<驚愕の(島根半島)出雲竜!・Ⅰ>
つぎに揚げるのは、拙・電子出版 極秘報告書「巨大隕石と大津波」の
第一章<巨塊衝突・祖先からの伝言>の “おおまとめ” を軸に、前作同様<Dr.izumo氏のコメント>と、{♪シップのクルー>のコメントを揚げて、この記事をつくりあげています。
【 八つ目の宇宙という海へ(Dr.命名・略して宇海へ)漕ぎ出す新しいクルーを募集 】 しています♪
特に、次代を担う中学生の皆さんの参加も希望します。 あなた達が社会を動かす時代にならないと世界はうごかないかと・?(笑) 関係ないCMも大歓迎ですよ♪ そのほうが臨場感が増すからね。 但し、先々、本になるやも知れませんので著作権委譲等の了解もされたうえでのご投稿を! といって、何も尻込みなさることはありませんよ。 当方の{論}なんか間違いだらけ(^^!)ですから。 コメントは、例によって素人の独断と偏見でもって掲載させていただきます。 但し、ピンクさんと広告やさんにはご遠慮願うかも~(^-^)♪ 今までどおり電信柱のかげで見守り応援して下さるも好し、ニックネームをつけて名乗りでられるもよし。わたしは、コメントを残されて、何時の日か 「爺ちゃん婆ちゃんは、父さん母さんは、あの大業に参加したんよ♪」と、こども達、孫たちに言えるほうがいいと思いますが? みなさんもこちらが声かけた時は知らんぷりで、<事が成ってから> チヤホヤしたりされたりするのはきらいですよね(^-^)。
さあて、ひきつづき、遅々駄文のお付きあいをお願いできますかぁ?( ^^!)♪
<序 記> “ 竜は隕石、竜は神 ”
竜は隕石、竜は神、その頭は大きく、火となり、大津波を呼び起こし、地表を洗い流す。粉塵を舞いあげ、天を覆いかくす。火山や地震、大雨や大洪水を欲しいままにし、生け贄を強要する。 同胞よ、心しよう。自分の心に宿っている欲望という引力に心せよ。際限なく肥大化する欲望を分配し、均衡を保持しよう。しかし、欲望は捨てずほどほどに持とう。宝を捜せ、鍵は足元にある。謎解きは簡単な事例で、引力と磁力でもって考えよ。引力は創生を、磁力は刷新を司る。天は極大であり、人心は極小である。宇宙の具象は相似形にある。考えることも宇宙なのだ。あるがままをあるがままに考えよう。あたりまえには始元の理(ことわり)が潜んでいる。
力を蓄え、防壁を海岸にめぐらし、高地に遷都せよ。そして、寒さに強い食料の開発を怠るな。食料は腹八分にして常に確保し来たるべき異変に備えよう。大事変は内にあると思うな。人間は賢い。自滅は例外である。ノストラダムスは、巨大隕石のことを光りの反対なるものと表現している。多くの先人達は、このことを知っていたのだ。祖先のメッセージに耳を傾け非科学といわず未科学と言え。百年前も、二百年前も、いつの世も今の科学を最高だと言ってきた。
お題目を問い(たずね)、宇宙の真理を考えよう。釈迦もキリストも、その他の聖人たちも真理に気付かれ、それを説かれている。子供たちには、言い換えて子孫には、いかに生きたいと思っていたかを伝えればいい。いつの頃から預言者を予言者と呼び、伝道所を教会と呼ぶようになったのであろうか。こうしたものを話されるに、それを文字として残さなかったのはなぜだ? その時代には、文字も絵文字も象形文字も無かったとは思えない。文書の方がより多くの人に、より正確に伝わると思うが?? 釈迦もキリストも“教典・聖書”を残してはいない。
わたしが大切なようにあなたが大切なのだ。私たちは、共存している。たとえ、それが「人類に仇なす細菌」であってもだ。ばい菌も生きるための活動をしている。誰でも人から尊ばれるのは嬉しい。それは他人が決めることであって自分が決めることではない。自分がそう思った瞬間から堕落が始まっている。
・・・が、祖先が、種族が、国が、人類が、『他より、偉い』と思ったときから崩壊が始まる。
与え続けると無くなってしまい、求め続けると動けなくなる。五分五分にするか。四分六にするか、それとも欲張って九分一にするか。考えながら迷いながら、自分が喜び他人も喜ぶ。あの時々に、この時に、この配分を探しながら問(たずね)ながら・・・。 give and take(^-^)♪
註; ソ連崩壊前の1990年頃の記です。 ( 第一章 祖先からの伝言より )
< 第一章 祖先からの伝言【おおまとめ】 より > (注;加筆・修正も含めて書き込みます)
紀元前2001年、今から4009年前の年末。 全天を覆ったその巨大彗星は、イースター島の白昼の空から侵入し、地上絵を遺すナスカ。 そして、クリスマスイブとなったヨーロッパの24日の夜空を経由し、日本時間 12月25日未明の東北地方に光臨した。 欧州では、その巨塊が赤く輝いたことから、赤い服のサンタクロースへと変身し、日本では、その飛翔音が 「リュ~」と尾を引いたことから、その巨塊を<リュウ→竜>と命名した。 この大事変は慈雨を誘い、その津波は列島各地に、瑞穂の打ちあげや、魚介類の恵みをもたらした。 瑞穂、千種、大草、草津、大津。 津波の戻り水として、垂水、篠津。 そして<戸>のつく地名は、「ここ迄この高さ迄、津波が押しよせました」 という<津波際の記念碑だ!> これ等の類似名をあげればきりがない。 代表地として、三重県・津市の地名をあげておきましょう。 ここには<垂水、神戸、嬉野>の津波地名の<三点セット>がそろっています。 見たこともない程の大量の魚介類が打ちあげられれば誰だって嬉しいよね。(^-^)♪ 拙・報告書では、あなたのお住みになっている町の、その地名の記述があるかも知れませんよ。^^!
<一方で、その衝撃は、巨大地震を発生させる!>
内陸部の琵琶湖においてでさえ、その西端の石山寺へ怒濤の津波高45m級?を発生させる程の巨大地震だ。( 祖先からの伝言パート1 参照 ) その衝撃は、今でいう、マグニチュード7、0や、8、0でないのは言うまでもない。 それによる直接的な粉塵の舞い上げや、火山活動の活発化で、より多くの粉塵が舞い上がり豪雨をともない、稲妻がはしり、太陽光をさえぎり、やがて地球規模で気温が下がってくる。 この現象を“隕石の冬”という。
『 人類が、衣食住だけの生活から、“巨大隕石” という自然の驚異を受け、それが神となって人々の心に入り込んだ時、それは、驚異的・爆発的な力となって、それを語り継ぐ難しい語彙(ごい・ことば)が、困難に打ち勝つ抵抗力が、そして、新しい文化と集団性が生まれてくる 』
( 祖先からの伝言パート2 より )
一太郎 | URL | 2009-01-20-Tue 04:43 [EDIT]
語りが、表現が、文学の境地になってきました
楽しみながら読ませてもらいますね
(・・||||rパンパンッ
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-20-Tue 08:04 [EDIT]
<一太郎さん>に、そんなほめ方をされると、とても嬉しいです♪ 幾ら書き込んでもうまく書けない。 書いてるときはそれなりに高揚して書いているのですが、期間をおいた後で読み返してみると、「つまらないとか、大したことではないな」と感じることがほとんどです。 自分がそうなのだから人様は、なおさら・・! 中で『人類が、衣食住だけの生活から、云々』の文章は、制作に一ヶ月はついやしたかな。 苦労をしたかいがありました。(笑) こんごともどうぞよろしく(^^!)
わしは・・・今。 釣りじいさん | URL | 2009-01-20-Tue 20:51 [EDIT]
「隕石の冬」ね~。
わしも・・・キスちゃんの季節に向けて、
受験生と隕石の冬状態でやんす・・・。
早く解放されて、隕石探しの旅に出てみたい!!
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-20-Tue 22:07 [EDIT]
釣りじいさま> 只今訪問してきましたよ♪ ですねぇ~(熱い思いは内に秘めて^^)
ひとまずごくろうさま。 外は寒いしぃ、はやく花咲く春がこないかなぁ~、ぶつぶつ^^!
ところで、当地の小学校、インフルエンザで2学級の閉鎖!こんなこと初めてです。
オオッ!!! shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 15:43 [EDIT]
私の昨年のドサクサ紛れのコメントによくここまで応えて下さいました。新年早々感謝いたします。Mr.平様の想像力をお借りするために、来週は更なるコメントの渦を寄せたいと思いますので、よろしくお願いします。船出は始まったばかりですから・・・。
竜と銅 shigechanizumo | URL |2009-01-10-Sat 16:12 [EDIT]
来週を待たずに第一弾です。島根半島は隆起半島だとされています。隆起したことを示すのが、島根半島の各所に検出される地層の褶曲です。また褶曲に伴った断層のズレが、たくさんの洞窟(猪目洞窟もそのひとつ)を生み出しています。また隆起の際に、岩盤を粉々に砕く圧力が下方部から加わったために、島根半島の山々は破砕された岩石で成り立っています。別名破砕山脈とも言われています。そのために、落石崩落が多く、地合、牛の首といった地域からは海岸線に沿った道路さえも作れないのです。その隆起によって、本来地下深くにあったグリーンタフが生成した鉱脈が銅鉱脈などとなって地上付近に突出したともされています。この銅鉱脈が風雪の浸食によって露出し、自然銅となり、島根半島のいたるところに出現していたとされています。鷺銅山、鵜峠銅山などは、露出した自然銅を採り尽くした後、地下の坑道へと掘り進んだものとされています。その自然銅の純度は99%にもなり、そうした自然銅がゴロゴロしていて、美保関あたりでは小牛の胴体ぐらいの自然銅も見つかったそうです。竜を金属に例えれば銅鉱脈が似合うのではないでしょうか。現実に鷺銅山の山は、地元では古来より「竜」あるいは、「竜山」と呼ばれています。それにしても、日本海海域で他に島根半島のような隆起半島は見かけられません。なぜ、島根半島の部分だけが隆起したのか、しかも標高500m近くまで隆起したのです。また、約65kmにも及ぶ半島でありながら、幅は数キロという細長い半島なのです。どんな力が働いて、島根半島などという特異な半島が形成されたのか、Mr.平様の想像力を借りたいと思います。
<銅について> 註;以下は、素人の私見です。(1/24挿入)
銅のことを屑鉄業界では「赤・アカ」と呼びます。一般的に大量に扱う「鉄」と区別して、他の金属の、鉛や真鍮(しんちゅう)、電線やお鍋等のアルミ製品を「色もの」といいます。鉄の白色に対して、銅線の赤い色から「アカ」と呼ぶのでしょう。
銅(アカ)の思い出 (祖先からの伝言パート1より)
悲しさを知らないと、優しさは生まれない。
ひもじさを知らないと、ありがたいとは思わない。
今では、あり余るほどある甘いものも、戦後の子供たちには、充分でなかった。
電灯も、一軒に一つか二つしかない。
一つを二つに、二つを三つにするのが、望みであった。
望みがかなった家に、電気屋さんはやってくる。
子供たちは、わくわくする。
配線工事後の屑線を拾えるからだ。これを売れば、お金になる。
あめ玉一円、あんパン十円の時代である。
銅は “アカ”といって、よい値で買ってくれる。鉄の十倍はしたかな。
おじさんたちは、その全てを拾わない。子供たちに残しておいてくれる。
一握りの屑線が、三円・五円である。
これでは、十円コッペや、十円キャラメルは買えない。(カバヤ、グリコ、森永は20円?^^!)
貯めておこう。 しかし、これがアオ(緑)く、錆びることがある。
有毒の”緑青・ろくしょう”に変わるのだ。
これを売った手で、あんパンをつまみ、キャラメルを頬張る。
後で、腹がキリキリ痛む、下痢をする。
その時には、このせいだとはわからなかったものでした。
今においても銅は鉄に比べると稀少である。しかも、その扱いには注意を要する。銅の精錬(瀬戸内海・日比精錬所)で、島のすべての緑を枯らしたこともある。太古(縄文・弥生)の人達でも、これは同じだ。 (以上が、パート1からの引用です)
つづきます。
筆者は、銅の精錬・鋳造の歴史をまったく知らない。 しかし、ごく近代でさえそうだったのだから、その扱いを熟知していない太古の時代には「職業病」という危険をともない、それが銅製器に恐れを抱くようになった主因であろうことが容易に想像できる。 その危険性と、稀少性や、アカからアオに変わることが、赤く飛んだ竜の伝承や、隕石の冬による慈雨の伝承とで重なりあい、<神聖視>考えが生まれたのだ。 青銅器のアカ色は巨大隕石の赤。その青は慈雨の水色であり、その緑は大地甦る緑の色だと!。 その考えは、今に至りて<神社本殿の屋根に銅板>を巻くことになったのだとも。(^-^)♪ ところで、神社本殿に銅板巻き屋根と、茅葺き(かやぶき)屋根の違いがあるのは、何故でしょうか? 素人には、今Dr.がブログ取り上げられている「出雲と大和」の違いに思えてならないのですが・・・、
竜と銅・第二弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 16:36 [EDIT]
前のコメントで、「竜を金属に例えれば銅鉱脈が似合うのではないでしょうか。」としましたが、思いつきではありません。銅は他の金属と親和性が高く、ご存知のように、錫や鉛を混ぜると、その混ぜ具合、配合によって様々な性質を持った銅になるのです。クニャクナな銅を作ることもできるし、それを延圧して細長い銅線を作ることもできます。また、ポキンと折れるような非常に固くて脆い銅を作ることもできます。また色も、白銅から黄金色、そして赤銅色など様々な色を演出できるのです。さらに、錆びた時は緑青を生じて緑あるいは青色の金属となるのです。緑青は毒にもなりますが薬にもなるとされています。この千変万化は鉄などの金属には及びもつかないことなのです。そして竜です。竜も昇り竜から眠り竜、怒り竜。八大竜王から竜の落とし子まであります。色も緑色から、白色、金色の表皮を持つ竜とあります。さらに、人に災いを及ぼす竜から、慈雨をもたらす竜もいます。同じく千変万化なのです。銅の属性・神秘性と、竜の属性と神秘性には合い通じるところがあると思うのです。Mr.平様の想像力を付け足していただきたいと思うのです。
弓状列島は、ゆば端ライン♪ Mr.平 素人 | URL | 2009-01-11-Sun 02:15 [EDIT]
Dr.~♪> すごい!凄すぎる。両腕にジンジンときます。
銅については全くの無知ゆえにつよい興味をもっていました。出雲半島を人文史にからめるのもさることながら、その質的成因については全く分かりません。 形状については。アリューシャン列島、千島列島、日本列島、南西諸島の、各々の<弓状ライン>から、太平洋側へ強い力で引っ張られて形成していると推測できます。(拙電子出版・第三章小惑星の衝突と合体・3-2地球誕生への足取り) それにくっついて来たのが島根半島! 子牛ほどの銅塊ゴロゴロびっくり仰天! ならば、【島根半島(銅)ー能登半島(?)ー佐渡(金)】 のラインが考えられるから能登の(?)が楽しみ♪ これ極秘ですよ(笑) 蛇足ながら、北九州が北朝鮮のハムフン、中国地方がチョンジン・ナホトカ、金沢あたりから北海道の檜山支庁あたりの弓状ラインがシホテアリニ山脈に対応します。これら「ゆば端」が一気に太平洋側へ引っ張られ、その空隙をうめるがごとくに朝鮮半島が折れまがり入り込んだ!
この課題毎日考えても六ヶ月以上! Dr.の頭の廻転の速さには、ついてけない。困った々^^!
出雲半島は、なぜ破砕山脈に? Mr.平 素人 | URL | 2009-01-11-Sun 09:22
そのシナリオ
1. 原始薄皮溶融岩体)の小地球に、北太平洋元体惑星が衝突合体! この時、その淵々に“グリーンタフ”という膿が噴出。
2.北太平洋元体の 「沈み込みと、球体化」 の力によって、ゆば状の表皮は、太平洋側へ引っ張られ、各々の弓状ラインが出来あがる。
3.その後、太平洋は知らぬ存ぜぬと、約2億年で海底を塗り替えてしまった。
4. 時は過ぎて、四千年前の東北地方に降臨した巨大隕石によって発生した巨大地震は、波打ちながら西進する。
5.その細長い帯状の島根半島が後ろから波打ち、幾度も々も、揺すられる (巨船とイカダの違い) のですから、いかに固い岩塊とはいえ千々に砕ける。 ご先祖さま驚いたでしょうね。
( これ簡単に?調べる方法ありますよ♪ 互いの岩石の接触面が擦れて熔けている!)
6.その噴出帯(グリーンタフ)の切れ端が列島日本海側と、それに対応する大陸側にくっついているかもね♪ 「標高500mの山塊を狙え!」 とりあえず<朝日山地>をあげておきます。これも極秘? 以上、素人探偵の “job No2” でした。すでに掘り上げすみでした(Dr.言)
一太郎 | URL | 2009-01-11-Sun 20:58 [EDIT]
もう、立ち入るすきもないですよ
こんな長文になると・・、メモリもくいますね
(・・||||rパンパンッ
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-11-Sun 22:03 [EDIT]
一太郎さん> コメント&パンパンありがとう御座います♪ そんなことはないかも?
< 能登半島・朝日山地に金鉱脈はあるか?>
出雲半島(銅)-能登半島(?)-佐渡(金)-朝日山地(??) ← 地下鉱脈・グリーンタフの噴出ラインと推んでいます。 グリーンタフが地下深くから地表近くに噴出し、その鉱脈には金が含まれることがあります。 朝日山地は新潟・山形県境ですから、気にとめておいて下さい。<佐渡に近いぶん、ひょっとしたら金鉱脈が!?> これを確かめるの誰でもできますよ! 「佐渡北側の表皮岩と、朝日山地北側の表皮岩の “岩質が同じ” であればその可能性は大きいよね^^!。 何かの情報があったら教えてください。お金があれば山買い占めて・・・、(笑)
竜と銅・第三弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-13-Tue 09:31 [EDIT]
Wikiに次のような指摘があります。『竜山文化は仰韶文化が終わった後の紀元前2500年ごろに始まったもので、こちらの特徴は黒い土器です。ですのでこのようなものを黒陶文化と呼んでいます。この頃には高温で焼く事が出来るようになったために薄手で硬い土器が作られていました。この文化の終わりごろになると銅器も作られるようになりました。』・・・。
黒陶文化が有名なので、青銅器はあまり語られていません。しかし、その影響力は絶大で、次の遼東半島文化につながります。特に、wiki以外の指摘に、・・・『文様には弦文・竹節文・透かし孔などがあり、一部に商(殷)周時代の青銅器にある雲雷文や饕餮(とうてつ)文などに似たものもある。習俗として抜歯・頭骨変形・卜占(ぼくせん)など、大汶口文化からひきついだものがみられる。』・・・とあるように、日本列島にも大きな影響をもたらしたと思われます。
鷺銅山・鵜峠銅山・鰐淵銅山が、鷺の竜山につながる鉱脈を源泉とするなら、なぜに、その源泉を「竜」といったのか。中国の古い大きな文化の記憶が貼り付けられたのではないでしょうか。
ご指摘のとおり、島根半島のグリーンタフは、山形・秋田で再び地表に現れてきます。秋田が鉱山で有名なのはそのためです。そして注目すべきは、八郎潟・男鹿半島と考えるのですが、・・・オッと電話です。
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-16-Fri 21:06 [EDIT]
Dr.> コメントのお返事おまたせしました。
今回のDr.コメントは、中国の歴史についてであり、初めて目にする耳にする言葉が殆どで、その読み方もわからず手こずっています。師のおっしゃる「中国の一言では表せない」多様な歴史の一端をみる気がいたします。そのなかで<中国でBC2500年ごろからの竜山文化とか習俗として抜歯>とかがあったようですから、素人が考えている<竜神文化>は再構築の必要があるようです。 「黒い土器→祭器←隕石の冬>の線を思い浮かびましたが、巨大隕石が四千年前、黒陶文化が四千五百年前ですから、これも当たっていません。
「男鹿半島=グリーンタフ!」、おもしろいお考えですね。さらに広げて「♪西にも東にも~♪」 90年代の初め頃だったかな?「お上が金鉱探しでグリーンタフを!あれって、その後はどうなったのかな?」 私<史実探偵に聞きにくれば【男鹿半島・八竜にも、必ず油田がある!】と、教えてあげるのにねえ。(笑) この場合、相手がお上ですから、たんまりと礼金を♪と、マネージャーの黒孔雀(ブラックジャック)がいってます ^^!)
竜と銅・第四弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-19-Mon 10:54 [EDIT]
平さんが、出雲竜の頭部だとされる大社・日御碕の山塊の西の果て日御碕灯台は、日本でも珍しい、柱状節理の見られる岩盤の上に立っています。
参考=柱状節理:http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/fieldguide/book/078.html
この参考のhpからすると、柱状節理は溶岩の変形であり、日御碕灯台の下には、柱状節理を作り出した溶岩(マグマ)があるということになります。つまり、出雲竜の頭部は、溶岩(マグマ)の上に横たわっているということになります。島根半島は決して火山活動が作り出したものではないと思っていましたが、ここからすると、島根半島の隆起は、地下深いマグマの活動、盛り上がりが地表に影響を与えたからではないかと思われるのです。さらに、隠岐の島の島前は大きなカルデラだとされています。ここで、三瓶山・大山・隠岐島前を結ぶ大きな三角形が出来上がります。そしてその中間点に横たわるのが、出雲竜(島根半島)だということになります。そして、日御碕の柱状節理が、ただ冷えて固まった溶岩でなく、噴火寸前の溶岩だったとしたら、まさに、竜の口から火が噴き出ていたということになったのではないでしょうか。日御碕の柱状節理・・・是非ご検討ください。更に言えば、これもそれも平さんご指摘の天変地異と関わるのではないかと・・・。
竜と銅・第五弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-19-Mon 16:06 [EDIT]
午前中のコメントから、私の妄想癖が・・・。島根半島の地底深くにマグマが潜んでいることは、島根原発の安全性を担保するために周辺の活断層が調査された結果からも判明しています。
これは大変なことではないでしょうか。隠岐の島前がカルデラであったことの証拠は、隠岐の島々の壁腹から黒曜石が産出され、それがナイフ代わりの石器として各地に運ばれていたことからも分かります。黒曜石は火山活動に伴うガラス質の変成岩だからです。
一方、島根半島が、マグマの上に乗っているのは、日御碕の柱状摂理から判明しました。そして、鷺銅山・鵜峠(うど)銅山・鰐淵銅山のように地表近くまで地底の銅鉱脈が押し上げられたのも、マグマの隆起が原因だったのです。
そして、島根半島の南には、休火山から活火山に格上げされた三瓶山(2003年の活火山の定義見直しで活火山に指定された。)があり、また西日本で一番活発に活動したとされる大山が東西軸の上に乗っているのです。
もし、このマグマが眠りを醒まし、再び島根半島を持ち上げないとも限りません。その時こそ、出雲竜(島根半島)が、覚醒され、動き始めるのではないでしょうか。一番マグマに近い出雲竜の頭部(日御碕)が頭をもたげ、うねうねと続く胴体と尻尾は揺れ動き、蛇行を始めるのではないでしょうか。
そして、柱状節理が示すように一番マグマに近い日御碕の突端(出雲竜の口)から、溶岩の噴出が起きるのではないでしょうか。
不幸なことですが、中越地震、能登地震、中越沖地震と日本海側に相次ぐ異変ともいえる大地震の連発は、出雲竜の眠りを遠くから醒まそうとする揺らぎではないでしょうか。
その時に備えるべき日が近いのではないでしょうか。不幸の到来を喜ぶものではありません。災いを最小限にするために、予知し予期し、その日に何を備えるべきか、平さんのご明察と「平トラダムス」ともいうべき予知能力と想像力に期待したいと思います。
Dr.コメント第四・五弾へのレス Mr.平 素人 | URL | 2009-01-19-Mon 21:00
Dr.~> すごい、すご~い♪ コメントお待ちしていました。
島根半島出雲竜が、日御碕から柱状摂理という<火舌>をのぞかせた!
これは、師が教えて下さらねば分からないこと! 隠岐の島や大山まで取り込めるかどうかはわかりませんが、おもしろくなりそうです。
なるほど(訂正) shigechanizumo | URL | 2009-01-20-Tue 09:30 [EDIT]
私のつたない文章を、『日御碕から柱状摂理という<火舌>をのぞかせた! 』などと、すばらしいフレーズに・・・この中の「柱状摂理」は「柱状節理」の誤りです。訂正します。
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-20-Tue 18:07 [EDIT]
Dr.~> コメント&ご閲覧ありがとう御座います♪
もし、投稿コメントの訂正(変換誤記)等がありましたら[EDIT]をクリックなさると[訂正とか削除]ができるかも・・。 私が訂正してみたのですが投稿者名がDr.ではなくて「平素人」になりましたのでやめました( 汗~!)
<Dr.の柱状節理の情報>は、今あげている記事の核心部分になりますので、お後の楽しみにとっておきま~す。^^!
竜と銅・第六弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-22-Thu 10:03 [EDIT]
地質学には詳しくないのですが、私の推測は次のとおりです。出雲の西の三瓶山と東の大山という二つの火山の地底にはマグマがうごめいています。このマグマの上昇や下降がこの二つの火山を結ぶラインの隆起や陥没や地溝帯を作り出したと思われます。陥没の痕跡は、宍道湖・中海の湖沼と低湿地帯です。地溝帯は、海潮温泉や玉造温泉を生み出しています。さらに、陥没の北側では、再び隆起が起こったのです。それが島根半島だったのですが、マグマの上昇は地表近くで止まり、噴火には至らなかったので、柱状節理が出来たと思われます。そして、島根半島の北側では再び陥没が起こり、それは日本海の海底となっています。島根半島の活断層は、こうした地層の変動によって引き起こされたものでしょう。さらに、次のマグマの上昇は隠岐の島あたりで起こったのです。この上昇は、噴火を伴ったものでした。そして、その大爆発は、西ノ島(島前)のカルデラを作り、その外輪山が、島前の島々が円形に並び、海上に頭を出しているという状態なのです。以上より考えると、島根半島の地底にはマグマが存在し、その上に出雲竜が横たわっているということになります。とすると、横たわる出雲竜を封じ込めるだけでは不十分で、地底のマグマを封じ込まなければ、出雲竜はその封印を、下から持ち上げるようにブッ千切ってしまうのではないでしょうか。おっしゃるとおり、出雲竜は、真ん中の止め釘と、四方の止め釘で封印されていると思いますが、マグマの隆起に耐えられるでしょうか。そして、その隆起の原因となるのは、内因するマグマの動きだけでなく、外からの大きな衝撃も考えられます。今まで幾度か、島根半島を直撃した隕石もありますが(美保関隕石)、小さなものでした。また、私が推測するところでは、出雲大社の西に「鏡の池」というものがありますが、底なし池だとされています。私は、この池は、隕石が衝突して地底にもぐりこんだことから生まれたものではないかと思っています。鏡といいますが、これは顔を映す鏡ではなく、「カガ、カカ」すなわち蛇の池だと思っています。この鏡の池を生み出した隕石の一部が、出雲大社のご神体(不思議な重さの石)だと考えています。出雲竜の眠りを醒ますのは、マグマの再びの活動か、はたまた、巨大隕石の再びの衝突か。平さんの御明察を期待しています。
<島根半島の成因について>
島根半島と、大山、隠岐の島、三瓶山(火山)等の目に見えるものから、地下のマグマの状態を推察する。師のお考えに敬服します。
島根半島の成因について、私は、つぎのように考えています。先のコメントで、日本列島を含む弓状ラインは、太平洋側へ強く引っ張られたからだとしました。 この力の発生については、後述するとして、弓状の日本列島と日本海にしぼって取りあげてみましょう。 『 日本海は、一気に造られた!』 これは、どこぞで見かけたお説で、わたしの論ではありません。 私は、太平洋側への引っ張り力と、この日本海一気論とをあわせて、つぎのような考えを築いています。
地球創世期において、球体内部は熔けて、その表面は冷えて陸地らしきものができた。 例えれば、つきたての餅の表面だけが“こわばって”いる状態。(このような状態は寒い冬に外でお餅をついた時になります)。この餅を二つに分けると「伸び餅状態」になり、柔らかい内部と、表皮の固まりかけた部分に分かれます。柔らかいところが日本海で、固い部分が日本列島。 ちなみに、陸の成因と海の成因はまったく違います。(中学生さんに^^!) これを確かめるには、日本列島の地図を切り抜き、大陸側に沿わせて下さい。 ちょうど、ウェゲナーが、「大西洋を挟んだ大陸どうしが合わさる」 と言ったように、ぴったりと合わさるはずですから(笑)。朝鮮半島は別ですよ。その空隙を埋めるように、あとへ折れ込んで入り込んだのですから。 ウェゲナーは、その大陸移動説を海を渡らないミミズの分布でしらべあげ、それが、それぞれに対応していることで証明したといいます。これってほんとですかぁ^^?
<弓状ラインを生んだ形成力は?>
ここで先にあげた太平洋側へ引っ張る力についての私見を述べます。地球は隕石の集合体であり、トーナメント方式で肥大化したものとみています。最初は小さいもの同士から、段々と巨大化して、惑星同士の衝突合体へと進みます。その大きさをはっきりとは言えませんが、始元地球体の大きさをサッカーボールとしましょう。 それに、後や先は判りませんが、ソフトボール大の北太平惑星と南太平洋惑星が衝突合体する。 例えれば前述した<つきたて冷え餅>を両手でつまみ、北太平洋と南太平洋という親指二つで押し込み、その反対側がひび割れ押し広げられた状態が大西洋かと考えています。 マントルの沸き上がりだけでは両大陸を引き離すほどの力は生まれない。(マントルの沸き上がり力、だけで両大陸が離れたとする考えに疑問を持つ学者さんもおられるとか?) さらに大陸移動説の映像をみると、一つであった陸地が分割し、それぞれに収まったとありますが、全陸地を表皮として合算した球体は、いま現在の地球の体積よりはるかに小さい。(笑) 海の存在がまったく語られていない。こども心には到底納得出来ない。 この惑星同士の衝突肥大化がない限り、海の表皮面積は生まれてこない。 (水惑星と陸惑星の不思議;これは私の言葉ではありません。地球儀があれば確認してください。大洋の反対側に大陸があるはずですから、これも中学生さんね(^^!) さらに、このような合体が地軸を傾けたとするのが素人の:見解です。
<グリーンタフについて>
北太平洋溶岩体の沈み込みの力は、漬け物フタを押さえたときのように、周囲の表皮を引きずり込み、プッシュした力は、表皮の切れ目・ほころび目あたりに噴出する。その断続については推みきれませんが、その顔をのぞけたところが列島の日本海側にあるグリーンタフ(島根半島、能登半島の先端?、佐渡島、等々)かなと思っています。 念のために言い添えますが、その時期は、ウェゲナーが言っている地球創世期で、師の言われている海岸近くの熱の沸き上がりは、比熱の大きい海水と重力の大きい陸部との境目あたりの噴出かな?と考えます。 「マグマの熱だって、比熱の大きい海水に抵抗されたり、重力の大きい陸塊に阻止されれば、熱を伝えやすい金属(銅)鉱脈を伝わって上にあがってきますからね」。鳥海山も大山と同じ成因かな? 素人はこれを<地熱のほころび目>と名付けておくことにしましょう。(^-^)♪
<隠岐の島について>
今あげている記事の主題は、「驚愕の島根半島・出雲竜」ではありますが、これは何故に出雲が「八百万の神々が集まるほどの力」をもったのかを解き明かすためのものですから隠岐の島についてもふれてみましょう。
師のお言葉で、隠岐の島について、つぎの二つをあげておきます。
「次のマグマの上昇は隠岐の島あたりで起こったのです。この上昇は、噴火を伴ったものでした。そして、その大爆発は、西ノ島(島前)のカルデラを作り、その外輪山が、島前の島々が円形に並び、海上に頭を出しているという状態なのです。」
「隠岐の島前がカルデラであったことの証拠は、隠岐の島々の壁腹から黒曜石が産出され、それがナイフ代わりの石器として各地に運ばれていたことからも分かります。黒曜石は火山活動に伴うガラス質の変成岩だからです。」
素人は、隠岐の島について多くを知りません。今の今まで火山成因か隕石成因かを決めかねていました。勿論隠岐の島が火山成因であることは衆知の事実です。それを疑ってかかるのが探偵の性ですから、どうぞのお許しを。でも、「黒曜石の壁腹」で火山成因が決定づけられました。しかも、ナイフ石器として各地に運ばれていた。中学生さんのために言い添えますが、石器・縄文・弥生前期・後期・古墳代と変わるにつれ、石器・木竹製器・土器・銅器・鉄器へと変わってはいきますが、列島に住む人達にそれ等がすべて行き渡っていたとは思えません。なかで銅製品は、前述のように祭祀専用に。鉄製品でも古墳代の刀剣として出土しているわけですから、一般の生活用品に使われるようになったのは遙かに(?)あとのことです。
もし私達がサバイバル生活を強いられたならば一番先に必要とするのは<ナイフ>です。
器がなければ手でつまめばいい。木でも竹でも加工すれば器にはなりますが、加工するのにナイフがいる。つぎには「火」。火をおこすには木でもできますが、火打ち石のほうが早くて便利。黒曜石の硬度は;5 一般的な石英の硬度は;7 サヌカイト(讃岐産)も硬度;7 これ等の原石は、どこにでも転がっているわけではなく、その大きさや量、地域性もあり、より固い石を求めて探し歩く。
師の言葉で隠岐の島の黒曜石が「ナイフ代わりの石器として各地に運ばれていた」とありますから、出雲の交易品としても扱われていたのでしょう。私は、その交易をした人達は、さきにあげた秦の始皇帝が遣わした「徐福の3000人の童男童女集団」に関係する人達であったとみています。 徐福の立ち寄り伝説というのは東北地方にまであるようですから、それ等の人が列島各地を不老不死の薬石を求めて、探し歩いたのでしょう。 出雲には、徐福伝説はない(?)ようですが、銅鉱石ゴロゴロ、砂鉄粒々、粘土ありの、浅い海と干潟ありいの「豊かな出雲」を見逃すはずがない。 徐福伝説がないことがかえって怪しい?! 私達は当たり前と思うことは、口にしないし歴史としては語らない。もし私が徐福なら列島文化の中心地にベースキャンプをおく。それが出雲か、九州か、伊勢か、はたまた他の地かは知らないが、そういった所には、主立った部下をおき、その地の珍品を本土中国へ送り続ける。そして、いかに圧倒的優位な文化を持つ集団でも、現地の人達の力を借りなければ「事は」成しえない。それは、今も昔も同じである。 今やっと解った。『津』という言葉の統一流布を誰がなしたのかが。
<祖先からの地名伝言>
島根半島西部山塊の日本海側に<十六島>と書いて、「うっぷるい」と読む地名があります。この発音は、日本語にはない響きがあります。さらにここへ流れ出る川の名前が<唐川川>(笑)。何と読むのか知りません。この上流に<別所>。ふつう私達と同じ集団が住んでいたなら<別>の字はつけません。ここには多少の水田はありますが、その昔においてはとても厳しい住環境かなと思います。何故<別所>なのか? 私は、ここで“銅鐸を含めた銅の精錬・鋳造”をする大陸からの技術集団が住んでいたと推んでいます。 ここへ交換の衣食をもって、銅鐸の制作を依頼しにいったかと。松江あたりを朝出発しても、その日の明るいうちには別所へは着きません。途中山中へ泊まらねばなりません。その場所に<旅伏山>という地名が残っています。 これが当たっていれば出雲には早くから大陸の文化が入り込んだ、列島でもまれに見る“先進地”かと思います。
「銅か」(首を掻き取る武器)は、日本で考え出された武器ではない!
大陸からの “最新兵器だ!” その最新兵器で、大の字に眠る<島根半島・出雲竜>は、封印されている。その「銅か」と、ヒスイの勾玉が出土したのは、大社近くの「命主神社」だった! 命主神社は「大の字」の書き始めの位置にある! 次なる私達の行動は、鷺峠を越えて、その筆止めの『日本海側にある神社』の境内に埋められている“銅かとヒスイの勾玉”を掘り上げることだ! その境内には命主神社とまったく同じ大きさの岩があるはずだ! その大岩で「次なる」銅かと、ヒスイの勾玉は押さえ付けられている! わたしは誰彼は問わない。 その一番手柄をあげる御仁が出現するのを熱望する! でもね、今(1/28)は、雪が積もってると思うから暖かくなってからのほうがぁ~・・・、ねえ○○さん!(笑)?
『出雲竜の眠りを醒ますのは、マグマの再びの活動か、はたまた、巨大隕石の再びの衝突か。』と、師のお言葉にありますが、出雲竜の眠りを醒まさせるのは、マグマの活動でも、巨大隕石の衝突でもありません。 それを<醒まさせる>のは、師と私と、それを見守り、励まして下さるクルーです。(^-^)♪ 「鏡の池」については、つぎに回しましょう。
<第六弾の、末尾文を移載します>
私(Dr.izumo)が推測するところでは、出雲大社の西に「鏡の池」というものがありますが、底なし池だとされています。私は、この池は、隕石が衝突して地底にもぐりこんだことから生まれたものではないかと思っています。鏡といいますが、これは顔を映す鏡ではなく、「カガ、カカ」すなわち蛇の池だと思っています。この鏡の池を生み出した隕石の一部が、出雲大社のご神体(不思議な重さの石)だと考えています。
竜と銅・第七弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-22-Thu 16:43 [EDIT]
さて、平さんへの情報提供として、「鏡の池」の様子をお知らせします。この池の淵の北側には、天神さん、すなわち天満宮が祭られています。出雲大社と天神さんの組み合わせは不思議な組み合わせです。しかし、毎年七月には、天神祭りが挙行され、学問が上達するとして私達は、筆やペンを持って参拝し、それらをお供えするのです。しかし、これは俗的な行事であって、その本来のお祭りは、天変地異をもたらすという怨霊である菅原道真に仮託して、実はその池で起こった天変地異、すなわち隕石の落下の記憶がその根源だったのではないでしょうか。菅原道真は、雷、雷光、落雷で都の貴族を脅かしました。そのような現象とよく似た隕石の落下と衝突、そして吹き上がった噴煙とぽっかりと大きな穴が開いた場所という遠い記憶があり、その後に水がたまって池となったことを、後の世に天神様の仕業だとこじつけたのだと思うのです。しかも、放射性の物質が周囲に残ったことから、蛇がいる危険な池、すなわち、「カガミの池」と呼んで、この池に近づかないというタブーを作り上げたのではないでしょうか。そして、隕石の一部が地上に残っていたのを見た人々は、周囲の普通の石と比べると尋常ではない重さであることに気付いたのです。そして、その石は、やがて、神が天から降らせた石だとして崇めるようになったのではないでしょうか。残念ながら、隕石が衝突した鏡の池の周辺は、低湿地の泥地であったため、粉砕されたその他の隕石の破片は、泥の中に埋もれてしまい、すっぽりと開いた穴と、地上に残された隕石の一部以外は何の痕跡も残されなかったのです。出雲大社の御神体、近くの底なし池、天神・・・何かが隠されているとにらんでいます。ご参考ください。
<出雲大社・御神体の降臨の最有力地!>
さすが、Dr.♪> 早々に、その候補地を挙げられました。
「鏡の池」のネーミングがいい。鏡餅もありますよね。 ふつう、池に「鏡」の名前はつけませんから。「底なし池だ」というのもいい。「蛇・カカが潜り込む」というのもいい。「天満宮・天神さま」というのもいい。「菅原道真は、雷、雷光、落雷で都の貴族を脅かしました」 そして、筆は見ようによっては隕石落下に見えます。
<御神体の落下地なら!?>
こんどは、<99%>そこが御神体・隕石の落下地として考えてみましょう。(^^)♪
①時期は、何時か?
天神様のまつりが7月があやしい。時間は?何時からその神事が始まるのか?「鏡」と付いているが、その降下は銅鏡文化の以後の命名か? それとも・・・・?、
②その池の形と、サイズは?
カガミというのは銅鏡の円形のこと。まんまる池か?( これは必須条件!) かりに御神体の重さを200kgとした時の衝撃がつくる円痕の大きさは?
③その池の深さは? ( じいさまぁ~釣り糸たれる出番ですよ-笑 )
御神体の仮殿移行は、何人でかついでいるのか? ( 蛇足;御神輿文化へ移行 ) 200kgなら4人? 300kgなら6人? それによって、専門家なら深さを算出できる。
④「低湿地の泥地であった」 とありますが、
軟着陸か?(笑) 粉砕・分砕か?( 後に分骨等の慣習あり?) その着弾地面の物理的・化学的状況は? ( これは、後のことになるでしょうね^^!)
< 証拠、固めとして >
⑤その 「飛来の方向」 は?
潮温泉の近くに<飛石>の地名がありましたが何故か? 又、隕石に関係する<地名・姓名>等の分布から、その飛来方向が推定出来ないか?
⑥これに関係するその他の 「伝承」 はないか?
素人は、祖先からの伝言を受け取るとき、それは 「言葉とか表現の違いである!」としています。
⑦その池の周囲に<ストンサークル状>の石組みはないか?
私・史実探偵は、ご先祖様が、それ等の遺跡を<冒すべからざる所>として、必ず残しているとの経験をえています。 それが破壊されだしたのは、ごく近時です。 ご先祖様が怒っておられる!「 神を恐れぬ不届き者めが!」 と。
これは、そこが<隕石落下地>であることの必須条件です。
竜と銅・第八弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-23-Fri 10:02 [EDIT]
出雲大社は、『古事記・日本書紀』の記載が強烈であるため、出雲が大和に屈服した時代の頃からのものと考えられがちですが、実は出雲大社の境内は、もっともっと古くからの祭祀場だったと思われます。そのことを示すのが、出雲大社境内遺跡と呼ばれる遺跡は、縄文時代に遡るものなのです。同じく出雲大社の東にある、菱根・本郷遺跡も縄文時代からの遺跡なのです。とすれば、平さんが指摘される、BC2000年頃の天変地異が発生した時には、出雲大社周辺で、人々が生活を営んでいたことになります。そして、その人々が、祭祀場としていたのが今の出雲大社の境内だったのです。ここからすると、その出雲大社境内の西に、大きな隕石が落下し、鏡の池を作ったことは、当然その目撃者や被害者がいたことになります。しかも落下地点は自分達が祭祀場としていた場所だったのですから、まさしく神が落下した、あるいは神が降した石だと思うのは当然ではないでしょうか。ここで、出雲大社境内は、他にもあるたくさんの縄文時代の祭祀場とは異なった、特に神聖な場所として語り継がれるようになったのではないでしょうか。出雲大社のある場所は、決してオオクニヌシなどの時代になって初めて神聖な場所となったのではないのです。とすれば、出雲竜の記憶も、はるか時代を遡るものであり、出雲創生の時代は、まずこの出雲竜の出現、あるいは巨大隕石の出現時期に焦点を合わせるべき事になるのです。先学が指摘するように、オオクニヌシの国造りの前史として、出雲にはヤツカミズオミツヌの国引き神話があります。この神話は、縄文神話だという有力な指摘があるのです。出雲の人が、神が遠くから四つの地塊を引き寄せ、それが島根半島となったという伝承を語り継ぐようになったさらにその前史に、出雲竜の出現があったのです。すなわち、国引き神話という雄渾な神話が、出雲という土地で語られるようになったのは、それよりも大きな衝撃的な出来事が出雲で起こり、その変形物として国引き神話ができたと考えられるのです。私が変形物というのは、国引き神話と平さんが指摘される出雲竜の出現の話とに、重なる部分があるからです。どこが重なるかといえば、つなぎ止めたという部分です。国引き神話では、四つの大きな地塊が引き寄せられつなぎ止められたのが島根半島です。出雲竜の話では、出雲竜は真ん中の止め釘と、四方の止め釘とでつなぎ止められているのです。そして出雲竜は島根半島なのです。この類似は、国引き神話の発生は、その根源に出雲竜が島根半島としてつなぎ止められたという、始原の記憶に基づくものなのではないでしょうか。平さんのご明察をお願いします。
<Dr.の言、その1.>
実は出雲大社の境内は、もっともっと古くからの祭祀場だったと思われます。そのことを示すのが、出雲大社境内遺跡と呼ばれる遺跡は、縄文時代に遡るものなのです。同じく出雲大社の東にある、菱根・本郷遺跡も縄文時代からの遺跡なのです。
<Dr.の言、その2.>
その出雲大社境内の西に、大きな隕石が落下し、鏡の池を作ったことは、当然その目撃者や被害者がいたことになります。しかも落下地点は自分達が祭祀場としていた場所だったのですから、まさしく神が落下した、あるいは神が降した石だと思うのは当然ではないでしょうか。
* この二つを<地名伝言>で、検証してみましょう
【 出雲大社・周辺図式 】
約1km <出雲大社> 約1km
{ △奉納山 本郷
日{ (73m) 山根 弓
{ 仮の宮 中村 新町 東新町
{ (標高2.5m~5m6m)
本{ ヶ
{ 湖
{ 南北におよそ20m~30m高さの断続的な丘陵の連なり 浜
海{ 稜 △ 妙見山(56.9m)
{ 神西湖
<三瓶山> <大山>
* 出雲大社遺跡・等を遺した縄文の人達はどこへ住んでいたのでしょうか?
それは、<本郷>です!。 筆者は以前に「本・元・中」の類の地名がつく所は<中心のなか>だとしました。覚えていない?それは残念、今一度(笑)。 私達は今でも、少し田舎へいくと「元家、中屋、本家、等」の言い方が残っています。このような家から、分家、新家へと分かれていきます。 地名の場合もまったくいっしょです。 農耕採集を主とする民族は驚くほど定着性がつよく、たとえ為政者が変わってもほとんどの場合が定住しています。 何故こんなにつよい言葉でいえるのかというと現に変わっていないからです。特に「山、川、野、等」の始原的な地名は特例を除きほとんど変わりません。変えると「あんたの云う山どこよ?」って混乱をまねくからです。例えそれが国土地理院であっても地元の慣用を変えられないのです。
人口が多くなると中心地が移ることがあります。それが<中村>です。上の図式でそれを確かめて下さい。中村から新町→東新町へと発展した様子がわかります。このように中村を中心にして「前、先、後ろ、西東、北南のような方向性の地名が付いてきます。 大社の御神体・隕石?が、「どこへ、いつ」落ちたのかは、今のところ確定しないで、このような「状況証拠」を積み重ねていきましょう。
* 祖先が、その大社遺跡を残した時の地勢は、どうなっていたか?
列島に住む縄文の人達は、海と山の幸が得られる山際に住みます。それに飲み水が得られる川が要ります。それが<本郷>だったのでしょうか。 しかし、出雲の地形を論じるには、{それが何時かを定めて} 論じる必要があります。 宍道湖や中海は過去に、幾度かの海水位の上下が認められているそうです。今までに論じてきた<四千年前の巨大津波がつくった砂州> <隕石の冬による海岸線の海退>、それと <もう一つの大事変>による変異で?大きく変わっているからです。 <もう一つの変異>の方は、先にとっておいた<日御碕の柱状節理>と、ともに、今、揚げている記事の結論部分になるのでここでは控えておきます。(!^-^!)
とりあえず、暫定的に上図の新町・東新町あたりに海岸線をおいて考えてみましょう。東西に細長い島根半島と本州とつながっているのは、神戸川、堀川は別として、西側の<湖陵>だけです。言い換えれば、「巨大竜・島根半島」をつないでいるのは “綱状の湖陵” だけです。
→<四千年前に、東方から巨大津波が発生した>
その時、高さ約17mの弓ヶ浜ができて島根半島(島)と本州がつながり、津波が運んだ広大な砂州・出雲平野が出来る。
→<隕石の冬による海岸線の海退>が、
急速(1年2年のうちに)始まる。まいあがったチリは次第に降下し温暖化へと転じる。
ご先祖さま、おどろいたでしようねえ。 わたしも思考が錯乱して、どのように記事を組み立てていいのかが分からなくなりました。 おまけに仮想メモリが少なくなり処理スピードが超遅っぅ~( コンピューターも汗~かくのですかぁ?!) こんな時は、他ブログを徘徊?して気分転換をするに限る(笑)しばらくの休止時間をください。「亀さんが休んでどうするよ~怒、ふつう休むのは兎さんだろ!^^?) 少し新クルー>も増えてきたようです? そんなお人には<カテゴリー>別で御覧になることをお勧め致します。 クルーの方は、今一度、記事をふり返えれば、筆者が推理小説ふうに^^?、前触れヒントとして、さりげなく & ぎんぎらぎんに(笑)挿入した{言}が見つかるかも知れませんよ♪ そして、この記事は、表題と「Dr.コメ」に沿って書く予定ですから、先へ進んで<御自分なら何と返答>なさるかを考えると別の楽しみかたが加わるかも知れませんね♪。 2/1記(深礼)
<Dr.の言、その3.>
先学が指摘するように、オオクニヌシの国造りの前史として、出雲にはヤツカミズオミツヌの国引き神話があります。この神話は、縄文神話だという有力な指摘があるのです。出雲の人が、神が遠くから四つの地塊を引き寄せ、それが島根半島となったという伝承を語り継ぐようになったさらにその前史に、出雲竜の出現があったのです。
「国引き神話」の話は、
御ブログで初めて知ったのですが、師のお考えにまったく敬服同感です。
では、島根半島・出雲竜を『つなぎ止めた』発想は、どこから生まれたのでしょうか? 島根半島を竜とみる考えについては前述のとおりですが、前で図示したように島根半島を本州につないでいるのは、出雲平野の西端にある南北におよそ20m~30m高さの断続的な丘陵の連なり<縄状の湖稜>です。
四千年前の大事変以前には、
弓ヶ浜は影も形もなく、斐伊川や神戸川がつくる出雲平野は、ごく小さいものであった。(これは前述した素人の持論です) 本州から<島根島>へ渡るには、神戸川や堀川の川渡りはべつとして、この湖稜づたいに行くか船で渡る方法しかなかった。
四千年前に西進した巨大津波は、
弓ヶ浜をつくり、出雲平野を造りあげた! ご先祖さま、驚いたでしょうねえ。『荒神さまが、弓ヶ浜という<綱>を持ってきて、前述した湖稜<縄>とでもって、島根半島を引っ張り寄せ、出雲平野をお造りなさった!』 この大事変をご先祖さまは、『国引きとか、国造りとか』のことばで云い表して御座るのに、それを「つくり話の神話」だなんて!、今の私達のほうが「どうかしてる」と思いますよ。 強いて、それをいうならば、この時に何かの異変があったかも知れない、<三瓶山火山や、大山>に、その縄や綱を括りつけて引っ張ったことぐらいでしょうかぁ。わたしは、我と我が身をその時におけば、無理からぬ話だと思いますが?
この「先学」を変える謎解きは、師の啓発なくては成し得なかったこと。 深く感謝を致します。(2/8)
<Dr.の言、その4.>
出雲竜の話では、出雲竜は真ん中の止め釘と、四方の止め釘とでつなぎ止められているのです。そして出雲竜は島根半島なのです。この類似は、国引き神話の発生は、その根源に出雲竜が島根半島としてつなぎ止められたという、始原の記憶に基づくものなのではないでしょうか。
次、ここへ書き込んでいます。^^!)、ノコノコ亀より(汗~!)
<命主神社について>
「Mac遊びの昼食」の <たねち様>よりの、承諾を頂いて掲載します。
場所は、古代出雲歴史博物館の北側 (大社町字森で、出雲大社東500m)
民家の間にあって目立たないので行き過ぎかけてしまいました。
祭神は、神産巣日神(かみむすびの神)。造化三神の一柱で、小さいですが、その名に恥じない立派な大社造りの社です。
大国主命は兄たちに憎まれて、伯岐国(ははきのくに:伯耆国)の手間山の麓で、だまし討ちに遭い、命を落とすのですが神産巣日神が蚶貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむかいひめ)を使わせて大国主命を蘇らせます。こういった要所要所で大国主命を助けたから祀られているようです。
大国主命が憎まれた発端は、因幡の素兎と八上比売(やがみひめ)が原因なんですよ。これは後で知ったのですが大国主命が命を落とした伯耆の手間山は、鳥取県会見町の手間山だそうです。ここに焼かれた大石を祀る赤猪岩(あかいわ)神社があるそうです。今度行ってみよ。
命主神社社殿裏に大岩があったそうで、出雲大社造営のため切り出された際に、そこからヒスイ製の勾玉と銅戈(どうか)が見つかったそうです。その場所には真名井遺跡と書いた標識がありました。出土したヒスイは糸魚川産と判定されたそうで、昔、出雲地方と越(高志)とで交易があったことをうかがわせます。
(中略)
命主神社裏からヒスイと共に出土した銅戈は、北部九州のそれの特徴があるそうで神話も合わせて考えると、越-出雲-筑紫の日本海交易ルートがうかがえます。(以上です)
<次なる、銅戈の埋め場所はどんな所で、どのような埋め方がなされているのか!>
銅かとヒスイは、荒ぶる<島根半島・出雲竜>を括りつけ“封印し”動かさないためのものであり、『大の字』の要所である5カ所に埋められていると推定しました。
Dr.>の言により、その大の字の書き始めの位置が命主神社であることが解りました! ( 註; この考えの発生は、銅鐸・荒神文化から、銅鏡・太陽神へ移り変わる卑弥呼以後のものだと推定しています。)
この記事は、銅かを掘り上げるのが主目的ですから命主神社の(いまさら恥ずかしいのですが何と読むのですか^^?)由来等は、その道に詳しい人にお譲りするとして、素人は<たねちさん>の言葉から別の角度で切り込んでみたい♪
<次なる “銅かとヒスイ” の埋め場所を特定するには、>
第一に、たねちさん>言で、そこが「民家の間にあって目立たないので行き過ぎかけてしまいました。」と、云われるほどの場所であること。
第二で、「小さいですが、その名に恥じない立派な大社造りの社です。」と、云われるように、小さいながらも格式を保った「社」等があること。
第三に、「祭神は、神産巣日神(かみむすびの神)。」とあるように、そこに『結ぶ』等の“いわれ”が残っていること。
第四に、「命主神社社殿裏に大岩があったそうで、出雲大社造営のため切り出された際に、そこからヒスイ製の勾玉と銅戈(どうか)が見つかったそうです。」 これに合わせて、Dr.>の言では、「出雲竜の話では、出雲竜は真ん中の止め釘と、四方の止め釘とでつなぎ止められているのです。」と、あります。
<これは大切なことなので深く追求してみましょう>
祖先は、ヒスイの勾玉を埋めることで、その場所を巨大竜の首部だとし、銅かを埋めることで、師の言葉を借りて、縛り付ける “綱の一端を釘付け” にする考えに及んでいますから、銅かは、<突き立てる>姿で埋めてあったことが想像できます。「首根っこを押さえる」という言葉がありますからね。 その銅かとヒスイは当時の最高技術品で、最高の品質のものでなければなりません。これ等は、ともに中国の影響を強く受けた品々ですから、それについては専門家にお任せしましょう♪
そして、次には、その銅かを打ち付け押さえつけた 「大岩」 について述解しましょう。 その大岩は 「社殿の裏」 にあること。 「出雲大社造営のため切り出された際」 にとありますが、その岩は、【小さく割られて転用】されたのですか?? もし、そうだとしたら 「貴重な財産」 を失いました。(^^!) でも、それは遠くない昔?ですから、当時建設に携わったお人に聞けば、転用した場所が分かるかも知れません。 想像するに、それは当時の人が動かせる最大級の岩であること。 これは、とても大事なことです。何故なら、他の「四つの大岩」も似たようなサイズでなければなりません。その一つが小さければ、せっかく打ち付けた釘が、そこから抜けて竜が暴れ出さないとも限りませんからね(笑)。
蛇足ながら、貴方のお住まいの近くに大岩を突き立てたような信仰の場所があれば、この考え 「荒ぶる神を押さえつけて大人しくして頂く考え」 を継承しています。 さらに中学生さんに(笑)、貴方のお家の庭に大石が突き立ててあれば、災禍をなす荒神さま、「どうぞ大人しくしていて下さいね」 という意味があると承知しておいて下さい。(^-^) さらに々に、頭に火のついたロウソクを括りつけ深夜のわら人形に五寸釘を打ち込むなんてぇのがありますから、その呪術は深夜に行われたのでしょうか? あな、おそろしや、恐ろしや!
*別談ながら、たねちさん>の言に、
「ここに焼かれた大石を祀る赤猪岩(あかいわ)神社があるそうです。」
これは、出雲大社の御神体が「イノシシの形」をしているように思えます。
空を飛んでるイノシシの上に、「三頭一身」の武神(満利支天?)を描いた
掛け軸を見たことがありますから、すみませんが、Dr.>これについての
コメントを下さい。御神体の隕石は、三分割したのかも知れませんから?
< 鷺峠に大岩があれば、その下に!?>
大岩があった<真名井遺跡>から、次なる埋め地の<鷺峠・さぎとうげ>へ向かいましょう。 ( 註; このように記述すると、さも実地を踏破したように思われるかも知れませんが、Yahoo!地図や、国土地理院の電子版地図上でのことですから、どうぞ誤解のなきように(^^!)
真名井から鷺峠に向かうには、大社の後ろ山・八雲山175mを挟んで右側と左側から上る二筋の道がありますが、首飾り?縄は、クネクネと曲がるのは嫌ですから右側の道を選びましょう。こちらの方が道幅は狭いようです。これも途中でクネッと合流してますから直に行きたいですね。この山塊には「出雲自然道」というのがありますから、遙か古代より受け継がれてきた隠れ山道に沿って整備されているのかも知れません。 車での通行は出来ないかも知れないので地元の人によく聞いて下さいね。大社の西から上がる方は、それより少し復員が広いようですが、それでも今は雪が積もっていると思われますので、雪解けを待ってからですよね!。
峠に着きました。国土地理院の地図で、その峠に立った東側の斜面を50mほど上ると“黒い印し”がついていますから、おそらくそれが「大岩」なのでしょうね。しかし、くれぐれも『俺が、私が一番手柄を♪』等と、現地破壊をしないようにしてくださいね。素人が言いたいのは、「その銅かやヒスイの勾玉」よりもその現状が大切だと思われるからです。そこに同サイズの大岩があれば100%です。100%の言葉は使いたくありませんが、このように祖先からの地名という伝言や、いわれを当時の科学だと気付ば簡単なことなのです。
もし、これで納得できない御仁がいたら、もう一度「カテゴリー出雲」を読破なさって下さい(^^!)。 それでも「???」が付くお人が居たら、「 どうぞ、御勝手に!」 Dr.~、ジイサマァ~、たろさぁ~ん・・・、どうかぁ“ブレーキ”をぉ~! 積年の恨み辛み・・がぁ゛噴・・(笑)
この鷺峠を散策して<次なる銅か勾玉の埋め地の鷺浦>へ向かいましょう。
しかし、こっからの北下りを国土地理院の電子版地図で見ると、雪が積もっていなくても難儀するかも? 雪崩注意報も出てたりしますからねえ。 引き返して、○道431号線に迂回して<畑口>あたりから<十六島・うっぷるい>方面からいくことに行くことにしましょう。 今日(2/9?) NHKの8Oちゃん号、十六島で♪
< 銅か & 勾玉 の 埋め地・鷺浦!>
鷺浦へ行くには、十六島側からのほかに、大社から西回りで<笹子トンネル>を抜けて行く方法があります。こちらの方が道が広いようです。このように書くと出雲を熟知してるかに思われますが、これも「ネット地図」での徘徊?です。(笑)
ここは、日本海に面した入江で、小さな漁港のようです。文珠院というお寺があります。<お宮>もありますが地図に、その名は付されていません。その社の裏手に大岩があれば、その下で「三点目」のヒスイの大勾玉が銅かによって「打ち付け」られています。銅かは、真名井遺跡と同じ鋳型で制作されたものだと予測しておきましょう。 史実探偵: 平 素人
追 伸; つぎの「銅か」の捜索は、<大の字>の「ハネ部の2カ所」ですが、左ハネは<松江市!> 右ハネは<島根半島の日本海側にある島根!> 特に、左ハネの松江市は、師の御見識なくしては難しいのでよろしくお願いいたします。(深礼)
さて、ハネ部は竜の足ですから、首に架ける勾玉は埋められないですよね。(笑)何でしょう? 銅かという釘だけ埋めたとは思えません。師のお言葉に、「竜は金属を嫌う!」ガありました。これは大きなヒントになりました。青銅器ではありません。鉄です!現在の地鎮祭で四隅に『鉄球を埋めて』悪しきを鎮めるお祈りがあると聞いています。奴隷時代に鎖付き鉄球を足に施錠した歴史があります。『ハネ部には銅かと鉄球が埋めてあると結論します!』 西安の兵馬傭(秦代?)には青銅剣のみの出土ですが、その時すでに鉄器はあったとするお人がありました。ヒスイの珍重文化は中国、銅かも中国、加えて鉄球が出土すれば、きわめて時代も絞れてくるはずです。しかもそれ等が当時の最高技術で?最高品質で?あれば、それ等の技術者は日本にはなく?、大陸からの指導をうけたか、大陸へ発注したかの2通りが考えられます。・・・?、だん々卑弥呼に近づいてきたぞぅ~~~♪
<鉄球>であれば、大岩の脇掘って?金属探知機で簡単に!♪♪? '09.02.12
竜と銅・第九弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-23-Fri 10:54 [EDIT]
情報提供です。日御碕灯台に行くとき私達は、柱状節理の上を歩くわけですが、その足元の石の形は、五角形・六角形のタイルを敷き詰めたようなものとなっています。敷き詰めたと書きましたが、まさしく規則正しく並んでいるのです。おや、これは、竜のウロコではと思わせるものがあるのです。さて、鷺銅山のあたりには、今は自然銅の路頭など見つけることは出来ないのですが、黄銅鉱や黄鉄鉱などはたくさん見つけることが出来ます。たまには手のひらサイズの塊を見つけることもあります。今でもそうなのですから、はるか昔はもっとたくさんの黄銅鉱や黄鉄鉱が露頭していたことでしょう。そして、黄銅鉱や黄鉄鉱の形は、これまた五角・六角錐すなわち水晶鉱石のような形なのです。そしてそれが、黄金色に光っているのです。今の私達でも、どうしてこんなものがここにあるのかと思うのですから、縄文時代の人達は、さらに不思議だったことでしょう。ここで、語り継がれている遠い昔の天変地異の記憶がよみがえるのです。底なし池を作り、不思議な重さの石を残した、あの天変地異、すなわち隕石の落下の記憶です。とすれば、柱状節理も、黄銅鉱・黄鉄鉱の神秘性も、すべてあの時の天変地異に結び付けて考えられるようになったのではないでしょうか。そしていずれも五角形・六角形、これは竜のウロコに似ているとすれば、あの天変地異は竜が引き起こしたものだと考えるようになったのではないでしょうか。
< 逆鱗に触れる!>
Dr.>、 まさに “逆鱗に触れる”とは、このことをいうのでしょうか。「Dr.コメ第九弾」は、その逆鱗のようで、今の素人には、恐ろしくて記述することが出来ません。
『 わしを起こすと、その鎖を解くと、大変なことになるぞ! 心してかかれいっ!』
でもね、私には、それを両脇で支えてくれる <優しいじいさまと、力持ちの太郎さんと、じっと(笑)観ていてくれるクルー> がいる! 躊 躇(ちゅうちょ)するわけにはいかない。
竜と銅・第十弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-23-Fri 14:41 [EDIT]
平さんの迷惑を顧みず、第十弾です。平さんの出雲竜についての着目は、これまでの見解を塗り替えるものだと思っています。その理由は、出雲竜を中心に様々な出来事を見ていくと、謎とされていたことがすごく分かりやすく説明できるからです。
その一例を私の見た目から述べてみます。私は、なぜ出雲が古代からの信仰の発信地だったのか、よく分かっていませんでした。単に、出雲の人々は信心深かったからだとか、渡来人がもたらした新しい宗教形態が出雲に到来したからだとか、もっともらしい理屈をつけていたのです。
しかし、信仰や宗教の根底には、人知を超えた出来事を目の当たりにしたという、あるいは驚愕の事実に遭遇したという、人間の実存を脅かすことに出会ってこそ、そうしたことに出会わなかった人達と異なる心象を抱くことになるのだという単純なことを忘れていました。
そして出雲が、日本列島の中でもまれな、神々の物語や、宗教的特異性を持っているということは、出雲の人々が過去に、人知を越えた出来事に遭遇したという事実がそうさせたのだと考えるのが妥当であろうと考えるようになりました。
それが出雲竜の出現と、出雲竜のその後だったのではないでしょうか。宗教を広める、あるいは自分達の宗教が他の土地の人に認められるというためには、その宗教を語る当の本人に、確たる信念がなければなりません。その信念を湧き出させるのは、自分達あるいは自分達の祖先が、とんでもない体験をした、そうでない人達にはわからないであろうという、心の核を持たねばならないのです。
出雲の人々には、その心の核が、意識するにせよ、はたまた無意識の深層に横たわっていようと、出雲竜の出現という、原体験だったのではないでしょうか。その原体験が宗教的な様々な派生物となったり神々の姿になったり、あるいは敬虔な信仰心となったりしていたのです。
ここから出雲特有の、しかも出雲という地域にとどまらずに広く受容された、出雲発の信仰や神々、そして神話や・伝承が発信されたのではないでしょうか。信仰や神々のことをもっともらしく語ったり広めたりするのは、もしそれらが薄弱な根拠しか持たないものであれば、本当は恥ずかしくて語れるものではありません。しかし、古代より出雲の人々は自分達の神々や信仰を誇らしげに語っているのです。その根源は、出雲竜にあったのだと説明すれば、私達出雲人は、厚顔な人々ではないと分かってもらえるのではないでしょうか。独りよがりのコメントになりましたが、ご笑読くだされば幸いです。
「迷惑」だなんて、なにを仰いますやら、 Dr.あっての<解明>です。 ただスピードのほうがぁ^^!) そんな Dr.には、拙著の電子出版 ¥500「文芸社」
極秘報告書「巨大隕石と大津波」 ←クリックOK!
をお勧めします。 そこで時間つぶし?をなさっていて下さい。 これには、もっと々恐ろしいことがぁ~゛
<出雲地方の特異性について> 八百万の神々が集まるほどの!
出雲地方の特異性について、素人は次のような(シナリオ)を考えています。
1.BC.2001年12月25日の<西行き・列島大事変・巨大地震と巨大津波>の共有したこと。 (カテゴリー・巨大隕石と大津波を、参照してください)
2. それがたどり着いた西止まりの最終地に、海に浮いた特異形状・長さ約60km、幅約5kmの竜蛇形の島根半島があること。
3. その島根半島自体の特異性(Dr.述)に、加えて特異な天変地変があったと思われること。 これは、この記事の本論ですから、あとのお楽しみに(保管)しておきます。(^^)♪
4. 金属(銅鉄)文化がなかった以前でも、海と干潟があり、山に鳥獣が生息し、その植生等に豊かな生活環境があったと思われること。 筆者は、大事変前の平均気温を今より約15℃高かったとみています。(電子出版・報告書で)
5. そして、大陸の近く位置し、進んだ大陸文化が早くに取り入れられる列島1. & 2.の?優位性があること。
6. 露出銅鋼(Dr.述)があり、それが石器としても有用であったと思われ、砂鉄等においても豊富な鋼資源があり、それ等に目をつけた大陸人によって鋼文化が列島の他の地に先駆けて進んだと思われること。これにより、列島各地からの『銅鐸の制作・修理・大型化の依頼』があったと思われること。
7. そういった環境下で、何時とは特定出来ませんが<大社御神体隕石?>の降下があったと思われること。
8. これはその後になりますが、『卑弥呼が埋めたか、埋めさせたかの大量の銅鐸と銅剣』が、今現在で野洲や神戸に比していちばん多く出土しており、加えて「銅かとヒスイの勾玉」が出土すれば「卑弥呼が出雲に?」の可能性がきわめてたかくなってきたこと。
◎3.の島根半島特異な天変地変はこの記事の末尾に予定しています。(^-^!)
◎7.の出雲大社御神体隕石?、これは只今探求中で、これからの課題。
◎8.の出雲に卑弥呼がいたとなると、俄然その優位性は高くなってきます。
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-24-Sat 06:42 [EDIT]
Dr.~!> はやすぎ、速すぎますう~^^!
まるで、Dr.が少年の頃から抱かれていた疑問と、いずもの歴史とが怒濤の津波となって押しよせてくるみたい^^!> 師のおっしゃる「出雲の断片を見て、いずもを論じて欲しくない!」。 <出雲に八百万の神々が集まるほどの力> が何故生まれたのか?を私も知りたい。 今後ともよろしくお願い致します。 氏はPCピアニスト♪、私は人差し指二本のノコノコ亀!あとからゆっくり付いていくことに致しましょう(笑)。
只今(1/24)、 Dr.コメント第二弾へ(銅について)を加筆挿入ちゅうです。(^^!)
えっ!?、Dr.が<PCピアニスト>だと、なぜ分かったのかって?
種明かしは簡単♪ Dr.は、コメントを連ねることがあります。例えば00:40分に、続けて、00:42分に400字のコメントを! えっ!?、400字以上打てるって^^!) ついでに、他のクルーを紹介します。( ついでかよー、怒^^!) あるお人が稲穂を前にして田園風景を写しました。それには、赤とんぼが小さくこっち向きに写っていました。それはアップにしなければ分かりません。赤とんぼは一度逃がすと、なかなか次には寄ってきません。じっとそのシャッターチャンスを待っておられたのでしょうね。「偶然という必然性を」。 あるお人は富山湾を前にして曇天の下に連なる白く輝く能登半島を写しておられました。わたしは能登半島に前述の記事の中で金鉱?とか、交通路の遮断とかの思いを乗せて、じっと魅入っていました。と!?汚れのようなものが?虫眼鏡でみるとカモメでした。この方もその一羽がカメラアイに入るのを待たれていたのでしょうか? 写真に生き物を入れるとがぜん生気が入りますからね。 あるお人は愛児の後ろ姿を載せることがあります。ふつう後ろ姿は撮らないもの? 又、あるアルバムにはパパの姿は、ほとんどありません。その多くの写真を撮った父のまなざしを何時感じてくれるのでしょうか。 又あるお人は、ブログ友の死に際してシクラメンの花を掲げておられました。なぜでしょう? 和名は「かがり火草」。花言葉は「過ぎし日の楽しい時間」。そんな思いの献花だったのでしょうか・・・。素人は謎解きに、行づまった時そんな時間をもつことを覚えました。 一枚の写真に30分でも1時間でも・・・。
竜と銅・第11弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-26-Mon 15:47 [EDIT]
地名が出てきましたね。実は、十六島のみならず、よく考えると日本語離れした地名が島根半島にはたくさん見つかるのです。例えば、美保関灯台の近くには、軽尾(かるび)という所があります。野波(のなみ)というのも、海に面した平野などない場所なのに、野というのもおかしいですね。また、七類(しちるい)という所も少し様な響きですし、さらに、手結と書いて(たゆ・い)という所もあります。そして、恵曇(えとも)というのも普通では読めません。また、地合(ちごう)というのもなぜ地合なのか、よくわかりません。また、釜浦というのもありますが、なぜ海岸の小集落が釜なのか、そして、十六島です。その西の、猪目、鵜峠、鷺浦、宇竜もなんかおかしい。特に、宇竜は以前は、宇礼保(うれほ)と言っていたのですから、余計におかしい。なぜそのような名前がついたのか、『出雲国風土記』には詳しく書いてありません。半島側ではない所の地名には、オオクニヌシやスサノヲゆかりの地名起源などがたくさん載っています。しかし、半島側には、恵雲の地名起源は載っていますが、それ以外はほとんど載っていないのです。さて、十六島(うっぷるい)は、一説には、ご存知でしょうが、アイヌ語だという指摘があります。確かに、(っぷ)などは、ノサップを連想させたりします。また、別というのも江別、登別、紋別などの別とも考えられなくはありません。しかし、有力な説とはされていません。平さんのお考えを前提にすると、ひょっとして、北方で起こった大津波が、その人達を押し流して来たのかも知れません。そして、朝鮮半島の人達とのとんだスクランブルがあったのかも知れません。ご明察を・・・
茶飲み話 ♪
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-26-Mon 20:59 [EDIT]
Dr.こんばんわ> コメントありがとう御座います♪
かわった地名たくさん出てきましたねぇ~。 <地名&言葉>に関しては、Dr.のお得意分野!素人のほうが反対に聞きたいですう♪ 私の歴史的知識のほとんどは、御ブログで得たもの^^! なかで出雲の方言・言葉には大陸の響?があるという記事がありましたが、素人には、そのことも含めて「除福」のベースキャンプ地が出雲では?の疑問か頭から離れません。 ところで、中国の京劇と安来節の「高音部」が似てると思いません? お面なんかも「京劇と神楽」似てる? 以上、ハチャメチャ、どうぞのご見解を!(^^!)
茶飲み話 つづき♪
たくさん出てきた<地名伝言>のなかで二つ・三つを。 あとは保留か、どうぞのご勘弁を!
<軽尾>よく動く、つまりその地が波打った? <野波>がどこにあるのか知りませんが、これは師が興味を持たれている富山平野の<砺波・井波→海岸線から20km以上>と同類の名付けで、4009年前の列島津波が押しよせた跡かと? <宇竜は以前は、宇礼保>「宇」がつく地名は、「鵜呑みの、宇」と解釈しています。つまり、津波が海水を丸飲みして魚だけをその地に残して引き去った跡かと?このような所には<垂水>と付くことがあります。<釜浦>わたしも、その伝言が解けなくて悩んでいます。今は、宇竜>→竜の口部?とあわせた「お釜神事」かなと思ってはいますがウラが取れていません。 半島側は本土側と「別意」の地名!ありがとう御座います。 とても興味がわきました。(^-^)♪
追分 shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 10:52 [EDIT]
中国の京劇と安来節の「高音部」とは少し異なりますが、出雲には出雲追分というものがあります。出雲のような平野部で、追分とは珍しいのですが、これは東北の追分と同じ傾向だそうです。特に高音部の響きに特色がありますね。一説によると、ウラルアルタイ系の高音で、、スイスのヨーデルとも関係するそうです。なぜ出雲に追分が・・・。
Dr.~> 知りもしないのに何にでも首を突っ込むのが素人の悪癖。
どうぞご笑止ください。 そう言われれば、東北にも<追分け>の地名が? 美空ひばりさんの「りんご追分け」が有名♪ 出雲の追分けは、牛馬ではなくてヒョットして津波の分かれ目かも??
砺波・井波 shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 11:22 [EDIT]
平さん、さすがです。砺波・井波と野波の関係は、出雲の郷土史家さんからもいくつかの指摘があります。そしてご指摘のように、「砺波・井波」という富山県の地名が出雲から伝播したのか、その逆なのかも論じられています。また、国引き神話の、「良波」、丹波との関係も見過ごせません。
ここへの書き込みは、2/15です(ノコノコ亀より(^^!)
Dr.> 私は、除福(約○○年前)~卑弥呼(約○○年前の)日本海側の交流を、つぎの三つの混合として想像しています。①は、除福集団のもつ航海力と寄港の開発 ②は、中国に比して稚拙とはいえ琵琶湖で竜神船・工船の下地があった近江(商)人が除福に影響されて日本海へ繰りだした? ③は、「越中富山の薬売り」は、昔から有名!この人達が陸路の開発? これ等は一朝一夕にしてなるものではなく、出雲へ神々(地方神の神託をうけたお太夫さん)が集まった時には、すでに出来上がっていたのではないかと思っています。でないと竜神文化を色濃く残している?青森県の<十二湖・艫作崎>の説明がつかない。いちばんの難所は?能登半島廻り! そこで考えた船の係留♪東行きは、河北潟に船とめて残員おいて<倶利伽羅峠>。西行きは、<新湊>から倶利伽羅峠! いや待てよ。<七尾>からのてもあるか?等と考えてみる素人探偵でした。(^^!)
おやっ shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 11:26 [EDIT]
「猪目、鵜峠、鷺浦、宇竜」と出雲竜の頭の地名を列記しましたが、いずれも動物に関係していることが分かります。出雲の地名で動物に関係するものは、この他では、生馬などが散見されますが、あまりないのです。なぜ、島根半島の西端の海岸部の地名に、連続するように動物由来の地名があるのか、・・・おやっ!です。
Dr.~> そうですねえ。
西出雲には概して鳥獣名が多く、特に大社裏の山塊は気になっていました。祖先が地名をつける時、原則的には、そこに住んでいた人の<一番の関心事>につけるわけで、漠然と朝鮮半島の狩猟を糧とする人達の移入かなぁと思っていましたが、師の云われた、北方系の人達のセンも捨てがたくなってきました。
噴火 shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 15:30 [EDIT]
「三瓶町多根小豆原地区には、約4000年前の活動で埋積された巨木群が存在し、「三瓶小豆原埋没林」として国の天然記念物に指定されている。」・・・三瓶山の最後の活動時期が、大津波の時期と重なります。何かあるのでしょうか。
Dr.~> それは耳よりな話です!
史実探偵:素人は、三瓶山の噴火情報を『3500年前』だと得ています。富士箱根辺りや、岩手山の大きな最新噴火も、3600年?~3700年?前かと受けとっています。その500年ほどが埋められないのです。勿論!それ等が4000年前であったらいいなと思っているのは、言うまでもありません。さらなる詳しい情報を下さい。( 「何かあるか?」その理由を、どこやらの記事に書いたのですが思い出せない、・・笑?)
思いだしたのではなくて調べました(汗!) その記事は<BC.2001の巨大隕石>東北に!
ご指摘 shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 15:38 [EDIT]
平さんも、同様の指摘をされていますが、三瓶山の4000年前の活動による、砂礫、火砕噴の流出が、神戸川に流れ込み出雲平野の沖積を早めたとされています。天変地異は必ずしも害悪だけをもたらすのではなく、その時点では害悪だったことが、後の時代の恩恵になるという点は注目すべきことではないでしょうか。
ここへの書き込みも、2/15です(ノコノコ亀より(^^!)
Dr.> 三瓶山の噴火が4000年前?かどうかを除いてまったく同感です。 桜島大根! 出雲の大根!のように、火山灰は根菜類がよくできるといいますからね。
釣りじいさん | URL | 2009-01-28-Wed 16:25 [EDIT]
地球はある時真っ赤に燃えていた、やがて大きな雨雲が現れ延々と雨が降ってきた、そしてそこに日が差し始め、生命が誕生した。あの・・・つまりですね~、その雨雲が登場したことにより現在の地球が存在しているわけで・・・その、「雲の出ずる国」が出雲で、その雨雲に乗って登場したのが「出雲竜」だったとか・・・ま、Dr.やMr.さんのような学術的根拠もデータも持たない庶民のクルーとしては・・・取りあえずロマンチックにとらえてみました~、にゃは! いやいや、茶化してごめんです!!
水と、生命の誕生!? Mr.平 素人 | URL | 2009-01-28-Wed 20:14 [EDIT]
釣りじいさま> コメントありがとう御座います。 お待ちしてましたよん♪
< それが、今いわれている「地球誕生科学の最前線」ですね。 >
(Dr.~、チョット、コメ返;お待ちくださいね^^!)
じいさまぁ;わたし、その件にかんして「中坊」のときより抱き続けた疑問があるんですよぉ。(中坊は、中学生のこと。当ブログのクルーには何人かの先生方がいます ^^!) いつかその事に関して「私見」を述べる機会はないかと! 理科の実験でアルコールか?なんかをビーカー内で燃やすと、その内面に水滴ができた? びっくりしましたねえ「火を燃やして水が出来るのかぁ?と!」 反対に、水を電気分解すると、水素と酸素に。 当時には、原子核と電子はあったと思いますけど「原子」が物質の最小単位と教えられました。 「慣性の法則」 「質量普遍の法則」 「質量とエネルギーは等価」等、こども心をワクワクさせる言葉が、先生の口からポンポンと飛び出してきました。 今の私に内有する 「こども心」は、その時に出来上がったといっても過言ではありません。巨大隕石のぶつかり合いで発生するエネルギーは核爆弾の比ではありません。 衝突の接触部においては、たとえそれが岩石であろうと金属であろうと、核分解をおこし、質量の小さいヘリウムや、水素、酸素、の「様々」にまで細分化する。 そして、その衝突熱が冷える時、より大きい原子量の窒素等に収束する? さらに窒素は水素と結びつきアンモニアが出来る。 そのアンモニアが巨大隕石の衝突のうちに蛋白質へと重合する。 言い換えれば、中惑星型の衝突で水が出来、その原始水惑星に小惑星がぶつかり冷える時に蛋白質という{生命の元}が誕生した。 (これ全くの素人考えですから間違いがあるかもです。^^♪)
その誕生した水量の海水を酸素と水素に戻すには、どれだけの電気(衝突)がいるのでしょうか? もはや、雷様でも無理かもね・・・、(笑)
<驚愕の(島根半島)出雲竜・Ⅱ>へつづきます。♪
つぎに揚げるのは、拙・電子出版 極秘報告書「巨大隕石と大津波」の
第一章<巨塊衝突・祖先からの伝言>の “おおまとめ” を軸に、前作同様<Dr.izumo氏のコメント>と、{♪シップのクルー>のコメントを揚げて、この記事をつくりあげています。
【 八つ目の宇宙という海へ(Dr.命名・略して宇海へ)漕ぎ出す新しいクルーを募集 】 しています♪
特に、次代を担う中学生の皆さんの参加も希望します。 あなた達が社会を動かす時代にならないと世界はうごかないかと・?(笑) 関係ないCMも大歓迎ですよ♪ そのほうが臨場感が増すからね。 但し、先々、本になるやも知れませんので著作権委譲等の了解もされたうえでのご投稿を! といって、何も尻込みなさることはありませんよ。 当方の{論}なんか間違いだらけ(^^!)ですから。 コメントは、例によって素人の独断と偏見でもって掲載させていただきます。 但し、ピンクさんと広告やさんにはご遠慮願うかも~(^-^)♪ 今までどおり電信柱のかげで見守り応援して下さるも好し、ニックネームをつけて名乗りでられるもよし。わたしは、コメントを残されて、何時の日か 「爺ちゃん婆ちゃんは、父さん母さんは、あの大業に参加したんよ♪」と、こども達、孫たちに言えるほうがいいと思いますが? みなさんもこちらが声かけた時は知らんぷりで、<事が成ってから> チヤホヤしたりされたりするのはきらいですよね(^-^)。
さあて、ひきつづき、遅々駄文のお付きあいをお願いできますかぁ?( ^^!)♪
<序 記> “ 竜は隕石、竜は神 ”
竜は隕石、竜は神、その頭は大きく、火となり、大津波を呼び起こし、地表を洗い流す。粉塵を舞いあげ、天を覆いかくす。火山や地震、大雨や大洪水を欲しいままにし、生け贄を強要する。 同胞よ、心しよう。自分の心に宿っている欲望という引力に心せよ。際限なく肥大化する欲望を分配し、均衡を保持しよう。しかし、欲望は捨てずほどほどに持とう。宝を捜せ、鍵は足元にある。謎解きは簡単な事例で、引力と磁力でもって考えよ。引力は創生を、磁力は刷新を司る。天は極大であり、人心は極小である。宇宙の具象は相似形にある。考えることも宇宙なのだ。あるがままをあるがままに考えよう。あたりまえには始元の理(ことわり)が潜んでいる。
力を蓄え、防壁を海岸にめぐらし、高地に遷都せよ。そして、寒さに強い食料の開発を怠るな。食料は腹八分にして常に確保し来たるべき異変に備えよう。大事変は内にあると思うな。人間は賢い。自滅は例外である。ノストラダムスは、巨大隕石のことを光りの反対なるものと表現している。多くの先人達は、このことを知っていたのだ。祖先のメッセージに耳を傾け非科学といわず未科学と言え。百年前も、二百年前も、いつの世も今の科学を最高だと言ってきた。
お題目を問い(たずね)、宇宙の真理を考えよう。釈迦もキリストも、その他の聖人たちも真理に気付かれ、それを説かれている。子供たちには、言い換えて子孫には、いかに生きたいと思っていたかを伝えればいい。いつの頃から預言者を予言者と呼び、伝道所を教会と呼ぶようになったのであろうか。こうしたものを話されるに、それを文字として残さなかったのはなぜだ? その時代には、文字も絵文字も象形文字も無かったとは思えない。文書の方がより多くの人に、より正確に伝わると思うが?? 釈迦もキリストも“教典・聖書”を残してはいない。
わたしが大切なようにあなたが大切なのだ。私たちは、共存している。たとえ、それが「人類に仇なす細菌」であってもだ。ばい菌も生きるための活動をしている。誰でも人から尊ばれるのは嬉しい。それは他人が決めることであって自分が決めることではない。自分がそう思った瞬間から堕落が始まっている。
・・・が、祖先が、種族が、国が、人類が、『他より、偉い』と思ったときから崩壊が始まる。
与え続けると無くなってしまい、求め続けると動けなくなる。五分五分にするか。四分六にするか、それとも欲張って九分一にするか。考えながら迷いながら、自分が喜び他人も喜ぶ。あの時々に、この時に、この配分を探しながら問(たずね)ながら・・・。 give and take(^-^)♪
註; ソ連崩壊前の1990年頃の記です。 ( 第一章 祖先からの伝言より )
< 第一章 祖先からの伝言【おおまとめ】 より > (注;加筆・修正も含めて書き込みます)
紀元前2001年、今から4009年前の年末。 全天を覆ったその巨大彗星は、イースター島の白昼の空から侵入し、地上絵を遺すナスカ。 そして、クリスマスイブとなったヨーロッパの24日の夜空を経由し、日本時間 12月25日未明の東北地方に光臨した。 欧州では、その巨塊が赤く輝いたことから、赤い服のサンタクロースへと変身し、日本では、その飛翔音が 「リュ~」と尾を引いたことから、その巨塊を<リュウ→竜>と命名した。 この大事変は慈雨を誘い、その津波は列島各地に、瑞穂の打ちあげや、魚介類の恵みをもたらした。 瑞穂、千種、大草、草津、大津。 津波の戻り水として、垂水、篠津。 そして<戸>のつく地名は、「ここ迄この高さ迄、津波が押しよせました」 という<津波際の記念碑だ!> これ等の類似名をあげればきりがない。 代表地として、三重県・津市の地名をあげておきましょう。 ここには<垂水、神戸、嬉野>の津波地名の<三点セット>がそろっています。 見たこともない程の大量の魚介類が打ちあげられれば誰だって嬉しいよね。(^-^)♪ 拙・報告書では、あなたのお住みになっている町の、その地名の記述があるかも知れませんよ。^^!
<一方で、その衝撃は、巨大地震を発生させる!>
内陸部の琵琶湖においてでさえ、その西端の石山寺へ怒濤の津波高45m級?を発生させる程の巨大地震だ。( 祖先からの伝言パート1 参照 ) その衝撃は、今でいう、マグニチュード7、0や、8、0でないのは言うまでもない。 それによる直接的な粉塵の舞い上げや、火山活動の活発化で、より多くの粉塵が舞い上がり豪雨をともない、稲妻がはしり、太陽光をさえぎり、やがて地球規模で気温が下がってくる。 この現象を“隕石の冬”という。
『 人類が、衣食住だけの生活から、“巨大隕石” という自然の驚異を受け、それが神となって人々の心に入り込んだ時、それは、驚異的・爆発的な力となって、それを語り継ぐ難しい語彙(ごい・ことば)が、困難に打ち勝つ抵抗力が、そして、新しい文化と集団性が生まれてくる 』
( 祖先からの伝言パート2 より )
一太郎 | URL | 2009-01-20-Tue 04:43 [EDIT]
語りが、表現が、文学の境地になってきました
楽しみながら読ませてもらいますね
(・・||||rパンパンッ
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-20-Tue 08:04 [EDIT]
<一太郎さん>に、そんなほめ方をされると、とても嬉しいです♪ 幾ら書き込んでもうまく書けない。 書いてるときはそれなりに高揚して書いているのですが、期間をおいた後で読み返してみると、「つまらないとか、大したことではないな」と感じることがほとんどです。 自分がそうなのだから人様は、なおさら・・! 中で『人類が、衣食住だけの生活から、云々』の文章は、制作に一ヶ月はついやしたかな。 苦労をしたかいがありました。(笑) こんごともどうぞよろしく(^^!)
わしは・・・今。 釣りじいさん | URL | 2009-01-20-Tue 20:51 [EDIT]
「隕石の冬」ね~。
わしも・・・キスちゃんの季節に向けて、
受験生と隕石の冬状態でやんす・・・。
早く解放されて、隕石探しの旅に出てみたい!!
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-20-Tue 22:07 [EDIT]
釣りじいさま> 只今訪問してきましたよ♪ ですねぇ~(熱い思いは内に秘めて^^)
ひとまずごくろうさま。 外は寒いしぃ、はやく花咲く春がこないかなぁ~、ぶつぶつ^^!
ところで、当地の小学校、インフルエンザで2学級の閉鎖!こんなこと初めてです。
オオッ!!! shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 15:43 [EDIT]
私の昨年のドサクサ紛れのコメントによくここまで応えて下さいました。新年早々感謝いたします。Mr.平様の想像力をお借りするために、来週は更なるコメントの渦を寄せたいと思いますので、よろしくお願いします。船出は始まったばかりですから・・・。
竜と銅 shigechanizumo | URL |2009-01-10-Sat 16:12 [EDIT]
来週を待たずに第一弾です。島根半島は隆起半島だとされています。隆起したことを示すのが、島根半島の各所に検出される地層の褶曲です。また褶曲に伴った断層のズレが、たくさんの洞窟(猪目洞窟もそのひとつ)を生み出しています。また隆起の際に、岩盤を粉々に砕く圧力が下方部から加わったために、島根半島の山々は破砕された岩石で成り立っています。別名破砕山脈とも言われています。そのために、落石崩落が多く、地合、牛の首といった地域からは海岸線に沿った道路さえも作れないのです。その隆起によって、本来地下深くにあったグリーンタフが生成した鉱脈が銅鉱脈などとなって地上付近に突出したともされています。この銅鉱脈が風雪の浸食によって露出し、自然銅となり、島根半島のいたるところに出現していたとされています。鷺銅山、鵜峠銅山などは、露出した自然銅を採り尽くした後、地下の坑道へと掘り進んだものとされています。その自然銅の純度は99%にもなり、そうした自然銅がゴロゴロしていて、美保関あたりでは小牛の胴体ぐらいの自然銅も見つかったそうです。竜を金属に例えれば銅鉱脈が似合うのではないでしょうか。現実に鷺銅山の山は、地元では古来より「竜」あるいは、「竜山」と呼ばれています。それにしても、日本海海域で他に島根半島のような隆起半島は見かけられません。なぜ、島根半島の部分だけが隆起したのか、しかも標高500m近くまで隆起したのです。また、約65kmにも及ぶ半島でありながら、幅は数キロという細長い半島なのです。どんな力が働いて、島根半島などという特異な半島が形成されたのか、Mr.平様の想像力を借りたいと思います。
<銅について> 註;以下は、素人の私見です。(1/24挿入)
銅のことを屑鉄業界では「赤・アカ」と呼びます。一般的に大量に扱う「鉄」と区別して、他の金属の、鉛や真鍮(しんちゅう)、電線やお鍋等のアルミ製品を「色もの」といいます。鉄の白色に対して、銅線の赤い色から「アカ」と呼ぶのでしょう。
銅(アカ)の思い出 (祖先からの伝言パート1より)
悲しさを知らないと、優しさは生まれない。
ひもじさを知らないと、ありがたいとは思わない。
今では、あり余るほどある甘いものも、戦後の子供たちには、充分でなかった。
電灯も、一軒に一つか二つしかない。
一つを二つに、二つを三つにするのが、望みであった。
望みがかなった家に、電気屋さんはやってくる。
子供たちは、わくわくする。
配線工事後の屑線を拾えるからだ。これを売れば、お金になる。
あめ玉一円、あんパン十円の時代である。
銅は “アカ”といって、よい値で買ってくれる。鉄の十倍はしたかな。
おじさんたちは、その全てを拾わない。子供たちに残しておいてくれる。
一握りの屑線が、三円・五円である。
これでは、十円コッペや、十円キャラメルは買えない。(カバヤ、グリコ、森永は20円?^^!)
貯めておこう。 しかし、これがアオ(緑)く、錆びることがある。
有毒の”緑青・ろくしょう”に変わるのだ。
これを売った手で、あんパンをつまみ、キャラメルを頬張る。
後で、腹がキリキリ痛む、下痢をする。
その時には、このせいだとはわからなかったものでした。
今においても銅は鉄に比べると稀少である。しかも、その扱いには注意を要する。銅の精錬(瀬戸内海・日比精錬所)で、島のすべての緑を枯らしたこともある。太古(縄文・弥生)の人達でも、これは同じだ。 (以上が、パート1からの引用です)
つづきます。
筆者は、銅の精錬・鋳造の歴史をまったく知らない。 しかし、ごく近代でさえそうだったのだから、その扱いを熟知していない太古の時代には「職業病」という危険をともない、それが銅製器に恐れを抱くようになった主因であろうことが容易に想像できる。 その危険性と、稀少性や、アカからアオに変わることが、赤く飛んだ竜の伝承や、隕石の冬による慈雨の伝承とで重なりあい、<神聖視>考えが生まれたのだ。 青銅器のアカ色は巨大隕石の赤。その青は慈雨の水色であり、その緑は大地甦る緑の色だと!。 その考えは、今に至りて<神社本殿の屋根に銅板>を巻くことになったのだとも。(^-^)♪ ところで、神社本殿に銅板巻き屋根と、茅葺き(かやぶき)屋根の違いがあるのは、何故でしょうか? 素人には、今Dr.がブログ取り上げられている「出雲と大和」の違いに思えてならないのですが・・・、
竜と銅・第二弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 16:36 [EDIT]
前のコメントで、「竜を金属に例えれば銅鉱脈が似合うのではないでしょうか。」としましたが、思いつきではありません。銅は他の金属と親和性が高く、ご存知のように、錫や鉛を混ぜると、その混ぜ具合、配合によって様々な性質を持った銅になるのです。クニャクナな銅を作ることもできるし、それを延圧して細長い銅線を作ることもできます。また、ポキンと折れるような非常に固くて脆い銅を作ることもできます。また色も、白銅から黄金色、そして赤銅色など様々な色を演出できるのです。さらに、錆びた時は緑青を生じて緑あるいは青色の金属となるのです。緑青は毒にもなりますが薬にもなるとされています。この千変万化は鉄などの金属には及びもつかないことなのです。そして竜です。竜も昇り竜から眠り竜、怒り竜。八大竜王から竜の落とし子まであります。色も緑色から、白色、金色の表皮を持つ竜とあります。さらに、人に災いを及ぼす竜から、慈雨をもたらす竜もいます。同じく千変万化なのです。銅の属性・神秘性と、竜の属性と神秘性には合い通じるところがあると思うのです。Mr.平様の想像力を付け足していただきたいと思うのです。
弓状列島は、ゆば端ライン♪ Mr.平 素人 | URL | 2009-01-11-Sun 02:15 [EDIT]
Dr.~♪> すごい!凄すぎる。両腕にジンジンときます。
銅については全くの無知ゆえにつよい興味をもっていました。出雲半島を人文史にからめるのもさることながら、その質的成因については全く分かりません。 形状については。アリューシャン列島、千島列島、日本列島、南西諸島の、各々の<弓状ライン>から、太平洋側へ強い力で引っ張られて形成していると推測できます。(拙電子出版・第三章小惑星の衝突と合体・3-2地球誕生への足取り) それにくっついて来たのが島根半島! 子牛ほどの銅塊ゴロゴロびっくり仰天! ならば、【島根半島(銅)ー能登半島(?)ー佐渡(金)】 のラインが考えられるから能登の(?)が楽しみ♪ これ極秘ですよ(笑) 蛇足ながら、北九州が北朝鮮のハムフン、中国地方がチョンジン・ナホトカ、金沢あたりから北海道の檜山支庁あたりの弓状ラインがシホテアリニ山脈に対応します。これら「ゆば端」が一気に太平洋側へ引っ張られ、その空隙をうめるがごとくに朝鮮半島が折れまがり入り込んだ!
この課題毎日考えても六ヶ月以上! Dr.の頭の廻転の速さには、ついてけない。困った々^^!
出雲半島は、なぜ破砕山脈に? Mr.平 素人 | URL | 2009-01-11-Sun 09:22
そのシナリオ
1. 原始薄皮溶融岩体)の小地球に、北太平洋元体惑星が衝突合体! この時、その淵々に“グリーンタフ”という膿が噴出。
2.北太平洋元体の 「沈み込みと、球体化」 の力によって、ゆば状の表皮は、太平洋側へ引っ張られ、各々の弓状ラインが出来あがる。
3.その後、太平洋は知らぬ存ぜぬと、約2億年で海底を塗り替えてしまった。
4. 時は過ぎて、四千年前の東北地方に降臨した巨大隕石によって発生した巨大地震は、波打ちながら西進する。
5.その細長い帯状の島根半島が後ろから波打ち、幾度も々も、揺すられる (巨船とイカダの違い) のですから、いかに固い岩塊とはいえ千々に砕ける。 ご先祖さま驚いたでしょうね。
( これ簡単に?調べる方法ありますよ♪ 互いの岩石の接触面が擦れて熔けている!)
6.その噴出帯(グリーンタフ)の切れ端が列島日本海側と、それに対応する大陸側にくっついているかもね♪ 「標高500mの山塊を狙え!」 とりあえず<朝日山地>をあげておきます。これも極秘? 以上、素人探偵の “job No2” でした。すでに掘り上げすみでした(Dr.言)
一太郎 | URL | 2009-01-11-Sun 20:58 [EDIT]
もう、立ち入るすきもないですよ
こんな長文になると・・、メモリもくいますね
(・・||||rパンパンッ
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-11-Sun 22:03 [EDIT]
一太郎さん> コメント&パンパンありがとう御座います♪ そんなことはないかも?
< 能登半島・朝日山地に金鉱脈はあるか?>
出雲半島(銅)-能登半島(?)-佐渡(金)-朝日山地(??) ← 地下鉱脈・グリーンタフの噴出ラインと推んでいます。 グリーンタフが地下深くから地表近くに噴出し、その鉱脈には金が含まれることがあります。 朝日山地は新潟・山形県境ですから、気にとめておいて下さい。<佐渡に近いぶん、ひょっとしたら金鉱脈が!?> これを確かめるの誰でもできますよ! 「佐渡北側の表皮岩と、朝日山地北側の表皮岩の “岩質が同じ” であればその可能性は大きいよね^^!。 何かの情報があったら教えてください。お金があれば山買い占めて・・・、(笑)
竜と銅・第三弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-13-Tue 09:31 [EDIT]
Wikiに次のような指摘があります。『竜山文化は仰韶文化が終わった後の紀元前2500年ごろに始まったもので、こちらの特徴は黒い土器です。ですのでこのようなものを黒陶文化と呼んでいます。この頃には高温で焼く事が出来るようになったために薄手で硬い土器が作られていました。この文化の終わりごろになると銅器も作られるようになりました。』・・・。
黒陶文化が有名なので、青銅器はあまり語られていません。しかし、その影響力は絶大で、次の遼東半島文化につながります。特に、wiki以外の指摘に、・・・『文様には弦文・竹節文・透かし孔などがあり、一部に商(殷)周時代の青銅器にある雲雷文や饕餮(とうてつ)文などに似たものもある。習俗として抜歯・頭骨変形・卜占(ぼくせん)など、大汶口文化からひきついだものがみられる。』・・・とあるように、日本列島にも大きな影響をもたらしたと思われます。
鷺銅山・鵜峠銅山・鰐淵銅山が、鷺の竜山につながる鉱脈を源泉とするなら、なぜに、その源泉を「竜」といったのか。中国の古い大きな文化の記憶が貼り付けられたのではないでしょうか。
ご指摘のとおり、島根半島のグリーンタフは、山形・秋田で再び地表に現れてきます。秋田が鉱山で有名なのはそのためです。そして注目すべきは、八郎潟・男鹿半島と考えるのですが、・・・オッと電話です。
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-16-Fri 21:06 [EDIT]
Dr.> コメントのお返事おまたせしました。
今回のDr.コメントは、中国の歴史についてであり、初めて目にする耳にする言葉が殆どで、その読み方もわからず手こずっています。師のおっしゃる「中国の一言では表せない」多様な歴史の一端をみる気がいたします。そのなかで<中国でBC2500年ごろからの竜山文化とか習俗として抜歯>とかがあったようですから、素人が考えている<竜神文化>は再構築の必要があるようです。 「黒い土器→祭器←隕石の冬>の線を思い浮かびましたが、巨大隕石が四千年前、黒陶文化が四千五百年前ですから、これも当たっていません。
「男鹿半島=グリーンタフ!」、おもしろいお考えですね。さらに広げて「♪西にも東にも~♪」 90年代の初め頃だったかな?「お上が金鉱探しでグリーンタフを!あれって、その後はどうなったのかな?」 私<史実探偵に聞きにくれば【男鹿半島・八竜にも、必ず油田がある!】と、教えてあげるのにねえ。(笑) この場合、相手がお上ですから、たんまりと礼金を♪と、マネージャーの黒孔雀(ブラックジャック)がいってます ^^!)
竜と銅・第四弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-19-Mon 10:54 [EDIT]
平さんが、出雲竜の頭部だとされる大社・日御碕の山塊の西の果て日御碕灯台は、日本でも珍しい、柱状節理の見られる岩盤の上に立っています。
参考=柱状節理:http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/fieldguide/book/078.html
この参考のhpからすると、柱状節理は溶岩の変形であり、日御碕灯台の下には、柱状節理を作り出した溶岩(マグマ)があるということになります。つまり、出雲竜の頭部は、溶岩(マグマ)の上に横たわっているということになります。島根半島は決して火山活動が作り出したものではないと思っていましたが、ここからすると、島根半島の隆起は、地下深いマグマの活動、盛り上がりが地表に影響を与えたからではないかと思われるのです。さらに、隠岐の島の島前は大きなカルデラだとされています。ここで、三瓶山・大山・隠岐島前を結ぶ大きな三角形が出来上がります。そしてその中間点に横たわるのが、出雲竜(島根半島)だということになります。そして、日御碕の柱状節理が、ただ冷えて固まった溶岩でなく、噴火寸前の溶岩だったとしたら、まさに、竜の口から火が噴き出ていたということになったのではないでしょうか。日御碕の柱状節理・・・是非ご検討ください。更に言えば、これもそれも平さんご指摘の天変地異と関わるのではないかと・・・。
竜と銅・第五弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-19-Mon 16:06 [EDIT]
午前中のコメントから、私の妄想癖が・・・。島根半島の地底深くにマグマが潜んでいることは、島根原発の安全性を担保するために周辺の活断層が調査された結果からも判明しています。
これは大変なことではないでしょうか。隠岐の島前がカルデラであったことの証拠は、隠岐の島々の壁腹から黒曜石が産出され、それがナイフ代わりの石器として各地に運ばれていたことからも分かります。黒曜石は火山活動に伴うガラス質の変成岩だからです。
一方、島根半島が、マグマの上に乗っているのは、日御碕の柱状摂理から判明しました。そして、鷺銅山・鵜峠(うど)銅山・鰐淵銅山のように地表近くまで地底の銅鉱脈が押し上げられたのも、マグマの隆起が原因だったのです。
そして、島根半島の南には、休火山から活火山に格上げされた三瓶山(2003年の活火山の定義見直しで活火山に指定された。)があり、また西日本で一番活発に活動したとされる大山が東西軸の上に乗っているのです。
もし、このマグマが眠りを醒まし、再び島根半島を持ち上げないとも限りません。その時こそ、出雲竜(島根半島)が、覚醒され、動き始めるのではないでしょうか。一番マグマに近い出雲竜の頭部(日御碕)が頭をもたげ、うねうねと続く胴体と尻尾は揺れ動き、蛇行を始めるのではないでしょうか。
そして、柱状節理が示すように一番マグマに近い日御碕の突端(出雲竜の口)から、溶岩の噴出が起きるのではないでしょうか。
不幸なことですが、中越地震、能登地震、中越沖地震と日本海側に相次ぐ異変ともいえる大地震の連発は、出雲竜の眠りを遠くから醒まそうとする揺らぎではないでしょうか。
その時に備えるべき日が近いのではないでしょうか。不幸の到来を喜ぶものではありません。災いを最小限にするために、予知し予期し、その日に何を備えるべきか、平さんのご明察と「平トラダムス」ともいうべき予知能力と想像力に期待したいと思います。
Dr.コメント第四・五弾へのレス Mr.平 素人 | URL | 2009-01-19-Mon 21:00
Dr.~> すごい、すご~い♪ コメントお待ちしていました。
島根半島出雲竜が、日御碕から柱状摂理という<火舌>をのぞかせた!
これは、師が教えて下さらねば分からないこと! 隠岐の島や大山まで取り込めるかどうかはわかりませんが、おもしろくなりそうです。
なるほど(訂正) shigechanizumo | URL | 2009-01-20-Tue 09:30 [EDIT]
私のつたない文章を、『日御碕から柱状摂理という<火舌>をのぞかせた! 』などと、すばらしいフレーズに・・・この中の「柱状摂理」は「柱状節理」の誤りです。訂正します。
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-20-Tue 18:07 [EDIT]
Dr.~> コメント&ご閲覧ありがとう御座います♪
もし、投稿コメントの訂正(変換誤記)等がありましたら[EDIT]をクリックなさると[訂正とか削除]ができるかも・・。 私が訂正してみたのですが投稿者名がDr.ではなくて「平素人」になりましたのでやめました( 汗~!)
<Dr.の柱状節理の情報>は、今あげている記事の核心部分になりますので、お後の楽しみにとっておきま~す。^^!
竜と銅・第六弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-22-Thu 10:03 [EDIT]
地質学には詳しくないのですが、私の推測は次のとおりです。出雲の西の三瓶山と東の大山という二つの火山の地底にはマグマがうごめいています。このマグマの上昇や下降がこの二つの火山を結ぶラインの隆起や陥没や地溝帯を作り出したと思われます。陥没の痕跡は、宍道湖・中海の湖沼と低湿地帯です。地溝帯は、海潮温泉や玉造温泉を生み出しています。さらに、陥没の北側では、再び隆起が起こったのです。それが島根半島だったのですが、マグマの上昇は地表近くで止まり、噴火には至らなかったので、柱状節理が出来たと思われます。そして、島根半島の北側では再び陥没が起こり、それは日本海の海底となっています。島根半島の活断層は、こうした地層の変動によって引き起こされたものでしょう。さらに、次のマグマの上昇は隠岐の島あたりで起こったのです。この上昇は、噴火を伴ったものでした。そして、その大爆発は、西ノ島(島前)のカルデラを作り、その外輪山が、島前の島々が円形に並び、海上に頭を出しているという状態なのです。以上より考えると、島根半島の地底にはマグマが存在し、その上に出雲竜が横たわっているということになります。とすると、横たわる出雲竜を封じ込めるだけでは不十分で、地底のマグマを封じ込まなければ、出雲竜はその封印を、下から持ち上げるようにブッ千切ってしまうのではないでしょうか。おっしゃるとおり、出雲竜は、真ん中の止め釘と、四方の止め釘で封印されていると思いますが、マグマの隆起に耐えられるでしょうか。そして、その隆起の原因となるのは、内因するマグマの動きだけでなく、外からの大きな衝撃も考えられます。今まで幾度か、島根半島を直撃した隕石もありますが(美保関隕石)、小さなものでした。また、私が推測するところでは、出雲大社の西に「鏡の池」というものがありますが、底なし池だとされています。私は、この池は、隕石が衝突して地底にもぐりこんだことから生まれたものではないかと思っています。鏡といいますが、これは顔を映す鏡ではなく、「カガ、カカ」すなわち蛇の池だと思っています。この鏡の池を生み出した隕石の一部が、出雲大社のご神体(不思議な重さの石)だと考えています。出雲竜の眠りを醒ますのは、マグマの再びの活動か、はたまた、巨大隕石の再びの衝突か。平さんの御明察を期待しています。
<島根半島の成因について>
島根半島と、大山、隠岐の島、三瓶山(火山)等の目に見えるものから、地下のマグマの状態を推察する。師のお考えに敬服します。
島根半島の成因について、私は、つぎのように考えています。先のコメントで、日本列島を含む弓状ラインは、太平洋側へ強く引っ張られたからだとしました。 この力の発生については、後述するとして、弓状の日本列島と日本海にしぼって取りあげてみましょう。 『 日本海は、一気に造られた!』 これは、どこぞで見かけたお説で、わたしの論ではありません。 私は、太平洋側への引っ張り力と、この日本海一気論とをあわせて、つぎのような考えを築いています。
地球創世期において、球体内部は熔けて、その表面は冷えて陸地らしきものができた。 例えれば、つきたての餅の表面だけが“こわばって”いる状態。(このような状態は寒い冬に外でお餅をついた時になります)。この餅を二つに分けると「伸び餅状態」になり、柔らかい内部と、表皮の固まりかけた部分に分かれます。柔らかいところが日本海で、固い部分が日本列島。 ちなみに、陸の成因と海の成因はまったく違います。(中学生さんに^^!) これを確かめるには、日本列島の地図を切り抜き、大陸側に沿わせて下さい。 ちょうど、ウェゲナーが、「大西洋を挟んだ大陸どうしが合わさる」 と言ったように、ぴったりと合わさるはずですから(笑)。朝鮮半島は別ですよ。その空隙を埋めるように、あとへ折れ込んで入り込んだのですから。 ウェゲナーは、その大陸移動説を海を渡らないミミズの分布でしらべあげ、それが、それぞれに対応していることで証明したといいます。これってほんとですかぁ^^?
<弓状ラインを生んだ形成力は?>
ここで先にあげた太平洋側へ引っ張る力についての私見を述べます。地球は隕石の集合体であり、トーナメント方式で肥大化したものとみています。最初は小さいもの同士から、段々と巨大化して、惑星同士の衝突合体へと進みます。その大きさをはっきりとは言えませんが、始元地球体の大きさをサッカーボールとしましょう。 それに、後や先は判りませんが、ソフトボール大の北太平惑星と南太平洋惑星が衝突合体する。 例えれば前述した<つきたて冷え餅>を両手でつまみ、北太平洋と南太平洋という親指二つで押し込み、その反対側がひび割れ押し広げられた状態が大西洋かと考えています。 マントルの沸き上がりだけでは両大陸を引き離すほどの力は生まれない。(マントルの沸き上がり力、だけで両大陸が離れたとする考えに疑問を持つ学者さんもおられるとか?) さらに大陸移動説の映像をみると、一つであった陸地が分割し、それぞれに収まったとありますが、全陸地を表皮として合算した球体は、いま現在の地球の体積よりはるかに小さい。(笑) 海の存在がまったく語られていない。こども心には到底納得出来ない。 この惑星同士の衝突肥大化がない限り、海の表皮面積は生まれてこない。 (水惑星と陸惑星の不思議;これは私の言葉ではありません。地球儀があれば確認してください。大洋の反対側に大陸があるはずですから、これも中学生さんね(^^!) さらに、このような合体が地軸を傾けたとするのが素人の:見解です。
<グリーンタフについて>
北太平洋溶岩体の沈み込みの力は、漬け物フタを押さえたときのように、周囲の表皮を引きずり込み、プッシュした力は、表皮の切れ目・ほころび目あたりに噴出する。その断続については推みきれませんが、その顔をのぞけたところが列島の日本海側にあるグリーンタフ(島根半島、能登半島の先端?、佐渡島、等々)かなと思っています。 念のために言い添えますが、その時期は、ウェゲナーが言っている地球創世期で、師の言われている海岸近くの熱の沸き上がりは、比熱の大きい海水と重力の大きい陸部との境目あたりの噴出かな?と考えます。 「マグマの熱だって、比熱の大きい海水に抵抗されたり、重力の大きい陸塊に阻止されれば、熱を伝えやすい金属(銅)鉱脈を伝わって上にあがってきますからね」。鳥海山も大山と同じ成因かな? 素人はこれを<地熱のほころび目>と名付けておくことにしましょう。(^-^)♪
<隠岐の島について>
今あげている記事の主題は、「驚愕の島根半島・出雲竜」ではありますが、これは何故に出雲が「八百万の神々が集まるほどの力」をもったのかを解き明かすためのものですから隠岐の島についてもふれてみましょう。
師のお言葉で、隠岐の島について、つぎの二つをあげておきます。
「次のマグマの上昇は隠岐の島あたりで起こったのです。この上昇は、噴火を伴ったものでした。そして、その大爆発は、西ノ島(島前)のカルデラを作り、その外輪山が、島前の島々が円形に並び、海上に頭を出しているという状態なのです。」
「隠岐の島前がカルデラであったことの証拠は、隠岐の島々の壁腹から黒曜石が産出され、それがナイフ代わりの石器として各地に運ばれていたことからも分かります。黒曜石は火山活動に伴うガラス質の変成岩だからです。」
素人は、隠岐の島について多くを知りません。今の今まで火山成因か隕石成因かを決めかねていました。勿論隠岐の島が火山成因であることは衆知の事実です。それを疑ってかかるのが探偵の性ですから、どうぞのお許しを。でも、「黒曜石の壁腹」で火山成因が決定づけられました。しかも、ナイフ石器として各地に運ばれていた。中学生さんのために言い添えますが、石器・縄文・弥生前期・後期・古墳代と変わるにつれ、石器・木竹製器・土器・銅器・鉄器へと変わってはいきますが、列島に住む人達にそれ等がすべて行き渡っていたとは思えません。なかで銅製品は、前述のように祭祀専用に。鉄製品でも古墳代の刀剣として出土しているわけですから、一般の生活用品に使われるようになったのは遙かに(?)あとのことです。
もし私達がサバイバル生活を強いられたならば一番先に必要とするのは<ナイフ>です。
器がなければ手でつまめばいい。木でも竹でも加工すれば器にはなりますが、加工するのにナイフがいる。つぎには「火」。火をおこすには木でもできますが、火打ち石のほうが早くて便利。黒曜石の硬度は;5 一般的な石英の硬度は;7 サヌカイト(讃岐産)も硬度;7 これ等の原石は、どこにでも転がっているわけではなく、その大きさや量、地域性もあり、より固い石を求めて探し歩く。
師の言葉で隠岐の島の黒曜石が「ナイフ代わりの石器として各地に運ばれていた」とありますから、出雲の交易品としても扱われていたのでしょう。私は、その交易をした人達は、さきにあげた秦の始皇帝が遣わした「徐福の3000人の童男童女集団」に関係する人達であったとみています。 徐福の立ち寄り伝説というのは東北地方にまであるようですから、それ等の人が列島各地を不老不死の薬石を求めて、探し歩いたのでしょう。 出雲には、徐福伝説はない(?)ようですが、銅鉱石ゴロゴロ、砂鉄粒々、粘土ありの、浅い海と干潟ありいの「豊かな出雲」を見逃すはずがない。 徐福伝説がないことがかえって怪しい?! 私達は当たり前と思うことは、口にしないし歴史としては語らない。もし私が徐福なら列島文化の中心地にベースキャンプをおく。それが出雲か、九州か、伊勢か、はたまた他の地かは知らないが、そういった所には、主立った部下をおき、その地の珍品を本土中国へ送り続ける。そして、いかに圧倒的優位な文化を持つ集団でも、現地の人達の力を借りなければ「事は」成しえない。それは、今も昔も同じである。 今やっと解った。『津』という言葉の統一流布を誰がなしたのかが。
<祖先からの地名伝言>
島根半島西部山塊の日本海側に<十六島>と書いて、「うっぷるい」と読む地名があります。この発音は、日本語にはない響きがあります。さらにここへ流れ出る川の名前が<唐川川>(笑)。何と読むのか知りません。この上流に<別所>。ふつう私達と同じ集団が住んでいたなら<別>の字はつけません。ここには多少の水田はありますが、その昔においてはとても厳しい住環境かなと思います。何故<別所>なのか? 私は、ここで“銅鐸を含めた銅の精錬・鋳造”をする大陸からの技術集団が住んでいたと推んでいます。 ここへ交換の衣食をもって、銅鐸の制作を依頼しにいったかと。松江あたりを朝出発しても、その日の明るいうちには別所へは着きません。途中山中へ泊まらねばなりません。その場所に<旅伏山>という地名が残っています。 これが当たっていれば出雲には早くから大陸の文化が入り込んだ、列島でもまれに見る“先進地”かと思います。
「銅か」(首を掻き取る武器)は、日本で考え出された武器ではない!
大陸からの “最新兵器だ!” その最新兵器で、大の字に眠る<島根半島・出雲竜>は、封印されている。その「銅か」と、ヒスイの勾玉が出土したのは、大社近くの「命主神社」だった! 命主神社は「大の字」の書き始めの位置にある! 次なる私達の行動は、鷺峠を越えて、その筆止めの『日本海側にある神社』の境内に埋められている“銅かとヒスイの勾玉”を掘り上げることだ! その境内には命主神社とまったく同じ大きさの岩があるはずだ! その大岩で「次なる」銅かと、ヒスイの勾玉は押さえ付けられている! わたしは誰彼は問わない。 その一番手柄をあげる御仁が出現するのを熱望する! でもね、今(1/28)は、雪が積もってると思うから暖かくなってからのほうがぁ~・・・、ねえ○○さん!(笑)?
『出雲竜の眠りを醒ますのは、マグマの再びの活動か、はたまた、巨大隕石の再びの衝突か。』と、師のお言葉にありますが、出雲竜の眠りを醒まさせるのは、マグマの活動でも、巨大隕石の衝突でもありません。 それを<醒まさせる>のは、師と私と、それを見守り、励まして下さるクルーです。(^-^)♪ 「鏡の池」については、つぎに回しましょう。
<第六弾の、末尾文を移載します>
私(Dr.izumo)が推測するところでは、出雲大社の西に「鏡の池」というものがありますが、底なし池だとされています。私は、この池は、隕石が衝突して地底にもぐりこんだことから生まれたものではないかと思っています。鏡といいますが、これは顔を映す鏡ではなく、「カガ、カカ」すなわち蛇の池だと思っています。この鏡の池を生み出した隕石の一部が、出雲大社のご神体(不思議な重さの石)だと考えています。
竜と銅・第七弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-22-Thu 16:43 [EDIT]
さて、平さんへの情報提供として、「鏡の池」の様子をお知らせします。この池の淵の北側には、天神さん、すなわち天満宮が祭られています。出雲大社と天神さんの組み合わせは不思議な組み合わせです。しかし、毎年七月には、天神祭りが挙行され、学問が上達するとして私達は、筆やペンを持って参拝し、それらをお供えするのです。しかし、これは俗的な行事であって、その本来のお祭りは、天変地異をもたらすという怨霊である菅原道真に仮託して、実はその池で起こった天変地異、すなわち隕石の落下の記憶がその根源だったのではないでしょうか。菅原道真は、雷、雷光、落雷で都の貴族を脅かしました。そのような現象とよく似た隕石の落下と衝突、そして吹き上がった噴煙とぽっかりと大きな穴が開いた場所という遠い記憶があり、その後に水がたまって池となったことを、後の世に天神様の仕業だとこじつけたのだと思うのです。しかも、放射性の物質が周囲に残ったことから、蛇がいる危険な池、すなわち、「カガミの池」と呼んで、この池に近づかないというタブーを作り上げたのではないでしょうか。そして、隕石の一部が地上に残っていたのを見た人々は、周囲の普通の石と比べると尋常ではない重さであることに気付いたのです。そして、その石は、やがて、神が天から降らせた石だとして崇めるようになったのではないでしょうか。残念ながら、隕石が衝突した鏡の池の周辺は、低湿地の泥地であったため、粉砕されたその他の隕石の破片は、泥の中に埋もれてしまい、すっぽりと開いた穴と、地上に残された隕石の一部以外は何の痕跡も残されなかったのです。出雲大社の御神体、近くの底なし池、天神・・・何かが隠されているとにらんでいます。ご参考ください。
<出雲大社・御神体の降臨の最有力地!>
さすが、Dr.♪> 早々に、その候補地を挙げられました。
「鏡の池」のネーミングがいい。鏡餅もありますよね。 ふつう、池に「鏡」の名前はつけませんから。「底なし池だ」というのもいい。「蛇・カカが潜り込む」というのもいい。「天満宮・天神さま」というのもいい。「菅原道真は、雷、雷光、落雷で都の貴族を脅かしました」 そして、筆は見ようによっては隕石落下に見えます。
<御神体の落下地なら!?>
こんどは、<99%>そこが御神体・隕石の落下地として考えてみましょう。(^^)♪
①時期は、何時か?
天神様のまつりが7月があやしい。時間は?何時からその神事が始まるのか?「鏡」と付いているが、その降下は銅鏡文化の以後の命名か? それとも・・・・?、
②その池の形と、サイズは?
カガミというのは銅鏡の円形のこと。まんまる池か?( これは必須条件!) かりに御神体の重さを200kgとした時の衝撃がつくる円痕の大きさは?
③その池の深さは? ( じいさまぁ~釣り糸たれる出番ですよ-笑 )
御神体の仮殿移行は、何人でかついでいるのか? ( 蛇足;御神輿文化へ移行 ) 200kgなら4人? 300kgなら6人? それによって、専門家なら深さを算出できる。
④「低湿地の泥地であった」 とありますが、
軟着陸か?(笑) 粉砕・分砕か?( 後に分骨等の慣習あり?) その着弾地面の物理的・化学的状況は? ( これは、後のことになるでしょうね^^!)
< 証拠、固めとして >
⑤その 「飛来の方向」 は?
潮温泉の近くに<飛石>の地名がありましたが何故か? 又、隕石に関係する<地名・姓名>等の分布から、その飛来方向が推定出来ないか?
⑥これに関係するその他の 「伝承」 はないか?
素人は、祖先からの伝言を受け取るとき、それは 「言葉とか表現の違いである!」としています。
⑦その池の周囲に<ストンサークル状>の石組みはないか?
私・史実探偵は、ご先祖様が、それ等の遺跡を<冒すべからざる所>として、必ず残しているとの経験をえています。 それが破壊されだしたのは、ごく近時です。 ご先祖様が怒っておられる!「 神を恐れぬ不届き者めが!」 と。
これは、そこが<隕石落下地>であることの必須条件です。
竜と銅・第八弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-23-Fri 10:02 [EDIT]
出雲大社は、『古事記・日本書紀』の記載が強烈であるため、出雲が大和に屈服した時代の頃からのものと考えられがちですが、実は出雲大社の境内は、もっともっと古くからの祭祀場だったと思われます。そのことを示すのが、出雲大社境内遺跡と呼ばれる遺跡は、縄文時代に遡るものなのです。同じく出雲大社の東にある、菱根・本郷遺跡も縄文時代からの遺跡なのです。とすれば、平さんが指摘される、BC2000年頃の天変地異が発生した時には、出雲大社周辺で、人々が生活を営んでいたことになります。そして、その人々が、祭祀場としていたのが今の出雲大社の境内だったのです。ここからすると、その出雲大社境内の西に、大きな隕石が落下し、鏡の池を作ったことは、当然その目撃者や被害者がいたことになります。しかも落下地点は自分達が祭祀場としていた場所だったのですから、まさしく神が落下した、あるいは神が降した石だと思うのは当然ではないでしょうか。ここで、出雲大社境内は、他にもあるたくさんの縄文時代の祭祀場とは異なった、特に神聖な場所として語り継がれるようになったのではないでしょうか。出雲大社のある場所は、決してオオクニヌシなどの時代になって初めて神聖な場所となったのではないのです。とすれば、出雲竜の記憶も、はるか時代を遡るものであり、出雲創生の時代は、まずこの出雲竜の出現、あるいは巨大隕石の出現時期に焦点を合わせるべき事になるのです。先学が指摘するように、オオクニヌシの国造りの前史として、出雲にはヤツカミズオミツヌの国引き神話があります。この神話は、縄文神話だという有力な指摘があるのです。出雲の人が、神が遠くから四つの地塊を引き寄せ、それが島根半島となったという伝承を語り継ぐようになったさらにその前史に、出雲竜の出現があったのです。すなわち、国引き神話という雄渾な神話が、出雲という土地で語られるようになったのは、それよりも大きな衝撃的な出来事が出雲で起こり、その変形物として国引き神話ができたと考えられるのです。私が変形物というのは、国引き神話と平さんが指摘される出雲竜の出現の話とに、重なる部分があるからです。どこが重なるかといえば、つなぎ止めたという部分です。国引き神話では、四つの大きな地塊が引き寄せられつなぎ止められたのが島根半島です。出雲竜の話では、出雲竜は真ん中の止め釘と、四方の止め釘とでつなぎ止められているのです。そして出雲竜は島根半島なのです。この類似は、国引き神話の発生は、その根源に出雲竜が島根半島としてつなぎ止められたという、始原の記憶に基づくものなのではないでしょうか。平さんのご明察をお願いします。
<Dr.の言、その1.>
実は出雲大社の境内は、もっともっと古くからの祭祀場だったと思われます。そのことを示すのが、出雲大社境内遺跡と呼ばれる遺跡は、縄文時代に遡るものなのです。同じく出雲大社の東にある、菱根・本郷遺跡も縄文時代からの遺跡なのです。
<Dr.の言、その2.>
その出雲大社境内の西に、大きな隕石が落下し、鏡の池を作ったことは、当然その目撃者や被害者がいたことになります。しかも落下地点は自分達が祭祀場としていた場所だったのですから、まさしく神が落下した、あるいは神が降した石だと思うのは当然ではないでしょうか。
* この二つを<地名伝言>で、検証してみましょう
【 出雲大社・周辺図式 】
約1km <出雲大社> 約1km
{ △奉納山 本郷
日{ (73m) 山根 弓
{ 仮の宮 中村 新町 東新町
{ (標高2.5m~5m6m)
本{ ヶ
{ 湖
{ 南北におよそ20m~30m高さの断続的な丘陵の連なり 浜
海{ 稜 △ 妙見山(56.9m)
{ 神西湖
<三瓶山> <大山>
* 出雲大社遺跡・等を遺した縄文の人達はどこへ住んでいたのでしょうか?
それは、<本郷>です!。 筆者は以前に「本・元・中」の類の地名がつく所は<中心のなか>だとしました。覚えていない?それは残念、今一度(笑)。 私達は今でも、少し田舎へいくと「元家、中屋、本家、等」の言い方が残っています。このような家から、分家、新家へと分かれていきます。 地名の場合もまったくいっしょです。 農耕採集を主とする民族は驚くほど定着性がつよく、たとえ為政者が変わってもほとんどの場合が定住しています。 何故こんなにつよい言葉でいえるのかというと現に変わっていないからです。特に「山、川、野、等」の始原的な地名は特例を除きほとんど変わりません。変えると「あんたの云う山どこよ?」って混乱をまねくからです。例えそれが国土地理院であっても地元の慣用を変えられないのです。
人口が多くなると中心地が移ることがあります。それが<中村>です。上の図式でそれを確かめて下さい。中村から新町→東新町へと発展した様子がわかります。このように中村を中心にして「前、先、後ろ、西東、北南のような方向性の地名が付いてきます。 大社の御神体・隕石?が、「どこへ、いつ」落ちたのかは、今のところ確定しないで、このような「状況証拠」を積み重ねていきましょう。
* 祖先が、その大社遺跡を残した時の地勢は、どうなっていたか?
列島に住む縄文の人達は、海と山の幸が得られる山際に住みます。それに飲み水が得られる川が要ります。それが<本郷>だったのでしょうか。 しかし、出雲の地形を論じるには、{それが何時かを定めて} 論じる必要があります。 宍道湖や中海は過去に、幾度かの海水位の上下が認められているそうです。今までに論じてきた<四千年前の巨大津波がつくった砂州> <隕石の冬による海岸線の海退>、それと <もう一つの大事変>による変異で?大きく変わっているからです。 <もう一つの変異>の方は、先にとっておいた<日御碕の柱状節理>と、ともに、今、揚げている記事の結論部分になるのでここでは控えておきます。(!^-^!)
とりあえず、暫定的に上図の新町・東新町あたりに海岸線をおいて考えてみましょう。東西に細長い島根半島と本州とつながっているのは、神戸川、堀川は別として、西側の<湖陵>だけです。言い換えれば、「巨大竜・島根半島」をつないでいるのは “綱状の湖陵” だけです。
→<四千年前に、東方から巨大津波が発生した>
その時、高さ約17mの弓ヶ浜ができて島根半島(島)と本州がつながり、津波が運んだ広大な砂州・出雲平野が出来る。
→<隕石の冬による海岸線の海退>が、
急速(1年2年のうちに)始まる。まいあがったチリは次第に降下し温暖化へと転じる。
ご先祖さま、おどろいたでしようねえ。 わたしも思考が錯乱して、どのように記事を組み立てていいのかが分からなくなりました。 おまけに仮想メモリが少なくなり処理スピードが超遅っぅ~( コンピューターも汗~かくのですかぁ?!) こんな時は、他ブログを徘徊?して気分転換をするに限る(笑)
<Dr.の言、その3.>
先学が指摘するように、オオクニヌシの国造りの前史として、出雲にはヤツカミズオミツヌの国引き神話があります。この神話は、縄文神話だという有力な指摘があるのです。出雲の人が、神が遠くから四つの地塊を引き寄せ、それが島根半島となったという伝承を語り継ぐようになったさらにその前史に、出雲竜の出現があったのです。
「国引き神話」の話は、
御ブログで初めて知ったのですが、師のお考えにまったく敬服同感です。
では、島根半島・出雲竜を『つなぎ止めた』発想は、どこから生まれたのでしょうか? 島根半島を竜とみる考えについては前述のとおりですが、前で図示したように島根半島を本州につないでいるのは、出雲平野の西端にある南北におよそ20m~30m高さの断続的な丘陵の連なり<縄状の湖稜>です。
四千年前の大事変以前には、
弓ヶ浜は影も形もなく、斐伊川や神戸川がつくる出雲平野は、ごく小さいものであった。(これは前述した素人の持論です) 本州から<島根島>へ渡るには、神戸川や堀川の川渡りはべつとして、この湖稜づたいに行くか船で渡る方法しかなかった。
四千年前に西進した巨大津波は、
弓ヶ浜をつくり、出雲平野を造りあげた! ご先祖さま、驚いたでしょうねえ。『荒神さまが、弓ヶ浜という<綱>を持ってきて、前述した湖稜<縄>とでもって、島根半島を引っ張り寄せ、出雲平野をお造りなさった!』 この大事変をご先祖さまは、『国引きとか、国造りとか』のことばで云い表して御座るのに、それを「つくり話の神話」だなんて!、今の私達のほうが「どうかしてる」と思いますよ。 強いて、それをいうならば、この時に何かの異変があったかも知れない、<三瓶山火山や、大山>に、その縄や綱を括りつけて引っ張ったことぐらいでしょうかぁ。わたしは、我と我が身をその時におけば、無理からぬ話だと思いますが?
この「先学」を変える謎解きは、師の啓発なくては成し得なかったこと。 深く感謝を致します。(2/8)
<Dr.の言、その4.>
出雲竜の話では、出雲竜は真ん中の止め釘と、四方の止め釘とでつなぎ止められているのです。そして出雲竜は島根半島なのです。この類似は、国引き神話の発生は、その根源に出雲竜が島根半島としてつなぎ止められたという、始原の記憶に基づくものなのではないでしょうか。
次、ここへ書き込んでいます。^^!)、ノコノコ亀より(汗~!)
<命主神社について>
「Mac遊びの昼食」の <たねち様>よりの、承諾を頂いて掲載します。
場所は、古代出雲歴史博物館の北側 (大社町字森で、出雲大社東500m)
民家の間にあって目立たないので行き過ぎかけてしまいました。
祭神は、神産巣日神(かみむすびの神)。造化三神の一柱で、小さいですが、その名に恥じない立派な大社造りの社です。
大国主命は兄たちに憎まれて、伯岐国(ははきのくに:伯耆国)の手間山の麓で、だまし討ちに遭い、命を落とすのですが神産巣日神が蚶貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむかいひめ)を使わせて大国主命を蘇らせます。こういった要所要所で大国主命を助けたから祀られているようです。
大国主命が憎まれた発端は、因幡の素兎と八上比売(やがみひめ)が原因なんですよ。これは後で知ったのですが大国主命が命を落とした伯耆の手間山は、鳥取県会見町の手間山だそうです。ここに焼かれた大石を祀る赤猪岩(あかいわ)神社があるそうです。今度行ってみよ。
命主神社社殿裏に大岩があったそうで、出雲大社造営のため切り出された際に、そこからヒスイ製の勾玉と銅戈(どうか)が見つかったそうです。その場所には真名井遺跡と書いた標識がありました。出土したヒスイは糸魚川産と判定されたそうで、昔、出雲地方と越(高志)とで交易があったことをうかがわせます。
(中略)
命主神社裏からヒスイと共に出土した銅戈は、北部九州のそれの特徴があるそうで神話も合わせて考えると、越-出雲-筑紫の日本海交易ルートがうかがえます。(以上です)
<次なる、銅戈の埋め場所はどんな所で、どのような埋め方がなされているのか!>
銅かとヒスイは、荒ぶる<島根半島・出雲竜>を括りつけ“封印し”動かさないためのものであり、『大の字』の要所である5カ所に埋められていると推定しました。
Dr.>の言により、その大の字の書き始めの位置が命主神社であることが解りました! ( 註; この考えの発生は、銅鐸・荒神文化から、銅鏡・太陽神へ移り変わる卑弥呼以後のものだと推定しています。)
この記事は、銅かを掘り上げるのが主目的ですから命主神社の(いまさら恥ずかしいのですが何と読むのですか^^?)由来等は、その道に詳しい人にお譲りするとして、素人は<たねちさん>の言葉から別の角度で切り込んでみたい♪
<次なる “銅かとヒスイ” の埋め場所を特定するには、>
第一に、たねちさん>言で、そこが「民家の間にあって目立たないので行き過ぎかけてしまいました。」と、云われるほどの場所であること。
第二で、「小さいですが、その名に恥じない立派な大社造りの社です。」と、云われるように、小さいながらも格式を保った「社」等があること。
第三に、「祭神は、神産巣日神(かみむすびの神)。」とあるように、そこに『結ぶ』等の“いわれ”が残っていること。
第四に、「命主神社社殿裏に大岩があったそうで、出雲大社造営のため切り出された際に、そこからヒスイ製の勾玉と銅戈(どうか)が見つかったそうです。」 これに合わせて、Dr.>の言では、「出雲竜の話では、出雲竜は真ん中の止め釘と、四方の止め釘とでつなぎ止められているのです。」と、あります。
<これは大切なことなので深く追求してみましょう>
祖先は、ヒスイの勾玉を埋めることで、その場所を巨大竜の首部だとし、銅かを埋めることで、師の言葉を借りて、縛り付ける “綱の一端を釘付け” にする考えに及んでいますから、銅かは、<突き立てる>姿で埋めてあったことが想像できます。「首根っこを押さえる」という言葉がありますからね。 その銅かとヒスイは当時の最高技術品で、最高の品質のものでなければなりません。これ等は、ともに中国の影響を強く受けた品々ですから、それについては専門家にお任せしましょう♪
そして、次には、その銅かを打ち付け押さえつけた 「大岩」 について述解しましょう。 その大岩は 「社殿の裏」 にあること。 「出雲大社造営のため切り出された際」 にとありますが、その岩は、【小さく割られて転用】されたのですか?? もし、そうだとしたら 「貴重な財産」 を失いました。(^^!) でも、それは遠くない昔?ですから、当時建設に携わったお人に聞けば、転用した場所が分かるかも知れません。 想像するに、それは当時の人が動かせる最大級の岩であること。 これは、とても大事なことです。何故なら、他の「四つの大岩」も似たようなサイズでなければなりません。その一つが小さければ、せっかく打ち付けた釘が、そこから抜けて竜が暴れ出さないとも限りませんからね(笑)。
蛇足ながら、貴方のお住まいの近くに大岩を突き立てたような信仰の場所があれば、この考え 「荒ぶる神を押さえつけて大人しくして頂く考え」 を継承しています。 さらに中学生さんに(笑)、貴方のお家の庭に大石が突き立ててあれば、災禍をなす荒神さま、「どうぞ大人しくしていて下さいね」 という意味があると承知しておいて下さい。(^-^) さらに々に、頭に火のついたロウソクを括りつけ深夜のわら人形に五寸釘を打ち込むなんてぇのがありますから、その呪術は深夜に行われたのでしょうか? あな、おそろしや、恐ろしや!
*別談ながら、たねちさん>の言に、
「ここに焼かれた大石を祀る赤猪岩(あかいわ)神社があるそうです。」
これは、出雲大社の御神体が「イノシシの形」をしているように思えます。
空を飛んでるイノシシの上に、「三頭一身」の武神(満利支天?)を描いた
掛け軸を見たことがありますから、すみませんが、Dr.>これについての
コメントを下さい。御神体の隕石は、三分割したのかも知れませんから?
< 鷺峠に大岩があれば、その下に!?>
大岩があった<真名井遺跡>から、次なる埋め地の<鷺峠・さぎとうげ>へ向かいましょう。 ( 註; このように記述すると、さも実地を踏破したように思われるかも知れませんが、Yahoo!地図や、国土地理院の電子版地図上でのことですから、どうぞ誤解のなきように(^^!)
真名井から鷺峠に向かうには、大社の後ろ山・八雲山175mを挟んで右側と左側から上る二筋の道がありますが、首飾り?縄は、クネクネと曲がるのは嫌ですから右側の道を選びましょう。こちらの方が道幅は狭いようです。これも途中でクネッと合流してますから直に行きたいですね。この山塊には「出雲自然道」というのがありますから、遙か古代より受け継がれてきた隠れ山道に沿って整備されているのかも知れません。 車での通行は出来ないかも知れないので地元の人によく聞いて下さいね。大社の西から上がる方は、それより少し復員が広いようですが、それでも今は雪が積もっていると思われますので、雪解けを待ってからですよね!。
峠に着きました。国土地理院の地図で、その峠に立った東側の斜面を50mほど上ると“黒い印し”がついていますから、おそらくそれが「大岩」なのでしょうね。しかし、くれぐれも『俺が、私が一番手柄を♪』等と、現地破壊をしないようにしてくださいね。素人が言いたいのは、「その銅かやヒスイの勾玉」よりもその現状が大切だと思われるからです。そこに同サイズの大岩があれば100%です。100%の言葉は使いたくありませんが、このように祖先からの地名という伝言や、いわれを当時の科学だと気付ば簡単なことなのです。
もし、これで納得できない御仁がいたら、もう一度「カテゴリー出雲」を読破なさって下さい(^^!)。 それでも「???」が付くお人が居たら、「 どうぞ、御勝手に!」 Dr.~、ジイサマァ~、たろさぁ~ん・・・、どうかぁ“ブレーキ”をぉ~! 積年の恨み辛み・・がぁ゛噴・・(笑)
この鷺峠を散策して<次なる銅か勾玉の埋め地の鷺浦>へ向かいましょう。
しかし、こっからの北下りを国土地理院の電子版地図で見ると、雪が積もっていなくても難儀するかも? 雪崩注意報も出てたりしますからねえ。 引き返して、○道431号線に迂回して<畑口>あたりから<十六島・うっぷるい>方面からいくことに行くことにしましょう。 今日(2/9?) NHKの8Oちゃん号、十六島で♪
< 銅か & 勾玉 の 埋め地・鷺浦!>
鷺浦へ行くには、十六島側からのほかに、大社から西回りで<笹子トンネル>を抜けて行く方法があります。こちらの方が道が広いようです。このように書くと出雲を熟知してるかに思われますが、これも「ネット地図」での徘徊?です。(笑)
ここは、日本海に面した入江で、小さな漁港のようです。文珠院というお寺があります。<お宮>もありますが地図に、その名は付されていません。その社の裏手に大岩があれば、その下で「三点目」のヒスイの大勾玉が銅かによって「打ち付け」られています。銅かは、真名井遺跡と同じ鋳型で制作されたものだと予測しておきましょう。 史実探偵: 平 素人
追 伸; つぎの「銅か」の捜索は、<大の字>の「ハネ部の2カ所」ですが、左ハネは<松江市!> 右ハネは<島根半島の日本海側にある島根!> 特に、左ハネの松江市は、師の御見識なくしては難しいのでよろしくお願いいたします。(深礼)
さて、ハネ部は竜の足ですから、首に架ける勾玉は埋められないですよね。(笑)何でしょう? 銅かという釘だけ埋めたとは思えません。師のお言葉に、「竜は金属を嫌う!」ガありました。これは大きなヒントになりました。青銅器ではありません。鉄です!現在の地鎮祭で四隅に『鉄球を埋めて』悪しきを鎮めるお祈りがあると聞いています。奴隷時代に鎖付き鉄球を足に施錠した歴史があります。『ハネ部には銅かと鉄球が埋めてあると結論します!』 西安の兵馬傭(秦代?)には青銅剣のみの出土ですが、その時すでに鉄器はあったとするお人がありました。ヒスイの珍重文化は中国、銅かも中国、加えて鉄球が出土すれば、きわめて時代も絞れてくるはずです。しかもそれ等が当時の最高技術で?最高品質で?あれば、それ等の技術者は日本にはなく?、大陸からの指導をうけたか、大陸へ発注したかの2通りが考えられます。・・・?、だん々卑弥呼に近づいてきたぞぅ~~~♪
<鉄球>であれば、大岩の脇掘って?金属探知機で簡単に!♪♪? '09.02.12
竜と銅・第九弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-23-Fri 10:54 [EDIT]
情報提供です。日御碕灯台に行くとき私達は、柱状節理の上を歩くわけですが、その足元の石の形は、五角形・六角形のタイルを敷き詰めたようなものとなっています。敷き詰めたと書きましたが、まさしく規則正しく並んでいるのです。おや、これは、竜のウロコではと思わせるものがあるのです。さて、鷺銅山のあたりには、今は自然銅の路頭など見つけることは出来ないのですが、黄銅鉱や黄鉄鉱などはたくさん見つけることが出来ます。たまには手のひらサイズの塊を見つけることもあります。今でもそうなのですから、はるか昔はもっとたくさんの黄銅鉱や黄鉄鉱が露頭していたことでしょう。そして、黄銅鉱や黄鉄鉱の形は、これまた五角・六角錐すなわち水晶鉱石のような形なのです。そしてそれが、黄金色に光っているのです。今の私達でも、どうしてこんなものがここにあるのかと思うのですから、縄文時代の人達は、さらに不思議だったことでしょう。ここで、語り継がれている遠い昔の天変地異の記憶がよみがえるのです。底なし池を作り、不思議な重さの石を残した、あの天変地異、すなわち隕石の落下の記憶です。とすれば、柱状節理も、黄銅鉱・黄鉄鉱の神秘性も、すべてあの時の天変地異に結び付けて考えられるようになったのではないでしょうか。そしていずれも五角形・六角形、これは竜のウロコに似ているとすれば、あの天変地異は竜が引き起こしたものだと考えるようになったのではないでしょうか。
< 逆鱗に触れる!>
Dr.>、 まさに “逆鱗に触れる”とは、このことをいうのでしょうか。「Dr.コメ第九弾」は、その逆鱗のようで、今の素人には、恐ろしくて記述することが出来ません。
『 わしを起こすと、その鎖を解くと、大変なことになるぞ! 心してかかれいっ!』
でもね、私には、それを両脇で支えてくれる <優しいじいさまと、力持ちの太郎さんと、じっと(笑)観ていてくれるクルー> がいる! 躊 躇(ちゅうちょ)するわけにはいかない。
竜と銅・第十弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-23-Fri 14:41 [EDIT]
平さんの迷惑を顧みず、第十弾です。平さんの出雲竜についての着目は、これまでの見解を塗り替えるものだと思っています。その理由は、出雲竜を中心に様々な出来事を見ていくと、謎とされていたことがすごく分かりやすく説明できるからです。
その一例を私の見た目から述べてみます。私は、なぜ出雲が古代からの信仰の発信地だったのか、よく分かっていませんでした。単に、出雲の人々は信心深かったからだとか、渡来人がもたらした新しい宗教形態が出雲に到来したからだとか、もっともらしい理屈をつけていたのです。
しかし、信仰や宗教の根底には、人知を超えた出来事を目の当たりにしたという、あるいは驚愕の事実に遭遇したという、人間の実存を脅かすことに出会ってこそ、そうしたことに出会わなかった人達と異なる心象を抱くことになるのだという単純なことを忘れていました。
そして出雲が、日本列島の中でもまれな、神々の物語や、宗教的特異性を持っているということは、出雲の人々が過去に、人知を越えた出来事に遭遇したという事実がそうさせたのだと考えるのが妥当であろうと考えるようになりました。
それが出雲竜の出現と、出雲竜のその後だったのではないでしょうか。宗教を広める、あるいは自分達の宗教が他の土地の人に認められるというためには、その宗教を語る当の本人に、確たる信念がなければなりません。その信念を湧き出させるのは、自分達あるいは自分達の祖先が、とんでもない体験をした、そうでない人達にはわからないであろうという、心の核を持たねばならないのです。
出雲の人々には、その心の核が、意識するにせよ、はたまた無意識の深層に横たわっていようと、出雲竜の出現という、原体験だったのではないでしょうか。その原体験が宗教的な様々な派生物となったり神々の姿になったり、あるいは敬虔な信仰心となったりしていたのです。
ここから出雲特有の、しかも出雲という地域にとどまらずに広く受容された、出雲発の信仰や神々、そして神話や・伝承が発信されたのではないでしょうか。信仰や神々のことをもっともらしく語ったり広めたりするのは、もしそれらが薄弱な根拠しか持たないものであれば、本当は恥ずかしくて語れるものではありません。しかし、古代より出雲の人々は自分達の神々や信仰を誇らしげに語っているのです。その根源は、出雲竜にあったのだと説明すれば、私達出雲人は、厚顔な人々ではないと分かってもらえるのではないでしょうか。独りよがりのコメントになりましたが、ご笑読くだされば幸いです。
「迷惑」だなんて、なにを仰いますやら、 Dr.あっての<解明>です。 ただスピードのほうがぁ^^!) そんな Dr.には、拙著の電子出版 ¥500「文芸社」
極秘報告書「巨大隕石と大津波」 ←クリックOK!
をお勧めします。 そこで時間つぶし?をなさっていて下さい。 これには、もっと々恐ろしいことがぁ~゛
<出雲地方の特異性について> 八百万の神々が集まるほどの!
出雲地方の特異性について、素人は次のような(シナリオ)を考えています。
1.BC.2001年12月25日の<西行き・列島大事変・巨大地震と巨大津波>の共有したこと。 (カテゴリー・巨大隕石と大津波を、参照してください)
2. それがたどり着いた西止まりの最終地に、海に浮いた特異形状・長さ約60km、幅約5kmの竜蛇形の島根半島があること。
3. その島根半島自体の特異性(Dr.述)に、加えて特異な天変地変があったと思われること。 これは、この記事の本論ですから、あとのお楽しみに(保管)しておきます。(^^)♪
4. 金属(銅鉄)文化がなかった以前でも、海と干潟があり、山に鳥獣が生息し、その植生等に豊かな生活環境があったと思われること。 筆者は、大事変前の平均気温を今より約15℃高かったとみています。(電子出版・報告書で)
5. そして、大陸の近く位置し、進んだ大陸文化が早くに取り入れられる列島1. & 2.の?優位性があること。
6. 露出銅鋼(Dr.述)があり、それが石器としても有用であったと思われ、砂鉄等においても豊富な鋼資源があり、それ等に目をつけた大陸人によって鋼文化が列島の他の地に先駆けて進んだと思われること。これにより、列島各地からの『銅鐸の制作・修理・大型化の依頼』があったと思われること。
7. そういった環境下で、何時とは特定出来ませんが<大社御神体隕石?>の降下があったと思われること。
8. これはその後になりますが、『卑弥呼が埋めたか、埋めさせたかの大量の銅鐸と銅剣』が、今現在で野洲や神戸に比していちばん多く出土しており、加えて「銅かとヒスイの勾玉」が出土すれば「卑弥呼が出雲に?」の可能性がきわめてたかくなってきたこと。
◎3.の島根半島特異な天変地変はこの記事の末尾に予定しています。(^-^!)
◎7.の出雲大社御神体隕石?、これは只今探求中で、これからの課題。
◎8.の出雲に卑弥呼がいたとなると、俄然その優位性は高くなってきます。
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-24-Sat 06:42 [EDIT]
Dr.~!> はやすぎ、速すぎますう~^^!
まるで、Dr.が少年の頃から抱かれていた疑問と、いずもの歴史とが怒濤の津波となって押しよせてくるみたい^^!> 師のおっしゃる「出雲の断片を見て、いずもを論じて欲しくない!」。 <出雲に八百万の神々が集まるほどの力> が何故生まれたのか?を私も知りたい。 今後ともよろしくお願い致します。 氏はPCピアニスト♪、私は人差し指二本のノコノコ亀!あとからゆっくり付いていくことに致しましょう(笑)。
只今(1/24)、 Dr.コメント第二弾へ(銅について)を加筆挿入ちゅうです。(^^!)
えっ!?、Dr.が<PCピアニスト>だと、なぜ分かったのかって?
種明かしは簡単♪ Dr.は、コメントを連ねることがあります。例えば00:40分に、続けて、00:42分に400字のコメントを! えっ!?、400字以上打てるって^^!) ついでに、他のクルーを紹介します。( ついでかよー、怒^^!) あるお人が稲穂を前にして田園風景を写しました。それには、赤とんぼが小さくこっち向きに写っていました。それはアップにしなければ分かりません。赤とんぼは一度逃がすと、なかなか次には寄ってきません。じっとそのシャッターチャンスを待っておられたのでしょうね。「偶然という必然性を」。 あるお人は富山湾を前にして曇天の下に連なる白く輝く能登半島を写しておられました。わたしは能登半島に前述の記事の中で金鉱?とか、交通路の遮断とかの思いを乗せて、じっと魅入っていました。と!?汚れのようなものが?虫眼鏡でみるとカモメでした。この方もその一羽がカメラアイに入るのを待たれていたのでしょうか? 写真に生き物を入れるとがぜん生気が入りますからね。 あるお人は愛児の後ろ姿を載せることがあります。ふつう後ろ姿は撮らないもの? 又、あるアルバムにはパパの姿は、ほとんどありません。その多くの写真を撮った父のまなざしを何時感じてくれるのでしょうか。 又あるお人は、ブログ友の死に際してシクラメンの花を掲げておられました。なぜでしょう? 和名は「かがり火草」。花言葉は「過ぎし日の楽しい時間」。そんな思いの献花だったのでしょうか・・・。素人は謎解きに、行づまった時そんな時間をもつことを覚えました。 一枚の写真に30分でも1時間でも・・・。
竜と銅・第11弾 shigechanizumo | URL | 2009-01-26-Mon 15:47 [EDIT]
地名が出てきましたね。実は、十六島のみならず、よく考えると日本語離れした地名が島根半島にはたくさん見つかるのです。例えば、美保関灯台の近くには、軽尾(かるび)という所があります。野波(のなみ)というのも、海に面した平野などない場所なのに、野というのもおかしいですね。また、七類(しちるい)という所も少し様な響きですし、さらに、手結と書いて(たゆ・い)という所もあります。そして、恵曇(えとも)というのも普通では読めません。また、地合(ちごう)というのもなぜ地合なのか、よくわかりません。また、釜浦というのもありますが、なぜ海岸の小集落が釜なのか、そして、十六島です。その西の、猪目、鵜峠、鷺浦、宇竜もなんかおかしい。特に、宇竜は以前は、宇礼保(うれほ)と言っていたのですから、余計におかしい。なぜそのような名前がついたのか、『出雲国風土記』には詳しく書いてありません。半島側ではない所の地名には、オオクニヌシやスサノヲゆかりの地名起源などがたくさん載っています。しかし、半島側には、恵雲の地名起源は載っていますが、それ以外はほとんど載っていないのです。さて、十六島(うっぷるい)は、一説には、ご存知でしょうが、アイヌ語だという指摘があります。確かに、(っぷ)などは、ノサップを連想させたりします。また、別というのも江別、登別、紋別などの別とも考えられなくはありません。しかし、有力な説とはされていません。平さんのお考えを前提にすると、ひょっとして、北方で起こった大津波が、その人達を押し流して来たのかも知れません。そして、朝鮮半島の人達とのとんだスクランブルがあったのかも知れません。ご明察を・・・
茶飲み話 ♪
Mr.平 素人 | URL | 2009-01-26-Mon 20:59 [EDIT]
Dr.こんばんわ> コメントありがとう御座います♪
かわった地名たくさん出てきましたねぇ~。 <地名&言葉>に関しては、Dr.のお得意分野!素人のほうが反対に聞きたいですう♪ 私の歴史的知識のほとんどは、御ブログで得たもの^^! なかで出雲の方言・言葉には大陸の響?があるという記事がありましたが、素人には、そのことも含めて「除福」のベースキャンプ地が出雲では?の疑問か頭から離れません。 ところで、中国の京劇と安来節の「高音部」が似てると思いません? お面なんかも「京劇と神楽」似てる? 以上、ハチャメチャ、どうぞのご見解を!(^^!)
茶飲み話 つづき♪
たくさん出てきた<地名伝言>のなかで二つ・三つを。 あとは保留か、どうぞのご勘弁を!
<軽尾>よく動く、つまりその地が波打った? <野波>がどこにあるのか知りませんが、これは師が興味を持たれている富山平野の<砺波・井波→海岸線から20km以上>と同類の名付けで、4009年前の列島津波が押しよせた跡かと? <宇竜は以前は、宇礼保>「宇」がつく地名は、「鵜呑みの、宇」と解釈しています。つまり、津波が海水を丸飲みして魚だけをその地に残して引き去った跡かと?このような所には<垂水>と付くことがあります。<釜浦>わたしも、その伝言が解けなくて悩んでいます。今は、宇竜>→竜の口部?とあわせた「お釜神事」かなと思ってはいますがウラが取れていません。 半島側は本土側と「別意」の地名!ありがとう御座います。 とても興味がわきました。(^-^)♪
追分 shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 10:52 [EDIT]
中国の京劇と安来節の「高音部」とは少し異なりますが、出雲には出雲追分というものがあります。出雲のような平野部で、追分とは珍しいのですが、これは東北の追分と同じ傾向だそうです。特に高音部の響きに特色がありますね。一説によると、ウラルアルタイ系の高音で、、スイスのヨーデルとも関係するそうです。なぜ出雲に追分が・・・。
Dr.~> 知りもしないのに何にでも首を突っ込むのが素人の悪癖。
どうぞご笑止ください。 そう言われれば、東北にも<追分け>の地名が? 美空ひばりさんの「りんご追分け」が有名♪ 出雲の追分けは、牛馬ではなくてヒョットして津波の分かれ目かも??
砺波・井波 shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 11:22 [EDIT]
平さん、さすがです。砺波・井波と野波の関係は、出雲の郷土史家さんからもいくつかの指摘があります。そしてご指摘のように、「砺波・井波」という富山県の地名が出雲から伝播したのか、その逆なのかも論じられています。また、国引き神話の、「良波」、丹波との関係も見過ごせません。
ここへの書き込みは、2/15です(ノコノコ亀より(^^!)
Dr.> 私は、除福(約○○年前)~卑弥呼(約○○年前の)日本海側の交流を、つぎの三つの混合として想像しています。①は、除福集団のもつ航海力と寄港の開発 ②は、中国に比して稚拙とはいえ琵琶湖で竜神船・工船の下地があった近江(商)人が除福に影響されて日本海へ繰りだした? ③は、「越中富山の薬売り」は、昔から有名!この人達が陸路の開発? これ等は一朝一夕にしてなるものではなく、出雲へ神々(地方神の神託をうけたお太夫さん)が集まった時には、すでに出来上がっていたのではないかと思っています。でないと竜神文化を色濃く残している?青森県の<十二湖・艫作崎>の説明がつかない。いちばんの難所は?能登半島廻り! そこで考えた船の係留♪東行きは、河北潟に船とめて残員おいて<倶利伽羅峠>。西行きは、<新湊>から倶利伽羅峠! いや待てよ。<七尾>からのてもあるか?等と考えてみる素人探偵でした。(^^!)
おやっ shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 11:26 [EDIT]
「猪目、鵜峠、鷺浦、宇竜」と出雲竜の頭の地名を列記しましたが、いずれも動物に関係していることが分かります。出雲の地名で動物に関係するものは、この他では、生馬などが散見されますが、あまりないのです。なぜ、島根半島の西端の海岸部の地名に、連続するように動物由来の地名があるのか、・・・おやっ!です。
Dr.~> そうですねえ。
西出雲には概して鳥獣名が多く、特に大社裏の山塊は気になっていました。祖先が地名をつける時、原則的には、そこに住んでいた人の<一番の関心事>につけるわけで、漠然と朝鮮半島の狩猟を糧とする人達の移入かなぁと思っていましたが、師の云われた、北方系の人達のセンも捨てがたくなってきました。
噴火 shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 15:30 [EDIT]
「三瓶町多根小豆原地区には、約4000年前の活動で埋積された巨木群が存在し、「三瓶小豆原埋没林」として国の天然記念物に指定されている。」・・・三瓶山の最後の活動時期が、大津波の時期と重なります。何かあるのでしょうか。
Dr.~> それは耳よりな話です!
史実探偵:素人は、三瓶山の噴火情報を『3500年前』だと得ています。富士箱根辺りや、岩手山の大きな最新噴火も、3600年?~3700年?前かと受けとっています。その500年ほどが埋められないのです。勿論!それ等が4000年前であったらいいなと思っているのは、言うまでもありません。さらなる詳しい情報を下さい。( 「何かあるか?」その理由を、どこやらの記事に書いたのですが思い出せない、・・笑?)
思いだしたのではなくて調べました(汗!) その記事は<BC.2001の巨大隕石>東北に!
ご指摘 shigechanizumo | URL | 2009-01-28-Wed 15:38 [EDIT]
平さんも、同様の指摘をされていますが、三瓶山の4000年前の活動による、砂礫、火砕噴の流出が、神戸川に流れ込み出雲平野の沖積を早めたとされています。天変地異は必ずしも害悪だけをもたらすのではなく、その時点では害悪だったことが、後の時代の恩恵になるという点は注目すべきことではないでしょうか。
ここへの書き込みも、2/15です(ノコノコ亀より(^^!)
Dr.> 三瓶山の噴火が4000年前?かどうかを除いてまったく同感です。 桜島大根! 出雲の大根!のように、火山灰は根菜類がよくできるといいますからね。
釣りじいさん | URL | 2009-01-28-Wed 16:25 [EDIT]
地球はある時真っ赤に燃えていた、やがて大きな雨雲が現れ延々と雨が降ってきた、そしてそこに日が差し始め、生命が誕生した。あの・・・つまりですね~、その雨雲が登場したことにより現在の地球が存在しているわけで・・・その、「雲の出ずる国」が出雲で、その雨雲に乗って登場したのが「出雲竜」だったとか・・・ま、Dr.やMr.さんのような学術的根拠もデータも持たない庶民のクルーとしては・・・取りあえずロマンチックにとらえてみました~、にゃは! いやいや、茶化してごめんです!!
水と、生命の誕生!? Mr.平 素人 | URL | 2009-01-28-Wed 20:14 [EDIT]
釣りじいさま> コメントありがとう御座います。 お待ちしてましたよん♪
< それが、今いわれている「地球誕生科学の最前線」ですね。 >
(Dr.~、チョット、コメ返;お待ちくださいね^^!)
じいさまぁ;わたし、その件にかんして「中坊」のときより抱き続けた疑問があるんですよぉ。(中坊は、中学生のこと。当ブログのクルーには何人かの先生方がいます ^^!) いつかその事に関して「私見」を述べる機会はないかと! 理科の実験でアルコールか?なんかをビーカー内で燃やすと、その内面に水滴ができた? びっくりしましたねえ「火を燃やして水が出来るのかぁ?と!」 反対に、水を電気分解すると、水素と酸素に。 当時には、原子核と電子はあったと思いますけど「原子」が物質の最小単位と教えられました。 「慣性の法則」 「質量普遍の法則」 「質量とエネルギーは等価」等、こども心をワクワクさせる言葉が、先生の口からポンポンと飛び出してきました。 今の私に内有する 「こども心」は、その時に出来上がったといっても過言ではありません。巨大隕石のぶつかり合いで発生するエネルギーは核爆弾の比ではありません。 衝突の接触部においては、たとえそれが岩石であろうと金属であろうと、核分解をおこし、質量の小さいヘリウムや、水素、酸素、の「様々」にまで細分化する。 そして、その衝突熱が冷える時、より大きい原子量の窒素等に収束する? さらに窒素は水素と結びつきアンモニアが出来る。 そのアンモニアが巨大隕石の衝突のうちに蛋白質へと重合する。 言い換えれば、中惑星型の衝突で水が出来、その原始水惑星に小惑星がぶつかり冷える時に蛋白質という{生命の元}が誕生した。 (これ全くの素人考えですから間違いがあるかもです。^^♪)
その誕生した水量の海水を酸素と水素に戻すには、どれだけの電気(衝突)がいるのでしょうか? もはや、雷様でも無理かもね・・・、(笑)
<驚愕の(島根半島)出雲竜・Ⅱ>へつづきます。♪
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