BC.2001年の巨大隕石!祖先からの伝言(英訳用の原文です)
1996 March 17;
祖先が、私達子孫に残した謎の巨石遺構物がある。 有名なものに、イースター島の石像、イギリスのストンヘンジ、フランスのカルナク列石がある。 そして、ストンサークルがノルウェーやスエーデンに、日本にも(北海道・忍路にストンサークル、秋田県・大湯に環状列石)がある。 なぜ、これ等の遺跡が造られたのか決定的な答は出ていない。 その目的とするところがはっきりしないのである。 紀元前2000年頃より始まった、これ等の遺跡が<同一の>巨大彗星の(衝突)を引き金にしたとの推論に至った。
信じられないことではあるが、この大惨事でも絶対多数の人類が生き残った。 否、むしろ大干ばつに苦しんでいた人達にとっては、それがもたらした慈雨によって救われたと言い換えたほうが良いかも知れない。 この大事変は、人々の心に神の存在を植え付けた。 これは、人間が、集団で行動をとる核となる。 つまり、人々は、神の存在を信じ神格化した人物をつくり、その人物の意志でうごく集団社会へと発展した。 そして、この事は、取りもなおさず、巨大なものの建造が可能になったということでもある。
日本の秋田県・鹿角市にピラミッドがあるという学者があらわれた。 三角錐状に整形されたという高さ80mの頂上付近から、石器時代の土器も発見された。 この説は一部でとなえられているだけで、まだ一般には受けられてはいない。私は、巨大隕石に興味を持っていたので、それに結びつけて、その方向性に注視した。この黒又山と呼ばれている北西の稜線を延長していくとストンヘンジやカルナク列石があった。さらに、この延長線上にイースター島があったのである。予想は見事に的中した。しかし、西瓜の表面のどこに印を付けようが、(任意の)3点では包丁で切れてしまう。(fig.1)
(fig.1) 彗星の軌跡

彗星が、太陽系へ侵入した推定 軌道図 !
北半球・冬至( winter solstice )

イースター島上空から進入しドーバー海峡、シベリアを経て日本の東北地方へ!
鹿角市の大湯(黒又山・クロマンタ) → 三角錐に整形か?
管理者からのお願いと、お詫び :
絵を載せるには、色々な制約があったり、その方法を知らなかったりで(汗~)、予定している記事(A4-7枚)での掲載は、控えておこうかと思っています。('22/9/19に掲載)
尚、この絵は、拙著の電子出版、極秘報告書「巨大隕石と大津波」(←クリックして下されば、そのほうへ飛びます←絶版)頁12~38迄に掲載しています。
初版のこの「報告書」には、多くの誤りが含まれていて、(正)BC.2001年、(誤)BC2000年が、その一つです。
この線上に4点目はないかと捜したところ、これ等とは、少し異なるがペルーのナスカ市の岩肌に、大小さまざまな地上絵が刻まれていた。 この謎解きから始めよう。 このなかに200mをこすコンドルを模したものではないかと云われているものがある。(fig.2)
この絵を地上から確認することはできない。測量の技術もたいしたものだ。大きく広げた翼と尾羽、ガッシリとした足、それと丸い頭と細長いくちばしが印象的だ。 ところが東北へ向かって飛んでいなければならないはずの鳥は南東に向かっていた。それに、この鳥のくちばしは、曲がっていないで鶴のように先がとがっている。 ・・、現在にこの冬鳥である鶴は見かけない。 頭が丸いぃ、? ・・、 これだっ!!、 丸い頭が巨大彗星で、くちばしがその尾なのだ。そして南東に向かっているのではなくて、その方向からやって来たことを表現しているのだ。 これを描いた人達は、それが飛び去った方向より、太陽からの使者として来た(朝方の)方向に興味があったのである。
(fig.2) 講談社 Quark special(1994 04)から作図→以下同じ(着色は独自です)
ナスカの地上絵 200mを超える、(羽を広げた)コンドル??の地上絵

さらに、これ等の絵をよく観察すると、fig.3、fig.4、fig.5の、 三つのグループに分けることが出来る。
(fig.3) 講談社 Quark special から作図・着色
彗星の分散を表すグループ

fig.3、のグループは、この上空で彗星が分散したことを表現している。 但し、方向は作為している。 羽が足が、根っ子が、葉っぱが分散を表現している。 ところが、分散にしては、すこし変わった部分が描かれている。 鷲の頭、サンゴの枝、鳥の曲がった首が、それである。 これは、その分散のしかたが単純ではなかったということであろう。
(fig.4) 講談社 Quark special から作図・着色
彗星の分裂を表現しているグループ

fig.4 では、さらに、それが強調されている。長くのびた蜘の足、胸から飛び出したとも思える鳥の内臓、長く垂れ下がったトンボの顔である。 これは、分散したなかの一つが、皿のように砕けて、ヒラヒラと蛇行しながら落下したと伝えている。
それは、(軌道を外れて)メキシコのユカタン半島に落下した。 その地にあるチェチェン・イッツアの遺跡と、三つ目のグループで、fig.5 に描かれている渦巻きの謎解きは、後の楽しみに残しておこう。
(fig.5) 講談社 Quark special から作図
渦巻きの絵が付属しているグループ

( 次は、後述記です。英訳にはありません。)
彗星は、「汚れた氷玉」で、太陽に近づくと太陽風で氷が溶けて尾っぽになるとの論がありました。 素人の彗星・小惑星に対する考えは、これとは少し異なります。 彗星は、氷~岩~金属等の割合で成り、太陽から比較的離れた所や、直近やらを周回する色々なタイプがあるとみています。 いずれにしてもそれは太陽系のはるか彼方からやって来るわけですから冷え切っている。 太陽は灼熱のコロナ100万度を持っている。 彗星はその熱に炙られ、太陽に近づくほどスピードを増す。 その結果、表皮と内部に温度差ができ、これが地球の大気圏に突入すると、その表皮が剥がれてまき散らかされる。
この時の落下軌道下の、(スペイン北部?リアス?)、 フランス、 イギリス、 ノルウェー、 スエーデン、 北海道の忍路・秋田県の大湯に、環状列石と訳されているストンサークルがある。 これ等の遺跡の<類似性>を語るとき、「文化の伝達」では、それを語ることができず、そこには、「何かの」同一事象・同時性があると唱える学者がいた。 その何かがBC2001年12月24日(欧州時間)25日(日本時間)の地球を半周した巨大彗星・巨大隕石だ! それを「竜」と呼ぶか、「巨大隕石」と呼ぶかは貴方の自由だが、それを巨大隕石と呼んだら<科学で>、竜と呼んだら<伝説かぁ>と、ご先祖さまが、怒ってらっしゃいますよ。?(笑) これ等のストンサークルを、素人探偵は、 『竜のマーキング』 と、名付けました。 その巨大隕石を何故、BC2001年12月24・25日にしたかの詳細は、又の機会にしましょう。
なぜ、「衝突の日時までもが判明したの」? それは、祖先に聞きました(^-^)。
→ http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html
話をもとにもどして、
南半球の時は夏至、昼の3時頃、ナスカの上空で分裂・分散した彗星は、北東のドーバー海峡方面へ向かった。その形を衝突痕に似せているストンヘンジは巨石の落下地だ。大変な労力を費やしてまで巨石を平地へと運ぶには、それなりの理由がいる。どこでもいいやとはいかないのだ。 その方向性は、太陽からの伝言を受け取った彗星の襲来が北半球の冬至だったと教えている。 想定した彗星の侵入経路は、fig.9 に示している。
BC2000年頃に造られたカルナク列石は 「巨大隕石の廊下」ですよと云っている。
(fig.6) 学研原色現代新百科事典(1971 12)から作図 →以下同じ
(フランス) カルナク列石は “巨大隕石の廊下”だ !!
(イギリス) ストンヘンジ(ストンサークル)は “竜のマーキング”
そして、ヨーロッパでは、次のような伝説を残している。 それは12月24日の夜だった。真っ赤に輝いた星が空を走った。これは後のキリスト信仰に結びつきクリスマス・イブとなり、サンタクロースとなった。赤い服と三角帽子で彗星を表現し、トナカイと樅の木の若木の枝で、彗星の分裂を表現している。 夏からの大干ばつで乾ききった大地に慈雨(大雪)というプレゼントを持ってやってきた。 サンタが煙突から入るのも問題で、合理的な考え方をする欧米人が、(冷暖房の整った)近代的な家にも、これを残しているのは何故だ。 これは、空から来襲した巨石が、大地に突きささったチムニーロックだ。巨石の下には、赤い血か赤い炎の跡がなければならない。 巨大彗星が地球とぶつかる前に、衝撃波や衝撃音が発生する。シャンシャンとなる鈴の音は、巨大な隕石が放つ衝撃音にしては、少し可愛い過ぎるかも知れない。こんなに派手な登場では子供達は起きてしまう。私なら、ひそやかに、隕石痕ににせている靴下(昔の靴下は棒状だった)に、そっとプレゼントを入れてやる。 そして、真っ赤な服やトナカイにもこだわりはしない。
(次、後述で、英訳文にはありません。)
なぜ? 対であるはずの靴下が一つなの? そして、チョコレートやクッキーのような食べ物を入れるには不潔だ。 さらに、サンタさん一人で全ての子供達にプレゼントをくばるのは大変だ。極めつけは、あの巨体のサンタさんが煙突から入る? ススで汚れる。 ちょっと無理があるよねえ。 わたしなら、小さくドアーをノックして中に入れてもらいたい。大きな荷物もかついでいるしねえ。(笑) 貴方は、この矛盾だらけの、サンタさんの話をどのように子供達に説明していますか? なんでもない話なら、とうの昔に淘汰され今の世まで残ってはいない。 それが語り継がれているのには、そこになにかが隠されていると気付くべきだ。 遠く離れた欧州のサンタさんと、日本で似たような発想の大黒さまがいるのも面白い。
さらに、この巨大な塊は、(空気)抵抗を受けて減速(?)しながら、巨石をまき散らしながらスエーデンや、シベリア、中国の北東部を経由して、日本へと向かう。 中国では、これをドラゴンに見立てている。大きな頭と細長い尻っ尾で空を駆ける隕石を表現し、角とヒゲで分裂を表している。 その大きな口から発する咆哮は、空に鳴り響いたに違いない。 そして、鋭い爪に握られている火の玉は真っ赤な隕石を象徴している。 ドラゴンが雨に乗って天上する水神さまとして扱われるのは、この大事変がもたらした大雨による。 海洋国日本では、ミルキークラウンを頭に戴いたカッパという伝説の化け物がおり人畜を水の中に引っぱり込むという。これは、海に落下した巨大な塊と津波とを言い伝えている。
(fig.7) 学研百科事典から作図
祖先が残した巨大隕石の形
(前方後円墳を、勝手に改めて^^!→) 前円後方墳 と、 銅鐸の図
いずれも、半円部分を下にして描いています。

後には、前方後円墳と呼ばれる流星形の巨大な墓を造らせたり、流星形の実のなる槙木で棺を作ったり、首長、つまり神の化身が変わるときに打ち鳴らしたと思われる流星形の銅鐸を埋納させたりした。一度その音を聞いてみたい。 それは、きっと巨大な隕石が発する音に違いない。 そして、ここでも人身御供という赤い血がつきまとう。
( 銅鐸の謎解きについては、報告書の本文で色々に挑んでいますが、銅鐸を首長の化身としたのは間違いでした。 最終的に銅鐸は忌みとか、慈雨をもたらす荒神を呼び寄せる媒体になったと謎解きしています。)
(fig.8) 学研百科事典から作図 (前図参照)
大湯のストンサークル 落下・衝突の瞬間を表現している。
石棒(明治大学蔵) 石棒の出土は中部以北で、(男性根に似ている)
祖先からのメッセージを語るとき、三つのキーワードがある。竜星形と真っ赤な色と、轟音である。 それは、犠牲を伴った豊穣を約束する。 我々が‘昔から’と云っている所作や形にも、それ等が隠され受け継がれていると知るべきだ。 いよいよ、この巨大な核は、最終地の日本へ達した。破片をまき散らしながら。 北海道にストンサークルがある。大湯のそれは、実に衝突の瞬間を模している。 ピラミッド黒又山の近くに三角形の地形に似るたところが二ヶ所ある。 もし黒又山がピラミッドならば単発では考えにくいので、これも調査が必要だ。 日本の中部地方より北で石棒という石器時代の遺物が発掘される。 中部より北ということは飛核が低い位置になったということでもある。
(fig.9) In AM6:00 25 December 2001BC. Big Comet on Japan!
祖先は、その事象を「地名」で残している !!
※ それは、未だ暗い朝の6時だった!
(なぜ、その時間や、日にち迄もが、解ったかは別紙で述べることにしましょう。)

北海道・白神岬、龍飛崎 の上空から → 釜石 ・ 気仙沼 ・ 大槌 辺りか!?
その空を「竜・リュウ(音)」が、飛んだと龍飛崎! 天からの、ビッグハンマー大槌に!?
< 白光化(衝突光)と、その山影に(住んでいた)なったことを表す、地名・山名 >
北海道・白神岬、青森・白神岳、秋田・岩手県境の真昼岳 (真昼のように白光化した!)
山形・宮城県境で、 アナ恐ろしや 白髪山! そのオモテ・顔も白んだ 面白山 !
その光!、山で止めたと、 丁岳(ヒノトだけ)!
『 東北地方 ・ 祖先からの伝言 』
(拙・電子版からの転載です。 尚、これは英訳文にはありません。)
その昔、竜が飛んだと、“龍飛崎” 全天覆った“奥羽”の羽 “大槌・釜石”に降臨した。
“松前”のそちらに飛んだと“白神岬”、白光見たと“白神岳” 、真昼のようだと
“真昼岳”、私も見たよと“面白山”あな恐ろしや恐ろしや木々も白んだ“白髪山”
「しろひげやま」と読みます。立ち枯れて幹だけが白く残ったんでしょうかぁ?
祖先は、その衝突光を白いという地名で遺している。
fig9.は、 日本の東北地方の図である。 これに鹿角市の上空を通り南東へ向けた線を引いてみた。ところが不思議なことに、図・Aの海岸線は、リアス式と呼ばれる複雑な形をしているのに、図・B(この北の久慈側)と、C(この南の阿武隈山地側)では、単調な海岸線をしている。普通に私達は、特異なことには目をむけるが当たりまえと思われる事には注意を払わない。これは、巨大隕石で発生した津波による浸食がBとCには及ばない位置になるから遠い海上ではなくなり、衝突点は、陸地に近くなる。 気仙沼があやしい。 釜石鉱山も気になる。
この衝撃で発生した大津波は、Aの表土を洗い流した。 岩石が飛び散り、多量の水蒸気が空気中に放たれた。 大地は揺れ動き、火山を誘発し、舞い上がった粉塵は、大雨の核となり地上に降りそそいだ。
(別談; 筆者は、この衝突を引き金に大洋側から陸側への”列島ストレス”の全てが連鎖的に解消したとみています)
( 次も、英訳文にはありません )
この大事変後を地球規模でみれば、その粉塵は太陽光をさえぎり、“隕石の冬”(→核の冬)という気温の降下へと進んでいく。
巨大隕石が地表をたたく衝撃は、核爆弾の比ではない。そして同じ応力でも地下100kmと地表とでは格段の差がある。 これを実験するには、お風呂の湯面をたたいた拳と同じ力で、その拳をお風呂の底の方で動かしてみるとよく分かる。 その核の大きさを素人は、φ10km~20km弱と推(よ)んでいますが、軟化した塊か?、固いままの塊か?が解らないのです。 祖先は、それを牡鹿(半島)とか、竜舞(崎)とか、金華(山)とか、あるいは、八大竜王とかの、散らばったような言葉で表現しています。 巨大隕石=固い塊、という固定観念でみると史実を見誤るかも知れない。 いつだったか木星へ巨大隕石が落下衝突したが、これは、その衝突のまえに、21個?かに分裂しましたよね。
この大事変の痕跡は、「必ずよめる!」と思って、地質図を取り寄せましたが、それがどうして「全く、よめない!」 その痕跡が全く見えないのです。 このような時、素人は、その地名が何時ついたのかは分からないが、『ご先祖様の伝言(地名)に嘘はない!』 それが推めないのは、この私の(今の科学の?)考えが至らないからだと、ワラジ(笑)を預けることにしています。
そのワラジ(下駄)を東北の皆さんに預かって欲しい。 その痕跡は<必ずある> 皆さんが、当たりまえだと思って育った土地には、他の地と比べて、「当たり前でない」 何かがある。 それを捜すとき、今までの科学という固定観念をもって捜してはならない。全く新しい概念を開拓しようとしているのだから。 ・・・
①祖先は、その時の津波の大きさを「水界峠」250mと云っているが?
(津波の高さは、その地形と震源との位置によって大きく異なります)
②その時積み上げた土石堆を、「仙台」、「一関」、「盛岡」と云っているが?
③その時の“波状”を、「区界峠、一戸~七戸と云い、八戸、九戸を戻り波だと云っているが?
④「黒森山」とは、その時の熱風等で燃え尽くしたと云っているのか?
⑤又、立ち枯れた木々が風化し、幹だけが白く残り、林立してヒゲ状になったか?
山が白髪化したように見えて→後の白髭信仰へ?
⑥その時の強い衝撃光で目をやられて見えなくなった人がいたか?
電気溶接遮光面 →東北地方で遮光土偶の出土あり
⑦その衝撃と大津波で、その表土をかっ去らい、「岩の手地方」になったと云っているが?
まだまだ、東北地方の人に聞きたいこと、見直して欲しいこといっぱいありますが、長くなりそうなので別の機会にして、話を元に戻しましょう。
大津波は、太平洋に浮かんだ(島々の)石器文明を一瞬のうちにして呑み込み、押し流しながら遠くイースター島にまで達した。 イースター島には、約1000体のモアイと呼ばれる石像があり、大きいものは20トンもある。 こんな小さな島に、よくもそんなエネルギーがあったものだ。 そのほとんどは、海に背を向けて立っている。 普通、私達は海に向いた方が気持ちがいいので墓なと゜は海へ向けて建立する。 これは、背の方向、つまり、海からの津波の上陸を意味する。このなかにプカオと呼ばれる赤い凝灰岩で出来た帽子風のものを乗っけた巨人がいる。 口をかたく結び空を見上げて立っている。
(fig.10) 講談社 Quark special から作図
イースター島の、 モ ア イ ( 7 体 )
ペルー の、 山の斜面に大きく描かれているフクロウマン
( 別談ながら、この目玉の大きいふくろう人間は、その太古の当時に、「宇宙人の飛来があって」 それでもって、滑走路のための?無数の直線をひき、片手をあげて合図をしているとした論がありました。 一流科学誌にですよ。 ♪笑 )
逆T字形の赤い帽子は、空を飛んだ巨石が赤かったということで、わざわざ火口の赤い石を切り出している。 その人数も問題で、材料と労力さえあれば何人にしょうかと迷う。 一人では淋しいから二人にしようかなどと考える。おまけで三人にしようかなと思ったりもする。 ところが5を過ぎるあたりから、その数が意味をもつ。 建立には多大の労力を要するから、この人数分に彗星は、分裂したと伝えている。 そして、分裂の一つがグループを離れたことを表すのに、気をつけをした親指を反らしている。 それでは固く口を閉ざして空を見上げているのはなぜだ。我々は、びっくりした時には大口をあけるが、恐ろしさに打ち震える時には、口を固く閉ざすのである。 太古の人達は、このビッグイベントに驚愕し、目を据えてその恐怖を私達子孫に伝えている。
日本で発生した大津波は、約1日をかけてペルーのナスカに達する。 再び地上絵の謎解きにもどろう。 fig.5の、「渦巻き」は、大津波なのだ。 イルカが、魚が、サンゴが、鳥が、 海に背を向けて、傷つき破壊されて打ち上げられたのだ。
(fig.5) 講談社 Quark special から作図 ・着色
津波によって打ち上げられ、腹を上にし、傷付けられた海産物と漂着物。
(これ等の絵が、どちらに向かって描かれているかの方向性に注視して欲しい)
私達はキャンパスに絵を描く時、関心のある方に向かって座る。これ等のすべては、
日本からの、津波が来襲した"北か北西"の方向を向いて描かれている。

ここでは、居るはずのない尾長ざる迄も描かれている。 大津波によって運ばれたこれ等のおびただしい海産物や漂着物をこの地の人達が、天にまします神からの賜りものとして描き記すことに何の疑いがあろうか。 無数に引かれた直線は、太陽の動きや、その仲間と思われる星座の動きが観測されている約4000年前の貴重なデータだ。 そのなかの1本は、(南半球では)夏至の日没の方向を示している。 また来るかも知れない。 山肌に大きく目を見開き右手を高々とあげたフクロウ人間と呼ばれている地上絵は、これと関係ない方は見てはいない。貴方は、信じられますか? この地上絵のある高台は、海から50km、そして高さが500mの所へある。
ここで、津波についてふれておこう。 津波とは海洋国日本の言葉である。 津の波とは、港に入った波という意味で、遠浅でV字形の湾奥では、猛威をふるい一瞬にして陸地に駆けのぼる。 ところが、大洋に浮かんだ小舟は、それがあったことすら感じなかったり単調な海岸や、ポツンと浮かんだ小島では水位が増してくる程度なのだ。( 津波警報がでた時、船が沖合に待避するのは、この理由による。) 津波のスピードは、およそ時速700kmで進む。深い所では速いし、浅い海岸近くでは、それより遅れて進む。浮いたものは流されるし、沈んだものは流されにくい。小さいものや軽いものは遠くまで流されるが、重くて大きいものは流されにくい。形の丸いものはよく流されるが、形の角ばったものは流されにくい。
『 力が水という媒体によって運ばれる時、物質は非常に効率よく分別される。』 平 素人
この当たりまえと思われることが、さらなる謎解きのキーポイントとなる。
この時、分離した隕石の落下地であるメキシコの<チェツェン・イッツァ>の遺跡は、生け贄の心臓を取り出して、神にささげるという祭祀センターであった。 このショッキングな儀式は、寒気がするほど正確に巨大隕石の落下というビッグイベントを模倣していた。この謎解きは、(報告書本文のP26~P32)で後述しています。 尚、この祖先からのメッセージは、本文(www.Boon-gate.com ノンフィクション05、巨大隕石と大津波)の、一部であることを付け加えておきます。
(fig.0) Chichen Itza (Yucatan Pen)
この巨大な祖先からのメッセージは、私達の先祖が、私達の子孫へ、
何を、どのように残すべきかを 教示してくれている。
有り難うございました。 確かにこのメッセージ 受け取りました。 口
註: 以上の記事は、英文化して頂いたその原文を掲載しました。
拍手をありがとう御座います^^。 只今('10 5/23)までで5拍手になりました。
1996 March 17;
祖先が、私達子孫に残した謎の巨石遺構物がある。 有名なものに、イースター島の石像、イギリスのストンヘンジ、フランスのカルナク列石がある。 そして、ストンサークルがノルウェーやスエーデンに、日本にも(北海道・忍路にストンサークル、秋田県・大湯に環状列石)がある。 なぜ、これ等の遺跡が造られたのか決定的な答は出ていない。 その目的とするところがはっきりしないのである。 紀元前2000年頃より始まった、これ等の遺跡が<同一の>巨大彗星の(衝突)を引き金にしたとの推論に至った。
信じられないことではあるが、この大惨事でも絶対多数の人類が生き残った。 否、むしろ大干ばつに苦しんでいた人達にとっては、それがもたらした慈雨によって救われたと言い換えたほうが良いかも知れない。 この大事変は、人々の心に神の存在を植え付けた。 これは、人間が、集団で行動をとる核となる。 つまり、人々は、神の存在を信じ神格化した人物をつくり、その人物の意志でうごく集団社会へと発展した。 そして、この事は、取りもなおさず、巨大なものの建造が可能になったということでもある。
日本の秋田県・鹿角市にピラミッドがあるという学者があらわれた。 三角錐状に整形されたという高さ80mの頂上付近から、石器時代の土器も発見された。 この説は一部でとなえられているだけで、まだ一般には受けられてはいない。私は、巨大隕石に興味を持っていたので、それに結びつけて、その方向性に注視した。この黒又山と呼ばれている北西の稜線を延長していくとストンヘンジやカルナク列石があった。さらに、この延長線上にイースター島があったのである。予想は見事に的中した。しかし、西瓜の表面のどこに印を付けようが、(任意の)3点では包丁で切れてしまう。(fig.1)
(fig.1) 彗星の軌跡

彗星が、太陽系へ侵入した推定 軌道図 !
北半球・冬至( winter solstice )

イースター島上空から進入しドーバー海峡、シベリアを経て日本の東北地方へ!
鹿角市の大湯(黒又山・クロマンタ) → 三角錐に整形か?
管理者からのお願いと、お詫び :
絵を載せるには、色々な制約があったり、その方法を知らなかったりで(汗~)、予定している記事(A4-7枚)での掲載は、控えておこうかと思っています。('22/9/19に掲載)
尚、この絵は、拙著の電子出版、極秘報告書「巨大隕石と大津波」(←クリックして下されば、そのほうへ飛びます←絶版)頁12~38迄に掲載しています。
初版のこの「報告書」には、多くの誤りが含まれていて、(正)BC.2001年、(誤)BC2000年が、その一つです。
この線上に4点目はないかと捜したところ、これ等とは、少し異なるがペルーのナスカ市の岩肌に、大小さまざまな地上絵が刻まれていた。 この謎解きから始めよう。 このなかに200mをこすコンドルを模したものではないかと云われているものがある。(fig.2)
この絵を地上から確認することはできない。測量の技術もたいしたものだ。大きく広げた翼と尾羽、ガッシリとした足、それと丸い頭と細長いくちばしが印象的だ。 ところが東北へ向かって飛んでいなければならないはずの鳥は南東に向かっていた。それに、この鳥のくちばしは、曲がっていないで鶴のように先がとがっている。 ・・、現在にこの冬鳥である鶴は見かけない。 頭が丸いぃ、? ・・、 これだっ!!、 丸い頭が巨大彗星で、くちばしがその尾なのだ。そして南東に向かっているのではなくて、その方向からやって来たことを表現しているのだ。 これを描いた人達は、それが飛び去った方向より、太陽からの使者として来た(朝方の)方向に興味があったのである。
(fig.2) 講談社 Quark special(1994 04)から作図→以下同じ(着色は独自です)
ナスカの地上絵 200mを超える、(羽を広げた)コンドル??の地上絵

さらに、これ等の絵をよく観察すると、fig.3、fig.4、fig.5の、 三つのグループに分けることが出来る。
(fig.3) 講談社 Quark special から作図・着色
彗星の分散を表すグループ

fig.3、のグループは、この上空で彗星が分散したことを表現している。 但し、方向は作為している。 羽が足が、根っ子が、葉っぱが分散を表現している。 ところが、分散にしては、すこし変わった部分が描かれている。 鷲の頭、サンゴの枝、鳥の曲がった首が、それである。 これは、その分散のしかたが単純ではなかったということであろう。
(fig.4) 講談社 Quark special から作図・着色
彗星の分裂を表現しているグループ

fig.4 では、さらに、それが強調されている。長くのびた蜘の足、胸から飛び出したとも思える鳥の内臓、長く垂れ下がったトンボの顔である。 これは、分散したなかの一つが、皿のように砕けて、ヒラヒラと蛇行しながら落下したと伝えている。
それは、(軌道を外れて)メキシコのユカタン半島に落下した。 その地にあるチェチェン・イッツアの遺跡と、三つ目のグループで、fig.5 に描かれている渦巻きの謎解きは、後の楽しみに残しておこう。
(fig.5) 講談社 Quark special から作図
渦巻きの絵が付属しているグループ

( 次は、後述記です。英訳にはありません。)
彗星は、「汚れた氷玉」で、太陽に近づくと太陽風で氷が溶けて尾っぽになるとの論がありました。 素人の彗星・小惑星に対する考えは、これとは少し異なります。 彗星は、氷~岩~金属等の割合で成り、太陽から比較的離れた所や、直近やらを周回する色々なタイプがあるとみています。 いずれにしてもそれは太陽系のはるか彼方からやって来るわけですから冷え切っている。 太陽は灼熱のコロナ100万度を持っている。 彗星はその熱に炙られ、太陽に近づくほどスピードを増す。 その結果、表皮と内部に温度差ができ、これが地球の大気圏に突入すると、その表皮が剥がれてまき散らかされる。
この時の落下軌道下の、(スペイン北部?リアス?)、 フランス、 イギリス、 ノルウェー、 スエーデン、 北海道の忍路・秋田県の大湯に、環状列石と訳されているストンサークルがある。 これ等の遺跡の<類似性>を語るとき、「文化の伝達」では、それを語ることができず、そこには、「何かの」同一事象・同時性があると唱える学者がいた。 その何かがBC2001年12月24日(欧州時間)25日(日本時間)の地球を半周した巨大彗星・巨大隕石だ! それを「竜」と呼ぶか、「巨大隕石」と呼ぶかは貴方の自由だが、それを巨大隕石と呼んだら<科学で>、竜と呼んだら<伝説かぁ>と、ご先祖さまが、怒ってらっしゃいますよ。?(笑) これ等のストンサークルを、素人探偵は、 『竜のマーキング』 と、名付けました。 その巨大隕石を何故、BC2001年12月24・25日にしたかの詳細は、又の機会にしましょう。
なぜ、「衝突の日時までもが判明したの」? それは、祖先に聞きました(^-^)。
→ http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html
話をもとにもどして、
南半球の時は夏至、昼の3時頃、ナスカの上空で分裂・分散した彗星は、北東のドーバー海峡方面へ向かった。その形を衝突痕に似せているストンヘンジは巨石の落下地だ。大変な労力を費やしてまで巨石を平地へと運ぶには、それなりの理由がいる。どこでもいいやとはいかないのだ。 その方向性は、太陽からの伝言を受け取った彗星の襲来が北半球の冬至だったと教えている。 想定した彗星の侵入経路は、fig.9 に示している。
BC2000年頃に造られたカルナク列石は 「巨大隕石の廊下」ですよと云っている。
(fig.6) 学研原色現代新百科事典(1971 12)から作図 →以下同じ
(フランス) カルナク列石は “巨大隕石の廊下”だ !!
(イギリス) ストンヘンジ(ストンサークル)は “竜のマーキング”
そして、ヨーロッパでは、次のような伝説を残している。 それは12月24日の夜だった。真っ赤に輝いた星が空を走った。これは後のキリスト信仰に結びつきクリスマス・イブとなり、サンタクロースとなった。赤い服と三角帽子で彗星を表現し、トナカイと樅の木の若木の枝で、彗星の分裂を表現している。 夏からの大干ばつで乾ききった大地に慈雨(大雪)というプレゼントを持ってやってきた。 サンタが煙突から入るのも問題で、合理的な考え方をする欧米人が、(冷暖房の整った)近代的な家にも、これを残しているのは何故だ。 これは、空から来襲した巨石が、大地に突きささったチムニーロックだ。巨石の下には、赤い血か赤い炎の跡がなければならない。 巨大彗星が地球とぶつかる前に、衝撃波や衝撃音が発生する。シャンシャンとなる鈴の音は、巨大な隕石が放つ衝撃音にしては、少し可愛い過ぎるかも知れない。こんなに派手な登場では子供達は起きてしまう。私なら、ひそやかに、隕石痕ににせている靴下(昔の靴下は棒状だった)に、そっとプレゼントを入れてやる。 そして、真っ赤な服やトナカイにもこだわりはしない。
(次、後述で、英訳文にはありません。)
なぜ? 対であるはずの靴下が一つなの? そして、チョコレートやクッキーのような食べ物を入れるには不潔だ。 さらに、サンタさん一人で全ての子供達にプレゼントをくばるのは大変だ。極めつけは、あの巨体のサンタさんが煙突から入る? ススで汚れる。 ちょっと無理があるよねえ。 わたしなら、小さくドアーをノックして中に入れてもらいたい。大きな荷物もかついでいるしねえ。(笑) 貴方は、この矛盾だらけの、サンタさんの話をどのように子供達に説明していますか? なんでもない話なら、とうの昔に淘汰され今の世まで残ってはいない。 それが語り継がれているのには、そこになにかが隠されていると気付くべきだ。 遠く離れた欧州のサンタさんと、日本で似たような発想の大黒さまがいるのも面白い。
さらに、この巨大な塊は、(空気)抵抗を受けて減速(?)しながら、巨石をまき散らしながらスエーデンや、シベリア、中国の北東部を経由して、日本へと向かう。 中国では、これをドラゴンに見立てている。大きな頭と細長い尻っ尾で空を駆ける隕石を表現し、角とヒゲで分裂を表している。 その大きな口から発する咆哮は、空に鳴り響いたに違いない。 そして、鋭い爪に握られている火の玉は真っ赤な隕石を象徴している。 ドラゴンが雨に乗って天上する水神さまとして扱われるのは、この大事変がもたらした大雨による。 海洋国日本では、ミルキークラウンを頭に戴いたカッパという伝説の化け物がおり人畜を水の中に引っぱり込むという。これは、海に落下した巨大な塊と津波とを言い伝えている。
(fig.7) 学研百科事典から作図
祖先が残した巨大隕石の形
(前方後円墳を、勝手に改めて^^!→) 前円後方墳 と、 銅鐸の図
いずれも、半円部分を下にして描いています。

後には、前方後円墳と呼ばれる流星形の巨大な墓を造らせたり、流星形の実のなる槙木で棺を作ったり、
( 銅鐸の謎解きについては、報告書の本文で色々に挑んでいますが、銅鐸を首長の化身としたのは間違いでした。 最終的に銅鐸は忌みとか、慈雨をもたらす荒神を呼び寄せる媒体になったと謎解きしています。)
(fig.8) 学研百科事典から作図 (前図参照)
大湯のストンサークル 落下・衝突の瞬間を表現している。
石棒(明治大学蔵) 石棒の出土は中部以北で、(男性根に似ている)
祖先からのメッセージを語るとき、三つのキーワードがある。竜星形と真っ赤な色と、轟音である。 それは、犠牲を伴った豊穣を約束する。 我々が‘昔から’と云っている所作や形にも、それ等が隠され受け継がれていると知るべきだ。 いよいよ、この巨大な核は、最終地の日本へ達した。破片をまき散らしながら。 北海道にストンサークルがある。大湯のそれは、実に衝突の瞬間を模している。 ピラミッド黒又山の近くに三角形の地形に似るたところが二ヶ所ある。 もし黒又山がピラミッドならば単発では考えにくいので、これも調査が必要だ。 日本の中部地方より北で石棒という石器時代の遺物が発掘される。 中部より北ということは飛核が低い位置になったということでもある。
(fig.9) In AM6:00 25 December 2001BC. Big Comet on Japan!
祖先は、その事象を「地名」で残している !!
※ それは、未だ暗い朝の6時だった!
(なぜ、その時間や、日にち迄もが、解ったかは別紙で述べることにしましょう。)

北海道・白神岬、龍飛崎 の上空から → 釜石 ・ 気仙沼 ・ 大槌 辺りか!?
その空を「竜・リュウ(音)」が、飛んだと龍飛崎! 天からの、ビッグハンマー大槌に!?
< 白光化(衝突光)と、その山影に(住んでいた)なったことを表す、地名・山名 >
北海道・白神岬、青森・白神岳、秋田・岩手県境の真昼岳 (真昼のように白光化した!)
山形・宮城県境で、 アナ恐ろしや 白髪山! そのオモテ・顔も白んだ 面白山 !
その光!、山で止めたと、 丁岳(ヒノトだけ)!
『 東北地方 ・ 祖先からの伝言 』
(拙・電子版からの転載です。 尚、これは英訳文にはありません。)
その昔、竜が飛んだと、“龍飛崎” 全天覆った“奥羽”の羽 “大槌・釜石”に降臨した。
“松前”のそちらに飛んだと“白神岬”、白光見たと“白神岳” 、真昼のようだと
“真昼岳”、私も見たよと“面白山”あな恐ろしや恐ろしや木々も白んだ“白髪山”
「しろひげやま」と読みます。立ち枯れて幹だけが白く残ったんでしょうかぁ?
祖先は、その衝突光を白いという地名で遺している。
fig9.は、 日本の東北地方の図である。 これに鹿角市の上空を通り南東へ向けた線を引いてみた。ところが不思議なことに、図・Aの海岸線は、リアス式と呼ばれる複雑な形をしているのに、図・B(この北の久慈側)と、C(この南の阿武隈山地側)では、単調な海岸線をしている。普通に私達は、特異なことには目をむけるが当たりまえと思われる事には注意を払わない。これは、巨大隕石で発生した津波による浸食がBとCには及ばない位置になるから遠い海上ではなくなり、衝突点は、陸地に近くなる。 気仙沼があやしい。 釜石鉱山も気になる。
この衝撃で発生した大津波は、Aの表土を洗い流した。 岩石が飛び散り、多量の水蒸気が空気中に放たれた。 大地は揺れ動き、火山を誘発し、舞い上がった粉塵は、大雨の核となり地上に降りそそいだ。
(別談; 筆者は、この衝突を引き金に大洋側から陸側への”列島ストレス”の全てが連鎖的に解消したとみています)
( 次も、英訳文にはありません )
この大事変後を地球規模でみれば、その粉塵は太陽光をさえぎり、“隕石の冬”(→核の冬)という気温の降下へと進んでいく。
巨大隕石が地表をたたく衝撃は、核爆弾の比ではない。そして同じ応力でも地下100kmと地表とでは格段の差がある。 これを実験するには、お風呂の湯面をたたいた拳と同じ力で、その拳をお風呂の底の方で動かしてみるとよく分かる。 その核の大きさを素人は、φ10km~20km弱と推(よ)んでいますが、軟化した塊か?、固いままの塊か?が解らないのです。 祖先は、それを牡鹿(半島)とか、竜舞(崎)とか、金華(山)とか、あるいは、八大竜王とかの、散らばったような言葉で表現しています。 巨大隕石=固い塊、という固定観念でみると史実を見誤るかも知れない。 いつだったか木星へ巨大隕石が落下衝突したが、これは、その衝突のまえに、21個?かに分裂しましたよね。
この大事変の痕跡は、「必ずよめる!」と思って、地質図を取り寄せましたが、それがどうして「全く、よめない!」 その痕跡が全く見えないのです。 このような時、素人は、その地名が何時ついたのかは分からないが、『ご先祖様の伝言(地名)に嘘はない!』 それが推めないのは、この私の(今の科学の?)考えが至らないからだと、ワラジ(笑)を預けることにしています。
そのワラジ(下駄)を東北の皆さんに預かって欲しい。 その痕跡は<必ずある> 皆さんが、当たりまえだと思って育った土地には、他の地と比べて、「当たり前でない」 何かがある。 それを捜すとき、今までの科学という固定観念をもって捜してはならない。全く新しい概念を開拓しようとしているのだから。 ・・・
①祖先は、その時の津波の大きさを「水界峠」250mと云っているが?
(津波の高さは、その地形と震源との位置によって大きく異なります)
②その時積み上げた土石堆を、「仙台」、「一関」、「盛岡」と云っているが?
③その時の“波状”を、「区界峠、一戸~七戸と云い、八戸、九戸を戻り波だと云っているが?
④「黒森山」とは、その時の熱風等で燃え尽くしたと云っているのか?
⑤又、立ち枯れた木々が風化し、幹だけが白く残り、林立してヒゲ状になったか?
山が白髪化したように見えて→後の白髭信仰へ?
⑥その時の強い衝撃光で目をやられて見えなくなった人がいたか?
電気溶接遮光面 →東北地方で遮光土偶の出土あり
⑦その衝撃と大津波で、その表土をかっ去らい、「岩の手地方」になったと云っているが?
まだまだ、東北地方の人に聞きたいこと、見直して欲しいこといっぱいありますが、長くなりそうなので別の機会にして、話を元に戻しましょう。
大津波は、太平洋に浮かんだ(島々の)石器文明を一瞬のうちにして呑み込み、押し流しながら遠くイースター島にまで達した。 イースター島には、約1000体のモアイと呼ばれる石像があり、大きいものは20トンもある。 こんな小さな島に、よくもそんなエネルギーがあったものだ。 そのほとんどは、海に背を向けて立っている。 普通、私達は海に向いた方が気持ちがいいので墓なと゜は海へ向けて建立する。 これは、背の方向、つまり、海からの津波の上陸を意味する。このなかにプカオと呼ばれる赤い凝灰岩で出来た帽子風のものを乗っけた巨人がいる。 口をかたく結び空を見上げて立っている。
(fig.10) 講談社 Quark special から作図
イースター島の、 モ ア イ ( 7 体 )
ペルー の、 山の斜面に大きく描かれているフクロウマン
( 別談ながら、この目玉の大きいふくろう人間は、その太古の当時に、「宇宙人の飛来があって」 それでもって、滑走路のための?無数の直線をひき、片手をあげて合図をしているとした論がありました。 一流科学誌にですよ。 ♪笑 )
逆T字形の赤い帽子は、空を飛んだ巨石が赤かったということで、わざわざ火口の赤い石を切り出している。 その人数も問題で、材料と労力さえあれば何人にしょうかと迷う。 一人では淋しいから二人にしようかなどと考える。おまけで三人にしようかなと思ったりもする。 ところが5を過ぎるあたりから、その数が意味をもつ。 建立には多大の労力を要するから、この人数分に彗星は、分裂したと伝えている。 そして、分裂の一つがグループを離れたことを表すのに、気をつけをした親指を反らしている。 それでは固く口を閉ざして空を見上げているのはなぜだ。我々は、びっくりした時には大口をあけるが、恐ろしさに打ち震える時には、口を固く閉ざすのである。 太古の人達は、このビッグイベントに驚愕し、目を据えてその恐怖を私達子孫に伝えている。
日本で発生した大津波は、約1日をかけてペルーのナスカに達する。 再び地上絵の謎解きにもどろう。 fig.5の、「渦巻き」は、大津波なのだ。 イルカが、魚が、サンゴが、鳥が、 海に背を向けて、傷つき破壊されて打ち上げられたのだ。
(fig.5) 講談社 Quark special から作図 ・着色
津波によって打ち上げられ、腹を上にし、傷付けられた海産物と漂着物。
(これ等の絵が、どちらに向かって描かれているかの方向性に注視して欲しい)
私達はキャンパスに絵を描く時、関心のある方に向かって座る。これ等のすべては、
日本からの、津波が来襲した"北か北西"の方向を向いて描かれている。

ここでは、居るはずのない尾長ざる迄も描かれている。 大津波によって運ばれたこれ等のおびただしい海産物や漂着物をこの地の人達が、天にまします神からの賜りものとして描き記すことに何の疑いがあろうか。 無数に引かれた直線は、太陽の動きや、その仲間と思われる星座の動きが観測されている約4000年前の貴重なデータだ。 そのなかの1本は、(南半球では)夏至の日没の方向を示している。 また来るかも知れない。 山肌に大きく目を見開き右手を高々とあげたフクロウ人間と呼ばれている地上絵は、これと関係ない方は見てはいない。貴方は、信じられますか? この地上絵のある高台は、海から50km、そして高さが500mの所へある。
ここで、津波についてふれておこう。 津波とは海洋国日本の言葉である。 津の波とは、港に入った波という意味で、遠浅でV字形の湾奥では、猛威をふるい一瞬にして陸地に駆けのぼる。 ところが、大洋に浮かんだ小舟は、それがあったことすら感じなかったり単調な海岸や、ポツンと浮かんだ小島では水位が増してくる程度なのだ。( 津波警報がでた時、船が沖合に待避するのは、この理由による。) 津波のスピードは、およそ時速700kmで進む。深い所では速いし、浅い海岸近くでは、それより遅れて進む。浮いたものは流されるし、沈んだものは流されにくい。小さいものや軽いものは遠くまで流されるが、重くて大きいものは流されにくい。形の丸いものはよく流されるが、形の角ばったものは流されにくい。
『 力が水という媒体によって運ばれる時、物質は非常に効率よく分別される。』 平 素人
この当たりまえと思われることが、さらなる謎解きのキーポイントとなる。
この時、分離した隕石の落下地であるメキシコの<チェツェン・イッツァ>の遺跡は、生け贄の心臓を取り出して、神にささげるという祭祀センターであった。 このショッキングな儀式は、寒気がするほど正確に巨大隕石の落下というビッグイベントを模倣していた。この謎解きは、(報告書本文のP26~P32)で後述しています。 尚、この祖先からのメッセージは、本文(www.Boon-gate.com ノンフィクション05、巨大隕石と大津波)の、一部であることを付け加えておきます。
(fig.0) Chichen Itza (Yucatan Pen)
この巨大な祖先からのメッセージは、私達の先祖が、私達の子孫へ、
何を、どのように残すべきかを 教示してくれている。
有り難うございました。 確かにこのメッセージ 受け取りました。 口
註: 以上の記事は、英文化して頂いたその原文を掲載しました。
拍手をありがとう御座います^^。 只今('10 5/23)までで5拍手になりました。
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≪Huge meteorite at befor down on 24th=25th of Dec.2001BC told by ancestors
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COMMENT
「立ち読み」しただけで、エネルギーの大半を消耗。
このままでは、釣りに行くエネルギーが・・・!!
またこんど、ゆっくり「立ち読み」を続けさせて頂きます・・・ってか、平 素人さんは本を出版なさってるんですね~!!
一体このエネルギーはどこから・・・宇宙から・・・にゃは!
このままでは、釣りに行くエネルギーが・・・!!
またこんど、ゆっくり「立ち読み」を続けさせて頂きます・・・ってか、平 素人さんは本を出版なさってるんですね~!!
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はははっ・・、ごめんなさ~い、笑ってしまいまして。
釣りじいさん・さん> 「このくそ暑いのに読めるかぁ」って感じでしょ。 この私が言うんだから「間違いない」(笑) 目が疲れるでしょ。 なにしろ「1万1千Kbの代物」ですから、<お忙しい方>には、購入の方はお勧めできません。ダウンロードだけでも20分?かかるとか? 実は、わたしも、息子がダウンロードしてくれたPC.壊してしまいまして、それっきりご無沙汰しています(爆~)。
そこまで “踏み込んでくださって・・・” 感謝に耐えることができません。 ・・・、
釣りじいさん・さん> 「このくそ暑いのに読めるかぁ」って感じでしょ。 この私が言うんだから「間違いない」(笑) 目が疲れるでしょ。 なにしろ「1万1千Kbの代物」ですから、<お忙しい方>には、購入の方はお勧めできません。ダウンロードだけでも20分?かかるとか? 実は、わたしも、息子がダウンロードしてくれたPC.壊してしまいまして、それっきりご無沙汰しています(爆~)。
そこまで “踏み込んでくださって・・・” 感謝に耐えることができません。 ・・・、
あすとろさん> はんぱじゃないアクセスの内からのコメント感謝してます。
「本・電子出版」といっても、長文駄文の恥ずかしい代物です。
もし、お暇ができたら(?笑)、挑戦してみてください。
<遊び心と、子供心>の塊のようなものです。
ここだけの話(極秘・笑)ですが、釧路平原にも、新潟と同じ(?)くらいの
<石油>が、眠っていると思いますよ。
「本・電子出版」といっても、長文駄文の恥ずかしい代物です。
もし、お暇ができたら(?笑)、挑戦してみてください。
<遊び心と、子供心>の塊のようなものです。
ここだけの話(極秘・笑)ですが、釧路平原にも、新潟と同じ(?)くらいの
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無料立ち読みしました
全部は読んでいませんが・・
おもしろいですね
三陸海岸のリアスがなぜできたか
巨大彗星による津波
わたし、信じます(・・||||rパンパンッ
全部は読んでいませんが・・
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三陸海岸のリアスがなぜできたか
巨大彗星による津波
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あすとろさん> ついにやりましたね。 ブログランキング第一位!
おめでとう御座います♪ こころから祝福します。
私いつも思うんですが、毎日のアクセスが200もあろうお方のブログ生活は?
寝る間があるんだろうか?って。 探偵の商売がらか(笑)投稿された時間を
いつも確認します。 今後は流れにまかせて、しばらくのご休養を♪
わたしの方の謎解きは<東北>へと、せまっていきますからね。
おめでとう御座います♪ こころから祝福します。
私いつも思うんですが、毎日のアクセスが200もあろうお方のブログ生活は?
寝る間があるんだろうか?って。 探偵の商売がらか(笑)投稿された時間を
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平素人さんの研究は
グローバルだからすごいね
ただの歴史の史実研究だけでなく
物理の面から、地球規模で
考えているので、新しい見方ですね
(・・||||rパンパンッ
グローバルだからすごいね
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あすとろさん> お忙しいなかのコメントありがとう御座います。
暑くなってきましたねぇ。 どうぞのご自愛を!
そのように、ほめてくださるととても嬉しいのですが、素人のくせに好奇心にまかせて、何にでも首を突っ込んでるきらいはあります。(笑) 「探偵」を名乗っているのは、 「史実という犯人」を見つけても、警察(専門家)でないからそれを捕まえることが出来ないからです。(汗~!)
警察は何時動いてくれるんでしょうかぁ? この暑さで少しバテ気味です。
暑くなってきましたねぇ。 どうぞのご自愛を!
そのように、ほめてくださるととても嬉しいのですが、素人のくせに好奇心にまかせて、何にでも首を突っ込んでるきらいはあります。(笑) 「探偵」を名乗っているのは、 「史実という犯人」を見つけても、警察(専門家)でないからそれを捕まえることが出来ないからです。(汗~!)
警察は何時動いてくれるんでしょうかぁ? この暑さで少しバテ気味です。
あついですね
汗をふきふき歩き回っていますか?
それとも、エアコンに管理された研究室の
デスクで執筆されていますか?
いずれにしても、
暑い夏ですので体調の管理もしっかりされて
がんばってくださいね
セイノッ⊂(^・^)⊃フレー\(~0~)/フレー
汗をふきふき歩き回っていますか?
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暑い夏ですので体調の管理もしっかりされて
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あすとろさん> 暑いですね。コメントありがとう御座います♪
お待ちしていました。 と言いますのは<御ブログ>を検索すると、「ブラグインが不正な操作をしました。Fire foxを再起動することを強くお勧めします」 と表示され御訪問することができなくて困っていました。 よくは分からないのですが、御記事に画像多や動画が入っていると、わたしのソフトではこのようになるのかな?と思っています。(汗!~)
「研究室だなんて」・・・、以前は段ボール箱の上にワープロ、(笑) 今は座卓の上にPCが一台と使ってないスキャナー。 本けたものは「中学校社会科地図」と、評価の歩み、MY報告書。 「信じられな~い」 写真にでも残しておこうかな、ん十年か後に「素人」の研究をして下さる?お人の為に( 笑♪)
お待ちしていました。 と言いますのは<御ブログ>を検索すると、「ブラグインが不正な操作をしました。Fire foxを再起動することを強くお勧めします」 と表示され御訪問することができなくて困っていました。 よくは分からないのですが、御記事に画像多や動画が入っていると、わたしのソフトではこのようになるのかな?と思っています。(汗!~)
「研究室だなんて」・・・、以前は段ボール箱の上にワープロ、(笑) 今は座卓の上にPCが一台と使ってないスキャナー。 本けたものは「中学校社会科地図」と、評価の歩み、MY報告書。 「信じられな~い」 写真にでも残しておこうかな、ん十年か後に「素人」の研究をして下さる?お人の為に( 笑♪)
あすとろさん・東北の皆様> 地震お見舞いもうしあげます。
<あすとろさん>以前にもこのようにご訪問できない現象が、何人かにありましたが、連絡とれなくてごめんなさいね。 中国・四川、東北・(三陸沖)の地震には、なにか大きな力が働いているような気がします。 ・・・、
<あすとろさん>以前にもこのようにご訪問できない現象が、何人かにありましたが、連絡とれなくてごめんなさいね。 中国・四川、東北・(三陸沖)の地震には、なにか大きな力が働いているような気がします。 ・・・、
あすとろさん> コメントありがとう御座います♪
交信ができるようになって、ほっとしています。 東北2度目の地震大変だったですね。この地震波の伝わり方で、北海道へは、東北を中心にして円形に伝わっているのに、本州では関東・中部までは縦方向に伝わり、フォッサマグナに突き当たり、岐阜をよけて愛知に回り込み京都方面へ伝わる特異な伝わり方に興味がわきました。
交信ができるようになって、ほっとしています。 東北2度目の地震大変だったですね。この地震波の伝わり方で、北海道へは、東北を中心にして円形に伝わっているのに、本州では関東・中部までは縦方向に伝わり、フォッサマグナに突き当たり、岐阜をよけて愛知に回り込み京都方面へ伝わる特異な伝わり方に興味がわきました。
昨年6月14日に起きた、マグニチュード(=M)7.2の岩手・宮城内陸地震の被害は、Mが同規模の阪神淡路大震災に比べ少なかった。特に、岩手県は宮城県側に比べても少なく、死者も2名(内1名は交通事故)に止まった。被害が少なかった理由は、当奥州市の地盤が阪神淡路や宮城県に比べ、非常に良いことだ。ビルの基礎地盤は、N値50以上を求められるが、大阪付近では地下50m付近にある。当地は地下1mから5mくらいでN値50に達する。そこには厚さ4mから5mほどの土砂礫層がある。津波の北上山地越えの大津波の忘れ形見といえるのではないか。また、貴兄が怪しいといわれた、奥州市黒石には、庭石に適する1個の重さが何百キロ~何トンにもなる石が平地にごろごろしている。これも津波の忘れ形見かもしれない(地元の人は、石のいわれを知らない)。先日胆沢扇状地を軽飛行機(パイパーチェロキー)でみたが、津波によってできたとの貴兄の説は、説得力がある。貴兄の説を、喧伝させていただくとともに、投稿文にも引用させていただきたい。
岩淵國人さま> コメントありがとう御座います♪
軽飛行機で空からですかぁ~、素敵ですねえ♪ どうぞどうぞ、当ブログは広報のためですから存分にお使い下さい。♪(^-^)♪ 東北に住む人にとっては、「当たりまえ」のことでも、他の地から観ると、東北の地は、残丘(モナノトドック)、もち石(鉄石)、飛翔巨石?等々、少年心(こどもごころ)を揺すられる不思議があります。
東北の地には微小惑星の衝突による岩石の粉砕と溶融、高熱の発生、それを瞬時に消し止めて運ぶ巨大津波の発生、それらを土中へ揺すり込んでしまう巨大地震の発生。さらに宮城平野から北上川をさか上がった巨大津波。それに刺激された火山。その他「なにが起きてもおかしくない」ことがその地でおきている。(カテゴリー巨大津波の痕跡より)
「追伸」 訳あってメール活動の一切は閉ざしていますので、よろしく御了承ください。^^!
軽飛行機で空からですかぁ~、素敵ですねえ♪ どうぞどうぞ、当ブログは広報のためですから存分にお使い下さい。♪(^-^)♪ 東北に住む人にとっては、「当たりまえ」のことでも、他の地から観ると、東北の地は、残丘(モナノトドック)、もち石(鉄石)、飛翔巨石?等々、少年心(こどもごころ)を揺すられる不思議があります。
東北の地には微小惑星の衝突による岩石の粉砕と溶融、高熱の発生、それを瞬時に消し止めて運ぶ巨大津波の発生、それらを土中へ揺すり込んでしまう巨大地震の発生。さらに宮城平野から北上川をさか上がった巨大津波。それに刺激された火山。その他「なにが起きてもおかしくない」ことがその地でおきている。(カテゴリー巨大津波の痕跡より)
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