卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」
此処に出雲と同様、“大量の銅剣”が埋めてある! 全国歴史ファンの方々、三上山に集合せよ。
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驚愕の(島根半島)出雲竜! ・Ⅲ
    <驚愕の(島根半島)出雲竜・Ⅰ&Ⅱの結び>
以上<Dr.izumo氏>とともに、何故?出雲に『八百万の神が集まる』ほどのエネルギーが生まれたのか? それは<島根半島・出雲竜にあり!>として、色々に論をまじえてまいりました。 以下、それに加えて、別紙、拙電子出版・「巨大隕石と大津波」の、祖先からの伝言・おおまとめ加筆・削除しながら掲げますので、皆様の御一考の端に加えて頂けたら幸いに存じます。

紀元前2001年、全天を覆ったその彗星は、地球の引力に捕らえられ、イースター島の上空から侵入し、地上絵を遺すナスカ、そして、クリスマスイブとなったヨーロッパに“隕石(竜)のマーキング;環状列石”を残しながら、日本時間で12月25日未明の東北地方に光臨した。 欧州では、その巨塊が赤く輝いたことから赤い服のサンタクロースだと呼び、箒(ほうき)に乗った黒魔女だとも称した。 日本(北海道)の祖先は、その飛翔音から、その巨塊を“竜”と命名した。 この大事変は慈雨を、その津波は列島に、瑞穂を打ちあげ、魚介類という恵みをもたらしたが、その粉塵や、火山活動の活発化は“隕石の冬”という気温の降下も伴っていた。

隕石の冬による変移を、陸中にある島名や貝塚の所在から、気温で15℃~16℃の降下(理科年表より算出^^!)。海水位で6m前後が下降していると推定した。海水位の降下は、ただ単に日本だけに留まらないことにこの論の強みがある。それは、現在、世界中に残されているであろう陸中の州名や島名を拾い集めればわかることだ。

今(2004年2月3日・記)、出雲大社町の<日御碕>に、水深20m~28m付近に加工された石段やほこら、洞窟。そして、沖縄県与那国島にも幅1mくらいの石段が遺されていると聞いた。これ等は、いずれも民放テレビで放映されたものである。今でも素潜りで海底下30mの石段造りは絶無の技だ。とすれば、その水深30mが海面付近であること、人がそれ等の石加工の技術を蓄積した時でなければならない。

さらに、これ等が何のためにあるかというと、人のためではない。1mもの石段を上がり降りする巨人は現存しない。また出雲のほうは、幅50cm?くらいだが岩肌を刻んだものだという。 舟を、魚を、海水を汲みにいくのに、私ならなにもそこまではしない。(笑) この階段は日用的に使用するものではない。 祭祀のためにしつらえたものだ。 「四千年前の竜が海水を飲み干すために降りた階段だ!」(今に、御神輿(みこし)を海へ担ぎ入れるのはその名残かな?) この水中の階段は、それを言った言わないの伝説でもなく、それを記した地名でもない。 これは確たる物証だ!! 加えて、富山県で港湾整備のときに、水深(?十数m?)の海底にも、林立したままの木が沈んでいるという。

『 隕石の冬は、海水位の変化で: 
  大事変前を0とすると、  事変後は、(-28m-6m)、  現在は、マイナス6m
“氷雪と大気”が、その下降分の海水位を保持してくれればいいのだ。 と!、
   このように締めくくるつもりだったが・・・・、???!  マイナス34m!! 』
 その消えた-34mの海水は、いったいどこに!?


海水位の降下が34m! この話は何千万年や、何億年前の地質時代の話ではない。日御碕にあるという海面下28mの石段は人が刻んだものである。<海面下にある>ということと、<人が刻んだ>ということは<動かしがたい事実>である。それも永々と続いていた石器時代の祖先が岩肌を刻む術(すべ)と、工具を持った時からである。

(つぎは、素人考えであると前置きして; 中学生の皆さんに^^!) (2/26)
まえに、惑星のぶつかりで核分裂がおこり、水素や酸素にまで分解し、冷却の過程で水ができる?ことと「質量普遍の法則」とを申し上げておきました。地球の表面にできたH2Oは雷が電気分解しないかぎり他の物へは変換しません。それでは宇宙へ飛散する? 宇宙は無重力ですから、それもありませんねえ(笑) ならば太陽光が?これは素人の知る限りではありませんが、人類史500万年のあいだの増減があるとは思えません。安定であるからこそ大量に存在していると考えています。一度誕生したH2Oは(異変)がないかぎり無くならない。このことからNASAは火星に水がと考えているのかな?


①隕石の冬では、全海洋34mの降下は、絶対無理!
「海進と海退」は、言葉をかえれば、「地球温暖化と氷河記」に言い換えることが出来る。今においては、主に極の氷雪の多少で、その水位が変わる。現在の海洋と陸地の面積の比は、<陸地1に対して、海洋2,42>である。深さ34mの海水を氷雪に変えて全陸地に積み上げれば約80mにもなってしまい、今の私は存在しない。
ならば、大気が水分としてそれを保持してくれたか? これも無理! 空気は無制限に水蒸気を含むことが出来るわけではなく、その温度と気圧によって、その時の最大量が決まる。 例として;関係湿度27℃、80%の密閉空気を冷却してゆけば、23℃で100%の飽和状態となり、それ以下に下げれば余分な分は水蒸気ではなくて水分の形をとる。さらに気圧では、温度が下がれば空気中の各分子は密となり、水蒸気の入る隙間はより少なくなる。 これ等の現象は、水分を多く持つ台風や、冷蔵庫の下に水が溜まるのでもわかる。(今の冷蔵庫は水が溜まらない工夫がされてる?^^!)
「隕石の冬」論で、海水位34mの降下を進めようとしたが自分で自分の首を絞める結果になってしまった。

  Coffe Time !! (茶飲み話?)
“地球温暖化”で思うこと・・・、

地球温暖化  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
  以下; 2009 02 28に検索しました。
< この項目では20世紀後半から顕著になった温暖化について記述しています。一般的な「気候の温暖化」については気候史をご覧ください。  この項目は現在、改稿作業が進められています。ノートページをご参照下さい。>
地球温暖化(ちきゅうおんだんか)とは、地球表面の大気や海洋の平均温度が長期的に見て上昇する現象である。単に「温暖化」と言うこともある。

地球の歴史上では、気候が温暖になったり寒冷になったりということが幾度となく繰り返されてきたと考えられており、「温暖化」は単に地球全体の気候が温暖に変わる現象を指すこともある。しかし普通は、近年観測され将来的にも続くと予想される、「20世紀後半からの温暖化」について指すことが多い。過去の気候における温暖化であることを特に明記していなければ、「温暖化」という言葉は後者を指す。この記事では後者の温暖化について説明する。

大気や海洋の平均温度の上昇だけではなく、生物圏内の生態系の変化や海水面上昇による海岸線の浸食といった、気温上昇に伴う二次的な諸問題まで含めて「地球温暖化問題」と言われることもある。現在、温暖化が将来の人類や環境へ与える悪影響を考慮して、さまざまな対策が立てられ、実行され始めている。

地球の気候に関しては、時間的・空間的にさまざまなスケールで温暖化と寒冷化が起こってきた。この、「人為的・自然起源に関わらないすべての気候の時間的変動」を気候変動(climate change)という。後述のIPCCはこちらの意味を採用しているが、UNFCCCでは「人為的なものに起因する気候の変動」という意味で用いられ、非人為的なものは気候変化(climate variability)と呼んで区別している。また、「人為的・自然起源に関わらないすべての気候の時間的変動」を気候変化と呼ぶ向きもある。地球温暖化問題は「人為的なものに起因する気候の変動」という意味での「気候変動問題」と呼ばれることもある。 * 以上『ウィキペディア(Wikipedia)』より、引用しました。


<短期的な温暖化傾向について>
筆者の実感としての、温暖化による(瀬戸内の)生態系の変化では、松林の減少と、クマゼミの増加がある。筆者の子供の頃は、他の蝉(せみ)はべつとして、クマゼミは珍しい蝉で、アブラゼミがほとんどであった。この二つの蝉は木の高い所へとまりなかなか捕れなかった。クマゼミが虫かごの中にいると誇らしげにした。それが今では逆転しアブラゼミのほうが少なくなり、クマゼミは子供の手の届くところにとまる程になった。又、松林においては、「山といったら」松林のことを指すくらいに松の木だらけであり、松茸などは子供でもひける程にはえていた。それが今では、松の木を捜さねばならない程に減少した。その原因は、酸性雨だの、松食い虫だのといっていたが、筆者は、これも温暖化の影響ではないかと思っている。特に夏が暑いと一斉に枯れるようだ。山中の松が、その立ち枯れで皮がはがれ白い木肌をさらしたさまは、まるで山が白髪化したごとくに見え、これが<北上川の、白髭信仰?>の謎解きにおおいに役だった。


<長期的な気候変動のなかの温暖化について>
地球の気候史については、「気候が温暖になったり寒冷になったりということが幾度となく繰り返されてきた」 種の絶滅をともなう程のおおきな氷河記は、7回前後だったかな? 筆者は、これに付随して磁場の移転(逆転)があるとし、それは地球というマグネットを、他の惑星ハンマーの衝突合体で磁場が移動したり、その舞いあげた粉塵により太陽光をさえぎった為だとしました。 自転車のマグネットを取り出すのDr.もやりましたか。 あれって心棒を取り外してやろうとハンマーでガンガン叩いたら磁力が弱くなりませんでしたか(笑)? その時舞い上がった粉塵は地球の引力と雨とによって、長期的には地表に落下する。その結果太陽光のとおりを良くし温暖化へと進む。今はその温暖化へ進む方向にあります。これを証明するには<濁り水を放置>しておけばいいと言っても、そんな稚拙な実験では誰も納得してくれませんね。(笑)
念のために、後述のほうは、私が言い出したことではありません。(^^!)


 話を戻しましょう、<その消えた-34mの海水は、いったいどこに!?>
②日本列島沈没論<小松左京・氏>というので、世間を賑わせたことがある。
  筆者は、それを読んではいないが、(34mも)列島が沈没したのか??
現状の海水位を 0 として、
  出雲大社町・日御碕の石段の最下段   水深28m?
  沖縄県与那国島の石段の最下段      筆者・不知
  魚沼市・富山湾の埋没林の深さ    筆者・不知(港の造成時発見。深さ数mか?)
 これ等を考え合わせると、人の有史において、「 日本列島が 約30m沈んでいる!」
  
もっとも、富山湾の海底林は、炭素年代測定法で数千年前かと?記憶しています。(塩水中にあるのも土中にあるのと一緒ですかぁ??) さらに、近頃の南海・東南海地震でいわれているように、日本列島プレートの下に、太平洋プレートが潜り込んでいるというから、素人的には列島は浮き上がり傾向にあると思われ、これも矛盾してしまう。 例え太平洋プレートが日本列島プレートを押し込み押し下げたとしても、接触部は熔けて潤滑剤の役目をし、30mも沈み込むまえに負荷に耐えきれず、小刻みにそのストレスを解消すると思われるが!? では、その<日御碕>のあたりだけが陥没したか? この陥没論をいうには、あたりに「溺れ谷」がなければならず、それは存在しない。< 万事休す、・・!!>

押しても駄目なら引いてみな・・、沈み込みが無ければ浮き上がりかぁ~~んっ?んんっ!?
    なにいっ!  『浮き上がりだとぉ~~っ』   列島が30数m浮き上がった!!
        「事実はいつでも、科学という、人知の先に用意きれている」

その時の筋書きは、こうだ。 BC.2001年12月25日、日本の東北地方に巨大隕石が衝突した。(カテゴリー巨大隕石・参照)太平洋プレートによって押し込まれていた日本列島プレートは、その隕石を引き金に、たまっていたストレスを一気に解放した。想像で直径20km弱の小天体がぶつかろうとも、列島を30数mも浮き上がらせるだけの力は発生しない。たゆまなく太平洋側から押しつけている力の蓄積があったから、東北の隕石を引き金に波打ちが連鎖的に伝わり浮き上がっていったのだ。この地震の連鎖・連動は、南海地震と東南海地震でも云われている。

ご先祖さまは、驚いたでしょうねえ。大地震、大津波とともに、列島が30数m?も浮き上がったのだから。でも浮き上がったとは思わず、西進してきた巨大津波に乗ってきた竜神さまが海水を呑み干したから海水が減ったのだと思いました。その後にくる滝のような大雨は、その竜神さまが吐き出した水だとも! その歴史的言い伝え・記憶が、<竜の口部、日御碕に階段を造りましょう>に発展したのだ。

マントル上の岩石プレートは、巨視的・短時的にみれば、板バネの性質をもつ。思いだして下さい。Dr.が云われた「島根半島は粉砕半島」のこと。幅も広く厚みも厚い中国山脈よりも、細く長い島根半島のほうが大きく波打つ。巨船に寄り添うイカダ状態だ! その千々に砕けた粉砕音は如何ばかりか! きっとその地鳴りは竜の咆哮に聞こえたに違いない。 さらにDr.が云われた日御碕の近くにある 『竜のウロコ=五角形ないし六角形の柱状節理』 のことや、出雲の地下にうごめく溶岩のコメントを思いだして下さい。

一時に浮き上がった列島は、ささえの無い浮き上がりだ。跳ね上がったものなら跳ね落ちる。例えが悪いが漬け物板を押さえつけて見てください。その透き間から勢いよく水が噴き出してくるでしょう。それがトコロテン状の柱状節理かな(笑)。 次にはその重みで沈み込みへと移る。この地殻の動きを人間の時間感覚でいってはならない。今度はじんわりと押さえつけが始まる。断定的には言えないが、それによって溶岩が滲みでてきたのが<出雲・妙見山>をはじめ、Dr.がいわれた「あれも、これも?」かな。

では、「何故、東北から離れたところの出雲の地だけに?」
この謎が解けない!!
少し論としては弱いが、 ・・・

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ど素人ですが・・・   釣りじいさん | URL | 2009-03-02-Mon 19:43 [EDIT]
平面的に見れば東北と出雲は遠いと思いますが、
上空から見ればたいした距離ではないのでは・・・。
巨大隕石が途中で何らかの形で衝突を繰り返せば、
その痕跡は北海道から沖縄の3000kmもたいした差ではないような気がするんじゃけど・・・。

 Mr.平 素人 | URL | 2009-03-03-Tue 05:38 [EDIT]
じいさま> おはようごさいます。 コメントありがとう御座います♪
おブログ賑わってますねえ。待望太公望の三月に入りました。楽しみです。わたしのほうは、仮想メモリが少なくなってさていかに・・・トホホです。(3/4に分記で解決♪)
そのお考えを頂いて 「もう一度巨大隕石の気持ちになって考え直してみます」 なにしろご先祖さまは、その巨大隕石を 『八岐大蛇』だといっていますからねえ・・・、(^-^)?

ご存命中に!   釣りじいさん | URL | 2009-03-04-Wed 11:59 [EDIT]
パートⅢですね!
いやいや、是非ともご存命中に出版して頂き、クルーの一員として名乗り出たいものでありや~す。
↑ 「美保関」・・・よく釣りに行った場所です!!


青春とは心のありよう♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-05-Thu 00:22 [EDIT]
じいさま> コメントありがとう御座います♪
願わくばそうあって欲しいですね。このような「突飛論」は得てしてその没後に♪、というのが常! じいさまの御家系は90代以上の長寿系♪ 私んとこは親父が78才で母が88才。今までに20年余りをついやしました。この論が世を圧巻するには、後30年はかかるかも・(^^)? でも今は、「そんなことはどーでもいい!楽しむ気持ち♪」 にして下さったのが<じいさま>、その時が何時やわかりませんが、ともに燃え尽きるまで楽しみましょうかぁ~(笑) 松下幸之助氏いわく『青春とは歳ではなくて、心のありようである』
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 (3/7)に追記しました。
ずいぶん前のことだが、NHK・TVで日本海溝の底に巨大な岩柱が林立している映像があった。その成因は、「地下マグマが海底砂中を貫通し、後に砂が流れて、その姿をあらわしたためであろう」 との解説があった。 ・・??、 素人が思うに、砂の中なら直立の柱状ではなくて、餅・団子状態にべちゃっと広がるのではないのか? 水深6000m~10000mでの水圧は凄いと思うが? さらに、その流れたとされる砂は、いったい何処へ?? 砂というのは流れの弱い所や低い所に溜まるんではないのか? その潜り映像では、ちょっとの動きでも砂塵は舞い上がり、そこに棲む生物は漂うているように見受けたが(笑)? 海流というのは、表層が速くて極底部は遅くなるのが普通と思いますが? ならば、その成因は? <日本列島漬け物石!> が落ち着く時に淵から溶岩という水分を噴き上げた。とするのは素人の妄想でしょうかぁ。

<驚愕の出雲竜・Ⅰの、Dr.コメント第五弾より>
島根半島の地底深くにマグマが潜んでおり、・・・・・、
もし、このマグマが眠りを醒まし、再び島根半島を持ち上げないとも限りません。その時こそ、出雲竜(島根半島)が、覚醒され、動き始めるのではないでしょうか。一番マグマに近い出雲竜の頭部(日御碕)が頭をもたげ、うねうねと続く胴体と尻尾は揺れ動き、蛇行を始めるのではないでしょうか。
そして、柱状節理が示すように一番マグマに近い日御碕の突端(出雲竜の口)から、溶岩の噴出が起きるのではないでしょうか。
不幸なことですが、中越地震、能登地震、中越沖地震と日本海側に相次ぐ異変ともいえる大地震の連発は、出雲竜の眠りを遠くから醒まそうとする揺らぎではないでしょうか。
その時に備えるべき日が近いのではないでしょうか。不幸の到来を喜ぶものではありません。災いを最小限にするために、予知し予期し、その日に何を備えるべきか、平さんのご明察と「平トラダムス」ともいうべき予知能力と想像力に期待したいと思います。


(日本海沿岸の地震) (3/8) に追記しました。
日本海沿岸地震に、師が云われた地震に加えて、奥尻島沖地震(中越地震、能登地震、中越沖地震)それに、大きなものではありませんが島根半島沖地震が時折発生しています。列島の太平洋側に起きる地震が海洋プレートの潜り込みによって発生しているのに対して、この日本海側の地震を発生させるメカニズムは分かっていなかったようで、出雲を除く(?)すべてが不測・不意打ちだったように記憶しています。 もっとも地震はすべて不意打ちですが・・、(^^!)

<日本海側地震の発生のメカニズムについて考える>
日本海側地震を<一連のもの>としてとらえる師の考えに拍手します。そのように考えたことはありませんでした。それに気付けば今までの論の積み重ねから導けるような気がします。
 ①列島は、太平洋側へ地質学的にいう短時間のうちに引っ張られ、弓状になった。
 ②比熱の大きい日本海側と、日本列島岩石塊の間に、比熱と重力の“ほころび”が出来て、鉱質を含む地下マグマが噴出してグリーンタフ帯を造った。(グリーンタフの鉱質は地下熱を放出しやすくてその溶解温度も低いのが特徴だ)
 ③弓状になる時、列島岩塊は耐えきれずに、糸魚川~天竜川でバキッと折れて<中央分断地質帯・フォッサマグナ>を造った。 ( 注; 中央分断地質帯は筆者の造語です。割れたから地下マントルが表出したのであり、この逆では決してない。^^!)
 ④“ブーメラン状”になった列島は、その後に太平洋側から押しよせる海底地殻によって絶えず日本海へ押さえつけられている。
 ⑤ブーメラン列島の一方の<支点>奥尻島で地震がおきた。もう一方の島根半島沖の<支点>にもDr.の云われるように注視しておきたいものだ。
 ⑥この論を確かめる簡単な方法がある。
青森・龍飛崎と、伊豆・石廊崎辺りと、出雲・日御碕の定点観測を過去にさかのぼって調べればよい。きっと“への字形”の端々は遠ざかっているはずだ。
Dr.のお問いかけである日本海沿岸の一連の地震が、何時、空白の出雲におきるかは分からないが用心にこしたことはない。 史実探偵:素人のJobはここ迄、あとは専門家(警察)におまかせ! といっても相手にしてくれないか!?(笑)

<出雲・日御碕の柱状節理について考える> (3/10) に追記しました。
岩石が柱状節理をとるには、溶岩が狭い隙間を下部からの強い力で、“一瞬のうちに”噴き上げるトコロテン状だと申し上げておきました。 Dr.が、日御碕の灯台近くにあると云われた岩柱の五角形・六角形を「竜のウロコ」と、命名されたのは、グッドネーミング♪ そう云われれば竜のウロコにそのようなものを描いていたようなものを見かけた記憶があります。 まさに、「逆鱗に触れる思い!」。 でも、それに五角形があるのですか?六角形だけと思っていたこども心をそそるものがあります。 Dr.推奨の写真付きウエブ見ました。 後でゆっくりじっくり観たいですね。とても興味深いものがありました♪。

【 仮 説 】 では、日御碕の柱状節理は、何時どのようにして出来たのでしょうか? 
BC.2001の年末、東北に端を発した巨大な地震波が出雲にとどく。、約60kmのイカダ状・島根半島は大きく上下に波打つ! ここで注視したいのは、<地震の舟尾効果!←筆者命名>だ。いかに硬い地殻・地塊であろうが、それに対応する強大な力が働けば、岩塊はマントルに浮いた船のように振る舞う。 まず、西進してきた地震波は<島根半島の西部岩塊>の舳先を持ち上げる。これによって舟尾の日御碕は、ぐっと沈み込む! 地震波は第一波が大きいとは限らない。幾度も、々も、揺すられ続ける。 で!、接触・摩擦熱が発生し“トコロテン”が噴きだした。(笑)

では、他の地にも柱状節理は、ないのか? ありました♪
Dr.が、「岩割伝承」があると云われた<丹波?の玄武洞!> 筆者は玄武洞の名は早くから知っていましたが兵庫県の瀬戸内海側にとばかり思い込んでいました。 ん・・・? 混乱!  もう一度調べなおします。( 汗~!) やはり、日本海側でした。

玄武洞は160万年前に起こった火山活動でマグマが山頂から流れ出して固まる時に、規則正しいきれいな割れ目をつくりだしたものです。6000年前波に洗われて姿を現し、・・・(ウェブ・玄武洞公園より)

丹波の山塊は、出雲の山塊と似たような大きさと形をしていて、これもその舟尾の西側に位置しています。 だが、「160万年前に起こった火山活動で、6000年前波に洗われて姿を現した」 とある。素人のいう4000年前とは大きく異なる。 素人は何時もこの年代決定の問題でいきづまってしまう。 放射性同位元素の年代測定法に誤りはない。遠い過去からその岩質が同じ圧力で同じ温度にさらされていればその考えは正しい。だが実際にはそのようなことはあり得ない。その判断や補正のしかたに誤差があるのではと何時も思います。 今、論じているのは、何万年・何百万年も前の地質時代の話をしているのではない。 四千年前の列島になにが起きたかを探している。

「玄武洞は、160万年前のマグマが固まって柱状節理をとった」と、される岩石も、玄武洞の地下にあった160万年前の岩質が4000年前に噴出したと思えばよい。 後は「6000前の波」と、「4000前の大津波」との差をつめる討究がなされれはいいことだ。

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そうだ!   shigechanizumo | URL | 2009-03-09-Mon 09:14 [EDIT]
お久しぶりです。以前の平らさんが作成された大社の地図ですが、地震の構造線が走っています。その構造線は、稲佐の浜の弁天さん(島)から、仮の宮、中村、新町、東新町、越峠、そして馬場へと続いているようです。なぜなら、戦後直後の地震の時に、これらの地域を結ぶ線上の旅館や家が倒壊したのです。とりあえず・・・。


そうですか、ふむふむ♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-12-Thu 01:04 [EDIT]
Dr.> いつもいつも、興味深いコメントありがとう御座います♪
教えて下さるご教示や情報の数々は、とおりいっぺんの調査では出ない、とても貴重な情報です。 Dr.の云われる 「とんでも話」 と、素人の 「こども心」 のハーモニーを楽しく思います。

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<では、何故山塊の西側だけに柱状節理があり、東側にはないのか?> (3/12) に追記しました。
これは地震波の波状攻撃のスピードが速いからではないのか? 船首が沈み込まないうちに、次の波が船首をもち上げる。結果、船首側より船尾側のほうにより大きく作用し沈み込む。 しかし船首側になんの変異がないとは思えないから<石英の溶脈>があるであろうと予測しておきましょうか♪

<ドクターより新しい情報が入った>
「島根半島の西部岩塊の南側に沿って構造線」が走っていた! 構造線というのは、断層や地質のあきらかな違い面が接することをいうようだ。 前述で、島根半島を巨船・中国山地に寄り添うイカダだと表現した。おなじ波の大きさでも巨船よりイカダのほうが大きく波打つ! であるならば、その構造線をトレンチ(掘削)調査してみたい。筆者の論が正しければ<激しく上下運動>を繰り返した痕がきっと残っている。
 さらに、驚くべきは、この構造線の西端?に、<稲佐の浜の弁天(島)>があることだ。師が子供のころ泳いで渡られた(笑)という日本百選にも選ばれている美しい浜と島だ。 この島は写真で見る限り溶岩の噴出であるようだ。 史実探偵:素人は、この島が『四千年前の大事変の時に噴出した』と、断言する。このような強い言葉で言えるのは、この島で旧暦の10月10日に、津々浦々の神々さまが集まるという「神迎祭」がとり行われるという祖先の強い後押しがあるからだ。 その大事変がなければ、この島にそれ程の集客(神)力は生まれない! 弁天さんは女の神様。そして<薗の浜>その後の歴史の変移が思い浮かびます。ねっDr.~♪

<さらに、日御碕、玄武洞の柱状節理と、似たような所はないのか>

他にも   shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:13 [EDIT]
柱状節理といえばその他、越前の東尋坊が有名です。日御碕と同じように海岸に向けてがけが屹立しています。日御碕と異なり、自殺の名所とか。日御碕では東洋一の石造灯台からの飛び降りはありますが、海へ飛び込んだという話はほとんど聞きません。


 Dr.> ♪即応の♪、   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 08:10 [EDIT]
コメントありがとう御座います。(深礼)
東尋坊が柱状節理だとは、知りませんでした。(^^!) さっそく調べてみます。
              <東西の岩塊の長さ>    < 岩塊の形>    <柱状節理の位置>
①島根半島・西部山塊  約  km     鼻高山   mを含む長円形     西
②玄武洞(兵庫県・北)  約8km      ブロックとは云えず、南北に長い   西
③東尋坊(福井県)    約2,5km      標高80,6mのお碗形        西
④綿向山麓の接触変質地帯(滋賀県蒲生郡日野町音羽)
  この山麓の接触変質地帯というのは、石灰岩の岩体に花崗岩の溶岩が噴き抜けて(貫入という)その熱作用により、石灰岩が熔けて大理石化したものである。断層もあるようだ。 年代的に色々に云われていることはさておき、素人が問題にするのは、<綿向山・わたむきやま←ムク=丸裸か?>の名前と、信仰の対象とされた登山道があることである。 この山は中部山岳地帯の西端にあり、<竜王山>と隣り合わせにある。四千年前の大事変により山と山が擦り合わされて、花崗岩が溶岩となって噴出したのだ。「竜王が火を噴き」その火は木々に燃え移り、「綿のように燃え上がった!」 この事変を目の当たりにすれば、祖先でなくとも恐れおののき信仰の対象にする。 重ねていうが人類の記憶にない地質時代の話ではない。<火と大音響>を体験したから、<日野・音羽>の地名がついたとするのは筆者の思いすぎか? 何時になったら専門家がこの異変に気付いてくれるのでしょうか。 「 先ゃ~長ぇ~なぁ~、じいさまぁ(^^!)」

お見通し   shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:26 [EDIT]
弁天さんは、今は海砂の堆積でほぼ歩いて行けますが、私が中学生だった頃は禁断の島だったのです。浜辺から80mくらい沖にあり、島のいたるところで渦が巻いていました。また弁天さんの前の浜辺の波打ち際に立つと、くるぶしくらいの浅瀬でも、足元をさらう引き潮が出現して、あっという間に数十メートルも流されてしまうのです。穏やかな浜辺の中で、このあたりは遊泳禁止となっていました。私が中二の時、うかつにもこのあたりの危険を知らない他市の町内会の団体が海水浴に来て、不幸にも子供三人が足をすくわれて水死したのです。私はたまたま、その日部活のトレーニングを稲佐の浜で仲間としていて、大きな叫び声を聞き駆けつけたところ、三人の子供が波にさらわれたというのです。何でここで泳ぐのだと思いましたが、手遅れでした。一人は駆けつけた漁協の人が地引網をすぐに仕掛けて、それに引っかかり引き上げられましたがすでに死亡していました。私は、それを目撃しました。あとの一人は、それから三日後に数百メートル南の浜に打ち上げられました。その時もトレーニング中で、駆けつけたのですが、無残な姿でした。あとの一人は十日後くらいに、沖合いに浮き上がったそうです。弁天さんは恐ろしいとつくづく思いました。


そうでしたか   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 23:24 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。
それは、それは、悲しくも恐ろしい思いをなさいましたねえ。 私も以前に似たようなことを聞いたことがあります。海流が複雑に流れている海岸には表面流より速い下層流がおきることがあり、それに足をとられて事故にあう。加えて、そのような所の海底砂は、ふんわりと積もっていて足がズボッてしまう。そんな歴史が稲佐の浜で幾度も刻まれたのでしょうか。 師のことばを通して 「出雲恐るべし!」がヒシヒシと伝わってきます。(合掌)

屏風磐   shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:36 [EDIT]
弁天さんは海に浮かぶ島ですが、仮の宮(上の宮)・・・神在月に神々が相談をする(神議り)お宮があるところの近くには、屏風磐という大岩があり、国譲りの使者タケミカヅチはこの磐のところでオオクニヌシと問答をしたとされています。いかにもゴツゴツとした溶岩といった様子の磐です。海砂が堆積する前は、弁天さんと同じように海の中に立っていたことでしょう。今は、三・四メートルの頭を出しているだけです。そしてこの磐の前には、タケミカヅチを祀る速玉神社がひっそりと建てられています。私達は、この神社に必勝を祈願したものです。武運の神だとされているからです。


それは、いいですねえ♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 23:50 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。 Dr.& クルーの皆さん♪
その屏風磐にかくれて? {四千年の歴史}をくつがえす祈願・謀議を致しますか!(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<さて、このへんでこの記事を結びましょうか>
文頭にかえり、
今(2004年2月3日・記)、出雲大社町の<日御碕>に、水深20m~28m付近に加工された石段やほこら、洞窟があると聞いた。
 (地もとのダイバー(○○さん)が、その映像を撮影されたそうです)

この現実は、<岩肌に石段を刻んだものであり>そこが空気にさらされ水面上にあったことは、何人たりとも否定できない。後から投げ入れた等の異論が挟めない史実である。 ならば、それは出雲だけには限らない。列島が一律に浮き上がったとは思えないが、他の地にもきっと似たような施設を遺しているはずだ。それを地名という伝言から予測して置きましょう。

* 和歌山県の <日ノ御埼>
出雲の碕は、石へんですが、和歌山の埼は、土へんですからその違いがあるかも? この地にも竜神文化を伝える地名が残っています。
* 静岡県の伊豆 <石廊崎>
石廊とは階段をあらわす言葉であり、<伊豆>は、出雲のいずるから来ているのかも知れない。ここにも竜神文化をあらわす地名があります。
* ほかにもあるかも知れませんから皆さんで捜してくださいね(^^!)。 いずれにしても、その発祥の地は<出雲>ではないかと思っています。そして、その竜神文化の伝播交流の手助けをしたのは( BC210年頃?始皇帝代)に、童男童女3千人を?率いて 、列島の各地を不老長寿の仙薬を求めて来訪した『除福の集団』ではないかとも思っています。(^-^)


【 後 述 】
<驚愕の(島根半島)出雲竜>について、駄文を連ねてまいりました。 この話は、なにも出雲だけに限ったことではなく、遠い昔の話でもありません。 今、出雲・日御碕の海底にその姿を隠している石段は、今私達がお参りしている神社の<石段や回廊>に変身しています。 そして、その鳥居は、BC2001年の巨大隕石という火の鳥がとまる止まり木であり、そのお口をすすがれた石鉢には、竜が吐き出した清水(せいすい)が湧きだしています。 この史実が専門家に、そして世間に伝わらないのは、その事実がなかったからではなく素人の論が至らないからです。 専門は問わない。 より多くの人をうながし、私達一人ひとりが、その持てる力を出し合い、この史実を解明しませんか。

竜の吐き出す清水   shigechanizumo | URL | 2009-03-14-Sat 17:48 [EDIT]
そういえば、日御碕の沖合いにあるトモ島(以前はトド島とも言いました)周辺は、日本でも屈指の巨大クエや石鯛が釣れる場所で太公望の垂涎の島です。日御碕の海岸の海中からは、驚くべき量の真水が湧き出す場所がいくつもあるということです。私も、一度この真水に当てられて死ぬ思いをしました。黒田というところですが、小生得意の潜水をしていたところ、突如として体がしびれるほどの冷水に当たってしまいました。しかも、その湧き上がる冷水に押されて海面近くまで押し上げられたのですが、その間からだの周りには冷水が取り付いていたのです。身体が急激に冷え、心臓麻痺寸前でした。すぐに、近くの夏の陽に熱せられた岩肌に密着して、何とか身体を温めたのですが、それでも数分間はガチガチと歯が鳴るほどでした。つまり、柱状節理の隙間からしみこんだ雨水は、地下に蓄えられ、その冷水が海中に泉のように噴出しているのでしょう。クエや石鯛が大きくなるのも、地上の養分を含んだ真水と海水が混ざるという特異な浸透圧からではないでしょうか。クワバラ・クワバラ・・・。


目に見えぬもの?   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-14-Sat 21:54 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。
それは、恐ろしい体験をなさいました。図らずも素人の文面が、Dr.のご体験と符号したのは、なにかの縁(えにし)が働いているのかも知れません。ぜひとも結び文に入れておきましょう。(深礼)

追記(‘09 4/9) 石段の最下段(水深28m付近?)あたり迄に、潮間帯上部に生息する “フジツボ” の付着がみとめられれば決定的ですよね。

「 論より実行!」 春を告げる鳥、ウグイスの初鳴きも聞こえる時候になって参りました。
Dr.& クルーの皆さん! ありがとう御座いました(^-^)。 つぎの記事でお待ちしています。


  次の記事へ、つづきます♪  (3/15)


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出雲竜!(島根半島)を縛り付けている銅戈を捜せ!・Ⅱ
             【 お 知 ら せ 】
 世紀をくつがえす記事への、ご訪問に心より感謝いたします。
折角ご訪問してくださったのに、只今スランプ中でいい考えが思い浮かばず、筆が全く進みません。まことに勝ってながら、下記記事のつづきは読者皆様におあづけします(^^!)。 ごめんなさい。 しばらくの間(?)気分転換の休暇をくださいますようお願い申し上げます。(深礼) 
 尚、卑弥呼が埋めさせた「大量の銅剣と銅鐸」を発見けたい人この指とまれ! に、ご興味があるお方さまは、カテゴリーの 【この指とまれ】(クリック) からお入りください。 全記事は一本の線でつながっていますが、カテゴリー別にお読みになると読みやすく、面白いかも(?)です。♪(^-^)♪  (4月/24日)

    
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 <出雲竜!(島根半島)を縛り付けている銅戈を捜せ・Ⅱ>
表題で、前作同様<Dr.izumo氏のコメント>と、{♪シップのクルー& 新来の方>のコメントを揚げて、この記事をつくりあげていく予定ですから、どうぞの御参加を! ただし、先々に、本になるやも知れませんので著作権の移譲等、ご了解での投稿をお願い致します。 その時、「父さん母さん!爺ちゃん婆ちゃんは、「あの大業に参加したんよ♪」と、御自分の孫子に言えるのも愉しいと思いませんかぁ? 但し、わたしの存命中は無理だと思いますが?(笑)   

【 八つ目の宇宙という海へ(Dr.命名・略して宇海へ)漕ぎ出す新しいクルーを募集 】 しています♪

< Dr.~ & クルーの皆さん & 新来の皆さん >
愉しいコメントいっぱいお待ち申し上げます♪ 関係ないコメントも大歓迎ですよ。息抜きができますからね。(但し;即返はないかも~^^!) わたしは後から、ゆっ・く・り・と~(笑)

           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

shigechanizumo | URL | 2009-02-23-Mon 11:14 [EDIT]
コメupは、締め切られましたが、余りとしてひとつ。出雲竜の頭部は杵築の山塊、胴体は楯縫郡の細長い山塊、そして、確か疑問とされていたと思いますが、尻尾の部分について、私の考えを書きます。尻部はいったん恵曇と浜佐陀を結ぶ線の佐陀川で区切られると思います。浜佐陀のお寺には弘法大師伝説が残り、佐陀川には、蛇と亀がウヨウヨしており、水海も作っていました。今はその水海は広い田んぼになっています。その宍道湖側のお寺に伝わる話では、弘法大師は竜を何とかしたとか、そこで朱(辰砂)が出ることを発見したとされています。ここが尻部です。辰砂は出雲竜のウンコです?そこから東の再び細長くなり美保関地蔵埼に至る嶋根郡の山塊が尾部ではないでしょうか。
(註;前記事へのぶんをこちらへ移させて頂きました)

Dr.~> お待たせして申し訳ありません。(^^!) 表題でコメントの受け付けを再開します♪
ごめんなさい。 (3/4現で)この件に関しては(国土地理院電子版調査)まったくの手づかずですので、<Dr.>のみならず、クルーの皆さんも推理を働かせて先行のコメントを置いといて下さい。(^^)

 <大の字の一文字部> 出雲竜・首っ玉の三カ所は、
   1. 命主神社の大岩の下  銅戈(どうか)と、ヒスイの勾玉! → 寛文(1665)に発掘!
   2. 鵜峠に、大岩の有無?   銅戈と、ヒスイの勾玉  →  未発見・未発掘です♪
   3. 鷺浦町の ?神社(大岩?)  銅戈と、ヒスイの勾玉 → 未発見・未発掘です♪
 <大の字のハネ部> 出雲竜・脚部の二カ所!
   4. (日本海側・??神社)の大岩の下? 銅戈と、鉄球!? → 未発見・未発掘です♪
   5. (松江市側・??神社)の大岩の下? 銅戈と、鉄球!? → 未発見・未発掘です♪
  キーワードは、『 大岩の下!』 ネッ(^^)♪

そうだ!2   shigechanizumo | URL | 2009-03-09-Mon 16:02 [EDIT]
松江市の**神社の大岩は、恵曇神社の磐坂彦の磐座だと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/53327106.html


それは、々は、♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-09-Mon 17:48 [EDIT]
Dr.~> コメントありがとう御座います♪
只今、訪問してきました。 ご記事長いようなので、じっくり勉強させて下さい。(^^!)

一太郎 | URL | 2009-03-14-Sat 09:38 [EDIT]
仮説がどんどんと、とかれていってますね
今後の展開にも大いに期待です
(・・||||rパンパンッ


夜来風雨の声!   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-14-Sat 11:58 [EDIT]
一太郎さん>  ご訪問&応援、ありがとう御座います。
拍手数2に増えました(笑)。 例の拍手!元気が出ます(^-^)。 こちら瀬戸内、昨夜からの春嵐も風は残っているももの晴れてきました。どうやら東北のほうに移っているようです。 どうぞ、ご用心を! 

Dr. & クルーの皆さん> 長い間お待たせしました。これから探索に入ります。(^-^!) (3/15)

師のご記事は、素人にとって未知の神や未知の地名等が多々あり頭に入れ理解するまでに時間がかかっております。まだ1/14の消化に手こずっています。恵曇神社(   )を、YaHoo! 地図で捜しだしました♪ 日本海側へ流れる○○川と宍道湖側へ流れる○○川が、○○峠でつながっています。師の記事で恵曇の旧名は<画鞆・えとも>とありました。鞆とは、弓を右手で矢を射るとき放した弦(つる)が弓を持つ左手にあたって痛いのを防ぐ防具とか。 地形的にみても島根半島の中央部にあたります。≪磐座≫は、師のブログ写真で見たことがあり要注意ですね。命主神社(○○神社^^! )の大岩がどの程度の大きさだったのか?分かりませんが、当時の人達が動かせる大きさでなくてはなりません。

私は、Dr.の云われた『ひょっとして大根』が、頭から離れないのです。その時ビビットきましたからね(笑)。 大の字のハネ部。根が生えたように動かない。動ごかせない。根占(ねじめ)根付け(ねつけ)等の言葉もあります。 そして、島根県の<島根>。 地形的にみても<竜の足部>は、<松江市島根町>かと? それで、ヤフー地図で捜すと、なにやら分けのわからん(汗~!) <○佐加志能為神社・にさの かしのゐ>とか、<大己貴命・○○の みこと>が、出てきました。 いっぺんこの線でもあたってみて貰えないでしょうか(^^!)?

釣りじいさん | URL | 2009-03-16-Mon 17:51 [EDIT]
「恵曇(えとも)」は有名な釣り場でもありやす。また、韓国の漁船が入り乱れ、一帯の飲み屋には得たいのしれない韓国語を話す男どもでにぎわっています。漁師には越境も国境もないようですね~。ここは、大陸と大いに関係ありそうですよん、にゃは!


ファイト~、一発ぁつ!   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-16-Mon 21:44 [EDIT]
じいさま> コメント&アドバイスありがとう御座います♪
 日曜日よい天気でよかったですね。ウグイスも鳴いていましたよ。
(えとも)でしたか^^! 人様が考え無いような余分事を考えてるから、脳に負担がかかって痴呆が始まっているのかも? 特に人の名と数字が思い出せない(汗~) どこの漁師さんも言葉は粗そうに聞こえるが真はやさしいのでしょうね。 私も一発、吊り上げた~~い!(笑)

 そうでしたか、韓国の漁船が島根半島・恵曇の入江にねえ。・・・ その昔(卑弥呼以前)の、船のありようは知りませんが、帆布の制作やら、手こぎ船のことを考え合わせると、朝鮮半島を出発しても対馬海流に流されて、前述の<湊原・みなと>や、<恵曇・えとも>に着いたのでしょうか? そして還りは、日本海沿岸沿いに航行して、唐津あたりから出航すれば流されても朝鮮半島に帰り着く? この論だと恵曇から唐津までに中継港が必要となりますから、それを捜さねば・・。 このあたりも<じいさま>のテリトリーかな!? (笑)
  ・・・帆布に木綿!?・・・雲州木綿? 船材は杉か桧か? 造船・修理はどこで・・・?


釣りじいさん | URL | 2009-03-17-Tue 18:12 [EDIT]
修理、造船、食料調達・・・きっと山口の日本海側じゃないでしょうか、だから・・・あそこには「卑弥呼の里」がある。佐賀に出るにもちょうど中間点じゃし・・・素人のわしには学術的には分かりませんが、山口に「卑弥呼の里」があること自体謎です。釣りの帰りに見ましたが、畑の隅っこに社のようなものがありましたが・・・。


じいさま> コメント&お返事ありがとう御座います♪
山口に「卑弥呼の里」がねえ?? とすると<萩>あたりになりますか^^!)? Dr.の云われた「美人は隔県おき?」にもちかくなりますし(笑) 一昨年に?なりますか。屈強の若者10人程が大分あたりから大阪まで手こぎ舟で石棺を運ぶイベントがありました。あの一日の航海量ってどの程度だったんでしょうねえ。

おこぼれ!?   shigechanizumo | URL | 2009-03-17-Tue 15:14 [EDIT]
・・・『一帯の飲み屋には得たいのしれない韓国語を話す男どもでにぎわっています。(釣りじいさん)』・・・、実は韓国語らしきチャンポン語で、酒を飲んでいると、勘定が安くなります。なぜ?・・・。

Mr.平 素人 | URL | 2009-03-17-Tue 18:26 [EDIT]
Dr.~> コメントありがとう御座います♪
出雲に、また一つ「謎」がふえました。 こまった困った! Dr.のお酒好きは知っていましたが、とくにビールね?(笑) じいさまはどうでしたか? 円座(ブログ)で伺う限りでは、あまりその話題はなかったように記憶してますが?

釣りじいさん | URL | 2009-03-17-Tue 18:16 [EDIT]
shigechanizumoさん、ども!
確かに、恵曇には小さい小料理屋飲み屋があります。昼間の定食が刺身やエビ一匹、他にもたくさん料理があって、確か2000円でした。旨かったですよ!! 帰りに、出雲のざるそばを食べましたが、これも最高!!


< 今からいえば、ちょい悪おやじ!?^^?>
思いだせば、今から30年以上も前になるでしょうか。30代40代が「年寄りカブ隊」と称して、50CCのバイク10数台と軽トラ、乗用車、各1台で山陰方面へ一泊ツーリングをしたことがありました。その時立ち寄ったの○○の魚市場。 安くて新鮮で豊富♪ それとワイナリーの利き酒し放題^^!)  信号無視^^!一人も含めて懐かしい思い出です。

釣りじいさん | URL | 2009-03-18-Wed 12:03 [EDIT]
Mr.おはようございます・・・今日は。
わしは基本的に酒はやりません。20代の若い頃商社マンだったときに毎日接待で日本橋~銀座で飲み歩いていたとき胃に穴があいて、以来酒を受け付けなくなりました(泣)。手術をして治ったときには体質ががらっと変わっていたんです・・・。でも、酒の場は大好きですよ♪


じいさま> コメント&お返事ありがとう御座います♪
そうだったんですか。で、そのほうの話題が少なかったんですね。 じいさまのぶろぐ友と、その話題の豊富さはお人柄ゆえかな? わたしも下戸ですが、その軽妙な応答に影響されてブログを楽しむことを覚えました。 なにしろブログを始めた当初はスパム行為さながらでしたからね(^^!)。 そんな素人にも応答して下さったのが、Dr.でした。

出雲竜のオシッコ   shigechanizumo | URL | 2009-03-18-Wed 14:28 [EDIT]
日御碕の先端の海中からは、大量の地下水が湧き出ているということで、出雲竜の吐く水とされました。今度は、出雲竜のオシッコです。嶋根郡の西のあたりの膨らんだ部分を、出雲竜の腰、あるいは尻部としました。ここの中海側のふくらみに大井浜という浜があります。その隣りが大海崎です。ここは「出雲国風土記」によれば、「邑美冷水(おうのしみず)」という泉が湧く場所です。中海の海中にも湧出口があり、干潮になると水面が盛り上がるほどの清水が湧き出しています。出雲竜のオシッコではないでしょうか。


Dr.> コメントありがとう御座います♪ 
その線にしたがって、もう一度再考してみます。 しばらくのお時間を下さい。
大の字の「横一文字部」の、<鵜峠と、鷺浦町の ?神社>の情報が入ると『何かの共通性』がでてくるかも知れないと思っていますが、いまのところ雪が積もって?駄目なんでしょうね(^^!)

もしかして   shigechanizumo | URL | 2009-03-19-Thu 09:41 [EDIT]
「伊奈西波岐神社」では?


もしかして2   shigechanizumo | URL | 2009-03-19-Thu 09:54 [EDIT]
出雲大社の西側沿いには素我川が流れています。この川を遡ると鷺銅山に着きます。その途中に、三歳社があり正月三日の福迎神事が有名です。鬼の面と青竹で有名な「番内さん」と呼ばれる厄除けの装束をして「悪魔払い(あくまんばらい)」といって各町内のお家を回って歩く人達は、ここから出発します。私も小さい頃は、夜中から始まる焚き火を伴った出発式の見学に、夜闇の中を友達と一緒にこの宮に向かったものです。出雲大社の西北にあるところから、魔よけの毘沙門天も祭られていて、毘沙門さんとも呼ばれています。ここから峠を越えると鷺浦の伊奈西波岐神社に着きます。つまり北と南の分水嶺(峠)を境にして対になるようにこの二社はあるのです。


Dr.> コメントありがとう御座います♪
すごいすごい! Dr.ならではのコメントです。そういうコメントをお待ちしていました。 通りいっぺんの学術ではなく、もう一歩も二歩も踏み込んで、今私達が神仏にたいして成している所業や、地名という祖先からの伝言のなかに何が潜んでいるのかを問いつめた時、わたしは四千年前の東北に降臨した巨大隕石に突きあたりました。

今回のDr.>コメントは、それのだめ押しのようなものです。大の字の『一文字ライン上』に必ず<命主神社>とまったく同じ埋め方で銅かと勾玉が埋められています!。国土地理院の電子版では、鷺浦町に、文殊院と、お宮さんがありますが、お宮の名前は付されていませんでした。このようにその史実は歴史からも忘れ去られようとしています。 私は、大量の銅鐸と銅剣の封埋と、出雲竜の封縛は三点セットでなされていると考えています今私達が声を上げなければ、その 「封印された歴史」 が陽の目をみるのは何時のことになるやら分かりません。命主神社の大勾玉と銅かが出土したのは三百年以上も前でしたからね。それも寺社造営の偶然からです。『 キーワードは、大岩です!』 これほど分かりやすい目印はありません。

Dr.>に、提案があります。
大の字の<ハネ部の二カ所>は、まだ特定しえていません。それを出雲に不得手な素人が、拙ブログで遅々として捜すより、舞台を師のブログへ移したほうが効率がよかろうかと存じます。出雲のことは出雲の人にしか判らない何かがあります。島根半島・出雲竜を封印している銅かと勾玉は、それを掘り出すのが主目的ではなく。それに気付きさえすれば、簡単に発見つかることのほうが大事なのです。その広報には当ブログで、その解明を進めるよりも、読者数で圧倒的に多い御ブログへ舞台を移したほうが、より多くの人達に見てもらえると思います。

その一つを<鷺浦町の伊奈西波岐神社>と、特定しえても、勝手に掘り上げるわけにはいきません。現実的には、それから後のほうが大変 (経験済み~10年かかってます。で、ブログを始めました^^!)と思います。 世間を喚起し、行政(資金援助)の理解を得て、専門家(調査)が動いてくれるまでには相当な時間を要するのではないでしょうか。 そして最大の難関は出雲の人の信仰心の厚さです。 『 学術より信仰!』 簡単に掘らしてくれないと思いますよ。

えっ?なぜ出雲の人が信仰心が厚いのがわかったかって? それは、Dr.の言葉の端々に出てくる蛇の多さ(ウジャウジャ)です。他の地?では蛇ウジャウジャはねえ^^!。 それは、『蛇を決して殺してはならぬ』 との言い伝えがあるからではないでしょうか? 素人探偵の直感があたってなかったらご免なさい。 でも、ネット・リース(ポケットマネー可、^^!)の金属探知器なら許してもらえるかも?(^-^)♪

これから先は師のお得意分野! Dr.がこれを取り上げて下されば、また別の切り口が楽しめるかと思います。 どうぞ、この素人の思いかなえて頂けないでしょうか。?(^-^)? もちろん今掲げているご記事が終わってからの話です。(^^!)

釣りじいさん | URL | 2009-03-20-Fri 13:17 [EDIT]
おっ、いよいよ舞台がDr.に移されるのでしょうか。ちびっと寂しい気がするのですが・・・。佳境に入りそうですね~。「給付金」をいくら集めても・・・足りない。こうなると軍資金に甲府金山でも最初に発掘せんと・・・にゃは!
いやいや、真面目なお話に申し訳ない!


♪リースの金属探知器で♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-21-Sat 06:12 [EDIT]
じいさま> いつもの愛読&愉しいコメントありがとう御座います♪
「吉備の総社市・岩屋にも大量の銅鐸」が有るとし、その掘り上げを画策したことがありました。その時の見積もりが<600~700万円>でした( 汗~!)。 でもこれは考古学的トレンチを行ってのこと。 こんどの場合は、大岩の真下にあるのが分かっていますから、『その横、掘り下げて!金属探知器で!♪』

その埋めてある深さが問題ですが、命主神社の「偶然の発見」から推測しますと、深い位置(三尺)では見つからなかったはずですから、おそらく表土に近い一尺ぐらいの所かなと? ならば掃除機に似た金属探知器の先のセンサー部分がその場所に対応すればいいわけですからスコップで30cmほど掘ればいいかと!

まずは、Dr.のあげて下さった出雲市鷺浦町(日本海側)の「伊奈西波岐神社」境内の大石を捜すことから始めなければなりません^^!。どなたかその大岩の写真掲載を♪ クルーに甲州の埋蔵金を追って?おられる方がいますが、この金銭的価値や、歴史的価値はそれに勝るとも劣らないでしょうね。(笑) それから、クルーに、滋賀県の三上山山頂付近のしめ縄をした大岩を撮っておられる方がいましたが、これもその類が埋めてある可能性が大とみています。・・・ボソリ(^-^)? と、リップサービスね(^^!) 金属探知器のネットのリース代 ; 機種により、一日2100円~3150円だったかな。

ご覧あれ!   shigechanizumo | URL | 2009-03-21-Sat 09:21 [EDIT]
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 鷺大明神のHPです。


“係わりたくない”   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-22-Sun 04:12 [EDIT]
Dr.~> 情報ありがとう御座います♪
URL ではヒットしませんでしたが、「鷺大明神」 で検索できました(^-^)♪。
今までに、幾度か“その筋”のHPにアクセスしたことがありますが、返事を頂いたことは皆無です。^^!) こんな<突飛論>にわかに言われても信じられませんよね。 どなたもが“係わりたくないと”無視されます。 そのたびに、『今に見てろよ!事がなってからでは遅いぞ』 が頭をもたげてきます。 もう、そんな気持ちは味わいたくないのです。 で、今はHPの活動は完全閉鎖しています。 どうせ存命中は無理? それも含めて愉しまなくっちゃあね ♪

 【 お ま た せ し ま し た。 (^^!)   (3/29)
Dr.に>場所がえの提案をしましたが、なにかのご都合がおありなのでしょうと勝手に解釈して、当ブログで引き続いて、「おいしいとこ(イチロー選手をまねて)」を頂くことにいたしましょう。(笑) クルーの方にも「追記」がないにも関わらず毎日の訪問に頭がたれる思いがいたします。 でもね。それは私の心に刻まれているだけのことで、いくら電信柱の影で応援して下さっても、コメントとして残さなければ、私の命がなくなれば歴史には遺りません。これは世界史を見据えての広報活動です。日本では大口をたたくのを良しとせず、控えめな方が美徳とされますが、外国人の目にはそのような行動は<自説に自信がないからだ>ともうつるようです。勿論、自論には間違いも多く含んでいると承知しています。 しかし、『 巨大隕石と大津波 』だけは譲れないのです。

 随分前(20年前?)の拙文です^^!。
血餅であろうか、黒いしみの付いたその地図は、子羊のなめし皮で出来ていた。長い歳月でよれよれになり、おまけに半分しかなかった。海洋に浮かんだ小島らしいとは識別出来たが、緯度、経度にいたってはまったくわからない。ここに自分隠した金銀財宝があると言って、息絶えたキャプテンの言葉(祖先からの伝言)より物語りは始まる。 こんな童話に心躍らせた経験は、多くの人が持つところである。今、私は、宝の地図と宝の箱を開ける鍵を持っている。宝の地図とは地球儀であり、「鍵」は、万有引力、総物質、総輪廻で出来ていて、それには、似たものは似たもの同志で集まる。そして、相似形にあると刻まれていた。しかも、謎解きを記した百科事典まである。 しかし、謎解きが出来ても力(実績)がない。博識有能な仲間がいない。私には船もないし、船長もいない。宝は、そこにあるのに取りに行けない。似たもの同志を探すことは、宝を捜すことより難しい。信じて欲しいとは言わない。気付いて欲しい。誰もが知っていて誰もが気付いていないこと・・・、(報告書の第四章宝探しより)


それから、20年経った今、 < Dr.と、7人?のクルー>を得た(^-^)♪ 何しろ巨大竜という4000年の歴史が相手だ! あと30年はかかるかも知れない。 「満たされた時の酒池よりも、渇いた時の一杯の水♪」 その時の愉しみの大きさと同じだけ量の辛さを背負っています。 その一杯の水は、あなたの 『応援する』 の一言です。 ただし、じいさま>だけは別ですよっ!(笑)

釣りじいさん | URL | 2009-03-30-Mon 13:48 [EDIT]
「飲まなきゃクルーに入れない!」って、言われれば、
わしだって・・・飲みやすよん、にゃは!
「御神酒」は御利益もありやすからね~。


<秘密主義!♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-30-Mon 22:10 [EDIT]
じいさま> いつものコメントありがとう御座います♪
じいさまぁ “酒池○林” などと好き者のようなたとえ話をだしましたが、一杯のおちょこも受けつけないまったくの下戸。 釣りじいさんの尺キス ♪、素人の掘り出し物♪ どちらが先になっても祝宴を上げたいですね。ただしブログ上で! 当方の<秘密主義>は、その時の喧噪から逃れるためと、生来のイタズラ好きからかな?(^^!)

水・飲料水   shigechanizumo | URL | 2009-03-30-Mon 15:40 [EDIT]
先日、荒神谷博物館で会議があり、その中で、渡来人の上陸地はどこだという話になりました。半島側は、私は河下辺りと、恵曇辺りだと発言しました。根拠は、河下には唐川という清水があり、恵曇には、佐陀川があるからだとしました。似たような地域としては、猪目洞窟がある、猪目、鷺浦あたりも考えられるとしました。ここも、カジカが棲む猪目川があるからです。何といっても、航海の後に上陸して容易に飲料水が手に入らなければ、たちまち困るからだろうと考えたからです。いかがでしょうか。

Mr.平 素人 | URL | 2009-03-30-Mon 23:53 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います♪ 心待ちにしていました。
 やはり、地元で史家(司家)としても著名人だったのですね。だって、<出雲のしげちゃん>と呼ばれる?ほどの方ですから(^-^)♪
お問い合わせにコメントできる知識は持ち合わせていませんが、師が当ブログへは史学を外してお話して下さっていることを前提にして、素人の考えを述べさせて頂けるならば、その考えは当たっていると思います。まずは飲み水の確保は最優先ですからね。 詳しくは、考えをまとめますので<記事へのUP>にさせて下さい。

一概に列島への「渡来人」となると、東南アジア、中国大陸、朝鮮半島。 それに以外でしたが、師の云われる北方系の人達と色々にあるようです。又、その時代の特定についても、「長い間に」色々な人達が住みついたとされているようです。次には、ご返答としてではなく場所を<出雲に限り>私見を巡らせてみたいと思います。 私は、以前に師のブログで、秦の始皇帝代の徐福という人物が3千人?の童男童女を率いて、東方の島に不老不死の仙薬を求めてくりだしたことを知り、強いショックを受けたと申し上げました。それは卑弥呼をさかのぼること400余年も前のBC212年(219年?)でした。卑弥呼の解明でさえ定かでない列島に、『童男童女』3千人を送りだしたことに驚愕を覚えました。

先ずは、徐福側に立って考えてみます。秦の始皇帝といえば、万里の長城・西安の兵馬傭が思いだされます。その強権をもって多くの資材を与えられ不老不死の仙薬を持って帰れと命じられた(願い出た?)徐福にすれば片道切符! 不老不死の薬などあろうはずがありません。それにしても、中国人の息の長さには驚かされます。あえて童男童女を持たせたということは、「たとえ何代かかろうとも必ず探してまいれ!」ということですからね。 このような発想は日本人にはありません。 それを云う話で、日本人は南に日陰をなす山があればその南に住家を移すと言い。大陸人は、たとえ何代かかろうともその山を崩し去るといいますからね。このような思想のちがいは、金属・石炭・石油をいわない時代での、列島には<狭い範囲>で衣食住をまかなえるだけの恵まれた自然(飲料水・鳥獣・魚介・採集栽培・石材・木材)があり、それに比して大陸では<広大な>物資の片よりによって住家を移し得ないことによって生まれたのかと思っています。

さて<3千人の徐福船団が未知なる冒険>を! 
  (以下、誤りがあったら、どなたでもいいですから正して下さい^^!)
始皇帝代の中国では、北は万里の長城。西はシルクロード。南は南方諸島を知り得ています。知らないのは。東の海です。 当時からでは1800年ほど前になるでしょうか? その巨大津波と大地震で、大きな厄災を送ってきた東方です。 恐れもあるが未知なる誘惑があってのことです。 始皇帝の強権を持ってすれば「何するものぞ」です。その行程等をふくめて筆者はまったく知りませんから、朝鮮半島経由の場合を考えてみます。現在の韓国・釜山(プサン)か、それより西の(ヨス)あたりからの出立としましょう。この場合、どこから発航したかが問題ではなく、準備万端整えての最終出航地がどこかとして考えることが大事かと思います。

当時の中国では、長江、黄河の大河を行き来する帆船技術はすでに持っています。 とは云え職業は専業化し、3千人を構成する陣容は、薬、衣食住をまかなう人達と童男童女を加えていて船舶関係者だけではありません。目の当たりに見える対馬へ渡るにしても、大河を横切るのとは比べようもありません。いかに帆船とは云え弱風の時もあり漕ぎ手は疲れて強い海流に流されてしまいます。3千人もの人達が「用意ドン!」と出発したわけでもなく、同じ場所へは漕ぎ付かないのではないでしょうか。そしてその分団のひとつが流れ着いたのが、師の云われた<出雲の十六島・唐川>あたりかと?

この場合、徐福の乗る船は、船団の旗艦ですから、一番先に立ち一番強い漕ぎ手達が乗り込みます。以下分団長達がこれにつづきます。このように考えると、一番西側に着岸するのは徐福で、それより先に進む船はありません。以下流されて、鳥取から北への各県で、最北は青森県の艫作崎(ヘナシ)かな?と考えています。 そして、その徐福の着岸地点は長崎から出雲あたりとしておいた方が無難かと? 仮に徐福の接岸地を十六島湾としましょう。 最初に求めるのは飲料水! それが得られれば次は食料を求めます。徐福の船団が一番多い人数をようしていますから、無人島状態で生活を始めるより、より豊かな地を求めて移動しなければなりません。それには現地の人が住んでいるところを探したほうがいい。

参考   shigechanizumo | URL | 2009-04-02-Thu 09:54 [EDIT]
ご参考になるでしょうか
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/52453065.html


(謝々)♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-04-03-Fri 05:57 [EDIT]
Dr.> いつもありがたいコメントありがとう御座います♪
なります、なります。  ただいま訪問してきました。♪(^-^)♪

クルーの皆さんに、それをご紹介します♪
   古代出雲『楯縫郡の謎』(その1~8) 2008・1・22~2008・1・30迄
Dr.のテンプレートにカレンダーがあります。その【←2009→ ←4月→】と、右上の部分の 【リスト】 等をクリック検索していくと、そのご記事にたどり着くことが出来ます(^^!)。素人の子供じみた空想がより現実味を帯びた史実として浮かび上がってこようかと思いますので歴史にお強い方は是非訪問してみてください。

それを素人的に解釈、要約すると(^^!)
楯縫郡(たてぬいのこおり)とは、島根半島を構成する4つの郡の1つで、その中ほどにあり、『出雲国風土記』によれば、ここは(島根半島は)「北門(きたど)の佐伎(さき)の国」から引き寄せられた土地だとされています。 北門というのは島根半島の日本海側を云い、ここに佐伎の国(大陸)から圧倒的文明をもつ人達(神話の神々名で語られている人達)が渡来し、出雲(や列島)の歴史をつくるのに深く大きく関わっていった。 ・・・、でいいですか? Dr.>

その時の島根半島は、無人状態だと推定しています。 なぜなら、島根半島は出雲の人達にとって竜神を呼び寄せのり移させるための信仰の島であり、決して冒してはならない島(?)だったからです。 その当時の島根半島は、宍道湖(現在の水深5m~6m)や中海は、干上がっていて潟化していたかも知れません。土質調査では過去に幾度かの乾期があったと報告されています。 出雲の人達にすれば驚いたでしょうねえ。信仰の対象とする無人の島から圧倒的文明を誇る異質の人達が突然現れたわけですから、その人達を「神々さま」と思っても無理からぬことです。

その人達が食料を求めれば、心やすく提供したと思いますよ。 中には、この渡来人達(徐福達?)を、移住とか侵略の目的だとする向きもありますが、私はそうは思いません。 ものごと最初の出会いが大きく後々にひきます。徐福達にすれば厄災を送ってきた東方の島に船出をするわけですから、当然の兵力は携えています。たとえ戦いを知らぬ石矢石斧の住人が抵抗しても難なく扼殺してしまいます。 ところがあに図らんや!、下へもおかぬ“おもてなし♪” 徐福(?)達は喜んだでしょうねえ。 このことは歴史を語る上でとても大切なことです。その後の列島文化の融和へと発展したわけですから。 ものごと<その目的と、最初の出会い>が異なれば、その後の歴史に大きく作用すると中世の歴史で知るところです。

圧倒的文明の差と表現しました。それをDr.に教えて頂かなければなりませんが、卑弥呼をさかのぼること(約450年??)ほど前のことです。 中国では西安に数千人の等身大の兵馬傭や、万里の長城を造るだけの国力があり。列島のほうはたて穴式住居の石器時代。船では帆船(?○○人乗り以上?どなたか教えて下さい)。 列島では杉の大木を半分割りにしなかをくり抜いた3mほどの舟。(先だって野洲市で境界水路?から長さ3m余りの棺のふたとされる縄文代の遺物が出土したとの報あり)。 素人はこれを竜神の舟か?とみています。3mもの巨人はいませんからね(笑)。

「徐福、3000人の童男童女を引き連れて」とありますが、はたして本当にその数3000人だったのでしょうか? 中国には「白髪三千丈」という表現があります。数千人の表情の異なる等身大の兵馬傭からすれば、あながちこれが誇大した数字とは思えないのが中国です。 潮来(いたこ)一枚下は地獄の時代。海の藻屑となった人達もいたことでしょう。話半分!の1500人にしても、すごい数字です。

<次も仮想です>
先の<十六島・うっぷるい><曇鞆・えとも>に、それぞれ100人の人達が上陸したことにして話しを進めます。十六島湾から○○の谷間を通って南へ、雲鞆から佐蛇川に沿って南へそれぞれに食料を求めて移動します。その時の本土側には松江市の<雨乞い山>を基軸として東は<米子>から、西は<出雲市>くらいまでの雨乞い信仰の文化圏が出来上がっていました。 特に松江市あたりは、遺跡の密集地帯ですから、その人口も多かったと推定できます。

これも仮想ですが、現在の海水位と当時の海水位が同じかどうかは特定し得ませんが、その時の宍道湖は「潟」の状態であったとしておきましょう。潟であれば易くて鳥獣や、魚介類は手に入れることができます。当時の出雲に米の普及があったかどうかは知りませんので「五穀」としておいて、これも歓待を受けた♪ 日が経って二つの集団は合流したが、当時にすれば200人の人口はすごい数だ。歓待してくれた人達のテリトリーを侵すことも出来ないし、さりとて全員の混住も出来ない?ので、比較的現地の人達の人口の少ない出雲西部へ移動したかと? このように考えるのは、西部には鳥獣のつく地名が多いからです。
 
ここで、ちょっと食習慣の違いについて考えてみます。
私達日本人の多くは、自分達が美味しいものは、相手国の人達も美味しいと思っていますが。この考えには誤りがあります。(少数の人を除いて)まったく<味付け>の好みが異なります。日本へ来ている中国の娘さん曰く。「日本の食べ物、お米の他は、おいしくない!」。 米人さんにしても「日本のステーキ、おいしくない」 といってハンバーグ定食を! 霜降り肉がですよ(笑) 相手国へいっても美味しいと思えるのは3ヶ月まで。それを過ぎると胃のほうがシクシクして受けつけない。ふりかけやみそ汁の素で元気回復♪ なかには現地食があう人もいますが多くは自炊へと移るようです。 アメリカへ行っている野球選手が「カレーライスを食べてホームランを!」が分かるような気がします。(イチロー選手の胃潰瘍かわいそう) このようなことから、出雲西部地域には、狩りを糧とする渡来人が多かったのでは?と考えています。 

次に、生活が安定してくれば、徐福達は、(この場合、今は仮想段階ですから除福に限ることはありませんが)離ればなれになった仲間達と≪薬を捜す旅≫に出かけます。徐福にすれば、これより東に部下が流されているのは分かっています。分団長にすれば西へ進めば徐福や、仲間に逢えるかと西進します。 これに年月が加わって日本海沿岸に航路ができたかと推定します。 今の段階では、徐福と出雲にこだわらないほうがいいかと思います。その接岸地が、<博多>であろうが<萩>であろうが、あるいは、丹波、金沢、富山、新潟、・・・、青森。(Dr.は、利尻島まで)であろうが、前述と似たような経過をたどると思われるからです。九州博多は川を挟んで文化が異なると聞きますから要注意です。さらに、過去の歴史(蒙古襲来等)から考えて出立時期は、米の収穫を終えての台風(神風)時期と重なることもあり長蛇の船団にどんなアクシデントが待ちかまえていたかも知れません。

釣りじいさん    | URL | 2009-04-07-Tue 12:57 [EDIT]
要は、当時の海の広さがどのくらいだったのか、潮の動きはどうだったのか、船造りの技術はどうだったのか、等々の要因が影響したのかと素人なりに当時を映像化して楽しく読ませていただいています。今後の展開はいかに!!


Mr.平 素人    | URL | 2009-04-08-Wed 06:06 [EDIT]
じいさま> コメントありがとう御座います♪
潮をよむのは、じいさまのお得意分野♪ その時の徐福船団になったつもりでの推理想像には楽しいものがありますね。 筋書きはありませんので、今後ともよろしくお願いいたします。

行動パターン   shigechanizumo | URL | 2009-04-08-Wed 15:25 [EDIT]
渡来人が嶋根半島に着いた時に、何をしたか。まず、おいしい水を飲んだはずです。次に、近くの見晴らしの良い山に登ったと思われます。海岸に着いた時の太陽の方向を、その時しっかりと見極めています。山の頂上から、太陽の方向を確かめながら四囲を見渡すのです。すると、来し方とこれからどこへ行くべきかの確認と判断ができます。私は、猪目・鷺浦辺りに上陸した渡来人は、猪目川などで喉を潤し、次に山に上ったと思います。その山は、分水嶺となる山でなくてはあまり意味がありません。四囲の見通しがはっきり付くからです。多分、鷺浦だと竜山に登ったと思います。眼下には、来し方の日本海が広がり、また行く手になる出雲平野と宍道湖が見渡せたと思われます。目指すは、出雲平野となったのではないでしょうか。ところが、竜山にはさらに渡来人を驚かす鉱物がゴロゴロしていたのです。うぇッ!!!


Mr.平 素人 | URL | 2009-04-08-Wed 20:42 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います♪
そうです。そうかも知れません。私も吉備の山で道を失った時、高いところへ移動しました。確かロビンソンクルーソーも、そのようにしたかと。 その人達は「薬石を捜す」のが目的で渡来したわけですから、遅かれ早かれ必ず、<その鉱石>は必ず見つかりますよねえ。 なにしろ、子牛の胴ぐらいの大きさのものが見つかったとか云われてましたよね。

 <八百万の神々(渡来人)が出雲へ集まる?>
列島のなかでの出雲の優位性は、前述の(○○の記事)で申し上げました。徐福が渡来した当時、日本海側で、西から<唐津><福岡><出雲><丹波><金沢?><富山><新潟><秋田・八郎潟>は、四千年前の津波に関係する地名であり、すでに人口密度の高い『群落』が出来上がっていたかと思います。なかで福岡あたりと、出雲と、富山平野は特に大きな社会性を持った「郡・こおり」であったと推定します。しかしながら、いかに出雲が他の地に対して優位性があっても他の地では、それを知るよしもありません。それを助けたのが分散した徐福団ではないでしょうか。

時がたち徐福分団は、それぞれに蒐集した薬石・珍品・情報を持って、本国である中国めざして西進する。仮想で徐福は出雲に居たとしました。当然、徐福とは再会する。さらに列島に沿って西進する。ここには、舟形の石棺の遺物や、何やらの命(みこと)が桧(水に強い性質あり)を大陸から持ち帰った?とか、黄泉の国伝説がありますから、捜せば<帆布(木綿や麻;水に濡れると強力を増す)・造船所>に関係した地名が見つかるかも知れません。

でも出雲から直接、朝鮮半島へ渡るわけにはいきません。北進する対馬海流にはばまれ流されてしまうので、沿岸沿いに、福岡まで進む。ここで大陸へ帰る道中の食料・物資の調達する。さらに西進して<唐津>→<壱岐>→<対馬>→<釜山>へと渡る。 特に朝鮮海峡(西水道)は、東に比べて流れが速いのでしょうかねえ? じいさま> (^^!)

この便で徐福は、一時帰国でもしたのでしょうか? いいえ帰れませんねえ。(笑)たとえ「何便」送ろうとも「不老不死の薬」等あろうはずもなく、徐福はさらなる展開へと、列島各地(九州、瀬戸内・紀伊半島・その他)へ、使いを出す。あるいは情報を得て自分で出向く。この場合のベースキャンプは出雲か博多か、はたまた他の地かは分かりません。 どの道、徐福は本国へ帰れない浮浪の身。 皇帝は怒る!『あれほどの物資を持たせたのに、未だ帰ってこれぬのか』と! ・・・こっから先も、Dr.のお得意分野! 皆さんのお好きなように!(笑)

さて、列島の各地へ散った徐福の分団長達は、当地で蒐集した、珍品や薬石を本国へ送るのに、いつのこつので、「各々が勝手に本国へ送る」では、大変効率がわるい。そこで徐福は考えた(笑)。 『 師走月に出雲にそれ等を持ち寄れと!』 そして、持ち寄った情報に新たな検討を加えて、次年度の活動方針をきめる。 何故それを師走月(10月)にしたのか? 中国の年末年始・旧正月に届けて皇帝に喜んでもらいたい。 このように考えると、日本の師走月から中国の旧正月までが当時の日程・航海力だと思われます。(^-^)!  (4/15・追記)

岡山県総社市に<秦・はた>という地名があります。ここは、岡山の西端に流れている一級河川の高梁川の(当時の?)河口ちかくにあります。これを筆者は、除福分団の居住地の一つ?と推(み)ています。ここは、吉備文化の近くにあり、ここから川沿いに、吉備高原や、中国山地に入り込みます。この高梁川には、世界最大の両生類・サンショウウオが生息しています。サンショウウオは清水にしか棲めず清流の少ない中国にいるとは思えません。又サンショウウオは精力剤にもなるといわれます。もしそうであるならばイモリの黒焼きの比ではありません。権力者は世継ぎを願うのが常。きっと秦の始皇帝は驚き喜んだでしょうねえ。 皆さんの近くにも、このような地があるかも知れませんよ。

その他の、面白い話を提案しましょう。
岩手県だったかな? 縄文時代?の<遮光面土偶>が出土しています。当時の人の服装にしてはとても進歩的で、しかも写実性も高いと思われることから、これを宇宙人では、と考える人もいます。筆者はこれを津軽海峡から太平洋側へ廻った渡来の武人に、遮光面(前述の東北○○の記事^^!)を重ね合わせたものかな?と思っていますがいかがでしょうか?(^-^)!

今度は<列島の住人側から>徐福集団を眺めてみましょう。
Dr.>の参考とされた文面のなかに島根半島「松神社???薬師如来???」がありました。・・・汗゛~! はっきり思い出せません。もう一度調べなおしま~~す。(^^!)
    http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/52453065.html

<Dr.の記事を読んで思いついたこと、1>
Dr.も揚げられていますが島根半島の北側に<釜浦>の地名があります。鉱石が採れるようでもなく、さりとて日本各地にある「お釜神事」に結びつけられるようなところでもありません。何故、この地に「釜」の字が付されたのかと、喉にとげのごとくにひっかかっていました。Dr.の言に「故郷の地名を付ける」があります。 皆さんもかも知れませんが、未だ知らない地を訪れた時、「あっ!この景色は故郷のどこそこに似てる」 と感じることがあります。釜浦の景色は、<韓国の釜山>に似ているのではないでしょうか? 筆者はそのどちらも訪れたことはありませんが・・、(笑)

すばらしい   shigechanizumo | URL | 2009-04-10-Fri 13:09 [EDIT]
遮光面土偶の不思議な点を良くぞ指摘されました。私も、遮光面土偶が羽織っているデコボコの着衣のようなものに注目していました。縄文時代といいながら遮光面土偶がなぜ着衣のようなものを羽織っているのか。しかもそれは普通の着衣ではなく、鎧のような着衣に見えるのです。遮光面土偶は明らかに、正装した中国の武人ではないでしょうか。一説には、その文様は文身(刺青)ではないかともいわれていますが、それにしてはデコボコが盛り上がりすぎているように思うのです。平さんの慧眼に感謝です。


思いつき!   Mr.平 素人 | URL | 2009-04-11-Sat 04:33 [EDIT]
Dr.~> コメントありがとう御座います♪
慧眼だなんてぇ^^;  それは、師のご記事あっての思いつき! Dr.のさらなるご確認の一助に加えて頂ければ、こんなにうれしいことはありません。

ムムッ shigechanizumo | URL | 2009-04-10-Fri 13:26 [EDIT]
釜浦・釜山・・・私は、ここでは「釜」の「カマ」が大事ではなく、「フ」、「プ」が大事ではないかとひそかに思っています。、「フ」、「プ」は、「ス」に転訛します。スサノヲの父は、一説には「フツ」だという説があります。釜浦の隣りの塩津には「石上神社」があり、そこの祭神は「フツ」だそうです。また、「フツ」は、「プル」に相通じます。出ましたよ!「ウップルイ(十六島)」です。まさに、十六島は、釜浦の厳しい峠を一山越えたところなのです。釜山は、読みでは「プサン」ですよね。またスサノヲの故郷は、朝鮮半島の「クシフルタケ」と関係するとの「日本書紀」の記載があります。

さすが、Dr.~> 
言語学はもとより、中国の人をして「今の私達より中国のこと(歴史)をよく知っておられる」と言わしめた広いご見識の持ち主! でもね、これ以上深入りすると素人のアタマんなか満パンで破裂しそう( 汗~!)

<Dr.の記事を読んで思いついたこと、2>
以前のDr.コメントのなかに「陸奥部に野波あり」がありました。 その<野波>を地図でさがしている時、島根半島<塩津>の地名はみかけていました。その時は「四千年前の津波」を経験した住人が付けた地名だろうと簡単にかたづけていましたが、今回のご記事やコメントで島根半島の日本海沿岸に、大陸や半島の人が漂着したとなると、その<塩津、三津、小伊津>の地名は、<何時、誰がつけたのか?>が気になってきました。 と言うのは、
1.その地形が津波の特色であるV字湾奥や片V字湾奥であるとは思えない。
2.この日本海沿岸の浸食された海岸は、交通手段のとぼしいその時代には列島側の住人が住んでいなかっただろうとの論をあげられたこと。
3.人が住んでいなければ地名はつかない。又、「四千年前の大津波」があった時、すでに、この地に渡来があったとも思えない。
4.「津」に、付随している「塩・三・小伊」等の地名は、比較的後のことかと思える。
5.佐蛇川上流に、<佐太講武貝塚・標高○○m>があり、これと前述の「島根半島アップダウン」との海水位の関係は?
 解らないことがドンドン増えてくる。・・・(^^!)

匂い   shigechanizumo | URL | 2009-04-11-Sat 09:59 [EDIT]
私は、出雲平野の片隅にいますが、海が好きでした。海というよりも、侵食された海岸線の岩肌や、むき出しの地層に込められた遥か太古の痕跡を、島根半島の海岸線に行くと見ることが出来たからです。
しかし、もうひとつの楽しみがありました。それは、島根半島の海岸に立つと、海でつながった遠い大陸の匂いを感じることが出来たからです。多分、今回のミサイルで有名になった、ムスダンリ岬と島根半島は結ばれていただろうということが地形から分かります。最近、山陰海岸とロシアの海岸とは一体だったということがしきりに言われています。世界ジオパークの活動が盛んになったからでしょうが、そのようなことが無くても、島根半島の海岸に立つと、ここは切り離された運命の海岸なのだというような不思議なスピリチュアルを感じるのです。海の潮風からだけではなく、岩盤の傷跡に大陸のにおいを感じるのです。
ところで、塩津・坂浦・三津・小伊津・地合といった海岸集落の民俗には、かなり出雲平野の集落とは異なった風習が残っています。例えば、平野部からお婿さんを迎えた家で、お婿さんの義父とか義母が亡くなると、そのお婿さんは葬儀葬送に出席できないという風習があるところがあります。聞くところによると、その家の血統の中にはお婿さんは入らないからだとされています。では、平野部から来たお嫁さんの場合はどうかというと、出席できるのです。オヤッと思いますが、要するに父系制の血統を重んじているということだと分かるのです。では、その父系制はどこから来たのかといえば、もちろん大陸からではないでしょうか。平野部は、母系制あるいは双系制とされているから、それが島根半島の海岸部で突然父系制となるはずはないからです。つまり、島根半島の海岸部は「隠れ大陸」なのではないでしょうか。大陸の匂いといったのも、風が運んでくるものではなく、そこに染み付いた大陸の匂いなのです。
とすれば、半島といって軽んずべからずということになるのです。ご指摘のとおり、半島の文化は決して渡来人だけが運んできたものではなく、大陸の大地の痕跡と同じように、大陸の人類のDNAが刷り込まれているのです。


DNAの覚醒   shigechanizumo | URL | 2009-04-11-Sat 10:31 [EDIT]
【「四千年前の大津波」があった時、すでに、この地に渡来があったとも思えない。】と、平さんのコメントにありました。直近の私のコメントを敷衍すると、次のようになります。確かに、その頃に大陸からの渡来はなかったというのは正しいのでしょう。しかし、未曾有の大津波が半島を襲った時、半島の海岸部に住んでいた人達は、大陸とつながっていた時のDNAを覚醒させられたのです。大陸との分離は徐々に起こっていた事かもしれませんが、時には大津波と同じような異変を伴った変化も幾度となく起こった挙句、大陸とは切り離されたのです。忍び寄る別離や孤立の際に、人々は失われまいとその悲しみをDNAに刻んでいったのではないでしょうか。
大津波の到来は、再び大陸と結ばれるのではないか、その異変こそDNA待ち望んでいたことをよみがえらせるのではないか、との期待と願望が半島の人達に自分達の出自を覚醒させたのです。大陸の血を引く人達であって渡来人ではない、在来の列島人であって本州の人達ではない。こうした大きな矛盾を抱えたのも、大陸から日本列島が切り離される時に取り残された人達だったからではないでしょうか。そんなことを言えば、日本列島にいる人達は全てそうではないかとの反論が考えられますが、そうではありません。海が割れた「十戒」にも似た怖ろしい分離の現象を目の当たりにしていた半島の人達のDNAにこそ、特別なこととして刷り込まれたのです。大津波は、それを覚醒させたのではないでしょうか。そこで、「大陸の血を引く人達であって渡来人ではない」という特異な人達が出現したのではないでしょうか。山陰海岸・能登半島・男鹿半島の人達も同じなのではないでしょうか。


類似   shigechanizumo | URL | 2009-04-11-Sat 16:51 [EDIT]
ムスダンリ・・・【舞水端(ムスダン)は、「陸が終わって水が舞う所」という意味を持つ。朝鮮半島東北部の海岸線が日本海へ突出し、山塊が75 - 500mの絶壁となって海へと落ち込む場所である。海食崖や奇岩列石が織り成す地形は、北朝鮮の天然記念物に指定されている。】・・・ウィキより。


Mr.平 素人 | URL | 2009-04-12-Sun 03:05 [EDIT]
Dr.~> 数々の興味深いコメント、ありがとう御座います♪

私くしの、【「四千年前の大津波」があった時、すでに、この地に渡来があったとも思えない。】 とした表記に対するご意見ありがとう御座います。
正直に申しますと、この表記には40%の迷いがありました。今回は除福と出雲にスポットをあてて話を進めていますので、間の朝鮮半島の介在を除外していました。しかし、歴史を語るとき自分の興味があることだけを重要視して思いを語ることは出来うるかぎり避けねばなりません。
事実(一部の人の疑問視あり)?、卑弥呼の代においても、始皇帝は朝鮮半島経由で返礼の品々を送り届けていますから、途中、朝鮮半島の国王が臣下を水先案内人としてやらせたとも考えられますし、地理的にも中国より朝鮮のほうが列島に近いわけですから、列島への渡来や知識は中国人より朝鮮人のほうが早かったことが充分考えられます。そして、その渡航手段にしてもなにも船舶にかぎらず、その昔、イカダ状で朝鮮半島からの津波によって運ばれたといっても完全には否定できません。 等、素人なりに考えてみました。
 『史実は多様なり』 そのパーセンテージをどんな言葉で表すかが難しいところです。 (^-^)  興味ある ご教示ありがとう御座いました♪

さて、全国津々浦々に散在する≪津の地名≫が何時、誰によってなされたか?
徐福の集団が関係しているのではないか?と、思われますが決定的な答が導きだせません。徐福達の先人は、四千年前の (当時からいえば1800程前ですが) 巨大津波を<天津・テンシン>で経験したと前述しました。 天津は巨大V字湾奥にあります。 しかし、津のことを<シン?>と云うようです。日本で云う『つ』の語源が解りません。
参考までに中国の杭州(こうしゅう)も巨大なV字湾奥にあり大潮の時の、そのさまは「車馬が押しよせるごとく」と形容され観光地ともなっているようです。一時その波に見物人がさらわれニュースになったことがありました。日本では厄災と海産物の打ちあげという二面性をもった大津波でしたが、ここで云う車馬は、厄災のみで兵馬を意味すると受け取っています。つまり、師の云われたように中国では東方から(津波に乗って)きた「龍蛇(厄災)を斬殺できるものが国を治めることが出来る」という歴史観が生まれたかと想像します。 きっと中国の史書に、その四千年の大津波が記載されている思いますが? なにはともあれこの件は、棚上げしておくことにしましょう。^^!  (4/19記)
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<列島の住人側から>徐福集団を眺めて、に話をもどします。
Dr.>の参考とされた文面のなかに島根半島「松尾神社の本尊は薬師如来」がありました。島根半島・坂浦町にも<一畑薬師>があります。素人は、この『薬師』という言葉につよい興味をおぼえます。薬師信仰は全国津々浦々にあり、お薬師っさんの呼び方でも親しまれています。徐福達の第一の目的は不老不死の薬をさがすことにありました。この<薬師の起源>は、徐福集団の薬師ではないでしょうか。 当時の列島では、病の根源は荒神さまに差し障りがあるからであり、ご祈祷や、ご加持によって治療の主であったと思われます。今でも原因不明の病は神頼みです。これが大陸の進歩的な薬事療法を知ったわけですから、治癒の進行は格段にちがいます。列島の住人達は、きっと驚いたに違いありません。
 
徐福達の薬師は列島の山野に分け入り、不老不死の仙薬を探し求めます。それには、その地に住んでいる人からの聞き取り調査や、未知の薬石を治験薬として試すことができる相互利益の関係がうまれます。住人達にすれば、この人達は不治と思われた病を治して下さるありがたい “如来さま“ に思えたことでしょうね。

Dr.>の上記参考文献(楯縫郡の謎3)のなかに大変興味深い記載があります。
さて、『出雲国風土記』には楯縫郡の佐香郷について、・・・『佐香郷。都家の正東四里一百六十歩なり。佐香の河内に百八十神等集い坐して、御厨立て給いて、酒を醸させ給いき。即ち百八十日喜讌して解散坐しき。故、佐香という。』・・・という記載があります。

これを素人流に解釈しますと、(なかに分からない語句がありますが^^!)
島根半島の<佐香郷>で、徐福達180人が 「無事再会を喜びあい」 180日の酒が醸す(かもす・出来る)間に、「次なる展開を話し合って」 解散していった。
このように不確かとされる風土記も、徐福集団(一部に伝説論あり)を動かしがたい史実としてとらえれば、より現実味をおびてくるから不思議です。 今でも 180人もの異国の人達が一カ所に集えば異様で忘れられない事として語り継がれるに違いありません。 尚、人数の 180人については、“およそ” と受けとった方がよろしいかと思います。“嘘の三八(さんぱち)” といいますからね(笑)。
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折角ご訪問してくださったのに、只今スランプ中でいい考えが思い浮かばず、筆が全く進みません。 もう一度まえに返って読み直してみます。ごめんなさい しばらくの間(一週間ほど?)休暇をください。(深礼) (4月/20日)

ゆっくり、のんびり。   釣りじいさん | URL | 2009-04-21-Tue 12:47 [EDIT]
人間生身ですから、スランプがあるのは当然です。そうでなかったら、それは機械です。そのスランプから新しい発想が出てくるのではないでしょうか。これだけの文章を書いたり、shigechanizumoさんとのやり取りをされていたら、そりゃパンクもスランプもありますよ(笑)。ゆっくり、のんびり、ご自身のペースで・・・そして、何よりも「楽しんで」調査、研究、執筆をなさってくださいね。わしも、のんびり、ゆっくり覗かせていただきますから。本当は、新鮮な釣りたてのキスちゃんでもお送りしたいのですが、わしのとってくる数ではすべておふくろの胃袋を満たす程度なので、ぶつぶつ。


じいさま> コメントありがとう御座います♪ (^-^)♪
 思考が途切れて、考えがまったく前に進みません。 お言葉に甘えまして、とりあえずこの記事は、中断させていただきます。

<(島根半島)を縛り付けている銅戈を捜せ!>
   今までの過程をとりまとめますと!
<大の字の一文字部> 出雲竜・首っ玉の三カ所は、
   1. 命主神社の大岩の下   銅戈(どうか)と、ヒスイの勾玉! → 寛文(1665)に発掘!
   2. 鵜峠に、大岩の有無?   銅戈と、ヒスイの勾玉  →  未発見・未発掘です♪
   3. 鷺浦町の ?神社(大岩?)  銅戈と、ヒスイの勾玉 → 未発見・未発掘です♪
     鷺浦の<伊奈西波岐神社>に、大岩有りか?
 <大の字のハネ部> 出雲竜・脚部の二カ所!
   4. (日本海側・??神社)の大岩の下? 銅戈と、鉄球!? → 未発見・未発掘です♪
      Dr.は、 日本海側・恵曇神社の坂彦の磐座!を揚げられている。
      素人は、 旧島根郡島根町?神社、大岩が有るのか? 根っ子の地名が棄てがたい。
   5. (松江市側・??神社)の大岩の下? 銅戈と、鉄球!? → 未発見・未発掘です♪
      *ここは、未だ特定しえていません。ので、どうぞ皆さんもお考え下さい(^^)。
    キーワードは、『 大岩の下部!』 これは、絶対不可欠の条件です。
 ご先祖さまは、その大岩で、銅戈(どうか)を打ち付け押さえ付けていますからね!(笑)

出雲に興味を持たれるお人の訪問もチラホラと♪ 時候もよくなって参りました。 皆さんの<新しい現地情報とお考えを、出来れば写真情報も>お待ちしています♪(^-^)♪

→ コメントお待ちしています。深夜も営業中・笑♪  但し、記事へのUPと、著作権移譲をご了解のうえでお願いいたします。(深礼)  

【 クルー(同志)の皆さんへの,お知らせ 】
Dr.>&クルーの皆さん♪ 長い間、駄文長文にお付きあい下さいましてありがとう御座いました。 力およばず<出雲の銅戈・五ヶ所を特定する>という答の出ずままの突然の中断をたいへん心苦しく思います。 この<シップ・舟>は、ここ出雲へ繋留しておきますから、時に覗いてみて下さい。 GWもちかづいて参りました。 “ スランプをチャンスに♪ ” 気分の転換をはかることにします。 ねえ、じいさま(笑)♪
    『 又の集合をかけるその時まで 』 再会を楽しみにしておきます。 ♪(謝々)♪


      私は、次の記事の準備に入ります♪  今しばらくのお待ちを^^!)
  題は、忘却の彼方<天空平・てんくうだいら>←地名です! どうぞお楽しみに♪


どなた様、拍手をありがとう♪ 只今までで(‘10 5/21)5拍になりました。(^-^)
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