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此処に 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」 あり!!
卑弥呼は魏から得た100枚の銅鏡に換えて出雲と “同じ決め事”で 持ち寄った銅剣と銅鐸を封印した!
竜の食台・<忘却のかなた天空平>
        竜の食台・<忘却のかなた天空平>
 <天空平> 昔、雨乞い! 今、ライブ ♪
天空平・てんくうだいら、というのは、富山県・氷見市(ひみし)の八代地区にある山の、山頂近くが平らになった地名です。 「平」とか、「台」とかがつく地名は、その昔、そこで竜神を呼び寄せ“生け贄”をささげ、慈雨との交換を願った “竜の食台” だと、すでに別紙(報告書)で謎解きしています。  拙・電子出版 極秘報告書「巨大隕石と大津波」 ←クリックで転送(^^!)
 その<天空平>を知ったのは、私が美しい写真とご記事に惹かれ、度におうかがいしているブログ
≪Gackt コスで今宵もお散歩~♪≫で掲載されて、その地が今の私達はおろか、今の史学からもまったく忘れ去られていることに強い興味をいだき、ご快諾を得て拙ブログで取り上げることにしました。
        (只今の追記は5/30です。コメント欄(~5/26)が面白いかも♪)
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                【 新来の お客さまへ お知 ら せ 】
 ご訪問に心より感謝いたします。 駄文長文を連ねてはありますが、拙記事は、世紀をくつがえす始まりでもあります。そして各記事は単発ものの要領で書いてはありますが、一本の剛線でつながっております。 お時間の許される方は、どうぞカテゴリー別でもお楽しみください。 それを云う『祖先からの伝言』を神話だ!迷信だ!地名だ!と受け取らず、それ等は表現の違いであり、それ等には史実が潜んでいると<気付けば>簡単なこと♪
どうぞ、あなた様との出会いが千載一隅のチャンスと変わりますよう心より願って止みません。
                           2009 5 16 (^-^)史実探偵: 平 素人
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以下 、 ブログ Gackt コスで今宵もお散歩~♪   隊長Mさん>のご記事から、

     ≪ 春の恵み…≫   2009-03-29 Sun 12:17
 p-m.jpg ( 隊長Mさん>の写真です; ええ、とっても美人ですよ♪)

やれやれ先週は、ご近所の桜が狂い咲きで、満開になったと思ったら
その翌日には、またしても雪が降って、冬に逆戻りしてしまうし
雪の降る中、桜が咲いてるってのは、何だか妙な気分でした…(苦笑)
春は来ている筈なのに、冬が居座ってるのか、はたまた冬が去るのを
待ちきれない、そそっかしい春が割り込んでしまったのか…(爆)

週末は、少しだけ太陽が顔を覗かせたので、友人二人を誘って
例の白鳥の湖にドライブ…♪ 目的は、白鳥のご機嫌伺いは別として
そろそろ山菜の季節なので、タラの芽の成長具合も気になるし
どちらかと言うと、暇つぶし&食い気に誘われてが、今回の目的(苦笑)

それで何時もの如く、山道を車で走ってると、気になる看板発見
誘われて横道に行くと、道はどんどん上り坂になって、妙な空き地に…
ちなみに空き地の入り口には、最初に見つけた看板と同じ地名
これなんですが、「天空平」って…ラピュタの親戚か?

 tenkuu-1.jpg (写真)

でも空き地一帯を見回しても、何にも無いじゃん
 tenkuu-2.jpg (写真)

かすかに雲の下に、立山連邦らしきものも見えるが…
 tenkuu-3.jpg (写真)

湿地帯の脇には、雪まで残ってるし… ←寒いぞ~(泣)
 tenkuu-4.jpg (写真)

前進か引き返すか、迷ってる私達の前に、うわっ!第一村人登場
この第一村人の方に、空き地の先は、どうなっているのか伺うと…

私… 「この広場の先って、何が在るんですか?」
第一村人… 「う~ん何も無いよ、あそこで行き止まりだわ」
私… 「えっ?じゃあ、ただの空き地だけで、終わりですか?」
第一村人… 「まぁ氷見の街と、海は見下ろせるけど、それだけだわ…」

それを早く言ってよ!と思いつつも、丁重にお礼を言って、友人と空き地に
侵入したとこで振り返り、私… 「ここに入っても、いいのかしら?」
第一村人… 「あぁ、好きなだけ入っていいよ」 ←ちゃんと許可貰った、私(笑)
 で…雪解けの湿地と化した、広場の先端まで行ってみますと…
うはぁ~!見えた、氷見の海と街並みが、綺麗に見下ろせます♪

 tenkuu-5.jpg (写真)

欲を言えば、もう少し天気がよければ、隣町や立山連峰も見えたのに…
まぁ次の機会って事で…それより足元が、フキノトウだらけじゃん♪
元の道に戻る途中、路上に咲き乱れる、蕾だらけの菜の花を発見
車を降り、友人と菜の花を摘みながら、「今夜は菜の花ご飯を作るぅ~♪」

大収穫に喜んだ後は、最初の目的地、白鳥の湖に到着しましたが
湖はシーンと静まり返って、人が来ると餌を求め寄って来る、デブ白鳥の
姿が全く見えません それどころか鴨の数まで、少なくなってるし…

 tenkuu-6.jpg (写真)

・太り過ぎで死んだのか? はたまたダイエットに成功して、飛び去ったのか?
うるさい白鳥達でしたが居ないと、それはそれで寂しい気もしますね
ちょっと複雑な想いを抱いたまま、この湖を去って別の帰路に道を変えたら
名前は知らないけど 可愛いピンクの花が山の斜面に咲いてました

 tenkuu-7.jpg (写真)

山道を下って行くと、タラの芽を発見! でも芽は1Cm強で収穫は不可
諦めて帰宅しましたが、今夜のおかずは菜の花ご飯と、カラシ和え
フキノトウの天ぷらでキメます♪ ←お山の神様、ごちそう様でした~!
 今回は追加の写真を…♪ ↓ 本日作った、菜の花ご飯で~す

 tenkuu-8.jpg (写真) いろどり良くてとても美味しそう(^^)

軽く茹でて、塩漬けした菜の花と、紅生姜を刻み、熱々ご飯に混ぜました
    <以上です>
写真がなくてもおおよそは伝わってきますが・・・(^^!) この中に重要な「キーワード」が潜んでいます。 ( 紅生姜の赤色?)それは後のお楽しみに!
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<天空平>
天空平の地名が遠い昔からの地名か、今風に付け変えられた地名か、筆者は知らない。天空平は、富山湾を囲んだ西側で富山県の北端に位置する。近くには“大境洞窟住居跡”がある。 そこへ行くには、氷見市街から160号線?を北上し、<国見>と<小滝>の分岐点を左にとる。道は細いようだ。○○km程上ると表題のところへたどりつく。東西に約300m、南北に約150mほどの長円形の広場は草が生えていて立木はないのかな? 国土地理院電子版の地図でみる、この台形状の地形に注視したい。頂部はほぼ平らであるのに、その淵部は急峻していて人を寄せ付けがたい形状をしている。この形は、前述の岡山県・総社市の“鬼の城・きのじょう”と酷似している。もっとも、この<鬼の城>は、朝鮮式山城ではないかとされ、30ha?ほどの広さをもつ頂部で、その復元が図られている。

鬼の城には、西・南・東・北に門跡があり、それぞれの門外は急峻していて、人の出入りが難しいことから、筆者は、朝鮮式山城をとりいれた形式な門をしつらえた “雨乞い場” だと謎解きした。 天空平では、地図で見るかぎり「北」と「東」からが上り下りが楽なのかな? そして、これも推測が正しければ、門跡の大小は問わないが、形式的な「石の門跡」は必ずあるか、あったはずだ。 さらに、この広場に降った雨水がどちら側に流れるかは大きな問題だ。鬼の城では、版築土塁(土を突き固めて塀状にしたもの)で、全ての水が南側の人里がある方向に集められ流れ出るように設計されていた。(註; 念のために申し添えますがこの論は今の史学にない素人の独自論です。笑)

呼び寄せた“水神の化身”である竜は、東(北東)からやって来る。鬼の城では、東の竜門(*これも独自論です^^!)だけは円柱で設えてあったから、天空平でもその東端にはなにかの差違(石組みの)が認められるかも知れない。生け贄をささげ、その赤き血は、集められた雨水が流れ出(いずる)方向に垂らされる。鬼の城でのその川は<血吸川>と名付けられていた。 残る遺骸は火葬とし、「この煙どうか、雨雲に変わりませ!」と祈祷する。土葬が一般的な当時での火葬は、「死んでからまでも熱い思いはさせたくないよう!」の異例葬だ。

慈雨の願いがかなえば、竜神は西より雨雲を引っぱって来る。この考えは「四千年前の大事変がなした西行きの大津波・前記事」に起因する。その “慈雨の受け皿” が、天空平・西端から約125mほど下方にある直径約50mのちいさな池だ。 ( 初頭のご記事の白鳥が帰来?する池は、天空平とは別のものですと、隊長Mさん>よりありました。^^!) この池は稲作の取水とは別の位置にある。 この池の淵に何かの「祠・ほこらのありやなしやとそのいわれ」を調べて欲しい。祖先は驚くほど大切にそれ等を受け継ぎ残してきた。それ等の畏怖(いふ)や、畏敬を≪すっかり忘れだした≫のは戦後からかな?と認識しています。 

<特異な裾野をもつ天空平>
この天空平に接する(標高450m)山の北方に、西北に連なる分水嶺があり、原山(477m)、無名?(472m)、荒山峠(385m)が見える。その分水嶺からくだる雨水はわずか20kmほどで 灘浦湾にいたる。 そのなかにあって天空平の南東の裾野・約2kmは、まるで天空平から溶岩でも流れ出したような地形で、周囲より盛り上がり特異な扇状地形をしている。通常の風雨がつくる浸食では谷状になると思うのだが? はたまた近年にスキー場として造成したか?とも思ったが、それにしては勾配が約150m/2000mであり、斜度が緩すぎる。 
 
    <天空平周辺図> 国土地理院・電子版地形図より

 原山(477m)                      荒山峠(385m)
       後方の山△450m
    池○     <天空平>標高約400m、東西長約300m、南北長約150mの平地
               〔  \ ←人工の崖か?
          (露岩)(露岩
     人工の崖か?→{     \
                { 400m下方(撞木状地形)
                  標高(350m)        小滝(宮)
                 {         \        ↓
                            国 見
                  {←  700m   →\
                  {   標高(250m)    \
            (宮)胡桃          (宮) (宮)
 懸札  一刎       ↓
   余川川         ↓
     ↓         阿尾川、へ至る 

 <天空平の裾野の不思議>
①天空平・△裾野は、周囲より高く、その等高線は、なだらかな等間隔で下っている。
②天空平・△裾野の北辺の上部は、等高線が乱れ盛り土でもしたかと思われる?
③天空平・△裾野の南辺の上部も、自然地形に手を加えて崖部にしたか?
④天空平から約400m下方に、撞木(しゅもく)状の地形がある。
  *通常の風雨だけの浸食作用で出来た地形とは思えない!
   (もし、筆者がいうように、その自然地形に手を加え台状にしたのなら、その意味は?)

 <天空平に降った雨水は>
国見・胡桃 → 磯辺・針木 → 黒谷 → 吉滝 → 森寺(標高20m) → 指崎 → と、阿尾川を下り → 灘浦湾(富山湾の一部)に至る。

<国見>標高○○m
国見とは、高いところから下方の人里を眺めて付けられる地名。
社会学でいう“国”の定義はむつかしいので、それは避けて(^^!)、 “国”の考えは中国からの移入であり、この言葉が入ったのは前述の秦の始皇帝代に不老不死の仙薬を求めて列島に渡来した「除福」以降だと認識しています。筆者は、弥生期以前の社会集団をいう時、「国」ではなくて「郷」ということばを好んで使っています。
<胡桃>標高○○m
わかりません。ウェッブで調べました^^!。「胡」というのは異民族?「桃」は大陸からか?
<磯辺、針木>標高○○m
磯とは、海や湖の水際で岩や、石の多い所。標高○○mで<磯の地名??>
針木とは、松のことか? 古来、雨乞いにおいての御神木は 『山桜』 が本来であり、それが時代が下り御神木にする桜木の減少から圧倒的多数の「松」に代わっていったかと素人探偵は、推んでいます。
桜の付く地名は、竜の地名にからんで各所にあります。山にポツポツと咲く<山桜の“朱の色“は、山が血を噴いた赤い色と祖先は思った>とする素人の考えがあながち間違っているとは思っていません。桜の花が咲く時の樹液は赤い色をしているという植物学者がいましたからね。 桜木の古くは、農事呪縛 (のうじじゅばく) の木とか。 それが今では、物見胡散(ものみうさん)♪。 すっかり、その歴史さえも忘れています(^-^!)。
と、考えるのは素人の偏見で^^!)、知らず知らずのうちに桜の名所と雨乞いが重なっています。
<黒谷>標高○○m
黒谷・・・、「黒・・」、祖先が地名に「黒」とつける場合は要注意です。何故なら祖先は<今から四千年前の大事変による隕石の冬を歴史的に記憶>していて、雨乞いのための形式的な<暗天>地名としてつけることがあるからです。(これは素人の独自論です) 筆者は、黒とついた地名を総社市<黒尾地区>にしか立ったことがありませんが、そこが日当たりが悪い隠地(おんじ)とは思えず、何故に「黒」とつけたのか、そのイメージが湧かない! 多少、人家が少ないような気はしますが・・・^^!)、
(*カテゴリー「吉備地方」→総社市:鬼の城(きのじょう)を参照)

<氷見市“天空平”と、総社市“鬼の城”の地名配置は酷似している?>
                         〈北〉
            荒山峠                  登龍山  岩屋

  池○    <天空平>                (池)    <鬼の城>
     岩場あり     小滝(宮)       山頂付近に露岩あり    (急流)
                                     
     針山                           新山
              (宮) (宮)               西谷 経山       血吸川
   <黒谷>                       <黒尾>
  阿尾川                               砂川           阿曾
     ↓    →・・八代(○代神社)      や田・八代・・← ↓
 舟塚  ↓ 稲積              〈南〉           高塚↓ 菰口
     人里(氷見市)                           人里(総社市)
   <富山湾>                              <瀬戸内海>  

前に掲げた<隊長Mさま>のご記事に“重要なキーワード”が潜んでいると申しあげました。
私… 「この広場の先って、何が在るんですか?」
第一村人… 「う~ん何も無いよ、あそこで行き止まりだわ」
私… 「えっ?じゃあ、ただの空き地だけで、終わりですか?」
第一村人… 「まぁ氷見の街と、海は見下ろせるけど、それだけだわ…」


『氷見の街と、海が見下ろせる!』
<天空平>に立って、「 氷見の街と、海が見下ろせる」 このことが重要なのだ。
今の史学では、瀬戸内海が眺望できる鬼の城・きのじょうが、自然の巨岩を利用して石崖を築いていることから、これを(謎の)朝鮮式山城としているが、筆者はそうは思わない。おそらく、それ等は弥生期以前からの永続した施設であろうが、<竜神・雨乞い>という、ゆるやかな連帯感をもつ(八百万の神が出雲に集まる)社会において、戦争のための城は必要としない。戦闘の痕跡がある遺物が出土しているのは弥生期以降である。大陸と違い狭い範囲で海や、山、川の幸が得られる列島においては、争いが発生する要因が少なく、それが発生するのは、稲作の発達と共に土地の私有化がすすみ、水利権の奪い合いがあってから後だと考えている。

氷見の人里へ降る雨水は、高さ約400mをわずか20kmほどで海へ下る。(砂防ダムの写真がありました) また溜池が多いことからも、その昔この地に干害があったことが容易に推察できる。(これも隊長さんからです^^!) その高台で、竜神を呼び寄せ、生け贄をささげ慈雨を願う。高台から125mの?西にある小さな池が慈雨の受け皿だ。雨水の循環が<天空の雲→山間に降雨→川・人里→海→蒸発・昇天>する。この自然の理を縄文の人達が知り得ているのは当然だ。『海の見える高台で、その人里に慈雨を願う!』 その慈雨・厄災を司るのは「四千年前の荒神」であり、荒神は慈雨のかわりに生け贄を強要する。この地の生け贄が「何から始まり、どのようにエスカレートし、どのように終結」していったかの歴史を筆者は知らない。

<総社市・鬼の城と、氷見市・天空平に共通点が有りや無しや?>
『海の見える高台で、赤き血を源流にそそぎ、その遺骸を煙りに変え、「どうぞ、貴方様のお力で、この煙を雨雲に変えて下さい」と、その人里に慈雨を願う!』 その底流には、四千年前の大事変がもたらした慈雨(大雨)と、生け贄(厄災)との交換思想が根幹にあり、その生け贄はエスカレートして、「私達には、これ以上大切なものはありません!」と、3才~7才の稚児に変わっていった。 そして、その因習を止めさせようとしたのが卑弥呼であるとも謎解きした。
    (詳しくは、前述の 「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣と銅鐸」 へ、どうぞ♪(^-^)♪

1,  第一には、そこが人里と海が見える高台であり、頂部が比較的なだらかで、周囲が急峻している<八の字形の台地>であること。(この「八」という字と、その字形に含まれている色々な意味に注視する必要がある。たとえば「八方」→当地の<八代>○代神社、八幡信仰等もこれに根があるのかな?)

2, 鬼の城(総社市)にあったような、東西南北に形式的な門(筆者の説)がありやなしや?!
この門跡の規模の大きさこそ解らないが、自然崩壊や、人工の補修改築がなければ必ずあったはずだ! もし、それが小さいものであれば、方向石(筆者命名:楽譜台様の石)か、階段状の石組みが目安だ。この階段は竜が上り下りする階段かな(笑) もし、あなたが史跡に詳しくて興味がおありなら、きっと発見つかるかも知れませんよ♪ 但し、素人さんは、よっぽど気を付けないと見つかりませんよ。 私素人は、総社市・鬼の城の<北門跡>で、「ここにそれがあった」と、掲示されても分からないほどに荒れ果てていましたから。^^!

3. 岩場があること。鬼の城の南門跡か東門跡かが思い出せないが、「門」なのに人の出入りをはばむような大きな基岩があった。これが何を意味するのかは解らないが何かの意味があってのことに違いない。<天空平>にも南の崖下に二つの連なる岩場、露岩地帯がみえる。 これ等の岩場でいったい何が?
想像も含めて推理してみよう。生け贄の鮮血を受けるには器がいる。受けた鮮血は源流へそそぐ。使用後の器は?使えませんねえ。その器は<割り砕く>。この割り砕く行為は、所々にある。瀬戸内のタブレットと呼ばれる、破壊用?の土器片。香川県屋島の頂上から、厄よけ祈願?として素焼きのお皿をなげる。滋賀県・近江八幡の瓶割山。あるいは死者の食碗を割る風習。そのほか故意に割り砕かれたような土器が出土することがある。これ等は生け贄の鮮血を受けた土器を割り砕くことに始まったのではないだろうか?

もし、この推理が正しくて、あなたに冒険心があり、強運な方であれば、<天空平>から「割り砕いて投げた」その土器片が発見かるかもしれませんよ。但し、その確率は50%。これは「根も葉もない」ことを言っているのではありません。出雲の358本の銅剣の発掘は「一片の土器片の発見」から始まったのですから。念のためお二人以上で行ってくださいよ。危険防止のためと、その確証のためにねっ(笑)

4.山頂の広さの問題 
鬼の城>の台地頂部の広さは、約3○haであった。その頂部・縁部に沿うように遊歩道がつけられているが、現地では、地図からうける平地の感覚とはほど遠く、かなりの山坂はある。台地周囲の急峻さに対して、ほぼ平たくなっていると表現したほうがよさそうで゛ある。それに対して、
天空平>では、東西約300m、南北150m。<隊長M>さんのお写真やら「空き地」との言葉から推察するかぎりでは、かなりな平地のようだ。なんとかフェスティバルも開かれるようだし、野球場のグランドを思い浮かべてもいいのかな? 野球場にするとかなり広い。ふつう本塁からセンター間が120mだから、2面は充分とれる。この広さの平地が自然的要素だけで成しえたとは思えない。近時に重機が入って整地したのか? ならば<この話>は、アウトぉ~!!

 それを、ウエブで調べました。^^!
『(2007)9月8日に開かれた「天空ヒミオトフェスティバル in 国見」に行ってきました。 会場は氷見市八代地区、国見。 地すべり防止対策の一環として、平成元年から山の上部が削り取られた場所です。 今回このイベントで、「天空平」と名づけられました。』  万事休す! ゲームセット!?

<天空平>の話は、これで「ゲームセット!」・・・。 すべてが素人の思い過ごしか!?
 ならば、つぎなる疑問が生まれてくる。
何故、○○平米」の広さが空き地のままなのか? 何故、耕作地でないのか? このことは、そこが民有地でなくて、官地(公が所有する土地)であると推察できる。 祖先はこのように<いわく>ありげな場所は、そこが社寺の所有であったり、公共の持ち物として<冒すべかららず聖地>として遺すことがある。

史実探偵:素人が、是非に知りたいことがあります。
天空平の裾野・(標高250m)付近に<お宮のマーク>が、二つあります。お宮は一つの地区に一つあるのが普通と思うが「何故、二つあるのか?> その一つに【御前さま・おんざきさま】の名がついてはいないか?> 「前・まえ」とは、何かのまえであり、新名<天空平>の前に位置するお宮となるからである。雨乞いの考えからすれば、『どうぞ、その(・・灘の)海水を雨水に変えて下さい』と、お願いする海の前になるから、いにしえの昔にさかのぼることが出来る。


次に、<天空平>周辺地名(祖先からの伝言)の不思議?
<国見>
「郡・こおり」ではなく、「国」の地名がついているのは何故か? “四千年前”からの雨乞いという長い歴史のなかで、この「国見」の地名が定着したのは、何時か? 又、<氷見市・ひみし>の由来は? 何故「氷・こおり」と読まないで<ひ>と読むのか? 隊長Mさんのお写真にあった“火祭り”の火とも関係するのか・・・?
*火を扱う祭りは各地にあります。それは四千年前に空を飛んだ巨大隕石を模したものだと謎解きしています。
<胡桃>なんと読むのでしょうか^^!
「胡」は、胡瓜・きゅうりの「胡」か? と、すると「桃」の意味するものは、男と女・・・?
<小滝>
このような雨乞い・竜神文化があるとき、「小滝」の「小」は、“ちいさい”という意味ではなくて、大人・おとなになる前の段階。<吉滝>の前身。 そして滝という字を分解すると、竜がもたらした慈雨の落ちる場所。 この<小滝>で行者が“荒神さま”と対峙(たいじ)するための「行・ぎょう」を積んでいた場所だと謎解きしています。
<一刎・○ハネ>
この問題は、中学生も対象としているので、あまり深入りしたくないのですが、「刎ねる」とは、首を刎ねることか? 手を、足を、ハネるとは言わない。以前、九州の方だったかな。<耳納・みのう>。大阪に<箕面・みのう>という地名があったことから、人身供犠用の子を一般の子と区別するために、その耳を削いで『耳削・みそぎ→耳納・みのう』と謎解きしました。(“みのう”という言葉を変換すると色々でてきます) 又、その痕を隠すための“おかっぱ頭”だとも・・・。 だが「刎ねる」という地名は、あまりにも生々しい。こういった時には、(先の変換のように)当て字をあててその生々しさを避ける心理がはたらきます。しかるに「刎ねる」の地名がついているのはその生け贄が人ではなくて他の生き物の可能性が大と考えます。それは、亀か?鳥か?熊か? 熊だと北海道の影響を受けているかも知れないし、亀だと中国の影響を強く受けていると解釈できます。素人は、富山にある「四方突出型古墳」は亀の首を斬首した形か?と疑っています。 (以上は、素人の思いこみや偏見?からの推理であると強く申し述べておきます。)

<懸札・かけふだ> 童謡に隠された謎  この地名とその童謡に隠された謎とは??
     通りゃんせ~、通りゃんせ~、 ここは、どこの細道じゃ~
     天神さまの細道じゃ~、 ちょっと通してくだしゃんせ~
     ご用のないもの通しゃせぬ~、 この子の七つのお祝いに~
     お札を納めにまいります~、 行きはよいよい、帰りはこわい
     怖いながらも、通りゃんせ~~、 通りゃんせ~~~

生け贄については、今までに色々と記述してきましたので、ふり返ってくだされば助かります。
懸札>の意は名札をかけることである。 その名前とは、一歳で<宮参り・登録し>、七歳で<お役解除の厄明け>とする社会制度があり、登録した子の中から“白羽の矢”を立てた子を人身供犠用として召し上げ、人里離れた境内に隔離して育てていた。
この歌の「細道」は、人里離れた「天神様」へいく細道のことで、その入り口に門神が御座り、それとのやり取りがこの童謡となったものである。 門神とは、いかに衆生雨乞いのためとはいえ愛児恋しさのため取り返しにくる親をはばむためのものである。 最初は夫婦二人で始まったこの制度もだんだんと社会が充実化するにつれより強固な制度となり、人々の出生を管理する<政(まつりごと)・役場>の意味ももつようになっていった。そのなごりが<懸札>の地名だ。『やく』で変換すると、役、厄、焼く、等がでてくるのが興味ぶかい。

先に比定した、岡山県総社市鬼の城山(きのじょう)のほぼ中心部の建家の跡から[すずり]が出土している。 いかに防災のためとはいえ<天空平>にもあったであろうそれ等の遺跡は破壊されてしまった。 筆者は、それを責めているわけではない。それ等を<忘却のかなた>にしてしまった今の史学や、この私達に問題があると考えている。 この話はなにも<天空平>に限ったことではなく、今私達がお参りしている全国津々浦々の神社にも「その根源」があることに気付いてほしいと強く願っています。  2009 May 28 史実探偵: 平 素人

仮想メモリがなくなりました。^^!
つぎの記事は、富山県桜町遺跡に<銅鏡の入魂施設?>が遺っていた。
どうぞ、お楽しみに(^^!)♪
    
それが気になるお方は、ブログ≪Gackt コスで今宵もお散歩~♪≫コメ欄のほうへどうぞ♪
 つづきます♪



どなた様>拍手をありがとうございます。私の記憶では、2~3日前までは6拍かなと?^^!)
できれば<声援の一言を>おいてくださいね。でないとお礼の言いようがない(^^) -5/30-

只今('10 5/21)付け迄で、12拍になりました。(^-^)♪
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