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此処に 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」 あり!!
卑弥呼は魏から得た100枚の銅鏡に換えて出雲と “同じ決め事”で 持ち寄った銅剣と銅鐸を封印した!
驚愕の(島根半島)出雲竜! ・Ⅱ
           <驚愕の(島根半島)出雲竜!・Ⅱ>
      つぎに揚げるのは、拙・電子出版 極秘報告書「巨大隕石と大津波」の
   第一章<巨塊衝突・祖先からの伝言>の “おおまとめ” を軸に、前作同様<Dr.izumo氏のコメント>と、{♪シップのクルー& 新来の方>のコメントを揚げて、この記事をつくりあげています。どうぞの御参加を! ただし記事にUPしたコメントは、先々に本になるやも知れませんので著作権の移譲等、ご了解での投稿をお願い致します。 後世の為に、御自分の名を刻んでおくのも愉しいと思いませんかぁ?(笑)
   
< Dr.~ & クルーの皆さん & 新来の皆さん > 愉しいコメントいっぱい書き込んどいてくださいね♪ 関係ないCMも大歓迎ですよ。息抜きができますからね。(但し;即返はないかも~^^!) わたしは後から、ゆっ・く・り・と~(笑) 

【 八つ目の宇宙という海へ(Dr.命名・略して宇海へ)漕ぎ出す新しいクルーを募集 】 しています♪
 


一太郎 | URL | 2009-02-02-Mon 06:05 [EDIT]
驚愕の(島根半島)出雲竜!・Ⅱスタートですね
(・・||||rパンパンッ

“たろさん” コメントありがとう御座います♪。
 「応援する、パンパン」 だけで励みになります。ご遠慮なさらず時々入れてくださいね。(^^) 
「はい。始まりました」と言いたいのですが、仮想メモリが少なくなり、文字変換スピードまでが、超遅っ! 苦肉の策で<新しい記事>を立ち上げました。これから、前の記事のコメント欄の移設を始めます。 Dr.へのレスは後追いになろうかと思いますが、もう「Dr.を止められない!」(笑) 力つよい応援ありがとう御座います。 (・・||||rパンパンッ、 この文字化け?何時か解いてやろうと思ってはいるのですがぁ゛~(^^!)

釣りじいさん | URL | 2009-02-02-Mon 13:23 [EDIT]
いよいよパートⅡですか!!
ほんと、Mr.やDr.の「徘徊エネルギー」(いやいや、冗談ですよ~)には感動もんでやんす。そのエネルギーを少しお裾分け頂きたいもんです。頑張ってくらはいね~、徘徊し過ぎでお風邪を召しませんように、にゃは!

“じいさま” コメントありがとう御座います♪。優しいお言葉をありがとう御座います。
じいさまは、今が一番大切な時、充分な睡眠を! わたしの記事は亀さんですから、たまにで。
ええ。思考がからまってくると何かと、安らぎを?求めて「徘徊癖」が出てくるんですよう。夜中の2時でも、3時でも (^^!) その節は、ご迷惑?お世話になりました。 今後ともよろしくお願いいたします。
『 Dr.へ、火を付けたのは、わたしです。その責任は、さいごまで!』 あちゃ~!←ぱくり?



    以下<驚愕の(島根半島)出雲竜!・Ⅰ>から、Dr.コメントを移行しています。

距離   shigechanizumo | URL | 2009-01-29-Thu 09:34 [EDIT]
「稚内(ワッカナイ)」・・・「十六島(ウップルイ)」似てるな~。奥尻島にコトシロヌシの青苗神社(江戸期)。「島根半島鷺銅山の竜山」・・・「男鹿半島の八竜」。「島根の飛竜さん・・・青森の竜飛岬」。「出雲大社の巨木文化・・・青森の三内丸山の巨木遺跡」。「島根半島の軽尾・・・北海道の奥尻・利尻」。「宍道湖・中海・・・青森の十三湊・秋田の八郎潟」。・・・距離が離れているけど、似てるな~。


Dr.~> コメントありがとう御座います♪。(2./15に コメ返です^^!)
出雲から、いっきよに北海道まで飛びましたかぁ(^^) 日本海沿岸には<地名的>にみても共通した歴史があるとみられ興味をそそられますねえ。 わたしは八百万の神々が出雲へ集まる北限が、青森県の<十二湖>かな?と思っていましたが、<奥尻島>もですかぁ。 東北地方で気になる<地名付け>があります。『 数字番号が多いこと?』何故なんでしょうか。
例えば、<一戸~四戸が無しで?~九戸>、 日本海側で、八郎潟、八竜、五城目、二つ井、八森、十二湖、十三湖、五所河原、三厩。 太平洋側へまわり、六ヶ所、三木原、八甲田山、十和田湖、三沢、・・・等々・・・!? ( 汗だくぅ~!) 『 ええぃ! 異国の名前は、判りづらいっ!伝えにくい!』 地元名に番号付けて呼んでやれっ! とでもいって徐福集団が番号をふったのでしょうかぁ???

釣りじいさまへ> Dr.より、   shigechanizumo | URL | 2009-01-29-Thu 10:48 [EDIT]
『「雲の出ずる国」が出雲で、その雨雲に乗って登場したのが「出雲竜」だったとか・・・』。
白鵬の雲竜型・・・確かに雲は竜を呼ぶ・・・あるいは竜は雲を呼ぶ。ということは、出雲は出竜。竜は何時までも雲の上を漂っているわけではありませんから、どこかに身を置かなければなりませんね。その身を横たえたところが、出雲・・・島根半島。時として、男鹿半島、竜飛岬・・・。お尻・尻尾が奥尻・利尻。。。。オオッツ・・・。


男鹿   shigechanizumo | URL | 2009-01-29-Thu 10:54 [EDIT]
男鹿とありますが、竜の角は、鹿の角を模したものとも・・・鹿≒竜。男鹿とは男竜。島根半島に鹿島町。島根半島に鵜・鷺の地名。鵜・鷺は水鳥。竜も水棲。


ふーん   shigechanizumo | URL | 2009-01-29-Thu 11:07 [EDIT]
今年はことのほか、日御碕の経島(ふみしま)に飛来する海猫が多く、その乱舞する姿は圧巻です。この、経島は、海猫の繁殖地の南限とされ、その珍しさ規模から、国の天然記念物となっています。海猫の繁殖地は、中部の日本海側にはあまり見られず、ウミネコのWIKIによれば、『繁殖地として、国の天然記念物に指定されている箇所は以下のとおり。青森県八戸市蕪島 、岩手県陸前高田市椿島 、宮城県女川町江島 、山形県酒田市飛島 、島根県大社町経島』とされています。やはり北と出雲のつながりはここにも潜んでいました。


ふーん②   shigechanizumo | URL | 2009-01-29-Thu 11:16 [EDIT]
海猫に限らず、鳥の繁殖地は、鳥の持つ本能の帰巣本能との関係ではないかとされています。ではなぜ、東北青森・山形と出雲が結ばれ、しかも出雲に至るまでの間に繁殖地がないのか・・・。4000年前の記憶が、出雲と東北の日本海側に残されている・・・すなわち、平さんが指摘されるように、東北から出雲に何かが飛来した。その物質が、南限の出雲の繁殖地を生み出した。つまり、出雲の経島には、東北と同じような、海猫の帰巣本能を活性化させる物質が、距離を越えて存在するのではないか・・・。


Dr.~> コメントありがとう御座います♪。(2./16に コメ返です^^!)
海猫の乱舞♪ 圧巻なのでしょうね。 鳥類がなぜ渡りをするかということについては、食餌の欠乏や、気温の変化、日照時間の変化、あるいは鳥類のもつ帰巣本能等、色々と考えられているようですが、はっきりしたことは分かっていないようです。 渡り鳥のなかには、南極から北極まで渡りをする種もあるそうですから驚きです。素人は、Dr.も考えておられるように何かの異変によっても{渡り}が発生すると考えています。Dr.に誤解を与えているようですが「東北地方からの直接的な飛来ではなくて、東北地方からの変移です」^^!) 渡りの多くは南北の緯度方向であって東西に渡りをするとは聞いていません。その何かとは、先に申し上げた「隕石の冬」です。 これによる長期的な気温の降下によって南下を余儀なくされた種が、永代的な遺伝子の変換と、帰巣本能とがあいまって渡りが発生したと考えていますから、ヒョッとして出雲の<経島>の海猫もそうなのかもしれませんね。
(中学生さんに♪) 鳥には、その他<刷り込み>といって、たまごの殻打ちをして外界へ出たとき、最初に見た動くものを親と認識する本能?があるそうです。 ひるがえって、今の私達も、現科学を確定的にとらえず「最良的」なものと認識したいものです。

ありがとうございます!   釣りじいさん | URL | 2009-01-29-Thu 12:38 [EDIT]
Dr.& Mr.さん!
わしのしょもない幼稚なコメントにご丁寧な説明を頂き、汗顔の至りでやんす~。こんなど素人がいてもええですよね?
庶民派クルーとして、お二人のやりとりをしっかり拝見させて頂いておりますよ~。頑張ってくらはいね~、男のロマンバンザイ♪

“じいさま” コメントありがとう御座います♪。( 2/2記入)
ど素人だなんて、とんでもありません。ど素人なら、わたしが上。(笑) Dr.も、じいさまも、レベルを落として下さってお話をして下さっているのは分かりますが、それでも中学生程度の知識しかない素人にとって、Dr.の言葉には難解な部分があります。 この「報告書」は、中学生にも分かって欲しいと願っています。 第一Dr.と、素人の二人よがり?では、観客なしの二人芝居? 「いょっ~、待ってましたぁ♪」のかけ声があるほうが演技も生きてこようかと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。(^-^)♪ 

失礼   shigechanizumo | URL | 2009-01-29-Thu 16:53 [EDIT]
訂正です。白鳳は不知火型でした。朝青龍が雲竜型でした。


<!愕!>   Mr.平 素人 | URL | 2009-01-29-Thu 20:04 [EDIT]
ちょっと、ちょっとぉ~~~♪
Dr.ったらぁ゛~~> はやすぎ、早すぎ^^!) それに 「なんですか」
釣られたとはいえ <じいさま>までぇ~~♪
「いいですよっ♪ お二人で愉しんでらっしゃい♪」  どうせ、わたしはノコノコ亀! あとからゆっくりついてきますっ! <じいさまのおはこ>盗ってってやるぅ! こんなDr.今までに、みたことない<ぶつぶつ!>(^^!)

Dr.~!> 二武神の話どこに書いたか思いだせません。(^^!) Dr.が云われた出雲風土記でかな?? 備中神楽では、二人の武神が八岐大蛇(やまたのおろち)退治をする場面があります。角力の円形土俵(鏡形?)。四隅の柱。奉納相撲では四本の笹竹( 神奈備山!)。弓取り式?。横綱?。これ等は、一連の歴史のなかにあると思えてなりません。 ヒョッとして、Dr.と、素人は、同じ思いかも・・・?(笑) (2/17)

shigechanizumo | URL | 2009-01-30-Fri 16:55 [EDIT]
次のような記事がありました。・・・『出雲平野の北に広がる出雲北山山地は、今から2000万年から2500万年前に生成されたといわれている。泥岩や砂岩などの堆積岩と海中で火山噴火を繰り返しながら形成された火山岩からなり、摺曲や隆起を繰り返して現在のような地形になったそうです。昔の国引き神話では、大山と三瓶山を杭にして新羅の国、佐伎の国や良波の国から余った土地を引き寄せて島根半島を作り上げたと言い伝えられています。ロマンですね。真偽を確かめるためにこの半島の最高峰から見渡してみたいものです。・・・この山塊はホンシュウジカの生息地ですから、どちらも鹿よけのゲートを通って進むことになります。 ・・・』
北山の反対側が、中国山地の南山です。不思議なことに、出雲の南山には、ほとんどホンシュウジカはいないのです。鹿≒竜・・・・????


Mr.平 素人 | URL | 2009-01-30-Fri 20:56 [EDIT]
Dr.> こんばんわ♪ コメントありがとう御座います。
二千万年前の出雲北山山地には考えも及びませんが、すでに神代に国引き神話として素人と同じ「島根半島引きずられ論」があったことに驚きを覚えます。特に北山の本州鹿は遠い昔から<鹿=竜>として保護されていたのでしょうか。これから揚げる、第八弾の“コメ返”に関係するようなので、そちらで私見をのべることに致します。貴重なご意見と情報ありがとう御座いました。深礼(^-^)

なるほど   shigechanizumo | URL | 2009-01-31-Sat 11:09 [EDIT]
すばらしい考察です。私が返答できる範囲でとりあえずコメントします。
⑦その池の周囲に<ストンサークル状>の石組みはないか?・・・・
Re:ストーンサークル状の石は、私がblogに紹介したように、鷺銅山へ向かう途中にあります。 http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/54676390.html・・・ご参照下さい。
②その池の形と、サイズは?・・・
Re:円形です。直径20mぐらいです。
③その池の深さは?・・・・
Re:指摘したように、棒でも、竿でも、ズブズブとどこまでも入っていきます。底なしです。
④「低湿地の泥地であった」 とありますが、
軟着陸か?・・・・
Re:池の北側は岩盤が剥き出た山肌のようになっています。池の東西はやや盛り上がっていますが、南は平地になっています。
⑤その 「飛来の方向」 は?潮温泉の近くに<飛石>の地名がありましたが何故か?・・・・
Re:海潮温泉の周辺には、飛石・湯石などがあり、鏡神社もあります。また、刈畑という所からは、名前が示すようにカリ=金属であり、銅鉱山がありました。また、金山・金成という地名もありここからも銅が採れていました。さらに、薦沢という所がありますが、これまた薦(すげ)=鉄ともいわれ鉄・銅が採れたそうです。


Dr.~> コメントありがとう御座います♪。(2./18の コメ返です^^!)
又々、Dr.が誤解をなさるような表記をしてしまいました。ごめんなさい。 ご存じのように、ストーンサークルの和訳は環状列石ですが、これには。色々あるようです。円形に石を敷き詰めた中心に大きな石を突き立てるもの(大湯)。
等々、(あとで調べて・・・、 ^^汗ぇ~!) Dr.の云われる噴墓は別の意味かも?
ではなくて、鏡の池の円周上に縁取り石があるか、ないかです。何のためかというと、ここが、その 「隕石が落ちた場所」 だと記念に印しておくためです♪
『円形で20mぐらい』は、その御神体・隕石の重さを250kg~300kgとして、想像したとおりの大きさです。自動車爆弾がその程度の穴があいたといいますからね。今、御神体は60年に一度とかの本殿やりかえのために仮の宮に移されていますよね。その石を秤ではかるなどと罰当たりなことは出来ませんが、何人で担いだのかを調べれば、ほぼ予測はつきますよ。(一人あたり50kg?)その人達に聞くことが出来れば一番たしかですけどね。この移動は集目を避けるために四方を竹笹と白布で囲み闇夜に行われたのかな?魏志倭人伝では、卑弥呼の移動で?人々草むらに隠れて?ひれ伏したとか?これは後の「土下差」に変わっています。
さて、その深さですが、直径が20mなら、その<半径分の10m>は欲しいですね。形状は、干渉物がなく均一な土質であれば<きれいなお碗形♪>。 これを調べる方法ありますよ。 池面に方眼状に綱はって、各々のポイントに釣り糸を垂れてその水深を記録する。 ねッ! じいさま♪ ただし、これは周囲の奇異の目に耐えうるだけの勇気がいりますけどね。(笑)
第一お宮の宮司さんが許して下さらないかも~> そして、その鏡池が天然地形か、人工状か、はた又、隕石の痕跡でできたものかを伺ったり考えたりしたいものです。
Re:池の北側は岩盤が剥き出た山肌のようになっています。池の東西はやや盛り上がっていますが、南は平地になっています。
Dr.> これは儲けものですよ♪ 北側の岩肌に<擦過痕か溶融痕>のありや、なしや! そして東西の盛り上がり土のなかに、岩石の<溶融した微粒子と、形状>が含まれてはいないか? 南の方の平地は、その隕石を掘り上げる時に足場をつくるために平らにしたのかもしれませんね。
<さぁ♪ クルー & ブロガーのみなさん!> 次なる貴方の行動は?? わたしの場合は「全部、イヤっ♪」 だって其処まで出かけるのもねえ・・・^^!。 それに寒いしさぁ。≪吉備の大量の銅剣捜し≫も大詰めが残っているしぃ・・・♪(^-^)♪



 *前の記事<出雲竜・Ⅰ>からの転載です。

【 出雲大社・周辺図式 】
                 約1km   <出雲大社>   約1km     島根半島60km長
  {     △奉納山                           →本郷  
{      (73m)     山根                            
  { 仮の宮  中村  新町 東新町
  { (標高2.5m~5m6m)                              
{  赤塚                                         
  {                                                
  {    南北におよそ20m~30m高さの断続的な丘陵の連なり          
{ △ 妙見山(56.9m)
  {   神西湖
  <三瓶山>                                     <大山>

地図   shigechanizumo | URL | 2009-01-31-Sat 11:31 [EDIT]
よく出来た地図です。特筆すべきは、妙見山が載っていることです。妙見信仰は、飛鳥・奈良時代あたりからとよく言われていますが、ここにある妙見山の信仰は、その先史があるとにらんでいます。ご存知のように、妙見信仰は、北斗七星・北極星に関する信仰ですが、要は星辰信仰です。出雲大社の近くから夜空・星を仰ぐと北山が邪魔をして、満天の夜空を仰ぐことは出来ません。しかし、この妙見山に至ると、東西南北、地平から水平線に及ぶ夜空を仰ぎ見ることが出来ます。平さんのご指摘からすると、出雲の人々は、4000年前に衝撃的な彗星の落下を経験しました。再びの衝撃はいつか、どこから降ってくるのか、・・・夜空を気にするようになったのではないでしょうか。ここの妙見山からはパノラマの夜空を観察できるところから、出雲独特の夜空への関心が先行していた場所なのです。それが、たまたま後の世に登場した妙見信仰と習合したのだと考えています。従って、ここの妙見山は、他の地域の妙見山とは異なった意味深い記憶を持っているのです。


Dr.~> 拙図をお褒めいただいて、ありがとう御座います♪。(2./20に コメ返です^^!)
<妙見山と奉納山>の地名は、祖先が「国引き」の綱にみたてた<湖稜>周辺の地図を精査している時、たまたま出合いました。「何かあるな!?」との疑問のままでいましたが、多少のニュアンスは違いますが、こうまで Dr.に解説して頂けるとは!、との高まりをおさえることができません。

<祖先(卑弥呼以前)は、大社設営の地で、どんなお祈りをしていたのか?>
<妙見山について>
師の云われるように<妙の地名>がつく「妙見さま信仰」には、早くから興味をもっていました。 わたしは、「妙」とは、妙なる光。すなわち≪彗星≫をイメージしていました。 そのおぼろげなる考えが師の言葉によって確信に変わりました。 師の言葉で「出雲大社の近くから夜空・星を仰ぐと北山が邪魔をして、満天の夜空を仰ぐことは出来ません」があります。 四千年前の列島を襲った大事変の前ぶれは、彗星の出現によって始まった。 いうまでもなく彗星は、辰巳の方向である南東と、未申の南西の、朝夕の地平線近くにおいてのみ目視できます。 その彗星を“観測できる場所”が妙見山(妙光寺山等の、妙の付く山)なのです。 だから、他の社寺が山の中腹にあるのに“妙見さま”は、山頂近くにあるのかな?(^^!) それ等のお宮さんがどっちを見て建てられているのかを調べてみたいものです。 四千年前の列島を襲った恐怖は歴史として語り継がれ、それ等の彗星の出現のたびに人々は不安にかられる。 60年?の周期をもつハレー彗星。これは推測ですが<卑弥呼の時>。飛鳥・奈良時代あたり。近くには明治の空に現れたという大彗星? これ等の彗星が同一とは思いませんが、祖先は、そのたびに「 あの荒神様の再来かと!」恐怖におののく! 今では、その歴史をすっかり忘れていますけどね。(笑)
もちろん、彗星や、巨大隕石については、列島だけには留まらず、地球規模で観測されたはずですから、それ等について世界の学者は語り合うべきだと思っています。祖先は、その彗星の出没した方向の金星に興味をもっていましたし、四千年前の巨大隕石が赤くなって夜空を飛んだことから火星を不吉な星だともいっています。それ等を「当時の科学」だと受け取らずに「伝説だ!伝承だ!」といっているうちは無理かも知れませんね。 ?(^-^)?.

地図・奉納山   shigechanizumo | URL | 2009-01-31-Sat 11:57 [EDIT]
この奉納山は、出雲阿国の石碑があるところです。ちなみに、歌舞伎の祖といわれる出雲阿国は、出雲大社の巫女で、地図にある中村の出身です。現在も、中村家という出雲阿国の子孫がいらっしゃって、出雲阿国の長持が残っているということです。さて、この奉納山の西側の海岸線に近い山肌にぽっかりと坑道が口を開けています。もちろん、銅の坑道です。奉納山の地下には銅鉱脈があるのです。私も小学校高学年の時に鷺銅山まで黄銅鉱を採りに行くのは時間がかかったので、この奉納山の銅の坑道に黄銅鉱を採りに行ったことがあります。大人から厳しく叱られました。奉納山の土質は赤粘土の土質ですが、出雲の赤土の山には蝮がウヨウヨいるのです。いわんや、坑道などにはどれだけいるのか知っているのか、無謀なことをしたものだというのです。赤土からも分かるように、奉納山の表面の山肌は、なんと大量の鉄分を含んでいるということです。しかも、奉納山を中心としたあたりにしか、その赤土の山肌は存在しないのです。この関係からか、私が小さい時に京都大学の鉱山・鉱物資源研究室の人達が、ひと夏にわたって調査に来ていました。奉納山の東斜面は「池の奥」という地名で、水溜りには絶えず石油のような油膜が張った状態の所をたくさん見ることが出来ました。何かあるようです・・・。


Dr.~> コメント、ありがとう御座います♪。(2./21の コメ返です^^!)
<奉納山について>
島根半島の西の山塊のなかで<奉納山>の地名は、そのつづら折れの登山道とともに早くから気付いていましたが、誰に何を奉納したのかが推めませんでした。師のおかげで、その糸口が見えてきたような気がします。卑弥呼までの神の考え方は、悪しきことや、豊穣をつかさどるのは、四千年前の荒神であり、その荒神へ自分たちの大切なものを差し出すことによって、荒神の怒りを静めたり慈雨との交換を願うものであった。最初は小動物の生け贄から稚児へとエスカレートしたが、卑弥呼は、それを止めさせようとした。しかし、何千年も続いてきた生け贄文化をいかに卑弥呼といえども、完全にたちきることは出来なかった。その没後は、稚児から生娘へと変換し永々とその歴史は続いて行く。 筆者は、雨乞いの基軸は、松江市の<茶臼山>にあったと思っていますが、なぜそれが大社の方へ移っていったのかが分かりません。 いずれにしても、今の史学は「施設・地域を限定」して、狭く考える傾向があります。 素人は、もっと広く列島全体に<同時関連として>調査をして欲しいと願っています。なにしろ「雨乞いをする空」に、区切りはありませんからね(笑)

奉納?→「おさめたてまつる」の言葉は、「捧げたてまつる」より新しいような気がします。 奉納神楽、奉納相撲。 奉納盆踊り?、歌舞伎を奉納する。これ等の一連の行事は、先に触れた「八岐大蛇退治の二武神」に根源があるのではないかと思っています。卑弥呼の代に天を覆い隠すほどの彗星が現れた?。 卑弥呼は、舞台を設え、弓を背におい太刀を持った二武神を従え、太鼓を叩かせ自身は鼓(つづみ)を打ち、その彗星(八岐大蛇)退治の<祈りの舞い>を舞った! 衆人挙りて(こぞり)て、これに唱和する。 結果的には、その彗星はニアミスに終わり退散してくれた。 このように考えれば、今、私達がなしている諸々の行事の根源の説明がすべてつきます。 もうじき来るおひな様の右大臣、左大臣は、その時の二武神を表しているのかも知れませんね。

<おひな様流し>
これに似た言葉で、灯籠ながし、お盆のお船ながし、七夕の笹ながし、等があります。では、卑弥呼は、その時、舞台の上でこれ等のお祈りをしただけでしょうか? いいえ。それだけではありません。それまでに永々と続いてきた生け贄文化の身代わり代用物としての、ひな人形を作らせたのが卑弥呼ではないでしょうか? 御雛のことをお内裏様(だいり)というのは、筆者の駄洒落でしょうかぁ? わたしは、その川が神戸川か、堀川かは知りませんが<経島>に向けて、それを流したか置き去りにしたかのどちらかと思っています。 さらに時をへて<隠岐の島>へ遠島(えんとう)になったかとも・・。

<迎え火、送り火について>
おひな様には、「ぼんぼり」がつきもの、筆者は、<ぼんぼり、迎え火、送り火、かがり火>は、同源で、その竜神・水神を呼ぶ<呼び水>は、やがて、御神酒(おみき)に変わり、「竜神さまはお酒が好き♪」となり、さらに末期(まつご)の水や、おとそ(屠蘇)にも変わっていったかと想像しています。そういえば、出雲大社から、海岸沿いに日御碕へ行く最初のトンネルは<笹子トンネル>といっています。 {ササ}は、宮中言葉で酒のことを云いますから、島根半島巨大竜に酒でも飲ませようとしたのでしょうか? この手前に国土地理院・2万5千分の一の地図でも確認できるような階段状の大岩二枚重ねがあるようですから、ここから日本海へ「 トボトボと酒を流した♪ まるでウワバミだぁ~」(笑)  さて、冗談は?それぐらいにして、
師の言で、「奉納山の土質は赤粘土です」 「奉納山の表面の山肌は、なんと大量の鉄分を含んでいる」があります。
わたしは、この言葉に強い興味をもっています。奉納山の地下坑道は、<銅を掘るため>であり、鉄ではありません。それなのに「その表土だけが何故、赤粘土なのか??」 銅線を焼くと白色化する。鉄分を含む花崗岩が風化すると山土という砂利状になり、さらに風化がすすむと「赤色粘土」となり、決してこの二つは相容れない性質をもつと思うのだが?  なのにその現実がある!・・??

<話は、少し変わります>
わたしは、祖先からの地名という伝言を受け取るにあたり<赤>という言葉には特に注ししています。 それを語れば(拙・電子出版)長くなるので(^^!)、ここでは、<赤土>にだけに絞りましょう。 花崗岩の土質上で、間断はありますが一定場所で“焚き火”をつづけると、赤色化し、さらに炊き続けると白色化する?経験をもっています。 なにを言いたいかというと、「雨乞いの迎え火として、山を焚き、この煙が雨雲に変わり給え!」 との永々たる行為が各地にあり、その表土が酸化して赤くなったのではないかと見ています。 その体表的なものは、奈良の<若草山>? 阿蘇山の山焼きは、牧草のためと聞きましたが、これも始まりは神事であったのではないかと思っています。 この場合<手頃な?大きさで、他に延焼しない場所で、頂上ないしその山姿が円形>のものが選ばれているようです。 師の云われるように「何故この山の土だけが赤いのか?」と子供心に思ったものです。 このような山は各地に散在していると思いますよ。 これに大社町の<奉納山>があたっていると思うのですが、奉納山の地下は黄銅鉱! その表土だけが鉄分を含む?? まったく矛盾したこの現実が解けません。 蛇足ながら、祖先はその山に竹林を植えて火を放っていましたから、今でも竹林が残っていればいいのですが・・?
奉納山の東斜面は「池の奥」という地名で、水溜りには絶えず石油のような油膜が張った状態の所をたくさん見ることが出来ました。何かあるようです・・・。
 それは、6500万年前からの<石油>です。でも、それについての言及は、ここでは止めておきましょう。(笑)

そうそう、一番大事なことを忘れていました。(!^-^!)
八百万の(神々)が集まる?という大社の周辺でどのような神事が営まれていたのか?
 今までをふり返り、出雲の地名をからめて、その最大?のものを仮想?してみましょう。 
卑弥呼の存命中の暁の空に何やら光るものが現れた。日に日に大きくなるその彗星に、人々は四千年前の(当時の四千年前ではありません)列島を襲った荒神の再来だと恐れおののいた。その観測をしたのが<妙見山>だ。卑弥呼は、その難を逃れるお祈りをするすると言い、スギの大木を立てさせ、望楼をしつらえた。卑弥呼はこの上でお祈りする。その姿は神楽を舞うように見えたかも知れない。望楼は屋根をのせる楼閣であっては、決してならない。 屋根は慈雨をさえぎり、天を見えなくしてしまう。奉納山の竹林に火を放つ!(奉納山には旧名が必ずあると思いますが) この時、生け贄として生娘をさしだしたかどうかは確定(竹取物語のかぐや姫)出来ないが、出雲にかぎらず稚児を天に召す前史は各地に残っている。土葬が一般的な社会においての火葬は異例だ。その遺灰を納めたのが、上図に忍ばせていた≪赤塚≫だ。 結果的にこの大彗星はニアミスに終わった。 人々おおいに安堵し、一躍「卑弥呼」の名を馳せた。やはり卑弥呼様だと!

地図・丘陵   shigechanizumo | URL | 2009-01-31-Sat 17:25 [EDIT]
妙見山に至る間に、・・・「南北におよそ20m~30m高さの断続的な丘陵の連なり」・・・とありますが、少し補足させて下さい。確かにそのくらいの高さのでこぼこが海岸線に沿って連なっています。しかし、この丘陵は砂山なのです。真っ白な石英を含んだきれいな砂の盛り上がりなのです。日本で一番大きな砂丘は鳥取砂丘だと言われていますが、私はこの薗の長浜の砂洲が、一番大きな砂丘だと思っています。残念ながら、飛砂防止の防風林の植林や、タバコ栽培や、ブドウ栽培で開拓されたために、鳥取砂丘のような自然景観が失われているのです。驚くべきは、丘陵でない平地では、地下水位が高く、30cmも砂を掘れば、水が湧いてくるのです。この地下水位の高さの原因は、斐伊川の伏流水が、海岸部で浸透圧の関係から地表に押し上げられているからだという説があります。また、この砂は、斐伊川によって運ばれた風化花崗岩の粒砂ですから、ここでは、黒くなる程の砂鉄が、比重選鉱によって浮き上がり、海岸線の水際に沿って表れています。小さい頃は、自転車のランプ用の発電機を分解して、内蔵されていた磁石を取り出し、ロープの先につけて十数mも歩くと、磁石には拳大の砂鉄の塊が付着したものです。この丘陵が開拓される前の風情は、『出雲国風土記』に記載されており、「飛砂がものすごい」とあります。今日のコメントの流れでお気づきでしょうが、今は、のんびりとした田園風景のように見えますが、大昔は、平さんが開示された図式の地域は、鉱物資源の宝庫だったのです。浜には砂鉄、山には銅、池にはメタンなどと・・・・。これらは、出雲竜がもたらしたものではないかと、いにしえの人々は思っていたのではないでしょうか。


Dr.~> コメント、ありがとう御座います♪。(2./22の コメ返です^^!)
師のコメントで少し考えがゆらぎました。というのは、当初<湖陵>の成因は、6500万年前の地球を覆い隠すほどの巨大津波がつくったものであろうと思っていました。でもそれだと、これより南側の沿岸に鉄を含む鉱脈がないとうまく説明できません。それはさておき、2万5千分の一の地勢図を手に入れてこの辺りを観ていたとき驚きましたねえ。平均で20m~30m高さの連なりがある! 日本海へ面したこの沿岸は、四千年前に西進した巨大津波が運んだ低い海辺を予想していたからです。 出雲のお金持ちが私財を投じて風防のための堤防を築いたのかとも思いましたが、その膨大な高さは、当時の人力でなせるものではありません。 しかし、宮津湾の天橋立・鳥取砂丘・それに太田市「鳴り砂」だったかな?等は、四千年前の津波成因だと思います。 鳥取の砂丘は対馬海流が成したとの考えが一般的ですが、それには砂浜より高い海流がなくてはならず、子供の頃よりの大きな疑問でした。ならば風が寄せ集めた? では山口県から北海道まである長い日本海沿岸なのに何故、鳥取県だけに?の疑問が生じます。 いずれにしても子供心は大切にしておきたいものです。

ついでに地図・妙見山   shigechanizumo | URL | 2009-01-31-Sat 17:54 [EDIT]
先ほど、「20m~30m高さの断続的な丘陵」は砂山だと指摘したのですが、大事なことを忘れていました。平さんの指摘される「妙見山(56.9m) 」は砂山ではなく、砂山(薗の長浜)の中に突然盛り上がった火山、あるいは溶岩の隆起だという有力な説があります。多分そうだと思います。ご明察を・・・・。


Dr.~> コメント、ありがとう御座います♪。(2./22の コメ返です^^!)
Dr.~!、すごい。凄い! これも、さきに保留にしておいた<日御碕の柱状節理>=竜の逆鱗(げきりん)とともに、結論部へまわしましょう。(^-^)♪

溶岩   shigechanizumo | URL | 2009-02-02-Mon 10:25 [EDIT]
妙見山を火山あるいは溶岩の隆起としたのですが、実は、出雲・斐川平野周辺には、あれもそうではないかとの場所がいくつか指摘されています。斐川町の荒神谷遺跡に近い「岩野」・・・ここは薬師祭りで有名ですが、平野にぽっかりと岩盤・岩塊が隆起しているのです。次に、加茂町・大東町境の高麻山・岩根山も火山ではないかとされています。アサは鉄(硬い岩)を示します。岩野・岩根という名前も、いかにも固い岩盤の隆起や深部を想像させます。また、妙見山の近くには湖陵温泉、岩野には湯の川温泉、そして高麻山・岩根山の近くには海潮温泉があります。こうしたことからすると、日御碕の柱状節理も突然そこに異変が起こったというのではなく、出雲平野を中心にして、その地底には、マグマの巣、あるいはマグマの網の目が張り巡らされているように思えるのです。大山と三瓶山の活動が、大きな1000m級の山塊を作り出したために、そこが根源のように思われていますが、思い切って見方を変えてみると大変面白いことになりそうです。


Dr.~> コメント、ありがとう御座います♪。(2./22の コメ返です^^!)
Dr.~!、すごい。凄い! さらに々、ですね。 これも結論部へまわしましょう。(^^!)

うわさ   shigechanizumo | URL | 2009-02-02-Mon 17:07 [EDIT]
鷺銅山や鵜峠銅山は、銅鉱山だとされています。確かに銅が採れます。世界遺産になった石見銀山の発見は、この銅山に北九州から銅の仕入れに来ていた「かみやじゅてい」という人が、日本海を航行中に石見銀山あたりの山並みに不思議な光を見たということからだとされています。しかし、よく考えると、九州は宇佐や延岡に有力な銅山があり、わざわざ日本海経由で鷺辺りまで行く必要はなかったのではないでしょうか。真偽不明の噂ですが、実は鷺銅山の銅は、銅ではあるけれども、非常に高い銀成分を含んでいたというものがあります。精錬技術が未熟だったのでうまく銀を抽出できず、銅だと言われて銅として出荷していたのではないかとか・・・。確かに、石見銀山も、灰吹き法という銀抽出の技術が出てから飛躍的に銀の出荷量が高まっています。とすれば、鷺銅山は、銅山ではあったけれど、銀山でもあったのではないかという疑問が出てきます。「かみやじゅてい」さんは、銅の値段で買い付けて、どこかでその銅から銀を抽出していたのではないか。だからはるばる北九州から出雲まで船出していたのではないか。そして大事な部分を掘り尽くす、寸でで、新しい石見銀山を発見して大もうけをしたとか。本当なら、惜しいことをしました。


さすがのDr.; それは々、惜しいことをしましたねぇ(笑)  そう言われれば「海から鉱山を!」そんな話がアフリカの黄金海岸であったような気が・・・^^? Dr.は、その道の専門家とお話ができる程の見識の持ち主、脱帽ですぅ♪ 
その、ご見識で<鏡の池>周辺の顕微鏡探査を・・・?! 「 福は内ぃ~♪」
(2/3記)

釣りじいさん | URL | 2009-02-04-Wed 16:25 [EDIT]
石見銀山の発見のように、キスを釣り上げた! と、思ったら、実は巨大なパールだった・・・ってなことになりませんかね~、Dr.
なんせ、キスは別名パールピンクでやんすから・・・はい、茶化してごめんなさい。

<卑弥呼はパールを何処から調達したのですかぁ?>
   Mr.平 素人 | URL | 2009-02-06-Fri 19:33 [EDIT]
じいさまぁ> キスの美しさは虹色パール♪
越冬キスは、海底の砂場ですかぁ? だったらヒョッとして「真珠貝」も? 御木本さんは「世界中の女性の首を(パールで)しめて御覧にいれます」といったとか?(^^!) ところで卑弥呼が中国の皇帝に贈ったという多量の真珠はどこで手に入れた??のでしょうか・・・?。 Dr.& どなたか、それを教えて下さい。(^-^)?

はじめまして   たねち | URL | 2009-02-04-Wed 03:03 [EDIT]
小生のblogへのコメント、どうもありがとうございました。
こちらへ来て、皆さんのコメントを読んで見て
脳みその隅がチクチク刺激されるようで
大変興味深かったです。

私のblogの文章は乱文ですが
お役に立てるようでしたら、引用していただいて構いません。
ご配慮、どうもありがとうございます。

釈迦に説法かもしれませんが
出雲の神迎祭では神として海蛇が登場、祭られます。
出雲では神迎祭を中心に、八岐大蛇など
蛇(竜)との絡みが大変密接なものです。

とぐろを巻いた蛇のように見え、信仰の対象とされる神奈備山が
出雲に4つあるのも面白いです。
揖屋神社などでは、おそらく蛇であろう、
とぐろ状に巻かれたしめ縄が沢山奉納されています。

蛇信仰に関しては、
吉野裕子著 蛇-日本の蛇信仰 (講談社学術文庫)
が詳細に書かれてあり、参考になります。

ありがとうございます♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-02-04-Wed 20:48 [EDIT]
たねちさん> ようこそおいで下さいました♪ さっそくのご快諾ありがとう御座います。
色々の<お人>が入ると、この記事も、よりおもしろくなると思います。 出雲は八百万の神々が集まるところ。 興味は尽きません。今後もおもしろい情報入れて下さいね♪ おまちしています。(^-^)♪ <ご記事は、驚愕の出雲!・Ⅰ>のDr.コメント第八弾へ入れさせて頂きました。

爬虫類と金属   shigechanizumo | URL | 2009-02-04-Wed 17:03 [EDIT]
鏡の池には、先にしたように、蛇類と亀類がウヨウヨしています。ここにある秘密があるように思います。単に泥池なので、蛇や亀が棲みやすいので多いのだと考えていたのですが、少し見方を変える必要がありました。参考になるのは、鰐や蜥蜴も大型化する地域では鉱物資源や鉱物成分が関係しているという説です。ガラパゴス諸島は火山性の諸島からなっていますが、そこに独特の大蜥蜴や珍種の蜥蜴がいるのもそのせいだとか、大型鰐の生息地である、ナイル川やメコン川あるいは、インドネシア諸島、マレー半島も、火山性あるいは鉱物資源の豊富な地域です。ということは、隕石もマグマもと同じように特異成分をたくさん含んでいるという共通点があります。さらに地球外物質の成分を落下地点に振り撒くわけですから、その落下の後に、そこに棲む生物も、そのような成分が好きな生物ということになります。言いたいことは、鏡の池はやはり隕石の落下が作り出したもので、その周辺や中心には爬虫類が好む火山性の鉱物が散らばっていたということなのです。つまり鏡の池の蛇類や亀類は、ガラパゴスやインドネシアの大型鰐と同じ性向から、そこに棲み付いているということなのです。竜も爬虫類とすれば、鏡の池が出雲竜と関係することが論証できそうなように思えるのです。


Dr.~> コメントありがとう御座います♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-02-04-Wed 21:40 [EDIT]
そう言われれば、「蛇の鱗」 固いような気がしますねえ。 とすると是非とも 「鏡の池」 周辺の土を採集して・・・、^^!) 鉱物探査を!

鏡餅   shigechanizumo | URL | 2009-02-04-Wed 17:43 [EDIT]
鏡の池は、古語でカカ、カガと呼ぶ蛇の池だと指摘しました。吉野裕子先生は、鏡餅も、蛇がトグロを巻いた姿だとされています。大小のお餅を二重に乗せていますが、上から見ると蛇のトグロを巻いた姿だとされるのです。上の橙(ダイダイみかん)は、蛇の頭だとか。確かに、出雲大社の神迎祭の時の竜蛇様が三方に載せられ、頭をトグロの上に出している姿を上から見れば、確かに色は違いますが、二重のお餅に橙を乗せた形となるのです。ここからも、鏡の池は、蛇・竜と関係するとされなくてはなりません。


Dr.~> コメントありがとう御座います♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-02-04-Wed 22:00 [EDIT]
「鏡餅は、銅鏡起源」、とばかり思っていました。^^!)  ほぉ~、神迎祭で三方の上にトグロを巻いた蛇ですか。  恐ろしい発想ですね! 「 いずも恐るべし!」


 *以下、<Dr.とのコメントやりとり>(細線~細線の間)を記事へアップするのを一時控えておりました。 ・・何故?かって、それは御覧になってからのお楽しみ♪(2/17)

なまはげ・能登・出雲神楽   shigechanizumo | URL | 2009-02-05-Thu 10:14 [EDIT]
さて、私は北方文化、特に日本海に対面するウラジオストックあたりの文化が、東北から佐渡、能登を通って、出雲に到着したのではないかと考えてみたいと思います。追分もそうですが、江戸期あたりの北前船の航路の関係から、東北の文化が出雲などにもたらされたのではないかという考えが一般的ですが、浅きに失すると考えるのです。私は北東シベリアの文化がスルリとこれらの地域に伝来したのではなく、いったん青森や秋田で停留し、後にゆっくりと日本海弓状弧を南下して出雲にたどり着いたのではないかと考えるのです。ではなぜ停留していた青森や秋田でのそれらの文化が南下したのか。まさしく、平さんが指摘される、大津波と隕石の影響ではないかと思うのです。つまり、この二つの異変は東北地方で起こり、津波は日本海を南下し、同じく隕石は、ひとつは東北に落ちたのでしょうが、分解した一部は南の空へと流れて行ったのです。その目撃は衝撃的なものでした。自分達の足元も大変なことになったのだが、それから先の南西の人々はどうなったのか。大津波、隕石の軌跡に導かれるように、東北の人々は大津波と隕石の、その後の姿を追い始めたのではないでしょうか。ではどのような文化的な記憶となったのか。秋田になまはげの行事があります。佐渡・能登には、海藻のような残バラ髪を頭にのせ、腰には荒縄ふんどしを巻いたような、なまはげに似た人々が太鼓を乱打する祭りがあります。まさしく異人の振る舞いのようです。では、出雲ではどうかというと、神楽面を見てください。頭髪は残バラ、しかも黒ではなく金や銀の毛髪です。目は大きく、鼻は天狗の太鼓鼻なのです。これら三者は日本人の異形なものではなく、北東シベリアから漂着した白人系を現したものではないでしょうか。すなわち、異種はどうして生まれるのか。まさしく天変地異と同じ原因からではないかと考えたのです。地勢からして、青森・秋田にはこうした異種の人々がいて、それらと一緒になって出雲への旅を、大津波と隕石の後を追って始めたのです。異種との混交は、秋田美人・新潟美人・金沢美人・出雲美人となったのです。顔貌もさることながら、秋田に赴任していた私の友人に言わせると、美人に見えるのは、どこも、肌の透明度が高いということでした。雪国美人と言いますが、それと共に、白人系の遺伝子がこれらの地域では混交していると思えるのです。不思議なことは、山形美人・富山美人・福井美人・鳥取美人とは言いません。およそ一県おきに美人の県があるようですが、その原因は何なのか。俗説に任せましょう。


秘密にならない秘密(^^!)   Mr.平 素人 | URL | 2009-02-05-Thu 21:35 [EDIT]
Dr.~> こんばんわ♪ 毎回興味深いコメントありがとう御座います。 
今回のコメントは、美人系ですか。師のブログでも「女酋」のお話、にやりですね。でも博多を忘れていたのは、博多の人からクレームがぁ?(笑) ちなみに、わたしは、言葉として、「小野小町は秋田うまれだお前はん知らねのけ♪」と、「博多人形」の二カ所しか知りませんでした。(他の地の女御人ごめんなさい^^!)師の言葉に啓発されれば、確かに知ってるかぎり秋田の女の人って色白だし、男の人は鼻筋がとおっていたかと思われます。それを素人の「隕石・津波論」と結びつける考えを頂いて、次のように考えてみました。 これは、今あげている記事の結論部分なので多くを語りたくないのですが、東北に降臨した巨大隕石は、太平洋側には壊滅的被害を与えたが日本海側の生存率は高かったのではと思っています。次に来るのは{隕石の冬}です。これは余りなじみがないので「核の冬」と、言い換えた方がいいかも知れません。つまり、巨大隕石による直接的な粉塵と、それによって誘発された火山の粉塵による気温の降下です。 以前東南アジアでの大規模な火山噴火でも気温の降下が観測されたとか? 四千年前の巨大隕石は、この比ではありません。素人はそれが、幾らの降下だとは言い切れませんが、地球規模で『1年2年のうちに5℃6℃( それ以上かな?)の気温の降下』かあったのではと想像しています。 2年続くと北方民族は、その地での生活が成り立ちませんから、南下を始めます。

竜と美女   shigechanizumo | URL | 2009-02-05-Thu 16:00 [EDIT]
さて、美人の話になりましたが博多美人を忘れていました。出雲美人まで、北東シベリア・コーカサス系の美人が南下しました。その南下はいったん出雲で停留しますが、最後には博多美人を生んだのです。私のblogで、何度となく北部九州・宗像と出雲の関係を指摘してきました。オオクニヌシとタギリヒメの物語です。つまり、オオクニヌシはすでに白人系の遺伝子を持った混交人種となっており、そこにタギリヒメとの神婚が発生したのですから、生まれてくる子孫として、肌の透明度の高い博多美人という子孫が出てくるようになったのではないでしょうか。ここで、先に指摘した、出雲が海猫の繁殖地の南限であるということを思い出しましょう。海猫が、あえて出雲を天然記念物に指定されるほど珍しい繁殖の南限地として選んだのか。他の場所はいずれも東北地方です。その原因を、私は、「出雲の経島には、東北と同じような、海猫の帰巣本能を活性化させる物質が、距離を越えて存在するのではないか・・・。」としました。この論理は、今日述べている、東北地方の人達が、「大津波、隕石の軌跡に導かれるように、東北の人々は大津波と隕石の、その後の姿を追い始めたのではないでしょうか。」というものと同じなのです。すなわち、海猫と同じように大津波と隕石の、その後の行方を追っていたら、たどり着いた南限が出雲だったということなのです。出雲には、東北の人達や、その人達と一緒に南下した「北東シベリア・コーカサス系」の人達のコロニーができたと考えられるのです。そして、そのコロニーはいずれ出雲の在来の人達と混交し、出雲美人を生んでいたのです。さて、本題です。竜は、美女を好むと言う指摘があります。竜宮城の話もそのひとつではないでしょうか。浦島太郎は、不覚にも竜宮城の美女達にはべられて、うっかり時を忘れてしまっていたのです。また竜・水神への人身御供は美少女・美女として登場します。また竜に雨乞いをする巫女もまた同列です。秋田美人・新潟美人・金沢美人・出雲美人・博多美人と竜の関係も、出雲竜について解明されるべきではないでしょうか。


続・秘密にならない秘密(^^!)   Mr.平 素人 | URL | 2009-02-05-Thu 22:49 [EDIT]
Dr.~っ!>  ちょっと、ちょっとぉ~(^^!)
「美人(混血?)は、隔県おき?」 これって問題発言?ではないですかぁ?(笑) 御歯に(羽衣)着せられたほうがぁ゛? クルーには女御人がおられますからねと、いっても,火のついた<Dr.>もう誰も止めることが出来ない^^? 

素人は、それに付いて次のように考えます。
<除福>が海路を開拓した。海路といっても、引き潮の浅瀬や岩礁だけではありません。船が一日で航行する距離によって船の係留地と飲み水・食料等の補給が必要となります。宿場町や駅馬車と同じ考え方です。それが隔県になったのかと? この考えが正しいのなら<地名>として残っているはずで、たとえば出雲の大陸からの玄関口は<湊原>のような古い地名を捜せばいいかと?それからは話が少し反れますが、素人は、<日本海側の海路の開拓は、近江商人。陸路の開拓は富山の薬売り>がおおいに関係しているとおもっています。これ等は一朝一夕にしてなるものではなく、今に云われている歴史以前から永々とした積み重ねがあったからこそなるものだと想像しています。


湊原   shigechanizumo | URL | 2009-02-06-Fri 14:34 [EDIT]
すごい着眼点です。湊原の近くには、唐島・蛇島・本郷・恵比寿・荒茅など意味ありげな地名があります。


Mr.平 素人 | URL | 2009-02-06-Fri 17:43 [EDIT]
Dr.~> コメントありがとう御座います♪
Dr.にほめて頂くと照れちゃいます(^^!)。たまたま地図検索していたら、<湊原>の地名に出会いました。ふつうなら見逃すところですが、そのふりがなが、<みなと>とだけふってあります。 「みなと・はら」と書いて「みなと」は、変ですよね。直感で<秦・しん>の国からの、<さんずい・港>だと思いました。 港なのに「原」が、つくのは変ですが、当時の船が大した大きさとも思えず潮の満ち引きを利用すれば着岸可能かと思いました。 又、大陸から出雲に上がるには、ここが一番近く、神戸川の河口や、堀川?もあり、人も住んでいて、<飲料水や食料の調達>も出来そうだし狙い目ですよね♪ 「唐」の地名は、全国いっぱいあるのに、「秦・しん、隋・ずい」の地名が少ないのはなぜですか・・??

秦   shigechanizumo | URL | 2009-02-07-Sat 17:14 [EDIT]
湊原あたりには、「秦」さんという苗字の家がたくさんあります。また、そこから4キロくらい離れた地区でも畑さん畑田さんという苗字があります。地名ですが、海潮温泉の近くには、幡屋という地名があり、波多さんという苗字がたくさんあります。もちろん『出雲国風土記』の波多の小川は有名ですね。


Mr.平 素人 | URL | 2009-02-07-Sat 20:41 [EDIT]
Dr.~> こんばんわ。 コメントありがとう御座います♪
今回のコメントは、さっぱりだめ^^!> 全然わかりません。 ごめんなさい。
やはり、出雲にも、「除福、あるいは、その集団の一部」は、来ていたのでしょうか?? 出雲にあって中国にないもの」  徐福が中国へ送品したいような珍しい物が出雲にありますか・・・? 思い浮かばないのですが・・(^^!)、

おやっ   shigechanizumo | URL | 2009-02-09-Mon 09:19 [EDIT]
平さんらしくないことを、・・・。あるじゃないですか・・・・たくさん、・・・山ほど・・・。


Mr.平 素人 | URL | 2009-02-09-Mon 18:22 [EDIT]
Dr.~> コメントありがとう御座います♪
それが駄目なんです。今「波多の小川」グーグルで見ましたか「砂鉄あり」とのこと。わたしが調査しているのは、「大量の銅鐸がなぜ埋められたのか」迄で、それも「卑弥呼まで」が精一杯! それ以後の「神代・古墳・鉄文化」の歴史になると、さっぱりなんです。裾野も急にひろがりますからね。そちらの方の謎解きは、Dr.にたよるしかありません。徐福についてもこれからの勉強です。
ブログを始めたのは、その広報が主目的♪ <地名を祖先からの伝言>として読み解く手法をとっています。地名がたくさん出てくることから『 調査、出張してるのでは?』と、思われがちですが、<吉備の銅剣探査>以外は、PCの前をまったく離れたことがありません。 ならば「本に囲まれて?」それも当たっていませんねえ。(笑)本らしきものは・・と?、中学生用の地図が一冊!それと、my電子本が一冊、それもたまに・・ ^^! 何しろ本の体裁をしたもの?を見るのは<御ブログ>が、はじめて、しかもその端かじり( 汗~!)

竜は猪か?   shigechanizumo | URL | 2009-02-13-Fri 16:52 [EDIT]
猪が海を泳いでいる映像が、先般NHKで流れていました。頭を海面上に出して、後ろに航跡を引いて泳いでいるのです。一見、怪物かと思いました。竜は、胴体は長いのですが、蛇ではないようです。それは、頭部を見ればわかります。蛇はポツンとした穴のような鼻を持っていますが、竜の鼻は膨らんで肉がついています。私は怒った猪の鼻が、竜の鼻に似ていると思います。以前、竜は鹿かと書きましたが、それは角を指してのことです。どうも猪と鹿=猪鹿をあわせて様な特徴を持っているように思うのです。猪鹿だから、後は蝶で、空を飛ぶ・・・な~んちゃって・・・。スッキリ。とはいえ、鹿も神聖な動物、猪も神聖な動物です。春日大社や諏訪大社のお祭り行事が証明しています。ところで、島根半島、特に出雲大社の裏手の杉林は、鹿の被害に困っています。鹿が、杉の木で角を研ぐからです。また、出雲大社の裏手には、猪もたくさんいます。私が小さい頃の話ですが、出雲大社の町中に、鹿と猪が迷い出て、大暴れをしたそうです。今でも時々町中に迷い出るそうです。ご参考までに、・・・・。


Dr.~> 「コメ返」をありがとう御座います♪ (2/14記)
そうですか、猪が泳ぐなんて初めて聞きました。そう言われれば隠岐の島から牛を泳がせて本土へ運ぶ。出雲の「赤牛さん」「赤い猪岩」。 これ等の動物を神聖視する考えには共通点があると、どこやらで書いたと思いますが、この考えの底流には<彗星が巨大隕石となり長く尾をひいた>ことにあります。 牛、猪、鹿、丹頂鶴、白ウサギ、白キツネ、白蛇、二十日鼠、等々。『角・牙・長いクチバシや尾っぽは、彗星や隕石を表し、その隕石が赤かったと云うことで、赤い目や、供物に皮を剥いで赤裸に! 白い色は隕石の冬がもたらした大雪です。 卑弥呼以後は、それ等が神の使いに変わっています。大社の裏山はそれ等を獲ってはならない場所と定めてありますから、増えすぎて町中に(^^!)

『龍の発祥は中国から』、この考えを、今の史学は改めなければなりません。
竜は日本列島“発”なのです。 その時の巨大津波が中国の<天津>に迄届き大きな災害をもたらしました。 中国は東方へ繰り出し、その列島の住人から竜の正体を聞き、それを絵にしたのが中国の「龍・ロン」です。だから師の云われたように、中国には「龍を斬殺すれば国を治める者」との考えが発生したのです。 このことは、中国ん!千年の歴史の中で何時?龍の考えが生まれたかを調査すれば判ることです。 素人は、それが四千九年前よりあとの事だと断言できます。・・チョット言葉使い強くなりました。(笑)


「猪(いの)鹿(しか)蝶(ちょう)」のお考え当たっていると思いますよ。(^^)
猪鹿蝶をいうのは「札場」で発生した?賭場ですよね。 札場の発生は天神さまの入り口! { こ~こは、何処の細道じゃ~、} の童謡に謎解きの鍵があると、拙・電子出版で述べています。(^^!)

珍宝   shigechanizumo | URL | 2009-02-13-Fri 17:28 [EDIT]
「徐福が中国へ送品したいような珍しい物が出雲にありますか・・・?」という質問にお答えします。中国には、目立った火山地帯はありません。とすれば、中国で珍しいものと言えば、火成岩質の特性を持った加工品です。次に、2000mから3000m級の山々は、中国の中原にはありません。とすれば、中国で珍しいものと言えば、高山で採れる様々な物品ということになります。次に、中国華南、江南には、寒流が磯を洗う海岸地帯はありません。日本列島の北からはリマン海流が南下し、その南限が出雲です。とすれば、中国で珍しいものと言えば、寒流が産む様々な特産品と言うことになります。ここまでで単純に物品を並べれば、ヒスイ・メノウの玉類、高山で採れる薬草、寒流で採れる昆布、ワカメ・海苔・トドやアシカの毛皮です。島根半島の両端である美保関と日御碕には共に、「トド島」があります。トドが棲み付く南限だったのです。また、竹島はニホンアシカの繁殖地でした。アシカの毛皮が欲しくて乱獲したために、今は絶滅したのです。ほんのちょっとですが、ご参考までに、・・・。


Dr.~> 「コメ返」をありがとう御座います♪ (2/14記)
Dr.~、ったらぁ~> 貴石や、ワカメや、トドでは、中国の皇帝は喜ばないと御自分が一番よく知っておられるのにぃ(笑)
又々、Dr.に大きなヒントを頂きました♪ 「中国には、目立った火山地帯はありません」。
中国には、地下に眠る膨大な量の石炭があります。 「火カ山や、火炎山」の話は、それに火が付いたためだろうと推測できます。 インドネシアでは焼畑の火が、それに移り今でもくすぶり続けているといいます。 当時この二つの成因がわかっていたとは思えませんが、除福は驚いたでしょうねぇ。 列島には、「火を噴く山々がある!やっぱり神秘の島だ!」と、住民に聞けば?温泉が湧き、その鉱泉は薬(ラジウム系?)になるという。 中国に「突泉」はあるが、それが健康にはいいが薬にまでなるとは聞いていません。 今でこそ温泉水を薬代わりとして飲むことはほとんどありませんが当時には「温泉水を薬(神水→後の御神酒)として飲む」ことがあったのではないでしょうか? この出雲の考えは他の地にも広まっているように思います。 岡山県・総社市にある最上稲荷では、『 尽きることのない竜神さまの井戸水がお薬にと!』 このような神社は、皆さん(クルー)の地でも、あるかもしれませんね。 おまけに出雲のお人は親和的(Dr.言)だし♪ 温泉に浸かれば肌はつるつる♪ 除福や小泉八雲さんでなくても出雲に居をかまえたいよねぇ♪  しかも、出雲にいれば<銅鐸の修理制作>の依頼に、全郷(国々)の御太夫(たゆう)さんという神々様が、その制作代金として持ってくる ”珍宝の品々と情報の数々” が集まるからねえ♪。 このことが<北九州>とは違っているかなと?(笑)
と、すれば、徐福は出雲と唐津を行ったり来たり。有力情報があればそちらへ出向く! 集積したそれ等の珍宝と≪温泉の花♪≫を、唐津出荷→対馬→朝鮮半島経由で、皇帝に送り届ければ始皇帝は喜こんだでしょうねえ。 この話は、素人の想像ですから、どうぞその裏付けを!!(^-^!)

オットッ   shigechanizumo | URL | 2009-02-14-Sat 14:42 [EDIT]
≪温泉の花♪≫・・・私の早書きの拙速な文章によくぞ反応いただきました。実は、ラジウム(これは伯耆の三朝温泉ですが)に限らず、海潮温泉にはホウ酸などと湯の花が咲き誇っています。海潮温泉の湯の花を、親指の先ほど持ち帰って、家庭の風呂に入れると、まさしく温泉の湯になります。その他、マグネシウム、硫黄などそれぞれの温泉の主成分の鉱物結晶が湯の花の中には含まれていますね。もしこれを、化学合成で人工的に作り出そうとするなら、トンデモな施設が必要になるでしょうね。まさに、出雲・伯耆の温泉の湯の花の粉末が仙薬として中国に届けられていたかもしれません。あるものは、出雲竜の仙薬と名づけられていたかもしれませんね。


Mr.平 素人 | URL | 2009-02-14-Sat 19:45 [EDIT]
Dr.~> コメントありがとう御座います♪
「出雲竜の仙薬」グッとネーミング♪ これで売り出しましょう。 色々に効きそうですね(笑)。 今なお各地にのこる「お釜神事」というのがあります。この詳細を筆者は知りませんが、護摩焚き等とあわせて海水を煮詰めて「塩という当時の薬」をつくる製法は、徐福福以前の?列島で確立していたとみています。 これを温泉水に応用すれば大量に<仙薬>が、・・♪



 * やっと、Dr.コメントへの追記を完了することが出来ました。♪ (2/22)
     この記事は< Dr.と、 皆様(クルー)と、Mr.と>でつくり揚げたものです♪。
 これは、きっと歴史に刻まれることになるでしょう。 それがせめてもの皆さんへの恩返しです。
             ありがとう御座いました。深く御礼申し上げます。


これをもって≪記事へのUP≫は、締め切らさせて頂き、結論部の、
<驚愕の(島根半島)出雲竜!・Ⅲ>へ、つづきます♪(^-^)♪
どうぞ、ひきつづきの駄文に、おつきあい下されば幸いです。♪(^-^)♪


Dr.~、皆さん! 記事へのUPはありませんが、引きつづき愉しいコメント置いておいて、くださいね。おまちしています♪。
 拍手をありがとう御座います(^^) 只今までで(‘10 5/21)3拍になりました。
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