卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」
此処に出雲と同様、“大量の銅剣”が埋めてある! 全国歴史ファンの方々、三上山に集合せよ。
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大量の銅剣が、ここにも埋めてある! の1.
  此処に“大量の銅剣”が埋めてある!
<全国歴史ファンの方々、貴方に呼びかけます。三上山に集
合せよ!>
  の1.           2011 Jan. 11 ~          
   カテゴリー“銅剣銅鐸探査のあれこれ!”からのつづきです。←是非ご覧あれ^^。
三上山というのは、新幹線京都~米原間で、京都を少しすぎた野洲川東岸にあり、南側の車窓から見え高さは432m。その△形をした美しい山姿から近江富士とも呼ばれています。前述の記事で “大量の銅剣” がこの谷奥に埋めてあるとしましたが、今回は、前回の位置より東に60mほどの所にある、卍印(名前は分かりません)の、境内の広場に続く、妙光寺山(257m)側の南向き斜面で 「目どおりより少し高い所」の、地下4尺!と、変更・訂正します。
 (その埋め場所を特定した根拠と、この度、その埋め場所の移動訂正を・・・^^!)

記事は、不定期な日々の(追記)で更新しています。前回は(1/27)で、今回は(1/29)です。
すべての記事は、連続・関連モノです。 引きつづきの駄文にお付きあい下されば幸いです。
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< 勇気ある暴挙^^?、その前に!>
此処に卑弥呼が埋めさせ、封印した大量の銅剣(推定・200本前後?)が1700年余の眠りに就いている。私には、その行動を共にしてくれる友がいない。正直いってそれを一人で掘り上げるのは恐ろしいし、それを妨げる諸般の事情(前述;カテゴリー“銅剣・銅鐸探査のあれこれ!”) もある。大切な遺産をみだりに壊してはならない。 まずは充分な確認作業をしてからだ。 まだまだ知りたい事は、いっぱいある! このブログをご覧になっている 貴方に呼びかけます。 私と一緒に、或いは、別々おおいに結構なのですが(笑) 現地を訪れて、貴方のブログに発表しませんか?!

    コメントをお待ちします(^^)♪  只今、閉鎖中です(>-<)。 
 その出土に至るまでの経緯<コメント>として歴史に残しておきませんか^^?

 遅い早いの違いはあっても必ず出土します! 出土して世間が大騒ぎする以前に“コメって”おくのは、素晴らしいことと思いませんか? 例えば「応援します」の一言でも!? この言葉をくださった方は広報活動二十余年間で片手に満たない。トホホホ・・・(^-^!)
  尚、真に勝ってながら、そのコメントは当方へ無償提供されたとしてUPさせて頂きます^^


<その根拠を、再々、々度、掲げます。> (1/13)
『ひと山こえてぇ~、 ふた山こえて、 み山(三上山)の前でぇ~、 た~ぬきさん、狸さん踊ろじゃないかぁ』 この ‘鞠つき’ 童唄には、おそろしいまでの秘密が隠されていた。
   (カテゴリー、「銅剣銅鐸の探査あれこれ!」 より引用^^♪)

この童唄は、特に限った地方のことではなく大量の銅鐸を埋めてある場所から、ふた山を越えて、み山目の前に、※大量の銅剣を埋めた! との 『約束事』をいう、祖先からの伝承なのだ!
 (註)野洲大岩山で出土した銅鐸数24個×9=三上山銅剣数(予測200余本)の算出方法
      銅鐸1個に対する銅剣数のおおよその目安は、!? (Dr.計算式より^^)
     出雲神庭荒神谷の銅剣数358本÷出雲岩倉の銅鐸数39個=9

 大量の銅鐸と銅剣の埋め場所は、
以下(青色)のような “相関関係と、共通性” がある。

   (大量の銅鐸と銅剣の出土とその推定場所)
        <大量の銅鐸>                     <大量の銅剣>
    岩の付く地名→   その西方;約1里・二山越え→   西、及び荒神の付く地名
<出雲> 岩倉           大黒山・仏教山     神庭荒神谷・西谷(さいたに)
<吉備> 岩屋?(総社市)     *山 ・経山      黒尾地区 西谷?(にしたに)
<神戸> 桜ヶ丘(古名;神岡かむか) * (荒神山)    地獄谷 or  大月地獄谷?
<野洲> 大岩山          *山 ・妙光寺山    と、三上山との谷間・(地名?
     人里から程よく離れた山の中腹、        ほぼ西南方で辺ぴな谷奥の南向斜面
  (註)(?マーク)は、予想した埋封(まいふう;筆者の造語)場所で、未だ未掘です!

歴史&旅行好き同好会  けい | URL | 2011-01-14-Fri 16:39 [EDIT]
ーrankのお誘いー
歴史、旅行が好きな人との交流を願い、rank作りました。
出来立てですが運営 頑張りますのでぜひ参加お願いします!!
重複してましたら、申し訳ありません。お待ちしてます★+゜


探訪を望む♪ 平 素人 | URL | 2011-01-15-Sat 04:34 [EDIT]
けいさん> コメントありがとう御座います♪
歴史&旅行好き同好会>とは、 願ってもないご趣味のお方のようです。 リンクの方、まことに申し訳ありませんが、当方、未だにリンクの貼り方を得てないPC音痴。今貼ってあるお方は相手方が貼られたものと、・・・・^^? 今後ともよろしくお願いいたします。

<共通した歴史的背景> (1/15)
BC2001年12月25日の朝6時頃、列島を襲った巨大地震があった。冬の朝6時といえば、外は未だ暗く人々は寝覚めの際にある。山をも砕く(前述の:カテゴリー変形した山々、出雲半島、若草山?宮島もか?)巨大地震である。震源地に近い遠いは、あろうが地鳴りとともに身体は50cm~1・2m?は、跳ね上がったと思われる。直後に襲いくる大津波と、やがての大雨の後、気温が下がる隕石の冬へと移行する。

 この巨大隕石は人々の心に竜神となって降臨した(前述;巨大地震と大津波)。 とくに、上記の4カ所とは限らないが、上記の4カ所には、その時の津波が打ち上げた大量の海の幸(魚)がある。それを祖先は、出雲地方では<安来>、吉備地方では<浅口>、神戸では<かんど>、近江地方では<野洲>等の津波に関係する地名で遺していると結論づけた(これも前述していますので、そちらをどうぞ^^)。 この被災とともに、干天後の豪雨と、魚介類の恵みとをもたらした大事変は、水神様となり、やがては雨乞い文化へと発展してゆく。その荒神に慈雨を乞い、その慈雨との交換物としての捧げものは、“稚児の生け贄”へとエスカレートしていった。

 この永々と続いてきた荒神雨乞い文化を<卑弥呼>は、「天気を司るのは太陽神(銅鏡)であり、今まで思っていた荒神様(彗星→巨大隕石→竜神)は、お日様が使わした従神である」として、それまで荒神を呼び寄せ乗り移つさせる媒体として使用していた<銅鐸>と、生け贄の稚児を殺める為に?使用していた<銅剣>を二度と使わないようにとし、魏から得た銅鏡100枚をそれ等の換わりに与え、前記の4カ所に封印した(させた)が、今までの謎解きの概略です。

<岩の付く地名>  (1/17)
なぜ岩の付く地名へ埋めたのであろうか? 筆者は、総社市の岩屋を除いて、それらの地を見分したわけではないが、岩と付いているからには、岩があるのであろう。それは小さな岩であってはならない。一目見て周りを圧するような巨岩や岩肌を見せている地でなくてはならない。では何故、縄文石器・弥生期の人が巨岩を信仰の対象にしたのであろうか? 石器を生活の主道具としている人達にとって、その母岩と思える巨岩への思いは容易に想像できる。 巨岩信仰については世界的にみても色々に云われているが、根源には前述の巨大隕石(前述)があるとみている。

 つまり、空から轟音とともに巨大隕石という“イカヅチ”がおろされる。そして“天の御柱”という表現もきく。これ等の素人の論法には稚拙さが残るが、子供心が不思議に思ったきっかけは、大量の銅鐸の埋め地には、野洲の大岩山。出雲の岩倉のように<岩>の地名が付いている。吉備・総社の岩屋の地名は、早くから知っていたが、神戸にも必ず岩の付く地名があるのではないかと調べたら、ありました!「いわや駅」の名が♪ <岩名>の付くところに大量の銅鐸が出土している。 出雲・野洲・神戸! 三つの偶然はあっても。四つ目の(総社)に大量の銅鐸が出土すれば、それは必然となる。・・・で(前述の吉備地方へ)。大量の銅剣の捜索のほうは「いもづる式」に(笑)。 ちなみに、三上山か、妙光寺山?の山頂にしめ縄をはった“盤座”の写真が(○○さんのブログ)にありました^^。・・・これは重石(?)のためかな^^!

<西方、及び、西南方向に!> (1/19)
大量の銅剣の埋め地は、大量の銅鐸の埋め地から、ほぼ西方向で一里離した所に埋めてある。
何故、このような考えに至ったのであろうか? 
 BC2001年の12月末に近いとき、太陽系に近づく一つの巨塊があった。彗星は、朝夕の空に「妙なる光」を放ち、ついには巨大隕石となって地球軌道と交わった。時はかわり卑弥呼の時にもニアミス(筆者の想像)した彗星があった。人々がその再来かと恐れおののくなか卑弥呼は、その退散封じの祈祷をおこなった。 その<東西の>空に輝く妙なる光は、冬至十夜(とうじとうや)の“不吉な光”として、後の妙見信仰や、千光寺(せんこうじ)の名に変わっていると謎解きした。幕で建物を隠す、幕を引く下ろすは、その名残かと! 数ある山のなかで妙見山等の「妙・たえ」の名をつけた人達の住地は決してその南北であってはならない! (前述の;富山の環状木柱列、英国ストーンヘンジ等) それが後には逆に、ありがたい光、旭光や初日の出へと変わっています!

①その巨大隕石の震源地が東北の三陸であったことから列島各地の住民は<北東、及び、
 東>に荒神がおわし、
地震や津波にのって西進して来ると思った。
②列島の住民は“除福達”の一行を、その西進した神が帰ってきたと『勘違い』した。
③卑弥呼がそれまでの“稚児の生け贄儀式”をともなう荒神(銅鐸)を封印し、太陽神(銅鏡)に
 変えることを提唱した。
④それまでにも、銅鐸は雨乞い儀式等の度に埋めたり出したりしてはいたが、卑弥呼が云うの
 は、それとは意が異なる。 各群落は、取り出した銅鐸を持ち寄り巨岩の岩肌を見せ<岩の
 地名>がつく山の中腹へ ‘まとめて’埋めた。 その岩で押さえつける意もあるのかな?
⑤生け贄儀式で使用した銅剣の方は、「二度とその荒神に、その剣を持たせてはならない!」
 とし、地震や津波が来た“逆の方向”である<西、及び、西南>の方向に、その銅鐸から離
 して埋めた。

<ふた山越えの意> (1/20)
「ひと山こえてぇ~、 ふた山こえて、 み山(三上山)の前でぇ~、」 このふた山こえてに、深い意味はない^^。 ひと山ならだれでも楽に越せる。ふた山ならちょっと難儀であろうとの簡単な発想からである。 「ご先祖さまよう~!」 その相手は、慈雨や流行病はもとより、巨大地震や大津波をも意のままにする荒神さまだぜ。 例え、ひと山増やして、ふた山目にしようが、その神通力をもってすれば “へのカッパ”だと、私は思いますが(笑)?
  その荒神さまを、ブログ<文字列マニアさん>は、次のように紹介している。
宇気比(うけひ); 古代日本人は、神の意志をきいて行動した。まず神に自分が問いたいことを問い、その当否をたずね、自分の行動をきめることを、「宇気比」という。占いと思えばよい。
 (司馬遼太郎,『翔ぶが如く』)より
 [ 2008/02/07 20:14 ]
なにはともあれ、ご先祖さまは、<岩の字>の付いた大量の銅鐸の埋め地から、ふた山越えで距離にして約4km・一里(=離?)離れた谷奥へ封印した! もし貴方が“銅鐸・銅剣ハンター”になりたいお方なら、まずは「岩」のつく地名を捜されるがよい。北九州の瀬戸内側には、特に多くの<岩屋>名があり、“竜の食台”なんとか<平・たいら>の地名もありました。(別紙報告書)

< み山の意??> ちょっと脇道へ^^!  (1/21)
何故、その山を “三上山”と命名したのであろうか? ふもとの神社の名は<御上神社>だったと思うが。「御」は「み」とも読むことがある。縄文弥生の人が「み」と発音する言葉には何か意味があるのか? PCで「みやま」を変換してみると、「三山、深山、海山、美山、観山、御山」が出てきた。 ご先祖さまよぉ! これ等のすべてを「み」と読ませるには少々の^^無理があると子供心は思うのですが?(笑) これ等には何かの共通性があるのではないか? 先の除福達は東方に<三神山>を求めてきた。 御神酒(おみき)の神の字は「み」と読む。奈良のシンボル三つに重なる“三笠山=若草山”。 昨年訪れた広島の<宮島>。この島を祖先は何故<宮島>と名付けたのか? 海の中にある大鳥居の背景にある尖った山の形状と、鳥居の周囲の濁砂がますます気になってきた。 神聖であるべきはずの大鳥居や宮閣が鼻もつまみたくなるような濁泥の上に立つのが解せない。 なぜ世界遺産がこんなに泥っちい所にと?、貴方は思いませんでしたか?

<宮島の大鳥居> (1/23)
 四千年前の“天変地異”は、山をも(三つに?)割り砕き、その大津波は濁泥となって押し寄せたのではないのか? 今は亡き<じいさま>はこの辺りは藻場が多く鱚釣りには適さないと云っておられた。その昔、夥しい魚貝が打ち上げられカルシウム分が多い富栄養化した海だから牡蠣がおいしいのだ。広島湾は列島地震によって発生した津波と豊後水道から入り込んだ外洋津波に乗って入魂した“神の上陸地”だ!! 海中の大鳥居は「大津波さまいらっしゃいませ!」なのだ。
 なにも無い地をご先祖様は、信仰の対象にはしない!  話しが大きくそれましたぁ~(^-^;)
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<△山形状の意味は?>  (1/24)
出雲の仏教山、野洲の三上山、神戸市住吉区だったかな荒神山、それと吉備総社市の経山。これ等の山は△山の形状をしている。これに気付いたのは<Dr.いずも氏>からの情報で、神奈備山の頂上が丸いのに対し、この出雲・仏教山の頂上は「尖っている」とあったのがきっかけであった。野洲の三上山の△形状は、周りの山には無い形状をしているから新幹線の車窓から一目見てそれと分かる。岡山県総社の経山も同様に辺りにはない△形状をしている。神戸の荒神山も国土地理院の地図でみると、これも先尖りの形状をしているようだ。

 大量の銅鐸の埋め地と、この△山の関係位置は前述したとおりであるが、この△形状には「何の意味」があるのだろうか? 大量の銅鐸と大量の銅剣は「二度と使うまじ!」として“セット”して封印したのである(前述)。説明が少し乱雑にはなりますが、剣山の名や、古墳の埋葬儀式でヤリを立てた痕跡等から推察すれば、天に抗う(あがらう)ためではないだろうか。この場合の「天」とは、妙なる光を放って来襲した<荒神さま>のことだ。せっかく封印した大量の銅剣をその荒神に取り返されてはならない! <その荒神、寄せつけまじ!>として剣状の山形状の地のそばにその銅剣や銅矛を埋めた。 「ご先祖さまよう゛そんなもんでいいのですかぁ?」 わたしなら、いっそのこと熔かしてしまって、その形をなくしてしまいますがねえ^^!  ご先祖様曰く『そんなことをしてみい! どこぞの、あらぬところへ‘取り憑いて’しまおうがぁ~』 荒神さまっていたって人間的?!(^-^) 実効主義的な考えをもつ欧米人に対し、日本人は象徴的にものを考える傾向があるようです。

<谷奥、南向斜面の意> (1/27)
出雲・荒神谷から出土した大量の銅剣の埋め場所は、谷奥の辺ぴな所であった。地もとの人によれば余り人が寄りつかないところであったようだ。道路工事の事前調査で須恵器のかけらが見つかったことがきっかけの出土であった。(昭和58年)の当時、銅剣の出土数は、全国合わせても300本(?)程度であったから、出雲で出土した358本は驚異的な数字であり、考古学はもとより、新聞は一面を飾り歴史に興味のない人達までもが大騒ぎした。その後の(平成8年)に、ここから4kmほど東の加茂岩倉で農道の工事中に、これも一カ所の出土数では全国最多の39個の銅鐸(後で国宝に^^)が見つかり、またもや出雲で “宝物が出土した”として大騒ぎ^^!> それとの関係が色々と取りざたされて現在に至っている。
 (1/28)
 何故、辺ぴな谷奥に埋めたのか。
前述したように、銅剣や銅鐸は、雨乞いのための(○)器である。弥生期に入り水稲への比重がおおきくなるにつれて、人々は水の循環に気を払うようになった。雨水の循環は、天から山地。谷間から河川。河川から海や湖。それが蒸発して、再び天に上るのはいうまでもない。それを司るのが荒神さまであった。そして、その源流に「雨水欲しや!」とお祈りするのが雨乞いである。その源流である谷間は、命出流(いのちいずる)ところでもあり、命産まれ出る女性にも通じる場所でもある。 その荒神に簡単に(^^!)取り返されてはならないと隠す意のあることは勿論だが、その銅剣は、いかに衆生のためとはいえ雨乞いや疫病払いとして生け贄の稚児を殺めたものである。この場合その銅剣が実際に使用されたか象徴的に使用されたかは大きな問題ではなく、そのむごさと恐ろしさが人々に与えた心理的影響は、はかり知れない。「 触らぬ神に、たたりなし!」 その谷に入りその荒神に取り憑かれたり祟りでも受けようものなら大変だ。それ等の大量の銅剣を(銅鐸も)埋めたことは衆知の事実であるのに、ごく近時まで、墓泥棒の被害に遭わなかったのは。その恐ろしさに起因する。 それが今では「祟り・たたり」の言葉さえ風化し、その大量の銅剣を埋めたことさえも、すっかり忘れてしまいました!(笑い)。
 (1/29)
 では、南向き斜面に埋めたのは何故か?
ふつうに考えれば日陰に隠したほうがよいと思われるが? この大量に埋められた銅剣と銅鐸は、卑弥呼が提唱した「太陽が主神で、今まで思われていた荒神さまは、お日様の使者であり従神であるよ」の考えに基づいて、二度と、その荒神を呼び起こしてはならない!」として埋封(まいふう・筆者の造語)したのである。言い換えて、「<陽光で陰を封じる>考えだ!!
であるならば、前述の剣先にあたる、三上山(出雲・仏教山、総社市・経山、神戸・荒神山)がつくる<冬至十夜の陰影>と、この<埋め地>との関係が重要になってくる。この時期、その山影が如何ように動くのかを是非に知りたい。 但し、今論じているのは卑弥呼の代、1700年ほど前の話しですから、地球の歳差運動(コマの軸ふり運動)を考慮に入れねばなりません。(当てにならない筆者の算数で?<70年に1°角の移動??^^?) このところ、よく訪問して下さる<地球のあたりまえさん^^>どうぞの御教示を♪、といってもコメント欄閉ざしていますが・・・(^^!)
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 以上が、(所々に前ぶれ語を忍ばせて^^)推理小説風に?仕立ててきた謎解きの概略です。初めてのお方は“ふりだし”「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣と銅鐸」から、どうぞ(^-^)♪
 前置きが長くなりましたが、ここからが、表題「三上山に集われよ!」の本番です。(^-^)♪
  
・・・次の記事<・・・、の2>へ、つづきます^^
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Copyright © 2005 卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」. all rights reserved.

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