ストーンヘンジと、カルナック 列石の関連性!?
ドーバー海峡を挟んだこの二つの巨石文化は、BC2001年12月24日午後8時30分、この海峡の上空を通過し日本の東北地方へ落下した巨大隕石に関係している!
Its related to the huge meteorite which these two megalithic culture across Strait of Dover passes it over these straits at about 8:30 on the BC2001 afternoon of December 24 , and dropped to the Japanese Tohoku district!
(仏語訳^-^?)
Its related to the huge meteorite which these two megalithic culture across Strait of Dover passes it over these straits at about 8:30 on the BC2001 afternoon of December 24 , and dropped to the Japanese Tohoku district!
【 お 知 ら せ 】
新来のお客様へ> あなた様と出会えたことに感謝します♪。 昨日、たがじんさん>の番組で「邪馬台国はどこか論争」をしてましたね。 素人の掲げるそれぞれの記事の稚拙さや間違いは、認めるところですが、この『報告書』のいう<大事変>に、世界の専門家が気付いた時、それは今世紀を揺るがす始まりとなることでしょう(^-^)。 各記事は、短編キリの形をとってはいますが、全てが絡まる連作モノです。中でもカテゴリー《この指とまれ(4)》だけは、一番先に見て頂きたいと願っています。 あなた様が、先で、拙ブログを検索して良かったと思って下さるよう頑張りますので、応援をよろしくお願いいたします。 -深礼- (7/21)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
< 英国・ストーンヘンジ >
ストーンヘンジは巨大隕石が落としたマーキングだ !
Stonehenge is the marking that a Huge Meteorite lost !
Stonehenge est le marquage qu'une météorite énorme a perdu.
下図は、イギリス本島にあるストーンヘンジ(環状列石)で、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』掲載の、ストーンヘンジ-Wikipediaから 、【 ストーンヘンジの平面図 】(拡大可能)を参考に、その概略を図示化したものです。
/ ・ 北
: ・ ・ ・ : ・ / :⑤: ↑
⑨ ・ ・ ・ ・ ; / ・ /
: :・・ ④/ ⑩/
: : ② : ・ ・ /
: ⑥ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : :
: ・ : ・ ・ : ・ :
: ・ ⑪ :/ : : ・ :
・ ・ ; : ( ① /: : ・ ・
:⑦ : : : - /⑫ : : :
: : ⑬ ; ・ ・ : ・ ・ ・
: : ・ ・ ・ ・・ ⑥ :
: ⑧ ・ :③: ; :
: ・ ・ ・・ : :
: ・ ・ ・ ・ ⑭
・ ・ ・ ・
|← ー ー 約100m ー ー ー →|
Drawn by en:User:Adamsan from sources:
* Cleal, Walker, & Montague, Stonehenge in its Landscape (London, English Heritage 1995)
* Pitts, M, Hengeworld (London, Arrow 2001) を参考にしました。(09 7/11)
①聖餐(せいさん)台 ⑧内側の環状の土手
②barrow 手押し車 (に似てる? 埋葬地) ⑨外側の環状の土手
③手押し車(の両輪に似てる? 埋葬地) ⑩The Avenue と、排水溝と土手
(到着道)3Km先のエイボン川へ・・・、
④the fallen Slaughter Stone 4.9m長 ⑪Yホールと呼ばれている環状30個の穴
(落ちた 大量殺人石)
⑤the Heel Stone (かかと石) ⑫Zホールと呼ばれている環状30個の穴
⑥tow of originally four Station Stones
(2つの基準石; 盛り土の上に立っている)
⑬ジョン・オーブリイ氏による環状56個の穴
⑦排水溝 ⑭南東の小さい入り口
尚、このファイル:Stonhenge plan.jpgは、ウィキメディア・コモンズのものであり、図中の番号及び説明は、それを引用したもので原文は英語ですが、素人流に邦訳していますので正確さのほどは保証できません^^!。 正確にお知りになりたい方は、どうぞそちらを参照してくださるようお勧め致します。 そして、上図は予告&お断り無しに消去することがあるかも知れませんが、当局?(素人)は、それに関して(・・チョット闇組織風に?笑)、一切の責任を持ちません。(^^!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<ストーンヘンジについて>
ストーンヘンジは、イギリス本島のブリテン島の南部に位置し、円陣状に並んだ直立巨石と、それを囲む土塁からなり、世界でも有数な先史時代の遺跡です。
何故このような、一個あたりの重量が50トンもあるような巨石遺構物がなされたのか、ビーカーの形に似て、他の環状列石やウッドサークルと形状を異にしているのかは定説がなく、ただ大方の一致点は、特別の聖地・祭祀場であるとみていること。 そして、この直立巨石の推定された制作年代は、紀元前2500年から紀元前2000年(シェフィールド大学の考古学教授であるMike Parker Pearson氏?)の多段階にわたって制作されたのであろうとのこと。そして、それを囲む直径約100mもある土塁と堀は、紀元前3100年頃まで遡るという。 さらに、この石組みから、エイボン川へつづく全長2マイル(約3.2km)ほどの2本の平行な溝)は、紀元前3630年~3375年にさかのぼることが判明した。
この遺跡は、現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。(Wikiより)
ストーンヘンジは北東-南西に向いており、至点と昼夜平分点に特段の重要性が置かれたのだと考えられている。例えば、夏至の朝には太陽はヒールストーンの付近から昇り、太陽の最初の光線は馬蹄形の配置の中にある遺跡の中央に直接当たる。このような配置は単なる偶然では起こりえない。(Wikiより)
(1963年・1963年に英国生まれの天文学者ジェラルド・ホーキンス博士がネイチャーに?)
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。(Wikiより)
以上、Wiki.より思いつくままにピックアップしました。 以下、思いつくままの素人的解釈を加えていきたいと思います。( 汗!)
①の、 聖餐台について、
このストーンヘンジの中心が、この「聖餐台」にあるのは云うまでもない。聖餐台は祭壇とも訳されているが、聖餐台と訳すのと祭壇と訳すのでは、おおきく意味が異なってくる。 祭壇と訳すと“祭り事一般”の意になり広義になってくる。聖餐台では、神への捧げもの、つまり神が食するものとなり「生け贄」の意が入ってくる。 筆者が、これにこだわるのは、生け贄の歴史が臭ってくるからだ。 今でも「最後の晩餐」とか「クリスマスイブに七面鳥」を食するという風習がありますよね。 何故、七面鳥なの?
円状地形の②&③、 barrow 手押し車の両輪について、
これは、ストーンヘンジを平面的に見たとき、手押し車に似ていることから付けられた名前であることは容易に推測できる。 只、私が、異質に思うのは、両輪の位置と大きさが異なり、建物やガーデニング等にみる欧州人の対象性を重んじる考えからは外れている。 これではガタゴトして押しづらいよね(笑)。
何故、左右の大きさと位置を同じにしていないのか?
そこには、対象に出来ない 『何か』 があるに違いない。 特に、この周辺は(埋葬地)にもなっているようだ。 これは、次の④にも関係してくる。
④の、 the fallen Slaughter Stone について、
この長さ4.9mある石が、現在立っているのか、横たわっているのかを筆者は知らない。それが倒れたのか、寝かせてあるのかで多少の意味は異なってくるが、この石が持つ方向性が<東北の方角>を指していることは、特に重要となってくる。立ててあればその頂上から(夏至の日の出の最初の日差しが中央の聖餐台に射し込む。倒れて?いても東北の方向を指し示している?)そして、fallen Slaughter を 「落下と、大量殺人」と訳したのは、筆者の強い思い入れがある! これは、次にゆずろう^^!
⑤の、 the Heel Stone (かかと石)について、
この東北にある(かかと石)の存在が、他の地のストーンサークルが単純な円形をしているのに対して、ヘンジとしての異質性を生み出し、「何故、こんなもんが、そこに付いているのか」と?、多くの史家を悩ませているようだ(笑)。 素人が注目したいのは、ここにも“小さい円形の土手”があることだ! 普通に考えて、人が出入りする出入り口(?)に、円状の土手があれば邪魔になるから設えないよね。 その必然性が分からない。
以下は、筆者の全くの想像となりますが^^!
手押し車の②&③と、かかと石のそばにある円状の土手⑤は、かつての<隕石痕>ではなかろうか?? 当初は、ストーンヘンジ全体を『四千年前-BC.2001年の隕石』の落としたマーキングとみていたが、こんな環状の土手があるとは知らなかった。・・だが待てよ!? 史家は、この辺りからBC3500~BC4000の痕跡が出土したという。・・・年号が合わない! ・・・ ・・・、こんな時、都合のいいように考えるのが素人探偵のお得意の一手です。(笑)
<②③⑤の円形土塁は、BC3500~BC4000の間の隕石の痕か?!> (次も想像です)
この論は素人論ですが、BC3500~BC4000の間の、この場所に隕石が落下した。小惑星・彗星には、衝突→分散のなごりがあるもの(例;獅子座方向からの流星群)があり太陽を周回しているものがある??? かの地の森は、その衝突熱で燃えつくした。大勢の仲間や(野生?それとも飼っていた?七面鳥^^?)が焼け死んだ。人々は、この惨事を 『その神は犠牲を強いる』 と受けて、その後の生け贄文化へと展開していったのではなかろうか。 先に、fallen Slaughter を 「落下と、大量殺人」 と訳したのはそれを祖先からの伝言ととらえたからです。祖先は、その3点の地を 「 天から星石が降った地?」 として信仰の対象とした。 蛇足ながら、他のストンサークルの多くも凹状に遺している。
だが待てよ! 平面に任意の3点を付しても、必ずその3点を円周上におさめた円が描ける! その⑤の点をその円周上としないで<ビーカーの口状>にしているのは何故だ? 『四千年前の巨大隕石の核』が、ドーバー海峡の空を北東に通過した。(それは偶然か?必然か? カテゴリー巨大隕石参照) この地に東北方向を表す必然性が加わった。これ等を大きく囲む(約100m)環状の土手を築き、東北へ飛び去った方向性を表現するために、ビーカーの口を付けた。この口に(栓)という土手を築いていないのは、その巨大隕石が出口を失うためだ(笑)。
別事ながらナスカの地上絵の<一筆書き?>も必ず一カ所を開けていますよ。
なぜ、<かかと>の名をつけたのか?
祖先の意が解らない。・・・?、かかとから連想できるのは“足跡”か? 足跡ならば・・・^^!と名付けたほうが直接的だ。 しかし、それでは実体がなくて形だけとなる。 ヒールと名付ければ、靴のかかとを落としたとも考えることが出来る。だがこの場合は、この施設内に、その隕石が埋めてあるか、露岩として使用してあるかは別として存在しなければならない。
<別談になりますが>
このストーンヘンジがあるブリテン島の南部からドーバー海峡にかけては厚いチョーク層(Ca・カルシウム)で覆われ巨石けたものはない。 ドーバー海峡の両岸では白亜の断崖になっていると聞きますからね。そういえば、ヘンジで使われている石は、他から運ばれた砂岩(堆積岩)とか、粗粒玄武岩(火成岩)だとありました。・・ 調べてみます→ゴメンナサイ^^! これ以上は分かりませんでした。・・・
このストーンヘンジを構成している巨石の出どころを、伝説ではアフリカから買ったとか、悪魔が修道士のかかと・Heelに投げつけたとある(今でもそのまま突き刺さっている?)。 学者間では、その岩質を分析し近場で同質のものを探している。筆者は、こういうとき祖先からの伝説の方に軍配をあげる(笑)。 それは南から飛来した隕石で、その粗粒玄武岩が落下した隕石ではないのか?とも。 ≪玄武岩が粗粒≫の形をとっているのが怪しい? 何故、粗粒の形をとっているのか? それを素人は、隕石の破片が大気との擦過熱で岩石が溶融し再凝縮したためではないかと疑っている。その線で学者に再考して欲しいと強く願っています。
<ストーンヘンジ・立地の必然性!>
いずれにしても、このストーンヘンジが立っているブリテン島ソールズベリーは、なだらかなチョーク層に覆われた平原であり、土地の私有化がなかったと思われる石器時代に、わざわざ巨石を遠くから運んでまで、『この地』にストーンヘンジ立て、聖地にしなければならないほどの地形的特異性はない。その社会基盤の背後を考えるとき、その構築には膨大なエネルギーを必要とする。私が指導者ならばもっと楽なところを選ぶ(笑)。それをしなかったのは、この地この場所に<何かの神秘性>が潜んでいるからだ! 大事なことは、祖先が何を<きっかけに>この地この場所を聖地としたかを考えることである。
<ストーンヘンジの方向性について>
このストーンヘンジが東北を指しているのは、紛れもない事実である。<当時の夏至の日の出の>最初の光がヒール石を通して、円環中央に設えた祭壇(聖餐台)に射し込む。その光を逃がさないように馬蹄形の?メンヒル?で囲んでいる。この考えは、日本の富山県にあったウッドサークルの考えに共通している。 当時の>と、断った理由は、地球には2万5千年の周期をもつ歳差運動という軸振り運動があり、約70年に1度角?ずれてくる。 例えば2000年もたつと約28.5度もずれてしまう。仮に、この「ヘンジ」の設えを筆者のいうように、今から4000年前からだとすると、日の出の方向が< 約57°?>ずれる。ウッドサークルならいざ知らず、巨石でその仕組みを設えてしまうと、段々にその影がずれてきて祭壇に入らず、まずいことになってしまう。このことが、この遺跡を未完結??にした理由の一つかも知れない。
(注; 右回り?左回り?周期は分かっても首振りの大きさが分からないので、この角度は違うかも知れません^^!)
<なぜ、巨石文化へと展開していったのだろうか>
これは、筆者の想像だと断っておきましたが、その昔のこの地に隕石が落下していた。 それに加えて次のことが考えられる。このソールズペリーの地は、360度見渡しても、日の出・日の入りを覚えておく山がない? 日本のように山がたくさんある地形においては、アサヒの昇る山を<朝日岳>と名付けておけば、あるいは目印とする山を決めておけば、その山の頂やら山姿を利用してその観測はじゅうぶん成り立つ。始原の天体観測においては、北極星と日の出日の入りがつくる<影>の方向を記すことから始まったと思われる。あいにくこの地は見渡しても平原ばかりで山がない? そこで「何か目印となるものを築いておきましょうか」となる。 巨石を築いている地の共通性に、エジプトのピラミッド、中南米のマヤ文明は平原の地にある。 逆に考えれば、この平原性が天文学を発展させた理由になるかも知れない。 トーテンポールにもそのような考えが潜んでいるのかな^^?
<ストーンヘンジ制作の順番>
1. 3つの隕石跡?②③⑤を仮の円で囲み(直径約100m)隕石の飛び去った方向を表すため東北部⑤を出入り口状にする。
2. そこに、ヒールストーン④を立て夏至の日の最初の日差しがつくる影と、巨大円の中心が交わるところに聖餐台(祭壇)①を設える。
3. その朝の光を逃がさないための馬蹄形を設える。
4. 巨大円の中心と、その影に直交する巨大円の円周上に、前図の№⑥の石を2つ立てる。№⑥の2つの石がよく見えるように土塁上に据えられているのは、この2つの石を基準(定礎)にして、後々の施設づくりに利用するためだ。
5. 後は、その飛び去った巨大隕石(日本の東北地方に落下)が赤く輝いたことから火星(不吉な星)の観測。その巨大隕石が当初に彗星の形をとったことから、朝夕に輝く金星の観測。それに全天の中心を東から西へ移動するスバル星団を星の生まれ出る所だとした考えの発生等をとり入れる施設へと発展すればよい。 蛇足ながら、これに月と太陽が加わるのは言うまでもありません。
6. いちばん難しいのが “南東部” にある<小さい出入り口 ⑭>だ!?
何故、ここに入り口があるのか? この入り口は<冬至のアサヒ>を取り入れる入り口ではないのか? 一説には、冬至の日没の光を祭壇に取り入れるようにも設えてあるという。 当初は、冬至に祭祀が行なわれていたともいう。 それが、12月24日のクリスマスイブ・前夜祭になったのではないのか? 冬至であれば東南は日の出の方向になる。 しかし、それでは、東北の方向にあるヒールストーンから<夏至のアサヒを祭壇に!>が、矛盾して解らなくなる。
・・???、 このストーンヘンジのある平原は、白亜(Ca)で覆われている。このような地は、降雨があっても地下にしみ入り河川として発達せず絶えず水不足に悩まされる。渇水があるのは夏場だ! 当初は冬至を重視する施設であったのが、正邪の対として夏場の『雨乞い』へと変わっていったのではないだろうか? これは、日本においても同様のことがいえる。
<巨大隕石の航跡の現地の日時は?>
イースター島上空(13時:00分) → ナスカ上空(15時:30分) → ドーバー海峡(12月24日、20時:30分) → スエーデン・ストックホルム(22時:00分前) → オビ川河口(12月25日、1時:30分) → ハバロフスク上空(5時:30分) → 日本東北地方、12月25日、6時:00分(※厳密にいうと明石時間では5:40頃か?)釜石辺りで日の出前!!
<誤差の範囲>
( 註: 表示はいずれも現地時間で、これに隕石の飛行時間が加わります。 仮に、釜石を未明の6:00とおいて、突入隕石の平均速度を15km/秒で、イースター島上空~釜石までを28000kmとすると、約30分かかるから、イースターでの侵入時間は12:30分となります。 空を見上げるプカオの眉骨が遮光状に突出しているのは、その時の光が眩しかったからだと謎解きしました )
<中学生諸君に^^!>
私達素人は、地球に衝突する隕石を、巨大隕石も含めて「直接的、直線的」にぶつかるものと思っている。だがこの考えには誤りがある。 そのようなものもあるだろうが、宇宙には色々な天体(小惑星、彗星)が飛び交う。 それらの内には地球をかすめ去ろうとするものが当然ある。それが互いの引力圏内であれば当然引き合う。ここで気をつけねばならないのは、そのスピードである。それが彗星の軌道をとればケプラーの法則にあるように太陽に近いほどスピードは増す。 地球においても同様で、ソビエトのツングースクではその上空で隕石が大気との衝撃に耐えかねて爆発したとみられています。そのスピードを持って地球に接近すれば、“飛び去ろうとする力と、引力が合わさって” その航跡は、<螺旋状のカーブ>を描いてぶつかる。 これが素人の考えついた苦肉の策です。 そして、その通過地には、その目的がはっきりしない謎と云われる石像モアイやナスカの地上絵や、ストーンサークルの巨石遺構物が残されている所でもあります。 ♪(^-^)♪
< 仏国・カルナック列石 >
カルナック列石は巨大隕石の廊下だ。
The Carnac line stone is a corridor of the Huge Meteorite !
Les Carnac règlent la pierre est un couloir de la météorite énorme.
カルナック列石は、ブルターニュ地方最大の巨石遺構で、巨大なメンヒルが総延長およそ4kmにわたり数列に並んでいる三つの列石群からなる。紀元前5000年あるいは、紀元前3000年から紀元前2000年頃に造られたとされるが、その目的は精霊や巨人が建てたとする伝説の他、戦士の墓、種族の記念碑、天文学上の目的等、あるいは生命の起源と関連付けたようなオカルト系学説など諸説があり、はっきりしていない。 ( カルナック列石-Wikipediaより、その一部を引用しました )
<その制作年代について>
英・ストーンヘンジ(約2マイルの溝も含めて) BC.3650年~BC.2000年頃
仏・カルナック列石 BC.5000年?BC.3000年~BC.2000年頃
この年代の特定には、どの謎解きにおいてもいつも悩まされる。色々な学者が色々な論拠をもって、それぞれを云われる。 この2つの地には旧石器時代の遺物が発掘されイギリスでは、それがBC8000年頃から。フランスでは、上記のBC5000年?頃からか? いずれにしても長期にわたり、その使用目的が変わっていったと考えるほうが妥当のようである(笑)。 素人は、このようなとき特に心にとめていることがある。学者・専門家というのは、多くのデーターの上にたってモノを云われているのであるから簡単には否定出来ない。統計学上でいう所論の端々の5%を切り捨てた残りの90%は正しいとみるべきである。ただ専門家の欠点は “御自分の調査・論拠の正しさ” を他のすべてに当てはめようとする傾向がある。その点、素人の論は楽です♪ 「貴方も正しい。あなたも正しい」 とやるわけですから^^! そして現在の科学と祖先からの伝言とが対立したときには<祖先からの伝言>の方に耳を傾け、今私達が何を受け継いでいるかを参考にする。
『 300年前の祖先も、200年前の祖先も、そして今の私達も、それぞれの科学を最高だと云ってきた。これから100年後の子孫は、それを何と評価するのであろうか 』 科学とは、ファッションであり、ファッションでしかない! ちょと脇へそれました(汗~!)
<カルナック列石の構成> - MSNエンカルタ百科事典 ←Yhoo!ウエブ検索
列石は西側から順に、メネク列石、ケルマリオ列石、ケルレスカン列石の主要3群に分かれ、メネク列石が最も長い。立石の高さは、1m~6mで、メネクとケルレスカンには半円形をえがく立石群ものこっていた。
これらの遺構は太陽崇拝に関係しているとか、神殿とかいわれるが、確かなことはわからない。 遺跡の一部からは墳墓の石室が発見されており、墓地としてつかわれたとも考えられている。
カルナック列石の構成情報(MSNエンカルタ百科事典)
列石群 長さ 立石数 幅 備考
メネク 1167m 1169 100m(11列) 両端に環状列石がある
ケルマリオ 1120m 1029 101m(10列) -
ケルレスカン 860m 594 139m(13列) 一端に環状列石がある
<ストーンヘンジと、カルナック 列石の類似性>
制作年代について、考える
英・ストーンヘンジ(約2マイルの溝も含めて) BC.3650年~BC.2000年頃
仏・カルナック列石 BC.5000年?BC.3000年~BC.2000年頃
上記のように、その制作の始まりから末期までが、百年単位・千年単位にわたる場合、飛び抜けた天才的個人の意志の永続とは考えられず、そこには衆人が認め追随する “同一の考えとか、事象とか” がなければならない。 小集団から大集団へ進むには、何かの『中心核』になるもの(考え)が必要で、その何かの核とは<人心に神という考え>が発生した時である。 衆目が認める神とは、同じ経験を持った自然の脅威によって発生する。 さらに、それが国へと発展するには、その神の代行者とか、神と人とが合体した時だと(前の記事で、^^!)謎解きしました。
この、2つの巨石文化の共通点
いずれも、衣食住に関係していないこと。 石器時代を背景にして巨石(最大50トン、高さ6~7m)を “立石( )” にしていること。 さらに、それ等の立石の上に天井石を横たえて( )いること。 このふたつから考えられることは、立石は<高い位置>を表現し、その上に横たえた石は<空を飛んだ巨石>を表しているのではないか。 それを岩石だと知り得たのは、巨大隕石核から分離・落下したものがあり、周囲の森を焼き尽くし、多くの仲間を失った。この施設が墓へと使用され.るのは、そのことによるのかも知れない。 そして単体の立石は大地へ突きささった巨石を表現している。
Common point of these two megalithic culture
Be related to food, clothing and shelter neither. Doing up to 50 tons of huge stones, 6-7m in height in Tateishi backed by the Stone Age. Furthermore, laying a ceiling stone on those Tateishi. As for this thing regarded from two, Tateishi expresses a high position, and the stone which they laid on the top may express the huge stone which flew in the sky. There was separation, the thing which fell from a huge meteorite nucleus, and what was able to know it when it was a rock burnt down the whole neighboring forests and lost many friends. These facilities are used for a grave and may depend on, it. And Tateishi of the simple substance expresses the huge stone which pierced the earth.
円環状立石 & 半円状立石
この謎解きは、今までの考えをもってすれば、簡単だ。 この前身と思われるウッドサークルにせよ、ストーンサークルにせよ、それ等の隕石の痕跡は円形の窪地になる。それを祖先が、記し遺しておきたいと思うのは、当然の理である。専門家を悩ましているストーンヘンジの環状土手の<内側に掘>は、(通常の掘は、街や城や墓をガードするために外側へ設えるが)、隕石痕を表現しているとすれば、さして難しいことではない。
それ等の遺跡が示す方向性について
この方向性を読み解くことは、この謎解きでもっとも重要だ。自然石にはそれぞれ表情があり、表と裏がある。この表と裏をどちらに向けているかで、その設計者がどの位置に立って設計したかが分かり、おのずとその方向性が分かってくる。特に粗加工の長石を横たえて使用している場合の方向性は分かり易い。先の細い方を矢印にするからだ。
ストーンヘンジでは、その方向性が<東北>であったが、逆に 「地球の歳差運動」 から、逆算すれば、当該遺跡がいつに築き始めたかの制作年代が推定出来る。
カルナック列石では、西から順番にとか、東西方向にとかの言葉はあっても、調べる範囲で「東北方向」の言葉は出てこない。 筆者の推定が違うのか?? しかし、素人は 「ハイそうですか」 と簡単にそれと納得することは出来ない。 よしんば、そうだとしたらその分裂弾が東西方向に飛んだとも解釈出来る。筆者が巨大隕石の通過地としている、イースター → ナスカ → ドーバー → スエーデン →・・・、 → 日本の東北地方に遺されたそれ等の遺跡の『方向性』を精査して欲しいと強く願っています。
この地方を通過した「巨大隕石核」の高度は?
ふつう私達が空気と感じている成層圏の高さは100km。それ以上は薄い気体。気体が無ければ擦過光は発生しない。流れ星の発光する高さは200km位迄かな? 人工衛星等が日没に近ければ太陽の光をうけて発光することはある。 仮にその核の高さを200kmとしよう。この高さをいくら位の幅で、その下に住む人達が確認できたかが分からない。又、カルナック列石の円環を端にした10~11列は、それが尾を引いたか、あるいは隕石シャワーのようだったと云っているのかも知れない。 難しいことはさておいて、人々は、空を飛んだ巨大な塊を恐怖と感じるだけで、実害がなければ歴史としては記録しない。ほんとうの意味での実害は、この後にくる<隕石の冬>かもしれない。この前の皆既日食では太陽光が隠されただけで5~6℃の気温の降下がありましたからね。
カルナック列石と、ストーンヘンジとの位置関係
ストーンヘンジのあるブリテン島南部と、仏の西端半島の南部にあるカルナック列石は、ドーバー海峡を挟んで200km離れている。その位置関係は<南南西と←→北北東>であり、筆者のいう<北東の関係>になっていないのがつらい。
巨石を立てるという共通の文化が海を隔てて何故発展したのか。 いずれも南を海にした沿岸地帯にあるのも気になる。
その巨石文化がなぜ終末したか!? (素人探偵の推察です)
一つには遺跡の制作が長期にわたることから<冬至の方向性>がずれて不都合が生じたこと。 二つには生け贄を捧げても欲しい雨は降るとは限らず生け贄の文化に人々が疑問や嫌気を持つようになってきたこと。 三つには、その<冬至の方向>から、実際に雨乞いを必要とする夏場の太陽神へと意識の転換がすすんだこと。東西方向を重視する考えはローマ神話の気象をつかさどる天空神ジュピターから、その神が太陽崇拝へと移行したことを意味する。 四つには、経年による“その時の恐怖“がうすれてきたこと。それが今ではその大事変を「現科学」でさえも、すっかり忘れてしましました。(笑い)
< 総 括 >(^-^;)
地球の公転面(黄道)と地軸のなす角度は、66.6°である。 以下は、素人が電気スタンド(太陽)代わりにし、それとおぼしき冬至点へ地球儀をおき、それをながめながらの「当てずっぽう」と、ご承知おきください。^^!
巨大隕石の公転面に対する侵入角度は?
イースター島→ナスカ→ドーバー海峡と、公転面とのなす角度は; 14.1°~11.6°かな?
巨大隕石の飛行時間は?
これも地球儀を見ながらの大テンプラとご承知おき下さい^^!
イースター島から釜石までの地表面の距離 ; 約22500kmから、その上空距離を; 約28000kmとする。
巨大隕石は地球・地表に近づくほどスピードは速くなるが、その平均速度を仮に15km/秒 とすると、その飛行時間は、約31分となる。
日本の祖先からの伝言で、その衝突時が未明の6:00と聞いていたから、イースター島での侵入時間は、昼の12時30分ごろかな^^?
巨大隕石の大きさは?
月別アーカイブ(08/11/03) 「東北地方の巨大隕石の痕跡を追う」へ どうぞ^^!
どなた様、拍手をありがとう♪ 只今までで('10 5/21)3拍になりました。(^-^)
どなた様?>拍手(4拍目)をありがとう御座います。('14/02/02)
ドーバー海峡を挟んだこの二つの巨石文化は、BC2001年12月24日午後8時30分、この海峡の上空を通過し日本の東北地方へ落下した巨大隕石に関係している!
Its related to the huge meteorite which these two megalithic culture across Strait of Dover passes it over these straits at about 8:30 on the BC2001 afternoon of December 24 , and dropped to the Japanese Tohoku district!
(仏語訳^-^?)
Its related to the huge meteorite which these two megalithic culture across Strait of Dover passes it over these straits at about 8:30 on the BC2001 afternoon of December 24 , and dropped to the Japanese Tohoku district!
【 お 知 ら せ 】
新来のお客様へ> あなた様と出会えたことに感謝します♪。 昨日、たがじんさん>の番組で「邪馬台国はどこか論争」をしてましたね。 素人の掲げるそれぞれの記事の稚拙さや間違いは、認めるところですが、この『報告書』のいう<大事変>に、世界の専門家が気付いた時、それは今世紀を揺るがす始まりとなることでしょう(^-^)。 各記事は、短編キリの形をとってはいますが、全てが絡まる連作モノです。中でもカテゴリー《この指とまれ(4)》だけは、一番先に見て頂きたいと願っています。 あなた様が、先で、拙ブログを検索して良かったと思って下さるよう頑張りますので、応援をよろしくお願いいたします。 -深礼- (7/21)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
< 英国・ストーンヘンジ >
ストーンヘンジは巨大隕石が落としたマーキングだ !
Stonehenge is the marking that a Huge Meteorite lost !
Stonehenge est le marquage qu'une météorite énorme a perdu.
下図は、イギリス本島にあるストーンヘンジ(環状列石)で、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』掲載の、ストーンヘンジ-Wikipediaから 、【 ストーンヘンジの平面図 】(拡大可能)を参考に、その概略を図示化したものです。
: ・ ・ ・ : ・ / :⑤: ↑
⑨ ・ ・ ・ ・ ; / ・ /
: :・・ ④/ ⑩/
: : ② : ・ ・ /
: ⑥ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : :
: ・ : ・ ・ : ・ :
: ・ ⑪ :/ : : ・ :
・ ・ ; : ( ① /: : ・ ・
:⑦ : : : - /⑫ : : :
: : ⑬ ; ・ ・ : ・ ・ ・
: : ・ ・ ・ ・・ ⑥ :
: ⑧ ・ :③: ; :
: ・ ・ ・・ : :
: ・ ・ ・ ・ ⑭
・ ・ ・ ・
|← ー ー 約100m ー ー ー →|
Drawn by en:User:Adamsan from sources:
* Cleal, Walker, & Montague, Stonehenge in its Landscape (London, English Heritage 1995)
* Pitts, M, Hengeworld (London, Arrow 2001) を参考にしました。(09 7/11)
①聖餐(せいさん)台 ⑧内側の環状の土手
②barrow 手押し車 (に似てる? 埋葬地) ⑨外側の環状の土手
③手押し車(の両輪に似てる? 埋葬地) ⑩The Avenue と、排水溝と土手
(到着道)3Km先のエイボン川へ・・・、
④the fallen Slaughter Stone 4.9m長 ⑪Yホールと呼ばれている環状30個の穴
(落ちた 大量殺人石)
⑤the Heel Stone (かかと石) ⑫Zホールと呼ばれている環状30個の穴
⑥tow of originally four Station Stones
(2つの基準石; 盛り土の上に立っている)
⑬ジョン・オーブリイ氏による環状56個の穴
⑦排水溝 ⑭南東の小さい入り口
尚、このファイル:Stonhenge plan.jpgは、ウィキメディア・コモンズのものであり、図中の番号及び説明は、それを引用したもので原文は英語ですが、素人流に邦訳していますので正確さのほどは保証できません^^!。 正確にお知りになりたい方は、どうぞそちらを参照してくださるようお勧め致します。 そして、上図は予告&お断り無しに消去することがあるかも知れませんが、当局?(素人)は、それに関して(・・チョット闇組織風に?笑)、一切の責任を持ちません。(^^!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<ストーンヘンジについて>
ストーンヘンジは、イギリス本島のブリテン島の南部に位置し、円陣状に並んだ直立巨石と、それを囲む土塁からなり、世界でも有数な先史時代の遺跡です。
何故このような、一個あたりの重量が50トンもあるような巨石遺構物がなされたのか、ビーカーの形に似て、他の環状列石やウッドサークルと形状を異にしているのかは定説がなく、ただ大方の一致点は、特別の聖地・祭祀場であるとみていること。 そして、この直立巨石の推定された制作年代は、紀元前2500年から紀元前2000年(シェフィールド大学の考古学教授であるMike Parker Pearson氏?)の多段階にわたって制作されたのであろうとのこと。そして、それを囲む直径約100mもある土塁と堀は、紀元前3100年頃まで遡るという。 さらに、この石組みから、エイボン川へつづく全長2マイル(約3.2km)ほどの2本の平行な溝)は、紀元前3630年~3375年にさかのぼることが判明した。
この遺跡は、現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。(Wikiより)
ストーンヘンジは北東-南西に向いており、至点と昼夜平分点に特段の重要性が置かれたのだと考えられている。例えば、夏至の朝には太陽はヒールストーンの付近から昇り、太陽の最初の光線は馬蹄形の配置の中にある遺跡の中央に直接当たる。このような配置は単なる偶然では起こりえない。(Wikiより)
(1963年・1963年に英国生まれの天文学者ジェラルド・ホーキンス博士がネイチャーに?)
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。(Wikiより)
以上、Wiki.より思いつくままにピックアップしました。 以下、思いつくままの素人的解釈を加えていきたいと思います。( 汗!)
①の、 聖餐台について、
このストーンヘンジの中心が、この「聖餐台」にあるのは云うまでもない。聖餐台は祭壇とも訳されているが、聖餐台と訳すのと祭壇と訳すのでは、おおきく意味が異なってくる。 祭壇と訳すと“祭り事一般”の意になり広義になってくる。聖餐台では、神への捧げもの、つまり神が食するものとなり「生け贄」の意が入ってくる。 筆者が、これにこだわるのは、生け贄の歴史が臭ってくるからだ。 今でも「最後の晩餐」とか「クリスマスイブに七面鳥」を食するという風習がありますよね。 何故、七面鳥なの?
円状地形の②&③、 barrow 手押し車の両輪について、
これは、ストーンヘンジを平面的に見たとき、手押し車に似ていることから付けられた名前であることは容易に推測できる。 只、私が、異質に思うのは、両輪の位置と大きさが異なり、建物やガーデニング等にみる欧州人の対象性を重んじる考えからは外れている。 これではガタゴトして押しづらいよね(笑)。
何故、左右の大きさと位置を同じにしていないのか?
そこには、対象に出来ない 『何か』 があるに違いない。 特に、この周辺は(埋葬地)にもなっているようだ。 これは、次の④にも関係してくる。
④の、 the fallen Slaughter Stone について、
この長さ4.9mある石が、現在立っているのか、横たわっているのかを筆者は知らない。それが倒れたのか、寝かせてあるのかで多少の意味は異なってくるが、この石が持つ方向性が<東北の方角>を指していることは、特に重要となってくる。立ててあればその頂上から(夏至の日の出の最初の日差しが中央の聖餐台に射し込む。倒れて?いても東北の方向を指し示している?)そして、fallen Slaughter を 「落下と、大量殺人」と訳したのは、筆者の強い思い入れがある! これは、次にゆずろう^^!
⑤の、 the Heel Stone (かかと石)について、
この東北にある(かかと石)の存在が、他の地のストーンサークルが単純な円形をしているのに対して、ヘンジとしての異質性を生み出し、「何故、こんなもんが、そこに付いているのか」と?、多くの史家を悩ませているようだ(笑)。 素人が注目したいのは、ここにも“小さい円形の土手”があることだ! 普通に考えて、人が出入りする出入り口(?)に、円状の土手があれば邪魔になるから設えないよね。 その必然性が分からない。
以下は、筆者の全くの想像となりますが^^!
手押し車の②&③と、かかと石のそばにある円状の土手⑤は、かつての<隕石痕>ではなかろうか?? 当初は、ストーンヘンジ全体を『四千年前-BC.2001年の隕石』の落としたマーキングとみていたが、こんな環状の土手があるとは知らなかった。・・だが待てよ!? 史家は、この辺りからBC3500~BC4000の痕跡が出土したという。・・・年号が合わない! ・・・ ・・・、こんな時、都合のいいように考えるのが素人探偵のお得意の一手です。(笑)
<②③⑤の円形土塁は、BC3500~BC4000の間の隕石の痕か?!> (次も想像です)
この論は素人論ですが、BC3500~BC4000の間の、この場所に隕石が落下した。小惑星・彗星には、衝突→分散のなごりがあるもの(例;獅子座方向からの流星群)があり太陽を周回しているものがある??? かの地の森は、その衝突熱で燃えつくした。大勢の仲間や(野生?それとも飼っていた?七面鳥^^?)が焼け死んだ。人々は、この惨事を 『その神は犠牲を強いる』 と受けて、その後の生け贄文化へと展開していったのではなかろうか。 先に、fallen Slaughter を 「落下と、大量殺人」 と訳したのはそれを祖先からの伝言ととらえたからです。祖先は、その3点の地を 「 天から星石が降った地?」 として信仰の対象とした。 蛇足ながら、他のストンサークルの多くも凹状に遺している。
だが待てよ! 平面に任意の3点を付しても、必ずその3点を円周上におさめた円が描ける! その⑤の点をその円周上としないで<ビーカーの口状>にしているのは何故だ? 『四千年前の巨大隕石の核』が、ドーバー海峡の空を北東に通過した。(それは偶然か?必然か? カテゴリー巨大隕石参照) この地に東北方向を表す必然性が加わった。これ等を大きく囲む(約100m)環状の土手を築き、東北へ飛び去った方向性を表現するために、ビーカーの口を付けた。この口に(栓)という土手を築いていないのは、その巨大隕石が出口を失うためだ(笑)。
別事ながらナスカの地上絵の<一筆書き?>も必ず一カ所を開けていますよ。
なぜ、<かかと>の名をつけたのか?
祖先の意が解らない。・・・?、かかとから連想できるのは“足跡”か? 足跡ならば・・・^^!と名付けたほうが直接的だ。 しかし、それでは実体がなくて形だけとなる。 ヒールと名付ければ、靴のかかとを落としたとも考えることが出来る。だがこの場合は、この施設内に、その隕石が埋めてあるか、露岩として使用してあるかは別として存在しなければならない。
<別談になりますが>
このストーンヘンジがあるブリテン島の南部からドーバー海峡にかけては厚いチョーク層(Ca・カルシウム)で覆われ巨石けたものはない。 ドーバー海峡の両岸では白亜の断崖になっていると聞きますからね。そういえば、ヘンジで使われている石は、他から運ばれた砂岩(堆積岩)とか、粗粒玄武岩(火成岩)だとありました。・・ 調べてみます→ゴメンナサイ^^! これ以上は分かりませんでした。・・・
このストーンヘンジを構成している巨石の出どころを、伝説ではアフリカから買ったとか、悪魔が修道士のかかと・Heelに投げつけたとある(今でもそのまま突き刺さっている?)。 学者間では、その岩質を分析し近場で同質のものを探している。筆者は、こういうとき祖先からの伝説の方に軍配をあげる(笑)。 それは南から飛来した隕石で、その粗粒玄武岩が落下した隕石ではないのか?とも。 ≪玄武岩が粗粒≫の形をとっているのが怪しい? 何故、粗粒の形をとっているのか? それを素人は、隕石の破片が大気との擦過熱で岩石が溶融し再凝縮したためではないかと疑っている。その線で学者に再考して欲しいと強く願っています。
<ストーンヘンジ・立地の必然性!>
いずれにしても、このストーンヘンジが立っているブリテン島ソールズベリーは、なだらかなチョーク層に覆われた平原であり、土地の私有化がなかったと思われる石器時代に、わざわざ巨石を遠くから運んでまで、『この地』にストーンヘンジ立て、聖地にしなければならないほどの地形的特異性はない。その社会基盤の背後を考えるとき、その構築には膨大なエネルギーを必要とする。私が指導者ならばもっと楽なところを選ぶ(笑)。それをしなかったのは、この地この場所に<何かの神秘性>が潜んでいるからだ! 大事なことは、祖先が何を<きっかけに>この地この場所を聖地としたかを考えることである。
<ストーンヘンジの方向性について>
このストーンヘンジが東北を指しているのは、紛れもない事実である。<当時の夏至の日の出の>最初の光がヒール石を通して、円環中央に設えた祭壇(聖餐台)に射し込む。その光を逃がさないように馬蹄形の?メンヒル?で囲んでいる。この考えは、日本の富山県にあったウッドサークルの考えに共通している。 当時の>と、断った理由は、地球には2万5千年の周期をもつ歳差運動という軸振り運動があり、約70年に1度角?ずれてくる。 例えば2000年もたつと約28.5度もずれてしまう。仮に、この「ヘンジ」の設えを筆者のいうように、今から4000年前からだとすると、日の出の方向が< 約57°?>ずれる。ウッドサークルならいざ知らず、巨石でその仕組みを設えてしまうと、段々にその影がずれてきて祭壇に入らず、まずいことになってしまう。このことが、この遺跡を未完結??にした理由の一つかも知れない。
(注; 右回り?左回り?周期は分かっても首振りの大きさが分からないので、この角度は違うかも知れません^^!)
<なぜ、巨石文化へと展開していったのだろうか>
これは、筆者の想像だと断っておきましたが、その昔のこの地に隕石が落下していた。 それに加えて次のことが考えられる。このソールズペリーの地は、360度見渡しても、日の出・日の入りを覚えておく山がない? 日本のように山がたくさんある地形においては、アサヒの昇る山を<朝日岳>と名付けておけば、あるいは目印とする山を決めておけば、その山の頂やら山姿を利用してその観測はじゅうぶん成り立つ。始原の天体観測においては、北極星と日の出日の入りがつくる<影>の方向を記すことから始まったと思われる。あいにくこの地は見渡しても平原ばかりで山がない? そこで「何か目印となるものを築いておきましょうか」となる。 巨石を築いている地の共通性に、エジプトのピラミッド、中南米のマヤ文明は平原の地にある。 逆に考えれば、この平原性が天文学を発展させた理由になるかも知れない。 トーテンポールにもそのような考えが潜んでいるのかな^^?
<ストーンヘンジ制作の順番>
1. 3つの隕石跡?②③⑤を仮の円で囲み(直径約100m)隕石の飛び去った方向を表すため東北部⑤を出入り口状にする。
2. そこに、ヒールストーン④を立て夏至の日の最初の日差しがつくる影と、巨大円の中心が交わるところに聖餐台(祭壇)①を設える。
3. その朝の光を逃がさないための馬蹄形を設える。
4. 巨大円の中心と、その影に直交する巨大円の円周上に、前図の№⑥の石を2つ立てる。№⑥の2つの石がよく見えるように土塁上に据えられているのは、この2つの石を基準(定礎)にして、後々の施設づくりに利用するためだ。
5. 後は、その飛び去った巨大隕石(日本の東北地方に落下)が赤く輝いたことから火星(不吉な星)の観測。その巨大隕石が当初に彗星の形をとったことから、朝夕に輝く金星の観測。それに全天の中心を東から西へ移動するスバル星団を星の生まれ出る所だとした考えの発生等をとり入れる施設へと発展すればよい。 蛇足ながら、これに月と太陽が加わるのは言うまでもありません。
6. いちばん難しいのが “南東部” にある<小さい出入り口 ⑭>だ!?
何故、ここに入り口があるのか? この入り口は<冬至のアサヒ>を取り入れる入り口ではないのか? 一説には、冬至の日没の光を祭壇に取り入れるようにも設えてあるという。 当初は、冬至に祭祀が行なわれていたともいう。 それが、12月24日のクリスマスイブ・前夜祭になったのではないのか? 冬至であれば東南は日の出の方向になる。 しかし、それでは、東北の方向にあるヒールストーンから<夏至のアサヒを祭壇に!>が、矛盾して解らなくなる。
・・???、 このストーンヘンジのある平原は、白亜(Ca)で覆われている。このような地は、降雨があっても地下にしみ入り河川として発達せず絶えず水不足に悩まされる。渇水があるのは夏場だ! 当初は冬至を重視する施設であったのが、正邪の対として夏場の『雨乞い』へと変わっていったのではないだろうか? これは、日本においても同様のことがいえる。
<巨大隕石の航跡の現地の日時は?>
イースター島上空(13時:00分) → ナスカ上空(15時:30分) → ドーバー海峡(12月24日、20時:30分) → スエーデン・ストックホルム(22時:00分前) → オビ川河口(12月25日、1時:30分) → ハバロフスク上空(5時:30分) → 日本東北地方、12月25日、6時:00分(※厳密にいうと明石時間では5:40頃か?)釜石辺りで日の出前!!
<誤差の範囲>
( 註: 表示はいずれも現地時間で、これに隕石の飛行時間が加わります。 仮に、釜石を未明の6:00とおいて、突入隕石の平均速度を15km/秒で、イースター島上空~釜石までを28000kmとすると、約30分かかるから、イースターでの侵入時間は12:30分となります。 空を見上げるプカオの眉骨が遮光状に突出しているのは、その時の光が眩しかったからだと謎解きしました )
<中学生諸君に^^!>
私達素人は、地球に衝突する隕石を、巨大隕石も含めて「直接的、直線的」にぶつかるものと思っている。だがこの考えには誤りがある。 そのようなものもあるだろうが、宇宙には色々な天体(小惑星、彗星)が飛び交う。 それらの内には地球をかすめ去ろうとするものが当然ある。それが互いの引力圏内であれば当然引き合う。ここで気をつけねばならないのは、そのスピードである。それが彗星の軌道をとればケプラーの法則にあるように太陽に近いほどスピードは増す。 地球においても同様で、ソビエトのツングースクではその上空で隕石が大気との衝撃に耐えかねて爆発したとみられています。そのスピードを持って地球に接近すれば、“飛び去ろうとする力と、引力が合わさって” その航跡は、<螺旋状のカーブ>を描いてぶつかる。 これが素人の考えついた苦肉の策です。 そして、その通過地には、その目的がはっきりしない謎と云われる石像モアイやナスカの地上絵や、ストーンサークルの巨石遺構物が残されている所でもあります。 ♪(^-^)♪
< 仏国・カルナック列石 >
カルナック列石は巨大隕石の廊下だ。
The Carnac line stone is a corridor of the Huge Meteorite !
Les Carnac règlent la pierre est un couloir de la météorite énorme.
カルナック列石は、ブルターニュ地方最大の巨石遺構で、巨大なメンヒルが総延長およそ4kmにわたり数列に並んでいる三つの列石群からなる。紀元前5000年あるいは、紀元前3000年から紀元前2000年頃に造られたとされるが、その目的は精霊や巨人が建てたとする伝説の他、戦士の墓、種族の記念碑、天文学上の目的等、あるいは生命の起源と関連付けたようなオカルト系学説など諸説があり、はっきりしていない。 ( カルナック列石-Wikipediaより、その一部を引用しました )
<その制作年代について>
英・ストーンヘンジ(約2マイルの溝も含めて) BC.3650年~BC.2000年頃
仏・カルナック列石 BC.5000年?BC.3000年~BC.2000年頃
この年代の特定には、どの謎解きにおいてもいつも悩まされる。色々な学者が色々な論拠をもって、それぞれを云われる。 この2つの地には旧石器時代の遺物が発掘されイギリスでは、それがBC8000年頃から。フランスでは、上記のBC5000年?頃からか? いずれにしても長期にわたり、その使用目的が変わっていったと考えるほうが妥当のようである(笑)。 素人は、このようなとき特に心にとめていることがある。学者・専門家というのは、多くのデーターの上にたってモノを云われているのであるから簡単には否定出来ない。統計学上でいう所論の端々の5%を切り捨てた残りの90%は正しいとみるべきである。ただ専門家の欠点は “御自分の調査・論拠の正しさ” を他のすべてに当てはめようとする傾向がある。その点、素人の論は楽です♪ 「貴方も正しい。あなたも正しい」 とやるわけですから^^! そして現在の科学と祖先からの伝言とが対立したときには<祖先からの伝言>の方に耳を傾け、今私達が何を受け継いでいるかを参考にする。
『 300年前の祖先も、200年前の祖先も、そして今の私達も、それぞれの科学を最高だと云ってきた。これから100年後の子孫は、それを何と評価するのであろうか 』 科学とは、ファッションであり、ファッションでしかない! ちょと脇へそれました(汗~!)
<カルナック列石の構成> - MSNエンカルタ百科事典 ←Yhoo!ウエブ検索
列石は西側から順に、メネク列石、ケルマリオ列石、ケルレスカン列石の主要3群に分かれ、メネク列石が最も長い。立石の高さは、1m~6mで、メネクとケルレスカンには半円形をえがく立石群ものこっていた。
これらの遺構は太陽崇拝に関係しているとか、神殿とかいわれるが、確かなことはわからない。 遺跡の一部からは墳墓の石室が発見されており、墓地としてつかわれたとも考えられている。
カルナック列石の構成情報(MSNエンカルタ百科事典)
列石群 長さ 立石数 幅 備考
メネク 1167m 1169 100m(11列) 両端に環状列石がある
ケルマリオ 1120m 1029 101m(10列) -
ケルレスカン 860m 594 139m(13列) 一端に環状列石がある
<ストーンヘンジと、カルナック 列石の類似性>
制作年代について、考える
英・ストーンヘンジ(約2マイルの溝も含めて) BC.3650年~BC.2000年頃
仏・カルナック列石 BC.5000年?BC.3000年~BC.2000年頃
上記のように、その制作の始まりから末期までが、百年単位・千年単位にわたる場合、飛び抜けた天才的個人の意志の永続とは考えられず、そこには衆人が認め追随する “同一の考えとか、事象とか” がなければならない。 小集団から大集団へ進むには、何かの『中心核』になるもの(考え)が必要で、その何かの核とは<人心に神という考え>が発生した時である。 衆目が認める神とは、同じ経験を持った自然の脅威によって発生する。 さらに、それが国へと発展するには、その神の代行者とか、神と人とが合体した時だと(前の記事で、^^!)謎解きしました。
この、2つの巨石文化の共通点
いずれも、衣食住に関係していないこと。 石器時代を背景にして巨石(最大50トン、高さ6~7m)を “立石( )” にしていること。 さらに、それ等の立石の上に天井石を横たえて( )いること。 このふたつから考えられることは、立石は<高い位置>を表現し、その上に横たえた石は<空を飛んだ巨石>を表しているのではないか。 それを岩石だと知り得たのは、巨大隕石核から分離・落下したものがあり、周囲の森を焼き尽くし、多くの仲間を失った。この施設が墓へと使用され.るのは、そのことによるのかも知れない。 そして単体の立石は大地へ突きささった巨石を表現している。
Common point of these two megalithic culture
Be related to food, clothing and shelter neither. Doing up to 50 tons of huge stones, 6-7m in height in Tateishi backed by the Stone Age. Furthermore, laying a ceiling stone on those Tateishi. As for this thing regarded from two, Tateishi expresses a high position, and the stone which they laid on the top may express the huge stone which flew in the sky. There was separation, the thing which fell from a huge meteorite nucleus, and what was able to know it when it was a rock burnt down the whole neighboring forests and lost many friends. These facilities are used for a grave and may depend on, it. And Tateishi of the simple substance expresses the huge stone which pierced the earth.
円環状立石 & 半円状立石
この謎解きは、今までの考えをもってすれば、簡単だ。 この前身と思われるウッドサークルにせよ、ストーンサークルにせよ、それ等の隕石の痕跡は円形の窪地になる。それを祖先が、記し遺しておきたいと思うのは、当然の理である。専門家を悩ましているストーンヘンジの環状土手の<内側に掘>は、(通常の掘は、街や城や墓をガードするために外側へ設えるが)、隕石痕を表現しているとすれば、さして難しいことではない。
それ等の遺跡が示す方向性について
この方向性を読み解くことは、この謎解きでもっとも重要だ。自然石にはそれぞれ表情があり、表と裏がある。この表と裏をどちらに向けているかで、その設計者がどの位置に立って設計したかが分かり、おのずとその方向性が分かってくる。特に粗加工の長石を横たえて使用している場合の方向性は分かり易い。先の細い方を矢印にするからだ。
ストーンヘンジでは、その方向性が<東北>であったが、逆に 「地球の歳差運動」 から、逆算すれば、当該遺跡がいつに築き始めたかの制作年代が推定出来る。
カルナック列石では、西から順番にとか、東西方向にとかの言葉はあっても、調べる範囲で「東北方向」の言葉は出てこない。 筆者の推定が違うのか?? しかし、素人は 「ハイそうですか」 と簡単にそれと納得することは出来ない。 よしんば、そうだとしたらその分裂弾が東西方向に飛んだとも解釈出来る。筆者が巨大隕石の通過地としている、イースター → ナスカ → ドーバー → スエーデン →・・・、 → 日本の東北地方に遺されたそれ等の遺跡の『方向性』を精査して欲しいと強く願っています。
この地方を通過した「巨大隕石核」の高度は?
ふつう私達が空気と感じている成層圏の高さは100km。それ以上は薄い気体。気体が無ければ擦過光は発生しない。流れ星の発光する高さは200km位迄かな? 人工衛星等が日没に近ければ太陽の光をうけて発光することはある。 仮にその核の高さを200kmとしよう。この高さをいくら位の幅で、その下に住む人達が確認できたかが分からない。又、カルナック列石の円環を端にした10~11列は、それが尾を引いたか、あるいは隕石シャワーのようだったと云っているのかも知れない。 難しいことはさておいて、人々は、空を飛んだ巨大な塊を恐怖と感じるだけで、実害がなければ歴史としては記録しない。ほんとうの意味での実害は、この後にくる<隕石の冬>かもしれない。この前の皆既日食では太陽光が隠されただけで5~6℃の気温の降下がありましたからね。
カルナック列石と、ストーンヘンジとの位置関係
ストーンヘンジのあるブリテン島南部と、仏の西端半島の南部にあるカルナック列石は、ドーバー海峡を挟んで200km離れている。その位置関係は<南南西と←→北北東>であり、筆者のいう<北東の関係>になっていないのがつらい。
巨石を立てるという共通の文化が海を隔てて何故発展したのか。 いずれも南を海にした沿岸地帯にあるのも気になる。
その巨石文化がなぜ終末したか!? (素人探偵の推察です)
一つには遺跡の制作が長期にわたることから<冬至の方向性>がずれて不都合が生じたこと。 二つには生け贄を捧げても欲しい雨は降るとは限らず生け贄の文化に人々が疑問や嫌気を持つようになってきたこと。 三つには、その<冬至の方向>から、実際に雨乞いを必要とする夏場の太陽神へと意識の転換がすすんだこと。東西方向を重視する考えはローマ神話の気象をつかさどる天空神ジュピターから、その神が太陽崇拝へと移行したことを意味する。 四つには、経年による“その時の恐怖“がうすれてきたこと。それが今ではその大事変を「現科学」でさえも、すっかり忘れてしましました。(笑い)
< 総 括 >(^-^;)
地球の公転面(黄道)と地軸のなす角度は、66.6°である。 以下は、素人が電気スタンド(太陽)代わりにし、それとおぼしき冬至点へ地球儀をおき、それをながめながらの「当てずっぽう」と、ご承知おきください。^^!
巨大隕石の公転面に対する侵入角度は?
イースター島→ナスカ→ドーバー海峡と、公転面とのなす角度は; 14.1°~11.6°かな?
巨大隕石の飛行時間は?
これも地球儀を見ながらの大テンプラとご承知おき下さい^^!
イースター島から釜石までの地表面の距離 ; 約22500kmから、その上空距離を; 約28000kmとする。
巨大隕石は地球・地表に近づくほどスピードは速くなるが、その平均速度を仮に15km/秒 とすると、その飛行時間は、約31分となる。
日本の祖先からの伝言で、その衝突時が未明の6:00と聞いていたから、イースター島での侵入時間は、昼の12時30分ごろかな^^?
巨大隕石の大きさは?
月別アーカイブ(08/11/03) 「東北地方の巨大隕石の痕跡を追う」へ どうぞ^^!
どなた様、拍手をありがとう♪ 只今までで('10 5/21)3拍になりました。(^-^)
どなた様?>拍手(4拍目)をありがとう御座います。('14/02/02)
スポンサーサイト
| ホーム |