卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」
此処に出雲と同様、“大量の銅剣”が埋めてある! 全国歴史ファンの方々、三上山に集合せよ。
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<出雲竜を縛り付けている銅戈&勾玉を捜せのⅢ- 掘り上げろ!>
<出雲竜を縛り付けている銅戈&勾玉を捜せのⅢ- 掘り上げろ!>
                                      (2017/6/25∼8/15)
                     皆様へ>
          この記事の相手をして下さる方を捜しています^-^!。 
筆者の言うような施設が、ここになければ今、私たちが行っている歴史はないと断言できる。
その巨大隕石を 竜というか大津波や巨大地震を 大鯨や大鯰と云うかは表現の違いである。
 伝聞に耳を傾け、すべてを受け入れ 「目から鱗・や爪」を取り去ればより多くが見えてくる。
かれこれ送信を始めて2千通になります。それが出土してからでないと、「それと認められない貴方さまにだけは」 、なって欲しくないものです。
                              ( 史実探偵: 平  素 人 )
新情報<法師崎のやまある記>坪背山
    http://www.geocities.jp/houshizaki/tuboseyama.htm
    この記事より、その場所をピンポイントで絞り込みませんか(^-^)?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  以下は、 青面金剛さま>より、有り難いコメントを頂いて考察した記事です。
「鷺峠は近づくべきではない」
青面金剛
| URL | 2017-06-17-Sat 15:43 [EDIT]
 平 素人 様、古代史掲示板から来ました。鷺峠は出雲の大神が幽閉されたところ故、地元のタクシーの運転手も、通ることを避ける場所です。幽閉した犯罪者側が、王権の象徴である勾玉や銅矛などを埋める訳も有りません。発掘など、地元の方々の感情を逆なでする結果に成ります。
 また、古い銅山の辺りは、地下の坑道が複雑に入り組んでいて、長い年月の風雨により、坑道の上の土が薄く成っている恐れも有り、それを知らずに歩き廻ると、平さん自身が坑道に落ち込み、閉じ込められる危険性を知るべきです。
出雲の歴史については、大元出版の本をお勧めします。
最初の一冊には、『出雲と蘇我王国』が好いでしょう。
http://www.d1.dion.ne.jp/~kunado/index.htm


鷺峠は近づくべきではない」 のですね。 平 素人 | URL | 2017-06-23-Fri 23:31 [EDIT]
青面金剛様>コメントありがとう御座います^^♪  PCの不調でお返事が遅れました。
<鷺峠は近づくべきではない>のですね。大変貴重な情報を頂きました(深礼)。
前のコメントから〇カ月ぶりのコメントです^^!。「卑弥呼からの伝言」についての送信は20年前からで、「出雲竜を〆縛り付けている銅戈と勾玉」ついては、10年前からですが、歴史全くの素人が「ここにそのお宝が埋められている」と提言しても、私が尊敬するDr.いずも氏を除いて全く無視され反論さえ頂けない年月を重ねて来ました。身元を明かさず、「そのお宝を掘り上げれば一攫千金」というと「そんな詐欺師がいます。お金の話はしない方がいい。」と迄云われました。(笑い) 準備してます「追加情報」に、貴兄>のコメントを挿入させて頂きたいと思います。差し障りがあれば何時でも仰って下されば削除します。今後ともご鞭撻を^^!

  < 追 伸 >
 「タクシー運転手も、通ることを避ける(ほど恐ろしい)場所」 なのですね。
   そんな地元の人しか知りえない情報をお待ちしていました^^。
わたしのような素人が、それ等の埋蔵文化財を 「ここぞ!」と、特定しえても、勝手に掘り上げる分にはいきません。現実的には、それから後のほうが大変で、まずは地主の許可を得なければなりません。肩書や実績のない見ず知らずの他所者が、その仔細を説明しても、これまでの史学にないことを述べる分けですから、不審者扱いを受けるのは必定。例え一度は耳を傾けてくれても、二度目は「忙しい」と体よく断られる。ならば、「専門家に」と思えば史学から外れている事ゆえ門前払い。さらには、行政に報道にと「その報告書」を送りましたが無視される。 ・・で20年経ちました。

次には、「埋蔵文化財保護法」をクリヤーしなければならない。
知らず偶然ならともかく、それと承知しているわけですから、所管の行政、例えば県知事へ、その発掘申請と許可を取らねばなりません。その道すじがある専門家の申請ならともかく、まるで少年・こどものような稚拙な論説文等、提出するだけ無駄な気がします。
合わせて、その場所がすでに埋蔵文化財の認知場所かその周辺であれば、県の教育委員会の許可を取らねばなりません。では 「知りませんでしたと勝手に発掘する」 これって許されるかしら?

(以下は素人知識ですから間違いがあるかも知れません。) ドウゾノご訂正を^^!
こういう場所はえてして寺社領か公共の所有が多いと思いますが、そこが私有地なら、かなり強引にやれる。しかし、地主の許可が必要なのは言うまでもありません。所有者がNOといった場合は、それまでか?。この場合、地主は「私有地につき立ち入り禁止」の表示をしなければならない。 奥の手はあるもので(笑)、例え地主がNOといった場合でも、その公益性が認められれば現状に修復を条件に(立ち木等、出来ない場合はお金に換算^^?)強権をもって調査発掘が出来るようだ。その場合は、地主に文書でその旨の詳細を書留で通知しなければならない。 さらに、そこが土砂流出防止林の場合は、草木一本、土砂の一握りも乱取してはならないと定められている。但し、昔からの地元住民の山野草や、キノコ採りかタキギ取りの入会権は認められているようです。

この調査発掘の費用は並みの金額ではない。
  ウエブ等でご存知のように、その発掘は細微をきわめる。それは個人の出せる金額ではない。出雲での大量の銅剣の時には、何一つも見逃すまいぞ」と、焼き鳥の竹串や、カメラレンズ掃除のパフパフでやったそうですからその費用は推してしかるべしです。ゆえに、その発掘の多くが偶然性か、もしくは毎年の決められた予算内での公共工事前の調査での発見がうなづけます。ちなみに、20年前その道の事業所での参考費用は600万円でした。「史学にない素人の論説に、お金をかけるなど 、もってのほか!」 わたし素人探偵は、この相手にしてくれないことを逆手にとり、私有地ならば、探知機とツルハシかついで、大した費用もかけずに私設観光起業化が出来ないかと^^? これが出土すれば、『卑弥呼絡みが確定し、予見した!』 とのプレミアムが付きますから^^♪ 但し、この場合“卑弥呼が埋めた!”と専門家に鑑定して頂かなくてはなりません(^-^!)。 

そして最後の難関は(出雲の人の)信仰心の厚さです。
  『 学術より信仰!』 簡単に掘らしてくれないと思いますよ。わたしが指さす「その咽首」は、出雲大社の社寺領の可能性が大です。もし、そうであれば、由緒ある千家家のお許しを請わねばなりません。神への畏れとか、祟りとかの信仰心がうすれてきたのは、新幹線の開通や、高速道路の施設のころからと認識しています。今では、「祟り」については、まったく死語化しています?
  島根竜曰く、『その〆縄を解いて、ワシを起こすと史学が変わるぞ! 覚悟してかかれぃ』

ハンドルネイム・青面金剛さま>
 青面金剛は、はじめて聞くことばですので、少し調べてみました。三眼、三角目の夜叉とか、何やらを踏みつけている」との語句が出ました。そういえば、そんな仏画を見たような記憶があります。三眼の発想は異様です。その三眼目の頂点に位置するのが鷺峠の「咽首」かと思います。夜を徹しての大祈祷などの言葉も出てきました。わたしは、銅戈と勾玉が墳墓でない命主社から出土していることに注目しています。その後の亜流はあるかと思いますが、他所に銅戈1と勾玉1のセットで出土した例があるのでしょうか。素人探偵の予見したように鷺峠と伊奈西波岐神社からの出土に至れば、卑弥呼が絡んだことが確定します。なぜなら、長さ60km幅5kmの島根半島を竜に見立てる発想は、四千年前の大地震で破砕半島にした歴史の覚醒(Dr.いずも氏 言)と、銅鏡100個を受けて銅鐸文化から銅鏡文化へと変えた卑弥呼以外には考えられないからです。竜は中国からの伝来が定説ですが、私は、そうは思いません。四千年前、大陸にまで達した巨大地震と巨大津波の探検と不老長寿の薬石を求めた徐福等が、その探検におよんで列島人から聞き集めた “巨大隕石が飛んだ、モンタージュ画の逆輸入” だと、前述記事で謎解きしています。

「信仰心を逆なでする」 竜の逆鱗に触れる!
  前々の記事で 出雲の島根半島西端の日御碕の立っている所は玄武岩柱の噴出があると出雲のDr.氏に教わりました。“宇竜”の地名やら、海底階段の発見やらで、そのDr.と共に、それを「竜の逆鱗、竜の火舌」と名付けたことがありました。そのいきさつは前々の記事で参照して下さい。その地の「探索は陥没の危険をともなう」との御忠告に感謝します。Dr.からも子供のころの探索で大人にひどく叱られたとか。飛蛇(トビョウ)も出るとか。私は、横井さんや小野田少尉を見つけだし『男のロマン』の名言をいった、かつての鈴木青年のような、自費や命を賭してまでの勇気を持ち合わせていません。頭脳寿命も衰えてきました^^!。没後のために拙論を歴史に刻んでおくのみです^^!。□

<追加情報> 2017/05/30 ∼
その1. 地方名<杵築・きずき>について、
 杵築の地名が妙にひっかかる。この杵築は、大社を含めて東西南北がある。筆者が“それと見当”をつけている円形地形(35°24′54.79″N,  132°40′53.26″E,)の行政区が鷺浦になるか、杵築にあるのかは分からないが、「杵・きね」とは、餅をつくキネとあるように、ツキ固める意をもつ。それに「築く」がつけば、何かを突き固めて「何か」を造った意になる。つまり、その円形(に見える)場所は、土を突き固めた“版築土塁”ではないのか? 版築土塁とは、塀を築いたり、河川の土手を築く工法である。今、国技館での土俵も土を突き固めて造っている。その中心に「何かを埋めるのか埋めないのか」を知りたいと思う。もし、それが銅戈や、勾玉に関係するものであればここに、その銅戈と勾玉が埋められていることが確定的となる。      

その2.大の字の地形と泉水(仙水?)について、
 その咽首(筆者がつけた仮称)の地図をよく観察すると、西を上にした大の字の地形にある。大の字はガリバーと小人の国や、呪いのワラ人形と前述したように、島根竜の要(かなめ)であり、そこに 「最新兵器の銅戈を五寸釘のごとくに打ち付けた」ことにもなる。さらに国土地理院の地図をよく観察すると大の字の太い字の部分に「川の印」がついている。普通にこのような地形は数限りなくあり、特に川の印を記入する必要もないと思うが? これは、他の神社でよく見かけることであるが竜の口から泉水が湧き出ている施設がある。その泉水には鉱物等を含んでおり薬水にもなると聞く。そして、咽の字の字形にも注意して頂きたい。因の字形の内に大の字があり、その脇に口がある。そういえば、力士が相撲をとる前に、口をススグのは、ここから来ているのではないのか。ここ島根半島はグリーンタフに接しておりそれ等の鉱水が湧き出しているところが、いたるところにあると思われる。もし、これが当たっていれば、その太い字の点部分には遺跡やイワレが残っているはずだ。筆者はそれ等のありやナシやを伺いたい。
 <鷺峠> 咽首(仮称)の‟大文字地形”と、それは“仙水か”? (国土地理院地図に加図)            竜の咽首041
   35°24′54.79″N,  132°40′53.26″E, h345m。 ☜ ここに、銅戈と勾玉を埋めてありか 

その3. 鷺浦の祭りについて
 鷺浦の地区には、竜に模した荒縄で練る祭りがある(ネットで見ました^^)。これはその昔、巨大地震によって暴れまくり(破砕半島と云われる←Dr言)島根半島竜の首っ玉を縛り付けた名残りと見ることができる。もし、そうであれば、大社側から鷺浦までの約5km余に荒縄を実際に沿わしたことになる。この件は「ああそうか」では済まされない。なぜなら、それだけの量の稲わらの収集を考えねばならず、その収集を可能にした水稲栽培域の人口数や、それを提唱する人物や通念までもが浮かび上がってくるからだ。しかし、さすがに、島根半島竜のこの距離を縛り付けておくのは大変だから、今では、出雲大社の大〆縄や、横綱のマワシに“象徴として”略しておこうとなった。(笑い)このように、今私たちが為している神事や行為に、この謎解きのカギは潜んでいる。(中学生諸君に^^!)

その4. 咽首 ( 仮称 ) の円形地を考える
       『ドンの首』 のことばを聞いたことを思い出しました。今後そこをドンの首と呼ぶことにします。
  ドンの首(ブログ用)
  坪背山
この直径30m程の円形地?を(版築土塁=土俵)造りだとすると、その上部は平たく均していなければならない。その上で武神である力士はシコを踏み塩をまく。なぜ塩をまくのか。これを私流に解釈すると、島根半島は、前述のような巨大竜であり、竜は火を吹く火竜であり、大雨をもたらす水神でもある。 『火竜ならば海水の象徴として塩で鎮火しておきたい』 と思うのが無理のない展開^^? 今に開店時に塩を盛るのは。「ヤク神さま、どうぞ暴れないで下さい」 との願いからではないか。それほどの大行事であれば、その歴史はしばらく続いていたと考えられる。それが卑弥呼からだとなると千年以上たっているから、その塩分の多くは雨で流れ去るだろうが、薄く染み入っているかも知れない。正確には土壌分析の調査をしたい ・・と、このように終えるつもりでしたが? 大きな疑問が生じてきた。・・・・・・・、

 340mの丸い等高線より上に5mの盛り上がりがある。そのイメージは土俵ではなく土饅頭に近い。土俵仕様でなければ、上記の考えはまったく役にたたない。今まで営々と積み上げてきた謎解きは、この一事で全てが瓦解してしまう。思いだせば吉備地方・倉敷市船穂町竜王山で、この土饅頭形の頂上があり、その地形に不思議な感覚を味わったことがある。そういえば、船穂町竜王山では、南東の方角にある小さな祠に青い花シキビがたむけてあった。さらに、倉敷市・鬼山、足高神社には小さな土俵(月別アーカイブ2016/3月)が設えてあった。出雲の「ドンの首」でも、それ等と歴史的つながりがあるのか?
     ・・・・ご先祖さま> どうか、この関係のありやなしやを教えて下さい。

「神官は、頭上のすすを お祓いし」、って川柳がありました。
こども心には、そのすす払いが四千年前、出雲にまで届いた巨大な津波の白波の形に見えてなりません。
皆さんも御一緒に、出雲大社にお参りし、頭をたれて『現史学』という、そのススをお祓いして貰いませんか^^? ゴメン言葉がすぎました^^!。 ( 拙「出雲弓ヶ浜の成因」より、)

その5. 「 ドンの首」の饅頭形が気になる、 … どうも気になる。・・・
・・長考・・、 そうだ!土饅頭との考えが間違いではないのか。実際にその地を探索してないので何とも言えないが、これは鏡餅形を表してしているのではないか。以下、鏡餅形として考えを進めてみよう。鏡餅=銅鏡と考えることが出来る。この大祈祷は、卑弥呼が関わったとして、銅鐸文化から銅鏡文化への変換期でもあるから、その線でもいける。埋蔵物は「銅戈と勾玉だけ」と固執したことがいけなかった。それに銅鏡をプラスすればいいわけだ。卑弥呼は、彗星のニアミス時その退散祈祷により、それまで永々と続けてきた“雨乞い水神竜”から、『お天気を司るのは太陽であり竜神様は、そのお使者であるよ』 として太陽主神説を唱えた。(この詳しくは初頭ブログで)のであるから、銅鏡も一緒に埋めた可能性は大である。鏡が一緒だとすると、その歴史は、鏡開きや天岩戸の神話 へと、都合の悪い方へ、さらに広がりそうだが、いずれにしても今、出雲大社での催事の詳細を知りたいと思う。

その6. 三方・さんぼう>からの考察
三方は、神に鏡餅等の供物をお供えする用具で、折敷(おしき)と呼ばれるお盆の下に胴(台)がついた形をしており、その胴に三方向の穴があいていることから、三方・三宝(さんぼう/さんぽう)と呼ばれ、台の穴は宝珠の形やハートの形があり、主に桧の白木で作られている。台の形は、四角が一般的であるが丸い筒状のものもあるようだ。
    http://ameblo.jp/izumo-shintotsukawa/entry-11744162888.html
筆者が注目したいのは、三方にあいた穴である。「なぜ四方でなく三方なのか?」 この刳り穴は只の装飾とみる考えもあるようだが、はたして、そうであろうか? 一般的に言えば、仏具がきらびやかな装飾に進化しているのに対して、神具は一切の装飾を廃し、白木や白磁様の簡潔なものとなっている。このような供物台の制作の進化を考えると、皿・盆に足をつけ、高坏・たかつき状になっていく。なのに、台や胴部の内を空洞につくり、しかも、ジョウゴ状の刳り穴まで開けている厄介な造りになっている。素人的には、神に対して一切の汚れを落とし簡潔にしたいのなら棒状に切った木をくっ付けた形にすればいいと思うが? そのようにしていないのは、何かの意味があるのではないか。 
 <何を狙っているかというと> 
青面金剛さまや、Dr.いずも氏>が言われた「何やらの神を幽閉した」 とあるように“閉じ込めておく為の空洞ではないのか” それが悪しき神か、善なる神かは知らないが、歴史を遡ると、前述の“環状木柱列”で謎解きしたように「冬至の旭光=荒神」を招き入れ幽閉する為に背後だけには穴をあけずに三方とした。その光を包み込む為なら、その穴は木箱に入っている大黒様のように前方だけの穴あけでよいと思うが、それが推めない。 どなた様かご教示を!

 筆者の推理が正しければ、その咽首の円形地の “南東の方角にその坑道の入り口をふさいだ大岩”が現存していなければならないし、今、鷺浦でのお祭りで桧の丸太の“幟・のぼり”を立てているように、 “円形地の四方に掘っ立て柱の痕跡”がなければならない。そして、その坑道〈穴〉の中にそれぞれの象徴である勾玉と銅鏡と銅戈(も?)が埋まっているのは言うまでもない。蛇足ながら 『その穴の中で、銅鏡である大黒天様が、四千年前の冬至の朝に暴れた島根竜が二度と暴れないように鎮め守って下さって居ます』 ということだ。 但し、その探索や発掘によっての危険や、それより何より「神をも畏れぬフトドキ者めが」と、 “その祟り” を貴方さまが被っても、(スパイドラマ風^^!)当方は一切の責任が持てないので自己判断と自己責任でお願いします^^。 

その7. 坪背山、付名の不思議 
 さらに、この円形地の西〇mの所に坪背山がある。なぜ「坪背」と付名したのであろうか。少しこじつけになるかも知れないが、坪の字を分解すると「土を平たくした」にも読める。平たくした土俵の真ん中に鏡餅や盤座は置けない。そういえば、この近くに<太々山・だいだいやま>があった。これも今の橙・ミカンに関係するのかも知れない。「背」とは何かの後ろを意味する。後ろであれば、今の催事で金屏風を背にしているから屏風風の岩があるかも知れない? 鏡餅、それをお供えした三方・さんぼうの後ろの意か? そして、その岩が南東の向きであれば “武神”を刻むか、それらしき名前で言い伝えられているかも知れない。
 この冬至の旭光を銅鏡に招き入れ封印、あるいは入魂する考えは、環状木柱列・ウッドサークル 月別アーカイブ(2009/6月)
で前述したが、・・・まてよ・・・・、 大の字の左ハライ部の先に「大量の銅鐸が出土した加茂岩倉があるのではないか?」 ・・予想は的中した。その南東を指したハライ部の先に加茂岩倉があった。この問題は、大量の銅鐸を埋めた加茂岩倉が先か、銅戈と勾玉と銅鐸を封印した、この円形地「竜の咽首」が先か?に通じる。筆者は、確信はありませんが、①竜の咽首(銅戈・勾玉・銅鏡) ②加茂岩倉(大量の銅鐸) ③荒神谷遺跡(大量の銅剣)の順で封印したかと思います。

   その大祈祷は、冬至十夜に始まり、一月の松の明けまで続いたのでしょうか^-^?

その8.<では誰が埋めたのか> →<卑弥呼の謎解き その後と付言、そのⅡ.>を新設します。
 次の話は、推理とは言い難く、想像といった方がいいと思いますが、とお断りして・・・・、
筆者は、その銅鏡(出雲・鷺峠大文字の銅鏡)が出土するまでは、それが卑弥呼だと断定したくありませんが、おそらく卑弥呼だと? 卑弥呼は、竜神雨乞い文化が永々と続いていた瀬戸内の「里木」という所で生まれた。(ヒミコは一般名で櫛稲田姫?)後に卑弥呼と呼ばれるようになったこの子は、里木神社の祭神を父に持ち、やがて娘となり、出雲の男神に嫁いでいった。その仲人・媒体役をしたのが、高梁川の河口に住んでいた秦(はた・総社市)の人たちだ。この人たちは不老長寿の薬石を求め列島を探索した徐福のながれを持ち出雲とも陸路で通じていた。卑弥呼は幼少時から予知・予見能力が特にすぐれ、当地の長で大陸人とも交わりのある父の影響をうけて大陸文化の知識ももっていた。それが、当時の中央都市・八百万の神が集まるという出雲にも伝わり嫁?として請われたわけだ。

卑弥呼は、常々幼児を慈雨と交換する「雨乞い文化」に疑問をもっていた。時もおり、暁の空に現れた荒神・彗星を太陽のお使者だとし、それが全天に広がると予見し、その退散祈祷をおこなったことは、頭書ブログで述解している。この話しが、列島を股にかけ大陸との交易をおこなっている秦の人たちの手助けしている列島人を通じて全国的に広まった。もとより、幼児を生贄とした雨乞い・社会制度に、嫌気がさしていた人々は、卑弥呼の言う太陽主神説に容易に従う。 しかも、卑弥呼さまは、それまで使っていた銅鐸を太陽光を放つ銅鏡と交換して下さるという。この交換は出雲を始まりとし、その卑弥呼の出所の「里」でもある吉備地方へとなった。その吉備地方総社・岩屋に封印されている大量の銅鐸と、その周辺に埋められている銅剣は未だ発見されていない。

さらに、卑弥呼は東進し、神戸でも銅鐸を銅鏡に換える封印祈祷をおこなったと前述している。
<姫路の地名は>、卑弥呼が輿・こしに乗って千人(多人数の意)の従者を連れての大旅行に由来していると謎解きした。途中の人たちは、その卑弥呼さまのお輿を、「決して目にしてはならぬと地にひれ伏した」 なぜなら、不用意にそれを見てしまうと己の目が見えなくなってしまうと信じられていたからだ。この件は四千年前の東北に光臨した巨大隕石が放った閃光によって眼底がヤケドしたことに由来すると謎解きしている。それを魏志倭人伝では「虫のように草むらに隠れる」と称している。これは後の大名行列での土下座となった。 さらに、卑弥呼は野洲にもおもむき、ここでも銅鏡を与え大量の銅鐸と銅剣を封印した。しかしながら、神戸と野洲では大量の銅鐸は発見されているが、大量の銅剣のほうは未だ出土していない。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて<ここからは、本邦初公開の素人探偵の大想像です(笑い)>
卑弥呼は、野洲からの帰路についた。・・・が、長の旅の疲れがドットでて箸墓でその命を終えた。弟子たちはその遺体を出雲まで、せめて出生地の吉備の里へと持ち帰りたいと思うのが心情だ。しかし、それは出来ない相談だ。そこで、この地に墓を築こうとなったのが箸墓古墳だ。当時は土葬が一般的であったが、卑弥呼さまは特別な人だから、火葬にしよう」となったのかも知れない。その分骨を帰路の吉備の総社でなしたのであろうか。吉備地方で古墳群・古墳期が発達したのは、その影響があったかとも思われる。

その後の歴史は、素人のまったく識らぬところであり、ましてや、邪馬台国論争には立ち入れるものではないが、卑弥呼が魏から受けた100枚の銅鏡のほかに長剣や金印がある。長剣はともかく金鑑は卑弥呼個人のものであり、他の人には用をなさないものである。当時に、それを押印する紙が一般的に出回っていたとは思えないし、旅先にまで、その金印は持ち歩かない。卑弥呼はその印鑑を出雲に残したままあの世に旅立った。その金印は、その分骨や遺品とともに埋めちゃえ^-^!となるのが、無理のない展開。 その円墳は出雲にある!! ・・・どうぞ、その探求を!!

最後に<卑弥呼の出所、誕生地>であるが、
先に、卑弥呼の生地として吉備地方をあげておいた。筆者は「吉備地方」をどこからどこまでを言うのかは知らない。倉敷市船穂町に里木貝塚を前にみる所に「里木神社」がある。詳しくは覚えていないが、このところの立て看板に、この神社の祭神を父に持つ娘(櫛稲田姫)が出雲の何やらの神に嫁いだと記されている。船穂町は、海抜5m~6mのところにあり、今では倉敷市に合併されている人口一万?に満たない小さな町である。その昔は海辺であったことから、道路施設前の「前田遺跡」の調査では、製塩に関係する土器が出たそうだ。この船穂地区を昨年の10月に絶版となった、拙著の電子出版、極秘報告書「巨大隕石と大津波」で “竜神雨乞い文化のモデル地区”だと提唱した。その理由は、わずか10km平方のところに竜神雨乞い文化に関係するすべての地名が具備されていたからである。

<后王>という地名の不思議
この船穂町北谷に<后王>という地名がある。皇后様の「后」であろうか。聞く範囲ではその読み方さえ知らない。とくに歴史的に取沙汰されることもないような、この小さな集落に「后」の字は大仰(おおぎょう)である。天皇さまの地名は各地で聞いたことがあるが、男社会のその昔からだとすると、女名のこの地名は大層すぎる。その谷あいに小さなため池があり、それにに付随して小さな祠はあるが、それとてどこにでも見かけるようなもので特筆すべきとは感じない。その地名が “淘汰されずに残っている” 事態に大きな違和感を感じる。それが、今の今まで残されているのは何かの訳がある。もし、ここが出雲へ嫁いだ卑弥呼の出所で、里木神社の祭神を父とし、卑弥呼の母御に由来するものであれば話しは面白くなってくる。ちなみに、この「后王」の地名は、国土地理院発行の船穂町の詳細地図で見つけたもので、その地に住んでおられる人さえ聞いたことがないような地名であった。 (以上、素人の本邦初発表でした。^^!
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その9.冬至の旭光の封印儀式
このドンの首の円形地は、今から四千年前の巨大隕石が放った「冬至の旭光」である荒神を銅鏡に招き入れ幽閉する為の施設である。南東に向かう坑道を掘って前の晩から待機し、その日の出の瞬間の旭光が射すのを待ち受ける。そして、幕内力士が行う土俵入りの所作を思い出して頂きたい。両の手を挙げてその光を招き入れ柏手を打つ。皆さんは、その後の所作で “化粧まわしを掴みあげてストンと降ろす所作”に不思議を感じませんかぁ。しかも一度だけ? 寂しすぎるし、なにか拍子抜けに感じる。わたしなら二度三度と上げ下げして派手にやりたい(笑い)。それは絶対しないで下さい。せっかく取り入れた光神様が逃げ出してしまいますから。

 前述の富山県や石川県にある環状木柱列(ウッドサークル)の記事を読み返して頂きたい。 
東南部の入り口の柱の上に横木が復元されていた。そして、岡山県倉敷市船穂町の高量山の記事ではその旭光の “影をつくるため” のノボリが立てられていたと推理した。であるならば、ここ出雲でも、そのような柱が(北緯〇〇度、東経〇〇度)あたりに立てられていた筈である。その掘っ立て穴の跡を是非に発見けたい。
鏡餅形の南東部の坑道には古墳形式の石の門構えが為されていて、その門は大石の扉で、決して開けてはならずと閉ざされている。さらに、その上には土を被せていると思われるが千〇百年の時を経て、その表土は、青面金剛さま>の言われたように薄くなっているかも知れない。
ここ出雲の“ドンの首”は、それらの歴史の“始まり”である。祖先からは、そのように伝聞している。
  筆者の言うような施設が、
       そこになければ今、私たちが行っている大文字の歴史はないと断言できる

さて、貴方さまは、それが出たら騒ぐタイプですか^^? それとも、今ほかの事が忙しくて、そんなことには関心がない方ですか。いやいや、そこは墓泥棒も恐れたところ 『触らぬ神に祟りなし』、その祟りが恐ろしいから近づかない方がいい、と思われるお方なのでしょうか。(笑い)

その10. 以降は、皆様にお譲りします。・・・、 今回はとりあえずこれまでにします・・・・^^!  ('17/8/15)□

    ・・・ 貴方さま>の情報をお待ちしています。・・・・^^、
青面金剛さま>貴重な情報をありがとう御座いました。
    おかげさまでより深く追求することが出来ました。 今後もよろしくお願いいたします。



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