卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」
此処に出雲と同様、“大量の銅剣”が埋めてある! 全国歴史ファンの方々、三上山に集合せよ。
BC.2001年の “巨大地震によって変形した宮島 - ⅲ”
 【 お知らせ 】 「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣と銅鐸」の方は、一時休止します^^!。
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<宮島の地名に、その大事変を聞く>

<宮島(厳島)周辺、の地名略図> (4/07)
 
    宮島口駅                     北
        地蔵鼻                  ↑
   深江(2.9m)                   (北端から)
     観音崎                  聖崎 
△対厳山(63m)                        杉の浦
 前空台                            包ヶ浦(自然公園)   
                   《大鳥居≫
                      紅葉川≪厳島神社≫        (島の東端)
早時鼻                  白糸川                  入浜
                     大元川 *潮山原始林
                          駒ヶ林 & (焼山)
     <大野瀬戸>                 △弥山(みせん535m)
                大黒岩                   腰細浦
                  △前峠山(まえだお)
              多々良潟 
             多々良川 →1
                  △大江山
                    △三ッ丸子 →2            
                      △先峠山(さきだお)          
           →4                  →3 大砂利
           御床浦                  
                    →5          樫木浦
                 △大川山     
                             青海苔浦
                          △老岩山
               △岩船山(466m)
                   (無名の?谷川) ↓6
   須屋浦、△須屋山              養父崎浦
   (西端)                  
         長浦            山白浦

                    革篭崎(こうご)
       < 岩 国 >        (南端)


長らくお待たせしました^^!。以下も、史学、言語学、地質学等に基づかない素人独自の判断だとご承知おき下さい。そして、大事な地名が抜けていたり、無知ゆえの間違いやら、読み方や ‘いわれ’ も間違っているかも知れませんので、そのつど何方様か教え正して下されば幸いです。 宮島へ渡り、北端の<聖崎>から、時計回りで、祖先からの伝言(地名)を、‘独耳流^^!’で聞いていくことにします。

聖崎> (5/01)
筆者は、この読みを何んと読むのか知らない。ほぼ長方形をした<宮島>には、四つの岬があるはずだ。その四つの岬の一つを選んで、何故<聖・せい>の字をつけているのか? <聖>は、ひじり>とも読む。その昔は「火尻」と呼んでいたのではないか? しかし、聖なる信仰の対象の島に、尻>の字がつくのは、何となくイメージがわるい。そこで漢字が渡来した後の時代に、聖>と書いて、ひじり>と読ますようになったのではないだろうか。火>ついては、この記事の核心部分になるので後に回しましょう^^。

杉の浦> (5/03)
この地名からは、その伝言は聞こえてこない。 今とその昔は気候が違うから一概にはいえないが、杉が海岸端に生えていることは珍しく、何故、この地名になったのかは分からない。 仮に、平地海岸に大杉が生えていたとすると、杉はその樹形から津波にはめっぽう強いと考えられる。直立する大木の下枝は枯れ、津波水流の影響を受けにくい。列島各地の平野部の全てをかっさらった津波跡に、その大木だけが、ぽつねんと残っていれば、「杉は、津波に強い!」と、ご先祖さま達はきっと思うに違いない。今でも平野部のど真ん中に杉の大木に囲まれた神社を見ることがある。その杉に神性を感じ、神木として扱われるようになったのではないだろうか。

包ヶ浦(自然公園)> (5/04)
包み込むような入り浜形状から、この名がついたのであろうか。特別な意は伝わってこない。近年に、海水浴とキャンプができる自然公園として整備されているようだ。写真でみるかぎりは白くきれいな砂浜である。

入浜>
この地名からも、特には伝わってこない。

腰細浦>
なにか意味ありげだが、全く解りません^^!。

大砂利> (5/05) 
大砂利とは、変わった地名だ。砂利という一般的なものを地名につけても差別化はできない。地名とは、一種の差別化であり、この差別化を共有することによって特定した場所が相手に伝わる。何処にでもあるようなものを地名にすれば、「あんたのいう砂利>は、何処よ?」と、なって伝えたい場所が(相手に)伝わらない。だから<大>の字をつけて差別化しているのか? 「大きい砂利」だと云われてもねえ^^? 砂利>と言えば、ジャリン子のように一般的には小さいことの代名詞としても使う。そして、大と小では真逆の意であり、これも解らない。それとも、<ジャリ>と読まずに、何かほかの読み方や、意があるのか? 解らないことは置いといて先へ進もう(^^!)

樫木浦> (5/06)
樫の木が生えていたのか。と云うことは、大木の樫の木があったのだろうか。大木になるにはたくさんの幼生木の中からと云うことでもあり?、島のあちこちに樫の木が生えていれば、此処だけに<樫木浦>と名付けても場所の特定が薄れてくる^^?。広島と言えば「紅葉・もみじ」が、思い出されるが、宮島には<紅葉川>や、<潮山原始林>もあり、古代より人手の入らなかった島として、貴重な植生を残しており、広島大学の植物研究所がこの島にある。

青海苔浦>
広島には藻場の海岸が多く「鱚釣りのポイントが少ない」と、じいさま>からは聞いていたが、青海苔>の生える海岸は少なかったのであろうか? 青海苔の生える海は透明度の高い海水か?? 後で調べます・・・^^?

< 蜜蜂・ああ無情!!!> (5/06)
久しぶりに養蜂箱をおいてある山斜面の孟宗竹畑へ行ってみた。・・・
 この項 [ My粗茶室・ ]へ移動しました^^。 → カテゴリー、<ゲスト様>

養父崎浦・やぶさきうら> (5/09)
“ようふ”と書いて“やぶ”と読む。この読み方は早くから知っていた。調べてみれば兵庫県に<養父市養父町>があり、岡山県・倉敷市玉島に<養父>の地名が残っている。子供心からすれば「変な地名だなあ?」と思っていた。<藪・ヤブ>なのかと思ったがそうでもないらしい。“養父・ようふ”といえば“養い親”のことである。養い親のようなごく一般的なことが地名として定着するには、何かの理由がある。先の「除福」の記事を読んで下さった方なら、これは大して難しい問題ではない。除福達は、不老不死の霊薬を求め、童男童女3000人を連れて列島にやって来た。この子達を連れてきた目的は列島で求めた試験薬をその子達に施し長生きを実証するためである。3000人を一カ所で育てることは出来ないから各地に分散して面倒をみていたのである。一人や二人の養育ならあまたにあることであるから地名としては残らない。我が子でもない子達を10人以上も育てていれば、倭人からみれば異様にみえる。だから、「あそこは<養父・やぶ>だ。」と呼んで地名として残ったに違いない。Drいずも氏>が指摘されたように、除福達は“秘密結社”の意味合いを持つ。日本史に黒船も比ではないような影響力を持ちながら、自分達の言葉(中国語)で地名を残して居ないのは、決して表舞台に立ってはならないという宿命(前述)を持っていたからである。広島の本土から見れば裏側にあたる宮島の南側の地名は、おおむねが異質で新しい名付けのような気がします。

山白浦> (5/10)
これは難しい。文字通りを受け取ると、以前に謎解きした<白神山>と同様に、山が白んだとの意味であろうが、ここが本土側から見える所ならともかく、此処は、島の裏側にあたり本土側から見えない場所である。その大地震が到達したのは、12月25日の朝の6時頃であるから日の出前の暗い時だ。いったい何処の住人がこの地名>を名付けたのか? 広島の本土ではなく、その西南にあたる<岩国>の住人が付けたのなら分かるような気もしますが?

革篭崎・こうごさき> 南端 (5/11)
分からないので調べました。
Webilio 辞書より、革篭とは?-皮を張ったかご。後世、紙で張ったかご、竹で編んだかご(行李(こうり))をもいう。
どうやら‘かわかご’がなまったらしい。列島では植物質の入れ物は普及していたが革製品の容器はなじみが薄かったと認識している。何故、それが地名。として定着したのかが解らない。これはあくまで想像に近いが、宮島全体を「岩船」に例え、北端の「火尻崎・ひじりさき?」と、この革篭崎を船の舳先として“篭”に何かを入れて何かの神事を行っていたようにも思えるが・・・??

長浦> 長いから長浦^^。

須屋浦、△須屋山>(西端) (5/12)
今では法律により土葬は許されないが、須屋(すや)というのは、昔、樽や木棺で遺体を土葬にした時、遺体や棺(ひつぎ)が腐り落ちるまでは、その上に石塔を切れないので、須屋という木製の小さな家形をした小屋をおいたり、○○?という木柱をたてることがありました。それが何故ここの地名になったのかは、分かりませんが、須屋山>と、須屋浦>の二ヶ所に地名が残っているということは、此処がかなり重要な人物の墓地であったとうかがえます。

御床浦>
お床というのは、何か大切なものを祀ったり、高貴なお方が横たわる場所。どなた様がおいでになったのでしょうか? 

多々良潟・多々良川> (5/13)
多々良というのは、鞴(ふいご)のことで、風船状にした獣皮を縮めたり脹らませたりすることで送風する用具のこと。主に製鉄の時、鉄鉱石や砂鉄に炭を混ぜて熱し酸素を大量に送ることによって鉄を溶かし出していた。この方法を“たたら製鉄”ともいう。宮島の全島が花崗岩であり、この島には鉄鉱石がないと思うが? 本土から海を隔てて航行にも不便の島に、何故、製鉄用語の<多々良>の地名が残されているのか? しかも、ご丁寧に、潟>と、川>の二ヶ所に、名をふってある^^! 二ヶ所以上に同じ名>が連なっているということは、そこが、かなり重要な場所という意味でもある。 あとへつづきます。・・・、

大黒岩> (5/14) 
此処には、黒い大岩があるのでしょうかぁ? 島全体が花崗岩とありました。私達が墓石として目にする花崗岩は白っぽいものがほとんどで、赤みを帯びたものや、黒色の(黒御影石)は輸入品なのでしょうか?? 次は、ド>のつく素人の言葉として受け取って下さい。御影石とも呼ばれている花崗岩を高圧下のもとで熱していくと、黒色となり、さらに温度が加わると赤みを帯び、さらに高温化すると白色化に進むと睨んでいます。(高温化による組成の変異?^^?) なにを目論んでいるかというと、島全体が大地震で揺すられ破砕し、岩と岩が擦れて摩擦熱を発し黒色化したのではないだろうかと思っています。この論が正しければ、そこは断層帯の端にあり、帯状に黒色化が見られなければなりません。

≪大鳥居≫ (5/15)
これで、この島を一周しました。
この大鳥居>の方向は、島の大事変があった方向を見ているとの予想は大きく外れ、入り江のほぼ中央にあり<厳島神社>を正面に見ていました。 さて、ここから内陸部の地名を訪ねて行くことにしましょう。

紅葉川≪厳島神社≫、 白糸川、 大元川>
大鳥居がある入江には、3本の川が流れ込む。川といっても急峰の弥山(みせん)山麓から流れ出る谷川は急流で常時水を留めているとは思えない。いつぞやに(平成○○年)、台風で集中豪雨があったときは、多くの岩石が神社を壊すほどの土石流となってニュースになったことがありました。これは宮島の岩石が「破砕」されている為ではないかと疑っています。

潮山原始林> (5/16)
この原始林は、宮島が本土に近い島でありながら、信仰の対象の島として入山規制がはたらき人踏が入らず、その特異な植生から国の天然記念物にもなっている。それにしても、海の潮>と、山>の組み合わせは、妙な命名の仕方である。・・そうだ! その時の大津波は、弥山>を目指して、この高さまで登っている! 本土の福面50m-6m>で、津波の登った高さは<44m程>であったから、後で此処の高さも調べてみよう。物見(台)>へ避難した人達は、宮島に潮が登るさまを知り<潮山>と名付け、以来「神」が入山する場所として忌避したのである。
 (調べました。<大聖院>辺りで50mでしたから当時の海水位6mを引き44m!)

駒ヶ林> (5/17)
駒>とは馬のことである。縄文石器時代の列島に馬がいたかどうかを筆者は、まったく知らないが、此処での駒>は、騎馬としての馬である。列島での牛馬の存在は騎馬としてではなく、役馬としての存在が大きかったように思っています^^!。馬を騎馬としてあつかうのは広大な大陸移動の必要性から生じた結果からではないでしょうか? 除福(前述)>の伴った騎馬兵が倭人達の目には(神)と写った? それにダブらせて馬に乗った(神)が、林をぬけ弥山>に駆け上がる! そう言えば、厳島神社の脇に奉馬堂>がありました。あの立派な奉馬や、絵馬の奉献がどこから生まれたかを筆者は知らない。

焼山>>( やけたやま、と読む?) (5/18)
この地名は地図には載っていない。ウエブ検索で山歩き大好きと云われる(○○さま)のページで見ました。通称なのかも知れないが、現にそのように呼ばれている事実がある。今に、何処でも起きるような山火事に「あの山は<焼山>だ」と、その度に地名として名付けたならば、古今東西、列島は<焼山>だらけとなる。(笑い) 何かの“特異な事象”を伴い人々の心に深く刻まれた山であったから、その山を焼山>と呼ぶようになったのだ。この度の東北大震災でも、北海道の奥尻島の大震災でも、火事があった! 津波が火事を伴うとは意外な感じもするが、津波の消火は一時的なものであり、火種さえあればその残り火により、津波で寄せ集められた草木は延々と燃えつくす。少し話しが飛びますが、筆者は阿蘇の山焼きや、奈良の若草山の山焼きの歴史も気になっています。
(5/19)
 話しの核心に触れますが、宮島の火は、不消火の火として、○○オリンピックの聖火となったり<平和記念公園の火として今でも燃え続けています。(BC.2001)四千年前の大地震で、山と山が擦れて発火したことを歴史が覚えていて、「決して忘れてはならない火として、いまに続いている」のだと、私は断言出来ます。 現科学は ‘すっかり’それを忘れていますがねえ^^。 現科学と祖先の言い伝えのどちらをとるかと聞かれれば、私は迷わず<ご先祖さま>のほうにジャッジを挙げます。 少し言葉が過ぎたかしら・・・?(^-^)?
(註: 今の御霊火堂の火は、弘法大師が修行した時の1200年前のものだそうです。)

 素人の拙い論では、現科学はおろかあなた様までもが信じて頂けない。信じて欲しいとは言わない。気付いて欲しい! ^^。

△前峠山(まえだお)と、△先峠山(さきだお)>へ、つづきます^^♪






 (5/12)どなた様、拍手(1)をありがとう♪ 久方ぶり、何ヶ月ぶりかの拍手です^^!
(514)おやおや? 存命中は無理と^^! あきらめている記事に、つづいて拍手が頂けました♪ 
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BC.2001年の “巨大地震によって変形した宮島 - ⅳ”
  *宮島の大断層帯、「弥山断崖下、焼山の 根炭(ネスミ)を探せ!」  2011 5/29記 
“ねすみ・根炭”とは、筆者の付名・発案で(^-^)、断続地震による断層帯で岩塊と岩塊が擦れて高温を発し山火事となった時、上部の立木は燃えてなくなるが、根部が酸素不足や、低温炭化作用で“炭”として地中に残ること。

【 お知らせ 】
  記事は不定期な日々の(追記)で更新していますが、今回の(5/29)で完了しました。
    「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣と銅鐸」の方は、一時休止しています^^!。
そちらの方は、カテゴリー「銅剣銅鐸探査のあれこれ!」のクリックをお願い致します。すべての記事は、連続・関連モノです。お時間の許される方は、当初の「卑弥呼・・・」から、お付きあい下されば幸いです。                ↓クリックOK^^
さらに、本命の(別紙・電子出版; 極秘報告書「巨大隕石と大津波」)もあります。(無料立ち読みコーナーあり^^) ※ リニューアルされていて、クリックしても出てきませんでした。
文芸社の電子出版書籍サイト Boon-GATE:極秘推理報告書「巨大隕石と大津波」(ジャンル:自然科学)で検索すると出てきました^^!
長いあいだの長文・駄文にお付きあい頂きまして、ほんとうにありがとう御座いました。‘ネタ切れ’のため次の更新の予定はありません。しばらく休みますので、ご訪問が出来ないかも知れませんが、再開できるその時まで、どうぞ、皆様ごきげんよう♪(^-^)♪ sanks □   2011May30
                                    (深礼) 史実探偵: 平 素人 
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「地名という祖先からの伝言」
時は、BC2001年12月25日の朝方、‘三陸地方発’ (月別アーカイブ:2008 11月、 東北地方の巨大隕石の痕跡を追う!参照)の、巨大地震と大津波が、広島の地に到達する。 
  地名はその地に何があったかをいう ‘人文史’ であり祖先からのメッセージである!
   前記事“巨大地震によって変形した宮島-” からのつづきです。

<宮島の大断層を探せ!> (5/20)
素人の拙い論では、現科学はおろかあなた様までもが信じて頂けないので、もう一度、宮島の地形を交えて観察してみよう^^。

【 島の長さは、約10km余で、幅は約3.5kmのほぼ長方形。全島は花崗岩で、山は急峻し、ほぼ南北と東西の“断層がある”そうだ。島の主峰は<弥山・みせん>で535m。その頂部には巨石群がみられるという。島の南西端には次峰の<岩船山>がある。】 その断層はどこだ?!

△弥山(みせん535m)> (5/21)
宮島の主峰が535mの弥山(みせん)なのは、分かっている。弥>というのは、阿弥陀仏とあるように一番の意味であろうか。しかしながら、山>と書いてセン>と読むのが分からない。思い付けば、鳥取県に大山(だいせん)。鳥取・兵庫県境の氷ノ山(ひょうのせん)等も、セン>と読む。九州の阿蘇山。四国の石鎚山。富士山等は、高いながらも、さん>と読む。中部地方では○○岳(だけ)という。東北では山なのに○○森>。 高知県だったかな? ○○丸>という山名もある^^。 所変われば品(呼び名)変わる? しかしながら、広島の山のほとんどは、さん>と呼び、セン>と呼ぶのは、この山だけと思うが? 何か特別の意味があるのだろうか? どなた様か御教示を^^!

 航空地図等で見ると、下図の →1 →2 →3 に断層帯のようなものが見える。 
      大黒岩
        △前峠山(まえだお)
     多々良潟 
    多々良川 →1              
△大江山
          △三ッ丸子 →2            
            △先峠山(さきだお)          
                     →3 大砂利

△前峠山(まえだお)と、△先峠山(さきだお)> (5/22)
 前峠山と書いて<まえだお>と読む。一般的には<峠>と書けば<とうげ>と読む。地方によっては、峠のことを<たわ>という所もある。前峠(まえだお)とは、“前倒し”の意味ではないのか? 峠の字が漢字か国字かは知らないが、その字形が面白い。 『 山が上下する!』BC2001年12月25日の朝方。本土の<物見台>に避難した祖先は、そこで『山が崩れ行く』のを見た! だから、この名前がついたのだ。事変後、そこに何があったのかと?島に渡ってみれば、『その先にも山が倒れていた』。

≪ この時を想像を含めて再現すると ≫ (5/23)
時は、四千年ほど前の12月25日の朝6時頃。まだ日の出にはほど遠く寝ている時間。東北で発した巨大地震は、その身体が豆粒のごとくに、はじけ飛ぶほどの衝撃でこの地にとどいた。立っていることはとうてい出来ない。人々何があったかも知れないうちに内海で発した津波でその身体をもっていかれる。津波でもっとも怖いのはその土石流や漂流物が持つ破壊力だ! 平均的な水深は前述の<高見>で22mとした。8時半頃に水位はピークに達する。幸いといえば幸いか。当時の住居はたて穴式のような簡素なものであった。命からがら助かった人達が<物見台>で、目にした<宮島>は、腹の底まで揺するような大音響とともに火の手をあげていた。山塊と山塊が擦れて(大黒岩)火を発した(焼山)のだ。<弥山>は燃えあがった。上昇気流は周囲の空気を引き込む。だからこの風を<多々良・ふいご>と地名に遺したのだ。この巨大地震で崩壊した山々は、列島の他の地にも数多く残っているはずだが、発火を伴う程の変異は何処でもあるとは限らない。
①津波が<潮山>に上がり込み! 
②山が<前峠・先峠>と崩れ行き!! 
③更に<弥山>焼山が燃えあがる!!!

 この三拍子が揃った宮島を、神が上がり込み 『神・居着く島・厳島』 として崇めたのだ!
神が棲むから宮島なのだ。その意味での宮島信仰は、神を呼び寄せる出雲信仰とは少し異なる。 貴方が(現科学)が、もし、その時この地に身を置けば『 何を思い、何んと云う?』 筆者がご先祖さまから聞く大事変は、何万年も前の “地質時代”のことを言っているのではない。少なくとも祖先がそれ等の大事変に遭遇し、<早時>や、前峠山(まえだお)先峠山(さきだお)<・・・>の語彙(ごい)を発し、それを<地名や言い伝え>として残すことが出来るようになった “その昔である”ことは否定できない。


 (5/24)
航空地図等で見ると、下図の →4 →5 ↓6 も、断層帯のように見えます? 
     →4
   御床浦                樫木浦
            →5
       △大川山     
                    青海苔浦
                △老王山                          

               (谷川)↓6
                 養父崎浦 

 巨大断層は、一時で出来るとは限らず、幾度かに分けて出来ることもあると云う。この時、同時に出来たかどうか? 又、その変異の大小等も分からないが、同時であれば、新しい土層が見えているはずだから △老王山>とは名付けない。老王>の名からすれば、前峠・先峠>に対しての<老>であるように思えるから、前峠・先峠と同じような谷の地形をもって、それより以前のこととして付名したようにも思えるが、この伝言(地名)だけからでは推しきれない。

<巨大地震で水波の様に振る舞う地殻> (5/25)
廿日市辺りの地図をスクロールしていると、<押ヶ峠・おしがだお>に当たりました。筆者はその詳細を知りませんが気になる所です。国の天然記念物?にもなっているようです。(写真では粉砕岩の堆積と?見える)前論を当てはめれば、この<押ヶ峠>の付名も、その時の「地震波が押し寄せた」と表現しているのではないでしょうか。 数ある(活)断層のなかで<付名のもつ意味>は、その時のものか否かの判断を大きく左右する。何故なら、その付名は祖先がその大事変を “実体験”したかしないかを言っているからだ。

<大事変その後> (5/26)
当時の12月25日は、今より平均気温で15・6℃高かった。(別紙電子版報告書) 年末の 気温を0℃、としても15・6℃は、秋の気温。 だから「安芸=秋?の宮島、厳島」というのかどうかは、筆者のこじつけ?駄洒落であるから責任は持てない。(笑) その後に続く、隕石の冬! 火山活動の目覚め! 海溝ストレスの解放! 断続地震の連鎖! はたまた、豪雨で流れ出る(破砕)巨岩流を<大砂利>と云ったかどうかも筆者のつよい思い込みかも知れません^^? 

岩船山> と 岩国> (5/27)
それでは、何故、東北を震源とする巨大地震が、約1千kmも離れた宮島に大きく作用したのでしょうか?
カテゴリー出雲地方で、幅約5~6km、長さ約60kmの出雲半島を、Dr.いずも氏>は、<破砕半島だ!>と言われました。これも東北から見ると1千km近く離れている。そして、出雲半島は、東北から物差しをあてれば、東北から南西に向かって直行している。そのことから東北から伝わってきた地震波が“蛇がうねる”ように細長い出雲半島に作用し岩塊を破砕したと結論づけた。さらに、中国山地をマントルに浮く超巨大タンカーと考えた時、出雲半島(や宮島)は、それに沿う脇船に例えることが出来る。巨大船にとっては少しの上下運動でも、軽小の脇船(出雲半島)では大きく浮沈するのではないかとした。

宮島の場合は、島の長さは、約10km余で、幅は約3.5kmのイカダ形をしている。そして、これも東北から南西へ向いている。祖先は、その時の宮島の様を巨大津波の中を泳ぎ行く<岩船>だと表現している。今風の巨大タンカーだ! いつぞやは、その巨大タンカーが長波の巨波を受けて、真っ二つに折れたことがある。波長と船の長さが同調すれば、いかに強固に設計された船であろうと真ん中からへし折れる。そのような長波を想定した設計ではなかったからだ。水面につぶてを落とせば中心から離れるに従って波長は長くなる。その1千km離れた所に「タンカー宮島」があった! 都合の悪いことに?進み行く前方に<岩国>という巨岩塊が立ちふさがり、その行く手を阻止する。いかに強固な地殻地表であろうと巨大な地震波が働けば岩塊は、押し流された流氷のように振る舞う。韓国国土地理院では、この度の東日本大震災で日本列島と朝鮮半島が1・2cmほど近くなったと報告しているし、震源を淡路島とした神戸淡路大震災では、神戸山脈で跳ね返った地震波で長田区がやられた。素人の推論が正しければその痕跡は必ずどこかに潜んでいる。

<結び; 宮島の一反木綿と、根炭を探せ!> (5/28)
一反木綿>とは、
ご先祖さまの形容で、山と山が擦れて岩石が溶融し再結晶するとき白脈(主に石英脈)が出来ることだと謎解きしました。その一反木綿が、ご先祖さまの言い伝えでは「出没する」と云っていましたが、その白脈帯はどこにあるのでしょうか? 後の風雨作用で隠されているかも知れないし、土砂崩れ等でその破片が谷川へ流れ出ているかも知れません。○○様のウエブ写真で焼山から断崖を右にして下方の大鳥居を見ている写真がありました。その断崖には“滑り落ちた痕跡”がはっきり写っていました。この山頂付近にある大断崖は宮島へ渡るフェリー上からも見えます。だから、ご先祖さまは、この島を『宮島』に定めた! との結論に至りました。 山歩きの好きな貴方^^ どうぞ、その断崖の下の “一反木綿”を捜して頂けませんか^^?
根炭・ねすみ>とは、
素人探偵がつけた付名(ネズミ?-笑)です。 連続地震による断層帯で、岩塊と岩塊が擦れて高温を発し山火事となった時、上部の立木は燃えてなくなるが“根部”が酸素不足や、接触部から少し離れた所での低温炭化作用で“炭”として地中に残っていることが考えられます。このことは通常の山火事や、一度っきりで起こる大断層とは根本的に異なります。低温炭化とは、発火温度に達していなくても、それが長時間続けば炭化してしまうことです。 弥山>と、焼山>の断層帯があやしい!!
もし、それが発見かれば、14C(大文字Cの左肩に小さく14と書き、シー14と読む)炭素年代測定法で、その時が四千年前のBC2001年12月だと云って下さると嬉しいのですが? (素人考えで^^ → 岩石の年代測定法にアイソトープ法がありますが、これの正確さは万年単位?? 炭素法の正確さは二千年前まで?? 四千年前は、帯に短しタスキにに長しか・・・^^!)

(おまけ) (5/29)
① 航空地図を観ていると、山口県本土東端の和木町と宮島の須屋浦の端が“ジグソーパズル”のようにくっつくように見えます。これは地質年代で万年単位のことでしょうが、元々はくっついていたのかも知れません。そして、今度の四千年前の大事変では、本土岩国へ近づき押し上げらていることが考えられます。岩国の「国」というの概念は大陸からの新しい概念であり縄文石器の時代にはなかったものと思っています。「何故、岩国なのか?」その付名の‘いわれ’を知りたい。そして、押し上げたとすればどこかに段差が出来ているはず。その海底段差の探索は(大学?)の貴方様に委ねることに致しましょう。・・と言っても、二十余年この方、(大学・専門家)に相手にされた試しがありません。いずれ‘拙論は’今世紀を圧巻する時がきます。その時その人達は、どんな顔をなさり、何んと云わはるのでしょうねえ。 まさか^^ 「物証がない! 信じられなかった」とでも? 又々、恨み節がぁ~~!(笑)。 
② 宮島の西端に、高さ43m余の<可部島>という小さな無人島があります。本土にも<可部・かべ>という地名があり、何故<可部>というのか分かりませんが、わたしの予想ではこの島の頂上に、何か“宮島に関係した遺跡”が遺っていると推んでいます。それへの探検・探査はクルージングが出来る(あなた様)に委ねることに致しましょう。ウエブで調べれば、この島には戦時中?と思われるトンネルもあり、その他「七浦巡り」もあるようです^^。そして、宮島に七不思議があるとも聞きますが、その方への挑戦は、ミステリー好きの(あなた様)に委ねることに致しましょう。(^-^!)

これで、この記事を完了しました。長いあいだの長文・駄文にお付きあい頂きましてありがとう御座いました(深礼)。ネタ切れのため^^!、次への更新予定は、今のところありませんが、再開ができるその時まで、どうぞ皆様ごきげんよろしゅう♪(^-^)♪ 再見!      2011 5/29 □
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