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此処に 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」 あり!!
卑弥呼は魏から得た100枚の銅鏡に換えて出雲と “同じ決め事”で 持ち寄った銅剣と銅鐸を封印した!
卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」を発見けたい人この指とまれ!
史実探偵 ;  平 素人(ヒイラ モト)より、
 卑弥呼が埋めた・させた“大量の銅剣”を発見ける事は、有るか無いかも分からない「徳川の埋蔵金」を探し出すよりいとも簡単。あなたは、わたしの予言する所へ足を運べばいいだけだ!
但し、その“封印”を解くと、震えが止まらない程の 恐ろしい祟り(タタリ)があるかもヨ! (笑)
  出雲・野洲・神戸には、大量の銅鐸を寝かせて埋めるという 「共通した文化」 がある。
          “ 共通の文化には、共通の事象あり!”
その出雲で大量の銅剣類が出土している。共通の文化には、共通した事象があるならば、
「野洲や神戸にも」(そして吉備にも)出雲と全く同じような関係場所に、
100%の確率で “大量の銅剣類” がセットされて、1700年余の眠りに就いている!!!
遺物が出土してからでないと動けない動かない。 物証至上主義も美学だが、考古学をそんな魅力のない学問にしたくない。推理好きで遊び好きの貴方の参加を是非に希望します。
                                   Blog: since 2007  June 22,

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『ここ掘れワンワン^^♪』   You must dig here. bow wow^^.
   【332】ここに卑弥呼が埋めた未掘の銅鐸23±α個が1700年の眠りについている!! 
      岡山県総社市岩屋寺金堂の上の均地の中央(写真目印)
     岩屋寺金堂裏均地

  ご訪問ありがとう御座います。 ('12/10/31)
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   題   『卑弥呼が埋めた・させた大量の銅剣と銅鐸 』

 出雲地方で銅鐸39個と、358本もの銅剣類が出土した。滋賀県の野洲町で銅鐸24個が、神戸の桜ヶ丘では、銅鐸14個が出土している。これ等の殆どは、道路工事中にとか畑の開墾でとかの “偶然性” によるもので 「予測して発見かったものではない!」 (訂正;出雲を除く)
銅鐸の埋め方は、ヒレという部分を寝かせて並べ、銅剣は、整然と並べられて埋めてあった。 共に、何の保護もなく素のまんまで、しかも “浅いといえる” 深さに埋められていた。  

<なぜ、“大量の”銅剣や銅鐸が埋められたのであろうか?>
 銅鐸は、大量にまとめて埋められた以前にも、必要時以外は個々に(土中保管説)埋められていた。 話は、これを大きくさかのぼり、「BC.2001年の12月25日、未だ暗い朝の6時頃、地球を半周した彗星が、龍飛崎の上空を通過し、三陸地方に巨大隕石となって光臨した!」 
祖先はその赤く輝いた巨塊を、その風切り音から“竜”と命名した。この巨大隕石は、隕石の冬による慈雨と、津波による魚介類や瑞穂という恵みを打ち上げ、そして、犠牲を強要する荒神となって “人々の心の中” に入り込んだ。神の発生は大集団社会へと展開する核となる。その過程で雨水の必要性もだんだんと増してきて“雨乞い”が始まる。願う相手は、その慈雨をもたらした八大竜王だ。 この荒神様は、慈雨との交換に赤い血を欲しがる。

 生け贄の歴史は、最初の小動物からエスカレートして、 ついには 「私達には、これ以上に大切なものは有りません。 この幼子を煙に変えますから、 どうぞ、この海水を、この幼子の煙を雨雲に換えて下さい」 と迄になる。 “その天竜水神を呼び寄せ、荒神を乗り移す媒体となったのが銅鐸だ!”  それ等の “雨乞い生贄文化” が永々と続いていた3世紀の初頭に、言い伝えの箒星が現れた。 朝夕の空にあるその星は日々に大きさを増していった! 又来るあの大事変が!!
  人々が恐れおののくなかで、ヒミコは云った。 
 「やがて、あの星は全天を覆うだろう。 私がその難を逃れるお祈りをしてあげる」 と、
 
   結果的に、この彗星はニアミスに終わり、人々は大きく安堵した。 

 火巫女は説いた。「真は、お日様が主神で荒神彗星は、そのお使者であるよ。 その証しに、その星は、朝夕のお日様の方から来たでしょ。悲しい習慣りは、止めにしましょう」 元は、と云えばヒミコは、一般の子と区別するために、その削がれた耳を、おカッパ頭で隠し、人里離れた境内で “人身供儀用”として、大切にそだてられていた三歳~七歳までの幼子のうちの1人であったが、その口寄せが 「よく当たる」 ことから、その厄を逃れていた。
 この一件でカリスマ性を増した卑弥呼は、銅鐸を中国・魏から取りよせた銅鏡に替えさせた。初めて見る銅鏡に修厳者達は驚愕した。並みの驚愕ではない。太陽の光を反射するその鏡は直視することが出来ない。 目を閉じて地に‘ヒレ伏’した。

 日巫女さまの云うことに間違いはない! 早朝の戸口に白羽の矢を立てられれば、否でも愛児を差し出さねばならない社会制度。 雨乞いや厄災時には、その命神が召すのだと! 稚児たちを殺めた。 一度使った刃は二度と使いたくない。出雲の大量の銅剣は、犠牲者の数だ。 このような「衆生雨乞いのための社会制度」に、不満がくすぶっていたから、卑弥呼の提唱する“銅鏡象徴文化”へと、容易に変わっていく。 しかも、ヒミコさまは、その銅鏡を下さると云う。 荒神・銅鐸文化が発達し、卑弥呼(銅鏡)文化へと変わった所には、 「その神二度と起こしてはならない! その剣二度と持たしてはならない!」と、 不使用にした銅鐸と銅剣が持ち寄られ、それぞれが 別離させて“封印”されている。 

 しかし、「離しただけでは心配だから、重しの一つも置いたろか」となる。
さらに、もう一つ重ねとこ、と思ったりもする。 否ぃや「荒神さまのことだから、これでも不十分だ」といって、さらに横木で押さえ、その両端へ竹杭をX状に打ち込み仕上げ縄(化粧縄・対語・荒縄)でしばる。そして、両の手を組み合わせ“インを結び、クジをきれば”万全だ!! そのX状の形は、竹槍での処刑や刑場の竹垣、閉門蟄居の形にあり、今では、神社本殿の屋根上にその形を残している。そして、横木のほうは、貴方のお家の棟木に変わり 「その棟木の下に、その刃、二度と荒ぶることのないように」と、括り付けてあるかも知れない。 このように、この謎解きのヒントは、今の私達の所業の内にある。 それに気付くのは、明日の貴方かも知れないし、遙か先の貴方かも知れない。

 その 「雨乞いは」、村人こぞりて行う大行事であり、その埋め場所は“衆知の事実”なのに、その銅鐸や銅剣が、ごく近時まで盗掘の被害に遭わなかったのは、墓泥棒も恐れるほどの “祟り”があったからだ。(今は、すっかり忘れられていますが^^!)
 しかし、銅鏡にかえても欲しい雨は降るとばかりは限らない。 「やっぱり荒神様は、生娘を欲しがっているのだなぁ~」と歴史は続いていく。 
 以上が解れば、「主題の、大量の銅剣捜しは」簡単だ!! 出雲では、すでに、その両方が出土しているから、これに習えばいい。

 その大量の銅剣の埋め場所は、大量の銅鐸の埋め場所から西へ、一里(約4km)程離れた谷間の奥まった所!! 谷奥へ埋めるのは、人が容易に入るのを防ぐためと、命のみなもとでもある雨落つる源流を象徴している。  野洲町の方は、すでに、筆者が国土地理院のネットサービス(25,000分の1)の地形図で、それとおぼしき所、
   * <北緯35度3分31秒、東経136度2分23秒→27秒に訂正>を予測している。

三上山(近江富士)と妙光寺山とに挟まれた谷間を5、600m登り切った源流に、卍印がある。これを西へ5、60m程行った所が少し平らになっている。そこに、干天でもヒビ割れない“亀の甲羅”の形をした封印石が残っていれば、その下4尺(4尺は約120cmで、ほぼ肩の深さ)の所で、その“大量の銅剣は”眠っている。

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 註1: 出雲の埋め場所は“急な南斜面”とあったが、南向き斜面と南側の斜面とでは、南北が全く逆になるので確認が必要だ。これは、とても大切な要素で、熟慮のすえ“陽で陰を封じる”南向き斜面を予想しています。そして急斜面では石が置けないので、その封印石は無しと訂正します。全ては出雲に習えばいい!(註1:部分は、2007 9月29日に加筆・修正しました。)
 註2: Yahoo!サービスの航空写真で、再度その谷奥の卍印の周辺を探索しました。見るとその寺社の境内・広場は、山の南向き斜面に対して建物の上側に。言い換えて「建物の奥側」にある。“これは変だ!”今の社寺の建て様を見れば、階段を登って、広場があって、社殿があって、その後ろに本殿が鎮座まします順番となっている。このことは「神様が私達を見ているのか、私達が神様を見ている」のかの主体性・方向性の違いを意味する。回りくどい言い方を排して言えば、この広場の上方斜面に大量の銅剣(出土銅鐸数24×9=200余本)が埋められている! それは、目通りより上(階段にして13段?)の高さのところで、それより高くなっても低くなってもいけない。その予測封印場所を、<北緯35度3分31秒、東経136度2分23秒から→27秒に訂正します。> 2010 July 02
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 神戸の方は手付かずだが、ヒントは、地名を祖先の伝言として、それ等を伝説だ。神話だ。と云わず耳を傾けるように進言します。 「それを巨大隕石と云ったら科学で、竜と呼んだら伝説かぁ!? それが科学ならチャンチャラおかしい!」
と、ご先祖様が怒って御座る。 貴家の専門は問わない。 だが、くれぐれも頭脳ゲームにとどめ、学究なしの現地破壊をなさらないように!! その状態が、祖先が残した大切な遺産であるからだ。 そして、この荒ぶる神様を起こすと大変なことになる。 世界史を動かす程の力を持っている。 十二分に覚悟して、なされますように!!
 貴家の参加をお待ちしています。  
 Since 6/22/2007 ~ Last updated 9/30/2007.       口
 

(卑弥呼の、つづき、そのよもやま話、ⅠとⅡ)を書いていますので、引き続き楽しんで下さい。


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                ( ~ ‘12 3/31)24拍になってました。 
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