸食がBとCには及ばない位置になるから遠い海上ではなくなり、衝突点は、陸地に近くなる。 気仙沼があやしい。 釜石鉱山も気になる。
この衝撃で発生した大津波は、Aの表土を洗い流した。 岩石が飛び散り、多量の水蒸気が空気中に放たれた。 大地は揺れ動き、火山を誘発し、舞い上がった粉塵は、大雨の核となり地上に降りそそいだ。
(別談; 筆者は、この衝突を引き金に大洋側から陸側への”列島ストレス”の全てが連鎖的に解消したとみています)
( 次も、英訳文にはありません )
この大事変後を地球規模でみれば、その粉塵は太陽光をさえぎり、“隕石の冬”(→核の冬)という気温の降下へと進んでいく。
巨大隕石が地表をたたく衝撃は、核爆弾の比ではない。そして同じ応力でも地下100kmと地表とでは格段の差がある。 これを実験するには、お風呂の湯面をたたいた拳と同じ力で、その拳をお風呂の底の方で動かしてみるとよく分かる。 その核の大きさを素人は、φ10km~20km弱と推(よ)んでいますが、軟化した塊か?、固いままの塊か?が解らないのです。 祖先は、それを牡鹿(半島)とか、竜舞(崎)とか、金華(山)とか、あるいは、八大竜王とかの、散らばったような言葉で表現しています。 巨大隕石=固い塊、という固定観念でみると史実を見誤るかも知れない。 いつだったか木星へ巨大隕石が落下衝突したが、これは、その衝突のまえに、21個?かに分裂しましたよね。
この大事変の痕跡は、「必ずよめる!」と思って、地質図を取り寄せましたが、それがどうして「全く、よめない!」 その痕跡が全く見えないのです。 このような時、素人は、その地名が何時ついたのかは分からないが、『ご先祖様の伝言(地名)に嘘はない!』 それが推めないのは、この私の(今の科学の?)考えが至らないからだと、ワラジ(笑)を預けることにしています。
そのワラジ(下駄)を東北の皆さんに預かって欲しい。 その痕跡は<必ずある> 皆さんが、当たりまえだと思って育った土地には、他の地と比べて、「当たり前でない」 何かがある。 それを捜すとき、今までの科学という固定観念をもって捜してはならない。全く新しい概念を開拓しようとしているのだから。 ・・・
①祖先は、その時の津波の大きさを「水界峠」250mと云っているが?
(津波の高さは、その地形と震源との位置によって大きく異なります)
②その時積み上げた土石堆を、「仙台」、「一関」、「盛岡」と云っているが?
③その時の“波状”を、「区界峠、一戸~七戸と云い、八戸、九戸を戻り波だと云っているが?
④「黒森山」とは、その時の熱風等で燃え尽くしたと云っているのか?
⑤又、立ち枯れた木々が風化し、幹だけが白く残り、林立してヒゲ状になったか?
山が白髪化したように見えて→後の白髭信仰へ?
⑥その時の強い衝撃光で目をやられて見えなくなった人がいたか?
電気溶接遮光面 →東北地方で遮光土偶の出土あり
⑦その衝撃と大津波で、その表土をかっ去らい、「岩の手地方」になったと云っているが?
まだまだ、東北地方の人に聞きたいこと、見直して欲しいこといっぱいありますが、長くなりそうなので別の機会にして、話を元に戻しましょう。
大津波は、太平洋に浮かんだ(島々の)石器文明を一瞬のうちにして呑み込み、押し流しながら遠くイースター島にまで達した。 イースター島には、約1000体のモアイと呼ばれる石像があり、大きいものは20トンもある。 こんな小さな島に、よくもそんなエネルギーがあったものだ。 そのほとんどは、海に背を向けて立っている。 普通、私達は海に向いた方が気持ちがいいので墓なと゜は海へ向けて建立する。 これは、背の方向、つまり、海からの津波の上陸を意味する。このなかにプカオと呼ばれる赤い凝灰岩で出来た帽子風のものを乗っけた巨人がいる。 口をかたく結び空を見上げて立っている。
(fig.10) 講談社 Quark special から作図
イースター島の、 モ ア イ ( 7 体 )
ペルー の、 山の斜面に大きく描かれているフクロウマン
( 別談ながら、この目玉の大きいふくろう人間は、その太古の当時に、「宇宙人の飛来があって」 それでもって、滑走路のための?無数の直線をひき、片手をあげて合図をしているとした論がありました。 一流科学誌にですよ。 ♪笑 )
逆T字形の赤い帽子は、空を飛んだ巨石が赤かったということで、わざわざ火口の赤い石を切り出している。 その人数も問題で、材料と労力さえあれば何人にしょうかと迷う。 一人では淋しいから二人にしようかなどと考える。おまけで三人にしようかなと思ったりもする。 ところが5を過ぎるあたりから、その数が意味をもつ。 建立には多大の労力を要するから、この人数分に彗星は、分裂したと伝えている。 そして、分裂の一つがグループを離れたことを表すのに、気をつけをした親指を反らしている。 それでは固く口を閉ざして空を見上げているのはなぜだ。我々は、びっくりした時には大口をあけるが、恐ろしさに打ち震える時には、口を固く閉ざすのである。 太古の人達は、このビッグイベントに驚愕し、目を据えてその恐怖を私達子孫に伝えている。
日本で発生した大津波は、約1日をかけてペルーのナスカに達する。 再び地上絵の謎解きにもどろう。 fig.5の、「渦巻き」は、大津波なのだ。 イルカが、魚が、サンゴが、鳥が、 海に背を向けて、傷つき破壊されて打ち上げられたのだ。
(fig.5) 講談社 Quark special から作図 ・着色
津波によって打ち上げられ、腹を上にし、傷付けられた海産物と漂着物。
(これ等の絵が、どちらに向かって描かれているかの方向性に注視して欲しい)
私達はキャンパスに絵を描く時、関心のある方に向かって座る。これ等のすべては、
日本からの、津波が来襲した"北か北西"の方向を向いて描かれている。

ここでは、居るはずのない尾長ざる迄も描かれている。 大津波によって運ばれたこれ等のおびただしい海産物や漂着物をこの地の人達が、天にまします神からの賜りものとして描き記すことに何の疑いがあろうか。 無数に引かれた直線は、太陽の動きや、その仲間と思われる星座の動きが観測されている約4000年前の貴重なデータだ。 そのなかの1本は、(南半球では)夏至の日没の方向を示している。 また来るかも知れない。 山肌に大きく目を見開き右手を高々とあげたフクロウ人間と呼ばれている地上絵は、これと関係ない方は見てはいない。貴方は、信じられますか? この地上絵のある高台は、海から50km、そして高さが500mの所へある。
ここで、津波についてふれておこう。 津波とは海洋国日本の言葉である。 津の波とは、港に入った波という意味で、遠浅でV字形の湾奥では、猛威をふるい一瞬にして陸地に駆けのぼる。 ところが、大洋に浮かんだ小舟は、それがあったことすら感じなかったり単調な海岸や、ポツンと浮かんだ小島では水位が増してくる程度なのだ。( 津波警報がでた時、船が沖合に待避するのは、この理由による。) 津波のスピードは、およそ時速700kmで進む。深い所では速いし、浅い海岸近くでは、それより遅れて進む。浮いたものは流されるし、沈んだものは流されにくい。小さいものや軽いものは遠くまで流されるが、重くて大きいものは流されにくい。形の丸いものはよく流されるが、形の角ばったものは流されにくい。
『 力が水という媒体によって運ばれる時、物質は非常に効率よく分別される。』 平 素人
この当たりまえと思われることが、さらなる謎解きのキーポイントとなる。
この時、分離した隕石の落下地であるメキシコの<チェツェン・イッツァ>の遺跡は、生け贄の心臓を取り出して、神にささげるという祭祀センターであった。 このショッキングな儀式は、寒気がするほど正確に巨大隕石の落下というビッグイベントを模倣していた。この謎解きは、(報告書本文のP26~P32)で後述しています。 尚、この祖先からのメッセージは、本文(www.Boon-gate.com ノンフィクション05、巨大隕石と大津波)の、一部であることを付け加えておきます。
(fig.0) Chichen Itza (Yucatan Pen)
この巨大な祖先からのメッセージは、私達の先祖が、私達の子孫へ、
何を、どのように残すべきかを 教示してくれている。
有り難うございました。 確かにこのメッセージ 受け取りました。 口
註: 以上の記事は、英文化して頂いたその原文を掲載しました。
拍手をありがとう御座います^^。 只今('10 5/23)までで5拍手になりました。
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Letters to you
祖先が云う「BC.2001年の巨大隕石」 (英訳用の原文です)
(from) messenger ; 平 素人 Mrch 21 2006
時は、今から4006年前の、紀元前2001年、石器時代真っ盛りの頃。 太陽の直近を通過した一つの惑星が地球の引力に捕まった。 白昼のイースター島から侵入したその巨大隕石は、ペルーのナスカ上空を通過し、12月24日のドーバー海峡の夜空、シベリアの真夜中を経由して、日本時間で12月25日の未だ暗い朝の6時頃、日本(=火の源の国)の東北地方に大槌(ビッグハンマー)となって光臨した。 (fig.1) その大事変をご先祖さまは、伝説として語り、地名として記録している。 ( )内は、ご先祖さまが名付けたその地名の直訳です。
<fig.1> 巨大隕石の軌跡図 アーカイブ2011/8/01の記事に載せました。
なぜ、その巨大隕石の通過と衝突を、 きっちりと4006年前の、 しかも12月の24日・25日の朝6時だと、 その日にちや時間までもを解き出したの? この問いに答えたい。
区切りのない年に区切りをつけ、ここからを紀元という始まりの年にしようとするには、多勢が納得するだけの大事変か大集団社会が要る。 たとえ、それがあったとしても小集団では、バラバラで紀元という大きな暦にはいたらない。 石器時代で、狩猟採集・焼畑等の生活で婚姻だけをつながりとする社会では、結合力が弱く小集団にはなりえても大集団へとは発展しない。 それが大集団社会となるには、なにかの「核」が必要で人々の心に共通した神の形成と、おれは、その神の代行者だ。 という者が出ないかぎり国という大集団社会へとは発展しない。神の発生は、自然の驚異から発生する。 それが4006年前の地球を半周した巨大隕石だ。
次、英訳文にはありません。 「地球は隕石の合体形である」 平 素人
私達は?、隕石の落下及び、小惑星の衝突は地球に直角か、もしくは見える範囲の角度で地球に衝突してくると思いがちだが、この広大な宇宙でケシ粒にも満たない地球を的とする岩石塊のほうが、むしろ稀だといっていい。 地球の近くを通りすぎようとして、その引力圏内で捕らえられ、ループ状に侵入するもののほうが圧倒的に多い。 簡単に言えば人工衛星の逆軌道で突入してくる。 では、その 「衝突痕は(月等の?、火口説もあるが)、円形にはならないで長円形になるのでは?」 この論争は長く続いていたが、ある学者が 「銃では、どの角度であたっても、その弾痕は円形になる」 との説をうちだした。 私達素人は、地球体を固い巌のかたまりと見ているが、円周4万kmの地表殻の厚みを100kmとしても、その殻は卵より薄い? その相対的衝撃力が強ければ、斜めに侵入してもその衝突痕は円形になるのである。
その巨大隕石は、神となって人々の心に入り込んだ。 その通り道にイースター島のモアイ像、フランスのカルナック列石、イギリスにストンヘンジ、そして、ノルウェー・スウェーデンにストンサークルが遺されている。 さらに、これ等にナスカの地上絵や、東南アジアの巨石遺構物が加わるから面白い。 衣食住以外に多くの日にちと工数を要するこれ等がなぜ造られたのか目的がはっきりと判っていない。 この構築に小集団の男達がかかれば家族の口は干上がってしまう。 これ等の巨石遺構物は、大集団分業化社会が出来上がった後でのみ可能であり、決して先ではない。 又、これ等は文化の伝播だけでは説明しきれず、そこには何かの事象による同時性と同一性が認められると称える学者がいた。 その何かが4006年前の巨大隕石だ。 ご先祖さまがその驚愕をその地に残しておこうとするのは当然の成り行きだ。 これ等の遺構物の構築は、紀元前2000年より後から始まる。 だから、それが紀元が始まる前の年の紀元前2001年の12月だ。
では、なぜそれが地球の12月24日・25日なの?
(註: 欧州は12月24日、日本では12月25日、これは日付変更線での違いによる)
この問いは簡単。 ヨーロッパの根強い巨大隕石と救世主願望。 サンタクロース信仰。 それに帚星に乗った魔女伝説。 この3つの言い伝えから推定できる。
その年のヨーロッパは、夏からの大かんばつで大勢の人が息絶えた。 その12月24日の夜、日に々に、巨大化した彗星が真っ赤な星となり夜空を飛んだ。 その赤はサンタの赤い服になり、その飛翔はトナカイの引くそりになった。 これが騎馬の発達した欧州なのに、馬ではなくてトナカイなのが面白い。 馬では、その分裂を表す角がない。 そして、隕石の冬がもたらした大雪をそりで引くには、トナカイのほうがいいのである。 黒衣をまとい、帚に乗って空を飛ぶ魔女の姿は、隕石の冬を云っている。 その次の年は、この大雪が溶けて大河を潤し再びその緑が甦った。 その星は、英、仏、スウェーデン、ノルウェーに巨石をまき散らした。 その巨石と大火の姿は、今でも暖炉の煙突として積み上げ、冷暖房がととのい合理を追求するはずの欧米人の家で赤々ともえている。 人々は、これを語りつぎサンタクロース伝説として残している。
クリスマスの色が赤い隕石と大雪の白と慈雨で蘇生した緑を基調としているのはこの由だ。そして、これは、空を仰ぎ見る高所文化へと発展している。 今、その天空でガンガンと鳴り響く鐘の音は、その分裂した巨大隕石が発した音だ。 だから、それが12月24日・25日。
しかし、こんなに派手な登場では子供達は起きてしまう。そして煙突から入るのも嫌だ。 私なら、その巨石に似せた靴下に慈雨の代わりとなるプレゼントを密やかに入れてやる。 何でもないものならとうの昔に淘汰され今の世まで残ってはいない。 この大事変を云う地名伝言は、必ず欧州にも残されている。 その捜索と追求は、欧州のことをよく知る貴方にお願いしたい。
暖炉の煙突と、日本の床柱の、共通性
<余談> これも、英訳文にはありません。
合理を追求するはずの欧米人が、冷暖房の整った近代的な家に、暖炉を設えるのはなぜでしょう? 子供心には、これが不思議でなりませんでした。
とある旅の機会に、全焼した欧建築を見ました。 2by4の建築なのでしょうか。 その2階家はほとんど形をとどめてはいません。 ニョッキリと“石積み”の煙突だけが残っています。 大きな煙突は屋根との取りあいも悪く、いかにしっくいをしても年月がたてば雨水がしみこむように思いますが?、いっそのこと無くしてしまえばいいのに。 そして何軒かのお家を訪問しても、暖炉のそばに何やらの小物や写真は飾ってありますが仏壇らしきものはありません。 もっと多くを勉強しなければなりませんが、外国人にとって「暖炉」は、暖をとるだけのものではなく、何かの<特別な思い入れ>があるようです。
一方、日本の床柱のほうです。 今では、昔ながらの木造建築は少なくなりました。 子供のころ、建前の“餅投げ”は楽しみでした。 笹竹を立てた地鎮祭はすませている。 柱を起こし、カケヤで打ち込む。 「柱は外から内へ起こせ~よ!」 大黒柱を立て、2階を組たて、皆でロープを引っ張り、一段と太い棟木を上げる。 「怪我するなよ~」、 軒(のき)になる “こうりょう” は、赤松の一本丸太でピカピカと光っている。 「向きと上げる順番間違えるなよ~」。上棟式をすませ御幣(?)を棟木の下に括りつける。 ここまでが、潮が満ちるまでの午前中作業かな?その後がいよいよの “紅白の餅投げ”だ。 四隅と芯(なか)の餅は特に大きい。 これを拾うと「次は自分が建てられる」と男集が虎視眈々! 女子供はそばにもよれない。 屋根板を打ち、その夜の酒宴がはじまる。 ここ迄がふつう民家の一日の作業。
ところが、この家でいちばん大事と思われる床柱は、床板や、ほとんどの造作が終わっても紙にくるまれ寝かされたままなのです。 最後の々の(傷付けないように?)内造作の時に設えています。( 註: 今風のお家は違うと思いますよ。) だから家の中心にあり加重の全てがかかる “大黒柱” と異なり、加重のかかっていない<飾り柱が床柱>なのです。 あなたのご実家ででも?確かめて下さい。(笑)
今だの、現代家屋に <なにかの象徴> として取り入れられているこの二つの事象には、
今、私達がお参りした墓石の形。 <加重のかかっていない>五重塔の芯柱。 そして、古代日本において<大木を土中へ打ち立てた> さらにさかのぼり、秋田県・大湯のストンサークルのように<大地に巨石を打ち立てる> ひいては<大地に巨石を突き立てた> フランスのカルナック列石。 これ等の内には、<四千余年前、天から降ってきた赤い巨石の歴史>が潜んでいると。 筆者には思えてなりません。 ( 2008 8 19 記 )
では、なぜその衝突時が朝の6時なの? 時間までは無理でしょう。
※厳密には、東北の未明時で、AM5:40 頃かな^^?
これは、日本のご先祖さまが教えてくれた。 (fig.2)
<fig.2> それを言う地名 アーカイブ2011/9/01の記事に載せました。
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-55.html
日本にも北海道・小樽市の忍路や、秋田県・鹿角市に石器時代の環状列石がある。 地名では青森県に龍飛岬(竜が飛ぶの意)がある。 竜は巨大隕石なのだ。 そしてその衝撃地(辺りにを入れておきます。・笑・)に、 釜石(鉱石の意)と、大槌(ビッグハンマーの意)の地名が付けられている。 そして、この衝撃地を囲むように、白神岬(白い神の意で、白は白光と同義)、白神岳(これも白い神の意)、真昼岳(正午の意で真昼のように明るいの意)、面白山(顔とか家の外が明らんだの意)、そして、白髪山(白い髭、髪の意)と、遺されている。 私は、これ等の地名伝言から、その衝撃は、一夜にして髪も白むほどの恐ろしさだったと受け取っている。
さらに、ご先祖さまは、丁岳・ヒノトダケ(光の戸の意)で戸を立てて、丁岳山地と奥羽山脈(羽で覆うの意)とのT字形で、その衝撃光を止めたとまで云っている。 その衝撃光は、日の出前の<暗い冬の空を>真昼の明るさにした。
次、英訳文にはありません。
では、この<衝撃光>について、もう少し言い足しておきましょう。
「地球謎学BOOK(平川陽一氏著・ベストセラーズ)より、こんな話を引用します。
「普通に我々が波打ち際に立って水平線を眺めると、50kmか100km先の遠くが見えていると思っている。 ところが、実際は、身長が170cmの人だと東京近辺の海岸では、視力とか天候に関係なく4kmを少し超えた所を見ている。 6km先の山の頂は見えても、その海岸線は見えない。」 んだって。 陸で空を見る場合は、これとは少し異なると思いますが、山などに視野をさえぎられるから、さらに近い所をみているのかも知れませんね。
要は、その光の高さが問題ですが、衝撃地を釜石・気仙沼、辺りとおいて、奥羽山脈上を捜してみたら、それらの<白光化・山名>が見つかったというのが、この謎解きの裏話です。
では、その光の強さは?、 東北地方で、遮光面とか、遮光眼鏡の土偶( 宇宙人説?・愉し・)とかの遺物が出土しています。 電気溶接の遮光面ですよね。 その光を直視すると目をやられます。 このことは、後に、その <荒神を直視してはならない文化> → 闇夜の祭りごと、土下座で顔伏せ、神体の封印、帝の前のスダレ、あんま屋さん、等、種々に変化していると、筆者はみています。 イースター島のモアイ像の眉骨部が突き出ているのは、ここで大気圏に突入した巨大隕石の放った光が、よほど眩しかったのでしょうね。 ひさしにしている(笑)
他方、そのスピードですが、巨大隕石で「恐竜の大絶滅」を言いだした、バークレイ校のアルバレス博士は、惑星の運行速度等?から、10km~20km/秒、とはじき出していますから、 算数、大の苦手な素人計算で、 イースター島の上空突入から、日本の東北地方・着まで <20分~15分>かな??と思っています。 専門家の計算を待ちたいところです。
それよりなによりの驚きは、その文化が受け継がれているということは、そこに、この大事変を語り継いだ <生存者> がいたということです。 この大事変は、私達が知り得ている核爆弾、核爆発の比ではありませんよ。 それが何故、生き残ったかは謎ですが、広島の爆心地においても、火山流の熱風においても、又は、ガスレンジ爆発においても、その爆発スピードが速ければ、その直近にいても物陰に隠れた場所であれば、「今ある空気の包み込み」 によって助かった事例が報告されています。 ちょっと話が長くなりました。 ( 2008 8 22 記 )
そして、その津波は、衝撃地表土を岩手県(岩表地帯の意)にし、日本西方の岡山県の朝寝鼻(朝、寝ていた早朝の意)の地に貝の塚を造らせたりしている。 (他に、兵庫県の朝来町、広島県に朝北町) 日本では、竜神に関係する地名や、津波の津と付いた地名があまりに多すぎて、私はそれを数えることが出来ない。
この衝撃で発生した巨大津波は、一日をかけて、あの地上絵のあったナスカにまで達している。この比類なき大事変をシルクロードで知り得た欧州のご先祖さまは、果敢にも神秘の国ジパング(の語源? 韓国:方津・パンジン)にへと繰り出している。 この報告書は、今世紀 “最大の大論“ に育つ。 私は、貴方がそれを伝説だと云わずご先祖さまが、その地名を付けた必然性に気付くべきだと願っている。 この報告書が貴方に伝わらないのは、その史実がなかったからではなく、私の論が至らないからだ。 再度いいます^^!。ご先祖様が怒っている。それを巨大隕石と云ったら科学で “サンタクロース“や、“竜”と呼んだら伝説か? 「それが科学なら、ナンセンス^^」 だと。
人類が衣食だけの石器生活から、巨大隕石という自然の脅威を受け、それが神となって人々の心に入り込んだ時、それは、驚異的・爆発的な力となって、それを語り継ぐ精神的な語彙(ごい)や宗教が、そして新しい文化と大集団性が生まれてくる。 口
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(後書き) 以上は、英文化して頂いた原文です。 どちらででもお楽しみください。
ノストラダムスが、 『 2007年に、二十一世紀をくつがえす人物が東洋に現れる 』 と、予言したとか? それが 『この報告書』 であり、 この素人であるとは、お笑いのコンコンチキですよね~(^-^)
このブログを御覧にあった<あなた>は、幸運です。 なぜなら 「その21世紀の大変革」 に、参画できるわけですから♪、 但し、貴方がこの大事に“お気付き”になり、 コメントを残して下さればの話ですよ。その時の世界的喧騒に巻き込まれたくないお方様>は絶対にコメントを置かないでください^^!(笑)
since 2007 07~ 史実探偵 ; 平 素人( ヒイラ モト )
ひきつづき、当ブログをお楽しみ下さい。♪(^-^)♪
その、世紀に遺る(?)コメントを残して下さるかたは、下の CO - (x) を クリックして下さい。
と、言っても訳あって只今閉鎖中?でした^^!)
つづきます♪
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祖先が云う「BC.2001年の巨大隕石」 (英訳用の原文です)
(from) messenger ; 平 素人 Mrch 21 2006
時は、今から4006年前の、紀元前2001年、石器時代真っ盛りの頃。 太陽の直近を通過した一つの惑星が地球の引力に捕まった。 白昼のイースター島から侵入したその巨大隕石は、ペルーのナスカ上空を通過し、12月24日のドーバー海峡の夜空、シベリアの真夜中を経由して、日本時間で12月25日の未だ暗い朝の6時頃、日本(=火の源の国)の東北地方に大槌(ビッグハンマー)となって光臨した。 (fig.1) その大事変をご先祖さまは、伝説として語り、地名として記録している。 ( )内は、ご先祖さまが名付けたその地名の直訳です。
<fig.1> 巨大隕石の軌跡図 アーカイブ2011/8/01の記事に載せました。
なぜ、その巨大隕石の通過と衝突を、 きっちりと4006年前の、 しかも12月の24日・25日の朝6時だと、 その日にちや時間までもを解き出したの? この問いに答えたい。
区切りのない年に区切りをつけ、ここからを紀元という始まりの年にしようとするには、多勢が納得するだけの大事変か大集団社会が要る。 たとえ、それがあったとしても小集団では、バラバラで紀元という大きな暦にはいたらない。 石器時代で、狩猟採集・焼畑等の生活で婚姻だけをつながりとする社会では、結合力が弱く小集団にはなりえても大集団へとは発展しない。 それが大集団社会となるには、なにかの「核」が必要で人々の心に共通した神の形成と、おれは、その神の代行者だ。 という者が出ないかぎり国という大集団社会へとは発展しない。神の発生は、自然の驚異から発生する。 それが4006年前の地球を半周した巨大隕石だ。
次、英訳文にはありません。 「地球は隕石の合体形である」 平 素人
私達は?、隕石の落下及び、小惑星の衝突は地球に直角か、もしくは見える範囲の角度で地球に衝突してくると思いがちだが、この広大な宇宙でケシ粒にも満たない地球を的とする岩石塊のほうが、むしろ稀だといっていい。 地球の近くを通りすぎようとして、その引力圏内で捕らえられ、ループ状に侵入するもののほうが圧倒的に多い。 簡単に言えば人工衛星の逆軌道で突入してくる。 では、その 「衝突痕は(月等の?、火口説もあるが)、円形にはならないで長円形になるのでは?」 この論争は長く続いていたが、ある学者が 「銃では、どの角度であたっても、その弾痕は円形になる」 との説をうちだした。 私達素人は、地球体を固い巌のかたまりと見ているが、円周4万kmの地表殻の厚みを100kmとしても、その殻は卵より薄い? その相対的衝撃力が強ければ、斜めに侵入してもその衝突痕は円形になるのである。
その巨大隕石は、神となって人々の心に入り込んだ。 その通り道にイースター島のモアイ像、フランスのカルナック列石、イギリスにストンヘンジ、そして、ノルウェー・スウェーデンにストンサークルが遺されている。 さらに、これ等にナスカの地上絵や、東南アジアの巨石遺構物が加わるから面白い。 衣食住以外に多くの日にちと工数を要するこれ等がなぜ造られたのか目的がはっきりと判っていない。 この構築に小集団の男達がかかれば家族の口は干上がってしまう。 これ等の巨石遺構物は、大集団分業化社会が出来上がった後でのみ可能であり、決して先ではない。 又、これ等は文化の伝播だけでは説明しきれず、そこには何かの事象による同時性と同一性が認められると称える学者がいた。 その何かが4006年前の巨大隕石だ。 ご先祖さまがその驚愕をその地に残しておこうとするのは当然の成り行きだ。 これ等の遺構物の構築は、紀元前2000年より後から始まる。 だから、それが紀元が始まる前の年の紀元前2001年の12月だ。
では、なぜそれが地球の12月24日・25日なの?
(註: 欧州は12月24日、日本では12月25日、これは日付変更線での違いによる)
この問いは簡単。 ヨーロッパの根強い巨大隕石と救世主願望。 サンタクロース信仰。 それに帚星に乗った魔女伝説。 この3つの言い伝えから推定できる。
その年のヨーロッパは、夏からの大かんばつで大勢の人が息絶えた。 その12月24日の夜、日に々に、巨大化した彗星が真っ赤な星となり夜空を飛んだ。 その赤はサンタの赤い服になり、その飛翔はトナカイの引くそりになった。 これが騎馬の発達した欧州なのに、馬ではなくてトナカイなのが面白い。 馬では、その分裂を表す角がない。 そして、隕石の冬がもたらした大雪をそりで引くには、トナカイのほうがいいのである。 黒衣をまとい、帚に乗って空を飛ぶ魔女の姿は、隕石の冬を云っている。 その次の年は、この大雪が溶けて大河を潤し再びその緑が甦った。 その星は、英、仏、スウェーデン、ノルウェーに巨石をまき散らした。 その巨石と大火の姿は、今でも暖炉の煙突として積み上げ、冷暖房がととのい合理を追求するはずの欧米人の家で赤々ともえている。 人々は、これを語りつぎサンタクロース伝説として残している。
クリスマスの色が赤い隕石と大雪の白と慈雨で蘇生した緑を基調としているのはこの由だ。そして、これは、空を仰ぎ見る高所文化へと発展している。 今、その天空でガンガンと鳴り響く鐘の音は、その分裂した巨大隕石が発した音だ。 だから、それが12月24日・25日。
しかし、こんなに派手な登場では子供達は起きてしまう。そして煙突から入るのも嫌だ。 私なら、その巨石に似せた靴下に慈雨の代わりとなるプレゼントを密やかに入れてやる。 何でもないものならとうの昔に淘汰され今の世まで残ってはいない。 この大事変を云う地名伝言は、必ず欧州にも残されている。 その捜索と追求は、欧州のことをよく知る貴方にお願いしたい。
暖炉の煙突と、日本の床柱の、共通性
<余談> これも、英訳文にはありません。
合理を追求するはずの欧米人が、冷暖房の整った近代的な家に、暖炉を設えるのはなぜでしょう? 子供心には、これが不思議でなりませんでした。
とある旅の機会に、全焼した欧建築を見ました。 2by4の建築なのでしょうか。 その2階家はほとんど形をとどめてはいません。 ニョッキリと“石積み”の煙突だけが残っています。 大きな煙突は屋根との取りあいも悪く、いかにしっくいをしても年月がたてば雨水がしみこむように思いますが?、いっそのこと無くしてしまえばいいのに。 そして何軒かのお家を訪問しても、暖炉のそばに何やらの小物や写真は飾ってありますが仏壇らしきものはありません。 もっと多くを勉強しなければなりませんが、外国人にとって「暖炉」は、暖をとるだけのものではなく、何かの<特別な思い入れ>があるようです。
一方、日本の床柱のほうです。 今では、昔ながらの木造建築は少なくなりました。 子供のころ、建前の“餅投げ”は楽しみでした。 笹竹を立てた地鎮祭はすませている。 柱を起こし、カケヤで打ち込む。 「柱は外から内へ起こせ~よ!」 大黒柱を立て、2階を組たて、皆でロープを引っ張り、一段と太い棟木を上げる。 「怪我するなよ~」、 軒(のき)になる “こうりょう” は、赤松の一本丸太でピカピカと光っている。 「向きと上げる順番間違えるなよ~」。上棟式をすませ御幣(?)を棟木の下に括りつける。 ここまでが、潮が満ちるまでの午前中作業かな?その後がいよいよの “紅白の餅投げ”だ。 四隅と芯(なか)の餅は特に大きい。 これを拾うと「次は自分が建てられる」と男集が虎視眈々! 女子供はそばにもよれない。 屋根板を打ち、その夜の酒宴がはじまる。 ここ迄がふつう民家の一日の作業。
ところが、この家でいちばん大事と思われる床柱は、床板や、ほとんどの造作が終わっても紙にくるまれ寝かされたままなのです。 最後の々の(傷付けないように?)内造作の時に設えています。( 註: 今風のお家は違うと思いますよ。) だから家の中心にあり加重の全てがかかる “大黒柱” と異なり、加重のかかっていない<飾り柱が床柱>なのです。 あなたのご実家ででも?確かめて下さい。(笑)
今だの、現代家屋に <なにかの象徴> として取り入れられているこの二つの事象には、
今、私達がお参りした墓石の形。 <加重のかかっていない>五重塔の芯柱。 そして、古代日本において<大木を土中へ打ち立てた> さらにさかのぼり、秋田県・大湯のストンサークルのように<大地に巨石を打ち立てる> ひいては<大地に巨石を突き立てた> フランスのカルナック列石。 これ等の内には、<四千余年前、天から降ってきた赤い巨石の歴史>が潜んでいると。 筆者には思えてなりません。 ( 2008 8 19 記 )
では、なぜその衝突時が朝の6時なの? 時間までは無理でしょう。
※厳密には、東北の未明時で、AM5:40 頃かな^^?
これは、日本のご先祖さまが教えてくれた。 (fig.2)
<fig.2> それを言う地名 アーカイブ2011/9/01の記事に載せました。
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-55.html
日本にも北海道・小樽市の忍路や、秋田県・鹿角市に石器時代の環状列石がある。 地名では青森県に龍飛岬(竜が飛ぶの意)がある。 竜は巨大隕石なのだ。 そしてその衝撃地(辺りにを入れておきます。・笑・)に、 釜石(鉱石の意)と、大槌(ビッグハンマーの意)の地名が付けられている。 そして、この衝撃地を囲むように、白神岬(白い神の意で、白は白光と同義)、白神岳(これも白い神の意)、真昼岳(正午の意で真昼のように明るいの意)、面白山(顔とか家の外が明らんだの意)、そして、白髪山(白い髭、髪の意)と、遺されている。 私は、これ等の地名伝言から、その衝撃は、一夜にして髪も白むほどの恐ろしさだったと受け取っている。
さらに、ご先祖さまは、丁岳・ヒノトダケ(光の戸の意)で戸を立てて、丁岳山地と奥羽山脈(羽で覆うの意)とのT字形で、その衝撃光を止めたとまで云っている。 その衝撃光は、日の出前の<暗い冬の空を>真昼の明るさにした。
次、英訳文にはありません。
では、この<衝撃光>について、もう少し言い足しておきましょう。
「地球謎学BOOK(平川陽一氏著・ベストセラーズ)より、こんな話を引用します。
「普通に我々が波打ち際に立って水平線を眺めると、50kmか100km先の遠くが見えていると思っている。 ところが、実際は、身長が170cmの人だと東京近辺の海岸では、視力とか天候に関係なく4kmを少し超えた所を見ている。 6km先の山の頂は見えても、その海岸線は見えない。」 んだって。 陸で空を見る場合は、これとは少し異なると思いますが、山などに視野をさえぎられるから、さらに近い所をみているのかも知れませんね。
要は、その光の高さが問題ですが、衝撃地を釜石・気仙沼、辺りとおいて、奥羽山脈上を捜してみたら、それらの<白光化・山名>が見つかったというのが、この謎解きの裏話です。
では、その光の強さは?、 東北地方で、遮光面とか、遮光眼鏡の土偶( 宇宙人説?・愉し・)とかの遺物が出土しています。 電気溶接の遮光面ですよね。 その光を直視すると目をやられます。 このことは、後に、その <荒神を直視してはならない文化> → 闇夜の祭りごと、土下座で顔伏せ、神体の封印、帝の前のスダレ、あんま屋さん、等、種々に変化していると、筆者はみています。 イースター島のモアイ像の眉骨部が突き出ているのは、ここで大気圏に突入した巨大隕石の放った光が、よほど眩しかったのでしょうね。 ひさしにしている(笑)
他方、そのスピードですが、巨大隕石で「恐竜の大絶滅」を言いだした、バークレイ校のアルバレス博士は、惑星の運行速度等?から、10km~20km/秒、とはじき出していますから、 算数、大の苦手な素人計算で、 イースター島の上空突入から、日本の東北地方・着まで <20分~15分>かな??と思っています。 専門家の計算を待ちたいところです。
それよりなによりの驚きは、その文化が受け継がれているということは、そこに、この大事変を語り継いだ <生存者> がいたということです。 この大事変は、私達が知り得ている核爆弾、核爆発の比ではありませんよ。 それが何故、生き残ったかは謎ですが、広島の爆心地においても、火山流の熱風においても、又は、ガスレンジ爆発においても、その爆発スピードが速ければ、その直近にいても物陰に隠れた場所であれば、「今ある空気の包み込み」 によって助かった事例が報告されています。 ちょっと話が長くなりました。 ( 2008 8 22 記 )
そして、その津波は、衝撃地表土を岩手県(岩表地帯の意)にし、日本西方の岡山県の朝寝鼻(朝、寝ていた早朝の意)の地に貝の塚を造らせたりしている。 (他に、兵庫県の朝来町、広島県に朝北町) 日本では、竜神に関係する地名や、津波の津と付いた地名があまりに多すぎて、私はそれを数えることが出来ない。
この衝撃で発生した巨大津波は、一日をかけて、あの地上絵のあったナスカにまで達している。この比類なき大事変をシルクロードで知り得た欧州のご先祖さまは、果敢にも神秘の国ジパング(の語源? 韓国:方津・パンジン)にへと繰り出している。 この報告書は、今世紀 “最大の大論“ に育つ。 私は、貴方がそれを伝説だと云わずご先祖さまが、その地名を付けた必然性に気付くべきだと願っている。 この報告書が貴方に伝わらないのは、その史実がなかったからではなく、私の論が至らないからだ。 再度いいます^^!。ご先祖様が怒っている。それを巨大隕石と云ったら科学で “サンタクロース“や、“竜”と呼んだら伝説か? 「それが科学なら、ナンセンス^^」 だと。
人類が衣食だけの石器生活から、巨大隕石という自然の脅威を受け、それが神となって人々の心に入り込んだ時、それは、驚異的・爆発的な力となって、それを語り継ぐ精神的な語彙(ごい)や宗教が、そして新しい文化と大集団性が生まれてくる。 口
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(後書き) 以上は、英文化して頂いた原文です。 どちらででもお楽しみください。
ノストラダムスが、 『 2007年に、二十一世紀をくつがえす人物が東洋に現れる 』 と、予言したとか? それが 『この報告書』 であり、 この素人であるとは、お笑いのコンコンチキですよね~(^-^)
このブログを御覧にあった<あなた>は、幸運です。 なぜなら 「その21世紀の大変革」 に、参画できるわけですから♪、 但し、貴方がこの大事に“お気付き”になり、 コメントを残して下さればの話ですよ。その時の世界的喧騒に巻き込まれたくないお方様>は絶対にコメントを置かないでください^^!(笑)
since 2007 07~ 史実探偵 ; 平 素人( ヒイラ モト )
ひきつづき、当ブログをお楽しみ下さい。♪(^-^)♪
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と、言っても訳あって
つづきます♪
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地名に残る東北地方の「巨大隕石の痕跡」を追う!
BC2001年12月25日の、未だ明けやらぬ東北地方に「巨大な塊」が空をとんだ。 北海道の祖先は、それを<空知(血色)が、美唄(ビリバリ音)>だと云い、東北の祖先は、その赤く尾をひいた巨塊を<龍飛崎>だと云う。 列島の祖先は、その「リュウ~」と鳴く飛翔音から、それを 『竜』 と命名 した。
この巨塊は、ビッグハンマーとなり<大槌>とその地名を残している。 さらに、その飛び散る姿をみて<牡鹿半島>。竜が舞ったと<竜舞崎>。眩しく輝いた<金華山>だと云う。
ご先祖さまが、怒ってござる。「それを巨大隕石といったら科学で、竜と呼んだら伝説かと」
必ず、その「痕跡」は、地質学的 にも残っている。
そこで、一番先に狙いをつけたのは<釜石>です。
なぜ、釜石に目をつけたのか? それを時間的に余裕があり、 早く知りたいお方は?(笑)
拙・電子出版→クリックで→極秘報告書「巨大隕石と大津波」¥500文芸社(H28/10/21絶版)
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<釜石周辺図> 136頁
第三章 小惑星の衝突と合体 282頁
2 小惑星の衝突がつくる特徴 289頁
3 太陽系誕生への試み 293頁
宇宙での小惑星の合体・集合について
第四章 宝捜し 320頁
1 宝捜しへの考え方、 地球の生誕
等で、いろいろに試考?、していますからそちらの方へ、どうぞ♪
もし、あなたが大国の責任者なら、この報告書には、数十億の価値が隠れているし、
もし、あなたが中学生なら、¥500でおおきな夢をかうことになるであろう。
宮沢賢治が好んでつかったという、残丘の由来ニュウハンプシャー州モナドノック山辺りの
[極秘] 北米、ニューイングランド(バンガー) ~ ニューフランスウイック(セントジョン)、
ファンジー湾には、< 片V字湾奥論の 大油田が潜んでいる > 08 Nov. 05
これは誰にもいってはいけませんよ。 貴方だけへのトップシークレットですから!(^-^;)
以上、(20年間で、依頼件数1件?)赤貧の史実探偵(^-^)のマネージャー(黒孔雀)ブラックジャックからでした(笑)。
尚、その貴重な御依頼の一件♪ <大量の銅カはどこに?→銅カとは、矛に似た突剣> のこたえは、コメント欄を・・・捜索していただければ・・・(^^!)。
そして、今までどおり、ゆっくりじっくり、愉しみたいお方へは(笑)、・・・つづきます♪
<小惑星の衝突と合体について>
以下は、拙[報告書]での試考(筆者の造語)であり、そのピックアップであると、あらかじめお断りしておきます。
それを「小惑星や彗星、巨大隕石の衝突」と、呼ぶかは別として地球の有史以来、その衝突と合体は数限りなく繰り返されてきた。○○年△△が<月の裏側>の写真をおくってきた。それは、普段私達が目にしているノッペリとした月面とは異なり「まるで豪雨の水面」を思わせるかのような荒々しいものであった。
現在の科学が、月のクレーターを隕石痕とみるか火山口とみているかを知らないが、それは筆者がこどものころに経験した砂場や泥田、水あそび等での「投石の痕」そっくりに見えた。
「隕石痕」に間違いない! 月の外側(裏側)に、あれほどの数の隕石痕があるのに、それよりも○数倍も大きい地球にあたっていないはずがない。 ただ地球は。その痕跡を風雨活動や、造山・造地、造海・津波等の活動で、その痕跡を消しているだけなのだ。 では何故、月のこちら側が(のっぺり)しているのか? それについては後述で・・・、(笑)
< 小惑星の衝突がつくる特徴 >
月のクレーターの成因は、小惑星の衝突痕説と火山口説の両方がたがいに譲らない歴史をもっている。 なぜならば両者はたいへんよく似ている。
小惑星の衝突と、火山口の対比
火山口では 隕石痕では 異なるところ
(地 形) 円形になる 円環状である
(周 囲) 盛り上がる 盛り上がり 周囲がヒビ割れることがある
(岩 様) 熔けている 熔けている時がある 岩体の片麻岩化
以上のように両者は、たいへんよく似ているが、決定的な違いは [衝突元体] では、その片麻岩化と周囲の岩石の片麻岩化である。 片麻岩とは、岩石が圧力と熱を受けて<片岩状の縞模様>を造ることである。 月までは確かめに行けないが東北地方には行けるかも!(笑)
<宇宙での小惑星の合体・集合について>
自然界の全てに万有引力が働くとして、恒星や惑星の誕生を考えるN体問題という学問がある。Nとは任意数のNである。 例えば現在の太陽系の全質量をN個に細分化して、それらが合体・集合する色々なパターンを考えコンピューター処理をし現在の太陽系となるような過程を研究する。
基本的には次の③とうりが考えられる。
① ( N + N )+( N + N )
② ( N + N )+ N
③ N + n
つまり、トーナメントと不戦勝であるが、基本的には③のような N と n とが合体する。
≪地球は隕石の集合体である≫
<地球形の惑星と金属核の形成について>
註; この項、筆者の“我流想像”ですから、とくに中学生の方に(!^^!)、
毎年地球に降ってくる隕石の総量は○○トンにおよぶという。 これ等の隕石は、おおまかに分けて、石質隕石・隕鉄隕石・石鉄隕石・鉱質隕石に分けられる。1888年の隕石・ユレイライトにはダイヤモンドが含まれていたそうです。いずれにしても、これ等の母材が衝突合体し、肥大化したものが惑星かな?
その衝突のスピードは? これも、仮想実験!?(笑)
なにかしら気だるさがおそってくる今日この頃、筆もすすまない。 ・・・、動きたくない。 ・・・と!?、思っても、この私くしは、宇宙を高速移動している。 この身が赤道上にあれば 、1日4万km!、時速にして1666km!。 夜中であれば公転方向の移動が加わり、さらにスピードは増している。(そして太陽系は、なにやら座?のほうへ移動している) これに引力を加算したスピードで、「岩石どうし」がぶつかる! 高温が発生する!
惑星誕生のモデル? (my報告書本文の惑星誕生の概略)
岩石にしても、金属にしても、1500℃以上になれば、ほとんどが溶融する。 隕石塊どうしがくっつき→ 小惑星塊へと肥大化する→ 小惑星どうしがぶつかる→段々と惑星の質量が増してくると→ 引力も増し衝突スピードがアップする→ 大きくなるにしたがって自身が熱量を保持してくる→ 惑星どうしのぶつかり合い等もでてくる。 このような過程を経て中身が溶融し,外殻が固まった惑星らしきものが誕生する。
小惑星の内側にも鉄核が存在する?
隕鉄を母材にしていれば、当然その溶融した小惑星球体にも<鉄>が存在する。 地球の金属で、鉄の存在量はアルミニウムに次いで多い? ( 詳しくは忘れました。^^! 中学理科年表・国立天文台編・丸善(株)のほうへどうぞ! なんですって♪、とうの昔に地図と一緒に処分されたって!、それは残念!笑)
鉄は岩石より比重が重いから、その溶融した岩石の球体の中心へむかって沈み込む。 そして、その存在量の多さからいち早く(内核ボール)を形成する。 あとから衝突してきたものも重いものから、その内核の表面へと沈殿する。 蛇足ながら、肥大化・巨星化すると鉄核の内側からより重い金属へと沈殿・変位していく。(中学生さんへ; 太陽系の地球型惑星だけにしぼって考えています。彗星は汚れた氷玉ってのもありますからね)
ふ~~~ぅ、(^^!) やっと「釜石」(の鉱石は衝突隕石の内核か?)に、たどりつきました。 記事も長くなりましたので、この辺で(それを)ふり返ってみましょう。
①BC.2001年12月24日(欧州時間の夕方)、25日(日本時間の未明)に、地球を半周した巨大隕石が、東北地方に光臨した。
②そのルートは、昼のイースター島(モアイ像)→ ペルーのナスカ(地上絵)→ ドーバー海峡(英ストーンヘンジ・仏カルナク列石)→ スエーデン・ノルウェー(ストンサークル)→ 北海道・忍路(ストンサークル)、鹿角市(環状列石)→ そして、「釜石方面へ?」
③この大事変がもたらした慈雨(隕石の冬)と、津波による魚介類の打ち上げ(例、津市・嬉野♪)穀草類の集積(瑞穂の国)は、荒神となって人々の心に降臨した。
④その文化は、<雨乞い>のために隔離し育てた “幼児の人身供犠“ へと、エスカレートし、それを止めさせようとしたのが<卑弥呼>であり、ひみこは、それまでの荒神を呼び寄せ、乗り移すための銅鐸を “集め・持ち寄り封印” し、代わりに魏からの銅鏡を与え「主神・太陽=鏡を曇らせる象徴文化」へ変えさせようとした。
⑤その文化の(今の文化の)根底にあるのが、今捜索している東北の<大津波や巨大隕石の痕跡>ですから、いましばらくお付きあい下さい。(^-^)♪。
お知らせ 只今、出雲<大量の銅カ(矛に似た刃)はあるか?>に出向いています。
ご興味のある方は、この記事の <コメント欄>へ、どうぞ♪
♪緊急なお知らせ♪
(11/19) みなさん(クルーの方々)に、大事なお知らせがあります!
どうぞ、カテゴリー<出雲地方>の方のコメント欄へ飛んでみてください。お願いします。
<巨大隕石の内核はどこへ?>
おまたせしました。^^! 三陸地方の巨大隕石の落下地の捜索に戻りましょう。
それを捜すには、前述の<小惑星の衝突がつくる特徴>の円環地形と、金属核で捜せ! 最初に狙いをつけたのは<釜石>であった。 しかし、その捜索当初は、今のようにPC画像のすべを知らず、国土地理院から地図をとりよせては精査する日々であった。 そして、いくら捜しても釜石鉱山周辺に円環地形はみあたらない! やっとの思いで捜し当てたのが、<釜石馬蹄形>であった。 そこで、地質センターでその地質図をとおもったが、肝心の釜石周辺の地質図は、「只今、制作中」とのこと。それ等の苦労話を?知りたいかたは、拙・電子出版のほうへ、どうぞ(笑)
その後、地質図の完成を待って、取り寄せて観たが!? どのような贔屓(ひいき)眼鏡をかけて見ても “隕石の痕跡” が見いだせない。 だが?それを取り寄せた成果はあった。北上川中流域に露頭に近い?「泥炭」層があった。 (前の胆沢扇状地の記事で、それを推理小説風?に忍ばせておいたのにぃ。お気付きになりませんでしたかぁ? 汗~^^!)
その大津波が運んだ<泥流とその樹木>だと直感した。キーワードは「露頭に近い」だ。 石炭の形成は、地中深いところで、その地熱と地圧によって生成する。 それが露頭近くにあるのは何故か? これを「その表土が流された」とか、そこに海生物があったから「昔は海だった」とかいわれる貴方(現科学)には、もう反論しない。私には、それに反論して現科学を説得するだけの知識と多くの頭脳寿命は残されていない。 ( ゴメン! 言葉が過ぎましたかぁ?)
石炭は<露頭でも生成する>例外もありますよ!
(これ◎ね、あとでテストに! 何故か、当ブログファンには先生方が多いから、・・^^!)
<釜石馬蹄形>は、甲子川(かっしがわ)の支流である、小川川(こがわかわ)を挟んだ長径13kmほどの馬蹄形をしている。 巨大隕石痕を語る時、円環地形は重要な用件となる。馬蹄形では、その確率が薄れてくる。 巨大岩塊が陸地にぶちあたる。その大きさと落ちた場所の条件により、一概に云えないが、例として、その衝突の中心域は高熱が発生して溶融する。ほとりにいくに従って衝突熱の発生が少ないと推み、周囲は<片岩化>しているのでは? あるいは、地面に叩きつけられるので、その鉱質や岩質は、鍛造状(金属をハンマーで叩くこと)になっているのでは? これ等が分かれば、その形状は火山では認められず、より隕石説が強くなる。
釜石鉱山に問い合わせてみたが現在は閉鎖し、その保安業務のみをおこなっているとのこと。釜石博物館でも聞かれてみたらと、その電話番号を教えられた。
坑道の総長○○○kmをもつ釜石鉱山の<岩様>は、分からなかった。
そして、<釜石>の地名のもとの由来は、釜=鉱石ではなく、釜=魚、石=うす、で<うす>は、<干す>がなまったものであろうとのこと。 今でも、その親切に教えて下さった声が耳に残っている。
ガッカリであった。その成果なし。 だが待てよぉ? <干す>だとぉ、!?
話は変わり、<正月のお飾り> 地方によっても異なると思うが、当瀬戸内地方で、稲ワラで組みあげた飾りに<干し鰯>を×印しに結わえるものがあった。 あるいは、目刺し棒を組み飾りに結わえ付ける。 この飾り方は昔であって、今ではほとんど見たことがない。 当時のこども心に、「何故?鰯なの?神様に上げますものなら、高級魚の鯛やサワラの方がいいのに?」なんて思ったものでした。(いわしさん、ごめんなさい^^!) 何故、鰯なのかが、やっと解った。 巨大津波で表土をそぎ取られる。 その上に魚が打ち上げられる。 衝突の地熱よって干しあげられる。 その時大量に打ち上げられた魚は<東北地方では、ハタハタ?>であった。 ちょっと?横道にそれましたぁ(笑)
<その唄に潜む、大事変>
ヤートセー! コラ秋田音頭です♪ 秋田名物 はちもり(八森) ハタハタ
(ハイィ キタカサッサァ コイサッサァ コイナー)
秋田音頭(おんど)は、ご存じのように、そのリズミカルさと、あたたかなコミカルさで有名です。巷の酒宴では、むしろその標準詩より、すこしHさを含めた替え唄の方へすすむのが人気のようです。 宴席で唄う男衆(おとこし)、それを賄い(まかない)で、ムフフと聞く女衆(おなごし)♪ そんな光景が目に浮かびます。
今、「ハタハタとは」→
お取り寄せグルメ情報「はたはたとは」-はたはたドットコム11月号→ (の欄)秋田名物はたはたとは→ で検索し、
その唄に驚くべき史実が潜むことを知り得たとき、皆さんに、それを紹介せずにはいられない気持ちになりました。 こどもの頃より、前述の鰯にせよ、ハタハタにせよ、『 神様にあげますものは、初物で!最上級のもの!』 なのに何故? 猫もまたぐほど獲れる大衆魚を神様に捧げるのか?という疑問をもっていました。
(註; 今、ハタハタは乱獲・その他で激減しての高級魚。 帰ってぇ、こぉいぃよ~♪と、育てる漁業へと変換中 )
以下は、『はたはたドットコム』、から引用・参考にしています。
その昔、冬の厳しい日本海沿岸の貧しい漁村の人々にとって、冬の季節の訪れに轟く雷(神鳴り)と共に、突然海岸にうちよせる獲りきれないハタハタの大群は、雷神様がつかわした魚と信じられ・・・、云々。
ハタハタの名前の由来・語源には、諸説あるようで、魚へんに神と書いてハタハタと読みます。そして、魚へんに雷と書いてもハタハタと読みます。東北各地の「ハタハタする→はたはたする。きらめくこと」の意から、その神様は<稲光・雷光>を意味しているというのが一説。
①厳冬の到来とともに始まる、秋田のハタハタ漁(11月下旬~12中旬)は有名。
②普段は水深250m~300mの砂泥に生息し、12月頃、水温が12℃まで下がると、産卵のために、水深2m~3mの沿岸の(ホンダワラ等の)藻場へ移動する。
③その他の由来語源として、体表に「斑 (ハタラ)」のあることにより、ハタラの縮語ハタをつけて呼称している。海が時化(しけ)て、波の多い時期によく獲れるので、波多波多(ハタハタ)になったという説。等があるそうです。 (以上、略している部分があります。)
わたしは、この中で二つの疑問があります。
一つ目として、ホントにこの時期に雷が鳴るのか? 春雷とは聞くが冬に入り始めの雷は聞いたことがない。それがよく鳴るのなら雷神と結びつけて命名しますが、「たまに鳴る時がある」のでは神がくれたとは思っても雷さまがくれたとは思わない。^^! (秋田の人、どれぐらいの頻度で雷が鳴るのか教えていただけませんか) 二つ目の疑問として、神様に捧げるか?をもっていましたが、これは「神様から授かる魚」として受けているようですから私の間違いでした。
いずれにしても、これ等が筆者の持論である「その時の雷鳴轟いた大事変」に関連していると考えるのは、あたらずとも遠からじと思っています。 そして、秋田音頭の「八森・はちもり」は、日本海沿岸で、その時の大津波を受ける釣り針の形をしていて、<八森>は、その魚が「八の字形に盛り上げられた」から、その地名がついたか?と考えるのは、わたしの思い違いでしょうか? さらに、このあとの秋田音頭の「男鹿ぶりこ」。 ぶりこと云うのは、ホンダワラに産み付けられたハタハタの卵。とても美味だそうですよ♪ そのホンダワラが正月の〆飾り(しめかざり)に使われるのは、 男鹿のぶりこ付きホンダワラが八森へ打ち上げられたからかも知れませんね。 今ある、説や、論に、科学に! もう一つか二つの?(疑問符)を付けなければ、その祖先からの伝言は、私達に伝わっては来ない。 ハイィ~、キタカサッサー、コイナー(^-^)♪
(蛇足ながら、その大事変以前の平均気温は、貝塚等の所在から今よりも15℃~16℃高かったと推んでいます。)
【 追記 】 今日11月27日、新潟地方で<雷・落雷注意報>が出されました。筆者がそれを知らなかっただけで、この時期ても日本海での雷は発生するのでしょう。この記事は、私の思い過ごしでしたが、なにかしら「八森ハタハタ」に、ひっかかるものがあり消すことが出来ません。
大きくはずれた話を戻して^^!、「泥炭の露頭について」
北上川中流域の泥炭の露頭は、この時の衝突の爆風熱によって炭化されたものが地中に埋もったものと断言できます。 藤里の珪化木の一部炭化もありました。 そういえば、さきの島根県・山瓶山火山でも似たようなことがありました。 で! 一番ネックになるのが、<藤里の珪化木の炭素年代1万2千年前> さて、あなたのジャッジは?(笑) わたしは、今までに積み上げてきた<膨大な状況証拠>と、強力な<祖先からの伝言>でもって、それをゆずることが出来ない。(^-^)
今回、改めて<PCの地図画面>で、釜石周辺を検索してみますと、!?
Yahoo!航空地図 釜石周辺 カーソル[ 市 I▲ I 町 ]
甲子川(かっしがわ)の支流の <小川川(こかわがわ)> を中心にした馬蹄形が見える。 巨大隕石の衝突痕を語るとき “円環地形” の重要性は前述した。 この馬蹄形を巨大隕石痕だとして、その外径ほぼ13km。 この[カーソル]市と町の間の目盛りの左よりを中心にして、ズームアップ・ダウンを繰り返したり、地図変換にしたりするうちに? なにやら小川川上流の、小川温泉を中心にして直径約3kmの内環が浮かんできた? 何故このようなことを検索しているかというと、地下に眠る鉱脈(主に金鉱)等を、表土を覆っている地質の違いが植物相の違いになって表れることを利用して、その探査の一端にすることがある。 シベリヤのツングースカ大爆発と呼ばれる巨大隕石痕(地上約6km~8kmで爆発して消滅)等も、そのなぎ倒された森林が人工衛星画面で確認されたそうですよ。 馬蹄形内環の頂の連なり、<直径3km>!、きれいな円形をしている。
この馬蹄形山塊 ≪釜石市役所から時計まわりで、甲子川に沿って釜石鉱山まで。 ここから雄岳(1313m)と、岩倉山(1059m)に挟まれた峠を北に越えて、鵜住川(うのすまいかわ)の上流。 これを下り、水海川上流の千丈ヶ滝に移り、出発点の釜石駅あたりにもどる≫ が、筆者の言うように「巨大隕石」なら次のようなことが考えられる。
<陸岩体>雄岳と、<隕石岩体>岩倉山が、ぶつかりあうわけだから、当然そこには岩石が熔けるほどの高熱と高圧力が発生する。 このような時、岩体に含まれる石英等の輝石類は、溶融岩体から分離し、≪石英脈≫をつくることがある。( これ◎ネ、^^!) このような現象は火山説では見られないことであり、その≪峠≫に、「 石英脈があるか!無いか!」 が、この論の分け目となる。 さらに付け加えれば、甲子川や水海川を挟んだ対面の山肌に≪熱伝導で岩様が変化した境目≫がありや無しやも!
だが、筆者の巨大隕石痕説に、決定的な「反論」が出てきた。
小川温泉(白水温泉もあります)の泉質は、「単純硫化水素・泉」! これは<火山性>地形のみに表れる現象である。 今、この私くしの知りたいことはネットで瞬時に手に入れることが出来る。だがその真偽の判定は自分で下さなければならない。 さて、あなたのジャッジは!?
わたしは、こういう正面から論が対立した時には、「祖先からの伝言」を優先し、それが解明出来ないのは、「現在の科学」が、そこに至っていないからだとし、一時棚上げすることにしている。^^! <雄岳>そして、<女性形>をしているこの山塊に、何故?祖先は、その<雄>の地名を付したのか? 私は、その必然性を知りたいと思う。
<巨大隕石痕は他にもないのか?>
その前に!、さきの記事 <巨大津波の痕跡・川が無いのに扇状地> で、北上高地を越え、巨大津波がつくった流痕跡として、<胆沢扇状地 ・夏油(げとう)痕跡 ・尻平痕跡>をあげておきました。 南から、
<胆沢扇状地> 東に向いているようであるが、その地形から東北西を指している。
<夏油痕跡地> 真東を指している。
<尻平痕跡地> 東南東を指している。 ・・・でした。
・・・で?、夏油痕跡から真東に延長していくと!?、
さきに巨大隕石痕だとした<釜石馬蹄形>の中心からは外れて、その接線あたりになってしまう。・・・・?
さきの木星へ衝突した彗星は、21個に分裂していた。
・・・で、国土地理院PC地図 ・Yahoo!地図、等で精査すると・・・!、
その衝突痕が?、コスモスの花のように浮き上がってきた!
<広田湾>に流れ出る<気仙川>を15kmほどさかのぼると、
<住田町>という地名のところがある。
その町役場の北側 ≪直径約6km≫ の山塊がその 「隕石塊」 だ!
Yahoo!地図カーソル[ 県 I△ I 市 ]
その時を想像してみよう。
仮に、その「隕石ボール」の、直径を1kmφ。 これが陸地にぶち当たる! 当然そこは沈み込み! 爆風が生じる! その爆風と飛翔岩石等で “コスモス地形” が出来た!?。 その花びら地形を南から時計回りで、(犬頭山)大平山691m、 叶倉山729m、 樺山沢、加労山730m、 火の土川、 鷹取山、 母衣下山587m。 そして、この辺りの地形は花びらが少し崩れるが、高森山718m・愛染山1229m・五葉山・黒岩・大森で、一片の花びら。 これ等を 「コスモス連山」 と名付けておくことにします。 すこし離れてその山、燃えつくしたと<無毛森山・785m>^^!
<祖先は 「八大竜王」 と云ってたぞ!>、上記の二つだけが、その隕石痕か?
「八」という数は、単に八つという意味だけではなく、八方に飛び散ったという意味もある。 この二つを結んだ線を内陸部に延長していくと、そこには、観光地 <猊鼻渓> があった! 筆者は、その猊鼻渓の詳細は知らない。 その岩塊の径、2、5kmφほどかな? あたりを見回すと! 猊鼻渓にコンパスをおいて西から北へ半径が 約5km の小高い山の連なりが見える。猊鼻岩塊の <落下の衝撃> で、凹地になったか? 猊鼻渓が 「隕石岩体」 か?、そうでないかを?見分けるには、さして難しいことではない。中学生諸君でも出来る。(^-^) ①、対面・外側の、溶解による岩様の相違。 ②内側と外側の岩質の相違。 ③さらに、この衝突直後、数分か?数秒?かは、解らないが泥流を含む巨大津波が覆い被さってきて、溶解した岩塊の表面は瞬時に冷やされる。 ④その東側は泥流に削られた流痕。 ⑤その西側には溶解した岩石が、ガス化して出来る泡沫状のエクボが残っているかも知れない。
どなたか、これ等を確かめて下さるお人は、いませんかねぇ(笑)。 もうそちら雪が積もってますかぁ^^!
< 総 括 >
このブログを見て下さったお人に、いいことを「耳打ち」しましょう♪。 内緒ですよ!
去年だったかな? フランスで散歩中の人が重さ、数十キロの金塊を見つけました。自然金としては最大級で、同程度のものがオーストラリアの砂漠でも見つかっています。 今年の秋頃だったかな? それが競売されたとのニュースがありましたから、御覧になった方があるかも知れません。 金価格(覚えで^^!)3600円~2000円を切る程度だったかな?1g = 2000円 としても、1億2千万円♪ しかも散歩中! (その所有権については「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣」の発掘の記事でもいろいろに述べています) 徳川の埋蔵金、旧ソ連の沈没会計船ナヒモフのインゴット、等々、ロマンがあっていいですねえ。
私がここで言いたいのは、その事ではなくて、その金塊が散歩中に見つかったということです。 金の価値を人々が知り得たのはおそらく中世以前?でしょう。 それが<道ばた>にあっても、誰も中世以前から~今の今まで、誰も気付かなかったか?ということです。 金の比重は(○○)と、鉄や石に比べて極端に重い! それが「何故に金だと分からなかったか? それは、「こんな所に金があるはずが無い! こんな大きな金塊があるはずが無い!」 という先入観からです。 その猊鼻渓が、素人探偵がいうような、巨大隕石の塊か? そうでない?かは、その気になって確かめてみないと分からない。 そのことに “貴方が、世界が” 気付いて欲しいと願っています。
「耳寄りな話」 バリー盆地は巨大な隕石痕! パリー盆地の中心にコンパスをたてて (その円周上) を捜せ! もしかして2匹目の (どじょう♪)がいるかもね(^-^)
「東北地方の、耳寄りな話」
*その1、 東北地方太平洋岸へ流れ出る川に「餅石」という丸くてすべすべした鉄鉱石の塊があるそうです。(どこだか忘れました^^!) これは衝突小惑星の内核から、はみ出したものが津波や、その後の川の流れが原因かな?と考えています、衝突総体が小さい(?)ですから、鉄以上の重金属は望めないかも知れません。
*その2、 ダイヤはあるか? その生成条件については、ネットで調べて下さい。○○○○℃の高温が、○秒持続すれば、炭素Cは、ダイヤとして結晶します。私のいうように、釜石馬蹄形。コスモス住田が、巨大隕石なら、雄岳と岩倉山に挟まれた峠の地下に♪ そして、住田では、コスモスの花心回りの地下ね♪ 炭素材料は、セコイヤメスギですよ。
*その3、 立ったままの珪化木、流された珪化木の捜索は、前の記事を参考に。
*その4、 石灰岩は、この事変の津波が打ち上げたものとは特定出来ませんが住田にもあります。
*その5、 ドロドロに溶けた岩や、小石が飛び散って、水の中にジュッ!と、入り込んだら、Si02・H2O酸化珪素になり、これに金属が含まれるとオパールになります。酸化珪素だけだと水晶に。 これは北上川流域の河原を捜してみるといいですよ。 ただし、その後に押し寄せた津波で隠され集められる傾向にありますからね♪ その石の表面は灰色かもね。 この石はハンマーで割れるから気を付けてね。(これ、◎!)
*その6、 その他、どこやらに飛んでった!そこにあるのが不思議な巨石。 <雫石>。 <黒石>等の地名も要注意ですよ。
*その7、 その時動物もいたはずですから、いかに存在量が少ない。津波では浮きやすく流されやすい。腐りやすい。 とはいえ化石として残っている可能性はあります。可能性としては厳しいものもありますが、<遠野市>の西側斜面の山裾あたりの土中をあげておきましょう。 (註: 北上川中流域の遺跡で赤牛の骨の大量化石が見つかっていますが、この時より時代が下がってからでしょうかね)
<さらなる巨大隕石痕はないのか?>
<猊鼻渓>→<コスモス・住田>→<釜石・馬蹄形>→<???>に、なにやら、月のクレーターを思わせるような<円環の真ん中をチョンボリと、つまんだような地形>がありますが、その確認は、後の読者諸氏の楽しみのために残しておきましょう。(笑)
ご先祖さまは、その巨大隕石を「八大竜王」だと、云わっせる。 今の科学を時流としないかぎり、現科学に刷り込まれている“あなた”があるかぎり、その伝言を素人探偵の稚拙なことばで、血反吐を吐くほど繰りかえしても、世間には伝わらない。(蛇足ながら中学生諸君へ、刷り込みとは、鳥類が殻打ちして、最初に動くものを親だと思いこんでしまう現象です) またまた「恨み節」になってしまいました。20年余も専門家に相手にして頂けないと、ついついひねくれちゃって♪ 専門家の方が<気付いて>下されば、こんなに簡単なことはないのにねえ。 ♪(^-^)♪
出雲で恩師が待たれています♪ とりあえず筆をとめて、そちらの方へ~、・・・つづきます♪
(2018/1/12)投稿者:C様> ・・・拙:電子出版の入手方法を求められて・・・、
うれしい。嬉しいです^^。そのようなお方さまが出とは思ってもいませんでしたから。残念ながら当方の「極秘報告書:巨大隕石と大津波」は2016/10/21で絶版となりました。2005/8/15のサイトアップから、2016/10/21の終了までの間に購入されたのは14冊のみとなり大変レア(^-^?)なものとなりました。今は、「世界も含めて誰もが相手に出来ないほどの極大論」なのだと、存命中は無理と諦めが先にたっています。
絶版となった拙著の第四章の「宝捜し」の始まりを紹介します。
「血餅であろうか、黒いしみの付いたその地図は、子羊のなめし皮で出来ていた。海洋に浮かんだ小島らしいことは識別できたが、緯度、経度にいたってはまったくわからない。ここに、自分の隠した金銀財宝があると言って、息絶えたキャプテンの言葉より物語は始まる。
こんな童話に心躍らせた経験は、多くの人が持つところである。今、私は、宝の地図と宝の箱を開ける鍵を持っている。宝の地図とは地球儀であり、'鍵'は、万有引力、総物質、総輪廻で出来ていて、それには似たものは似たもの同志で集まる。そして、相似にあると刻まれていた。しかも、謎解きを記した百科事典まである。
しかし、謎解きが出来ても力がない。博識有能な仲間がいない。私には船もないし、船長もいない。宝は、そこにあるのに取りに行けない。似たもの同志を探すことは、宝を捜すことより難しい。信じて欲しいとは言わない。誰もが知っていて、誰もが気付いていないこと。ニュートンが気付いた引き合う力を、今もって人々は、落ちるという。落ちるということは万人が知っているのに・・・・・、」
あとあと読み返すと「自分でもつまらんな~^^!」と、眠くなるほどの長駄文の連なり・・、
下記より、入って下さることをお勧めします。
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201309.html
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html shanks^^
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※ 四千年前の隕石の冬と温暖化との関連性!?を思う、
('22/8/16記)
大隕石の衝突の形態は、そのサイズや落下場所、例えば海か陸で変わり太陽光を遮るほどの粉塵は1~2年のうちに半球を覆うとの説をみたことがあります。その粉塵の大小により 地上への落下は様々と思われ直後の爆雨や、火山の誘発、季節風の影響は当然ありと思います。又、内陸と海側でも多少は異なると思いますが、筆者推定の15℃ほどの気温降下があれば生態系は大きく変わり、1~2年ならしのげるかも知れないが3年も冷害が続けばたまらない。人類の南下移動もこれによって始まったと思っています。植物(食)体系が変われば動物体系も変わります。岩淵(医学)先生は蚊の南下北限生態を云われていました。わたしは早池峰山の植物史がきになっています~~! 成層圏にまで舞い上げられた粉塵は、その重力や雨の核となり 『濁泥水が澄みゆくように時間と共に沈下する』 地球史には幾度かの氷河期と間氷期があります。筆者は、それを巨大隕石や惑星の衝突での肥大化→〔地球惑星は大小隕石の集積体である-絶版〕とかさねて考えています。今いわれている地球温暖化の原因のひとつに、この四千年ほど前の<東北大隕石>-筆者仮称 が影響しているのではないでしょうか?・・・。□
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拍手数(○)拍ふえて(6)拍になりました。 2拍はあの方とあの方ね。 あとは・・?、どうぞ、わたしを惑わさないで・・、(^^!) ジリジリふえて只今(14)拍♪ どなた様・ありがとね♪ (11/27記)
過去に、この報告書を“若い衆“にチラ見せしたことがありました。 彼いわく 「これ○○さんがホントに書いたのぉ? こんなんって没後に有名になるんだよね」 「ぬかしたなぁ~、今に見てろよぉ」 と大笑い。 どなた様、スタイルの違いもおありでしょうが 「一言コメント」 として遺されたほうが・・♪ あなたの子孫のためにも・・、(^-^) 11/8~
この頁の左欄の、カテゴリー「巨大津波の痕跡」へどうぞ^^!
拍手をありがとう御座います(^^) 只今(‘10 5/21)までで16拍になりました。
BC2001年12月25日の、未だ明けやらぬ東北地方に「巨大な塊」が空をとんだ。 北海道の祖先は、それを<空知(血色)が、美唄(ビリバリ音)>だと云い、東北の祖先は、その赤く尾をひいた巨塊を<龍飛崎>だと云う。 列島の祖先は、その「リュウ~」と鳴く飛翔音から、それを 『竜』 と命名 した。
この巨塊は、ビッグハンマーとなり<大槌>とその地名を残している。 さらに、その飛び散る姿をみて<牡鹿半島>。竜が舞ったと<竜舞崎>。眩しく輝いた<金華山>だと云う。
ご先祖さまが、怒ってござる。「それを巨大隕石といったら科学で、竜と呼んだら伝説かと」
必ず、その「痕跡」は、地質学的 にも残っている。
そこで、一番先に狙いをつけたのは<釜石>です。
なぜ、釜石に目をつけたのか? それを時間的に余裕があり、 早く知りたいお方は?(笑)
拙・電子出版→クリックで→極秘報告書「巨大隕石と大津波」¥500文芸社(H28/10/21絶版)
無料(一部分ですが)立ち読みコーナーあります。^^!
<釜石周辺図> 136頁
第三章 小惑星の衝突と合体 282頁
2 小惑星の衝突がつくる特徴 289頁
3 太陽系誕生への試み 293頁
宇宙での小惑星の合体・集合について
第四章 宝捜し 320頁
1 宝捜しへの考え方、 地球の生誕
等で、いろいろに試考?、していますからそちらの方へ、どうぞ♪
もし、あなたが大国の責任者なら、この報告書には、数十億の価値が隠れているし、
もし、あなたが中学生なら、¥500でおおきな夢をかうことになるであろう。
宮沢賢治が好んでつかったという、残丘の由来ニュウハンプシャー州モナドノック山辺りの
[極秘] 北米、ニューイングランド(バンガー) ~ ニューフランスウイック(セントジョン)、
ファンジー湾には、< 片V字湾奥論の 大油田が潜んでいる > 08 Nov. 05
これは誰にもいってはいけませんよ。 貴方だけへのトップシークレットですから!(^-^;)
以上、(20年間で、依頼件数1件?)赤貧の史実探偵(^-^)のマネージャー(黒孔雀)ブラックジャックからでした(笑)。
尚、その貴重な御依頼の一件♪ <大量の銅カはどこに?→銅カとは、矛に似た突剣> のこたえは、コメント欄を・・・捜索していただければ・・・(^^!)。
そして、今までどおり、ゆっくりじっくり、愉しみたいお方へは(笑)、・・・つづきます♪
<小惑星の衝突と合体について>
以下は、拙[報告書]での試考(筆者の造語)であり、そのピックアップであると、あらかじめお断りしておきます。
それを「小惑星や彗星、巨大隕石の衝突」と、呼ぶかは別として地球の有史以来、その衝突と合体は数限りなく繰り返されてきた。○○年△△が<月の裏側>の写真をおくってきた。それは、普段私達が目にしているノッペリとした月面とは異なり「まるで豪雨の水面」を思わせるかのような荒々しいものであった。
現在の科学が、月のクレーターを隕石痕とみるか火山口とみているかを知らないが、それは筆者がこどものころに経験した砂場や泥田、水あそび等での「投石の痕」そっくりに見えた。
「隕石痕」に間違いない! 月の外側(裏側)に、あれほどの数の隕石痕があるのに、それよりも○数倍も大きい地球にあたっていないはずがない。 ただ地球は。その痕跡を風雨活動や、造山・造地、造海・津波等の活動で、その痕跡を消しているだけなのだ。 では何故、月のこちら側が(のっぺり)しているのか? それについては後述で・・・、(笑)
< 小惑星の衝突がつくる特徴 >
月のクレーターの成因は、小惑星の衝突痕説と火山口説の両方がたがいに譲らない歴史をもっている。 なぜならば両者はたいへんよく似ている。
小惑星の衝突と、火山口の対比
火山口では 隕石痕では 異なるところ
(地 形) 円形になる 円環状である
(周 囲) 盛り上がる 盛り上がり 周囲がヒビ割れることがある
(岩 様) 熔けている 熔けている時がある 岩体の片麻岩化
以上のように両者は、たいへんよく似ているが、決定的な違いは [衝突元体] では、その片麻岩化と周囲の岩石の片麻岩化である。 片麻岩とは、岩石が圧力と熱を受けて<片岩状の縞模様>を造ることである。 月までは確かめに行けないが東北地方には行けるかも!(笑)
<宇宙での小惑星の合体・集合について>
自然界の全てに万有引力が働くとして、恒星や惑星の誕生を考えるN体問題という学問がある。Nとは任意数のNである。 例えば現在の太陽系の全質量をN個に細分化して、それらが合体・集合する色々なパターンを考えコンピューター処理をし現在の太陽系となるような過程を研究する。
基本的には次の③とうりが考えられる。
① ( N + N )+( N + N )
② ( N + N )+ N
③ N + n
つまり、トーナメントと不戦勝であるが、基本的には③のような N と n とが合体する。
≪地球は隕石の集合体である≫
<地球形の惑星と金属核の形成について>
註; この項、筆者の“我流想像”ですから、とくに中学生の方に(!^^!)、
毎年地球に降ってくる隕石の総量は○○トンにおよぶという。 これ等の隕石は、おおまかに分けて、石質隕石・隕鉄隕石・石鉄隕石・鉱質隕石に分けられる。1888年の隕石・ユレイライトにはダイヤモンドが含まれていたそうです。いずれにしても、これ等の母材が衝突合体し、肥大化したものが惑星かな?
その衝突のスピードは? これも、仮想実験!?(笑)
なにかしら気だるさがおそってくる今日この頃、筆もすすまない。 ・・・、動きたくない。 ・・・と!?、思っても、この私くしは、宇宙を高速移動している。 この身が赤道上にあれば 、1日4万km!、時速にして1666km!。 夜中であれば公転方向の移動が加わり、さらにスピードは増している。(そして太陽系は、なにやら座?のほうへ移動している) これに引力を加算したスピードで、「岩石どうし」がぶつかる! 高温が発生する!
惑星誕生のモデル? (my報告書本文の惑星誕生の概略)
岩石にしても、金属にしても、1500℃以上になれば、ほとんどが溶融する。 隕石塊どうしがくっつき→ 小惑星塊へと肥大化する→ 小惑星どうしがぶつかる→段々と惑星の質量が増してくると→ 引力も増し衝突スピードがアップする→ 大きくなるにしたがって自身が熱量を保持してくる→ 惑星どうしのぶつかり合い等もでてくる。 このような過程を経て中身が溶融し,外殻が固まった惑星らしきものが誕生する。
小惑星の内側にも鉄核が存在する?
隕鉄を母材にしていれば、当然その溶融した小惑星球体にも<鉄>が存在する。 地球の金属で、鉄の存在量はアルミニウムに次いで多い? ( 詳しくは忘れました。^^! 中学理科年表・国立天文台編・丸善(株)のほうへどうぞ! なんですって♪、とうの昔に地図と一緒に処分されたって!、それは残念!笑)
鉄は岩石より比重が重いから、その溶融した岩石の球体の中心へむかって沈み込む。 そして、その存在量の多さからいち早く(内核ボール)を形成する。 あとから衝突してきたものも重いものから、その内核の表面へと沈殿する。 蛇足ながら、肥大化・巨星化すると鉄核の内側からより重い金属へと沈殿・変位していく。(中学生さんへ; 太陽系の地球型惑星だけにしぼって考えています。彗星は汚れた氷玉ってのもありますからね)
ふ~~~ぅ、(^^!) やっと「釜石」(の鉱石は衝突隕石の内核か?)に、たどりつきました。 記事も長くなりましたので、この辺で(それを)ふり返ってみましょう。
①BC.2001年12月24日(欧州時間の夕方)、25日(日本時間の未明)に、地球を半周した巨大隕石が、東北地方に光臨した。
②そのルートは、昼のイースター島(モアイ像)→ ペルーのナスカ(地上絵)→ ドーバー海峡(英ストーンヘンジ・仏カルナク列石)→ スエーデン・ノルウェー(ストンサークル)→ 北海道・忍路(ストンサークル)、鹿角市(環状列石)→ そして、「釜石方面へ?」
③この大事変がもたらした慈雨(隕石の冬)と、津波による魚介類の打ち上げ(例、津市・嬉野♪)穀草類の集積(瑞穂の国)は、荒神となって人々の心に降臨した。
④その文化は、<雨乞い>のために隔離し育てた “幼児の人身供犠“ へと、エスカレートし、それを止めさせようとしたのが<卑弥呼>であり、ひみこは、それまでの荒神を呼び寄せ、乗り移すための銅鐸を “集め・持ち寄り封印” し、代わりに魏からの銅鏡を与え「主神・太陽=鏡を曇らせる象徴文化」へ変えさせようとした。
⑤その文化の(今の文化の)根底にあるのが、今捜索している東北の<大津波や巨大隕石の痕跡>ですから、いましばらくお付きあい下さい。(^-^)♪。
お知らせ 只今、出雲<大量の銅カ(矛に似た刃)はあるか?>に出向いています。
ご興味のある方は、この記事の <コメント欄>へ、どうぞ♪
♪緊急なお知らせ♪
(11/19) みなさん(クルーの方々)に、大事なお知らせがあります!
どうぞ、カテゴリー<出雲地方>の方のコメント欄へ飛んでみてください。お願いします。
<巨大隕石の内核はどこへ?>
おまたせしました。^^! 三陸地方の巨大隕石の落下地の捜索に戻りましょう。
それを捜すには、前述の<小惑星の衝突がつくる特徴>の円環地形と、金属核で捜せ! 最初に狙いをつけたのは<釜石>であった。 しかし、その捜索当初は、今のようにPC画像のすべを知らず、国土地理院から地図をとりよせては精査する日々であった。 そして、いくら捜しても釜石鉱山周辺に円環地形はみあたらない! やっとの思いで捜し当てたのが、<釜石馬蹄形>であった。 そこで、地質センターでその地質図をとおもったが、肝心の釜石周辺の地質図は、「只今、制作中」とのこと。それ等の苦労話を?知りたいかたは、拙・電子出版のほうへ、どうぞ(笑)
その後、地質図の完成を待って、取り寄せて観たが!? どのような贔屓(ひいき)眼鏡をかけて見ても “隕石の痕跡” が見いだせない。 だが?それを取り寄せた成果はあった。北上川中流域に露頭に近い?「泥炭」層があった。 (前の胆沢扇状地の記事で、それを推理小説風?に忍ばせておいたのにぃ。お気付きになりませんでしたかぁ? 汗~^^!)
その大津波が運んだ<泥流とその樹木>だと直感した。キーワードは「露頭に近い」だ。 石炭の形成は、地中深いところで、その地熱と地圧によって生成する。 それが露頭近くにあるのは何故か? これを「その表土が流された」とか、そこに海生物があったから「昔は海だった」とかいわれる貴方(現科学)には、もう反論しない。私には、それに反論して現科学を説得するだけの知識と多くの頭脳寿命は残されていない。 ( ゴメン! 言葉が過ぎましたかぁ?)
石炭は<露頭でも生成する>例外もありますよ!
(これ◎ね、あとでテストに! 何故か、当ブログファンには先生方が多いから、・・^^!)
<釜石馬蹄形>は、甲子川(かっしがわ)の支流である、小川川(こがわかわ)を挟んだ長径13kmほどの馬蹄形をしている。 巨大隕石痕を語る時、円環地形は重要な用件となる。馬蹄形では、その確率が薄れてくる。 巨大岩塊が陸地にぶちあたる。その大きさと落ちた場所の条件により、一概に云えないが、例として、その衝突の中心域は高熱が発生して溶融する。ほとりにいくに従って衝突熱の発生が少ないと推み、周囲は<片岩化>しているのでは? あるいは、地面に叩きつけられるので、その鉱質や岩質は、鍛造状(金属をハンマーで叩くこと)になっているのでは? これ等が分かれば、その形状は火山では認められず、より隕石説が強くなる。
釜石鉱山に問い合わせてみたが現在は閉鎖し、その保安業務のみをおこなっているとのこと。釜石博物館でも聞かれてみたらと、その電話番号を教えられた。
坑道の総長○○○kmをもつ釜石鉱山の<岩様>は、分からなかった。
そして、<釜石>の地名のもとの由来は、釜=鉱石ではなく、釜=魚、石=うす、で<うす>は、<干す>がなまったものであろうとのこと。 今でも、その親切に教えて下さった声が耳に残っている。
ガッカリであった。その成果なし。 だが待てよぉ? <干す>だとぉ、!?
話は変わり、<正月のお飾り> 地方によっても異なると思うが、当瀬戸内地方で、稲ワラで組みあげた飾りに<干し鰯>を×印しに結わえるものがあった。 あるいは、目刺し棒を組み飾りに結わえ付ける。 この飾り方は昔であって、今ではほとんど見たことがない。 当時のこども心に、「何故?鰯なの?神様に上げますものなら、高級魚の鯛やサワラの方がいいのに?」なんて思ったものでした。(いわしさん、ごめんなさい^^!) 何故、鰯なのかが、やっと解った。 巨大津波で表土をそぎ取られる。 その上に魚が打ち上げられる。 衝突の地熱よって干しあげられる。 その時大量に打ち上げられた魚は<東北地方では、ハタハタ?>であった。 ちょっと?横道にそれましたぁ(笑)
<その唄に潜む、大事変>
ヤートセー! コラ秋田音頭です♪ 秋田名物 はちもり(八森) ハタハタ
(ハイィ キタカサッサァ コイサッサァ コイナー)
秋田音頭(おんど)は、ご存じのように、そのリズミカルさと、あたたかなコミカルさで有名です。巷の酒宴では、むしろその標準詩より、すこしHさを含めた替え唄の方へすすむのが人気のようです。 宴席で唄う男衆(おとこし)、それを賄い(まかない)で、ムフフと聞く女衆(おなごし)♪ そんな光景が目に浮かびます。
今、「ハタハタとは」→
お取り寄せグルメ情報「はたはたとは」-はたはたドットコム11月号→ (の欄)秋田名物はたはたとは→ で検索し、
その唄に驚くべき史実が潜むことを知り得たとき、皆さんに、それを紹介せずにはいられない気持ちになりました。 こどもの頃より、前述の鰯にせよ、ハタハタにせよ、『 神様にあげますものは、初物で!最上級のもの!』 なのに何故? 猫もまたぐほど獲れる大衆魚を神様に捧げるのか?という疑問をもっていました。
(註; 今、ハタハタは乱獲・その他で激減しての高級魚。 帰ってぇ、こぉいぃよ~♪と、育てる漁業へと変換中 )
以下は、『はたはたドットコム』、から引用・参考にしています。
その昔、冬の厳しい日本海沿岸の貧しい漁村の人々にとって、冬の季節の訪れに轟く雷(神鳴り)と共に、突然海岸にうちよせる獲りきれないハタハタの大群は、雷神様がつかわした魚と信じられ・・・、云々。
ハタハタの名前の由来・語源には、諸説あるようで、魚へんに神と書いてハタハタと読みます。そして、魚へんに雷と書いてもハタハタと読みます。東北各地の「ハタハタする→はたはたする。きらめくこと」の意から、その神様は<稲光・雷光>を意味しているというのが一説。
①厳冬の到来とともに始まる、秋田のハタハタ漁(11月下旬~12中旬)は有名。
②普段は水深250m~300mの砂泥に生息し、12月頃、水温が12℃まで下がると、産卵のために、水深2m~3mの沿岸の(ホンダワラ等の)藻場へ移動する。
③その他の由来語源として、体表に「斑 (ハタラ)」のあることにより、ハタラの縮語ハタをつけて呼称している。海が時化(しけ)て、波の多い時期によく獲れるので、波多波多(ハタハタ)になったという説。等があるそうです。 (以上、略している部分があります。)
わたしは、この中で二つの疑問があります。
一つ目として、ホントにこの時期に雷が鳴るのか? 春雷とは聞くが冬に入り始めの雷は聞いたことがない。それがよく鳴るのなら雷神と結びつけて命名しますが、「たまに鳴る時がある」のでは神がくれたとは思っても雷さまがくれたとは思わない。^^! (秋田の人、どれぐらいの頻度で雷が鳴るのか教えていただけませんか) 二つ目の疑問として、神様に捧げるか?をもっていましたが、これは「神様から授かる魚」として受けているようですから私の間違いでした。
いずれにしても、これ等が筆者の持論である「その時の雷鳴轟いた大事変」に関連していると考えるのは、あたらずとも遠からじと思っています。 そして、秋田音頭の「八森・はちもり」は、日本海沿岸で、その時の大津波を受ける釣り針の形をしていて、<八森>は、その魚が「八の字形に盛り上げられた」から、その地名がついたか?と考えるのは、わたしの思い違いでしょうか? さらに、このあとの秋田音頭の「男鹿ぶりこ」。 ぶりこと云うのは、ホンダワラに産み付けられたハタハタの卵。とても美味だそうですよ♪ そのホンダワラが正月の〆飾り(しめかざり)に使われるのは、 男鹿のぶりこ付きホンダワラが八森へ打ち上げられたからかも知れませんね。 今ある、説や、論に、科学に! もう一つか二つの?(疑問符)を付けなければ、その祖先からの伝言は、私達に伝わっては来ない。 ハイィ~、キタカサッサー、コイナー(^-^)♪
(蛇足ながら、その大事変以前の平均気温は、貝塚等の所在から今よりも15℃~16℃高かったと推んでいます。)
【 追記 】 今日11月27日、新潟地方で<雷・落雷注意報>が出されました。筆者がそれを知らなかっただけで、この時期ても日本海での雷は発生するのでしょう。この記事は、私の思い過ごしでしたが、なにかしら「八森ハタハタ」に、ひっかかるものがあり消すことが出来ません。
大きくはずれた話を戻して^^!、「泥炭の露頭について」
北上川中流域の泥炭の露頭は、この時の衝突の爆風熱によって炭化されたものが地中に埋もったものと断言できます。 藤里の珪化木の一部炭化もありました。 そういえば、さきの島根県・山瓶山火山でも似たようなことがありました。 で! 一番ネックになるのが、<藤里の珪化木の炭素年代1万2千年前> さて、あなたのジャッジは?(笑) わたしは、今までに積み上げてきた<膨大な状況証拠>と、強力な<祖先からの伝言>でもって、それをゆずることが出来ない。(^-^)
今回、改めて<PCの地図画面>で、釜石周辺を検索してみますと、!?
Yahoo!航空地図 釜石周辺 カーソル[ 市 I▲ I 町 ]
甲子川(かっしがわ)の支流の <小川川(こかわがわ)> を中心にした馬蹄形が見える。 巨大隕石の衝突痕を語るとき “円環地形” の重要性は前述した。 この馬蹄形を巨大隕石痕だとして、その外径ほぼ13km。 この[カーソル]市と町の間の目盛りの左よりを中心にして、ズームアップ・ダウンを繰り返したり、地図変換にしたりするうちに? なにやら小川川上流の、小川温泉を中心にして直径約3kmの内環が浮かんできた? 何故このようなことを検索しているかというと、地下に眠る鉱脈(主に金鉱)等を、表土を覆っている地質の違いが植物相の違いになって表れることを利用して、その探査の一端にすることがある。 シベリヤのツングースカ大爆発と呼ばれる巨大隕石痕(地上約6km~8kmで爆発して消滅)等も、そのなぎ倒された森林が人工衛星画面で確認されたそうですよ。 馬蹄形内環の頂の連なり、<直径3km>!、きれいな円形をしている。
この馬蹄形山塊 ≪釜石市役所から時計まわりで、甲子川に沿って釜石鉱山まで。 ここから雄岳(1313m)と、岩倉山(1059m)に挟まれた峠を北に越えて、鵜住川(うのすまいかわ)の上流。 これを下り、水海川上流の千丈ヶ滝に移り、出発点の釜石駅あたりにもどる≫ が、筆者の言うように「巨大隕石」なら次のようなことが考えられる。
<陸岩体>雄岳と、<隕石岩体>岩倉山が、ぶつかりあうわけだから、当然そこには岩石が熔けるほどの高熱と高圧力が発生する。 このような時、岩体に含まれる石英等の輝石類は、溶融岩体から分離し、≪石英脈≫をつくることがある。( これ◎ネ、^^!) このような現象は火山説では見られないことであり、その≪峠≫に、「 石英脈があるか!無いか!」 が、この論の分け目となる。 さらに付け加えれば、甲子川や水海川を挟んだ対面の山肌に≪熱伝導で岩様が変化した境目≫がありや無しやも!
だが、筆者の巨大隕石痕説に、決定的な「反論」が出てきた。
小川温泉(白水温泉もあります)の泉質は、「単純硫化水素・泉」! これは<火山性>地形のみに表れる現象である。 今、この私くしの知りたいことはネットで瞬時に手に入れることが出来る。だがその真偽の判定は自分で下さなければならない。 さて、あなたのジャッジは!?
わたしは、こういう正面から論が対立した時には、「祖先からの伝言」を優先し、それが解明出来ないのは、「現在の科学」が、そこに至っていないからだとし、一時棚上げすることにしている。^^! <雄岳>そして、<女性形>をしているこの山塊に、何故?祖先は、その<雄>の地名を付したのか? 私は、その必然性を知りたいと思う。
<巨大隕石痕は他にもないのか?>
その前に!、さきの記事 <巨大津波の痕跡・川が無いのに扇状地> で、北上高地を越え、巨大津波がつくった流痕跡として、<胆沢扇状地 ・夏油(げとう)痕跡 ・尻平痕跡>をあげておきました。 南から、
<胆沢扇状地> 東に向いているようであるが、その地形から東北西を指している。
<夏油痕跡地> 真東を指している。
<尻平痕跡地> 東南東を指している。 ・・・でした。
・・・で?、夏油痕跡から真東に延長していくと!?、
さきに巨大隕石痕だとした<釜石馬蹄形>の中心からは外れて、その接線あたりになってしまう。・・・・?
さきの木星へ衝突した彗星は、21個に分裂していた。
・・・で、国土地理院PC地図 ・Yahoo!地図、等で精査すると・・・!、
その衝突痕が?、コスモスの花のように浮き上がってきた!
<広田湾>に流れ出る<気仙川>を15kmほどさかのぼると、
<住田町>という地名のところがある。
その町役場の北側 ≪直径約6km≫ の山塊がその 「隕石塊」 だ!
Yahoo!地図カーソル[ 県 I△ I 市 ]
その時を想像してみよう。
仮に、その「隕石ボール」の、直径を1kmφ。 これが陸地にぶち当たる! 当然そこは沈み込み! 爆風が生じる! その爆風と飛翔岩石等で “コスモス地形” が出来た!?。 その花びら地形を南から時計回りで、(犬頭山)大平山691m、 叶倉山729m、 樺山沢、加労山730m、 火の土川、 鷹取山、 母衣下山587m。 そして、この辺りの地形は花びらが少し崩れるが、高森山718m・愛染山1229m・五葉山・黒岩・大森で、一片の花びら。 これ等を 「コスモス連山」 と名付けておくことにします。 すこし離れてその山、燃えつくしたと<無毛森山・785m>^^!
<祖先は 「八大竜王」 と云ってたぞ!>、上記の二つだけが、その隕石痕か?
「八」という数は、単に八つという意味だけではなく、八方に飛び散ったという意味もある。 この二つを結んだ線を内陸部に延長していくと、そこには、観光地 <猊鼻渓> があった! 筆者は、その猊鼻渓の詳細は知らない。 その岩塊の径、2、5kmφほどかな? あたりを見回すと! 猊鼻渓にコンパスをおいて西から北へ半径が 約5km の小高い山の連なりが見える。猊鼻岩塊の <落下の衝撃> で、凹地になったか? 猊鼻渓が 「隕石岩体」 か?、そうでないかを?見分けるには、さして難しいことではない。中学生諸君でも出来る。(^-^) ①、対面・外側の、溶解による岩様の相違。 ②内側と外側の岩質の相違。 ③さらに、この衝突直後、数分か?数秒?かは、解らないが泥流を含む巨大津波が覆い被さってきて、溶解した岩塊の表面は瞬時に冷やされる。 ④その東側は泥流に削られた流痕。 ⑤その西側には溶解した岩石が、ガス化して出来る泡沫状のエクボが残っているかも知れない。
どなたか、これ等を確かめて下さるお人は、いませんかねぇ(笑)。 もうそちら雪が積もってますかぁ^^!
< 総 括 >
このブログを見て下さったお人に、いいことを「耳打ち」しましょう♪。 内緒ですよ!
去年だったかな? フランスで散歩中の人が重さ、数十キロの金塊を見つけました。自然金としては最大級で、同程度のものがオーストラリアの砂漠でも見つかっています。 今年の秋頃だったかな? それが競売されたとのニュースがありましたから、御覧になった方があるかも知れません。 金価格(覚えで^^!)3600円~2000円を切る程度だったかな?1g = 2000円 としても、1億2千万円♪ しかも散歩中! (その所有権については「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣」の発掘の記事でもいろいろに述べています) 徳川の埋蔵金、旧ソ連の沈没会計船ナヒモフのインゴット、等々、ロマンがあっていいですねえ。
私がここで言いたいのは、その事ではなくて、その金塊が散歩中に見つかったということです。 金の価値を人々が知り得たのはおそらく中世以前?でしょう。 それが<道ばた>にあっても、誰も中世以前から~今の今まで、誰も気付かなかったか?ということです。 金の比重は(○○)と、鉄や石に比べて極端に重い! それが「何故に金だと分からなかったか? それは、「こんな所に金があるはずが無い! こんな大きな金塊があるはずが無い!」 という先入観からです。 その猊鼻渓が、素人探偵がいうような、巨大隕石の塊か? そうでない?かは、その気になって確かめてみないと分からない。 そのことに “貴方が、世界が” 気付いて欲しいと願っています。
「耳寄りな話」 バリー盆地は巨大な隕石痕! パリー盆地の中心にコンパスをたてて (その円周上) を捜せ! もしかして2匹目の (どじょう♪)がいるかもね(^-^)
「東北地方の、耳寄りな話」
*その1、 東北地方太平洋岸へ流れ出る川に「餅石」という丸くてすべすべした鉄鉱石の塊があるそうです。(どこだか忘れました^^!) これは衝突小惑星の内核から、はみ出したものが津波や、その後の川の流れが原因かな?と考えています、衝突総体が小さい(?)ですから、鉄以上の重金属は望めないかも知れません。
*その2、 ダイヤはあるか? その生成条件については、ネットで調べて下さい。○○○○℃の高温が、○秒持続すれば、炭素Cは、ダイヤとして結晶します。私のいうように、釜石馬蹄形。コスモス住田が、巨大隕石なら、雄岳と岩倉山に挟まれた峠の地下に♪ そして、住田では、コスモスの花心回りの地下ね♪ 炭素材料は、セコイヤメスギですよ。
*その3、 立ったままの珪化木、流された珪化木の捜索は、前の記事を参考に。
*その4、 石灰岩は、この事変の津波が打ち上げたものとは特定出来ませんが住田にもあります。
*その5、 ドロドロに溶けた岩や、小石が飛び散って、水の中にジュッ!と、入り込んだら、Si02・H2O酸化珪素になり、これに金属が含まれるとオパールになります。酸化珪素だけだと水晶に。 これは北上川流域の河原を捜してみるといいですよ。 ただし、その後に押し寄せた津波で隠され集められる傾向にありますからね♪ その石の表面は灰色かもね。 この石はハンマーで割れるから気を付けてね。(これ、◎!)
*その6、 その他、どこやらに飛んでった!そこにあるのが不思議な巨石。 <雫石>。 <黒石>等の地名も要注意ですよ。
*その7、 その時動物もいたはずですから、いかに存在量が少ない。津波では浮きやすく流されやすい。腐りやすい。 とはいえ化石として残っている可能性はあります。可能性としては厳しいものもありますが、<遠野市>の西側斜面の山裾あたりの土中をあげておきましょう。 (註: 北上川中流域の遺跡で赤牛の骨の大量化石が見つかっていますが、この時より時代が下がってからでしょうかね)
<さらなる巨大隕石痕はないのか?>
<猊鼻渓>→<コスモス・住田>→<釜石・馬蹄形>→<???>に、なにやら、月のクレーターを思わせるような<円環の真ん中をチョンボリと、つまんだような地形>がありますが、その確認は、後の読者諸氏の楽しみのために残しておきましょう。(笑)
ご先祖さまは、その巨大隕石を「八大竜王」だと、云わっせる。 今の科学を時流としないかぎり、現科学に刷り込まれている“あなた”があるかぎり、その伝言を素人探偵の稚拙なことばで、血反吐を吐くほど繰りかえしても、世間には伝わらない。(蛇足ながら中学生諸君へ、刷り込みとは、鳥類が殻打ちして、最初に動くものを親だと思いこんでしまう現象です) またまた「恨み節」になってしまいました。20年余も専門家に相手にして頂けないと、ついついひねくれちゃって♪ 専門家の方が<気付いて>下されば、こんなに簡単なことはないのにねえ。 ♪(^-^)♪
出雲で恩師が待たれています♪ とりあえず筆をとめて、そちらの方へ~、・・・つづきます♪
(2018/1/12)投稿者:C様> ・・・拙:電子出版の入手方法を求められて・・・、
うれしい。嬉しいです^^。そのようなお方さまが出とは思ってもいませんでしたから。残念ながら当方の「極秘報告書:巨大隕石と大津波」は2016/10/21で絶版となりました。2005/8/15のサイトアップから、2016/10/21の終了までの間に購入されたのは14冊のみとなり大変レア(^-^?)なものとなりました。今は、「世界も含めて誰もが相手に出来ないほどの極大論」なのだと、存命中は無理と諦めが先にたっています。
絶版となった拙著の第四章の「宝捜し」の始まりを紹介します。
「血餅であろうか、黒いしみの付いたその地図は、子羊のなめし皮で出来ていた。海洋に浮かんだ小島らしいことは識別できたが、緯度、経度にいたってはまったくわからない。ここに、自分の隠した金銀財宝があると言って、息絶えたキャプテンの言葉より物語は始まる。
こんな童話に心躍らせた経験は、多くの人が持つところである。今、私は、宝の地図と宝の箱を開ける鍵を持っている。宝の地図とは地球儀であり、'鍵'は、万有引力、総物質、総輪廻で出来ていて、それには似たものは似たもの同志で集まる。そして、相似にあると刻まれていた。しかも、謎解きを記した百科事典まである。
しかし、謎解きが出来ても力がない。博識有能な仲間がいない。私には船もないし、船長もいない。宝は、そこにあるのに取りに行けない。似たもの同志を探すことは、宝を捜すことより難しい。信じて欲しいとは言わない。誰もが知っていて、誰もが気付いていないこと。ニュートンが気付いた引き合う力を、今もって人々は、落ちるという。落ちるということは万人が知っているのに・・・・・、」
あとあと読み返すと「自分でもつまらんな~^^!」と、眠くなるほどの長駄文の連なり・・、
下記より、入って下さることをお勧めします。
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201309.html
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html shanks^^
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※ 四千年前の隕石の冬と温暖化との関連性!?を思う、
('22/8/16記)
大隕石の衝突の形態は、そのサイズや落下場所、例えば海か陸で変わり太陽光を遮るほどの粉塵は1~2年のうちに半球を覆うとの説をみたことがあります。その粉塵の大小により 地上への落下は様々と思われ直後の爆雨や、火山の誘発、季節風の影響は当然ありと思います。又、内陸と海側でも多少は異なると思いますが、筆者推定の15℃ほどの気温降下があれば生態系は大きく変わり、1~2年ならしのげるかも知れないが3年も冷害が続けばたまらない。人類の南下移動もこれによって始まったと思っています。植物(食)体系が変われば動物体系も変わります。岩淵(医学)先生は蚊の南下北限生態を云われていました。わたしは早池峰山の植物史がきになっています~~! 成層圏にまで舞い上げられた粉塵は、その重力や雨の核となり 『濁泥水が澄みゆくように時間と共に沈下する』 地球史には幾度かの氷河期と間氷期があります。筆者は、それを巨大隕石や惑星の衝突での肥大化→〔地球惑星は大小隕石の集積体である-絶版〕とかさねて考えています。今いわれている地球温暖化の原因のひとつに、この四千年ほど前の<東北大隕石>-筆者仮称 が影響しているのではないでしょうか?・・・。□
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拍手数(○)拍ふえて(6)拍になりました。 2拍はあの方とあの方ね。 あとは・・?、どうぞ、わたしを惑わさないで・・、(^^!) ジリジリふえて只今(14)拍♪ どなた様・ありがとね♪ (11/27記)
過去に、この報告書を“若い衆“にチラ見せしたことがありました。 彼いわく 「これ○○さんがホントに書いたのぉ? こんなんって没後に有名になるんだよね」 「ぬかしたなぁ~、今に見てろよぉ」 と大笑い。 どなた様、スタイルの違いもおありでしょうが 「一言コメント」 として遺されたほうが・・♪ あなたの子孫のためにも・・、(^-^) 11/8~
この頁の左欄の、カテゴリー「巨大津波の痕跡」へどうぞ^^!
拍手をありがとう御座います(^^) 只今(‘10 5/21)までで16拍になりました。
<四千年前の東北地方に巨大隕石が衝突した!>
(9/08)更新がないにも関わらずの、ご訪問ありがとう御座います。
次の、図-の巨大隕石・釜石付近図のUPは、9/15に予定しています。
興味のあるお方は、カテゴリー「巨大隕石」の方をご覧になっていてください(^-^!)
電子出版: 極秘 報告書 『巨大隕石と、大津波』 より、引用

<巨大隕石の飛翔と衝突時の発光を見たという地名伝言>
<地 名> ( その 推 定 理 由 ) 詳しくは、前々の記事を参照してね^^
北海道・美唄(ビバイ) その時の飛翔轟音(ビリビリバリバリ?)を言っているのかとした。
忍路(オショロ) 恐ろしいものが通る路(みち)の意か? →囲炉裏か??
北海道・白神岬 飛翔体と空気との擦過光を言っている。
竜 飛 崎 巨大竜=巨大隕石がこの上空を飛んだと言っている。
青森県・白神岳 飛翔体と空気との擦過光を言っている。
奥羽山脈・真昼岳 山脈の西側から見て未明の東の空が衝突光で真昼のように輝いた。
丁岳と丁岳山脈 火の戸の意で、奥羽山脈とのT字形で衝突光を止めたと言っている。
(ヒノトダケ)
羽後(うご) 丁岳山脈の北側で、その飛翔体=巨大隕石が飛び去った後方を言っている。
羽前(うぜん) 丁岳山脈の南側で、その飛翔体=巨大隕石が来なかったと言っている。
奥羽山脈・白髪山 シロヒゲ山と読み、その時の発光と恐怖で白髪化と立枯れ木化とした。
(後の白髭山信仰に移行した?)類似伝言に、毛無山、黒森山、等があります。
奥羽山脈・面白山 「面・おも」は、外庭とか顔の意でありその山の方向が発光化した。
北 上 川 ふつう「川が北へ上る」とは云わないよね? 津波なら北へも登るけど!
下北半島 これも同義語、北方がその津波の下手を表す地名。
(一般には「西方浄土」の考えだが、この地から「北斗信仰」か??)
岩 手 県この地帯が爆風や衝突熱と、発生した大地震と巨大津波で植生を奪い岩表化した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これ等の伝言から、素人探偵がその衝突時間を 『冬の朝の6時』と、導きだしたことに対して、『 時間までもが、判るはずがない!』と、云われるお方が(現科学も^^?)いたら、もう一度前々の記事を読み返して下さい^^!。その一つ一つの論や記事は、拙くて誤りもあるとは思いますが、すべてのことが絡み合った時、揺るぎない史実として後世に残るであろう。これが貴方に、現科学に伝わるのは、後何年かかるのでしょうか?、ちょっち疲れました。(^-^!)
『 東北地方 ・ 祖先からの地名伝言 』 (↓ 拙電子出版より転載 )
その昔、(BC.2001年12月25日 未明の朝6時頃)
竜が飛んだと、“龍飛崎” 全天覆った“奥羽”の羽 “大槌・釜石”に降臨した。
“松前”のそちらに飛んだと“白神岬”、白光見たと“白神岳” 、真昼のようだと
“真昼岳”、私も見たよと“面白山”あな恐ろしや恐ろしや木々も白んだ“白髪山”
「しろひげやま」と読みます。立ち枯れて幹だけが白く残ったんでしょうかぁ?
巨大な津波が生誕した。
“水界峠・250m”のすぐそばに、津波で沈んだ“志津の川”、金の扇か
“金華山”舞い踊ったか“竜舞崎”、巨大津波を“歌津”とは酔狂人がいたもんだ。
“岩の手”を敲いて育った大津波、暴れん坊の大津波“牡鹿半島”を蹴散らかし、
花嫁さがして大津波、“志津川”越えて“津山”を越えて、後押しされて“追波川”
鹿の背越えて“渡の波”へ、巨石渦巻く“石巻”、“仙台”越えて“津の田んぼ”、
“次郎太郎山”が通せんボッ。 二俣かけたか大津波、津波は川を北上する。
“北上川”を北上する。 “志波姫”様を横目にし、“江刺”恋しや“花巻”恋し、
妬きもち焼いて“焼石岳”、黒く焼いたる“黒森山”、 それを眺めて“国見山”、
どうなるものかと“物見山871m”、“遠野”で眺める“物見山917m”、
袖を振られた大津波、 “盛岡”の先 “姫神山”へ、 土を盛っての贈り物、
シワぶきひとつ“紫波”の波、行かせてなるかと“区界峠”、節操ないと“八幡平”、
想いかなわじ“七時雨山”、ここから先は下り坂、力落として“一戸”へ、
“二戸・三戸”四歩と歩めず。 気を取り直して“五戸・六戸”、 “七戸”の先、
あの“恐山”、 力尽きたる大津波、 ふる里、目指して“八戸・九戸”
津のない十(とお・ツなし)で、お終いじゃあ!
十は、一つ~九つのツが付かないから「ツ無し」と読むんだって!なぜ付かないの?
この謎解きは「報告書」のどこやらで挑みましたが、それが何処だったか思い出せない。
(^-^!)
子供の頃、「何故に、これ等の地名が付いたのか?」と、不思議に思ったことが誰にもあるはずだ。「えっ?」考えたことがなかった^^? それは残念(笑い)」 上記は、ほんの一例ですが、東北の地をよく知る貴方には、もっと々、たくさんあるはずだ。子供心を思い出し、そして追求しなければ、この巨大隕石を言う、祖先からの伝言は貴方(今の科学)には伝わらない。
(10/04) ここにも、貴重な拍手が頂けていました^^。ありがとう御座います。
(9/08)更新がないにも関わらずの、ご訪問ありがとう御座います。
次の、図-の巨大隕石・釜石付近図のUPは、9/15に予定しています。
興味のあるお方は、カテゴリー「巨大隕石」の方をご覧になっていてください(^-^!)
電子出版: 極秘 報告書 『巨大隕石と、大津波』 より、引用

<巨大隕石の飛翔と衝突時の発光を見たという地名伝言>
<地 名> ( その 推 定 理 由 ) 詳しくは、前々の記事を参照してね^^
北海道・美唄(ビバイ) その時の飛翔轟音(ビリビリバリバリ?)を言っているのかとした。
忍路(オショロ) 恐ろしいものが通る路(みち)の意か? →囲炉裏か??
北海道・白神岬 飛翔体と空気との擦過光を言っている。
竜 飛 崎 巨大竜=巨大隕石がこの上空を飛んだと言っている。
青森県・白神岳 飛翔体と空気との擦過光を言っている。
奥羽山脈・真昼岳 山脈の西側から見て未明の東の空が衝突光で真昼のように輝いた。
丁岳と丁岳山脈 火の戸の意で、奥羽山脈とのT字形で衝突光を止めたと言っている。
(ヒノトダケ)
羽後(うご) 丁岳山脈の北側で、その飛翔体=巨大隕石が飛び去った後方を言っている。
羽前(うぜん) 丁岳山脈の南側で、その飛翔体=巨大隕石が来なかったと言っている。
奥羽山脈・白髪山 シロヒゲ山と読み、その時の発光と恐怖で白髪化と立枯れ木化とした。
(後の白髭山信仰に移行した?)類似伝言に、毛無山、黒森山、等があります。
奥羽山脈・面白山 「面・おも」は、外庭とか顔の意でありその山の方向が発光化した。
北 上 川 ふつう「川が北へ上る」とは云わないよね? 津波なら北へも登るけど!
下北半島 これも同義語、北方がその津波の下手を表す地名。
(一般には「西方浄土」の考えだが、この地から「北斗信仰」か??)
岩 手 県この地帯が爆風や衝突熱と、発生した大地震と巨大津波で植生を奪い岩表化した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これ等の伝言から、素人探偵がその衝突時間を 『冬の朝の6時』と、導きだしたことに対して、『 時間までもが、判るはずがない!』と、云われるお方が(現科学も^^?)いたら、もう一度前々の記事を読み返して下さい^^!。その一つ一つの論や記事は、拙くて誤りもあるとは思いますが、すべてのことが絡み合った時、揺るぎない史実として後世に残るであろう。これが貴方に、現科学に伝わるのは、後何年かかるのでしょうか?、ちょっち疲れました。(^-^!)
『 東北地方 ・ 祖先からの地名伝言 』 (↓ 拙電子出版より転載 )
その昔、(BC.2001年12月25日 未明の朝6時頃)
竜が飛んだと、“龍飛崎” 全天覆った“奥羽”の羽 “大槌・釜石”に降臨した。
“松前”のそちらに飛んだと“白神岬”、白光見たと“白神岳” 、真昼のようだと
“真昼岳”、私も見たよと“面白山”あな恐ろしや恐ろしや木々も白んだ“白髪山”
「しろひげやま」と読みます。立ち枯れて幹だけが白く残ったんでしょうかぁ?
巨大な津波が生誕した。
“水界峠・250m”のすぐそばに、津波で沈んだ“志津の川”、金の扇か
“金華山”舞い踊ったか“竜舞崎”、巨大津波を“歌津”とは酔狂人がいたもんだ。
“岩の手”を敲いて育った大津波、暴れん坊の大津波“牡鹿半島”を蹴散らかし、
花嫁さがして大津波、“志津川”越えて“津山”を越えて、後押しされて“追波川”
鹿の背越えて“渡の波”へ、巨石渦巻く“石巻”、“仙台”越えて“津の田んぼ”、
“次郎太郎山”が通せんボッ。 二俣かけたか大津波、津波は川を北上する。
“北上川”を北上する。 “志波姫”様を横目にし、“江刺”恋しや“花巻”恋し、
妬きもち焼いて“焼石岳”、黒く焼いたる“黒森山”、 それを眺めて“国見山”、
どうなるものかと“物見山871m”、“遠野”で眺める“物見山917m”、
袖を振られた大津波、 “盛岡”の先 “姫神山”へ、 土を盛っての贈り物、
シワぶきひとつ“紫波”の波、行かせてなるかと“区界峠”、節操ないと“八幡平”、
想いかなわじ“七時雨山”、ここから先は下り坂、力落として“一戸”へ、
“二戸・三戸”四歩と歩めず。 気を取り直して“五戸・六戸”、 “七戸”の先、
あの“恐山”、 力尽きたる大津波、 ふる里、目指して“八戸・九戸”
津のない十(とお・ツなし)で、お終いじゃあ!
十は、一つ~九つのツが付かないから「ツ無し」と読むんだって!なぜ付かないの?
この謎解きは「報告書」のどこやらで挑みましたが、それが何処だったか思い出せない。
(^-^!)
子供の頃、「何故に、これ等の地名が付いたのか?」と、不思議に思ったことが誰にもあるはずだ。「えっ?」考えたことがなかった^^? それは残念(笑い)」 上記は、ほんの一例ですが、東北の地をよく知る貴方には、もっと々、たくさんあるはずだ。子供心を思い出し、そして追求しなければ、この巨大隕石を言う、祖先からの伝言は貴方(今の科学)には伝わらない。
(10/04) ここにも、貴重な拍手が頂けていました^^。ありがとう御座います。
<巨大隕石の中心核>
ご訪問、ありがとう御座います。次の記事<モナドノック・残丘>は、10/1日の予定です。
記事のすべては、連続・関連モノです。お暇な方は「卑弥呼・・」からどうぞ(^-^)♪
電子出版: 極秘 推理報告書 『巨大隕石と、大津波』より、引用 ↓

巨大核の主道(電子出版:極秘推理報告書、136pより)
・・・、 ・・・、
あったぁ!! “釜石復活” そこには“凸部・雄岳”(1313m)と、その東には馬蹄形で凹状の、環状の、“釜石”があった。4色刷りのこの地図は、道路網を見るには都合がいいが、この謎解きのためには不都合で、買ったのは失敗だと思っていた。よくは見ていなかった。 ・・・、現在の(鉱石)採掘場を中心にしたのがいけなかった。
それを確かめるために5万分の1地形図で、“日向を中心にして”400mと500mの等高線の間を黄色蛍光ペンで塗ってみた。すると、きれいな馬蹄形が浮き上がってきた。
直径が約20km、この大きさなら、日本列島を“震撼”させることが出来る。その眼鏡(円形の凹地を隕石跡とみる)を掛ければ、“気仙沼も、広田も” 同方向の馬蹄形に見えてくる。祖先は、それが八方に散ったといっているのに、八大竜王だといっているのに。
自分でも先の謎解きでは“播きながら”と言っているのに。 わかっていながら、わかっていない。 巨大隕石は、“一つ”だと、どこかで固執している自分が“ある”のに気が付いた。 ・・・、・・・。
<釜石馬蹄形だけでは力不足??>
その後、この「Φ20kmの釜石馬蹄形」単一では、列島2千kmを震わせるには力不足だとして、当ブログのカテゴリー「巨大隕石」→川がないのに扇状地(胆沢扇状地)で、色々に挑んでいます。
※東北地方その他の気になる円環地形
拙記事の何処で書いたかあとで調べて入れます・・・(汗~!)調べました^^。
my記事・アーカイブ‘08/11月「東北地方の巨大隕石の痕跡を追う!」より、
広田湾に流れ出る気仙川を15kmほどさかのぼると<住田町>という地名のところがある。その町役場の北側≪直径約6km≫の山塊がその「隕石塊」だ!? その時を想像してみよう。仮に、その「隕石ボール」の、直径を1kmφ。 これが陸地にぶち当たる! 当然そこは沈み込み! 爆風が生じる! その爆風と飛翔岩石等で “コスモス地形” が出来た!?。 その花びら地形を南から時計回りで、(犬頭山)大平山691m、 叶倉山729m、 樺山沢、加労山730m、 火の土川、 鷹取山、 母衣下山587m。 そして、この辺りの地形は花びらが少し崩れるが、高森山718m・愛染山1229m・五葉山・黒岩・大森で、一片の花びら。 これ等を 「コスモス連山」 と名付けておくことにします。 “火の土とは”隕石を言っているのでは?
<巨大隕石がつくる地形>
巨大隕石がつくる地形として、別冊電子出版では次のように考えていたが?
(地 形)円形か 円環状である。
(周 囲)盛り上がるか放射痕跡がある。あるいは周囲の地殻がヒビ割れることがある。
(岩 様)熔けているか 熔けている時がある あるいは岩体の片麻岩化がある。
(岩 質) これは素人探偵には難しいので保留とします^^!。
これに加え、太陽系の遙か彼方からやってきた冷え切った岩塊が、太陽熱で炙(あぶ)られ、潮汐力を受けて分裂したり、はたまた大気圏突入時の衝撃、空気との擦過熱による溶融。衝突による溶融と粉砕。さらに々に、それ等が津波で一瞬のうちに冷やされたとなると、一口に巨大隕石の痕跡といっても素人探偵の貧弱な知識では手に負えない。ご先祖さまは、その衝突熱がいつまでも冷めやらず、宮城県だったかな?<霧立山>の地名を遺していましたよ。♪(^-^)♪
註:片麻岩とは、岩石が圧力と熱を受けて<片岩状の縞模様>を造ることで[衝突元体]では、
その片麻岩化と溶岩化に加え周囲岩石の片麻岩化と溶岩化も考えられる。
岩石というのは“熔けて固まったもの”が岩石であり、私たちの観るその試片が最終的に
“何時、何処で固まったのか?”が問題となる。
『 地球は隕石の集合体である。』 平 素人
拙電子出版「巨大隕石と大津波」より、
<巨大隕石に対する従来の考えが役に立たない!>
地球は隕石の集合体である! この考えについては長文を要するので、(月別アーカイブ'08/11月の<小惑星の衝突と合体について>で少し述べています)別冊の電子出版にゆずりますが、筆者が今まで考えてきた『巨大隕石=固い岩体→衝突地形=円環地形』 の考えが役に立たない(現科学もか^^?)。四千年前の東北地方へ衝突した巨大隕石は、すい星軌道をとったことにより太陽熱で炙られ、さらに地球を半周したことによって大気との擦過熱で相当、軟化していたのではないだろうか? このことを確かめ言及するには、素人では“荷”が重いので、ここで筆を止めておきましょう、・・・(^-^!)
つぎの記事は、宮沢賢治がよく好んで用いたという東北地方のモナドノック(残丘)についてを予定しています。
しばらくお待ちください・・・^^!
(9/28)おやおや、久方ぶりの拍手(2)が頂けました。どなた様ありがとう御座います。^^♪
ご訪問、ありがとう御座います。次の記事<モナドノック・残丘>は、10/1日の予定です。
記事のすべては、連続・関連モノです。お暇な方は「卑弥呼・・」からどうぞ(^-^)♪
電子出版: 極秘 推理報告書 『巨大隕石と、大津波』より、引用 ↓

巨大核の主道(電子出版:極秘推理報告書、136pより)
・・・、 ・・・、
あったぁ!! “釜石復活” そこには“凸部・雄岳”(1313m)と、その東には馬蹄形で凹状の、環状の、“釜石”があった。4色刷りのこの地図は、道路網を見るには都合がいいが、この謎解きのためには不都合で、買ったのは失敗だと思っていた。よくは見ていなかった。 ・・・、現在の(鉱石)採掘場を中心にしたのがいけなかった。
それを確かめるために5万分の1地形図で、“日向を中心にして”400mと500mの等高線の間を黄色蛍光ペンで塗ってみた。すると、きれいな馬蹄形が浮き上がってきた。
直径が約20km、この大きさなら、日本列島を“震撼”させることが出来る。その眼鏡(円形の凹地を隕石跡とみる)を掛ければ、“気仙沼も、広田も” 同方向の馬蹄形に見えてくる。祖先は、それが八方に散ったといっているのに、八大竜王だといっているのに。
自分でも先の謎解きでは“播きながら”と言っているのに。 わかっていながら、わかっていない。 巨大隕石は、“一つ”だと、どこかで固執している自分が“ある”のに気が付いた。 ・・・、・・・。
<釜石馬蹄形だけでは力不足??>
その後、この「Φ20kmの釜石馬蹄形」単一では、列島2千kmを震わせるには力不足だとして、当ブログのカテゴリー「巨大隕石」→川がないのに扇状地(胆沢扇状地)で、色々に挑んでいます。
※東北地方その他の気になる円環地形
拙記事の何処で書いたかあとで調べて入れます・・・(汗~!)調べました^^。
my記事・アーカイブ‘08/11月「東北地方の巨大隕石の痕跡を追う!」より、
広田湾に流れ出る気仙川を15kmほどさかのぼると<住田町>という地名のところがある。その町役場の北側≪直径約6km≫の山塊がその「隕石塊」だ!? その時を想像してみよう。仮に、その「隕石ボール」の、直径を1kmφ。 これが陸地にぶち当たる! 当然そこは沈み込み! 爆風が生じる! その爆風と飛翔岩石等で “コスモス地形” が出来た!?。 その花びら地形を南から時計回りで、(犬頭山)大平山691m、 叶倉山729m、 樺山沢、加労山730m、 火の土川、 鷹取山、 母衣下山587m。 そして、この辺りの地形は花びらが少し崩れるが、高森山718m・愛染山1229m・五葉山・黒岩・大森で、一片の花びら。 これ等を 「コスモス連山」 と名付けておくことにします。 “火の土とは”隕石を言っているのでは?
<巨大隕石がつくる地形>
巨大隕石がつくる地形として、別冊電子出版では次のように考えていたが?
(地 形)円形か 円環状である。
(周 囲)盛り上がるか放射痕跡がある。あるいは周囲の地殻がヒビ割れることがある。
(岩 様)熔けているか 熔けている時がある あるいは岩体の片麻岩化がある。
(岩 質) これは素人探偵には難しいので保留とします^^!。
これに加え、太陽系の遙か彼方からやってきた冷え切った岩塊が、太陽熱で炙(あぶ)られ、潮汐力を受けて分裂したり、はたまた大気圏突入時の衝撃、空気との擦過熱による溶融。衝突による溶融と粉砕。さらに々に、それ等が津波で一瞬のうちに冷やされたとなると、一口に巨大隕石の痕跡といっても素人探偵の貧弱な知識では手に負えない。ご先祖さまは、その衝突熱がいつまでも冷めやらず、宮城県だったかな?<霧立山>の地名を遺していましたよ。♪(^-^)♪
註:片麻岩とは、岩石が圧力と熱を受けて<片岩状の縞模様>を造ることで[衝突元体]では、
その片麻岩化と溶岩化に加え周囲岩石の片麻岩化と溶岩化も考えられる。
岩石というのは“熔けて固まったもの”が岩石であり、私たちの観るその試片が最終的に
“何時、何処で固まったのか?”が問題となる。
『 地球は隕石の集合体である。』 平 素人
拙電子出版「巨大隕石と大津波」より、
<巨大隕石に対する従来の考えが役に立たない!>
地球は隕石の集合体である! この考えについては長文を要するので、(月別アーカイブ'08/11月の<小惑星の衝突と合体について>で少し述べています)別冊の電子出版にゆずりますが、筆者が今まで考えてきた『巨大隕石=固い岩体→衝突地形=円環地形』 の考えが役に立たない(現科学もか^^?)。四千年前の東北地方へ衝突した巨大隕石は、すい星軌道をとったことにより太陽熱で炙られ、さらに地球を半周したことによって大気との擦過熱で相当、軟化していたのではないだろうか? このことを確かめ言及するには、素人では“荷”が重いので、ここで筆を止めておきましょう、・・・(^-^!)
つぎの記事は、宮沢賢治がよく好んで用いたという東北地方のモナドノック(残丘)についてを予定しています。
しばらくお待ちください・・・^^!
(9/28)おやおや、久方ぶりの拍手(2)が頂けました。どなた様ありがとう御座います。^^♪
ご訪問ありがとう御座います。本日('16/9/15)をもって、この記事の掲載を終えています。
当分の間、次の記事の予定がありません。長駄文へのお付き合いありがとう御座いました。
(12/28) 3ヶ月ほどネットを中断していました^^!。
中断中にも関わりませず日々訪問して下さった皆さまへ、わたしには出来ないこと。深く感謝いたします。ありがとうございました。 ことしも残り少なくなりました。どうぞよいお年を^-^♪
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この広報を始めてから29年経ちました。どうしたらこれが世に伝わるのかその謎がいまだに解けない。現状は、「天動説中の地動説!」 素人にも分かるような簡単なことなのに。あなた様が事が成ってから大騒ぎする世間様とおなじであって欲しくないと思います。現科学は、いつになったら気付いてくださるのでしょうかぁ? 往々にしてこのような大論はその没後に認められるもの、少々ボケも入って参りました。出来れば存命中にお願いしたいのですがぁ~~-~!
史実探偵: 平 素 人
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<巨大隕石の衝突核: 釜石鉱山>
(副題) その痕跡を探せ!! ’16/7/18 ~7/20
釜石鉱山をBC.2001年に衝突した巨大隕石だと掲げて○○年になる。人文史的には、地名という祖先からの伝言(別紙)をえて、かなりいい線(myブログで)まで踏み込んだと自負しているが、地質学的には、国土地理院の地質図を取り寄せては見たものも、まったくその痕跡が見当たらず専門家の教えを待つしかないと思っていた。これも何年か前になるが 『釜石鉱山の鉱質の分布図や岩様』 を求めようと電話するも、閉山されていて保安業務のみとのことであった。その時、地勢図で得た“釜石馬蹄形”より先には進んでいなかった。
この度、ウエブで(釜石鉱山)天狗森鉱床 「水平鉱床」という情報をえてヒラメクものがあり素人なりにその解明に挑むことにした。解明というにはおこがましく、無知や間違いを含めた想像に近いものではあるが、あえて問題を提起し専門家のご意見を聞きたいと思う。下記がその断面の想像図です。
<天狗森鉱床断面想像図> '16/7/18作成 (コピー喧伝OKです^^)

天狗森鉱床 縦横同比率 想像図

<天狗森鉱床は「石灰接触鉱床」>
わたしは、この意味、状態がよく分からなかった。この地には露岩としての石灰岩は近くにも分布しているし、鍾乳洞もあったと思う。 このことから、かつての海底堆積物の上に太平洋側から押し寄せられた鉱床が乗っかり、後に浮上したとする説があったが、筆者はその両方とも理解に苦しむ。 石灰分がそのように海底で層を成すほどに堆積するものなのか? ならば現在に太平洋海底でそのような場所があってもいいはずだが? そして、この広大な太平洋は、(ギュヨーを除き)マンガン塊や希土類の堆積はあるものの、安山岩を有しない地域であり、約2億年で?湧き上がり塗り変わるというその海底地殻に鉱質を含んでいる部分があるとは思えない。私は大洋殻の成因と陸の成因はまったく別のものと考えています。釜石鉱山の場合(別述の)巨大津波によって図のように、すでに陸上に打ち寄せられていた石灰床の上に金属核を持った小惑星体が落下したのである。
<水平鉱床>
水平鉱床ということは、平たいということであり、他の鉱床と比較して薄平たいということを形容していると思われる。では何故、隕石がぶつかって薄べったくなったのか。それにはその飛翔体の温度にある。この小惑星体は彗星の軌道をとり(別紙報告書)太陽への近日点を地球より内側にもっていた。当然太陽に炙られている。仮にその飛翔体の直径を20kmφとしておこう。それが日本時間の冬至の朝、イースター島上空の大気圏に突入した。この時その表面は極度の高温にさらされる。そして大気との衝撃力は大変なものだ。いくつかに分裂しナスカ上空、ドーバー海峡上空へとゆく。欧州の祖先はそれを赤鼻のトナカイと表現しているから、その主核は赤かったと思われる。その後も表皮を落としながら日本へと向かってゆく。最終的な直径は、これも仮の仮で10kmφとしておこう。日本の祖先は、その飛翔体を火の鳥として伝承し、止まり木である鳥居に朱色の赤をもちいている。ということは、その巨塊の表面温度は700℃~800℃。この温度は鉄が赤色化する温度。岩石の溶融する温度は約?℃ ~1600℃であるから熔ける前段階の温度である。
<飛翔中の小惑星塊の内部温度>
図は惑星内部のモデル(注:拙論)である。無重力空間で、各々の存在量が図のごとくで、全溶融して「重い金属等が沈殿化」してゆく時間があれば図ような形態を示すものである。だが実際にはこのような完全形ではなくて未完結の形をとっていると思われる。だから釜石鉱山総延長○○○kmの坑道を調べれば、その内部構造が解明できると思ったのだが、その時は保安業務のみを残して閉山中であった。
今は学術的な試掘や、予約の児童生徒の見学団体は受け付けているようで、
個人的な観光客は受け付けていない。 鉱泉水の販売を始めているとか^^♪
<その衝突を想像してみよう>
この星は太陽系の遥かかなたからやって来た。彗星軌道をとっているので当然冷え切っている。太陽に近づくにつれ表層は炙られガス化して長い尾を引いていく。ケプラーの法則により太陽に近づくにつれそのスピードを増す。近日点をすぎるとスイングバイを受けてハンマー投げのごとくに放り投げられる。時は、地球の冬至点近く(別紙祖先からの伝言より)。地球公転面に対しては約25°角を想定しています。別紙極秘報告書「巨大隕石と大津波」P12の図より
↑これは当ブログの原本となるもので本年'16/10/21に掲載終了です^^! ご希望の方は、 お早めにどうぞ)
その公転面の上部から入り下方に抜けて北半球冬至時のイースター島上空へと向かう。この時、気を付けないといけないのは、そのスピードと塊の大小だ。太陽脇を通り過ぎるスピードが速ければ太陽から受ける熱は少ないし、その塊が大きければ表層のみ炙られてその内部まで熱は浸透しない。焼き鳥で実験できます(笑い)。 その通り道になったナスカ地上絵(別紙)では分裂を表す絵が描かれていることから、そのスピードはかなり速く表面のみの加熱であり表層剥離をおこしたことが考えられる。専門家ならば結果から逆算できると思います。
<飛翔時の内部を考える>
その飛翔体の内部では、空を飛ぶジェット機内でのアナタとわたしの関係~~! しかし、加速していればGという力を受けてその金属核は後ろへもっていかれる。空気等の抵抗を受けて減速していれば内核は前に移動する。これに地球引力の潮汐力を受けるから、さらに話はヤヤコシクなる。北海道の住民は、その飛翔物体を 『空知郡』、『美唄』 といい血の赤い色をしてビリバリと音がしたと言っているから、衝突の直前まで溶融前の赤い温度であったと思われる。
<そして衝突の時を迎える!>
馬蹄形の形状(→私が仰ぐ岩淵先生は視力検査のランドルト環)から、かなり斜めからの突入と思われる。岩石中の金属核は車のダミーのごとくフロントガラスを突き破る。だから馬蹄形になったのだ。その全体としては、多くの巨大隕石が示す凹部形状をとるが、その二つの合力によりランドルト環となった。このことから天狗森鉱床はランドルト環に沿って存在していると予測できる。前図の銅系金属や重金属系は、筆者の知識不足でイマイチその行動が推めてないが、衝突の力は重いものにより大きく働くので、内核に金や銀が含まれていれば衝突熱により全溶融しているはずだから図の<日向>より南東の地下に眠っているかも知れない。もし、遊び心があってお金持ちで行動力のある貴方さまや、団体があったら、 図の辺りをボーリングなさるといい^^。 但し、金の性質の一つに延性が強く “うすく平べった” になっている可能性があるので採算にあうかどうかは掘ってみてから考えたい。たいして深くはないと思いますよ~~♪。
私たちは、普通に巨大隕石は固い巌(いわお)の塊だと思っているが、実際の宇宙空間には様々な形態をした天体が存在している。「地球生命体」をいう学者がおられたが、地球は岩石という主食と、金属という骨成分と、汚れた氷玉という水成分まで食している。その一つだけと 論じていれば偏食になってしまう^^!。 ( 中学生諸君に^^!)
<宝さがし耳寄りな話^^♪>
以上を考察して、大地と巨大隕石の接触部では千度に近い接触差があり、想像を絶する反応が行われる。自然界で重金属のイリジウムや、オスミウムが生成するのは、巨大質量をもつ天体内や巨大隕石の衝突で(ルイ・アルバレス)発成すると考えられている。それ等がどのように飛び散り、あるいは内包しているかは専門家の調査に待ちたい。さらに、隕石質が石灰床へいかに反応するかも?
先図の石灰床は、巨大隕石の熱と圧力を受けて結晶化し大理石化していると断言できる。
<さらに、ダイヤモンドの話に移ります>
この地の衝突前は巨杉が生い茂る緑豊かな森であった。それは<藤里>で立木した珪化木から推察することが出来る。この大衝突によって 「近郷の山は<毛無山>となり<黒森山>となって燃えつくした」 と祖先は言う。 さらに、炭化した木材の一部は、この時発生した巨大津波と泥流によって北上山地を越え北上川へと運ばれ泥炭化している。この話の “より詳しくは” 私と広報を共にされている 奥州市・岩淵國人先生の 『縄文の超々巨大津波』 文芸社のほうへどうぞ^^。
さらに々、その巨大津波は、その木々を岩手県<久慈・くじ>に大量に積み上げ、その流した木汁(くじゅう^^!)は琥珀と化し、国内最良の^^産地となっている。
ダイヤモンドの生成は、
炭素が○○○○℃の高温のもとで○○○気圧の極圧が○秒間続くことによって生成される。 筆者は、図にあるような場所の杉がそのような条件下にあったかどうかの確証は持てない.。しかしながら 「今までにこのような見方をしたお人が誰一人としていなかった」。もし、その川に流されている白色透明な石があったとしても、石英石と見まがいダイヤの原石であろう等とは、思っても見なかったに違いない。 この夏、多くの少年少女達が川に遊ぶ。 もし、白色透明な石を発見けたらガラスにこすって見なさるがいい。傷が付けばその小さな石片はダイヤかも知れない^^!。
< 最後に、 39°18′36″N, 141°48′09″E, 正否の確かめ!?>
この素人探偵の論の正否を確かめる方がある。それは図中の<岩倉山>西に赤い点線を引いた所の西Bと東Aで“温度差の違いによる境界が出来る”ことである。 Aの方で高温になった基岩が津波の水を被った時、その表面がガス化し気泡組織をつくることがある。このクボミの有りや無しやがこの論の正否を決定する。さらに、西と東で岩質や温度差による色の違い、輝石脈等があればこの論を補強してくれる。 そして、釜石鉱山の坑道内が観察できる貴方さまにお願いしたい。衝突時の溶融や片麻岩様化、金属の溶解度と変容、鍛造組織、大地との接触部で原子の変異 等々。その学術的価値と世界に与える影響は計り知れない。
私は、釜石を世界で初めての
『衝突惑星の内部が観察できる』 ジオパークにと願っています。 □
<What is this?>
岩手県 岩倉山の西 あたりの掘削地 2ヶ所 の 図 (橋野町分か?)
下図は国土地理院の電子版地図を略図化したもので、そちらで詳しくご覧になれます。
謎の 掘 削 地 2箇所!
+ (39°18′36″N , 141°48′06″E)
橘野町へ至る
↑
↑
△雄岳 1312m ↑
↑ - - - - )
i//////i くっさく地 )
↑ i /////// i )
△大峰山 i///////i )
△雌岳 1291m ( 峠越え)↑ )
・936 ↓ + ・962 ) △ 岩倉山
→ | 約 50m | ← ) 1059.1m
↓ i///////i )(跳ね返り痕)
i /////// i くっさく地 )
↓ i///////i )
↓ - - - -
↓
陸中大橋駅方面
釜石鉱山
↓
陸中大橋駅
◎ 誰が何のために掘ったのか??
国土地理院電子版で、岩手県釜石市岩倉山 1059.1mと、大峰山に挟まれた峠状の場所がある。そこに「謎の掘削地2ヶ所」がある。筆者が謎と称するのはその掘削の意味が判らないからである。道も定かでないような、その峠を挟んで約50mほどの広さで2箇所が掘られている。誰が、何時、何のために掘ったのか? 峠状のところを道を通すために切り通しにすることはある。しかし、アッチャコッチャの2箇所に分かれていたのではその意味をなさない(笑い)。その迂回路もあるようだ。
では、埋め立て用の土石の採集のためか? これも当たっていないように思える。この地方には石灰岩の掘削地は処々にある。それにしては小規模であるのが解せない。さらに、建築用材、陶器配合材、鑑賞石等、色々とあげることが出来るがいずれも?が付く。なぜなら、2箇所に分かれているからだ。
ならば、何のために??
筆者の推察の域をでないが、「岩様を調べるための学術調査の掘削」 ではないのか?
筆者が掲げるように「釜石馬蹄形」が巨大隕石体ならば、この峠あたりが衝突の境目となる。その時を想像を含めて再現してみよう800~℃の溶ける直前で大地に衝突する。岩体は溶けて放射線状に飛び流れていく。芯部の重いところは海方向へ押し出される。岩倉山から西の部分は大峰山方向へ流れていく。 と同時に登りきれなかった溶岩が反動を受けて東側へ彎曲した等高線となって現れている。その直後に大量の海水が大津波となって、その形状を固定して行く。このように水を被った溶岩が表す、いくつかの特徴がある。表面がガス化してエクボが出来ることは前述したが、極端な温度差によりクラフト(表皮)が出来て剥がれ易くなると付け加えておきます。
<探索好きの貴方さまにお願いしたい>
この峠、2箇所の掘削地には、長年広報してきた「釜石馬蹄形は巨大隕石だ」の正否を分ける地質学的な岩様が刻まれているはずだ。その報告を雪のふる前に聞きたいものです。
気になっていた上記の「細越峠の採掘跡の件」判明しました。 ( '17/ 7/31 )
釜石鉱山・総務部の太田さまより、ご親切丁寧な資料を頂きましたところによりますと、
当時の鉄鉱石の探掘で「品位のいいものが採掘できなかったと聞く」とのことでした。
史実探偵: 平 素人
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長駄文へのお付き合いありがとう御座いました。当分の間、次の記事の予定はありません。
この記事の送付活動にうつります。 Dr.ワトソンを捜して・・・・・・・・・・・・・・・^^!、
'16/9/2 どなた様> 拍手をありがとう御座います。出来ればコメントを置いて下されば、尚うれしいです。反論も結構です。なぜなら、その反論は、我が論の欠如部分であり、その反論に正答が出なければ、この論は受け入れて頂けないからです。無視されることがいちばん辛い^^!
'19/2/10 どなた様>累計3拍手目をありがとう御座います。何がお気に召したのでしょうか^^?
今後ともよろしくお願いいたします。できればコメントを^^!
当分の間、次の記事の予定がありません。長駄文へのお付き合いありがとう御座いました。
(12/28) 3ヶ月ほどネットを中断していました^^!。
中断中にも関わりませず日々訪問して下さった皆さまへ、わたしには出来ないこと。深く感謝いたします。ありがとうございました。 ことしも残り少なくなりました。どうぞよいお年を^-^♪
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この広報を始めてから29年経ちました。どうしたらこれが世に伝わるのかその謎がいまだに解けない。現状は、「天動説中の地動説!」 素人にも分かるような簡単なことなのに。あなた様が事が成ってから大騒ぎする世間様とおなじであって欲しくないと思います。現科学は、いつになったら気付いてくださるのでしょうかぁ? 往々にしてこのような大論はその没後に認められるもの、少々ボケも入って参りました。出来れば存命中にお願いしたいのですがぁ~~-~!
史実探偵: 平 素 人
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<巨大隕石の衝突核: 釜石鉱山>
(副題) その痕跡を探せ!! ’16/7/18 ~7/20
釜石鉱山をBC.2001年に衝突した巨大隕石だと掲げて○○年になる。人文史的には、地名という祖先からの伝言(別紙)をえて、かなりいい線(myブログで)まで踏み込んだと自負しているが、地質学的には、国土地理院の地質図を取り寄せては見たものも、まったくその痕跡が見当たらず専門家の教えを待つしかないと思っていた。これも何年か前になるが 『釜石鉱山の鉱質の分布図や岩様』 を求めようと電話するも、閉山されていて保安業務のみとのことであった。その時、地勢図で得た“釜石馬蹄形”より先には進んでいなかった。
この度、ウエブで(釜石鉱山)天狗森鉱床 「水平鉱床」という情報をえてヒラメクものがあり素人なりにその解明に挑むことにした。解明というにはおこがましく、無知や間違いを含めた想像に近いものではあるが、あえて問題を提起し専門家のご意見を聞きたいと思う。下記がその断面の想像図です。
<天狗森鉱床断面想像図> '16/7/18作成 (コピー喧伝OKです^^)

天狗森鉱床 縦横同比率 想像図

<天狗森鉱床は「石灰接触鉱床」>
わたしは、この意味、状態がよく分からなかった。この地には露岩としての石灰岩は近くにも分布しているし、鍾乳洞もあったと思う。 このことから、かつての海底堆積物の上に太平洋側から押し寄せられた鉱床が乗っかり、後に浮上したとする説があったが、筆者はその両方とも理解に苦しむ。 石灰分がそのように海底で層を成すほどに堆積するものなのか? ならば現在に太平洋海底でそのような場所があってもいいはずだが? そして、この広大な太平洋は、(ギュヨーを除き)マンガン塊や希土類の堆積はあるものの、安山岩を有しない地域であり、約2億年で?湧き上がり塗り変わるというその海底地殻に鉱質を含んでいる部分があるとは思えない。私は大洋殻の成因と陸の成因はまったく別のものと考えています。釜石鉱山の場合(別述の)巨大津波によって図のように、すでに陸上に打ち寄せられていた石灰床の上に金属核を持った小惑星体が落下したのである。
<水平鉱床>
水平鉱床ということは、平たいということであり、他の鉱床と比較して薄平たいということを形容していると思われる。では何故、隕石がぶつかって薄べったくなったのか。それにはその飛翔体の温度にある。この小惑星体は彗星の軌道をとり(別紙報告書)太陽への近日点を地球より内側にもっていた。当然太陽に炙られている。仮にその飛翔体の直径を20kmφとしておこう。それが日本時間の冬至の朝、イースター島上空の大気圏に突入した。この時その表面は極度の高温にさらされる。そして大気との衝撃力は大変なものだ。いくつかに分裂しナスカ上空、ドーバー海峡上空へとゆく。欧州の祖先はそれを赤鼻のトナカイと表現しているから、その主核は赤かったと思われる。その後も表皮を落としながら日本へと向かってゆく。最終的な直径は、これも仮の仮で10kmφとしておこう。日本の祖先は、その飛翔体を火の鳥として伝承し、止まり木である鳥居に朱色の赤をもちいている。ということは、その巨塊の表面温度は700℃~800℃。この温度は鉄が赤色化する温度。岩石の溶融する温度は約?℃ ~1600℃であるから熔ける前段階の温度である。
<飛翔中の小惑星塊の内部温度>
図は惑星内部のモデル(注:拙論)である。無重力空間で、各々の存在量が図のごとくで、全溶融して「重い金属等が沈殿化」してゆく時間があれば図ような形態を示すものである。だが実際にはこのような完全形ではなくて未完結の形をとっていると思われる。だから釜石鉱山総延長○○○kmの坑道を調べれば、その内部構造が解明できると思ったのだが、その時は保安業務のみを残して閉山中であった。
今は学術的な試掘や、予約の児童生徒の見学団体は受け付けているようで、
個人的な観光客は受け付けていない。 鉱泉水の販売を始めているとか^^♪
<その衝突を想像してみよう>
この星は太陽系の遥かかなたからやって来た。彗星軌道をとっているので当然冷え切っている。太陽に近づくにつれ表層は炙られガス化して長い尾を引いていく。ケプラーの法則により太陽に近づくにつれそのスピードを増す。近日点をすぎるとスイングバイを受けてハンマー投げのごとくに放り投げられる。時は、地球の冬至点近く(別紙祖先からの伝言より)。地球公転面に対しては約25°角を想定しています。別紙極秘報告書「巨大隕石と大津波」P12の図より
↑これは当ブログの原本となるもので本年'16/10/21に掲載終了です^^! ご希望の方は、 お早めにどうぞ)
その公転面の上部から入り下方に抜けて北半球冬至時のイースター島上空へと向かう。この時、気を付けないといけないのは、そのスピードと塊の大小だ。太陽脇を通り過ぎるスピードが速ければ太陽から受ける熱は少ないし、その塊が大きければ表層のみ炙られてその内部まで熱は浸透しない。焼き鳥で実験できます(笑い)。 その通り道になったナスカ地上絵(別紙)では分裂を表す絵が描かれていることから、そのスピードはかなり速く表面のみの加熱であり表層剥離をおこしたことが考えられる。専門家ならば結果から逆算できると思います。
<飛翔時の内部を考える>
その飛翔体の内部では、空を飛ぶジェット機内でのアナタとわたしの関係~~! しかし、加速していればGという力を受けてその金属核は後ろへもっていかれる。空気等の抵抗を受けて減速していれば内核は前に移動する。これに地球引力の潮汐力を受けるから、さらに話はヤヤコシクなる。北海道の住民は、その飛翔物体を 『空知郡』、『美唄』 といい血の赤い色をしてビリバリと音がしたと言っているから、衝突の直前まで溶融前の赤い温度であったと思われる。
<そして衝突の時を迎える!>
馬蹄形の形状(→私が仰ぐ岩淵先生は視力検査のランドルト環)から、かなり斜めからの突入と思われる。岩石中の金属核は車のダミーのごとくフロントガラスを突き破る。だから馬蹄形になったのだ。その全体としては、多くの巨大隕石が示す凹部形状をとるが、その二つの合力によりランドルト環となった。このことから天狗森鉱床はランドルト環に沿って存在していると予測できる。前図の銅系金属や重金属系は、筆者の知識不足でイマイチその行動が推めてないが、衝突の力は重いものにより大きく働くので、内核に金や銀が含まれていれば衝突熱により全溶融しているはずだから図の<日向>より南東の地下に眠っているかも知れない。もし、遊び心があってお金持ちで行動力のある貴方さまや、団体があったら、 図の辺りをボーリングなさるといい^^。 但し、金の性質の一つに延性が強く “うすく平べった” になっている可能性があるので採算にあうかどうかは掘ってみてから考えたい。たいして深くはないと思いますよ~~♪。
私たちは、普通に巨大隕石は固い巌(いわお)の塊だと思っているが、実際の宇宙空間には様々な形態をした天体が存在している。「地球生命体」をいう学者がおられたが、地球は岩石という主食と、金属という骨成分と、汚れた氷玉という水成分まで食している。その一つだけと 論じていれば偏食になってしまう^^!。 ( 中学生諸君に^^!)
<宝さがし耳寄りな話^^♪>
以上を考察して、大地と巨大隕石の接触部では千度に近い接触差があり、想像を絶する反応が行われる。自然界で重金属のイリジウムや、オスミウムが生成するのは、巨大質量をもつ天体内や巨大隕石の衝突で(ルイ・アルバレス)発成すると考えられている。それ等がどのように飛び散り、あるいは内包しているかは専門家の調査に待ちたい。さらに、隕石質が石灰床へいかに反応するかも?
先図の石灰床は、巨大隕石の熱と圧力を受けて結晶化し大理石化していると断言できる。
<さらに、ダイヤモンドの話に移ります>
この地の衝突前は巨杉が生い茂る緑豊かな森であった。それは<藤里>で立木した珪化木から推察することが出来る。この大衝突によって 「近郷の山は<毛無山>となり<黒森山>となって燃えつくした」 と祖先は言う。 さらに、炭化した木材の一部は、この時発生した巨大津波と泥流によって北上山地を越え北上川へと運ばれ泥炭化している。この話の “より詳しくは” 私と広報を共にされている 奥州市・岩淵國人先生の 『縄文の超々巨大津波』 文芸社のほうへどうぞ^^。
さらに々、その巨大津波は、その木々を岩手県<久慈・くじ>に大量に積み上げ、その流した木汁(くじゅう^^!)は琥珀と化し、国内最良の^^産地となっている。
ダイヤモンドの生成は、
炭素が○○○○℃の高温のもとで○○○気圧の極圧が○秒間続くことによって生成される。 筆者は、図にあるような場所の杉がそのような条件下にあったかどうかの確証は持てない.。しかしながら 「今までにこのような見方をしたお人が誰一人としていなかった」。もし、その川に流されている白色透明な石があったとしても、石英石と見まがいダイヤの原石であろう等とは、思っても見なかったに違いない。 この夏、多くの少年少女達が川に遊ぶ。 もし、白色透明な石を発見けたらガラスにこすって見なさるがいい。傷が付けばその小さな石片はダイヤかも知れない^^!。
< 最後に、 39°18′36″N, 141°48′09″E, 正否の確かめ!?>
この素人探偵の論の正否を確かめる方がある。それは図中の<岩倉山>西に赤い点線を引いた所の西Bと東Aで“温度差の違いによる境界が出来る”ことである。 Aの方で高温になった基岩が津波の水を被った時、その表面がガス化し気泡組織をつくることがある。このクボミの有りや無しやがこの論の正否を決定する。さらに、西と東で岩質や温度差による色の違い、輝石脈等があればこの論を補強してくれる。 そして、釜石鉱山の坑道内が観察できる貴方さまにお願いしたい。衝突時の溶融や片麻岩様化、金属の溶解度と変容、鍛造組織、大地との接触部で原子の変異 等々。その学術的価値と世界に与える影響は計り知れない。
私は、釜石を世界で初めての
『衝突惑星の内部が観察できる』 ジオパークにと願っています。 □
<What is this?>
岩手県 岩倉山の西 あたりの掘削地 2ヶ所 の 図 (橋野町分か?)
下図は国土地理院の電子版地図を略図化したもので、そちらで詳しくご覧になれます。
謎の 掘 削 地 2箇所!
+ (39°18′36″N , 141°48′06″E)
橘野町へ至る
↑
↑
△雄岳 1312m ↑
↑ - - - - )
i//////i くっさく地 )
↑ i /////// i )
△大峰山 i///////i )
△雌岳 1291m ( 峠越え)↑ )
・936 ↓ + ・962 ) △ 岩倉山
→ | 約 50m | ← ) 1059.1m
↓ i///////i )(跳ね返り痕)
i /////// i くっさく地 )
↓ i///////i )
↓ - - - -
↓
陸中大橋駅方面
釜石鉱山
↓
陸中大橋駅
◎ 誰が何のために掘ったのか??
国土地理院電子版で、岩手県釜石市岩倉山 1059.1mと、大峰山に挟まれた峠状の場所がある。そこに「謎の掘削地2ヶ所」がある。筆者が謎と称するのはその掘削の意味が判らないからである。道も定かでないような、その峠を挟んで約50mほどの広さで2箇所が掘られている。誰が、何時、何のために掘ったのか? 峠状のところを道を通すために切り通しにすることはある。しかし、アッチャコッチャの2箇所に分かれていたのではその意味をなさない(笑い)。その迂回路もあるようだ。
では、埋め立て用の土石の採集のためか? これも当たっていないように思える。この地方には石灰岩の掘削地は処々にある。それにしては小規模であるのが解せない。さらに、建築用材、陶器配合材、鑑賞石等、色々とあげることが出来るがいずれも?が付く。なぜなら、2箇所に分かれているからだ。
ならば、何のために??
筆者の推察の域をでないが、「岩様を調べるための学術調査の掘削」 ではないのか?
筆者が掲げるように「釜石馬蹄形」が巨大隕石体ならば、この峠あたりが衝突の境目となる。その時を想像を含めて再現してみよう800~℃の溶ける直前で大地に衝突する。岩体は溶けて放射線状に飛び流れていく。芯部の重いところは海方向へ押し出される。岩倉山から西の部分は大峰山方向へ流れていく。 と同時に登りきれなかった溶岩が反動を受けて東側へ彎曲した等高線となって現れている。その直後に大量の海水が大津波となって、その形状を固定して行く。このように水を被った溶岩が表す、いくつかの特徴がある。表面がガス化してエクボが出来ることは前述したが、極端な温度差によりクラフト(表皮)が出来て剥がれ易くなると付け加えておきます。
<探索好きの貴方さまにお願いしたい>
この峠、2箇所の掘削地には、長年広報してきた「釜石馬蹄形は巨大隕石だ」の正否を分ける地質学的な岩様が刻まれているはずだ。その報告を雪のふる前に聞きたいものです。
気になっていた上記の「細越峠の採掘跡の件」判明しました。 ( '17/ 7/31 )
釜石鉱山・総務部の太田さまより、ご親切丁寧な資料を頂きましたところによりますと、
当時の鉄鉱石の探掘で「品位のいいものが採掘できなかったと聞く」とのことでした。
史実探偵: 平 素人
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長駄文へのお付き合いありがとう御座いました。当分の間、次の記事の予定はありません。
この記事の送付活動にうつります。 Dr.ワトソンを捜して・・・・・・・・・・・・・・・^^!、
'16/9/2 どなた様> 拍手をありがとう御座います。出来ればコメントを置いて下されば、尚うれしいです。反論も結構です。なぜなら、その反論は、我が論の欠如部分であり、その反論に正答が出なければ、この論は受け入れて頂けないからです。無視されることがいちばん辛い^^!
'19/2/10 どなた様>累計3拍手目をありがとう御座います。何がお気に召したのでしょうか^^?
今後ともよろしくお願いいたします。できればコメントを^^!
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