卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」
此処に出雲と同様、“大量の銅剣”が埋めてある! 全国歴史ファンの方々、三上山に集合せよ。
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< 岩屋 に埋められている大量の銅鐸、現地画策,その 2 >
     (岡山県総社市の)
< 岩屋に埋められている大量の銅鐸、現地画策,その 2

    ご訪問ありがとうございます。この記事は、今回(5/12)で完了しました。
         「お知らせ」
月別アーカイブ2016/11月<徐福達が日本史に与えた影響のⅦ>の記事を挿入しました。
(5/29記) 5/26に、ご訪問のお客さま> 3拍手をありがとう御座います。気付くのが遅れました。コメントを下されば助かります。コメント欄は、最下段のC0をクリックして頂けると表示されます^^!

   次の記事は (6/01)を予定しています。
     その間、カテゴリー<ゲスト様>で時間まちして下されば助かります^^!。 

  < 卑弥呼が埋めた(か埋めさせた)大量の銅剣と銅鐸を見つけたい人この指とまれ!>
表題を掲げて、十数年の広報活動を続けてきましたが、未だ、何方さまからも取り合って貰えていない。もう、私には貴家や世間さまがこのビッグゲームに参加して下さるまで、お待ちできる頭脳寿命は残っていない^^!。
      この先は “ ツルハシかついでスコップ片手に”の暴挙にうつります。
さて、あなた様は、「出土してから騒ぐ、それとも出土するまでを楽しむ」 のどちらになさいますかぁ~^^?(笑い)

      今までの概略・(卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣と銅鐸よりの抜粋)
<なぜ、“大量の”銅剣や銅鐸が埋められたのであろうか?> ← はじめて訪問して下さるお客様に^^、
銅鐸は、大量にまとめて埋められた以前にも、必要時以外は個々に(土中保管説)埋められていた。話は、これを大きくさかのぼり、「BC.2001年の12月25日、未だ暗い朝の6時頃、地球を半周した彗星が、龍飛崎の上空を通過し、三陸地方に巨大隕石となって光臨した!」 ←この詳細は、myブログのカテゴリー「巨大隕石」へ、どうぞ^^!
祖先はその赤く輝いた巨塊をその風切り音から“竜”と命名した。この巨大隕石は、隕石の冬による慈雨と、津波による魚介類や瑞穂という恵みを打ち上げ、そして犠牲を強要する荒神となって“人々の心の中”に入り込んだ。神の発生は大集団社会へと展開する核となる。その過程で雨水の必要性もだんだんと増してきて“雨乞い”が始まる。願う相手は、その慈雨をもたらした八大竜王だ。 この荒神様は、慈雨との交換に赤い血を欲しがる。生け贄の歴史は、最初の小動物からエスカレートして、 ついには 「私達には、これ以上に大切なものは有りません。 この幼子を煙に変えますから、どうぞ、この海水を、この幼子の煙を雨雲に換えて下さい」 と迄になる。 “その天竜水神を呼び寄せ、荒神を乗り移す媒体となったのが銅鐸だ!”  それ等の “雨乞い生贄文化” が永々と続いていた3世紀の初頭に、言い伝えの箒星が現れた。 朝夕の空にあるその星は日々に大きさを増していった!
  又来るあの大事変が!!   人々が恐れおののくなかで、ヒミコは云った。 
     「やがて、あの星は全天を覆うだろう。 私がその難を逃れるお祈りをしてあげる」 と、 
        結果的に、この彗星はニアミスに終わり、人々は大きく安堵した。
 
火巫女は説いた。「真は、お日様が主神で荒神彗星は、そのお使者であるよ。 その証しに、その星は、朝夕のお日様の方から来たでしょ。悲しい習慣りは、止めにしましょう」 元は、と云えばヒミコは、一般の子と区別するために、その削がれた耳を、おカッパ頭で隠し、人里離れた境内で “人身供儀用” として、大切にそだてられていた三歳~七歳までの幼子のうちの1人であったが、その口寄せが 「よく当たる」 ことから、その厄を逃れていた。この一件でカリスマ性を増した卑弥呼は、銅鐸を中国・魏から取りよせた銅鏡に替えさせた。初めて見る銅鏡に修厳者達は驚愕した。並みの驚愕ではない。太陽の光を反射するその鏡は直視することが出来ない。 目を閉じて地に‘ヒレ伏’した。日巫女さまの云うことに間違いはない! 早朝の戸口に白羽の矢を立てられれば、否でも愛児を差し出さねばならない社会制度。 雨乞いや厄災時には“その命”神が召すのだと! 稚児たちを殺めた。 一度使った刃は二度と使いたくない。出雲の大量の銅剣は、犠牲者の数だ。 このような「衆生雨乞いのための社会制度」に、不満がくすぶっていたから、卑弥呼の提唱する“銅鏡象徴文化”へと、容易に変わっていく。 しかも、ヒミコさまは、その銅鏡を下さると云う。 荒神・銅鐸文化が発達し、卑弥呼(銅鏡)文化へと変わった所には、 「その神二度と起こしてはならない! その剣二度と持たしてはならない!」、と
不使用にした銅鐸と銅剣が持ち寄られ、それぞれが 別離させて“封印”されている。 その「雨乞いは」、村人こぞりて行う大行事であり、その埋め場所は “衆知の事実”なのに、その銅鐸や銅剣が、ごく近時まで盗掘の被害に遭わなかったのは、墓泥棒も恐れるほどの “祟り”があったからだ。しかし、銅鏡にかえても欲しい雨は降るとばかりは限らない。「やっぱり荒神様は、生娘を欲しがっているのだなぁ~」と歴史は続いていく。 
以上が解れば、「主題の、大量の銅剣捜しは」簡単だ! 出雲では、すでに、その両方が出土しているから、
これに習えばいい。←この詳細は、myブログのカテゴリー「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣と銅鐸」へどうぞ^^!
魏からの銅鏡数100個=出雲銅鐸数39個+<吉備銅鐸数23±α個>+神戸銅鐸数14個+野洲銅鐸数24個
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 2016 / 2 / 04(木)        
 この日の気温は10°C前後で晴天。総社市鬼ノ城(きのじょう)へ着いたのは午後の1時頃、平日のせいか、60~70台停められる駐車場には、10台ほどしか停まっていない。観光の時期を外れるとここまで足をのばす人は、歴史に興味のある人か健康志向のハイカーしかこないようだ。ここから車で10分ほど走ると目的の岩屋へ着く。それでも、10台ほど停められる駐車場には2台の車が停めてあった。目的は(自説)卑弥呼が関係したとする大量の銅鐸(予測数23個)が埋められていると推察している岩屋(宮?)の裏山で、その銅鐸が埋められているとした場所をピンポイントで写真を収めておきたいとの思いからだった。というのは去る1月23日、岡山県立図書館で、著名なお二方の吉備の歴史についての講演を受けたことに影響された。

 以下、その講演の概要
<吉備の弥生文化と青銅器>
 日時 平成28年1月23日(土)  午後1時~4時
 場所 岡山県立図書館多目的ホール(岡山市北区丸の内2-6-30)
 主催 岡山県古代吉備文化財センター
     ■  弥生時代の瀬戸内地域の交流と吉備地域
         田崎 博之  愛媛大学文化財調査室長・教授 
     ■  吉備の銅鐸  (仮題)
         難波 洋三  奈良文化財研究所埋蔵文化財研究センター長

<御講演で “銅鐸”についての所感>
銅鐸は四千年前、東北地方に降臨した巨大隕石(奥州市、岩淵國人先生「縄文超々巨大津波」文芸社)=荒神=竜神=水神を呼び寄せ乗り移す媒体だと、すでに謎解きしていたが、具体的にどんな使われかたをしていたかいまいち解けていなかった。
①流水紋は、その時の津波紋だとすぐに分かったが、綾杉紋は初めて聞く言葉である。御講演を聴きながら思いついたのが地震波ではないかと? 三角紋は巨大隕石が飛ぶ時の光り輝く隕石光だとすでに謎解きしている。銅鐸文化の根幹には、四千年前の大事変(myブログで)の巨大地震と大津波(宮島辺のご先祖は、朝南から朝来たと云い津波高約16・7m?myブログ)が大きく作用している。
②銅鐸のすそ部の柄、四区紋から六区紋について、
四区は区画四方かと思った。つまり、東西南北の四方の気から神を呼び寄せ銅鐸に乗り移って貰うためのもの。それに天と地が加わり六方の考えへと移行した。シコで変換すると四股、四戸が出てくる。「シコを踏む」とか「六方を踏む」とかの言葉もある。さらに東西南北を分けて八方(郭)へと移っていく。そして、八方に天地を加えて十方へと移行した。十方暮れ等の言葉もあります。
③銅鐸上方の粗雑に開けられている穴(他の精巧さに比べて)について、
難波先生は、「銅鐸は湯沸かし器でその穴は燃した時の煙穴」だと云った人がいた。とユーモアを交えて仰ったが、ふと、そのセンもあるかもと思った。というのはこの時期、吉備津さまで鳴る釜の神事があると聞いている。その神事がいかにされているのか知らないが、銅鐸でいうと、荒神様を呼び寄せて荒神が宿った時になにかの変異がなければならない。私は、新築時に悪しきを払うご祈祷をして貰ったことがある。湯釜の上の蒸篭(せいろ)でもち米を蒸す。その時、共鳴共振現象が起きて「ブオツー」と鳴る。鳴る時ばかりはないそうだ。銅鐸を吊るしてその下で火を燃す。すると、舌が揺れて銅鐸をたたく? 円形にしたのではたたき辛いから楕円形にか^^? 神事を終え熱く憑いた銅鐸荒神を冷ます時、素手では熱くて持てないので、その粗雑な穴に棒かなにかを突っ込んで水に漬ける。この事は、結果として埋めてあった銅鐸の錆付きや土を落とす事となり、銅鐸の長持ちにつながる。いずれにしても吉備津さまの「鳴る釜の神事」の子細を知りたいと思う。
④銅材料について、
銅鐸の銅材料から、年代、産地を割り出す方法があるとは、新聞か何かで見たことがある。
詳しいことは、素人には分からないが、段々と立派なものにしたいのが世の常^^! さらに、より裕福な郡(こおり)ほど、大きなものへと造り替えていった。この場合、現在使っているものに材料を足して新型大型へと造り変えたことも考えられる。特に、吉備地方は破壊文化(田崎先生)があることも知った。 さて、銅製材や銅鐸の拡布だが、私は『徐福達を外しては語れない-myブログ』と思っています。彼等は、その製法や製品、はたまた薬事治療を持って、人足や列島各地の珍宝薬石を集材し、中国の旧正月に合わせて中国へ送り届ける交通網を作り上げた。陸路は出雲から備後へと、そして出雲・千屋を経由して備中へと。さらに、敦賀湾から愛発関を通り琵琶湖へと。海路は田崎先生に勉強させて頂きました。TVで村上水軍を先祖にもつ秦(性)の人がいました。
⑤銅製品のお金的価値(難波先生)について、
興味ある考え方ですね。それが判れば食料生産量等から その群落が持つ人口数等も推察出来そう。昔の人がいうに「一畝一俵、一株一茶椀、一穂八十八粒、大人一食1、5合」 と教わりました。                                      以上、思いつきまで、□

< 公園デビュー(予告 )出来なかったのは、全て自分のせい >この講演(1/23岡山県立図書館) の最後に、「時間のつごうで、お一人だけご質問をお受けします」と頂いたのに挙手が出来なかった自分の不甲斐なさを思うと悔やんでも悔やみきれない。120名の歴史家の方達のまえで、( 新米ママが我が拙論を連れて) 公園デビュー出来たのにと思うと残念でならない。願ってもこない千載一遇の好機を逸してしまった。 これで又、広報の振り出にもどってしまった。 ・・・・・、 今となっては、それ(大量の銅鐸や銅剣)を 自分で掘り上げるしかない! ! 

<こんなこともあっての岩屋寺の探索である。二度探索した>
  岩屋寺観音院
    ○○時代のその昔には、東の比叡山と並び称されるほどにぎわっていたとか。
  岩屋寺観音院

  鬼の差し上げ岩
  岩屋鬼の差上げ岩

岩屋という地名は、この人手とも自然風化ともつかない姿形をした巨岩に由来する。そして「鬼の差し上げ岩」と呼ばれるのは、鬼が差し上げたとする(右手の)痕が巨岩の下方についていると伺った。それをネットで知った若者連れが下にマットを敷き寝転んでその霊気をもらう パワースポットとなっているとか^^!。 近年に下部が崩落し、危険なことから、現在は、縄を張りめぐらし立ち入り禁止となっている。

  鬼の差し上げ岩と、同じ敷地内にある岩屋寺金堂
      岩屋寺金堂
この先の記述(3頁分)は、地区のご迷惑や 歴史破壊に繋がるから^^!
( '16, 2/15 現で! ) ブログには揚げない〔極秘〕未公開 とします。この先は、先様でお考え下さい。長駄文にお付き合い頂きまして、ありがとう御座いました^^。 
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<記事が中途半端 になって真に申し訳ありませんが>
このあたり一帯は、鬼ノ城の観光地化に伴い、心無いハイカー(私自身^^!)もあるのでしょうか^^! 「私有地・地主さまの協力のもとに成り立っている」 との立て看板がありコースを外れての立ち入りが禁止されています。

<卑弥呼が埋封した大量の銅剣や銅鐸の埋め地を 「ここぞと推定しても>
立て看板には、『樹木の伐採、草木の採取、土石の掘削等は県知事の許可がいる』 と書いてある。埋蔵文化財は貴重な国民の共有財産です。文化財保護法では,周知の埋蔵文化財包蔵地、またはこれに隣接する土地において土木工事などの開発事業を行う場合には,都道府県・政令指定都市等の教育委員会に事前の届出等を,また新たに遺跡を発見した場合にも届出等を行うよう求めている。その発掘費用(今から18年前の見積もり数百万円!アーカイブ2008/4月へどうぞ^^)は原則的には地主持ち。素人が勝ってに掘り出しても専門家のお墨付きがなければ意味がない^^!。

さらに、土砂災害防止法では、土砂災害のおそれのある地で『上記』のような作業をする場合、あらかじめ規定の届出をせず、又は虚偽の届出をした者は科料が科せられる。宅地又は垣、柵等で囲まれた他人の占有する土地に立ち入ろうとする場合においては、その立ち入ろうとする者は、立入りの際、あらかじめ、その旨を当該土地の占有者に告げなければならない。等の規定もある。実績のない素人が 「ここに、卑弥呼が埋めた大量の銅剣や銅鐸があります」と言っても、だれ一人(専門家が)相手にしてくれない現在、その申請書がとおるとは思えない。

このように、二重三重四重の幾多の困難が待ち構えている。金属探知機をかつげばいいのだが。それでは意味が半減する。素人探偵がたどり着いたように、 「地名と、地勢と、その歴史的背景」 を探れば、ピンポイントでその埋封地(筆者の造語)を特定できることに意味がある。
   ドがつく素人が、スコップ片手にツルハシかついで掘る前に、先様の“お許し”が要る。
     たがために、血反吐吐くかや、時鳥(ホトトギス)、おぼろなりとも、月さえあらまじ
       ( カテゴリー<ゲスト様>粗茶室より
闇夜のホトトギス。 その口内は、血反吐を吐いたような赤い色をしている。温暖化のせいでしょうか? その不如帰(ホトトギス)の声も年々少なくなり、今年は当地で一度も聞いたことがありません。 

史実探偵: 平 素人
(5/29記) 5/26に、ご訪問のお客さま> 3拍手をありがとう御座います。気付くのが遅れました。コメントを下されば助かります。コメント欄は、最下段のC0をクリックして頂けると表示されます^^!
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