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此処に 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」 あり!!
卑弥呼は魏から得た100枚の銅鏡に換えて出雲と “同じ決め事”で 持ち寄った銅剣と銅鐸を封印した!
BC.2001年の “巨大地震によって変形した宮島 - ⅰ”
<世界遺産・宮島の地の大事変!>
時は、BC2001年12月25日の朝方、‘三陸地方発’の、巨大地震と大津波が、この地に到達する。     クリックOK^^→ (別紙・電子出版; 極秘報告書「巨大隕石と大津波」) 

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 すべての記事は、連続・関連モノです。引きつづきの駄文にお付きあい下されば幸いです。
 記事は、不定期な日々の(追記)で更新しています。前回は(4/02)で、今回は(4/04)です。
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<この謎解き、そのまえに> (3/17) 
毎日新聞 (余録) 2011・2・17 より引用します(以下)
「化け椿」という言い伝えが各地にのこっている。古いツバキの木が美女にばけたり、へらへらと笑い声をを出したり、その下に妖怪の一反木綿が出没したりするという。またツバキの根が光を放って、飛んだというわけの分からない話もある。狐狸(こり)ならぬ木が化けるというのは、ツバキによほど強い霊力があると思われたのであろう。それと共に八百比丘尼(びくに)がツバキを広めたという伝説が各地にある。人魚の肉を食べ800年も生きた八百比丘尼が諸国をまわり、神木であるツバキによる占いをしたというのだ。・・中略・・、ツバキの霊威が信じられた昔は、この木から魔よけのつえや槌が作られたという。・・ (以上)

<椿街道の不思議> (3/18)
わたし素人探偵は、今から四千年ほど前の大事変(前述)の謎解きで、「椿」に強い関心を持っていた。BC2001年の年末、天から下された<大槌=巨大隕石>によって東北の釜石付近をたたかれた日本列島は、各地にその“波紋”を地名として残しているはずだとして、それ等を探ったその一つに<愛発の椿街道>があった。この椿街道は、敦賀湾と北琵琶湖を結ぶ街道で、かつての愛発(あらち=荒地?)の関所があったところで、その昔、日本海沿岸と京の都を結ぶ交通の要所でもあった。筆者は、今その街道に椿の木があるやなしやも知らないし、その名の由来も知らないが、椿を『地名伝言』として遺すこと事態に強い疑問をもっていた。「何故にツバキが?」桜街道とはよく聞くが椿はあまり聞いたことがないからねえ(^^)

≪ 衝撃の痕跡 ≫ (2011 Mar. 19)
東北の釜石付近に因を発した巨大地震波は、中部地方を船体とした巨大な岩塊(ブロック)が船尾(註1)で大きく波打つ! その境目が、丹波高地との間にある“椿街道だ!” 琵琶湖は列島の地溝帯上にある。
(註1) 『巨大地震の船尾現象』とは、 筆者がかかげている現象で^^、日本列島の、高地や、山脈岩塊を巨大地震で流動化したマントルに浮いた巨大船に例え、巨大地震波が船首方向から船尾に向かうとき、後方へ押しつけられる圧で船首が上がり、船尾が大きくバウンドを繰り返えし、後方の岩塊との間で擦れ合い、それによって高熱を発したり溶融岩を噴出したりすること。

 この度の東北関東大地震(3/11)で、みると日本列島という巨大タンカーが、太平洋プレートで押しつけられ横揺れを起こしているわけだから、その影響で日本海溝側のバウンドは勿論のことだが、これから先注意しなければならないのは、そのバウンドの境界線の西端にあたるフィリピン海溝北部では、太平洋側からの北圧の解放と両プレートの“擦れ合い”が起きている。これによって富士箱根での微振動や地磁気の異常はもとより、地温もその内あがってくる。(富士山麓でマントルまで?とどくボーリング計画があったが、地下温度を表層温の上昇から逆算できないか?) 今は東北方面の大惨事でそれどころではないが、専門家が富士箱根の火山活動の心配をしているのは、それ故だとみている。富士山が流動形となっているのは“北への接圧と、東西の擦れ”が合わさってより高温になるためかな? そして、フィリピンプレートの北端が細くなっているのは「連れ込み現象」かな^^? 
 震度5程度の余震が頻発しているのは“固いモノ同士”が擦れ合うからであり、その摩擦熱よってプレート端が溶融化すれば自ずと揺れは少なくなる。だがそのことはストレスが熱へ変換し、列島下部のマントルの流動化と?、その地下温が最高潮に達したことを意味する。上昇マグマは高温化したマントルから生まれる。余震が収まったからといって安心してはならない。念のために、その時間の流れは人間の感覚時間ではなく、地質時間だと申し上げておきます。


<祖先からの伝言(いいつたえ)> (3/20)
この考えを前提にもてば、先の毎日新聞の(余録)にあった「化け椿」の言い伝えの真相がみえてくる。むろん地質年代の前史をさかのぼれば前述の様な変異はいたる所に残っている。それ等ではなくて、筆者が強く言いたいのは、祖先がそれ等の大事変に遭遇し<地名や言い伝え>として残すことが出来るようになった“その昔である”ことに課題がある。
 古老から聞いたことに、「椿は庭木に植えるものではない」と聞いたことがある。真っ赤な花の首がポロリと落ち縁起がわるいからだという。そのように聞けば神社や、お寺の多くに見かける椿ではあるが家庭ではあまり見かけない。では「なぜ神社や、お寺には植えてもいいの?」となり、こども心は不思議に思ったものでした。蛇足ながら、椿に白色花は遺伝的に出にくく、それが白花はもとよりピンクや斑入りまであるのは、後の品種改良の技術がすすんでからだと理解している。 ・・・先の「化けツバキ」の言い伝え、にもどります。

<言い伝えに秘められた真実> (3/21)
「古いツバキの木が美女にばけたり」
椿は、歌謡曲に、「赤い椿がポロリと落ちてぇ~」とか、「あんこ椿は恋の花」とかがあり、若い娘さんに重ね合わせて歌われているようだが?? 
 「 言い伝えや地名は、祖先からのメッセージであり表現の違いである。」 史実探偵: 平 素人

「ツバキの根が光を放って、飛んだというわけの分からない話」> (3/22)
筆者は、この「わけの分からない」に触発(^^)されて、この謎解きに挑んでいます。話を大きく変えて地震の話。 巨大地震が起こる前には何んらかの前症状がある。岩塊と岩塊。プレートとプレートが押し合いへし合いする時。その境界では巨大な圧力が働き分子・原子?までもが破壊されて微小の電子類が地表に放たれていると考えられる。今の観測器や方法ではそれをとらえることが出来ていないだけであり、それ等の微粒子が地震雲として目視できるのは太陽光の弱い時であったり、横方向からの厚みを通して見える条件に居る時であると考えている。この考えをもってすれば先の「ツバキの根が光を放って」の謎解きは難しいものではない。その谷間(たにあい)には、ツバキが自生し、真っ赤に咲いていた。その日の朝方、巨大地震によって擦れ合った岩塊は、火打ち石のごとくに火照りや微光を放ち、ツバキの木は表土とともに根こそぎ吹っ飛ぶほどに揺れたと云っているのではないだろうか。 簡単な実験では洗面器に水をはり縁をつよくたたけば、水滴が飛び上がります。 おっと! “現科学は^^”、身体を1mも、それ以上も放り上げられるような巨大な地震を経験していなかった(笑)。

「へらへらと笑い声をを出したり」> (3/23)
地震の伝わり方には、スピードの速いP波と、すこし遅れて進むS波があり、そのスピードは、おしなべて1000kmを3分半ほどで進む。 「へらへら^^」かどうかは分からないが、岩塊と岩塊とが擦れ合い、地鳴りとなって低周波や高周波数(?)の “気持ち悪い音”が、きっと聞こえたに違いない。

「その下に妖怪の一反木綿が出没した」> (3/24)
これは、ひじょうに興味深い表現である。一反木綿(いったんもめん)とは、長さが約○○mの白い晒し木綿のことをいう。ヤクザの出入りで腹にサラシを巻いたり、妊婦さんが腹帯を巻くのは、実用面だけではなく何かに守られる意味合いをもつ(?)妊娠○ヶ月目だったかな。腹帯にする晒し木綿を持って神社にお参りし安産の祈願をする風習がありました。これも飛んだ話しで恐縮ですが、地質学的に岩石が高温に達し溶融しふたたび冷え固まるとき、中に含まれている白い石英分、等が分離しその境目や表面に集まることがある。それを祖先は<一反木綿>だと称している。筆者のいうことが正しければ、○○川沿いか街道筋かは分からないが、その白い“白色脈、石英脈”はきっとあるはず。その白色脈の生成年代がアイソトープ法でも何んでもいいから、4000年前のものだと専門家が云って下さるといいのだが^^!。これも余談になりますが、時代劇で亭主が七人の敵と戦うために外出するとき、そのおかみさんが 「おまいさん!無事で帰ってくるんだよ」 と云って内と外の境目である“戸口”で火打ち石(石英)の火花を散らすことがありました。

「ツバキによほど強い霊力があると思われたのであろう」> (3/25)
時に低周波や高周波は、人体に悪い影響をおよぼす。もし、その時赤いツバキが咲いたその場所に、この私くしがいれば、その恐ろしさは極限に達しトラウマとなって人格そのものが破壊されるかも知れない。前々の記事で、東北地方での遮光面土偶は、巨大隕石が衝突した時に発する閃光で目をやられたからだとし、<白髪山>の地名は、恐怖のために一夜にして「髪が白んだ」ことを伝えているとしておきました^^!。
 時はうつり、この恐ろしさ人々は語り伝えた。 その言い伝えは 「言葉の違いであり、表現の違い」 だと現科学が、貴方が、気付いて下さるのは何時のことになるのでしょうか?

「それと共に八百比丘尼(びくに)がツバキを広めたという伝説が各地にある。‘人魚’の肉を食べ800年も生きた八百比丘尼が諸国をまわり、神木であるツバキによる占いをしたというのだ」
 (3/26)
八百比丘尼の話しは、不老不死の話として、先の「除福伝説」の記事で、Dr.いずも氏>がコメントされた。 この話しは“タブー”として立ち入りたくなかった。しかし、意識すればするほど追いかけてくる。その中で 「人魚の肉を食べ」というのがある。 素人探偵は、あらぬ話しでは無いと思った。何故なら、人類の歴史で戦果としての人食や、(余命の長い)稚児の人食があったという。日本においては、獣の肉を、馬はさくら肉、猪はボタンとか瓜坊、鶏はカシワ、鹿はモミジというように植物の名をつけて食していた。これは、その社会で許されざるものを食すとき、「これは獣ではなくて植物の肉だ!」とすることで、それ等の食を容認したと思われる。 では、八百比丘尼は“人魚”の肉を食べて長生きをしたのであろうか。答はノンである。人魚は今も昔もいない。だが、不老不死の妙薬を求めた除福隊のなかには、列島での稚児を神に差しだす雨乞い儀式に乗じて、人魚だと称し稚児の人食があったのではないか? そして、その不要物は“人魚として”海に流した。

今に残るお盆でのお舟流しやお雛流し。地名では宍道湖に<嫁ヶ島>の名があるのがその名残だとみている。八百比丘尼は、その事によって“霊力を得る”として人々の困り事に対応していた。ツバキ製の打ち出の小槌や杖をもって・・・。どうか、この謎解きが素人の妄想であって欲しいと願うばかりである。 このように考えれば、あれもか? これもか?という昔話が各地に残されているはずだ。それ等を止めさせ代用の人形に変えさせようとしたのが「卑弥呼」ではないでしょうか。

 主題の<宮島>へつづきます(^^!)

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<祖先からの伝言、宮島編> (3/27)
さて、それでは前述をふまえて、本題の「宮島」に移ることにしよう。 わたしは、前々から「なぜ宮島なのか? 広島圏をつくったエネルギーの中心は何んなのか?」が解らなくて、全国津々浦々の<地名>という祖先からの伝言を訪ねたとき、広島県は、それから外れていた。それが先のツバキの霊力を取り上げた毎日新聞の≪余録≫に触発されて収まっていた子供心が動き出した。四千年前の大事変の時、宮島の地に<何かの異変が?>あったから、信仰の対象として世界遺産までになったのだと! その何かを探ることにしよう。

<海中の大鳥居の不思議> (3/28)
宮島の特異性は海中の大鳥居にある。昨年、この大鳥居を訪ねたことは前述しました。その時、怪訝(けげん)というか、びっくりというか、意に反したことがある。神様がおわす地であるから白砂青松の海であろうと思いきや、砂州上を歩いてそこまで行けたのではあるが、辺りいちめん靴も汚れるようなきめの細かい黒い腐泥状の砂。もう一つは、当然コンクリート製であろうと思っていたところが、それは木製であったこと。この度ウエブで調べると幹回り10mほどの大クスノキで高さは約○○m。近年に下部だけ取り替えたようだ。さらに驚くべきはその工法。海底に埋められているのではなく、基礎に松丸太を寝かせて埋め込み、脚部を六本足にし、鳥居の上部を箱形にし拳大の小石をつめることにより、自重だけでその位置から流れることなく台風や地震にも耐えてきたというのだ。祖先の知恵に感嘆する。潮が増すと海中に浸るのではあろうが、何故にそこまでする“必然性”が生まれたのか?? わたしなら、もっと楽な所に建てますがねえ(^^!)

<大津波の襲来!> (3/30)
四千年前の(註1)巨大隕石<大槌>で発生した大津波は、三陸海岸の表土をかっさらって海岸線をリアス式形状にし、その土石を北上山地の姥石峠・640mを軽々と越えて、運び込み(註2)<胆沢扇状地>や<夏油←地名>をつくったほどの巨大津波だ。
 この外洋津波が<宮島>に着くのは朝の8時半頃(?)。それよりおよそ2時間半前に地震波によって発生する津波が東からも宮島を襲っている。対岸の四国に<多度津>の地名があるように幾度も幾度も襲ってくる。外洋の津波は、豊後水道から入ってくる。この地の津波の特徴は、この二つの津波によって「津波の行き止まり」(別紙報告書、シベリアのピート等)をみせていることがある。津波の行き止まり傾向(現象)とは、浮く物や小さくて軽いモノほどその先端に運ばれて、勢いを失ったその湾奥や、波打ち際へ置いて帰ることをいう。さらに津波の持っている性質に、似たようなものを分別して運ぶ“特性(註3)”がある。これ等によって宮島周辺に微細な黒土が運ばれたのだ。大鳥居へ流れ出る白糸川は、その腐泥土を産してはいない。先の東北を襲った津波の先端は、まるで水神がその地の全てを喰らいつくす “黒い舌”のごとくに黒かった!
 (註1)カテゴリー巨大隕石:BC2001年の巨大隕石!  or アーカイブ:2000/00/00
 (註2)カテゴリー巨大津波:川が無いのに(胆沢)扇状地  or アーカイブ:2008/10/01
 (註3)電子版、報告書「巨大隕石と大津波」: 同似集合の原理 (筆者提唱)
水流(津波)が、物を運ぶ時、物質は非常に効率よく “似たものは似たもの同士”に分別される。


うん  shigechanizumo | URL | 2011-03-30-Wed 09:00 [EDIT]
まさしく出雲の砂鉄選別の「比重選鉱」ですね。

<鉋流しと、たたら製鉄>  平 素人 | URL | 2011-03-31-Thu 04:07 [EDIT]
Dr.Izumo さん> コメントありがとう御座います♪
 ご無沙汰をしております。日々の更新は続けているとはいえ手応えがなく惰性でながれております^^!。それもこれもmy文章が拙くて”面白味”がないからだと承知はしているのですが寂しいものがあり、他の方々へのご訪問も含めて、おろそかになっております。 どうぞお許しください。
いずも斐伊川の 「鉋(かんな)流し・たたら製鉄」は有名ですよね。わたしも列島製鉄の発祥は出雲にありと思っています。Dr>の影響ですが(笑)。それが流れて岡山県水系にも・・・、この玉鋼(たまはがね)でつくる日本刀は用途をこえた魅力があります。おりしも、子連れ狼・拝一刀>も帯びたという ‘どうだ貫・熊本’が岡山の美術館で展示されているそうです。


<宮島の鳥居の方向が指し示しているものは?> (4/01)
宮島は、広島湾の南西端に位置し本土から約300m余り離れている。ここへ渡るには○○から船にのって約○○分、1.8kmの航路を利用する。年間○○万人を運ぶ出航の間隔は、ほぼ○○分でたいして待たせはしない。帰り船との行き交う方向に島姿と赤い鳥居がみえてくる。その鳥居の正面から見える宮島の山形になにかの変異はないかと凝視してみるが確認はできない。この鳥居の方向性は、とても大事な要件で、『この鳥居を通して見える島の山並に異変があった』と、ご先祖さまが教えてくれていると思っているからだ。何んでもない方向に鳥居を建てたり向かせたりはしない。そして、その島に<宮の地名>を付したりはしないとも!

<宮島の自然と歴史> (4/02)
島の長さは、約10km余で、幅は約3.5kmのほぼ長方形。全島は花崗岩で、山は急峻し、ほぼ南北と東西の“断層がある”そうだ。島の主峰は<弥山・みせん>で535m。その頂部には巨石群がみられるという。島の南西端には次峰の?<岩船山>がある。この島の特徴は、瀬戸内海の多くの島々がミカン畑等により、その頂部まで開墾されたのに対し、宮島は古来より、入島・入山が制限され、信仰の対象として扱われ原生林も残っている。それが今では観光地化され、ロープウェーもあるようです^^。広島といえば「紅葉饅頭」がすぐ思い浮かびますが宮島の観光名所紅葉谷は、自生のものではなく移植されたものとのこと^^。

 (4/04)
さて、それでは宮島の<地名>という祖先からのメッセージを聞きに参りましょうか^^!
 興味の湧いたお方は、わたしより先にYahoo!地図や、国土地理院の電子版地図を閲覧されれば、この素人とは、また‘別の意’のメッセージが聞けるかも知れない。 もうすぐ、広島住で我が朋友<釣りじいさま>の命日“四月七日”がきます。あなた>の言葉が聞きたかった!!(合掌)


“巨大地震によって変形した宮島-”へ、つづきます^^♪
ただいま、準備・調査中です^^!
('14/5/05)“変形した宮島”の記事への拍手はどなた様が下さったのでしょうか^^?
     この記事は、かなり散文的に書いてありますのでどの部分に拍手が頂けたのかが、
     興味があります^^。
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