『 論より実行!』
(2008 1 28 日曜日に!)
① 「卑弥呼が封印させた」、総社市(経山・西谷)の大量の銅剣の探査にいって参りました。
『 リースの金属探知器を入れる前に、その場所を特定しておきたい 』
出雲での大量の銅剣の埋め場所は、“何の印もない”南向き斜面だというが、それは違う! それを「隠した論」にしても封印したにしても、祖先は、何かの「決まり・目印・覚えがあって」埋めている。それをブログ調査だけでは図りかねる部分もあるが、要は『自分だったら、どこへ埋めるか』それを捜しに行けばいい。
9月~11月末までは、松茸山で入山禁止の紙札が垂れています。沢づたいに遊歩道を上ります。「経山城址へ」の指標のところまで来ました。今度は、その右手の方をとらないで「遊歩道ではありません」の直進方向をとりました。以外に広く拡張工事もなされているようです。左手に砂防ダムをみて15分ほど歩くと、さらに小さい砂防ダムに突きあたりました。直進の沢づたいは道がなくちょっと難儀そうなので。ダムを渡り、ここから先は人ひとりがやっとの道幅で急な坂道。中国電力の支線№6・7の指標がありましたから地下に埋めてあるのかな? しかし、いくら登れども「その谷間」から遠ざかるような気がする。その道から外れて、かん木(カンボク)をかき分けて! 『その谷奥』を眺める。すり鉢状になっている? ここだ!、ここに間違いない!?
帰ってもう一度ネット地図で確かめた。そこは「西・北・東」を山で囲まれた谷奥であった。
(2008 2 11 月曜日に!)
② 総社市(経山・西谷)の大量の銅剣の探査」にいって参りました。
その谷奥を目指しての沢、上り! その日の気温は8℃。 渓流釣りの経験者ならこんなチョロチョロ水の流れなど序の口だろうが、運動靴履きの素人にはちょっときつい。隠地には残雪あり、シダ類やかん木が行くてに立ちふさがる。 沢水の飛び石づたいで足を滑らせ水の中! えぇい!「濡れてままよ」とジャブジャブと、 と!今度はシダが両側から流れに覆いかぶさり通せんぼ! いや~な感じ。 しばしたたずみ腰をかがめて「そのトンネル」をぬけると! 目の前に5m余りの段状の滝! 行こか戻ろか意を決し、この滝廻れとよじ登り。“裏白”かき分け踏み倒し、片足ストンと崖の下! 冷や汗もんだよ、戻ろうか? 否ぃやと進めば「裏白に隠れたクレーター」 まるで私を阻むよう!! もう駄目だぁ~、完全にギブアップ!
・・・「何ッ!、裏白だとぅ?」 裏白は正月飾りや、神棚やお仏壇にお供えする餅の下にも敷いて使いますよねえ。・・・? その日は、「沢で拾った小石をその裏白の上に載せ」 手を合わせ、用意したワンカップ酒を清流に流し引きあげました。
なぜ、正月飾りに裏白なんだろう? 裏白を使う必然性はどこから発生したのか? 裏白を使うのは、「わたしの心の裏は、まっ白で悪心がありません」等と、聞いたことがあるが、はたしてそうなのか。 そのいわれや、地域性は? 教えて下さい「あなたの地域は正月飾りに裏白を使いますか?」 それが分かれば「卑弥呼の文化圏が浮かび上がって来るかも知れない。以前 筆者は、その裏白を探しに山歩きしたことがある。 立木に空白の部分が見え陽光があたっている。行ってみれば手を広げたようなシダであり、末広がりの裏白は、なかなか見つからない。 ・・・・?、 「シダ類が群生すれば、立木が生えないのか?」 大量の銅剣を埋めるにしても、その上に立木が生えたのでは、埋め場所が分からなくなってしまうからイヤだな。私なら後からでも分かるような「覚えや、目印」が欲しいところだ。 谷底から見上げた所になにやら大きな石が見えていたのが気になる。そして滝上に巨石が横たわっていたのも気になる。
正月飾りについて考える (以下は、筆者の独自論であることを予めお断りしておきます)
正月飾りがなぜ飾られるようになったのかは知らない。一種の魔よけかな? 外国でもクリスマス飾りに柊(ひいらぎ)なんか使っています。 日本でも地方によっては、葉にトゲのある柊や、汚臭のある「とべら」が使われると知りました。 昆布は喜んぶ。 ホンダワラは何故でしょう? 私が思うのにホンダワラは食べられるとは聞きませんから、多分塩分の保存として貯蔵してたのかな? 似たものに笹竹を使う製塩法がありますから。 橙(ダイダイ)は代々続きますように。 あれって黄色に熟れても千切らずにおくと緑色にもどるんですよね。何年越しに千切るの?(笑) 他に、干し魚の鰯を×印に結わえたりもしました。干し柿なんかもありました。 地方によって違いはあるようですが、これ等がなぜ正月飾りに使用されるようになったのか?、 ?を二つ重ねると答えにつまる。 三つ重ねると訳が分からない。
神様になぜ海産物の干物をあげますのか?
他にスルメなんかもありました。なにも干物ではなくて採れとれのピチピチのほうがお喜びになると思いますが? お供えしている間に腐るから? だったら早くにお下げして頂けばいい。ー笑いー(それでは神様が食べる間がないぞよと怒るから? 神様って人間的??) めでたいとの語呂合わせの鯛なんかは生で使用します。 この神様へのお供え物については、地域によって色々にあるのでしょう。あなたの地方は何をお供えしますか? そしてその「いわれ」は? 何れにしても、そこには少年心(こどもごころ)が素直にうなずけない何かが隠されている。
神様にはなぜ「塩」がつきものなのか? 塩について思い付くままに、
土俵に塩をまく。
地鎮祭で盛り塩をする。
開店前の戸口に盛り塩をする。
立飯(たちは)に、「お清め塩」が添えてある。
「護摩炊き」で、コップで伏せた塩を「焼塩」にする。
うちの隣のおじさんはー、お祭り騒ぎが大好きでー、ねじりハチマキ、そろいの浴衣ー、
御神輿かついで、ワッシヨイワッシヨイ!「景気をつーけろ!塩まいておくれ」
これ等にも何かが隠されている。 なぜなの?何故なの?を三つ重ねるとそれが分からない。
(2008 3 2 日曜日に!)
③ 総社市(経山・西谷)の大量の銅剣探査にいって参りました。
どうぞ、お楽しみに!
今日の予想最高気温12℃。すこし暖かかそうだ。このごろの天気は午前中は晴れていても午後からはくもることが多いので、すこし早めの出立。 例の5・6台の駐車場に車をとめて、20分ぐらい歩けば中国電力支線№6・7のところの砂防ダムにつきます。いつものことですが私の心に因があるのか、何かの進入阻止の力が働くのかは分かりませんが、気だるさが身体を襲う。完全には恐怖感がぬぐい去られていないのかも知れません。用意した塩をかたわらの石の上につまみ上げ柏手をふたつ打ちました。
AM10時30分。 わたしが勝手に名付けた高さ10mたらずの“段状の大滝“をめざして! 沢水ぞいに「谷の東向き斜面」を上ります。途中、明治代かな?ところどころに土砂流出防止のための石積みがみえます。斜面もきつい。 かん木やシダ類は生えてはいますが表土の多くは流出しています。今日は渓流ジャブジャブはいやなので、前回わたしを阻んだクレーターの上方を迂回して段状大滝の上に行こうと思いました。
以前ナイアガラ瀑布の映像をみたのですが、滝の上って、その流れ落ちる荘厳さに反し拍子ぬけするほど、水深も浅く単調で 「平ら」 になっているんですよね? そこに大量の銅剣が???、
裏白かき分け、朽ち木を除けて、かん木に掴まりながら上へ上へと登っていきます。一歩一歩慎重に! 下方に小さいながらも滝つぼが見え、滝の上部の石ふたつも見えます。 前回、わたしを阻んだクレーターも1mほどの深さのところで渡りきりました。 さらに進むと!?、またクレーター。 段状大滝からは遠ざかるばかり。 今日はもう帰ろう。 そう簡単にことがすすむ分けがない。・・・、大滝を眺めながら用意したドリンクを飲んだ。・・・、しかし、もう一度おなじことをするのもイヤだしぃ~。とにかく降りよう。 その途中に前来たときに休んだ岩場がある。 そこの小さなドングリの木へは、前回白旗がわりにした白いハンカチが結わえてあります。なにしろ1700年の歴史が相手だ。なみの胆力ではもたない。
いっぷく付けて~、その滝を眺める。
そうだ。今度はその滝の右手から挑戦してやれ。滝つぼといってもその水深は膝下ぐらいだ。 飛び石づたいに渡り、滝のわきに覆い被さった裏白をつかんで登ればのぼれる。 そしてここからは裏白を掴みながらも滑り降りればいい。途中、この地方で柏餅をつつむ丸い葉っぱの「ラガタ」とかいう赤い実のなる「つる・トゲ」に刺されながらも、とにかく降りた。
そして、飛び石づたいに!、1m余りの大きさの石にのる!? と?、グラリと水の中!! あは~又濡れた。 わたしもそうだが日本人って「水濡れに弱い?」洋画なんか見てるとあちらの人達は、靴をはいたままでもジャブジャブと水濡れをいとわない。イルカショーやウオータースライダーでは、むしろそれを楽しむ。 私が思うのに、それは水に対する重要度の違いだとみています。 日本では車で1時間も走れば川か海に行きあたる。むこうでは1時間はおろか2時間走っても水に行きあたらないことがある。それを思えば、ありがたいことだ。(ー笑いー)
さて・・・、
「段状大滝」の右方から、靴を脱いで裏白につかまりながら、滑らないように! エイヤと滝の上へあがった。 わりと平らになっている。数メートルさきに高さ2mたらずの矩形岩の中央から水が流れ落ちている。 その上には、かん木やらトゲつるが覆いかぶさりその先は見えない。下から眺めて滝口をふさぐようなかたちで横たわっていた巨石ふたつは、長さ3mと2m余りかな? あたりを見回しても「大量の銅剣」を埋めるような場所がない。
ここで、再度出雲の場合をふり返ってみよう。国土地理院の電子版地図をみても、今ではその近くまで田んぼが入っている。 この荒神谷・西谷(さいたに)・神庭(かんば)西谷は、地元の人がいうように「祟り」がある恐ろしい場所であった。この「恐ろしい」という心が人心に芽生えると、それがだんだんと増幅して “心体”にわざわいを成すのだ。 思えば 「荒神をもはばむ」 恐ろしいところだ。 高所恐怖症などは、10分間その恐怖に耐得ればクリヤーできるという。
その大量の銅剣の埋め場所は、
①太陽光で、陰の荒神を封じる谷奥の{南向き斜面」
②その斜面下に行者・太夫の集団が立ち封印儀式ができる「広さ」があること。
③「目の高さより上」。荒神谷の写真でみると、下から5~6mの所かな?
④その表土下四尺のところ。
この「段状大滝」の上部には、その条件にあう所がない !? ならば下方か? いいや、すでに述べたように、その斜面は急峻していて表土もなく埋められるような場所はなかった。 この谷は、はげ山の時期があって明治、大正、昭和の時代に治山治水の工事がなされたとあったから、表土は流出してしまったのか? この谷を探査して学んだことがある。 意外に樹木というものはその表土がなくても、岩の割れ目に根をおろして育つものだと。 何れにしても、それを埋める表土がなくてはなんともならない。かつて、この岡山県南の一帯は赤松がいっぱい生えていて松茸など珍しいとは言わなかった。 ましてや1700年前の昔と今とでは、その植生は異なる。解らない・・・、??
この数m先、上流の矩形岩・2m滝の上か?、木が覆いかぶさってイヤな感じ。 引き返そうか・・。 それも大変だしなあ~。 「 引くのも大変、進むも大変、ならば行くか!」 意を決めて!、トゲつるが袖やズボンに引っかかる。 「さも、この先進入許さじ!」 と言わんばかり、 もう怖さなど微塵も残っていない。 だが怪我をしては大変だ。自力では帰れない。慎重に。 ・・・と!?、又だあ~~、 今度は10mはあったかな。滑り台状の滝! 中ほどに窪地があり水を跳ね上げている。 この滝も、その脇をどうにかクリヤー。 小休止(軍隊用語?) 上にあがって見下ろすと、先ほどの窪地は流れ石で削られたのであろう湯舟のようになっている。
さらに、木立・かん木をかき分けて!、・・・・・??、そこで、信じられないことを目にしました。 このつづき、お楽しみに(笑い)
かん木・木立の先に、『巨大な、?堰堤が!』 少なくともその時の私の目にはそう映った。 これだけ難儀をしてきたのに、「人工の」石積み堰堤がある。驚いてはいられない。急いでそれをはいあがった。堰堤というのは先にも申しましたが、土砂流出防止の目的で谷間にダム状に築いた石積みです。上がってみると!かなり広い平地があった。木立にかくれてその先はよく見通せないが、50mは優に超し100mはあるかも知れない。このほぼ中央に2m幅の、あきらかに人工と思われる清流がながれている。その先は??見えない。 あたりを見れば刃物で削いだ小枝もあり、その切り口も新しい。 なぁ~んだ!そう言えばこの山を越えた「鬼の城・きのじょう」あたりに数軒の農家があった。人家は近い。
この平地の「南斜面」を探索!、解らない。その根から数本に乱立した山桜が2本。その下部の幹周り3m。山桜は古代において農事呪縛の木だとか。猪もいるのかな?、土が掘り返されている。堅くはなさそうだ。狸の溜め糞ではないと思うがビワの種大のふんもコロコロところがっている。尺(さし)代わりにも使う杖は離さず持っている。
巨大に見えた堰堤の歩数は50歩だったから30mほどかな?、その高さは4・5m?ってとこ。時計をみると13時ちょうど。駐車場をでてから約3時間。思うほどの時間はたっていない。腹も空いてきたし、さあ~てどっちへ帰ろうか。 つづく・・・、
今立っている場所は、堰堤の東側?で、谷の「北向き斜面」にあたるとこ。足もとをみれば!?、・・・・?、 明らかに人が手折ったとみられる小枝がある。 猟か、正月飾りにに使う裏白採集かは判らないが近時に人が入っている。その切り口の鮮度からして秋の松茸狩りではない。よく見ればシダ草に隠れながらも獣道のようにもみえる? 数歩進むと刃物で削いだ切り口のシダ草があった!
「助かったぁ~、人道がある!」 谷の西側に固執した自分が悪かった。谷の東側に今は無きがごとくの人道が付いている。立木、かん木、シダ草の少し先に目をやると、人が通れる空間が見える。足下はしっかりしていて長年のあいだ道として使用した跡がある。石なども踏みやすくしている。苦労して登ってきた渓流やら滝がわずかな下方に見える。なにかのテレビで、深山は「渓流を上る方が上りやすい」というのが頭にあった。しかし、いかに急峻しているとはいえ横移動なら人は渡れる。この西向き斜面にはクレーターはなかった。
木立を歩けば枯れ枝や倒木がじゃまをするが、明らかに人が通っている。削いだ小枝やそれ等を始末したあとがある。私もそれに習って枯れ枝等を道方向におきかえる。再度訪問するためだ。注意しなければならないのは、「降りるときは道と確認できても、ふり返って登る方向をみるとまったく道に見えないところがある」 そんなとこは、よく記憶にとどめておく。そんなことをしながら下りると! やっと、たどり着いたあ。 あの盛り塩をしたをした№6・7支線堰堤へ。 今度こそ本当に助かったと思った。 13時20分! “一礼二拍” をしてその場を後にする。
自分的には、3時間もかけて大冒険したつもりでも、その下りわずか「20分」に苦笑する。 誰か地元の古老にでも聞いて入ればよかった。 なにしろ20年来の孤立無援、突飛なことを他人に話すのもいやだし意固地にもなっている。 途中散弾銃の薬きょうが道のほとりに5つ6つころがっていた。
これからが、この話の佳境本番ですよ。(笑) 遭難しかけた?! お楽しみに、
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どなた様、拍手をありがとう^^。 只今('10 5/23)までで1拍です^^!。
(2008 1 28 日曜日に!)
① 「卑弥呼が封印させた」、総社市(経山・西谷)の大量の銅剣の探査にいって参りました。
『 リースの金属探知器を入れる前に、その場所を特定しておきたい 』
出雲での大量の銅剣の埋め場所は、“何の印もない”南向き斜面だというが、それは違う! それを「隠した論」にしても封印したにしても、祖先は、何かの「決まり・目印・覚えがあって」埋めている。それをブログ調査だけでは図りかねる部分もあるが、要は『自分だったら、どこへ埋めるか』それを捜しに行けばいい。
9月~11月末までは、松茸山で入山禁止の紙札が垂れています。沢づたいに遊歩道を上ります。「経山城址へ」の指標のところまで来ました。今度は、その右手の方をとらないで「遊歩道ではありません」の直進方向をとりました。以外に広く拡張工事もなされているようです。左手に砂防ダムをみて15分ほど歩くと、さらに小さい砂防ダムに突きあたりました。直進の沢づたいは道がなくちょっと難儀そうなので。ダムを渡り、ここから先は人ひとりがやっとの道幅で急な坂道。中国電力の支線№6・7の指標がありましたから地下に埋めてあるのかな? しかし、いくら登れども「その谷間」から遠ざかるような気がする。その道から外れて、かん木(カンボク)をかき分けて! 『その谷奥』を眺める。すり鉢状になっている? ここだ!、ここに間違いない!?
帰ってもう一度ネット地図で確かめた。そこは「西・北・東」を山で囲まれた谷奥であった。
(2008 2 11 月曜日に!)
② 総社市(経山・西谷)の大量の銅剣の探査」にいって参りました。
その谷奥を目指しての沢、上り! その日の気温は8℃。 渓流釣りの経験者ならこんなチョロチョロ水の流れなど序の口だろうが、運動靴履きの素人にはちょっときつい。隠地には残雪あり、シダ類やかん木が行くてに立ちふさがる。 沢水の飛び石づたいで足を滑らせ水の中! えぇい!「濡れてままよ」とジャブジャブと、 と!今度はシダが両側から流れに覆いかぶさり通せんぼ! いや~な感じ。 しばしたたずみ腰をかがめて「そのトンネル」をぬけると! 目の前に5m余りの段状の滝! 行こか戻ろか意を決し、この滝廻れとよじ登り。“裏白”かき分け踏み倒し、片足ストンと崖の下! 冷や汗もんだよ、戻ろうか? 否ぃやと進めば「裏白に隠れたクレーター」 まるで私を阻むよう!! もう駄目だぁ~、完全にギブアップ!
・・・「何ッ!、裏白だとぅ?」 裏白は正月飾りや、神棚やお仏壇にお供えする餅の下にも敷いて使いますよねえ。・・・? その日は、「沢で拾った小石をその裏白の上に載せ」 手を合わせ、用意したワンカップ酒を清流に流し引きあげました。
なぜ、正月飾りに裏白なんだろう? 裏白を使う必然性はどこから発生したのか? 裏白を使うのは、「わたしの心の裏は、まっ白で悪心がありません」等と、聞いたことがあるが、はたしてそうなのか。 そのいわれや、地域性は? 教えて下さい「あなたの地域は正月飾りに裏白を使いますか?」 それが分かれば「卑弥呼の文化圏が浮かび上がって来るかも知れない。以前 筆者は、その裏白を探しに山歩きしたことがある。 立木に空白の部分が見え陽光があたっている。行ってみれば手を広げたようなシダであり、末広がりの裏白は、なかなか見つからない。 ・・・・?、 「シダ類が群生すれば、立木が生えないのか?」 大量の銅剣を埋めるにしても、その上に立木が生えたのでは、埋め場所が分からなくなってしまうからイヤだな。私なら後からでも分かるような「覚えや、目印」が欲しいところだ。 谷底から見上げた所になにやら大きな石が見えていたのが気になる。そして滝上に巨石が横たわっていたのも気になる。
正月飾りについて考える (以下は、筆者の独自論であることを予めお断りしておきます)
正月飾りがなぜ飾られるようになったのかは知らない。一種の魔よけかな? 外国でもクリスマス飾りに柊(ひいらぎ)なんか使っています。 日本でも地方によっては、葉にトゲのある柊や、汚臭のある「とべら」が使われると知りました。 昆布は喜んぶ。 ホンダワラは何故でしょう? 私が思うのにホンダワラは食べられるとは聞きませんから、多分塩分の保存として貯蔵してたのかな? 似たものに笹竹を使う製塩法がありますから。 橙(ダイダイ)は代々続きますように。 あれって黄色に熟れても千切らずにおくと緑色にもどるんですよね。何年越しに千切るの?(笑) 他に、干し魚の鰯を×印に結わえたりもしました。干し柿なんかもありました。 地方によって違いはあるようですが、これ等がなぜ正月飾りに使用されるようになったのか?、 ?を二つ重ねると答えにつまる。 三つ重ねると訳が分からない。
神様になぜ海産物の干物をあげますのか?
他にスルメなんかもありました。なにも干物ではなくて採れとれのピチピチのほうがお喜びになると思いますが? お供えしている間に腐るから? だったら早くにお下げして頂けばいい。ー笑いー(それでは神様が食べる間がないぞよと怒るから? 神様って人間的??) めでたいとの語呂合わせの鯛なんかは生で使用します。 この神様へのお供え物については、地域によって色々にあるのでしょう。あなたの地方は何をお供えしますか? そしてその「いわれ」は? 何れにしても、そこには少年心(こどもごころ)が素直にうなずけない何かが隠されている。
神様にはなぜ「塩」がつきものなのか? 塩について思い付くままに、
土俵に塩をまく。
地鎮祭で盛り塩をする。
開店前の戸口に盛り塩をする。
立飯(たちは)に、「お清め塩」が添えてある。
「護摩炊き」で、コップで伏せた塩を「焼塩」にする。
うちの隣のおじさんはー、お祭り騒ぎが大好きでー、ねじりハチマキ、そろいの浴衣ー、
御神輿かついで、ワッシヨイワッシヨイ!「景気をつーけろ!塩まいておくれ」
これ等にも何かが隠されている。 なぜなの?何故なの?を三つ重ねるとそれが分からない。
(2008 3 2 日曜日に!)
③ 総社市(経山・西谷)の大量の銅剣探査にいって参りました。
どうぞ、お楽しみに!
今日の予想最高気温12℃。すこし暖かかそうだ。このごろの天気は午前中は晴れていても午後からはくもることが多いので、すこし早めの出立。 例の5・6台の駐車場に車をとめて、20分ぐらい歩けば中国電力支線№6・7のところの砂防ダムにつきます。いつものことですが私の心に因があるのか、何かの進入阻止の力が働くのかは分かりませんが、気だるさが身体を襲う。完全には恐怖感がぬぐい去られていないのかも知れません。用意した塩をかたわらの石の上につまみ上げ柏手をふたつ打ちました。
AM10時30分。 わたしが勝手に名付けた高さ10mたらずの“段状の大滝“をめざして! 沢水ぞいに「谷の東向き斜面」を上ります。途中、明治代かな?ところどころに土砂流出防止のための石積みがみえます。斜面もきつい。 かん木やシダ類は生えてはいますが表土の多くは流出しています。今日は渓流ジャブジャブはいやなので、前回わたしを阻んだクレーターの上方を迂回して段状大滝の上に行こうと思いました。
以前ナイアガラ瀑布の映像をみたのですが、滝の上って、その流れ落ちる荘厳さに反し拍子ぬけするほど、水深も浅く単調で 「平ら」 になっているんですよね? そこに大量の銅剣が???、
裏白かき分け、朽ち木を除けて、かん木に掴まりながら上へ上へと登っていきます。一歩一歩慎重に! 下方に小さいながらも滝つぼが見え、滝の上部の石ふたつも見えます。 前回、わたしを阻んだクレーターも1mほどの深さのところで渡りきりました。 さらに進むと!?、またクレーター。 段状大滝からは遠ざかるばかり。 今日はもう帰ろう。 そう簡単にことがすすむ分けがない。・・・、大滝を眺めながら用意したドリンクを飲んだ。・・・、しかし、もう一度おなじことをするのもイヤだしぃ~。とにかく降りよう。 その途中に前来たときに休んだ岩場がある。 そこの小さなドングリの木へは、前回白旗がわりにした白いハンカチが結わえてあります。なにしろ1700年の歴史が相手だ。なみの胆力ではもたない。
いっぷく付けて~、その滝を眺める。
そうだ。今度はその滝の右手から挑戦してやれ。滝つぼといってもその水深は膝下ぐらいだ。 飛び石づたいに渡り、滝のわきに覆い被さった裏白をつかんで登ればのぼれる。 そしてここからは裏白を掴みながらも滑り降りればいい。途中、この地方で柏餅をつつむ丸い葉っぱの「ラガタ」とかいう赤い実のなる「つる・トゲ」に刺されながらも、とにかく降りた。
そして、飛び石づたいに!、1m余りの大きさの石にのる!? と?、グラリと水の中!! あは~又濡れた。 わたしもそうだが日本人って「水濡れに弱い?」洋画なんか見てるとあちらの人達は、靴をはいたままでもジャブジャブと水濡れをいとわない。イルカショーやウオータースライダーでは、むしろそれを楽しむ。 私が思うのに、それは水に対する重要度の違いだとみています。 日本では車で1時間も走れば川か海に行きあたる。むこうでは1時間はおろか2時間走っても水に行きあたらないことがある。それを思えば、ありがたいことだ。(ー笑いー)
さて・・・、
「段状大滝」の右方から、靴を脱いで裏白につかまりながら、滑らないように! エイヤと滝の上へあがった。 わりと平らになっている。数メートルさきに高さ2mたらずの矩形岩の中央から水が流れ落ちている。 その上には、かん木やらトゲつるが覆いかぶさりその先は見えない。下から眺めて滝口をふさぐようなかたちで横たわっていた巨石ふたつは、長さ3mと2m余りかな? あたりを見回しても「大量の銅剣」を埋めるような場所がない。
ここで、再度出雲の場合をふり返ってみよう。国土地理院の電子版地図をみても、今ではその近くまで田んぼが入っている。 この荒神谷・西谷(さいたに)・神庭(かんば)西谷は、地元の人がいうように「祟り」がある恐ろしい場所であった。この「恐ろしい」という心が人心に芽生えると、それがだんだんと増幅して “心体”にわざわいを成すのだ。 思えば 「荒神をもはばむ」 恐ろしいところだ。 高所恐怖症などは、10分間その恐怖に耐得ればクリヤーできるという。
その大量の銅剣の埋め場所は、
①太陽光で、陰の荒神を封じる谷奥の{南向き斜面」
②その斜面下に行者・太夫の集団が立ち封印儀式ができる「広さ」があること。
③「目の高さより上」。荒神谷の写真でみると、下から5~6mの所かな?
④その表土下四尺のところ。
この「段状大滝」の上部には、その条件にあう所がない !? ならば下方か? いいや、すでに述べたように、その斜面は急峻していて表土もなく埋められるような場所はなかった。 この谷は、はげ山の時期があって明治、大正、昭和の時代に治山治水の工事がなされたとあったから、表土は流出してしまったのか? この谷を探査して学んだことがある。 意外に樹木というものはその表土がなくても、岩の割れ目に根をおろして育つものだと。 何れにしても、それを埋める表土がなくてはなんともならない。かつて、この岡山県南の一帯は赤松がいっぱい生えていて松茸など珍しいとは言わなかった。 ましてや1700年前の昔と今とでは、その植生は異なる。解らない・・・、??
この数m先、上流の矩形岩・2m滝の上か?、木が覆いかぶさってイヤな感じ。 引き返そうか・・。 それも大変だしなあ~。 「 引くのも大変、進むも大変、ならば行くか!」 意を決めて!、トゲつるが袖やズボンに引っかかる。 「さも、この先進入許さじ!」 と言わんばかり、 もう怖さなど微塵も残っていない。 だが怪我をしては大変だ。自力では帰れない。慎重に。 ・・・と!?、又だあ~~、 今度は10mはあったかな。滑り台状の滝! 中ほどに窪地があり水を跳ね上げている。 この滝も、その脇をどうにかクリヤー。 小休止(軍隊用語?) 上にあがって見下ろすと、先ほどの窪地は流れ石で削られたのであろう湯舟のようになっている。
さらに、木立・かん木をかき分けて!、・・・・・??、そこで、信じられないことを目にしました。 このつづき、お楽しみに(笑い)
かん木・木立の先に、『巨大な、?堰堤が!』 少なくともその時の私の目にはそう映った。 これだけ難儀をしてきたのに、「人工の」石積み堰堤がある。驚いてはいられない。急いでそれをはいあがった。堰堤というのは先にも申しましたが、土砂流出防止の目的で谷間にダム状に築いた石積みです。上がってみると!かなり広い平地があった。木立にかくれてその先はよく見通せないが、50mは優に超し100mはあるかも知れない。このほぼ中央に2m幅の、あきらかに人工と思われる清流がながれている。その先は??見えない。 あたりを見れば刃物で削いだ小枝もあり、その切り口も新しい。 なぁ~んだ!そう言えばこの山を越えた「鬼の城・きのじょう」あたりに数軒の農家があった。人家は近い。
この平地の「南斜面」を探索!、解らない。その根から数本に乱立した山桜が2本。その下部の幹周り3m。山桜は古代において農事呪縛の木だとか。猪もいるのかな?、土が掘り返されている。堅くはなさそうだ。狸の溜め糞ではないと思うがビワの種大のふんもコロコロところがっている。尺(さし)代わりにも使う杖は離さず持っている。
巨大に見えた堰堤の歩数は50歩だったから30mほどかな?、その高さは4・5m?ってとこ。時計をみると13時ちょうど。駐車場をでてから約3時間。思うほどの時間はたっていない。腹も空いてきたし、さあ~てどっちへ帰ろうか。 つづく・・・、
今立っている場所は、堰堤の東側?で、谷の「北向き斜面」にあたるとこ。足もとをみれば!?、・・・・?、 明らかに人が手折ったとみられる小枝がある。 猟か、正月飾りにに使う裏白採集かは判らないが近時に人が入っている。その切り口の鮮度からして秋の松茸狩りではない。よく見ればシダ草に隠れながらも獣道のようにもみえる? 数歩進むと刃物で削いだ切り口のシダ草があった!
「助かったぁ~、人道がある!」 谷の西側に固執した自分が悪かった。谷の東側に今は無きがごとくの人道が付いている。立木、かん木、シダ草の少し先に目をやると、人が通れる空間が見える。足下はしっかりしていて長年のあいだ道として使用した跡がある。石なども踏みやすくしている。苦労して登ってきた渓流やら滝がわずかな下方に見える。なにかのテレビで、深山は「渓流を上る方が上りやすい」というのが頭にあった。しかし、いかに急峻しているとはいえ横移動なら人は渡れる。この西向き斜面にはクレーターはなかった。
木立を歩けば枯れ枝や倒木がじゃまをするが、明らかに人が通っている。削いだ小枝やそれ等を始末したあとがある。私もそれに習って枯れ枝等を道方向におきかえる。再度訪問するためだ。注意しなければならないのは、「降りるときは道と確認できても、ふり返って登る方向をみるとまったく道に見えないところがある」 そんなとこは、よく記憶にとどめておく。そんなことをしながら下りると! やっと、たどり着いたあ。 あの盛り塩をしたをした№6・7支線堰堤へ。 今度こそ本当に助かったと思った。 13時20分! “一礼二拍” をしてその場を後にする。
自分的には、3時間もかけて大冒険したつもりでも、その下りわずか「20分」に苦笑する。 誰か地元の古老にでも聞いて入ればよかった。 なにしろ20年来の孤立無援、突飛なことを他人に話すのもいやだし意固地にもなっている。 途中散弾銃の薬きょうが道のほとりに5つ6つころがっていた。
これからが、この話の佳境本番ですよ。(笑) 遭難しかけた?! お楽しみに、
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