【 お知らせ 】
長いあいだ遅々駄文に付きあって下さってありがとう御座いました。(深礼)
Dr.と、 6人+α人のクルー(同志)と、 Mr.素人が作り上げたこの推理小説?が、
世界史を変える幕開けとなったらいいですね♪
1月/8日 「結び文」を終了しました。
次{驚愕の出雲}の記事を予定していましたが仮想メモリが0%になって思案中です(^-^)♪
ごめんなさい(^^!)。 当分のあいだの( 約1ヶ月?)記事の更新はありません。 ただし、コメント欄はOKかも♪ 興味のおありの方は、どうぞそちらへ↓ 只今(1/11) Dr.と♪
そしてお時間のある方は、下へどうぞ、クリック↓すればそちらへ飛びます♪これにはもっと 々・・・!! 極秘報告書「巨大隕石と大津波」
第一章 巨塊衝突・祖先からの伝言
第二章 恐竜はなぜ大絶滅したか
第三章 小惑星の衝突と合体
第四章 宝捜し
第五章 あやまち(創作話・三題)
おまけ) 不条理の空間(不条理の大因)
創性粒子(直径D)4個が接着した空間に入る、破壊性粒子(直径d)の大きさは、
d = 1/10π × D である。
D=1 の時、 d は0、πパイ となる。Dが超巨大球体(例:太陽)であろうが超微小球体(素粒子)であろうがこの関係は成り立つ。これが証明されれば、直径D・dという実数と、その破壊性粒子を内包する空間の最大直径d(虚数)がイコールとなり、 d(実数)=0、πパイ(虚数?)という、ありえないイコールでつながれる。 素人はこの<dφ>の空間を「不条理の空間」と名付け、不条理の大因としました。 どなた様かこの計算・証明をお願い致します。・・・・・汗~!)
1/16 新しい記事<驚愕の(島根半島)出雲竜!>を立ち上げてみます。
( 処理スピード遅っ!~汗!)
<出雲の巨大竜を縛り付けている銅戈(どうか)を捜せ!>
こども心と、遊び心を乗せた [この大冒険♪>は、いずもの師の<一信から>始まった!
お願い
shigechanizumo | URL | 2008-09-16-Tue 16:40 [EDIT]
「平成20年2月29日長野県埋蔵文化財センターは、中野市の柳沢遺跡で先月中旬に「銅戈」(どう か)2本が出土したのに続いて、新たに「銅鐸」(どうたく)の破片2点と「銅戈」5本が出土したとして(9月)1日、発掘調査現場で記者会見し、発表した。」
この記事について、平さんの率直なコメントが頂けるとうれしいです。
shigechanizumoさん> ようこそおいでくださいました♪
平 素人 | URL | 2008-09-16-Tue 21:01 [EDIT]
そんなんあったんですかぁドキドキです。教えて下さらなければ、知らずじまいでした。今後興味をもって調べてみます。 師とあおぐ卓抜した見識をお持ちの方に「お願い」の文字をいただくなんて恐縮のきわみです。 遊び心からではありますが歴史音痴だから(特に卑弥呼以後)、警察ではなく探偵を名乗っています。 少年心というインスピレーションだけなので、 多くの「思いこみや間違い」を含んでいます。私は、それを正してくださる Dr.ワトソンを探しています。・・つづき御ブログへうかがいます。(^-^)♪
→Yahoo!ブログ(いずものこころ) 出雲の青銅器の謎 (その18最終回)へ、
こちらへお邪魔するのは、お久しぶりで~す♪ 2008/9/17(水) 午前 0:56 [ 平 素人 ]
「長野県・中野市・柳沢遺跡の銅か(?)銅鐸片の出土について」 表題については、分かりませ~ん(汗~!)一般的な考え方として。銅鐸や銅剣・銅矛・(銅か)が、<一括して>埋められているのは、それまでの銅鐸を使用し稚児を生け贄とする荒神主神文化の変革をとなえた、卑弥呼は、太陽が主神であり、その象徴の鏡をくもらせる「護摩炊き?」で事が足りるとし、その荒神が二度と銅鐸に乗り移らないようにと封印した・させたのだと推んでいます。いかに慈雨を願うためだとはいえ愛児をさしだすのは嫌ですから「卑弥呼の提唱」は、その没後であっても容易に広がっていきます。銅鐸を欠いたり銅材にするのは、形を無くする為や祟るという恐怖が薄れていく過程であり、銅剣→銅矛→銅カ、等は地域的・時間的差異かな? その色の一番濃いのが出雲だったらいいですね(^-^)
2008/9/17(水) 午後 1:33 [ shigechanizumo ]
平 素人さん>ありがとうございます。それにしても、千曲川のあたりに何故銅戈なのか。どうしてそのようなところにまで運ばれたのか、不思議でなりません。出雲でも銅戈の発見が心待ちです。
【 後述・追記 】 12/6 ~( ) この項はコメント欄にはありません。
出雲と富山で、銅カが<共に>出土している! 陸路にしても海路にしても「当時の航海術」では難しいと思われるのに、なぜ共通した文化が??、
わたしは、このような場合、その一方だけを考えるのではなく、その陸海の両方があったのではと!?、考えます。そう考える方が楽ですからね(笑)。 途中が解らないからって、二つの地に共通した(銅カと四隅突出古墳という)史実があるのは否定出来ませんから。
①海路について 徐福(始皇帝・代)が卑弥呼代より400年も前に!海路の整備開拓?
②陸路について 熊野古道・等のように、隠れた陸路は、ないか?
③ヒスイつながり 出雲のヒスイが、糸魚川水系か、それとも大陸系か?
以上の詳細は、長くなりそうなので・・・、一時筆を止めておきます(^^!)
こんばんわ(^-^)♪ 2008/9/17(水) 午後 8:39 [ 平 素人 ]
(銅か)初めて知りました。何しろ歴史書は、おろか本の体裁したものを見るのは、ん十年?このかた御ブログが初めて(汗)、実際にこれで人が殺められたかどうかは分かりませんが、「慈雨・生け贄文化」に限って言えば、“土で三尺、木で三尺、六尺高い木の上で”の竹槍処刑から(銅か)に至るまでの時の流れでしょうか? 長野市・松代に「茶臼山文化」の(←全国で300箇所?)地名があるのを確認しています。今の大勢は当時の交通手段を大きく見くびっていると思います。なぜなら御ブログで、これも初めて(笑)知った「徐福」が黒船以上の影響を各地に及ぼし、そのインフラ整備が、中国と同等とは言えないまでも、すでにあったのではと・・・? もっと々、勉強させて下さい御ブログで♪
[ shigechanizumo ]2008/9/18(木) 午前9:53
先に、「出雲でも銅戈の発見が心待ちです。」としましたが、正確には、出雲大社の東側の命主神社の大岩の下から、このblogの上の写真にあるヒスイの勾玉(重要文化財)と一緒に、かなり質の良い銅戈が出土しています。しかし、上田正昭先生などに言わせれば、出雲には銅矛・銅剣と同じように大量の銅戈が埋もれているはずだということですが、まだ大量銅戈は見つかっていないのです。平さん、是非発見を・・・お願いします。
こんばんわ(^-^) 2008/9/18(木) 午後 10:17 [ シャーロック・ホームレス ]
銅矛と銅か、の区別も知らなかった素人です(汗)。長野のものを写真で見ましたが時代から言えば(銅か)が、後と理解していいのですか? そんなセンセがいらっしゃるのなら「それへの挑戦」も楽しみですね♪ それにはもっと々、御ブログを熟読しなきゃ~、まだ端しかかじっていません(笑)勾玉はの出土は当然ですよね。「出雲半島龍の首根っこ」ですから。で(銅か)の埋め方?が問題です。「大竜を突き刺す」ような形なら<まだまだあります>なにしろ、一本・一カ所<ガリバー旅行記・小人の国>だけで「おとなしく」なるような代物ではない! そこを発見けるのは「その周りの現存する神社や伝承」を聞き!金属探知機で♪! 探偵業20年、初めての御依頼でしたぁ!(笑)
おはようございます(^-^)♪ 昨日につづいて・・・、
2008/9/19(金) 午後 7:31 [ 史実探偵: 平 素人 ]
「首ねっこ」を押さえたら、次は「足カセ」ですよね、松江の東あたりかな。日本海側もですよ両足を押さえておかないとね。シッポあたりのは、すでに掘り出し済みかも。「酒かっ喰らわせて尻尾から剣が出てきた伝説」がありますからね(笑)「いいや、之でも未だ足りないぞ!竜山、猪の目、あたりも押さえておこうか!?と、云ったかも知れない。 次は<勾玉>この勾玉は、大きくて立派ですよね。材料のヒスイは水神つながり。当時の最高技術で別注した(銅か、も)のでしょうかぁ。それが「一つ?」だけの首飾りでは寂しいですよねえ。もっと首周りに!? 御師の力をもってすれば、これ等を捜すのは難しいとは思えません!後は「警察」へおまかせ(笑) おっと!大事なことを言い忘れてました。【その埋め方は、命主神社と同じで、(銅か)は同じ鋳型だと思いますよ。そして、これだけの大きな<呪術・封印>ができるのは卑弥呼しかいないと!♪】
史実探偵: 平 素人さん>確かに、卑弥呼は出雲をどう見ていたのでしょうかね。
2008/9/20(土) 午前 9:06 [ shigechanizumo ]
「卑弥呼は出雲をどう見ていたか?」 2008/9/20(土) 午後 10:05 [ 平 素人 ]
ごめんなさい。私はそれにお答え出来る知識を持ち合わせていません。それにお答えするには、膨大な御ブログを熟読しなきゃーならない(汗~!) 卑弥呼が、100枚の銅鏡を手に入れた時、何処に(九州・出雲・吉備・神戸・纏向・等々)居たかによって思いは変わるとおもいます。その後の卑弥呼は<引っ張りだこ♪> 転居・出張りの旅先で?って、ことも考えておかなくちゃ~(^-^)
ご神体は隕石か?
shigechanizumo | URL | 2008-11-13-Thu 14:44 [EDIT]
出雲大社の御本殿のご神体の正体は、隕石だという地元のうわさがあります。私も中学生の時、社会科の先生から聞きました。その根拠は、1.遷宮の際にご神体が仮殿に移されるのですが、異常に重いこと。2.次の遷宮(60年後)までの間に、分厚いご本殿の床板が異様にたるむこと。3.オオクニヌシの祟りが、人の髪の毛を抜け落ちさせたり、やせ衰えさせることは、放射能とまでは断定できないが、地球外物質の影響を語ったものではないかということ。4.丹波などに残るオオクニヌシの岩裂伝承(大きな岩を砕いて沼の水を抜くこと)は、鉄以上に硬い地球外鉱石を使っての仕業ではないかということ。5.近年も、美保関隕石(メテオプラザに飾ってあります)という隕石が民家の屋根をぶち抜いて落下したことは、出雲は隕石の通り道ではないかということ。などなどから推測されるそうです。平さん(森の岩松?さん)探求して見ては頂けませんでしょうか。
shigechanizumoさん> コメントありがとう御座います♪(^-^)
史実探偵: 平 素人 | URL | 2008-11-13-Thu 23:23 [EDIT]
ご無沙汰を重ねていますこと、どうぞお許しください。出雲ぬきでは「卑弥呼」を語ることは出来ません。いずれ又ゆっくりとお伺いしたいと思っています。^^! 「ご神体は隕石?」たいへん興味をひくお話ですね。 島根半島を「巨大竜」にした考えに、「その地形と、巨大津波のなかを泳いだ!」だけでは、弱いものを感じていました。 画竜点睛といいますからね。 それ等の<お話から>確率たかいと思います。何かの「曰く」がなければご神体にはしません。祖先は島根半島全体を竜の神体と見ていますから、竜王山か、裏山の鉱山の一部を欠いてくる手も考えられますが、それだと形状で<隕石か割石>の判断はすぐにつきます。(^-^) つづく・・、
<そのつづき1>です♪ 地球は隕石の集合体ですが、「隕石の通り道」の考え、そのような傾向はあると考えています。この前の木星へ衝突した21連発! 或いは、惑星に軌道を乱され衝突した破片・小天体{彗星とか小惑星の区別をしない}が再び(自転は別として)同様な周期でめぐってくる? 親子で運行していて、親か子の一方だけがぶつかり残ったものが似た軌道に? わたしはそれを隕石銀座とか(隕石の巣)とよんでいます。 そのほかに、出雲のほうの日本海で轟音(隕石音?)のニュースもありました。時期の特定こそ出来ませんが、出雲のモリブデン鉱、石見銀山、人形峠のウラン鉱、このように星の深部で沈み込み・生成される重金属類の性質上、その浮き上がりを考えるより「星の輪廻で爆発」したものが外から隕石となって?の確率がたかいのでは?と考えています。 中南米にも、その「巣」があり? みやげもの店で<隕石の欠けら?>売っているって!(^-^)、
出雲大社のご神体が「隕石かどうか?」は、謎として残されていたほうが・・・?(笑)
<そのつづき2>です♪
「ひらめき」だけがとり柄の素人探偵です。^^! 新幹線・高速道建設の頃から、その意識が変わってきたとは云え、まだまだ学術より信仰心が上! 私には、それを確かめる胆力を持ち合わせていません。 (ゴメンナサイ) 私のほうから<師に>お願いがあります。 出雲大社のよこのほうの神社で発見かった<勾玉と銅カ>ですが、これは、卑弥呼を含めての後に、「島根半島=出雲竜蛇」を、ガリバー旅行記のこびとの国のように縛り付け動かさないためのもので、必ず<その四肢に>あたる場所の神社に、同様な手口で埋めて「亀さん石」で押さえつけ封印しているはずですから、まずその「封印石」があるかどうかを確かめて頂けませんか。(深礼)
長くなりましたので「60年の不思議」についてはべつの機会に!
shigechanizumo | URL | 2008-11-14-Fri 10:44 [EDIT]
ご指摘の神社は「命主神社」ですが、その東南に「出雲井神社」があります。ここは、クナト神を祀る賽の神で、道案内の神だとも言われています。そして、「出雲の神は大国主神とされる以前はクナト神と呼ばれていた。」との噂もあります。私は、この神社に何かが封印されていてもおかしくないと考えています。いかがでしょうか。
①付言すると、出雲大社を出てどこかの方角に向かおうとすると、この出雲井神社の神が道案内をするわけですが、逆にいえば、どこへも行かせないということも可能なわけです。恐ろしいことではないでしょうか。あるいは、誤った道案内をして災いの方角に連れて行くことも可能なわけです。さらにご指摘のように、「縛り付け動かさないためのもの」としての機能も果たせるわけです。ヒントになるのではないでしょうか。
②さらに付言すると、この「出雲井神社」の西500mくらいのところに有名な原山遺跡があります。この弥生遺跡には、当時では珍しい石槨の墓棺に人骨が収められていたそうです。封印に近い形で埋葬されていたわけです。そこは現在は、出雲大社教の墓地となっていますが、妖気漂う場所なのです。そして、なぜか、この原山(砂洲)には、オオクニヌシのヒメ神である、下照姫が祀られている出雲大社境外摂社があるのです。弥生・クナト・石棺・姫神・墓所・・・・。大いに匂いませんか・・・。
③もう少し付言すると、この原山と命主神社の間には、かつては菱根池という海につながる大きな湖水があり、出雲国造が亡くなると、この池に赤牛に遺骸を乗せて運び、そこから小さな喪舟に乗せて水葬したそうです。出雲では、人が臨終を迎える際のことを「あの人も赤牛さんになられた」と言っていました。しかも、この菱根池殻は、時々ガスが吹き出たということです。今は池ではありませんが、地下からガスが吹き出るそうで、昭和30年代に、そのガスに引火して旅館の一部が吹き飛んだことがあるそうです。恐ろしいことに、その菱根池のあった所に先年オープンした「古代出雲歴史博物館」が建てられているのです。これも何かの導きではないかと・・・。ご検討くださいますよう。
④もっと付言すると、この菱根池のもっとも西の端には蛇池という地下から水が湧き出る池がありました。名前のとおり、池の水面には、私も記憶がありますが蛇がウヨウヨと、それこそウナギの養殖池のように群れていました。中には蝮もいるということで、近寄れない場所となっていました。封印と言えば何も物理的なことだけで可能になるものではないと考えれば、この蛇池の水底に大切なものが沈められていれば、見事に封印の約を果たすわけです。いかがでしょうか。
⑤まだ付言すると、下照姫が祀られている原山の神社は、「乙見神社」といいますが、そのそばから鉱泉が湧き出ていて、皮膚病にとてもよく効くということで有名で、戦前まではその鉱泉を沸かして湯治に来る人がたくさんいたそうです。弥生・クナト・石棺・姫神・墓所・水葬・ガス・蛇池・鉱泉、そしてヒスイと銅戈。たった500m四方の空間にこれだけのものが詰まっているのです。出雲恐るべしではないでしょうか。従って封印されなければならない必然も、こうしたことから生じているのではないでしょうか。
⑥最後に、ホラーな話をすると、古老の言い伝えに寄れば、乙見神社の鉱泉が皮膚病に効くのは、その鉱泉につかると人間がいったん蛇になり、それが脱皮するのでツルツルの肌を取り戻すのだということです。やはり根源は竜蛇なのです。また、下照姫は伯耆一の宮の倭文(しとり)神社にも祀られていますが、そこには出雲山という小高い赤土の山があり、蝮(まむし)の巣窟だということになっています。もちろん出雲大社の裏山は、今では八雲山といいますが、地元ではむしろ昔から蛇山で通っている山なのです。ご参考下さいますよう、よろしくお願いします。
⑦蛇足ですが、「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。その富家の後継の人によると、出雲井神社の神は、出雲大社の裏手3kmの山中にある鵜峠(うど)銅山の坑道に封じ込められて、大岩で出口をふさがれて憤死したのだと言っていらっしゃいます。富といえば「トミ」=「蛇」なのです。社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。大社の「大」と思っていますが、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません。
「森の岩松」こと、平 素人 | URL | 2008-11-14-Fri 22:25 [EDIT]
恩師どのぉ゛~> いずもへは「ご挨拶と中帰り」のつもりで帰ったのにぃ~~(^^!)
今は東北へわらじを脱いでます。どうぞ(興味尽きないお話)であっしを(いずも)へ引き止めないでおくんなせぇ。(笑) 師の博識についていけない部分がたくさんあります。出雲(御ブログ)へは、もっと時間をかけて長逗留したいと思っています。 おぼろ気で、まだ考えがまとまっていない部分が多くありますが・・・。
①出雲の大量の銅鐸と銅剣の埋納は、それまでの荒神・銅鐸文化を封印し、太陽主神・銅鏡文化への変換点にある。
②それに関連して、出雲竜(荒神が竜の姿で宿るための)=島根半島の封印もおこなった。 ちいさい範囲で「事」が完備しているのは、その後人口が増え(衆人挙りての祈祷)が難しくなり「代表でとか象徴的に」とかのコンパクト性が加わったかと?別事ながら当時の(先進国出雲)の文化が、(伝播→後から後追いへと) 例; 宍道湖・中海、かんなび4山→猿沢池、 島根半島竜→日ノ御碕~伊勢までの紀伊半島竜(これは逆に巨大化・笑)。出雲竜の尾っぽ?(ふつうは腹)から出たという、あめの叢雲の剣が伊勢文化へ移動している?のが面白いですねえ。
( 11/16・ 追 記 ) ≪岩割伝承≫から、
御神体はもっと固い場所かも? 石飛=龍飛(崎)か? 精査すれば飛来地が?
何れにしても、その<地質学的・隕石の痕跡>は必ず残っています♪ ご先祖様嘘つかない♪
「森の岩松」こと、平 素人 | URL | 2008-11-15-Sat 00:17 [EDIT]
前コメントの!そのつづきです。(^^!) >
やはり出雲を考えるには、卑弥呼以前においても<広く大きく>考えたほうがいいと思っています。その範囲は、西の、三瓶山・神戸川~東の、伯耆大山・天神川までかと?。 たとへ部族はことなっていても(同一の荒神・雨乞い文化圏)かと? この人達は<島根半島巨大竜が>、その時の(今、東北でその痕跡を追ってます)大津波のなかを泳いでいるのを見ていますから。 その巨大竜は、<日御碕が口、地蔵埼がシッポです> 御ブログの勾玉は首! 四肢にあたる神社はどこか? そのヒスイの勾玉と同様な手口で<必ず>封印されています。
神社名、ほとんど覚えていません(汗)。後で御ブログの神社寺組合?で勉強します。
③御ブログにあった、そのガスはその時の大津波の打ち上げによる魚介類の腐泥ガスだと断言できます。<富中>トビナカと読むのなぜですか? 鳥の地名が多いのなぜですか?
④大根のお考え面白いです♪ (正月飾りで)、干し大根の×飾り、鰯の丸干し×飾り。これも御ブログで再度べんきょうを^^!
卑弥呼の墓・情報ありがとう御座います。後でゆっくり♪ 東北へ帰るエネルギーがぁ~、
[追記・12月13日~12月16日 ] Dr.付言①~⑦への 総括コメントを挿入
出雲竜の概略図
【出雲竜の頭部】 【足部】 【尾部】
<卍?宮?> 猪の目
(口部)宇竜 ↑ 竜山 (島根)?
日御碕 鷺峠 ←_______約60km______枕木山___ → 地蔵崎
八雲山 ↑ 弥山 ムラクモノ剣?
<出雲大社> <松江>?
↑(首部)
<命主神社>勾玉&銅戈
原山遺跡 菱根池 出雲井神社
<富>家・墓地 (蛇池) (賽の神)
下照姫 赤牛 道案内 出雲山(小高い赤土の山)
*→・・・・・・・・→ 伯耆一の宮(倭文(しとり)神社 ここにも下照姫が祀られている
以上、師の情報と、Mr.素人の思いを<図表化>してみました^^!。 以下、かならずしも師のお問い合わせに的確にお答えしていない部分や質問の意を取り違えていることがあろうかと思いますが、ひらにご容赦ください。
○出雲井神社(クナト神)に、なにか封印されているのでは?、とのお考えには、その根拠となる背景が、もっと々、おありのようですから、それを御ブログで勉強しなければなりません。 (クナト神)は、はじめて聞く言葉です。
○出雲井神社・道案内の件ですが、その道案内は、黄泉の国への道案内だと思います。これは仏教にもとづく考えですから、卑弥呼より後のことかも知れません。
○原山遺跡の石棺は、さらに後か?と考えます。 なぜなら、「オオクニヌシのヒメ神である下照姫、云々」は、<人物史>ととらえていて、わたしの無知の分野でもあります。 卑弥呼以前では、神を呼び寄せ「何かの媒体に乗り移す」考えはあっても「人=神」の考えはなかったとみています。その「何か」とは、土器・偶像や銅鐸であったり、人であったり、建家であったり、山(島根半島)であったり、と時代や地域によっても差異があったのではないでしょうか。
○<菱根池、蛇池、鉱泉>恐るべし!
これが、師のおっしゃる「出雲恐るべし!」の原点になっているような気がします。中学生諸君のために少しいい添えますが、<菱>は、池の底からつる草状に生えて、その実は、三菱の形にあるように痛いトゲをもっています。食べたことはありませんが食べられるそうですよ。その池には、腐泥ガスぷくぶくと! さらに蛇がうじゃうじゃ! おまけに、一皮?むく鉱泉があるわけですから、古代の人にとってもその場所は近寄りがたい“恐ろしい所”だったのでしょうね。 やっと解りました。「何故、その地に出雲大社が設営された必然性が!」 大社の設営は菱根池にあり!
池の底からはトゲトゲの実がなり、メタンガスの否な臭い。蛇がうじゃうじゃ!これは、わたしもテレビの映像で見たことがありますよ。南方の洞窟のなかで。 今日の日本ではそんな所は、見かけませんが、富栄養価が高い沼で食物連鎖の上にある蛇が大量に生息かと。その蛇の脱皮と、人の皮もむくアルカリ泉?の話。こわいですねぇ。 でも今では、蛇にとっては人間が天敵!人のほうが蛇より恐ろしい(笑)。これは進化の昔、人の祖先がネズミ類のときに蛇に食べられた潜在意識からの仕返しからだという学者さんがおられました。
○ Dr.付言 ⑦ に、
→【 「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。・・云々・・。 富といえば「トミ」=「蛇」なのです。社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。大社の「大」と思っていますが、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません。】 とあります。
出雲市に「富中」と書いて<トビナカ>と読む地名があります。わたしは、これを変な地名だなぁ?と気になっていましたが、師とのやり取りのなかで、この<トビナカ>に重大な謎解きの鍵が潜んでいることに気付きました。それは後述のコメントに関連するので、そちらへ回すことにしましょう。^^! 次の<ひょっとして大根の「大」>も大変大きな謎解きになります。それに気付かせてくださった Dr.に感謝します。 さて、この二つをどのようにまとめましょうか? 後の Dr.コメントが待ってます(笑)。 この、シップのクルーに、クイズ好き?の方がいます。 その手法を借りて^^! ヒント1.当初の図表と<赤字枠>二つ! ヒント2.このブログ記事の全読破(汗~!) ヒント3.亀さんペースで楽しみながら♪、 もちろん<じいさま>は、わたしに付き合って下さいますよねえ。(^-^)
『 社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。・・』
さらに、チラッと見せ)をしますと『交差』の言葉ですが、これは、この記事での本論になりますので後まわしにします。^^!
出雲に熊野大社? おもしろいですねえ。
出雲に熊野大社があるのは、はやくから知っていました。何故、出雲に熊野大社があるのか?とのつよい疑問をもっていました。師とのやり取りのなかで、その答が思い浮かびました。<その答を求めるには、今の私達がなにを成しているか!>に基づけばいいって! 例えば、地方(熊野)で、大きな会社があった。だが文化の発信地?の中央は東京(出雲)である。熊野から出雲に上京するには<日にち>がかかるし、外国(大陸)の最新情報も享受したい。そして毎年の10月(神無月)には次年度の方針(主に雨乞い)を決める会議(神議)がある。 出雲に支社(使者)を置いておくとなにかと便利。それが「出雲の熊野支社」(笑)。 全国(八百万の神)に影響力をもつ大会社は、一番遠い支社、(北は秋田県の岩崎。西は不明)が、新年の始まるまでに帰えれる往復の時間(2ヶ月足らず?)を考えて審議(祈祷)の開催日を決めてやらねばならない。12月(師走)の今頃、その支店長さん達(地方神を呼び寄せる術力をもつ御太夫さん)は、貴方の地へもう帰り着いたかな?(笑) 蛇足ながら、今、素人探偵が探求している話は、卑弥呼以前の(神代)の時代ですよ。念のため ^^! そして、この考えを追認して下さるには、今、考古学でいわれている当時の航海術と、歩行力と行動範囲、社会的基盤(インフラ)を大きく変えなければなりませんよ! それには秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて、3000人の童男童女を引き連れて、東方列島へ使わした「徐福」を<伝説だ>といわず史実だととらえることから始めなければなりません。「徐福」のことを知ったのは、師のブログ(いずものこころ)!。 私は、そこで「ペリー来航」も比でないほどの大きなカルチャーショックを受けました。 ここ迄がDr.付言①~⑦迄の総括コメントです。12/13~16追記
shigechanizumo | URL | 2008-11-15-Sat 09:31 [EDIT]
「御ブログにあった、そのガスはその時の大津波の打ち上げによる魚介類の腐泥ガスだと断言できます。」・・・すばらしい御明察です。ここからすると他のご見解もそのようではと・・・。実は、このガスは、「オモンバ」といって、大量に堆積した藻だということで、メタンガスなのです。ということは、ご指摘のように大津波で根こそぎはがれた海藻が菱根池(海につながっていました)に到達したと考えられ、しかもそれには大量の魚介類も混じっていたということになり、貴方の見解は正しいということになります。さて、荒神ですが、この原山には下照姫の乙見神社とは別に原の荒神さんという荒神が祀られています。この点からも、貴方の見解はさらに敷衍していただく価値があると考えます。どうか御検討を・・・。「鳥の地名が多いのなぜですか?」ということについても、確かに鳥(戸)屋、鳥屋尾、鳥谷、鳥井(居)、鳥島、鳥中など多くのものがありますが、私は、飛田、飛島、石飛、鳶巣(須)などと同類で、「トビ」=蛇を示すものだと考えています。ご検討の程を・・・。
[12月/17日、追記コメントを挿入] Ⅰ
腐泥ガス大半は海藻だったのですね。そう言われれば、近年の石油の値上がりで日本海沖で大量のホンダワラを養殖し、その腐泥ガスを石油の代用にする話がありました。その時の泥流波が何波まで押しよせたかは分かりませんが、出雲平野を東西に分ける「分水嶺」が大津町あたりですから、それより西は比較的浮遊物の堆積が多くなっていると思っています。大津町以東は段々と東へ行くにつれて砂礫粒が大きくなっているのかな? 海岸の砂浜を思いだして頂けれはいいですよ。
力が水(津波)という媒体によって運ばれる時、物質はたいへん効率よく分別される。
すなわち、砂礫→砂粒(大津町あたり?)→貝殻→海藻・浮泥(芥)?→魚→流木・等に、
素人は、これを似たものは似たもの同志集まる『同似集合の原理・作用』と名付けています。
御ブログにありましたように水田になる前の昔は、石ゴロゴロの荒れ地でしたよね。 わたしは、斐伊(ひい)川や、神戸(かんど)川の下流域に運ばれるのは<砂粒であって>決して石ゴロゴロでないと思っています。 だから、その石は「荒神さま(津波)が運んだ石」だから、ご先祖さまが恐れたのかとも!?
鳥の名の付く地名たくさんありましたね(笑) 特に「鳥名」の付く地名は<西出雲>に多いですよね。 わたしは、Dr.のお話を伺っているうちに、それ等は、四千年前の大事変とは<別のもの>かと?思うようになりました。 これは後に回しましょう。(^^!)
shigechanizumo | URL | 2008-11-15-Sat 10:17 [EDIT]
「(雨乞い文化圏)かと?」・・・。これもすばらしい御明察と見受けました。島根半島の出雲大社寄りの山塊には、雨乞いの山がいくつかあります。まず有名なのは楯縫郡の神奈備山である「大船山」。ここは、オオクニヌシの御子神であるアジスキタカヒコネの妻神であるアメノミカジキという女神が雨乞いを司っています。二神の間にはタギツヒコという子神がおり、旱魃でも水の絶えることのない滝の神とされています。次に有名なのは、出雲大社の東一キロほどにある弥山です。ここに雲がかかると雨になるといわれています。その周辺には、旱魃でも水の絶えることのない湧き井戸がたくさんあります。さらに驚くべきは、弥山の頂は500m近いところなのですが、たくさんの貝殻の化石が露出しています。「巨大竜は、<日御碕が口、地蔵埼がシッポです> 」・・・と指摘されますが、全くそのとおりで、竜は口から水を吐くと言いますが、この山塊にある水が絶えることのない滝や湧き井戸の原因は、竜が口に含んだ大量の水なのではないでしょうか。旱魃の時巨大竜の口から吹き出される水が慈雨となって降り注ぐのです。まさしく、八大竜王なのです。ご指摘のとおりと考えます。ご検討の程を・・・。
[12月/13日、追記コメントを挿入] Ⅱ
弥山の「弥」の漢字の意は知りませんが、その地域で「一番目」に位置する山かと。貝化石の件は、岡山県南にも<貝殻山>があり、雨乞いのためとはわかっていても、何故<山の上に貝を持ち込んだか?>と疑問をもう一つ重ねるとその意が解りません。 さらに、「大船山」の地名がこども心を揺さぶります。何故、山に船の名前が付いているのか? 類似名として、岡山県・津山、三重県・船山?(あとで確かめます。^^!) 四国の土佐には山名に<丸・シップ名>等、これらは、朝鮮文化からの影響と、雨水の輪廻からかな?と漠然と思ってはいますが、はっきりとした祖先の意が伝わって来ません。どうぞ師のお考えをお聞かせください。 いずれにしても、師の博識によって素人のこども心が具現化してゆくそんな楽しさを覚えます♪
< 付 記 >
4千年前の東北地方に端を発した巨大津波は、朝鮮半島は<元山、洪?^^!>に! 大陸では<天津や、北京の近くの竜因>にまで達したと推んでいます。これは津波の力が熱によるロスが無いことと、二つの地が超巨大な受けV字湾になっていること。「津波、川を上る」で、川が遠浅状になっている。ことに加えて祖先が<それらしい地名>を付けているという簡単な理由からです(笑)。 だから秦の始皇帝は、東方に神の異変をみて<徐福>を遣らしたとも思っています。
shigechanizumo | URL | 2008-11-15-Sat 11:48 [EDIT]
「<雨乞い>のために隔離し育てた “幼児の人身供犠“」・・・これも御明察だと考えます。まさしく、タギツヒコがその象徴なのです。不思議なことに、大船山のタギツヒコは、アジスキタカヒコネとアメノミカジキという二神の間にできた由緒正しい神(オオクニヌシの孫神)なのに、その後の動向が全く不明なのです。おっしゃる如く「<雨乞い>のために隔離し育て」られ、まさしく出雲危急の大旱魃の時に、「人身供犠」にされたのではないでしょうか。よく、供犠にされたものは石になるとされていますが、実はこの大船山には『出雲国風土記』にも記載があるとおり、また今日も、大小多数の石神が祀られているのです。これら大小多数の石神こそ、旱魃のたびに人身供犠にされた幼児なのではないでしょうか。ご検討の程を・・・。
[12月/17日、追記コメントを挿入] Ⅲ
「よく、供犠にされたものは石になるとされていますが」 恐ろしい言葉ですね。全くそのとおりなのでしょう。 その石の数をかぞえれば<荒神谷遺跡の大量の銅剣数>に、一致するかと?チラッと思いましたが、墓石としての形を留めるのは、せいぜい100年余りで?、2000年は遠くておよばない。 だが祖先は、それを<塚>が付く地名として全国津々浦々に残しています。 その考えは、後の五百羅漢へと継承したのでしょうかぁ?
釣りじいさん | URL | 2008-11-15-Sat 18:03 [EDIT]
shigechanizumoさんとのやりとりも面白い!!
世の中にはこれだけ知識をしっかり持って書き込める方もおられるんですね~・・・わしは・・・ただ読ませてもらって、にやにやしているだけですが。。。すんまへん!
釣りじいさま> コメントありがとうごぎいます♪
平 素人 | URL | 2008-11-16-Sun 00:57 [EDIT]
「見ていてくれる♪」 と思っただけでも、活力の源になります。なにしろブログを始めるまでの20年間無視のされつづけでしたからね。スパムに近い広報活動のなか(いずもの師)が、はじめて応対して下さったうれしさは今でも忘れません。 でもね、師のブログは、一度入り込んだらまるで <歴史のジャングルを探検する様♪> なかなか抜け出られませんよう ・・、(^^!)
くされ縁? 平 素人 | URL | 2008-11-16-Sun 01:27 [EDIT]
釣りじいさん・さん> つづきです。
これで日本海方面への釣り行きに、たのしみが加わったでしょう? そのキスが潜む海に写った、朝日・夕日の光道は、卑弥呼に通じる道かと(^-^) 腐れ縁、腐れ縁!(笑) 今、外は大雨か゜降ってます。明日(あした)になれば晴れてくれればいいのですが・・、
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 09:36 [EDIT]
「石飛=龍飛(崎)か?」・・・これも御明察です。出雲には、「飛龍」さんという苗字まであるのです。飛ぶ龍・龍が飛ぶ、しかもそれらは日御碕・龍飛岬、因縁としか思えません。私は、アメノカカセオを彗星と考えました、もう一度「、「大甕神社の神域を成している宿魂石は、甕星香々背男の荒魂を封じ込めた石である」を考えてもらえないでしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/54017348.html
[12月/19日、追記コメントを挿入] Ⅳ
↑上記の御ブログ訪問してきましたが、ドクターの深淵をみるには、まだ々時間が必要です。 以下、師のお考えに対応したコメントにならないかとも思いますがご容赦ください。
「アメノカカセオを彗星だと考えます」 そのとおりの御明解だと思います。私はそれ等について、次のような、歴史ストーリー(前々記事の概略)を考えています。
1、四千年前、地球を半周した巨大(彗星)隕石が、東北地方に落下した。
それによって発生した巨大津波は、列島各地に押しよせ大量の魚介類を恵みとして打
ちあげた。(津や福が関係する地名)
舞いあげた粉塵と蒸気は、大雨(慈雨)となって降りそそぎ、隕石の冬を伴った。
2、この大事変は、列島各地の人々に共通した恐怖をあたえ、被災(わざわい)と慈雨(恵
み)とを併せ持つ<荒神・雷神・イカヅチ!>の考えが生まれた。
3、稲作の発展とともに雨水の必要性が大きくなる。
4、当初は、土器の破壊や小動物の捧げものから、「私達には、この稚児以上に大切なも
のはありません。どうぞ荒神さま・水神さま、慈雨との交換を」 となる。
【ここからあとが師へのコメントです】
5、その「生け贄との交換文化」が永々とつづいていたある日に<伝承の彗星・アメノカカセオ=荒神>が、朝方夕方の地平線(金星の方角)に現れた。
その星は、段々と輝きを増し、やがて尾を引いた。それが全天に広がった時!人々は、「荒神の再来だ!荒神さまが怒ってござる!」と恐れおののいた。(卑弥呼)は、その星が巨大化すると予測しその難を逃れる祈祷をすると民衆に伝えた。 その彗星は東方より出でて西方へと沈む。卑弥呼は、その星が出でる東方の山頂に、剣を携えた<二武神>を従え 『 荒神よ!おとなしくし給え 』 と、祈り、舞い踊る。(かぐや姫の話にも似てますねぇ^^!) これが、謡い(うたい)や神楽(かぐら)や角力(すもう)のはじまりだ。 <祟り>という概念が浸透している社会において、その荒神と対峙(たいじ)するのであるから並の胆力ではもたない。 結果的に、この彗星はニアミス(退散)に終わり、卑弥呼はこの件で一躍有名になりカリスマ性を増した。
列島各地に残る、三上山、御上山、妙高、妙光、妙見山(信仰)、阿星(一番星信仰)は、その時の彗星に関係する地名だ! これ等の山名を東方に頂く地をさぐれば、その時、卑弥呼がどこに居たかが分かってくる。 出雲の神を舞う「備中神楽」の分布を調べれば卑弥呼文化の影響圏がみえてくる。 そして、約76年で周回するハレー彗星と70年で遷宮をする出雲大社本殿や伊勢神宮が近似値なのがおもしろいですね。 ( 以上、師のお考えを頂いてストーリーを仕立てあげました^^)
石飛、飛龍、宿魂石の件は、後に回しましょう。
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 10:10 [EDIT]
さらに、お考えのための材料を・・・。スサノヲを祀る日本初の宮「須我神社」の一キロほど西に、「海潮温泉」があります。ここの温泉は濃い塩分を含んでいるところから、海潮というのです。海岸線からは数十キロ奥まった山中です。さらに、スサノヲの本拠地「須佐神社」の「ゆかり温泉」の近くには、海につながっているという池があり、そこからも濃い塩分を含んだ冷水が湧いているのです。ここも海岸線からは数十キロの距離があります。温泉学者の説によれば、地中のナトリュウム塩だというのですが納得いきません。私は、この二つの、前者は隕石の衝突による地裂・地溝帯の出現が海水を呼び込んだのであり、後者は、隕石が地下の深部に及んだため地下の深部の割れ目から日本海の海水が流れ込んでいると推測するのです。なぜ、スサノヲと温泉、そして山中の海水が関係付けられているのか。また、玉造温泉、湯の川温泉は、源泉が異常に地表に近く、絶えず湯煙が上がる場所です。日本に多い別府温泉などの火山性の温泉ではないのに、なぜに源泉がこれほど地表に近いのか。クレーターだとしか考えられないのです。いかがでしょうか・・・。
[12月/21日~12月/25日、追記コメントを挿入] Ⅴ
師のお考えをまとめると、
スサノヲの本拠地 「須佐神社」の 「ゆかり温泉」 Na塩泉
雲南市大東町須賀 宍道湖から直線でおよそ10km
出雲中心から東、直線でおよそ24km
隕石が地下の深部に及んだため地下の深部の割れ目から日本海の海水が流れ込んでいる。
スサノヲを祀る日本初の宮 「須我神社」の 「海潮温泉」 Na塩泉
出雲市佐田町宮内 日本海から直線でおよそ10km
出雲中心から南、直線でおよそ12km
隕石の衝突による地裂・地溝帯の出現が海水を呼び込んだ。
さらに、この二つは火山性の温泉ではないのに源泉がこれほど地表に近いのは、クレーターだとしか考えられない。
【 火山性ではないのに?海から直線で10kmの内陸の地表近くでNa塩の源泉がわく! 】
そうですよねえ。 云われてみれば不思議ですよねえ。 そんなこと今まで考えたことがありませんでした。 つぎは師への対応論としてではなく、多岐にある考え方の一論ということでお願いします。(^-^)
一つ目は、<温泉熱の供給源は?>
ゆかり温泉から○km離れたところに三瓶山(さんべやま)火山、海潮(うしお)温泉から○km離れたところに伯耆大山があります。この地下にいまでも熱源があるとして、岩石の熱伝導率から、その地下を温泉にするだけの熱が伝わっているか否かが計算できないか?
さらに、別のてを? プレート同士がこすり合わせて熱が地表へ向けて上がるとき、或いはマントル熱が上昇するとき、岩石より熱を伝えやすい金属脈(鉱脈)を伝わって上がることが考えられる。 これって新しい考えかたかも~(笑) 1/4
二つ目は、<内陸なのにナトリウム塩?>
塩があるのは海。 それがなぜ内陸に? この問題は、かつて、こどもの頃の大きな問題でした。欧州の岩塩、サハラ砂漠、ゴビ砂漠にまで塩があります。私は、これを6500万年前の南極に惑星単位の衝突があり、それで発生した大津波によって海水が運ばれたためだと結論づけました。<電子版報告書・巨大隕石と大津波> これは、にわかには信じがたいので中止します( 汗!)。 海水が津波によって内陸の盆地状のところに運ばれ、後の雨水によっても海に流れ出ることなくそこへ塩分だけが留まることがあります。 しかし、このふたつの温泉は神戸川(かんどかわ)や、斐伊川(ひいかわ)と赤川を数十キロもさかのぼって津波が運んだとも思えません。 こんな時「そこは昔は海だった!」と、かたづけてしまうのが今の学説(笑)。 ならば地溝帯から海水の侵入か? でも海潮温泉近くの標高は54m。ゆかり温泉近くの標高は○m。 富士五湖なんかは火山弾礫で地下水位がつながっている湖があるというから、そのても考えておきたい。 しかし、だれが何といおうとも須佐神社の<塩の井>では、日本海が満潮の時潮の花を吹くという現実がある!
三つ目は、<スサノヲと塩・温泉との関係>
スサノヲと塩・温泉をむすびつけるお考えに敬服します。(→中学生諸君向けに)
塩の重要さを知らない現代っ子がほとんどですが、つい先だっての昭和代?(あとで調べます^^!)まで専売品として扱われ、戦前?までは食あたりの薬として使用されていました。塩には滅菌作用があるから傷口になすりつけた?(痛いのにねえー笑) 時代という時間を区切っての話は難しいのですが、弥生代以前においても塩水や塩分を生活にとりいれていたと思われます。塩と水は生活の必需品です。この塩と水の循環を考える、言い換えて<山に雨が降り、川となって海に至り、それが蒸発して、天に上り、再び地上に降りそそぐ> これ等を古代人が知り得ているのは明白の理。 このことを「雨乞い儀式」にとりいれた。
どんな儀式なのでしょうか。それ等の全て推み解いている分けではありませんが。
わたしは、護摩を焚くのを見たことがあります。コウラの中心にコップで塩を盛ります。そして、小さい割り木に、願い事と歳と名前を書きます。それをお太夫さんが、さきほどのコウラの上に積み上げ火を付け、お祈りをしながら一本一本燃やすのです。参拝者はそれに唱和します。 ことが終わると、懐に両手を入れ<イン>を結びます。このインは門外不出とか。そしてその後「エイッ!ヤッ!」と、神殿に向かって×印に<クジ?>をきります。 塩は?といえば崩れているかと思いきや、その形のまんまで固い「焼き塩」となっています。これを欠いて参拝者の各家庭にお下げ物といっしょに分け与えます。この塩は食あたりは勿論、その他諸々の病気に効くそうです。今ではそれは塩ではなくて「らくがん」に変わっていますよ(笑)。
わたしは、この護摩焚きに、古代雨乞いの原型をみています。お釜やコウラで海水を沸かし、「この海水が湯気になって天にのぼり、どうぞ雨に変わりませ」とお祈りをする。卑弥呼以前の神様は荒神さまで、以後は太陽神かな。潮水を煮詰めれば塩ができる。この塩は薬としてよく効いたでしょうね。
ひるがえって、『 なぜ、スサノヲと温泉、そして山中の海水が関係付けられているのか 』
キーワードは、「 荒ぶる(すさぶ)神、 温泉=熱い潮水、 そして、山中=源流(三瓶山火山) 」 これ等を関係づけた師の着眼点に敬服します。
スサノヲについて今少し、スサノヲは、イザナミ、イザナギの御子神で、姉がアマテラス大御神でしたかね? すみません間違っていたらごめんなさい。(この程度の知識もありません。汗!) わたしは、これ等を実在の人物だととらえています。 卑弥呼以前の神は、<天上(天井)におわす荒神>であり人物とはまったく乖離(かいり)している。それを何かの媒体に呼びよせ乗り移させる。出雲では究極的には、長さ60km、幅5kmの島根半島になっています。 卑弥呼は、その荒神彗星は、主神太陽が使わした竜であるとし、その変革をとなえた。 それ以後は、スサノヲと荒神、アマテラスと卑弥呼のように、神と人物がかぶる考えが生まれ現在にいたる。 弟は姉・卑弥呼の意(身代わり象徴物)に反して、従来の生け贄をともなう(乱暴な)雨乞いを主張する。だが幼児を生け贄にする雨乞に社会は嫌気がさしている。スサノヲは旗色悪く、その死後は当時の本拠地(出生地)出雲から離れたところ須我に追いやられ埋葬されたと考えるのは筆者のうがった考えでしょうか? その卑弥呼の死後太陽神にかわっても、欲しい雨は降るとはかぎらない。「やっぱり荒神さまは、生娘を欲しがっている」 と・・・、歴史は続いてゆく。
【 付 記 】
須佐神社の七不思議に、星滑(ほしなめら)という光る岩肌が須佐の中山にあるそうです。 それは、その時の彗星をあらわし、境内摂社の下方近くにある、雨壺(あまつぼ)という岩は、隕石の落下凹地を象徴しているとみています。
須我神社へ行くには、斐伊川の支流<赤川>を上っていかなければなりません。地図で見るだけなのですが、途中海潮温泉あたりは、山もせり出して川幅も狭く?古代の歩行では難しいようにみえます。尚、筆者は<赤川>の地名につよい興味をもっています。赤川は、師のブログで見たように鉄分によって赤いのか?それとも生け贄の血を流したから赤川と名付けをしたのかと。これ等から須我神社は隔離された場所かと推理しています。さらに「日本初の宮」にも興味を覚えます。「初」とは、人物を神としてみる考えの発祥地?かと。そして須我神社の上方に宮印が見えます。あってはならない所に御宮がある。わたしは、ここがスサノヲの埋葬地で、今ある須我神社は摂社(社務をつかさどる所)かと推理します。いわゆる社殿と本殿の関係かな^^! いずれにしても、そこへお参りして宮司さんの言葉を聞いてみたいものですね、
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 11:11 [EDIT]
更なる材料として、以前私のblogにも書きましたが、出雲大社のある場所は風水でいう「龍穴」に当たると、出雲国造千家統尊様が指摘されています。「龍穴」は、別な見方から「女陰」、「女陰」は別の見方からすればキサカイヒメが示すように「赤貝」、すなわち貴方の指摘される、「荒神=龍」=「荒神様は貝が好き♪」というのは、あながち「?(笑)」ではないように思われるのです。また、鮫龍の天敵は「貝」だという説もあります。中国の伝説の中に、巨大な貝に足を挟まれて、天に昇れなかった龍の話があります。アラフラ海の巨大貝のようなものに挟まれたのでしょうか。出雲全体が巨大な龍穴だったのではないか?・・・ご検討ください。松江藩主松平直政が、出雲大社のご神体を見たいといって無理やり本殿に入ったら、八穴の大アワビが、突然大蛇(龍)に変身したという記録も残っています。やはり、龍と巨貝は関係するのです。
[12月/26日、追記コメントを挿入] Ⅵ
これはあまり立ち入りたくない問題ですね(笑)。 というのは当ブログは、中学生子女をも対象にしているからです。それをいやらしいととるか、神事としてとるかは、そちらに委ねることに致しましょう。 師のお考えは大明解だと思います。それに続いて話をすすめます。 性の交わりを神事に重ね合わせる考えの発祥は、四千年前の巨大隕石にあります。 巨大隕石が男性で、それを受ける大地・凹地が女性。 山が男性で海や湖が女性。 これ等の考えは、昔の史記にあったかな? 今、各地で行われている祭りのなかに男女の交わりを象徴している行事があると気付かれた方もあろうかと思います。
中部地方以北で「石棒」という男性根に似た遺物が出土しています。 なぜ中部地方以北なのかを考えてみるのも面白いかも知れません。 さらに、山の名前のなかで一番多いという<茶臼山>もそのことと、雨乞いに関係した山ですよ。 その分布をマップ化すると雨乞い文化圏がよめるかも知れません。
正月が近くなりました。その正月前に餅をつくのはなぜ? おめでたい時の紅白のお餅なぜ?こども心には、この謎解きを始めるまで、その祖先の意が解りませんでした。 即ち、杵が男性で臼が女性。 白餅が精子色で紅色が月経色であることも。 子宝を願うのは古今東西みな同じ! 今、師の啓発でやっと分かりました。 なぜに出雲大社が<縁結びの神様>かと。 島根半島の形状は男性根にも似ています。 すると女性は海かな? 海には貝も生息していますしね.。さしずめ、龍が男性で巨貝は女性ってとこかな?(笑)
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 11:31 [EDIT]
もう一つ材料を・・・。アメフラシ(雨虎、雨降)、別名ウミウシは、貝殻を持たない軟体動物の一種だとされています。和布刈(メカリ)神事をする日御碕神社の海岸には、このアメフラシが大量発生するのです。「アメフラシの名前の由来は、海水中で紫色の液をだすとそれが雨雲がたちこめたように広がるからと言われる。また、雨の時に岩場に集まるからという説もある。」とされています。しかし、一番の特徴は、刺激すると角を出すことです。それを、牛の角と例えるか、龍の角と例えるか、私は龍の角と例えるのが妥当だと考えます。しかるに、またの別名に「タツナミガイ」というものがあるのです。こうしたことから、出雲でもある意味神聖な海の生物とされていますが、連想できるのは、アメ・雨・龍・貝、そして出現地が日御碕・・・どう考えれば・・・。
[12月/28日、追記コメントを挿入] Ⅶ
「和布刈(メカリ)神事をする日御碕神社の海岸には、このアメフラシが大量発生する」。 とても面白いですね。「メカリ神事」のこと御ブログにあったような気がしますから後で調べてみましょう。(その前に、その記事を捜しだすのが大変 ^^!) 祖先が生き物を神聖視化するものには、どんなものがあるのでしょう? 奈良の鹿、因幡の白ウサギ、鹿児島の丹頂鶴、北海道のクマ、その他、白ネズミ、白ヘビ、白キツネ、イノシシ、赤牛さん、等々。 これ等には北海道の熊を除いて共通点があります。
その共通点とは、目や頭が<赤い>ということと、体外に出た角や牙や<長いシッポ>を持っていることにあります。 これは、4008年前の夜空を飛んだ巨大隕石が <赤く尾をひいた>ことに起因しています。 師のブログに 「流星と、網目の赤いホオズキ」の写真がありました。 この赤く垂れ下がったホオヅキを横に向けるか下に向けるかにすれば、その時の巨大隕石に見えませんか? でないと、わたくし個人的には 「ホオヅキ祭り」 を神聖化する考えが生まれません。 さらに、貝塚時代の門歯の抜歯。 時代劇のお歯黒。 額をそり上げる月代(さかやき)等々、こども心には理解が出来ないことばかりでした。 この底流には頭骨が隕石で、体外に出ている角や歯や尾は、その飛翔を表していると推んでいます。 さらに々、花嫁さんの「角隠し」ってなぜ? あんなに可愛い花嫁さんが 「角」 持っているのかぁ~?(笑) 奥さんとか、おカミさんって云うのなぜぇ? ちなみに、我が家での妻と私の関係は?、尻に敷かている。そのふりをしている? これに付いては深く追求しないことに致しましょう。
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 14:29 [EDIT]
さらに材料を・・・。出雲では山の中を歩く時、ある時期になると、「トビョウ」がいるから気をつけろ、とよく言います。足元だけではなく、木の上からの危害も気をつけろということです。木の枝に巣を作った鳥の卵を狙って、蛇が木を登るのです。蛇はウロコを立てて進むのですから、木に登ることはできるのです。しかし、降りるとなるとウロコの歯止めが逆さですから降りられなくなるのです。そこで、どうするかというと、バサッと飛び降りるのです。蛇が空を飛ぶように見えるのです。「飛ぶヘビ」がなまって「トビョウ」というのです。従って足元ばかりを気をつけていると、突然、空中からヘビに襲われたようなことになるのです。ヘビが空中を飛ぶのなら、龍も空中を飛ぶことになるのですから、飛龍もいるだろうとなるのです。・・・少し次元が落ちましたが、いかがでしょうか・・・。
[12月/29日、追記コメントを挿入] Ⅷ さて、ここからが保留(クイズ)にしておいた、
≪出雲大社の御神体は隕石か?≫に、思いをめぐらすことに致しましょう。
( 11/16・ 追 記 )で、その≪岩割伝承≫から、御神体はもっと固い場所かも? 石飛=龍飛(崎)か? 精査すれば飛来方向が? と掲げておきました。
師のお話に「出雲には、「飛龍」さんという苗字まである」がありました。私は、島根県の人で「石飛さん」という人に会ったことがあります。日本での名付けは、○○村の吾作どんというように、性に地名がつくことが多々あります。そのなかで石飛さんは異質ですよね。<石飛=隕石>。 石が飛んだから「 石飛!」、隕石というよりこのほうが直接的で分かりやすいと思いませんか? 飛龍さんは少し後の名前かも知れません。 先の須我神社・海潮温泉の近くに<飛石>という地名がありました。ここに「古代鉄歌謡館・ミューズエコー」があります。その歌がどんな歌か? そしてその傍らにある御宮の宮司さんにも、お話をうかがえば何かの手がかりが得られるかも知れない。
以前に、<富中>とびなかと読みます。が気になっていると申し上げました。師のお話を聞いているうちに、「富とび」のはじめは「飛び」であろうと気付きました。そして「中」ですが、これは中心の中! そして「「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。云々」がありました。位が高いということは重要性が高いということ。 私はこのふたつから出雲大社の御神体はこの辺りに落下した可能性大ではないかと思っています。
出雲大社には八百万の神々が集まるという神話があります。たとえそれが神話であろうとなかろうと、他の地にはそのような神話がありますか?と質問したい。 さらに、出雲の大社町では望楼?とされるスギの大木の根っこが発掘されています。 そのような並々ならぬ歴史を持つ出雲大社が、その辺の路傍の石を御神体にするでしょうか? それは衆知が認めるとんでもない石でなければならない。
その時が何時かは特定出来ないが、<その時を想像すると>、
○○時、出雲の地に隕石シャワー?があった。 人々恐れおののき出雲おそるべし!
その中にウラン鉱を?含むものがあった。 隕石が金属を含むものには鉄が大多数であるが、中には、高温極重圧で生成するダイヤモンドを含むものがあるから、それが放射性物質ではないと完全には否定出来ない。 それに近寄れば体調を崩すし髪の毛も抜けたかも知れない。 「荒神さまの御神体だ!分身だ!」 それやこれやで大社の御神体に! しかし、それを確かめることが出来るチャンスがあるのは、60年後の本殿遷宮(せんぐう)の時であるのがつらい。クルーの皆さんへ、以上、Dr.のお考えに付けたした部分は、素人の全くの想像ですからね。念のため(笑) つづきます。
<出雲大社の御神体(隕石)の落下地を絞り込め!>
①先ず、「 飛石、富中(とびなか)、石神 」等の、隕石に関係した地名を<国土地理院・電子版、Yahoo!地図>等で捜しだし分布図を作成する。
②次に、それ等に関係した姓名の分布を電話帳で捜しだす。(電話帳は図書館にあります)
このふたつで、かなりその候補地が浮き上がってくるはずです。(分布色の一番濃いところ)
③三つ目、それに関係した名前や由来の社寺を捜しだす。
これは、素人探偵がつよく言っておきたいことですが、「現存する社寺」以外に、その御神体・隕石の落下地はありません! (もし、これを疑う貴方がいたら、このゲームには参加されないほうが・・・、笑) 祖先は、その<場所>を、冒すべからざる生誕の地等の類似語で、必ず遺しているはずですから。 この時、その言葉や言い回し、表現の違いに惑わされてはいけませんよ。(飛石=隕石=竜神=石神さま、等はいっしょですからね) そして、こういったことには、「おれが本家だ!おれが元祖だ!」という場合がなきにしもあらずですから、ご注意を^^!
④ 師のお言葉で、『1.遷宮の際にご神体が仮殿に移されるのですが、異常に重いこと。2.次の遷宮(60年後)までの間に、分厚いご本殿の床板が異様にたるむこと。4.丹波などに残るオオクニヌシの岩裂伝承(大きな岩を砕いて沼の水を抜くこと)』がありました。
これから、その御神体の大きさ・重さを想像すると200kg以下、100kg程度かな?? 建築基準法で床の抜けない強度は平方m当たり200kgと聞いたことがあります。 他事ながら、ピアノを置く場合の床は補強しておかないとね。
⑤その隕石の落下・衝撃痕の大きさは?、『岩裂伝承(大きな岩を砕いて沼の水を抜くこと)』から想像すると、池でなくて「沼」ですから差し渡し15m以下かな??
読者の皆さん、[ ビッグゲームへの御参加を!]
以上を御参考に、その落下地を捜索してみませんか? こっから先は実行あるのみ!!
おっと!大切なことを忘れていました。その沼の形は必ず<円形>ですよ(^-^)♪ そして、その沼?が発見かったらその沼底が熱的変化、即ち熔けてはいないか? さらに顕微鏡単位のSiO2・酸化ケイ素の捜索も致しましょう。 でないと地質学者は、それと認めてくれませんからね。(笑)
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 16:02 [EDIT]
今回最後の材料です。どのようにお考えかご教示いただけたら幸いです。問題は、龍と玉の関係です。私は、出雲の龍は、命主神社のヒスイの勾玉に封印されたと考えたいと思います。様々な絵画や、彫刻に龍と玉が一緒になっているものがあります。しかし、通俗的な関係ではなく、出雲特有の考えを述べたいと思います。龍は玉に入り(吸い込まれ)、凝縮されて固形化されたと考えるのです。従って、出雲のヒスイの勾玉には、龍の命(魂)が潜んでいるのです。そのヒスイの薄緑の透けた色は、龍の肌の色の象徴なのです。では、そのヒスイがなぜ銅戈とセットなのか。「戈」は、動物(人も含む)の首を掻く武器なのです。ヒスイに封印された龍が抜け出そうとすると、この銅戈が龍の首を掻くのです。鮫龍は金属を嫌うというのも、そうしたことからです。中国には、斬蛇伝説がいくつもあります。太刀で前をふさぐ大蛇をヅタヅタに切り刻んだ者は、王になれる(なる)というものです。出雲の龍は、ヒスイの大勾玉に押し込まれ、銅戈で、その復活をふさがれ、さらに命主神社の大岩の下に、そのヒスイの大勾玉と銅戈はセットにされて埋められたのです。おっしゃるように、それは、銅鐸から銅鏡へのチェンジの一端であったのかもしれません。しかし、私は、いつの時代にかはヒスイの大玉から出雲の龍が抜け出して、大きな時代の変化をもたらすのではないかと思っています。すべての封印が解かれ、時代が動き出すのです。そのためにも、貴方のような探索をしておく必要を、ヒシヒシと感じるのです。これからの探求を心から、いや出雲龍に代わって願っております。長々と、出雲に引き止めて申し訳ありませんでした。
[12月/日31、追記コメントを挿入] Ⅸ
Dr.とのやりとりも、この記事で一番重要な部分になってきました。いちどふり返って読み直してみましたが、自分でも何書いてんだか分からないところがあったりして。 このような駄文にお付きあい頂いてありがとう御座います。 Dr.のブログ初頭写真にあり、出雲大社の東側にある命主神社の大岩の下から銅戈と共に出土したヒスイの大勾玉には列島の歴史が凝縮されているように思います。次のDr.へのコメントⅩと、いっしょにして自分の思いを述べたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
平 素人 | URL | 2008-11-18-Tue 00:23 [EDIT]
shigechanizumoさん> こんばんわ♪ コメントありがとう御座います。
師が、こんなに長いコメントを下さるなんて、その長さだけ当ブログを!と思うと・・「感激」に耐えることが出来ません。改めてお礼をいいます。 それに全てお答えできるか、又ピント外れや、にわか返事にも、ご容赦を頂いて筆を進めたいと思います。
と、思って筆をとったのですが、あまりにも衝撃が大きく筆が進みません。
別の記事(カテゴリー出雲地方、2)をたちあげますので少しお時間をください。
衝撃その① 「銅カ」が首を掻く武器だと知ったこと!
予想が的中し、それが具現してゆく、恐ろしさでいっぱいです。
衝撃その② 出雲大社のご神体が、氏の予想のように放射能を発する隕石では?
そして、「石飛さん」等の地名・姓名の分布からと、「岩割伝承」等の氏の知見をプ
ラスすれば、その落下地が絞り込めること。
*申し訳ないだなんて、師の仰ることばではありません。氏が動いて下さらなければ、世界史が動くまでに後30年はかかるかも知れません。 ねえ○○さぁん♪共に長生きしましょうね。ボケないで(笑) カテゴlリ<出雲地方1>のコメントを、上の「極秘報告書」のポチもどうぞ!
shigechanizumo | URL | 2008-11-18-Tue 15:38 [EDIT]
誤字脱字があったので再度掲載します。ごめんなさい。・・・最後の最後です。勾玉のあの形状は何から来ているのか。一説によれば、腎臓だという人がいます。古代人は心臓よりも腎臓の方が神聖だというのです。そして、その、ソラマメのような形に魂が宿ると述べられるのです。もう一つの有力な説は、人間の胎児の形だというのです。妊婦のお腹の中で丸まっている胎児の形を模したものだとされるのです。しかし、これらの説には納得できません。なんといっても、聖や畏れの本質に全く迫っていないからです。腎臓を見て畏敬の念を感じるでしょうか、胎児の形を見て、確かに神聖さを感じることはあるかもしれませんが、何かもっと超越的な、おののくような畏れを感じるのでしょうか。私は、龍の形、それもヒスイに凝固(封印)された龍の形ではないかと考えるのです。話が軽くなるのですが、勾玉はタツノオトシゴに似ているのではないでしょうか。また、玉というものは表面に水滴を発生させます。水晶玉もそうです。そこから、降雨、祈雨につながると言うことが昔からいわれています。龍-玉-祈雨となれば一連のつながりとなります。また、ヒスイの原石は日本では原石の原産地こそ糸魚川周辺ですが、そこの原石を割って加工したものではなく、割れた原石が糸魚川から日本海にたどり着き、そこの海岸に打ち上げられたり、海底から採集されたものを加工したものです。水底の宝とされてこそヒスイなのです。では、平さんが指摘される出雲龍=島根半島(頭が日御碕、尻尾が美保関)は何なのでしょうか。私は出雲大社のヒスイの大勾玉に凝固(封印)された出雲龍の抜け殻ではないかと思っています。巨大な出雲龍は、新しい祭儀の登場によってヒスイの大勾玉に凝固(封印)されたのですが、その巨大な形状は島根半島となって残されたのではないでしょうか。ということは、ヒスイの大勾玉を封印し続けることこそ、新しい祭儀をもたらした卑弥呼の役割だったといわなければならないのです。ご参考までに・・・。次はありません。期待しています。
[12月/31日、追記コメントを挿入] Ⅹ
Dr.へのコメントⅨと、Ⅹをいっしょにして、この記事の末尾でむすびたいと思いますのでよろしくお願い致します。
Mr.シャーロック ホームレス(和訳:降岩 放浪人)
| URL | 2008-11-19-Wed 23:42 [EDIT]
Dr.(いずも)さま> 数々の興味深いコメントありがとう御座います♪
お問い合わせの件♪、少しの間?(ちょっと長くなるかも知れませんがぁ~笑)お時間をいただけませんか。東北の記事は、佳境にはいってます。 こちらが卑弥呼へつながる源です。どうぞ<出雲地方・2>を立ち上げるまで、こちら東北でも楽しんで下されば幸いです。(^-^)
一太郎 | URL | 2008-11-20-Thu 01:35 [EDIT]
すばらしいやりとりで、立ち入る隙もありません。
真実を知りたい。包み隠されたものでない事実を!
それを追い求めている平素人さんに、(拍手)
大事なお知らせが! 平 素人 | URL | 2008-11-20-Thu 20:48 [EDIT]
一太郎さん> ありがとう御座います♪
大事なお知らせがあります。ぜひカテゴリー<出雲地方・1>のコメント欄のほうへ飛んでみてください。^^!
<記事出雲地方・1の、コメント欄より>
shigechanizumo | URL | 2008-11-18-Tue 17:22 [EDIT]
種明かし。私が突如として、非力を承知で上腕周り45センチの腕をキーボードに向け、部下の怪訝そうな目線もいとわず迷惑なほどの投稿を今日までしたのは、氏の「皆さんも一度、神社・ご先祖様に頭をたれて『現代科学という、そのスス』をお祓いして貰えば?」という文章にいたく感動したからです。平さんこそ、その言を使う資格があると思っています。私も、今まで人から首をかしげられないために、まともを装って物を書いてきましたが、平さんに非科学をぶつけることによって何かを産んでくださると思うようになりました。私の中に膨大に堆積しているトンデモ話を、これからも少しづつぶつけますのでよろしくお願いします。
Mr.シャーロック ホームレス(和訳:降岩 放浪人) | URL | 2008-11-18-Tue 22:54 [EDIT]
Dr.(ワトソン)と呼んでいいですかぁ?
師を Dr.(いずも)と呼んでいいですかぁ♪ 私は20年ドクターワトソンと呼べる人を探し続けてきました。 私には少年心(こどもごころ)はあっても知識は中学生並。 この、≪大事変≫を世に伝えるにはドクターワトソンが必要でした。 やっとそのお人がという感じが致します。(ただしOKをもらえればね) 昨日の師の行動はわたしが観てもじんじょうではない。仕事前の8:58分に毎日の記事がUPができるほどの知見の持ち主。 日曜祭日は必ず休み。 このん年間、判を押したよう。でもねただ一度だけ特権つかって時間内に(笑)。 コメントは短く。 文章は2分間で400字?がうてる頭の廻転の速さ。 清張氏の愚弄呼ばわりでは毅然と!。(カッコよかったですぅ♪)その氏が・・・!、(それほど迄に・・・、と思うとうれしくて目頭が・)
Mr.シャーロック ホームレス(和訳:降岩 放浪人) | URL | 2008-11-19-Wed 00:16 [EDIT]
わたしがイメージしていた師の姿は、体重75~79kg 身長178cm、顔はヤマモトカンサイさんふう、髪はオールバックで白髪まじり。 でもね、上腕45cmは想像もつかなかった。 これについて絶対返事しないでくださいね! でないとシャーロックホームズが、「わたしの名をかたるなぁ!」 って、怒ってくるから(笑) [自己紹介です?]・んで、 わたしのほうは、「あんな大論を書くお人がぁ゛~幻滅うぅ~!」 です。(^^!) バガボンのパパ似かな?ぼそり!
只今のわたしを支え応援して下さる方は、6人(+α人)います。お二人はコメントを! あとの4人は、ドリフ・カトちゃんのずんどこ節♪「電信柱の影」で、私を(笑)みまもって?くれてます♪ この方たちを(6人のクルー)と位置づけています。 ことが成ってからチヤホヤされるのは、私も嫌いです。 今、出雲の銅カと、ご神体の落下地を発見出来るのは、師しかいません! 世紀を変えるトップびきは貴方です。 お互いが得意とすることを出し合い、その8つ目の海に出帆しませんか♪ (まえの記述に3時間かかったスローペースの亀さんより)^^!
shigechanizumo | URL | 2008-11-19-Wed 09:18 [EDIT]
漕ぎ出しましょう。宇宙という八つ目の海に向かって・・・。
♪緊急の告知です♪
Mr.シャーロック ホームレス(和訳:降岩 放浪人) | URL | 2008-11-19-Wed 21:32 [EDIT]
sigechanizumoさん> コメントありがとう御座います。 八つ目の海:グッドネーミング♪
さっそくの御快諾ありがとう御座います。今後略して師のことを<Dr.>と呼ばせて貰います。私を支えて下さっている釣りじいさん・さんは<じいさま>、一太郎さんは、桃太郎、浦島太郎も含めて<たろさん>はいかが? そして6人+?の<クルー>のかたは? もしよければ御自分の愛称をつけて名乗り出てください。^^! 私はMr.で結構です♪ 船の名は<竜神丸>英訳:Ship of Dragon 通称<シップ>。 役割はいままでとおり。但しこの船の<航跡>を後世に伝えることを約束してください。 Dr.が命名してくださった、<八つ目>の宇海・うみへ!♪(註;宇は、宇宙の宇であり全てを鵜呑みにした大津波の宇でもあります) それには約1700年の、眠りに就いている船<出雲半島・巨大竜>を縛り付けている錨<銅カ>を上げることから始めねばなりません。さらに「大量の銅剣」も要るかも知れない。 皆さんには、もう一度コメントも含めてmyブログ読破して欲しい。^^! 私はその間にやり残している<東北での仕事>を・・・!(汗~!) 以上提案します。 2008 11/19 (^-^)♪
一太郎 | URL | 2008-11-23-Sun 01:40 [EDIT]
いいですよ。 同行させてください。
航海楽しみだな。 < た ろ >
平 素人 | URL | 2008-11-23-Sun 04:07 [EDIT]
わ~ぃ♪ ももたろさん+うらしまさん+きんたろさんがプラスされた<たろさん>が、いっしょだぁ~♪ こころつよいよ~!
( こども心と、あそび心 )を乗せて、しゅっぱぁ~つ!
クルーへ、「推理実話」をつくりましょう♪
史実探偵: 平 素人 | URL | 2008-12-04-Thu 21:39 [EDIT]
これは、ロマンでもなければ、夢でもない。 その史実の解明へ向けて、 『21世紀発・(宇宙という八つ目の海)』 へ、
その(シップ≫は、出雲半島で1700年の眠りに就いている。 さあ、来たれクルー(同士)よ!
錨を上げて、帆を張れ! 銅剣を携え、ドラを鳴らせ! ともに、その(宇海)へ出帆だぁ~~!
このやりとりは、歴史に残る! それが史実だけに コナンドイルさん、どころじゃあないよ。
以後、クルーのコメントも関係すれば、より面白くするために(素人の独断で^^!)、随時入れさせて頂きますので、どうぞ御了解のうえでのコメントを^^!。ご異論や、ご要望があれば、かえって「この物語」をもりあげる。 不備があれば訂正すればいい。 よりよい<推理実話>をつくりあげるために!どうぞよろしくです(^-^)♪
< Dr.~!>大変長らくお待たせしました。^^!
以後、この記事をさかのぼって、緑の色字で [○月/○日、追記コメントを挿入」 として、私見を入れたいと思っています。 読みにくいとは思いますが、どうぞよろしくお願い致します。 (2008 12/11)
釣りじいさん | URL | 2008-12-11-Thu 11:59 [EDIT]
にゃははは~! へいへい、「じいさま」でやんすよ~。
巨ギスの住むと言う(?)八つ目の海を目指して、シップでの航海、わしも乗り込みやしょうかね~。老人と海にならんように祈りながら、Dr.さん、たろうさん、Mr.さん、よろしくで~す・・・って、一体どうなるんじゃろうかね~、楽しみ、楽しみ♪
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-11-Thu 19:53 [EDIT]
じいさま> コメントありがとうございます。このコメントも記事に入れさせていただきます♪。 この企画(遊び心と、少年心があって)気に入ってもらえるでしょう? 記事一辺倒では、おもくて愉しくないですからね。 その楽しみ方を教えて下さったのが<じいさま>ですから(^-^)。 責任とっていただきます!
オオッ!!! shigechanizumo | URL | 2008-12-13-Sat 17:30 [EDIT]
13日付けの内容は、すばらしい出来です。次を楽しみにしています。「大社の設営は菱根池にあり!」、私も秘かにそのように・・・。付け加えれば、菱根池の北山側には、「本郷・菱根遺跡」があり、これは縄文・弥生と続いた遺跡です。
参考までに、PDFを添付します。
http://www.taisha.jp/files/20050311175237arakizeniki.pdf
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-13-Sat 22:08 [EDIT]
Dr.(いずも)さん> コメントありがとう御座います。(^-^)
ドクターに、最高の褒め言葉をいただくなんて!と思うとうれしくて、々・・・♪
・・・でしょう!?。 少年期に受けた<思いって>こころの奥底にふかく刻まれていますものね。 わたし素人も、当時「科学だといってることが『何かおかしい?』 今では、それが高じて「今にみてろよ」(笑) 師と組めばそれが、できそうな気がします。 参考の<PDF>あとで調べてみます(人差し指2本でボチボチと・・・、汗~!)
そうでしたか本郷には、遺跡がありましたか。祖先からの伝言として「本・中・元・古・小・子・源」等がつく地名には、その発祥地?として注視しています。
一太郎 | URL | 2008-12-14-Sun 07:48 [EDIT]
研究も佳境に向かっていますね。 (拍手)
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-15-Mon 06:21 [EDIT]
一太郎(たろ)さん> コメントありがとう御座います♪
ハイ! 楽しみにしてください。 それがXmasプレゼントになればいいのですが ^^!
一太郎 | URL | 2008-12-21-Sun 07:22 [EDIT]
どんどん推理が深まっていきます。 謎も解かれ、また謎を呼びと・・
迷宮に入り込みながらも、あきらめないで追い求める。 平素人名探偵さんに、 拍手
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-21-Sun 14:51 [EDIT]
一太郎さ~ん> コメントありがとうございます♪
「名探偵」だなんてぇ~・・・汗!、 そんなほめことば、はじめてです♪
ほんとにその気になっちゃいますよう。 迷探偵にならないようにがんばりま~す(^-^)♪
龍眼 shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 16:36 [EDIT]
私が不思議に思うのは、「龍」というその「龍」は日本列島の龍だろうか、あるいは中国大陸・朝鮮半島の龍だろうか、それとも南海生まれの龍だろうかということです。そもそも出雲に封印された龍は、出雲産の龍なのか、それとも外地から出雲にやって来た龍なのかということです。鷺銅山や鵜峠銅山と並んで、同じ山塊に鰐淵銅山があるのですが、ここには出雲修験の本山みたいな鰐淵寺があるのです。しかも、推古天皇の「龍眼をいやした」ことから勅願寺となり、推古天皇が女帝であったことから、子年女性の守り本尊として祀られる。といういわくもあるのです。鰐は龍と結びつきます。推理の程よろしくお願いします。
鰐と龍 shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 16:56 [EDIT]
中国の伝説上の動物、竜のイメージの原型は、絶滅したマチカネワニではないかという説もあるそうです。・・・『ワニ学者の青木良輔は、竜の起源は、古代に長江や漢水に実在したワニの一種(マチカネワニ)であり、寒冷化により絶滅した後、伝説化したものだと主張している』・・・。ご参考までに。
マチカネリュウ shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 17:11 [EDIT]
URLを紹介します。
http://www.museum.osaka-u.ac.jp/valuable_specimen/sample0012.html
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-22-Mon 22:37 [EDIT]
Dr.> コメントありがとうございます♪
まず始めに、師が掲げられた問題に、知識がなくてついていけなかったり、興味をひかれ道草したりして、コメント記事が遅々としていることをお詫びいたします。(^^!)
「龍と鰐」のお話、とてもおもしろいですね。 わたしも始めは、龍は中国伝来のものとばかり思っていましたが、祖先の「地名という伝言」を受け取るにあたって、絵に描かれている龍は、日本の考えが逆輸入されたものと思うようになりました。(ちなみに、地名で竜とあれば古い地名で、龍と書けばその後の地名かと? あるいは外来の語句(今では英語化)がかっこいいから竜から龍に変えたかと)
【 その構図を簡単に描きますと 】
四千年前、北海道・東北地方の空を飛んだ<赤い巨大隕石>を祖先は「リュウ」と命名した。
東北発の大津波は、すでに相当な文明を蓄積していた大陸に甚大な被害をもたらした。
中国は東方の海洋に、その大地震や大津波をもたらした神がおわすと思った。
そういう歴史的下地があったからこそ、秦の始皇帝は徐福に3000人の童男童女を連れさせ、神が住むという東方列島へ「不老不死」の薬草をとりにやらせた。(たとえ何代かかろうとも必ず持って帰れってか?笑) こっから先は、師のおとくい分野!(笑) その列島の人達は「リュウ」が空から降りてきて、地震や津波や曇天(隕石の冬→類似語、核の冬→粉塵による地球規模の気温降下)をもたらしたという。その「リュウ」は?と聞けば、赤い頭をして尾は細長く、その咆哮は天地に轟き、八方に飛び散ったという。 もとより中国も地鳴りや大津波を同様に経験している。 絵を描くのは中国が得意。八方に散った角 生やし、赤い火の玉握らせて!。こんなものか?と「マチカネワニ」♪。(こっから先は、そのセンセ!)
いかに大陸の文化が優れていようとも、その文化の全てが一方通行で入ってきたとは思えない。その隕石の<赤>を基調とする鳥居や建物は、日本古来のものであり、大陸や、遠くヨーロッパへも渡った唐草模様・アスベスク模様は、日本発の 「緑なす大津波」 だと思いたい。 だから、欧州人が、その震源地・神秘の国ジパングへ操り出したのだとも! ちょっと唐草模様の大風呂敷を広げてみました。(笑)
絶賛 shigechanizumo | URL | 2008-12-24-Wed 14:42 [EDIT]
「中国は東方の海洋に、その大地震や大津波をもたらした神がおわすと思った。」・・・中華思想を打ち破るすばらしい発想です。絶賛!!!中国の人は、すでにその時代に、・・・「日本列島は、地球を覆っている十数枚のプレートのうち4枚のプレートの衝突部にあって、世界的にも活発なサブダクションゾーンのフロントに位置している。」ことを薄々知っていた!
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-24-Wed 20:40 [EDIT]
Dr.ったらぁ~> ほめすぎ、ほめすぎ♪
わたしは、四千年前の大事変を中国の人や韓国・朝鮮、ひいては世界の人達と共に解明できたらいいなと思っています。( 追記;学問に国境はありませんからね♪)
六千年・八千年ともいえる歴史をのこす中国なのに 「中国四千年の歴史」 と、なぜいうのか? こども心には合点がいきません。
謎 shigechanizumo | URL | 2008-12-25-Thu 17:35 [EDIT]
私は、中国大陸はあっても中国という国はなかったと思うのです。日本列島にある程度均一的に暮らしていた人達から見れば、海南島あたりの人、揚子江河口の人、黄河河口の人などを比べると顔かたちは似ていても彼らの文化的な基底・内容の違いにとても驚いていたのではないでしょうか。とすれば、中国・中国と一まとめにすると、とても間違った見方をしてしまうことがあるように思っています。私は、中国大陸と日本列島とは平らさんが考えるように、海・水つながりで考えると分かりやすいと思っています。従って、平さんが日本で起こった大津波によって中国が東の海の方向に覚醒されたという考え方を高く評価するのです。日本への騎馬民族の影響などほんの1500年前あたりの近い過去の出来事に過ぎません、従って、平らさんの時間的な設定、すなわち4000年前の大事変・出来事を中心とした考察に期待しているのです。
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-25-Thu 21:46 [EDIT]
Dr.いずもさん> コメントありがとうございます♪
お褒めのお言葉に恐縮しています。 Dr.のブログ広しといえど、このような絶賛のお言葉みたことがありません。 そのようなお方がそれ程までにと思うと感謝のこころで身が縮むおもいが致します。 師と組めばなにか大きなことがやれそうな気がしています。 世界史においてはBC2001年、日本史においては銅鐸文化が銅鏡文化にかわる時が大きな節目。(それしか知らない^^!) そうですよねえ。中国は他民族国家。 せんだって兵馬俑の朝日記事がありましたが、あれってどっち向きですか? 東を向いていたら面白いですねえ。 どっち向いていたってかまわないのに、なぜ東向きにってことになるから・・・??
期待 shigechanizumo | URL | 2008-12-29-Mon 17:09 [EDIT]
平さん、来年は期待してます。平さんによる、驚愕の超古代史が展開されますよう・・・。
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-29-Mon 20:29 [EDIT]
Dr.izumoさん> コメントありがとう御座います♪
Dr.が、この{シップ>に乗船してくださって、夢が夢でなくロマンがロマンでない、志が具現化してゆく喜びがあります♪。 その八つ目の海の先には八代竜王がしくんだ七難八苦が待ちかまえている予感がします。Dr.& クルーの皆さん!来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
Dr.は、明日から4日までお休みですね。ありがとう御座いました。どうぞ御ゆっくり充電なさってください。 クルーの皆さんも♪(^-^)♪
< 結 び >
Dr.izumo 氏>への コメント Ⅸと Ⅹです。 年が変わり2009年1月1日になりました。
表題<出雲の巨大竜を縛り付けている「銅戈」を捜せ!>の結びです。
出雲の祖先には島根半島が、四千年前の東北地方へ降臨した巨大隕石によって発生した巨大津波に乗って西進しているように見えた。 (カテゴリー出雲地方1を参照して下さい)
以来、祖先は島根半島を竜神が宿る島として崇(あが)めるようになった。その後、列島には、禍や慈雨を成すのは、荒神さまである竜であるとの考えが生まれ定着し、稲作の発達から慈雨を願い幼児の人身供犠へとエスカレートした。その文化が永々と続いていたある日に、禍をなすという彗星が現れた。ヒミコは云った。「やがてあの星は全天を覆うだろう。私がその難をのがれるお祈りをしてあげる」と! 結果的にその星はニアミスにおわり人々おおいに安堵した。卑弥呼は荒神は太陽の使者・従神だと称え、それまでに使っていた銅鐸や銅剣を集めて封印し、代わりに太陽神の象徴である銅鏡を与えて、それまでの人身供犠を止めさせようとした。 (詳細は前の記事を参照して下さい)
それに続いて、銅戈によって<島根半島・出雲竜>を縛り付け動かさないようにしたか? というのが今回の謎解きです。 師の御質問に 「平さんが指摘される出雲龍=島根半島(頭が日御碕、尻尾が美保関)は何なのでしょうか」 とありますが、<日御碕を有する山塊が頭部で、美保関より東の地蔵さき(土へん)までが尻尾>だと御理解ください。不適切な表現をお詫びいたします。つづきは師への対応論としてではなく、併記論としてお受取り下されば幸いです。
<ヒスイの勾玉(まがたま)について>
列島でのヒスイの産出は、唯一糸魚川水系のみとされてきましたが、年が明けたから去年に九州でも産出することが発見されました。その論は、横に置いて。古代人がヒスイに持つ感情は師のおっしゃるとおりなのでしょう。 ヒスイの持つ神秘性については、師のブログのコメント欄にもありましたが、こんな話もあります。 中国でのとある土産物店での話です。ヒスイには熱や病をすいとる働きがあって首飾りにし、肌に当てておくと病が退散するというのです。中国には、ヒスイにかぎらず色々な宝石を身につけておくとそれぞれの効力がある考えがあるとも聞きました。 つぎに彼女のとった行動は信じがたいものでした。それを実証しましょうといって、その印材に自分の髪の毛を抜いて巻き付けて。あなたの持っているライターで火をつけろというのです。燃えると思いきや燃えませんでした。その現実を受け入れがたい自分があります。 皆さんもどうぞ確かめてみて下さい。(^-^) (註; ヒスイの産出をネットで調べると、鳥取県若桜、兵庫県大屋、岡山県大佐、長崎県長崎市三重、北海道でも産出とありました)
品質については、御ブログの写真にあるようなものが最高級なようで、とても手が出る値段ではありません。 わたしは、その少しくすんだ煙入りのものより鮮やかなグリーンが好きだというと、他のお土産品を買ってくれたから「あなたにプレゼントする」といって頂きました♪ ヒスイの靱性はダイヤモンドより強靱で、印刻には難儀をしたと聞きました。わたしは、とても気に入って今でも愛用しています。
つぎ、勾玉の形です
勾玉は何故あのような曲がった形をしているのでしょう? その必然性が考えられない。少年心には理解しがたいものでした。 これから述べることは歴史無知の素人の論だとご容赦してお聞き下さい。 勾玉の前身は、動物の牙や角に穴をあけて首飾りにしたようです。 何故首飾りに? 突き刺さると痛いのにねぇ(笑) 念願の勾玉の首飾り買ったが、さて、その尖った先の部分を内側に向けるか、外側に向けるか? こども心に、装飾の意味なら、何もそんな形でなくて球体でも水滴形でもいいんではないのか?と思いました。牙から石へと変わってきたとはいえその形を造るにはより多くの時間と技術の蓄積を必要とする。 前述のように強靱で磨きや穴をあけるのにはより硬いものが必要となる。ちなみに、ヒスイの硬度は6、5~7、一般的にある石英は7、 ダイヤは10。
それでは、何故牙を首飾りに
それは、縄文代にさかのぼり、四千年前の巨大隕石の落下衝突の瞬間の形に起因していると筆者はみています。すなわち、人の頭部が隕石(この場合の人は行者・お太夫さん)で、飛び散る土石や水滴が勾玉の形です。 だから<跳ね上がり>の部分は外側に向けて首にかけて下さい。(笑) カッパの頭部のお皿も、隕石の落下の瞬間を模したものですよ! 他には、大湯の環状列石、ストンサークル等もこの類似形です。 出雲の御神体の落下地の池は、周囲が円形で、その跳ね上がり形を示す似たような大きさの石を並べていたら確定的♪
さて、つぎからが師からお受けしている課題です。
師のお言葉で、『 龍は玉に入り(吸い込まれ)、凝縮されて固形化されたと考えるのです。従って、出雲のヒスイの勾玉には、龍の命(魂)が潜んでいるのです。そのヒスイの薄緑の透けた色は、龍の肌の色の象徴なのです 』
師のお言葉とは、多少のニュアンスは違いますが、あたっていると思います。 この竜神雨乞いの歴史は「卑弥呼」以前と、以後では少し変わっているように思います。 つまり持論をまとめると、卑弥呼以前での島根半島の役割は、荒神・竜神を呼び寄せる媒体。 卑弥呼以後での島根半島は、生命を持ってくる男性根の意がそれに加わったかと? 中学生子女には(吸い込まれる)は、ちょっと刺激的ですが、海や大地がその受け皿かな。 ヒスイについてお詳しい師へ論をはさむ余地はありませんが、ヒスイには、中国や日本、そして中米でも水性・慈雨への思いがあったと受け取っています。
一方、龍がその鋭い爪に握っている<火の玉>は、赤く輝いて空を飛んだ巨大隕石を象徴したものだと謎解きしました。 そして、お稲荷さんの白キツネが持っている火の玉も同類です。白い色は、隕石の冬によって大雪となった白と受け取っています。 さらに、竜ではなくて龍と書けば、中国からの逆輸入で、分かりやすく例えれば「日本が発注者で中国が画家♪」 私は、このような場合中国の史家に「聞けばいいのに」と思います。 その龍は東南西北どちらから来たのかと? 何故「東・トン」を一番先にいういうのかも!西洋ではN・北が先。^^? ついでに卑弥呼の円墳で云われている「歩」の単位についても! 師のブログファンに中国の人がいましたよね?^^!
<出雲のヒスイ製の大勾玉>
わたしは、出雲の大勾玉の大きさや、銅かといっしょに幾つ出土したのかを知りません。「大」がつくからには一般のものに比べると大きいのでしょう。 又、その色相についても師が述べられているように色々な意味合いがあるのでしょう。 色相の好みは人それぞれですが、この勾玉についていえば、中国の影響をつよく受けていると思います。 何故このように言うかというと、その深みがある青い色に白い雲が入っているものは、先に紹介した(青島大学付属の)土産物店で見た最高級のものに似ていたからです。 これは素人の個人的考えですが、宝石をつけて身を飾るのは、人がもつ自己顕示欲と権威付けの象徴的役割からだと思います。卑弥呼以前から縄文代の列島人の考えは、荒神の下において人々は平等であり自己顕示を必要とする社会性はなかったと見ています。 石器・縄文代の宝石に対する考えは、美しい物への憧れはあっても、それによって顕示付けの考えはなく、それが芽生えたのは、列島各地を薬草・薬石を求めて探索したという<除福の大集団>の影響かなと推理します。
<除福について>
わたしが除福のことを知ったのは師のブログが初めてです。歴史の時間いねむりでもしていたのでしょうか(^^!) わたしはその時、身も震うほどのカルチャーショックを受けました。 除福という人物にではなくて、徐福が引き連れてきたという3000人の童男童女にです。話半分という言葉がありますが、その半分の1500人にしてもすごい数です。しかもそれが卑弥呼よりも○○百年前の弥生式生活を営んでいた列島にです。未だ卑弥呼の代すら解明出来ていない?その時の中国には、すでに3000人の人を海を越えて送り出す社会的基盤が出来上がっていたということです。徐福を送り出した皇帝は、秦(しん)の始皇帝です。 不老不死の薬草・薬石を持ち帰えれと東方の島へ使わしたようです。英知に長けていた徐福が願い出たという説もあります。(徐福のことに興味が湧いてきたお人は、ヤフーブログ・いずものこころへ飛んで見てください。わくわくドキドキしたのを覚えています。ちょっと師のことを宣伝してみました。^^!)
通常は 「三千人を引き連れて」 と云えばいいところをなぜ童男童女がつくのでしょうか?
中国語で童男童女といったとき、どの年齢をさすのか知りませんが、壮年という言葉もありますから、幼いというイメージはぬぐえません。おそらく日本でいう少年少女なのでしょう。今の私達にすれば「そんな少年少女やって大丈夫かぁ」という疑問がわいてきます。往復に時間がかかるから? それ等に習熟させてだせばいい? このように肯定的にとらえるとそこで終わり。 3000人の衣食をまかなうことに加えて、「不老不死の薬草・薬石を求めて」という専門的条件が加わるのですから、徐福には相当な指導力と多岐なる教育力が要求される。 これもOK♪とするか(笑)。 では「童女」を連れるのはなぜ? ほんの3・4百年の北米大陸の移民のときでさえ婦女子をつれての航海は難儀したという。 男尊女卑のこの時代、これで生まれたのがレディファースト。 にもかかわらず、童女を連れて行かせたのは「たとえ何代かかろうとも必ず不老不死の薬を持って帰れ」という、始皇帝の強い権力が働いている。
もとより不老不死の薬などあろうはずもなく、徐福にとっては片道切符。 圧倒的優位をもつ3000人が列島各地に分散して探索する。 年月がたちその人達同士で夫婦になったり、現地(日本人)を妻にめとるものも出てくる。 ということは、その人達が定住して日本の薬石を中国へ送るという交流があったと考えることが出来る。その人達がもつ造船、航海術、鉱石、冶金、その他が列島に及ぼし影響は計り知れない。 富山の方だったかな<秦さん>という名字のお方がおられましたよね、Dr♪ でもね、食文化と信仰文化だけは、なかなか同化しない側面をもっています。蛇足ながら、最近岡山県・総社市でも「秦」の地名があるのを知りました。 祖先が地名をつけるとき<一番の関心事>で、周囲が同調し、地域が追認しないかぎり地名としては定着しません。そして、一度つけた地名はなかなか変えられない側面をもっています。変えれば 「あんたの云う山ってどこよ?」ってなりますからね。^^! ちょっと深入りしそうな話をもとにもどして(^^!)
<勾玉の形>
勾玉の形は、「腎臓、胎児の形、あるいはタツノオトシゴ」。 それはそれであたっていると思います。 なぜならそれ等をいうお人は、わたし素人のように直感的に、それと言っているとは思えず、何かの論拠があってのことで、それは地域的差異や、時間的差異かなと思います。 しかしながら 「事のはじまりは、隕石の跳ね返り形」 でしょうね。^^!
勾玉は首につけるもの! 祖先は、その「命主神社」のある場所を巨大龍の首部とみている!
その大勾玉は、出雲巨大龍のために別注したものだ! ならば、それ一カ所ひとつだけかぁ?
勾玉ひとつだけぶら下げて、ハイ首飾り♪ これではちょっと淋しいですよね(笑) それは、この記事の主題である<出雲龍・島根半島を縛り付けている銅かを捜せ!>と、いっしょにして考えることにします。 さきに保留しておいた(クイズ)のヒント二つを持ってきましょう。
出雲竜の概略図
【出雲竜の頭部】 【足部】 【尾部】
<卍?宮?> 猪の目
(口部)宇竜 ↑ 竜山 (島根)?
日御碕 鵜峠 ←_______約60km______枕木山___ → 地蔵崎
八雲山 ↑ 弥山 ムラクモノ剣?
<出雲大社> <松江>?
↑(首部)
<命主神社>勾玉&銅戈
Dr.付言 ⑦ に、
→【 「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。・・云々・・。 富といえば「トミ」=「蛇」なのです。社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。大社の「大」と思っていますが、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません。】 とあります。
【 答 その1. 】 大勾玉は、3カ所に埋めてあります。
もうお気付きと思いますが、その3カ所は、命主( )神社と、鵜峠(うど)と、日本海側の神社( )。お寺の可能性もありますが、仏教以前のことですから御宮さんの方にしておきましょう。 埋めかたは命主神社と同じ! 大岩の下! 大岩ってどの程度の大きさですかぁ? あまり大きいと金属探知機が・・・、
で? それだけでしょうかぁ? 勾玉って首飾りでしたよねえ。 それだけだと、玉がバラけっちゃう!^^! 紐をとおさないとねえ。 何使いましょうか? ちょっと太いが大社のしめ縄使いましょうかぁ。(笑) あの垂れ下がりって、三つでしたか? 二つでしたか? あとで師のブログ写真で調べてみましょう。 三つだったら大正解♪
正月に、<(しめと読みます→)〆飾り>をつかいます。 縛り付けると、締め付けるとでは、ニュアンスが違います。 ご先祖さまは、巨大竜の首っ玉、縛り付け〆付けて大人しくさせようとでも思ったのでしょうかぁ? 横綱は腰ですよね。その他正月に頂いた「煮染め・にしめ」も関係あるのかなあ?
【 答 その2. 】 銅戈は、5カ所に埋めてあります。
上記の3カ所に加えて<松江あたり>と、日本海側にある<島根>かな? この5カ所で大の字が書けます?! 松江あたりはちょっと難しいですが境内の<大岩>が目印♪
これについては、Dr.付言⑦の、『大社の大は、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません』が、おおきなヒントになりました。<ひょっとしなくても大根の「大」>だと気付きました。(Dr.に感謝・拍手♪) 出雲竜は大の字に寝そべっていたのか、伏せていたのかは知りませんが、とりあえず5カ所を押さえとこかと? そして、『出雲井神社の社紋は、亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです』とあります。 出雲の中海には<大根島>という島があります。少年心には変な地名だなあと思っていました。大根ではなくて牡丹の栽培で有名でしたか? <根が生えたように動かない>動かさないための大根です。交差の意味は、さきほどの「〆」と同じ意味ですよね。出雲熊野大社の神紋の亀甲の中に「大」は、大の字に締め付けるでしょうね。 時代劇で罪人を縛り付ける特異な縄のくくり方は、これを表しているのでしょうか。荒ぶる悪しき心をしばりつける。<この×印し>については、当ブログの「卑弥呼が埋めさせた大量の銅鐸と銅剣」で述べていますが、その銅鐸や、銅剣を差し込む部分にも刻印されています。
【 答; その確認! 】
この記事の文頭に、 『 長野県埋蔵文化財センターは、中野市の柳沢遺跡で先月中旬に「銅戈」(どう か)2本が出土したのに続いて、新たに 「銅鐸」(どうたく)の破片2点と「銅戈」5本が出土したとして、』 がありました。
この件に関しての詳細を知り得ていないのですが、「銅戈2本と、銅戈5本銅鐸2片」とが離れた場所から出土したと受け取って話を進めます。 <なぜ2本と、5本なのか?> 2本の方は分かりませんが、5本の方は、荒神を封印するために出雲で5カ所とした数に準じたのではと疑っています。 銅鐸2片の方は、銅鐸から銅鏡へ変わるにつけ、それへの祟り感がうすれたことと、2片を残すことによって、「荒神さま!貴方の帰る所はありません。どうぞ、あきらめてお引き取りください!」 ってかぁ(笑) それを1片や、まったく無くしてしまったのでは、荒神さまがひょっとして見失ったり、どこやらへ間違って取りついては困るからね。 「ご先祖さまよぅ~。貴方の恐れる荒神さまって、その程度のモンかぁ?」 ゴメン言葉が過ぎました。^^! 残りは、ちゃっかり(銅鏡造りの)鋼材へ! 鋼材へのリサイクルは、他の地でもありましたよね。
つづいて「大」の字についてです。
もう、筆者が何を言おうとしているか、お分りかとは存じますが蛇足的につけ加えておきましょう。 この 「大」 の字に関係した行事に、奈良市の 高円山(まどかやま)で行われる<大文字焼き>があります。 ネットで調べるとその他の地でもたくさんあるようです。 「高円山」の、「円山」については、さきにあげた茶臼山の数より多かったかな? またまた 反れそうな話を 「よーそろう。 おもかじいっぱ~い」(笑)もとにもどして! つまり、<大の字の端々の4カ所と、その交わる点の1カ所を加えた5カ所で、出雲の巨大竜は押さえ付けられている!> 京都では「焼く」という言葉を嫌って「五山の送り火」というそうです。この文化の広がりは多い。
その根源は出雲にあり! その後の出雲では四つの神奈備山(かんなびやま→頂上が円山)と、その要である<茶臼山>へと変遷している。 ( 西行きの左大文字・島根半島竜蛇が、東向いて・右大文字としてお帰りになる!) そうでしたよね、Dr.♪ こっから先の政教分離(国譲り神話)について知りたいお方は、Yahoo!ブログ(いずものこころ)の方へどうぞ♪(^-^)♪
( あ と が き )
< 出雲の巨大竜を縛り付けている銅戈を捜せ!>これは、<izumo の Dr.>の啓発と導きがなければ成し得なかったことであり、気付かずじまいで終わるところでした。 深く感謝をいたします。 また、<じいさま、たろうさん・6人+α人のクルーの方達>の参加・閲覧は、おおきな励ましでもあり活力にもなりました。 深くお礼をいいます。 なにしろ20年このかた「だれも相手にして」くれなかったものですからね。(笑) 出雲の銅戈と大勾玉は必ず 「大の字」 に埋められています。 しかしながら、“その錨をあげて八つ目の海へ漕ぎ出す” には、この先、世論を喚起し、行政を動かし、専門家に気付いてもらうという幾多の困難が待ちかまえています。 あとは、Dr.が、これをどのように取り上げて下さるか、上腕周り45cmの腕のみせどころ♪ つぎに「古事記の序記」を、わたくし流にあげて、史実探偵:平 素人の “job No1” を終えます。 遅々駄文に付きあって下さってありがとう御座いました。(^-^)♪
『 朕の聞いている、諸家がもっている帝記(皇譜系)や物語伝承は、正実に違(たがい)、多くの虚偽が加えられている。 今の時に当たりて、その失(誤り)を改めずば、この先、幾年も経たないうちに“その旨”が滅びるであろう。“このこと”は、国家(歴史)の根幹であり、天皇・天皇家(貴方の私の)任(つとめ)である。あれこれとある帝記を選録し、旧辞を討究して、偽りを削り、実(まこと)を定めて、後の世に伝えたいと欲(おも)う。』
長いあいだ遅々駄文に付きあって下さってありがとう御座います。ただいま仮想メモリが少なくなって思案中です。コメントはOKかも?(^-^)♪
拍手をありがとう御座います(^^) 只今までで(‘10 5/21)8拍になりました。
長いあいだ遅々駄文に付きあって下さってありがとう御座いました。(深礼)
Dr.と、 6人+α人のクルー(同志)と、 Mr.素人が作り上げたこの推理小説?が、
世界史を変える幕開けとなったらいいですね♪
1月/8日 「結び文」を終了しました。
次{驚愕の出雲}の記事を予定していましたが仮想メモリが0%になって思案中です(^-^)♪
ごめんなさい(^^!)。 当分のあいだの( 約1ヶ月?)記事の更新はありません。 ただし、コメント欄はOKかも♪ 興味のおありの方は、どうぞそちらへ↓ 只今(1/11) Dr.と♪
そしてお時間のある方は、下へどうぞ、クリック↓すればそちらへ飛びます♪これにはもっと 々・・・!! 極秘報告書「巨大隕石と大津波」
第一章 巨塊衝突・祖先からの伝言
第二章 恐竜はなぜ大絶滅したか
第三章 小惑星の衝突と合体
第四章 宝捜し
第五章 あやまち(創作話・三題)
おまけ) 不条理の空間(不条理の大因)
創性粒子(直径D)4個が接着した空間に入る、破壊性粒子(直径d)の大きさは、
d = 1/10π × D である。
D=1 の時、 d は0、πパイ となる。Dが超巨大球体(例:太陽)であろうが超微小球体(素粒子)であろうがこの関係は成り立つ。これが証明されれば、直径D・dという実数と、その破壊性粒子を内包する空間の最大直径d(虚数)がイコールとなり、 d(実数)=0、πパイ(虚数?)という、ありえないイコールでつながれる。 素人はこの<dφ>の空間を「不条理の空間」と名付け、不条理の大因としました。 どなた様かこの計算・証明をお願い致します。・・・・・汗~!)
1/16 新しい記事<驚愕の(島根半島)出雲竜!>を立ち上げてみます。
( 処理スピード遅っ!~汗!)
<出雲の巨大竜を縛り付けている銅戈(どうか)を捜せ!>
こども心と、遊び心を乗せた [この大冒険♪>は、いずもの師の<一信から>始まった!
お願い
shigechanizumo | URL | 2008-09-16-Tue 16:40 [EDIT]
「平成20年2月29日長野県埋蔵文化財センターは、中野市の柳沢遺跡で先月中旬に「銅戈」(どう か)2本が出土したのに続いて、新たに「銅鐸」(どうたく)の破片2点と「銅戈」5本が出土したとして(9月)1日、発掘調査現場で記者会見し、発表した。」
この記事について、平さんの率直なコメントが頂けるとうれしいです。
shigechanizumoさん> ようこそおいでくださいました♪
平 素人 | URL | 2008-09-16-Tue 21:01 [EDIT]
そんなんあったんですかぁドキドキです。教えて下さらなければ、知らずじまいでした。今後興味をもって調べてみます。 師とあおぐ卓抜した見識をお持ちの方に「お願い」の文字をいただくなんて恐縮のきわみです。 遊び心からではありますが歴史音痴だから(特に卑弥呼以後)、警察ではなく探偵を名乗っています。 少年心というインスピレーションだけなので、 多くの「思いこみや間違い」を含んでいます。私は、それを正してくださる Dr.ワトソンを探しています。・・つづき御ブログへうかがいます。(^-^)♪
→Yahoo!ブログ(いずものこころ) 出雲の青銅器の謎 (その18最終回)へ、
こちらへお邪魔するのは、お久しぶりで~す♪ 2008/9/17(水) 午前 0:56 [ 平 素人 ]
「長野県・中野市・柳沢遺跡の銅か(?)銅鐸片の出土について」 表題については、分かりませ~ん(汗~!)一般的な考え方として。銅鐸や銅剣・銅矛・(銅か)が、<一括して>埋められているのは、それまでの銅鐸を使用し稚児を生け贄とする荒神主神文化の変革をとなえた、卑弥呼は、太陽が主神であり、その象徴の鏡をくもらせる「護摩炊き?」で事が足りるとし、その荒神が二度と銅鐸に乗り移らないようにと封印した・させたのだと推んでいます。いかに慈雨を願うためだとはいえ愛児をさしだすのは嫌ですから「卑弥呼の提唱」は、その没後であっても容易に広がっていきます。銅鐸を欠いたり銅材にするのは、形を無くする為や祟るという恐怖が薄れていく過程であり、銅剣→銅矛→銅カ、等は地域的・時間的差異かな? その色の一番濃いのが出雲だったらいいですね(^-^)
2008/9/17(水) 午後 1:33 [ shigechanizumo ]
平 素人さん>ありがとうございます。それにしても、千曲川のあたりに何故銅戈なのか。どうしてそのようなところにまで運ばれたのか、不思議でなりません。出雲でも銅戈の発見が心待ちです。
【 後述・追記 】 12/6 ~( ) この項はコメント欄にはありません。
出雲と富山で、銅カが<共に>出土している! 陸路にしても海路にしても「当時の航海術」では難しいと思われるのに、なぜ共通した文化が??、
わたしは、このような場合、その一方だけを考えるのではなく、その陸海の両方があったのではと!?、考えます。そう考える方が楽ですからね(笑)。 途中が解らないからって、二つの地に共通した(銅カと四隅突出古墳という)史実があるのは否定出来ませんから。
①海路について 徐福(始皇帝・代)が卑弥呼代より400年も前に!海路の整備開拓?
②陸路について 熊野古道・等のように、隠れた陸路は、ないか?
③ヒスイつながり 出雲のヒスイが、糸魚川水系か、それとも大陸系か?
以上の詳細は、長くなりそうなので・・・、一時筆を止めておきます(^^!)
こんばんわ(^-^)♪ 2008/9/17(水) 午後 8:39 [ 平 素人 ]
(銅か)初めて知りました。何しろ歴史書は、おろか本の体裁したものを見るのは、ん十年?このかた御ブログが初めて(汗)、実際にこれで人が殺められたかどうかは分かりませんが、「慈雨・生け贄文化」に限って言えば、“土で三尺、木で三尺、六尺高い木の上で”の竹槍処刑から(銅か)に至るまでの時の流れでしょうか? 長野市・松代に「茶臼山文化」の(←全国で300箇所?)地名があるのを確認しています。今の大勢は当時の交通手段を大きく見くびっていると思います。なぜなら御ブログで、これも初めて(笑)知った「徐福」が黒船以上の影響を各地に及ぼし、そのインフラ整備が、中国と同等とは言えないまでも、すでにあったのではと・・・? もっと々、勉強させて下さい御ブログで♪
[ shigechanizumo ]2008/9/18(木) 午前9:53
先に、「出雲でも銅戈の発見が心待ちです。」としましたが、正確には、出雲大社の東側の命主神社の大岩の下から、このblogの上の写真にあるヒスイの勾玉(重要文化財)と一緒に、かなり質の良い銅戈が出土しています。しかし、上田正昭先生などに言わせれば、出雲には銅矛・銅剣と同じように大量の銅戈が埋もれているはずだということですが、まだ大量銅戈は見つかっていないのです。平さん、是非発見を・・・お願いします。
こんばんわ(^-^) 2008/9/18(木) 午後 10:17 [ シャーロック・ホームレス ]
銅矛と銅か、の区別も知らなかった素人です(汗)。長野のものを写真で見ましたが時代から言えば(銅か)が、後と理解していいのですか? そんなセンセがいらっしゃるのなら「それへの挑戦」も楽しみですね♪ それにはもっと々、御ブログを熟読しなきゃ~、まだ端しかかじっていません(笑)勾玉はの出土は当然ですよね。「出雲半島龍の首根っこ」ですから。で(銅か)の埋め方?が問題です。「大竜を突き刺す」ような形なら<まだまだあります>なにしろ、一本・一カ所<ガリバー旅行記・小人の国>だけで「おとなしく」なるような代物ではない! そこを発見けるのは「その周りの現存する神社や伝承」を聞き!金属探知機で♪! 探偵業20年、初めての御依頼でしたぁ!(笑)
おはようございます(^-^)♪ 昨日につづいて・・・、
2008/9/19(金) 午後 7:31 [ 史実探偵: 平 素人 ]
「首ねっこ」を押さえたら、次は「足カセ」ですよね、松江の東あたりかな。日本海側もですよ両足を押さえておかないとね。シッポあたりのは、すでに掘り出し済みかも。「酒かっ喰らわせて尻尾から剣が出てきた伝説」がありますからね(笑)「いいや、之でも未だ足りないぞ!竜山、猪の目、あたりも押さえておこうか!?と、云ったかも知れない。 次は<勾玉>この勾玉は、大きくて立派ですよね。材料のヒスイは水神つながり。当時の最高技術で別注した(銅か、も)のでしょうかぁ。それが「一つ?」だけの首飾りでは寂しいですよねえ。もっと首周りに!? 御師の力をもってすれば、これ等を捜すのは難しいとは思えません!後は「警察」へおまかせ(笑) おっと!大事なことを言い忘れてました。【その埋め方は、命主神社と同じで、(銅か)は同じ鋳型だと思いますよ。そして、これだけの大きな<呪術・封印>ができるのは卑弥呼しかいないと!♪】
史実探偵: 平 素人さん>確かに、卑弥呼は出雲をどう見ていたのでしょうかね。
2008/9/20(土) 午前 9:06 [ shigechanizumo ]
「卑弥呼は出雲をどう見ていたか?」 2008/9/20(土) 午後 10:05 [ 平 素人 ]
ごめんなさい。私はそれにお答え出来る知識を持ち合わせていません。それにお答えするには、膨大な御ブログを熟読しなきゃーならない(汗~!) 卑弥呼が、100枚の銅鏡を手に入れた時、何処に(九州・出雲・吉備・神戸・纏向・等々)居たかによって思いは変わるとおもいます。その後の卑弥呼は<引っ張りだこ♪> 転居・出張りの旅先で?って、ことも考えておかなくちゃ~(^-^)
ご神体は隕石か?
shigechanizumo | URL | 2008-11-13-Thu 14:44 [EDIT]
出雲大社の御本殿のご神体の正体は、隕石だという地元のうわさがあります。私も中学生の時、社会科の先生から聞きました。その根拠は、1.遷宮の際にご神体が仮殿に移されるのですが、異常に重いこと。2.次の遷宮(60年後)までの間に、分厚いご本殿の床板が異様にたるむこと。3.オオクニヌシの祟りが、人の髪の毛を抜け落ちさせたり、やせ衰えさせることは、放射能とまでは断定できないが、地球外物質の影響を語ったものではないかということ。4.丹波などに残るオオクニヌシの岩裂伝承(大きな岩を砕いて沼の水を抜くこと)は、鉄以上に硬い地球外鉱石を使っての仕業ではないかということ。5.近年も、美保関隕石(メテオプラザに飾ってあります)という隕石が民家の屋根をぶち抜いて落下したことは、出雲は隕石の通り道ではないかということ。などなどから推測されるそうです。平さん(森の岩松?さん)探求して見ては頂けませんでしょうか。
shigechanizumoさん> コメントありがとう御座います♪(^-^)
史実探偵: 平 素人 | URL | 2008-11-13-Thu 23:23 [EDIT]
ご無沙汰を重ねていますこと、どうぞお許しください。出雲ぬきでは「卑弥呼」を語ることは出来ません。いずれ又ゆっくりとお伺いしたいと思っています。^^! 「ご神体は隕石?」たいへん興味をひくお話ですね。 島根半島を「巨大竜」にした考えに、「その地形と、巨大津波のなかを泳いだ!」だけでは、弱いものを感じていました。 画竜点睛といいますからね。 それ等の<お話から>確率たかいと思います。何かの「曰く」がなければご神体にはしません。祖先は島根半島全体を竜の神体と見ていますから、竜王山か、裏山の鉱山の一部を欠いてくる手も考えられますが、それだと形状で<隕石か割石>の判断はすぐにつきます。(^-^) つづく・・、
<そのつづき1>です♪ 地球は隕石の集合体ですが、「隕石の通り道」の考え、そのような傾向はあると考えています。この前の木星へ衝突した21連発! 或いは、惑星に軌道を乱され衝突した破片・小天体{彗星とか小惑星の区別をしない}が再び(自転は別として)同様な周期でめぐってくる? 親子で運行していて、親か子の一方だけがぶつかり残ったものが似た軌道に? わたしはそれを隕石銀座とか(隕石の巣)とよんでいます。 そのほかに、出雲のほうの日本海で轟音(隕石音?)のニュースもありました。時期の特定こそ出来ませんが、出雲のモリブデン鉱、石見銀山、人形峠のウラン鉱、このように星の深部で沈み込み・生成される重金属類の性質上、その浮き上がりを考えるより「星の輪廻で爆発」したものが外から隕石となって?の確率がたかいのでは?と考えています。 中南米にも、その「巣」があり? みやげもの店で<隕石の欠けら?>売っているって!(^-^)、
出雲大社のご神体が「隕石かどうか?」は、謎として残されていたほうが・・・?(笑)
<そのつづき2>です♪
「ひらめき」だけがとり柄の素人探偵です。^^! 新幹線・高速道建設の頃から、その意識が変わってきたとは云え、まだまだ学術より信仰心が上! 私には、それを確かめる胆力を持ち合わせていません。 (ゴメンナサイ) 私のほうから<師に>お願いがあります。 出雲大社のよこのほうの神社で発見かった<勾玉と銅カ>ですが、これは、卑弥呼を含めての後に、「島根半島=出雲竜蛇」を、ガリバー旅行記のこびとの国のように縛り付け動かさないためのもので、必ず<その四肢に>あたる場所の神社に、同様な手口で埋めて「亀さん石」で押さえつけ封印しているはずですから、まずその「封印石」があるかどうかを確かめて頂けませんか。(深礼)
長くなりましたので「60年の不思議」についてはべつの機会に!
shigechanizumo | URL | 2008-11-14-Fri 10:44 [EDIT]
ご指摘の神社は「命主神社」ですが、その東南に「出雲井神社」があります。ここは、クナト神を祀る賽の神で、道案内の神だとも言われています。そして、「出雲の神は大国主神とされる以前はクナト神と呼ばれていた。」との噂もあります。私は、この神社に何かが封印されていてもおかしくないと考えています。いかがでしょうか。
①付言すると、出雲大社を出てどこかの方角に向かおうとすると、この出雲井神社の神が道案内をするわけですが、逆にいえば、どこへも行かせないということも可能なわけです。恐ろしいことではないでしょうか。あるいは、誤った道案内をして災いの方角に連れて行くことも可能なわけです。さらにご指摘のように、「縛り付け動かさないためのもの」としての機能も果たせるわけです。ヒントになるのではないでしょうか。
②さらに付言すると、この「出雲井神社」の西500mくらいのところに有名な原山遺跡があります。この弥生遺跡には、当時では珍しい石槨の墓棺に人骨が収められていたそうです。封印に近い形で埋葬されていたわけです。そこは現在は、出雲大社教の墓地となっていますが、妖気漂う場所なのです。そして、なぜか、この原山(砂洲)には、オオクニヌシのヒメ神である、下照姫が祀られている出雲大社境外摂社があるのです。弥生・クナト・石棺・姫神・墓所・・・・。大いに匂いませんか・・・。
③もう少し付言すると、この原山と命主神社の間には、かつては菱根池という海につながる大きな湖水があり、出雲国造が亡くなると、この池に赤牛に遺骸を乗せて運び、そこから小さな喪舟に乗せて水葬したそうです。出雲では、人が臨終を迎える際のことを「あの人も赤牛さんになられた」と言っていました。しかも、この菱根池殻は、時々ガスが吹き出たということです。今は池ではありませんが、地下からガスが吹き出るそうで、昭和30年代に、そのガスに引火して旅館の一部が吹き飛んだことがあるそうです。恐ろしいことに、その菱根池のあった所に先年オープンした「古代出雲歴史博物館」が建てられているのです。これも何かの導きではないかと・・・。ご検討くださいますよう。
④もっと付言すると、この菱根池のもっとも西の端には蛇池という地下から水が湧き出る池がありました。名前のとおり、池の水面には、私も記憶がありますが蛇がウヨウヨと、それこそウナギの養殖池のように群れていました。中には蝮もいるということで、近寄れない場所となっていました。封印と言えば何も物理的なことだけで可能になるものではないと考えれば、この蛇池の水底に大切なものが沈められていれば、見事に封印の約を果たすわけです。いかがでしょうか。
⑤まだ付言すると、下照姫が祀られている原山の神社は、「乙見神社」といいますが、そのそばから鉱泉が湧き出ていて、皮膚病にとてもよく効くということで有名で、戦前まではその鉱泉を沸かして湯治に来る人がたくさんいたそうです。弥生・クナト・石棺・姫神・墓所・水葬・ガス・蛇池・鉱泉、そしてヒスイと銅戈。たった500m四方の空間にこれだけのものが詰まっているのです。出雲恐るべしではないでしょうか。従って封印されなければならない必然も、こうしたことから生じているのではないでしょうか。
⑥最後に、ホラーな話をすると、古老の言い伝えに寄れば、乙見神社の鉱泉が皮膚病に効くのは、その鉱泉につかると人間がいったん蛇になり、それが脱皮するのでツルツルの肌を取り戻すのだということです。やはり根源は竜蛇なのです。また、下照姫は伯耆一の宮の倭文(しとり)神社にも祀られていますが、そこには出雲山という小高い赤土の山があり、蝮(まむし)の巣窟だということになっています。もちろん出雲大社の裏山は、今では八雲山といいますが、地元ではむしろ昔から蛇山で通っている山なのです。ご参考下さいますよう、よろしくお願いします。
⑦蛇足ですが、「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。その富家の後継の人によると、出雲井神社の神は、出雲大社の裏手3kmの山中にある鵜峠(うど)銅山の坑道に封じ込められて、大岩で出口をふさがれて憤死したのだと言っていらっしゃいます。富といえば「トミ」=「蛇」なのです。社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。大社の「大」と思っていますが、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません。
「森の岩松」こと、平 素人 | URL | 2008-11-14-Fri 22:25 [EDIT]
恩師どのぉ゛~> いずもへは「ご挨拶と中帰り」のつもりで帰ったのにぃ~~(^^!)
今は東北へわらじを脱いでます。どうぞ(興味尽きないお話)であっしを(いずも)へ引き止めないでおくんなせぇ。(笑) 師の博識についていけない部分がたくさんあります。出雲(御ブログ)へは、もっと時間をかけて長逗留したいと思っています。 おぼろ気で、まだ考えがまとまっていない部分が多くありますが・・・。
①出雲の大量の銅鐸と銅剣の埋納は、それまでの荒神・銅鐸文化を封印し、太陽主神・銅鏡文化への変換点にある。
②それに関連して、出雲竜(荒神が竜の姿で宿るための)=島根半島の封印もおこなった。 ちいさい範囲で「事」が完備しているのは、その後人口が増え(衆人挙りての祈祷)が難しくなり「代表でとか象徴的に」とかのコンパクト性が加わったかと?別事ながら当時の(先進国出雲)の文化が、(伝播→後から後追いへと) 例; 宍道湖・中海、かんなび4山→猿沢池、 島根半島竜→日ノ御碕~伊勢までの紀伊半島竜(これは逆に巨大化・笑)。出雲竜の尾っぽ?(ふつうは腹)から出たという、あめの叢雲の剣が伊勢文化へ移動している?のが面白いですねえ。
( 11/16・ 追 記 ) ≪岩割伝承≫から、
御神体はもっと固い場所かも? 石飛=龍飛(崎)か? 精査すれば飛来地が?
何れにしても、その<地質学的・隕石の痕跡>は必ず残っています♪ ご先祖様嘘つかない♪
「森の岩松」こと、平 素人 | URL | 2008-11-15-Sat 00:17 [EDIT]
前コメントの!そのつづきです。(^^!) >
やはり出雲を考えるには、卑弥呼以前においても<広く大きく>考えたほうがいいと思っています。その範囲は、西の、三瓶山・神戸川~東の、伯耆大山・天神川までかと?。 たとへ部族はことなっていても(同一の荒神・雨乞い文化圏)かと? この人達は<島根半島巨大竜が>、その時の(今、東北でその痕跡を追ってます)大津波のなかを泳いでいるのを見ていますから。 その巨大竜は、<日御碕が口、地蔵埼がシッポです> 御ブログの勾玉は首! 四肢にあたる神社はどこか? そのヒスイの勾玉と同様な手口で<必ず>封印されています。
神社名、ほとんど覚えていません(汗)。後で御ブログの神社寺組合?で勉強します。
③御ブログにあった、そのガスはその時の大津波の打ち上げによる魚介類の腐泥ガスだと断言できます。<富中>トビナカと読むのなぜですか? 鳥の地名が多いのなぜですか?
④大根のお考え面白いです♪ (正月飾りで)、干し大根の×飾り、鰯の丸干し×飾り。これも御ブログで再度べんきょうを^^!
卑弥呼の墓・情報ありがとう御座います。後でゆっくり♪ 東北へ帰るエネルギーがぁ~、
[追記・12月13日~12月16日 ] Dr.付言①~⑦への 総括コメントを挿入
出雲竜の概略図
【出雲竜の頭部】 【足部】 【尾部】
<卍?宮?> 猪の目
(口部)宇竜 ↑ 竜山 (島根)?
日御碕 鷺峠 ←_______約60km______枕木山___ → 地蔵崎
八雲山 ↑ 弥山 ムラクモノ剣?
<出雲大社> <松江>?
↑(首部)
<命主神社>勾玉&銅戈
原山遺跡 菱根池 出雲井神社
<富>家・墓地 (蛇池) (賽の神)
下照姫 赤牛 道案内 出雲山(小高い赤土の山)
*→・・・・・・・・→ 伯耆一の宮(倭文(しとり)神社 ここにも下照姫が祀られている
以上、師の情報と、Mr.素人の思いを<図表化>してみました^^!。 以下、かならずしも師のお問い合わせに的確にお答えしていない部分や質問の意を取り違えていることがあろうかと思いますが、ひらにご容赦ください。
○出雲井神社(クナト神)に、なにか封印されているのでは?、とのお考えには、その根拠となる背景が、もっと々、おありのようですから、それを御ブログで勉強しなければなりません。 (クナト神)は、はじめて聞く言葉です。
○出雲井神社・道案内の件ですが、その道案内は、黄泉の国への道案内だと思います。これは仏教にもとづく考えですから、卑弥呼より後のことかも知れません。
○原山遺跡の石棺は、さらに後か?と考えます。 なぜなら、「オオクニヌシのヒメ神である下照姫、云々」は、<人物史>ととらえていて、わたしの無知の分野でもあります。 卑弥呼以前では、神を呼び寄せ「何かの媒体に乗り移す」考えはあっても「人=神」の考えはなかったとみています。その「何か」とは、土器・偶像や銅鐸であったり、人であったり、建家であったり、山(島根半島)であったり、と時代や地域によっても差異があったのではないでしょうか。
○<菱根池、蛇池、鉱泉>恐るべし!
これが、師のおっしゃる「出雲恐るべし!」の原点になっているような気がします。中学生諸君のために少しいい添えますが、<菱>は、池の底からつる草状に生えて、その実は、三菱の形にあるように痛いトゲをもっています。食べたことはありませんが食べられるそうですよ。その池には、腐泥ガスぷくぶくと! さらに蛇がうじゃうじゃ! おまけに、一皮?むく鉱泉があるわけですから、古代の人にとってもその場所は近寄りがたい“恐ろしい所”だったのでしょうね。 やっと解りました。「何故、その地に出雲大社が設営された必然性が!」 大社の設営は菱根池にあり!
池の底からはトゲトゲの実がなり、メタンガスの否な臭い。蛇がうじゃうじゃ!これは、わたしもテレビの映像で見たことがありますよ。南方の洞窟のなかで。 今日の日本ではそんな所は、見かけませんが、富栄養価が高い沼で食物連鎖の上にある蛇が大量に生息かと。その蛇の脱皮と、人の皮もむくアルカリ泉?の話。こわいですねぇ。 でも今では、蛇にとっては人間が天敵!人のほうが蛇より恐ろしい(笑)。これは進化の昔、人の祖先がネズミ類のときに蛇に食べられた潜在意識からの仕返しからだという学者さんがおられました。
○ Dr.付言 ⑦ に、
→【 「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。・・云々・・。 富といえば「トミ」=「蛇」なのです。社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。大社の「大」と思っていますが、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません。】 とあります。
出雲市に「富中」と書いて<トビナカ>と読む地名があります。わたしは、これを変な地名だなぁ?と気になっていましたが、師とのやり取りのなかで、この<トビナカ>に重大な謎解きの鍵が潜んでいることに気付きました。それは後述のコメントに関連するので、そちらへ回すことにしましょう。^^! 次の<ひょっとして大根の「大」>も大変大きな謎解きになります。それに気付かせてくださった Dr.に感謝します。 さて、この二つをどのようにまとめましょうか? 後の Dr.コメントが待ってます(笑)。 この、シップのクルーに、クイズ好き?の方がいます。 その手法を借りて^^! ヒント1.当初の図表と<赤字枠>二つ! ヒント2.このブログ記事の全読破(汗~!) ヒント3.亀さんペースで楽しみながら♪、 もちろん<じいさま>は、わたしに付き合って下さいますよねえ。(^-^)
『 社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。・・』
さらに、チラッと見せ)をしますと『交差』の言葉ですが、これは、この記事での本論になりますので後まわしにします。^^!
出雲に熊野大社? おもしろいですねえ。
出雲に熊野大社があるのは、はやくから知っていました。何故、出雲に熊野大社があるのか?とのつよい疑問をもっていました。師とのやり取りのなかで、その答が思い浮かびました。<その答を求めるには、今の私達がなにを成しているか!>に基づけばいいって! 例えば、地方(熊野)で、大きな会社があった。だが文化の発信地?の中央は東京(出雲)である。熊野から出雲に上京するには<日にち>がかかるし、外国(大陸)の最新情報も享受したい。そして毎年の10月(神無月)には次年度の方針(主に雨乞い)を決める会議(神議)がある。 出雲に支社(使者)を置いておくとなにかと便利。それが「出雲の熊野支社」(笑)。 全国(八百万の神)に影響力をもつ大会社は、一番遠い支社、(北は秋田県の岩崎。西は不明)が、新年の始まるまでに帰えれる往復の時間(2ヶ月足らず?)を考えて審議(祈祷)の開催日を決めてやらねばならない。12月(師走)の今頃、その支店長さん達(地方神を呼び寄せる術力をもつ御太夫さん)は、貴方の地へもう帰り着いたかな?(笑) 蛇足ながら、今、素人探偵が探求している話は、卑弥呼以前の(神代)の時代ですよ。念のため ^^! そして、この考えを追認して下さるには、今、考古学でいわれている当時の航海術と、歩行力と行動範囲、社会的基盤(インフラ)を大きく変えなければなりませんよ! それには秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて、3000人の童男童女を引き連れて、東方列島へ使わした「徐福」を<伝説だ>といわず史実だととらえることから始めなければなりません。「徐福」のことを知ったのは、師のブログ(いずものこころ)!。 私は、そこで「ペリー来航」も比でないほどの大きなカルチャーショックを受けました。 ここ迄がDr.付言①~⑦迄の総括コメントです。12/13~16追記
shigechanizumo | URL | 2008-11-15-Sat 09:31 [EDIT]
「御ブログにあった、そのガスはその時の大津波の打ち上げによる魚介類の腐泥ガスだと断言できます。」・・・すばらしい御明察です。ここからすると他のご見解もそのようではと・・・。実は、このガスは、「オモンバ」といって、大量に堆積した藻だということで、メタンガスなのです。ということは、ご指摘のように大津波で根こそぎはがれた海藻が菱根池(海につながっていました)に到達したと考えられ、しかもそれには大量の魚介類も混じっていたということになり、貴方の見解は正しいということになります。さて、荒神ですが、この原山には下照姫の乙見神社とは別に原の荒神さんという荒神が祀られています。この点からも、貴方の見解はさらに敷衍していただく価値があると考えます。どうか御検討を・・・。「鳥の地名が多いのなぜですか?」ということについても、確かに鳥(戸)屋、鳥屋尾、鳥谷、鳥井(居)、鳥島、鳥中など多くのものがありますが、私は、飛田、飛島、石飛、鳶巣(須)などと同類で、「トビ」=蛇を示すものだと考えています。ご検討の程を・・・。
[12月/17日、追記コメントを挿入] Ⅰ
腐泥ガス大半は海藻だったのですね。そう言われれば、近年の石油の値上がりで日本海沖で大量のホンダワラを養殖し、その腐泥ガスを石油の代用にする話がありました。その時の泥流波が何波まで押しよせたかは分かりませんが、出雲平野を東西に分ける「分水嶺」が大津町あたりですから、それより西は比較的浮遊物の堆積が多くなっていると思っています。大津町以東は段々と東へ行くにつれて砂礫粒が大きくなっているのかな? 海岸の砂浜を思いだして頂けれはいいですよ。
力が水(津波)という媒体によって運ばれる時、物質はたいへん効率よく分別される。
すなわち、砂礫→砂粒(大津町あたり?)→貝殻→海藻・浮泥(芥)?→魚→流木・等に、
素人は、これを似たものは似たもの同志集まる『同似集合の原理・作用』と名付けています。
御ブログにありましたように水田になる前の昔は、石ゴロゴロの荒れ地でしたよね。 わたしは、斐伊(ひい)川や、神戸(かんど)川の下流域に運ばれるのは<砂粒であって>決して石ゴロゴロでないと思っています。 だから、その石は「荒神さま(津波)が運んだ石」だから、ご先祖さまが恐れたのかとも!?
鳥の名の付く地名たくさんありましたね(笑) 特に「鳥名」の付く地名は<西出雲>に多いですよね。 わたしは、Dr.のお話を伺っているうちに、それ等は、四千年前の大事変とは<別のもの>かと?思うようになりました。 これは後に回しましょう。(^^!)
shigechanizumo | URL | 2008-11-15-Sat 10:17 [EDIT]
「(雨乞い文化圏)かと?」・・・。これもすばらしい御明察と見受けました。島根半島の出雲大社寄りの山塊には、雨乞いの山がいくつかあります。まず有名なのは楯縫郡の神奈備山である「大船山」。ここは、オオクニヌシの御子神であるアジスキタカヒコネの妻神であるアメノミカジキという女神が雨乞いを司っています。二神の間にはタギツヒコという子神がおり、旱魃でも水の絶えることのない滝の神とされています。次に有名なのは、出雲大社の東一キロほどにある弥山です。ここに雲がかかると雨になるといわれています。その周辺には、旱魃でも水の絶えることのない湧き井戸がたくさんあります。さらに驚くべきは、弥山の頂は500m近いところなのですが、たくさんの貝殻の化石が露出しています。「巨大竜は、<日御碕が口、地蔵埼がシッポです> 」・・・と指摘されますが、全くそのとおりで、竜は口から水を吐くと言いますが、この山塊にある水が絶えることのない滝や湧き井戸の原因は、竜が口に含んだ大量の水なのではないでしょうか。旱魃の時巨大竜の口から吹き出される水が慈雨となって降り注ぐのです。まさしく、八大竜王なのです。ご指摘のとおりと考えます。ご検討の程を・・・。
[12月/13日、追記コメントを挿入] Ⅱ
弥山の「弥」の漢字の意は知りませんが、その地域で「一番目」に位置する山かと。貝化石の件は、岡山県南にも<貝殻山>があり、雨乞いのためとはわかっていても、何故<山の上に貝を持ち込んだか?>と疑問をもう一つ重ねるとその意が解りません。 さらに、「大船山」の地名がこども心を揺さぶります。何故、山に船の名前が付いているのか? 類似名として、岡山県・津山、三重県・船山?(あとで確かめます。^^!) 四国の土佐には山名に<丸・シップ名>等、これらは、朝鮮文化からの影響と、雨水の輪廻からかな?と漠然と思ってはいますが、はっきりとした祖先の意が伝わって来ません。どうぞ師のお考えをお聞かせください。 いずれにしても、師の博識によって素人のこども心が具現化してゆくそんな楽しさを覚えます♪
< 付 記 >
4千年前の東北地方に端を発した巨大津波は、朝鮮半島は<元山、洪?^^!>に! 大陸では<天津や、北京の近くの竜因>にまで達したと推んでいます。これは津波の力が熱によるロスが無いことと、二つの地が超巨大な受けV字湾になっていること。「津波、川を上る」で、川が遠浅状になっている。ことに加えて祖先が<それらしい地名>を付けているという簡単な理由からです(笑)。 だから秦の始皇帝は、東方に神の異変をみて<徐福>を遣らしたとも思っています。
shigechanizumo | URL | 2008-11-15-Sat 11:48 [EDIT]
「<雨乞い>のために隔離し育てた “幼児の人身供犠“」・・・これも御明察だと考えます。まさしく、タギツヒコがその象徴なのです。不思議なことに、大船山のタギツヒコは、アジスキタカヒコネとアメノミカジキという二神の間にできた由緒正しい神(オオクニヌシの孫神)なのに、その後の動向が全く不明なのです。おっしゃる如く「<雨乞い>のために隔離し育て」られ、まさしく出雲危急の大旱魃の時に、「人身供犠」にされたのではないでしょうか。よく、供犠にされたものは石になるとされていますが、実はこの大船山には『出雲国風土記』にも記載があるとおり、また今日も、大小多数の石神が祀られているのです。これら大小多数の石神こそ、旱魃のたびに人身供犠にされた幼児なのではないでしょうか。ご検討の程を・・・。
[12月/17日、追記コメントを挿入] Ⅲ
「よく、供犠にされたものは石になるとされていますが」 恐ろしい言葉ですね。全くそのとおりなのでしょう。 その石の数をかぞえれば<荒神谷遺跡の大量の銅剣数>に、一致するかと?チラッと思いましたが、墓石としての形を留めるのは、せいぜい100年余りで?、2000年は遠くておよばない。 だが祖先は、それを<塚>が付く地名として全国津々浦々に残しています。 その考えは、後の五百羅漢へと継承したのでしょうかぁ?
釣りじいさん | URL | 2008-11-15-Sat 18:03 [EDIT]
shigechanizumoさんとのやりとりも面白い!!
世の中にはこれだけ知識をしっかり持って書き込める方もおられるんですね~・・・わしは・・・ただ読ませてもらって、にやにやしているだけですが。。。すんまへん!
釣りじいさま> コメントありがとうごぎいます♪
平 素人 | URL | 2008-11-16-Sun 00:57 [EDIT]
「見ていてくれる♪」 と思っただけでも、活力の源になります。なにしろブログを始めるまでの20年間無視のされつづけでしたからね。スパムに近い広報活動のなか(いずもの師)が、はじめて応対して下さったうれしさは今でも忘れません。 でもね、師のブログは、一度入り込んだらまるで <歴史のジャングルを探検する様♪> なかなか抜け出られませんよう ・・、(^^!)
くされ縁? 平 素人 | URL | 2008-11-16-Sun 01:27 [EDIT]
釣りじいさん・さん> つづきです。
これで日本海方面への釣り行きに、たのしみが加わったでしょう? そのキスが潜む海に写った、朝日・夕日の光道は、卑弥呼に通じる道かと(^-^) 腐れ縁、腐れ縁!(笑) 今、外は大雨か゜降ってます。明日(あした)になれば晴れてくれればいいのですが・・、
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 09:36 [EDIT]
「石飛=龍飛(崎)か?」・・・これも御明察です。出雲には、「飛龍」さんという苗字まであるのです。飛ぶ龍・龍が飛ぶ、しかもそれらは日御碕・龍飛岬、因縁としか思えません。私は、アメノカカセオを彗星と考えました、もう一度「、「大甕神社の神域を成している宿魂石は、甕星香々背男の荒魂を封じ込めた石である」を考えてもらえないでしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/54017348.html
[12月/19日、追記コメントを挿入] Ⅳ
↑上記の御ブログ訪問してきましたが、ドクターの深淵をみるには、まだ々時間が必要です。 以下、師のお考えに対応したコメントにならないかとも思いますがご容赦ください。
「アメノカカセオを彗星だと考えます」 そのとおりの御明解だと思います。私はそれ等について、次のような、歴史ストーリー(前々記事の概略)を考えています。
1、四千年前、地球を半周した巨大(彗星)隕石が、東北地方に落下した。
それによって発生した巨大津波は、列島各地に押しよせ大量の魚介類を恵みとして打
ちあげた。(津や福が関係する地名)
舞いあげた粉塵と蒸気は、大雨(慈雨)となって降りそそぎ、隕石の冬を伴った。
2、この大事変は、列島各地の人々に共通した恐怖をあたえ、被災(わざわい)と慈雨(恵
み)とを併せ持つ<荒神・雷神・イカヅチ!>の考えが生まれた。
3、稲作の発展とともに雨水の必要性が大きくなる。
4、当初は、土器の破壊や小動物の捧げものから、「私達には、この稚児以上に大切なも
のはありません。どうぞ荒神さま・水神さま、慈雨との交換を」 となる。
【ここからあとが師へのコメントです】
5、その「生け贄との交換文化」が永々とつづいていたある日に<伝承の彗星・アメノカカセオ=荒神>が、朝方夕方の地平線(金星の方角)に現れた。
その星は、段々と輝きを増し、やがて尾を引いた。それが全天に広がった時!人々は、「荒神の再来だ!荒神さまが怒ってござる!」と恐れおののいた。(卑弥呼)は、その星が巨大化すると予測しその難を逃れる祈祷をすると民衆に伝えた。 その彗星は東方より出でて西方へと沈む。卑弥呼は、その星が出でる東方の山頂に、剣を携えた<二武神>を従え 『 荒神よ!おとなしくし給え 』 と、祈り、舞い踊る。(かぐや姫の話にも似てますねぇ^^!) これが、謡い(うたい)や神楽(かぐら)や角力(すもう)のはじまりだ。 <祟り>という概念が浸透している社会において、その荒神と対峙(たいじ)するのであるから並の胆力ではもたない。 結果的に、この彗星はニアミス(退散)に終わり、卑弥呼はこの件で一躍有名になりカリスマ性を増した。
列島各地に残る、三上山、御上山、妙高、妙光、妙見山(信仰)、阿星(一番星信仰)は、その時の彗星に関係する地名だ! これ等の山名を東方に頂く地をさぐれば、その時、卑弥呼がどこに居たかが分かってくる。 出雲の神を舞う「備中神楽」の分布を調べれば卑弥呼文化の影響圏がみえてくる。 そして、約76年で周回するハレー彗星と70年で遷宮をする出雲大社本殿や伊勢神宮が近似値なのがおもしろいですね。 ( 以上、師のお考えを頂いてストーリーを仕立てあげました^^)
石飛、飛龍、宿魂石の件は、後に回しましょう。
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 10:10 [EDIT]
さらに、お考えのための材料を・・・。スサノヲを祀る日本初の宮「須我神社」の一キロほど西に、「海潮温泉」があります。ここの温泉は濃い塩分を含んでいるところから、海潮というのです。海岸線からは数十キロ奥まった山中です。さらに、スサノヲの本拠地「須佐神社」の「ゆかり温泉」の近くには、海につながっているという池があり、そこからも濃い塩分を含んだ冷水が湧いているのです。ここも海岸線からは数十キロの距離があります。温泉学者の説によれば、地中のナトリュウム塩だというのですが納得いきません。私は、この二つの、前者は隕石の衝突による地裂・地溝帯の出現が海水を呼び込んだのであり、後者は、隕石が地下の深部に及んだため地下の深部の割れ目から日本海の海水が流れ込んでいると推測するのです。なぜ、スサノヲと温泉、そして山中の海水が関係付けられているのか。また、玉造温泉、湯の川温泉は、源泉が異常に地表に近く、絶えず湯煙が上がる場所です。日本に多い別府温泉などの火山性の温泉ではないのに、なぜに源泉がこれほど地表に近いのか。クレーターだとしか考えられないのです。いかがでしょうか・・・。
[12月/21日~12月/25日、追記コメントを挿入] Ⅴ
師のお考えをまとめると、
スサノヲの本拠地 「須佐神社」の 「ゆかり温泉」 Na塩泉
雲南市大東町須賀 宍道湖から直線でおよそ10km
出雲中心から東、直線でおよそ24km
隕石が地下の深部に及んだため地下の深部の割れ目から日本海の海水が流れ込んでいる。
スサノヲを祀る日本初の宮 「須我神社」の 「海潮温泉」 Na塩泉
出雲市佐田町宮内 日本海から直線でおよそ10km
出雲中心から南、直線でおよそ12km
隕石の衝突による地裂・地溝帯の出現が海水を呼び込んだ。
さらに、この二つは火山性の温泉ではないのに源泉がこれほど地表に近いのは、クレーターだとしか考えられない。
【 火山性ではないのに?海から直線で10kmの内陸の地表近くでNa塩の源泉がわく! 】
そうですよねえ。 云われてみれば不思議ですよねえ。 そんなこと今まで考えたことがありませんでした。 つぎは師への対応論としてではなく、多岐にある考え方の一論ということでお願いします。(^-^)
一つ目は、<温泉熱の供給源は?>
ゆかり温泉から○km離れたところに三瓶山(さんべやま)火山、海潮(うしお)温泉から○km離れたところに伯耆大山があります。この地下にいまでも熱源があるとして、岩石の熱伝導率から、その地下を温泉にするだけの熱が伝わっているか否かが計算できないか?
さらに、別のてを? プレート同士がこすり合わせて熱が地表へ向けて上がるとき、或いはマントル熱が上昇するとき、岩石より熱を伝えやすい金属脈(鉱脈)を伝わって上がることが考えられる。 これって新しい考えかたかも~(笑) 1/4
二つ目は、<内陸なのにナトリウム塩?>
塩があるのは海。 それがなぜ内陸に? この問題は、かつて、こどもの頃の大きな問題でした。欧州の岩塩、サハラ砂漠、ゴビ砂漠にまで塩があります。私は、これを6500万年前の南極に惑星単位の衝突があり、それで発生した大津波によって海水が運ばれたためだと結論づけました。<電子版報告書・巨大隕石と大津波> これは、にわかには信じがたいので中止します( 汗!)。 海水が津波によって内陸の盆地状のところに運ばれ、後の雨水によっても海に流れ出ることなくそこへ塩分だけが留まることがあります。 しかし、このふたつの温泉は神戸川(かんどかわ)や、斐伊川(ひいかわ)と赤川を数十キロもさかのぼって津波が運んだとも思えません。 こんな時「そこは昔は海だった!」と、かたづけてしまうのが今の学説(笑)。 ならば地溝帯から海水の侵入か? でも海潮温泉近くの標高は54m。ゆかり温泉近くの標高は○m。 富士五湖なんかは火山弾礫で地下水位がつながっている湖があるというから、そのても考えておきたい。 しかし、だれが何といおうとも須佐神社の<塩の井>では、日本海が満潮の時潮の花を吹くという現実がある!
三つ目は、<スサノヲと塩・温泉との関係>
スサノヲと塩・温泉をむすびつけるお考えに敬服します。(→中学生諸君向けに)
塩の重要さを知らない現代っ子がほとんどですが、つい先だっての昭和代?(あとで調べます^^!)まで専売品として扱われ、戦前?までは食あたりの薬として使用されていました。塩には滅菌作用があるから傷口になすりつけた?(痛いのにねえー笑) 時代という時間を区切っての話は難しいのですが、弥生代以前においても塩水や塩分を生活にとりいれていたと思われます。塩と水は生活の必需品です。この塩と水の循環を考える、言い換えて<山に雨が降り、川となって海に至り、それが蒸発して、天に上り、再び地上に降りそそぐ> これ等を古代人が知り得ているのは明白の理。 このことを「雨乞い儀式」にとりいれた。
どんな儀式なのでしょうか。それ等の全て推み解いている分けではありませんが。
わたしは、護摩を焚くのを見たことがあります。コウラの中心にコップで塩を盛ります。そして、小さい割り木に、願い事と歳と名前を書きます。それをお太夫さんが、さきほどのコウラの上に積み上げ火を付け、お祈りをしながら一本一本燃やすのです。参拝者はそれに唱和します。 ことが終わると、懐に両手を入れ<イン>を結びます。このインは門外不出とか。そしてその後「エイッ!ヤッ!」と、神殿に向かって×印に<クジ?>をきります。 塩は?といえば崩れているかと思いきや、その形のまんまで固い「焼き塩」となっています。これを欠いて参拝者の各家庭にお下げ物といっしょに分け与えます。この塩は食あたりは勿論、その他諸々の病気に効くそうです。今ではそれは塩ではなくて「らくがん」に変わっていますよ(笑)。
わたしは、この護摩焚きに、古代雨乞いの原型をみています。お釜やコウラで海水を沸かし、「この海水が湯気になって天にのぼり、どうぞ雨に変わりませ」とお祈りをする。卑弥呼以前の神様は荒神さまで、以後は太陽神かな。潮水を煮詰めれば塩ができる。この塩は薬としてよく効いたでしょうね。
ひるがえって、『 なぜ、スサノヲと温泉、そして山中の海水が関係付けられているのか 』
キーワードは、「 荒ぶる(すさぶ)神、 温泉=熱い潮水、 そして、山中=源流(三瓶山火山) 」 これ等を関係づけた師の着眼点に敬服します。
スサノヲについて今少し、スサノヲは、イザナミ、イザナギの御子神で、姉がアマテラス大御神でしたかね? すみません間違っていたらごめんなさい。(この程度の知識もありません。汗!) わたしは、これ等を実在の人物だととらえています。 卑弥呼以前の神は、<天上(天井)におわす荒神>であり人物とはまったく乖離(かいり)している。それを何かの媒体に呼びよせ乗り移させる。出雲では究極的には、長さ60km、幅5kmの島根半島になっています。 卑弥呼は、その荒神彗星は、主神太陽が使わした竜であるとし、その変革をとなえた。 それ以後は、スサノヲと荒神、アマテラスと卑弥呼のように、神と人物がかぶる考えが生まれ現在にいたる。 弟は姉・卑弥呼の意(身代わり象徴物)に反して、従来の生け贄をともなう(乱暴な)雨乞いを主張する。だが幼児を生け贄にする雨乞に社会は嫌気がさしている。スサノヲは旗色悪く、その死後は当時の本拠地(出生地)出雲から離れたところ須我に追いやられ埋葬されたと考えるのは筆者のうがった考えでしょうか? その卑弥呼の死後太陽神にかわっても、欲しい雨は降るとはかぎらない。「やっぱり荒神さまは、生娘を欲しがっている」 と・・・、歴史は続いてゆく。
【 付 記 】
須佐神社の七不思議に、星滑(ほしなめら)という光る岩肌が須佐の中山にあるそうです。 それは、その時の彗星をあらわし、境内摂社の下方近くにある、雨壺(あまつぼ)という岩は、隕石の落下凹地を象徴しているとみています。
須我神社へ行くには、斐伊川の支流<赤川>を上っていかなければなりません。地図で見るだけなのですが、途中海潮温泉あたりは、山もせり出して川幅も狭く?古代の歩行では難しいようにみえます。尚、筆者は<赤川>の地名につよい興味をもっています。赤川は、師のブログで見たように鉄分によって赤いのか?それとも生け贄の血を流したから赤川と名付けをしたのかと。これ等から須我神社は隔離された場所かと推理しています。さらに「日本初の宮」にも興味を覚えます。「初」とは、人物を神としてみる考えの発祥地?かと。そして須我神社の上方に宮印が見えます。あってはならない所に御宮がある。わたしは、ここがスサノヲの埋葬地で、今ある須我神社は摂社(社務をつかさどる所)かと推理します。いわゆる社殿と本殿の関係かな^^! いずれにしても、そこへお参りして宮司さんの言葉を聞いてみたいものですね、
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 11:11 [EDIT]
更なる材料として、以前私のblogにも書きましたが、出雲大社のある場所は風水でいう「龍穴」に当たると、出雲国造千家統尊様が指摘されています。「龍穴」は、別な見方から「女陰」、「女陰」は別の見方からすればキサカイヒメが示すように「赤貝」、すなわち貴方の指摘される、「荒神=龍」=「荒神様は貝が好き♪」というのは、あながち「?(笑)」ではないように思われるのです。また、鮫龍の天敵は「貝」だという説もあります。中国の伝説の中に、巨大な貝に足を挟まれて、天に昇れなかった龍の話があります。アラフラ海の巨大貝のようなものに挟まれたのでしょうか。出雲全体が巨大な龍穴だったのではないか?・・・ご検討ください。松江藩主松平直政が、出雲大社のご神体を見たいといって無理やり本殿に入ったら、八穴の大アワビが、突然大蛇(龍)に変身したという記録も残っています。やはり、龍と巨貝は関係するのです。
[12月/26日、追記コメントを挿入] Ⅵ
これはあまり立ち入りたくない問題ですね(笑)。 というのは当ブログは、中学生子女をも対象にしているからです。それをいやらしいととるか、神事としてとるかは、そちらに委ねることに致しましょう。 師のお考えは大明解だと思います。それに続いて話をすすめます。 性の交わりを神事に重ね合わせる考えの発祥は、四千年前の巨大隕石にあります。 巨大隕石が男性で、それを受ける大地・凹地が女性。 山が男性で海や湖が女性。 これ等の考えは、昔の史記にあったかな? 今、各地で行われている祭りのなかに男女の交わりを象徴している行事があると気付かれた方もあろうかと思います。
中部地方以北で「石棒」という男性根に似た遺物が出土しています。 なぜ中部地方以北なのかを考えてみるのも面白いかも知れません。 さらに、山の名前のなかで一番多いという<茶臼山>もそのことと、雨乞いに関係した山ですよ。 その分布をマップ化すると雨乞い文化圏がよめるかも知れません。
正月が近くなりました。その正月前に餅をつくのはなぜ? おめでたい時の紅白のお餅なぜ?こども心には、この謎解きを始めるまで、その祖先の意が解りませんでした。 即ち、杵が男性で臼が女性。 白餅が精子色で紅色が月経色であることも。 子宝を願うのは古今東西みな同じ! 今、師の啓発でやっと分かりました。 なぜに出雲大社が<縁結びの神様>かと。 島根半島の形状は男性根にも似ています。 すると女性は海かな? 海には貝も生息していますしね.。さしずめ、龍が男性で巨貝は女性ってとこかな?(笑)
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 11:31 [EDIT]
もう一つ材料を・・・。アメフラシ(雨虎、雨降)、別名ウミウシは、貝殻を持たない軟体動物の一種だとされています。和布刈(メカリ)神事をする日御碕神社の海岸には、このアメフラシが大量発生するのです。「アメフラシの名前の由来は、海水中で紫色の液をだすとそれが雨雲がたちこめたように広がるからと言われる。また、雨の時に岩場に集まるからという説もある。」とされています。しかし、一番の特徴は、刺激すると角を出すことです。それを、牛の角と例えるか、龍の角と例えるか、私は龍の角と例えるのが妥当だと考えます。しかるに、またの別名に「タツナミガイ」というものがあるのです。こうしたことから、出雲でもある意味神聖な海の生物とされていますが、連想できるのは、アメ・雨・龍・貝、そして出現地が日御碕・・・どう考えれば・・・。
[12月/28日、追記コメントを挿入] Ⅶ
「和布刈(メカリ)神事をする日御碕神社の海岸には、このアメフラシが大量発生する」。 とても面白いですね。「メカリ神事」のこと御ブログにあったような気がしますから後で調べてみましょう。(その前に、その記事を捜しだすのが大変 ^^!) 祖先が生き物を神聖視化するものには、どんなものがあるのでしょう? 奈良の鹿、因幡の白ウサギ、鹿児島の丹頂鶴、北海道のクマ、その他、白ネズミ、白ヘビ、白キツネ、イノシシ、赤牛さん、等々。 これ等には北海道の熊を除いて共通点があります。
その共通点とは、目や頭が<赤い>ということと、体外に出た角や牙や<長いシッポ>を持っていることにあります。 これは、4008年前の夜空を飛んだ巨大隕石が <赤く尾をひいた>ことに起因しています。 師のブログに 「流星と、網目の赤いホオズキ」の写真がありました。 この赤く垂れ下がったホオヅキを横に向けるか下に向けるかにすれば、その時の巨大隕石に見えませんか? でないと、わたくし個人的には 「ホオヅキ祭り」 を神聖化する考えが生まれません。 さらに、貝塚時代の門歯の抜歯。 時代劇のお歯黒。 額をそり上げる月代(さかやき)等々、こども心には理解が出来ないことばかりでした。 この底流には頭骨が隕石で、体外に出ている角や歯や尾は、その飛翔を表していると推んでいます。 さらに々、花嫁さんの「角隠し」ってなぜ? あんなに可愛い花嫁さんが 「角」 持っているのかぁ~?(笑) 奥さんとか、おカミさんって云うのなぜぇ? ちなみに、我が家での妻と私の関係は?、尻に敷かている。そのふりをしている? これに付いては深く追求しないことに致しましょう。
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 14:29 [EDIT]
さらに材料を・・・。出雲では山の中を歩く時、ある時期になると、「トビョウ」がいるから気をつけろ、とよく言います。足元だけではなく、木の上からの危害も気をつけろということです。木の枝に巣を作った鳥の卵を狙って、蛇が木を登るのです。蛇はウロコを立てて進むのですから、木に登ることはできるのです。しかし、降りるとなるとウロコの歯止めが逆さですから降りられなくなるのです。そこで、どうするかというと、バサッと飛び降りるのです。蛇が空を飛ぶように見えるのです。「飛ぶヘビ」がなまって「トビョウ」というのです。従って足元ばかりを気をつけていると、突然、空中からヘビに襲われたようなことになるのです。ヘビが空中を飛ぶのなら、龍も空中を飛ぶことになるのですから、飛龍もいるだろうとなるのです。・・・少し次元が落ちましたが、いかがでしょうか・・・。
[12月/29日、追記コメントを挿入] Ⅷ さて、ここからが保留(クイズ)にしておいた、
≪出雲大社の御神体は隕石か?≫に、思いをめぐらすことに致しましょう。
( 11/16・ 追 記 )で、その≪岩割伝承≫から、御神体はもっと固い場所かも? 石飛=龍飛(崎)か? 精査すれば飛来方向が? と掲げておきました。
師のお話に「出雲には、「飛龍」さんという苗字まである」がありました。私は、島根県の人で「石飛さん」という人に会ったことがあります。日本での名付けは、○○村の吾作どんというように、性に地名がつくことが多々あります。そのなかで石飛さんは異質ですよね。<石飛=隕石>。 石が飛んだから「 石飛!」、隕石というよりこのほうが直接的で分かりやすいと思いませんか? 飛龍さんは少し後の名前かも知れません。 先の須我神社・海潮温泉の近くに<飛石>という地名がありました。ここに「古代鉄歌謡館・ミューズエコー」があります。その歌がどんな歌か? そしてその傍らにある御宮の宮司さんにも、お話をうかがえば何かの手がかりが得られるかも知れない。
以前に、<富中>とびなかと読みます。が気になっていると申し上げました。師のお話を聞いているうちに、「富とび」のはじめは「飛び」であろうと気付きました。そして「中」ですが、これは中心の中! そして「「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。云々」がありました。位が高いということは重要性が高いということ。 私はこのふたつから出雲大社の御神体はこの辺りに落下した可能性大ではないかと思っています。
出雲大社には八百万の神々が集まるという神話があります。たとえそれが神話であろうとなかろうと、他の地にはそのような神話がありますか?と質問したい。 さらに、出雲の大社町では望楼?とされるスギの大木の根っこが発掘されています。 そのような並々ならぬ歴史を持つ出雲大社が、その辺の路傍の石を御神体にするでしょうか? それは衆知が認めるとんでもない石でなければならない。
その時が何時かは特定出来ないが、<その時を想像すると>、
○○時、出雲の地に隕石シャワー?があった。 人々恐れおののき出雲おそるべし!
その中にウラン鉱を?含むものがあった。 隕石が金属を含むものには鉄が大多数であるが、中には、高温極重圧で生成するダイヤモンドを含むものがあるから、それが放射性物質ではないと完全には否定出来ない。 それに近寄れば体調を崩すし髪の毛も抜けたかも知れない。 「荒神さまの御神体だ!分身だ!」 それやこれやで大社の御神体に! しかし、それを確かめることが出来るチャンスがあるのは、60年後の本殿遷宮(せんぐう)の時であるのがつらい。クルーの皆さんへ、以上、Dr.のお考えに付けたした部分は、素人の全くの想像ですからね。念のため(笑) つづきます。
<出雲大社の御神体(隕石)の落下地を絞り込め!>
①先ず、「 飛石、富中(とびなか)、石神 」等の、隕石に関係した地名を<国土地理院・電子版、Yahoo!地図>等で捜しだし分布図を作成する。
②次に、それ等に関係した姓名の分布を電話帳で捜しだす。(電話帳は図書館にあります)
このふたつで、かなりその候補地が浮き上がってくるはずです。(分布色の一番濃いところ)
③三つ目、それに関係した名前や由来の社寺を捜しだす。
これは、素人探偵がつよく言っておきたいことですが、「現存する社寺」以外に、その御神体・隕石の落下地はありません! (もし、これを疑う貴方がいたら、このゲームには参加されないほうが・・・、笑) 祖先は、その<場所>を、冒すべからざる生誕の地等の類似語で、必ず遺しているはずですから。 この時、その言葉や言い回し、表現の違いに惑わされてはいけませんよ。(飛石=隕石=竜神=石神さま、等はいっしょですからね) そして、こういったことには、「おれが本家だ!おれが元祖だ!」という場合がなきにしもあらずですから、ご注意を^^!
④ 師のお言葉で、『1.遷宮の際にご神体が仮殿に移されるのですが、異常に重いこと。2.次の遷宮(60年後)までの間に、分厚いご本殿の床板が異様にたるむこと。4.丹波などに残るオオクニヌシの岩裂伝承(大きな岩を砕いて沼の水を抜くこと)』がありました。
これから、その御神体の大きさ・重さを想像すると200kg以下、100kg程度かな?? 建築基準法で床の抜けない強度は平方m当たり200kgと聞いたことがあります。 他事ながら、ピアノを置く場合の床は補強しておかないとね。
⑤その隕石の落下・衝撃痕の大きさは?、『岩裂伝承(大きな岩を砕いて沼の水を抜くこと)』から想像すると、池でなくて「沼」ですから差し渡し15m以下かな??
読者の皆さん、[ ビッグゲームへの御参加を!]
以上を御参考に、その落下地を捜索してみませんか? こっから先は実行あるのみ!!
おっと!大切なことを忘れていました。その沼の形は必ず<円形>ですよ(^-^)♪ そして、その沼?が発見かったらその沼底が熱的変化、即ち熔けてはいないか? さらに顕微鏡単位のSiO2・酸化ケイ素の捜索も致しましょう。 でないと地質学者は、それと認めてくれませんからね。(笑)
shigechanizumo | URL | 2008-11-17-Mon 16:02 [EDIT]
今回最後の材料です。どのようにお考えかご教示いただけたら幸いです。問題は、龍と玉の関係です。私は、出雲の龍は、命主神社のヒスイの勾玉に封印されたと考えたいと思います。様々な絵画や、彫刻に龍と玉が一緒になっているものがあります。しかし、通俗的な関係ではなく、出雲特有の考えを述べたいと思います。龍は玉に入り(吸い込まれ)、凝縮されて固形化されたと考えるのです。従って、出雲のヒスイの勾玉には、龍の命(魂)が潜んでいるのです。そのヒスイの薄緑の透けた色は、龍の肌の色の象徴なのです。では、そのヒスイがなぜ銅戈とセットなのか。「戈」は、動物(人も含む)の首を掻く武器なのです。ヒスイに封印された龍が抜け出そうとすると、この銅戈が龍の首を掻くのです。鮫龍は金属を嫌うというのも、そうしたことからです。中国には、斬蛇伝説がいくつもあります。太刀で前をふさぐ大蛇をヅタヅタに切り刻んだ者は、王になれる(なる)というものです。出雲の龍は、ヒスイの大勾玉に押し込まれ、銅戈で、その復活をふさがれ、さらに命主神社の大岩の下に、そのヒスイの大勾玉と銅戈はセットにされて埋められたのです。おっしゃるように、それは、銅鐸から銅鏡へのチェンジの一端であったのかもしれません。しかし、私は、いつの時代にかはヒスイの大玉から出雲の龍が抜け出して、大きな時代の変化をもたらすのではないかと思っています。すべての封印が解かれ、時代が動き出すのです。そのためにも、貴方のような探索をしておく必要を、ヒシヒシと感じるのです。これからの探求を心から、いや出雲龍に代わって願っております。長々と、出雲に引き止めて申し訳ありませんでした。
[12月/日31、追記コメントを挿入] Ⅸ
Dr.とのやりとりも、この記事で一番重要な部分になってきました。いちどふり返って読み直してみましたが、自分でも何書いてんだか分からないところがあったりして。 このような駄文にお付きあい頂いてありがとう御座います。 Dr.のブログ初頭写真にあり、出雲大社の東側にある命主神社の大岩の下から銅戈と共に出土したヒスイの大勾玉には列島の歴史が凝縮されているように思います。次のDr.へのコメントⅩと、いっしょにして自分の思いを述べたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
平 素人 | URL | 2008-11-18-Tue 00:23 [EDIT]
shigechanizumoさん> こんばんわ♪ コメントありがとう御座います。
師が、こんなに長いコメントを下さるなんて、その長さだけ当ブログを!と思うと・・「感激」に耐えることが出来ません。改めてお礼をいいます。 それに全てお答えできるか、又ピント外れや、にわか返事にも、ご容赦を頂いて筆を進めたいと思います。
と、思って筆をとったのですが、あまりにも衝撃が大きく筆が進みません。
別の記事(カテゴリー出雲地方、2)をたちあげますので少しお時間をください。
衝撃その① 「銅カ」が首を掻く武器だと知ったこと!
予想が的中し、それが具現してゆく、恐ろしさでいっぱいです。
衝撃その② 出雲大社のご神体が、氏の予想のように放射能を発する隕石では?
そして、「石飛さん」等の地名・姓名の分布からと、「岩割伝承」等の氏の知見をプ
ラスすれば、その落下地が絞り込めること。
*申し訳ないだなんて、師の仰ることばではありません。氏が動いて下さらなければ、世界史が動くまでに後30年はかかるかも知れません。 ねえ○○さぁん♪共に長生きしましょうね。ボケないで(笑) カテゴlリ<出雲地方1>のコメントを、上の「極秘報告書」のポチもどうぞ!
shigechanizumo | URL | 2008-11-18-Tue 15:38 [EDIT]
誤字脱字があったので再度掲載します。ごめんなさい。・・・最後の最後です。勾玉のあの形状は何から来ているのか。一説によれば、腎臓だという人がいます。古代人は心臓よりも腎臓の方が神聖だというのです。そして、その、ソラマメのような形に魂が宿ると述べられるのです。もう一つの有力な説は、人間の胎児の形だというのです。妊婦のお腹の中で丸まっている胎児の形を模したものだとされるのです。しかし、これらの説には納得できません。なんといっても、聖や畏れの本質に全く迫っていないからです。腎臓を見て畏敬の念を感じるでしょうか、胎児の形を見て、確かに神聖さを感じることはあるかもしれませんが、何かもっと超越的な、おののくような畏れを感じるのでしょうか。私は、龍の形、それもヒスイに凝固(封印)された龍の形ではないかと考えるのです。話が軽くなるのですが、勾玉はタツノオトシゴに似ているのではないでしょうか。また、玉というものは表面に水滴を発生させます。水晶玉もそうです。そこから、降雨、祈雨につながると言うことが昔からいわれています。龍-玉-祈雨となれば一連のつながりとなります。また、ヒスイの原石は日本では原石の原産地こそ糸魚川周辺ですが、そこの原石を割って加工したものではなく、割れた原石が糸魚川から日本海にたどり着き、そこの海岸に打ち上げられたり、海底から採集されたものを加工したものです。水底の宝とされてこそヒスイなのです。では、平さんが指摘される出雲龍=島根半島(頭が日御碕、尻尾が美保関)は何なのでしょうか。私は出雲大社のヒスイの大勾玉に凝固(封印)された出雲龍の抜け殻ではないかと思っています。巨大な出雲龍は、新しい祭儀の登場によってヒスイの大勾玉に凝固(封印)されたのですが、その巨大な形状は島根半島となって残されたのではないでしょうか。ということは、ヒスイの大勾玉を封印し続けることこそ、新しい祭儀をもたらした卑弥呼の役割だったといわなければならないのです。ご参考までに・・・。次はありません。期待しています。
[12月/31日、追記コメントを挿入] Ⅹ
Dr.へのコメントⅨと、Ⅹをいっしょにして、この記事の末尾でむすびたいと思いますのでよろしくお願い致します。
Mr.シャーロック ホームレス(和訳:降岩 放浪人)
| URL | 2008-11-19-Wed 23:42 [EDIT]
Dr.(いずも)さま> 数々の興味深いコメントありがとう御座います♪
お問い合わせの件♪、少しの間?(ちょっと長くなるかも知れませんがぁ~笑)お時間をいただけませんか。東北の記事は、佳境にはいってます。 こちらが卑弥呼へつながる源です。どうぞ<出雲地方・2>を立ち上げるまで、こちら東北でも楽しんで下されば幸いです。(^-^)
一太郎 | URL | 2008-11-20-Thu 01:35 [EDIT]
すばらしいやりとりで、立ち入る隙もありません。
真実を知りたい。包み隠されたものでない事実を!
それを追い求めている平素人さんに、(拍手)
大事なお知らせが! 平 素人 | URL | 2008-11-20-Thu 20:48 [EDIT]
一太郎さん> ありがとう御座います♪
大事なお知らせがあります。ぜひカテゴリー<出雲地方・1>のコメント欄のほうへ飛んでみてください。^^!
<記事出雲地方・1の、コメント欄より>
shigechanizumo | URL | 2008-11-18-Tue 17:22 [EDIT]
種明かし。私が突如として、非力を承知で上腕周り45センチの腕をキーボードに向け、部下の怪訝そうな目線もいとわず迷惑なほどの投稿を今日までしたのは、氏の「皆さんも一度、神社・ご先祖様に頭をたれて『現代科学という、そのスス』をお祓いして貰えば?」という文章にいたく感動したからです。平さんこそ、その言を使う資格があると思っています。私も、今まで人から首をかしげられないために、まともを装って物を書いてきましたが、平さんに非科学をぶつけることによって何かを産んでくださると思うようになりました。私の中に膨大に堆積しているトンデモ話を、これからも少しづつぶつけますのでよろしくお願いします。
Mr.シャーロック ホームレス(和訳:降岩 放浪人) | URL | 2008-11-18-Tue 22:54 [EDIT]
Dr.(ワトソン)と呼んでいいですかぁ?
師を Dr.(いずも)と呼んでいいですかぁ♪ 私は20年ドクターワトソンと呼べる人を探し続けてきました。 私には少年心(こどもごころ)はあっても知識は中学生並。 この、≪大事変≫を世に伝えるにはドクターワトソンが必要でした。 やっとそのお人がという感じが致します。(ただしOKをもらえればね) 昨日の師の行動はわたしが観てもじんじょうではない。仕事前の8:58分に毎日の記事がUPができるほどの知見の持ち主。 日曜祭日は必ず休み。 このん年間、判を押したよう。でもねただ一度だけ特権つかって時間内に(笑)。 コメントは短く。 文章は2分間で400字?がうてる頭の廻転の速さ。 清張氏の愚弄呼ばわりでは毅然と!。(カッコよかったですぅ♪)その氏が・・・!、(それほど迄に・・・、と思うとうれしくて目頭が・)
Mr.シャーロック ホームレス(和訳:降岩 放浪人) | URL | 2008-11-19-Wed 00:16 [EDIT]
わたしがイメージしていた師の姿は、体重75~79kg 身長178cm、顔はヤマモトカンサイさんふう、髪はオールバックで白髪まじり。 でもね、上腕45cmは想像もつかなかった。 これについて絶対返事しないでくださいね! でないとシャーロックホームズが、「わたしの名をかたるなぁ!」 って、怒ってくるから(笑) [自己紹介です?]・んで、 わたしのほうは、「あんな大論を書くお人がぁ゛~幻滅うぅ~!」 です。(^^!) バガボンのパパ似かな?ぼそり!
只今のわたしを支え応援して下さる方は、6人(+α人)います。お二人はコメントを! あとの4人は、ドリフ・カトちゃんのずんどこ節♪「電信柱の影」で、私を(笑)みまもって?くれてます♪ この方たちを(6人のクルー)と位置づけています。 ことが成ってからチヤホヤされるのは、私も嫌いです。 今、出雲の銅カと、ご神体の落下地を発見出来るのは、師しかいません! 世紀を変えるトップびきは貴方です。 お互いが得意とすることを出し合い、その8つ目の海に出帆しませんか♪ (まえの記述に3時間かかったスローペースの亀さんより)^^!
shigechanizumo | URL | 2008-11-19-Wed 09:18 [EDIT]
漕ぎ出しましょう。宇宙という八つ目の海に向かって・・・。
♪緊急の告知です♪
Mr.シャーロック ホームレス(和訳:降岩 放浪人) | URL | 2008-11-19-Wed 21:32 [EDIT]
sigechanizumoさん> コメントありがとう御座います。 八つ目の海:グッドネーミング♪
さっそくの御快諾ありがとう御座います。今後略して師のことを<Dr.>と呼ばせて貰います。私を支えて下さっている釣りじいさん・さんは<じいさま>、一太郎さんは、桃太郎、浦島太郎も含めて<たろさん>はいかが? そして6人+?の<クルー>のかたは? もしよければ御自分の愛称をつけて名乗り出てください。^^! 私はMr.で結構です♪ 船の名は<竜神丸>英訳:Ship of Dragon 通称<シップ>。 役割はいままでとおり。但しこの船の<航跡>を後世に伝えることを約束してください。 Dr.が命名してくださった、<八つ目>の宇海・うみへ!♪(註;宇は、宇宙の宇であり全てを鵜呑みにした大津波の宇でもあります) それには約1700年の、眠りに就いている船<出雲半島・巨大竜>を縛り付けている錨<銅カ>を上げることから始めねばなりません。さらに「大量の銅剣」も要るかも知れない。 皆さんには、もう一度コメントも含めてmyブログ読破して欲しい。^^! 私はその間にやり残している<東北での仕事>を・・・!(汗~!) 以上提案します。 2008 11/19 (^-^)♪
一太郎 | URL | 2008-11-23-Sun 01:40 [EDIT]
いいですよ。 同行させてください。
航海楽しみだな。 < た ろ >
平 素人 | URL | 2008-11-23-Sun 04:07 [EDIT]
わ~ぃ♪ ももたろさん+うらしまさん+きんたろさんがプラスされた<たろさん>が、いっしょだぁ~♪ こころつよいよ~!
( こども心と、あそび心 )を乗せて、しゅっぱぁ~つ!
クルーへ、「推理実話」をつくりましょう♪
史実探偵: 平 素人 | URL | 2008-12-04-Thu 21:39 [EDIT]
これは、ロマンでもなければ、夢でもない。 その史実の解明へ向けて、 『21世紀発・(宇宙という八つ目の海)』 へ、
その(シップ≫は、出雲半島で1700年の眠りに就いている。 さあ、来たれクルー(同士)よ!
錨を上げて、帆を張れ! 銅剣を携え、ドラを鳴らせ! ともに、その(宇海)へ出帆だぁ~~!
このやりとりは、歴史に残る! それが史実だけに コナンドイルさん、どころじゃあないよ。
以後、クルーのコメントも関係すれば、より面白くするために(素人の独断で^^!)、随時入れさせて頂きますので、どうぞ御了解のうえでのコメントを^^!。ご異論や、ご要望があれば、かえって「この物語」をもりあげる。 不備があれば訂正すればいい。 よりよい<推理実話>をつくりあげるために!どうぞよろしくです(^-^)♪
< Dr.~!>大変長らくお待たせしました。^^!
以後、この記事をさかのぼって、緑の色字で [○月/○日、追記コメントを挿入」 として、私見を入れたいと思っています。 読みにくいとは思いますが、どうぞよろしくお願い致します。 (2008 12/11)
釣りじいさん | URL | 2008-12-11-Thu 11:59 [EDIT]
にゃははは~! へいへい、「じいさま」でやんすよ~。
巨ギスの住むと言う(?)八つ目の海を目指して、シップでの航海、わしも乗り込みやしょうかね~。老人と海にならんように祈りながら、Dr.さん、たろうさん、Mr.さん、よろしくで~す・・・って、一体どうなるんじゃろうかね~、楽しみ、楽しみ♪
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-11-Thu 19:53 [EDIT]
じいさま> コメントありがとうございます。このコメントも記事に入れさせていただきます♪。 この企画(遊び心と、少年心があって)気に入ってもらえるでしょう? 記事一辺倒では、おもくて愉しくないですからね。 その楽しみ方を教えて下さったのが<じいさま>ですから(^-^)。 責任とっていただきます!
オオッ!!! shigechanizumo | URL | 2008-12-13-Sat 17:30 [EDIT]
13日付けの内容は、すばらしい出来です。次を楽しみにしています。「大社の設営は菱根池にあり!」、私も秘かにそのように・・・。付け加えれば、菱根池の北山側には、「本郷・菱根遺跡」があり、これは縄文・弥生と続いた遺跡です。
参考までに、PDFを添付します。
http://www.taisha.jp/files/20050311175237arakizeniki.pdf
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-13-Sat 22:08 [EDIT]
Dr.(いずも)さん> コメントありがとう御座います。(^-^)
ドクターに、最高の褒め言葉をいただくなんて!と思うとうれしくて、々・・・♪
・・・でしょう!?。 少年期に受けた<思いって>こころの奥底にふかく刻まれていますものね。 わたし素人も、当時「科学だといってることが『何かおかしい?』 今では、それが高じて「今にみてろよ」(笑) 師と組めばそれが、できそうな気がします。 参考の<PDF>あとで調べてみます(人差し指2本でボチボチと・・・、汗~!)
そうでしたか本郷には、遺跡がありましたか。祖先からの伝言として「本・中・元・古・小・子・源」等がつく地名には、その発祥地?として注視しています。
一太郎 | URL | 2008-12-14-Sun 07:48 [EDIT]
研究も佳境に向かっていますね。 (拍手)
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-15-Mon 06:21 [EDIT]
一太郎(たろ)さん> コメントありがとう御座います♪
ハイ! 楽しみにしてください。 それがXmasプレゼントになればいいのですが ^^!
一太郎 | URL | 2008-12-21-Sun 07:22 [EDIT]
どんどん推理が深まっていきます。 謎も解かれ、また謎を呼びと・・
迷宮に入り込みながらも、あきらめないで追い求める。 平素人名探偵さんに、 拍手
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-21-Sun 14:51 [EDIT]
一太郎さ~ん> コメントありがとうございます♪
「名探偵」だなんてぇ~・・・汗!、 そんなほめことば、はじめてです♪
ほんとにその気になっちゃいますよう。 迷探偵にならないようにがんばりま~す(^-^)♪
龍眼 shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 16:36 [EDIT]
私が不思議に思うのは、「龍」というその「龍」は日本列島の龍だろうか、あるいは中国大陸・朝鮮半島の龍だろうか、それとも南海生まれの龍だろうかということです。そもそも出雲に封印された龍は、出雲産の龍なのか、それとも外地から出雲にやって来た龍なのかということです。鷺銅山や鵜峠銅山と並んで、同じ山塊に鰐淵銅山があるのですが、ここには出雲修験の本山みたいな鰐淵寺があるのです。しかも、推古天皇の「龍眼をいやした」ことから勅願寺となり、推古天皇が女帝であったことから、子年女性の守り本尊として祀られる。といういわくもあるのです。鰐は龍と結びつきます。推理の程よろしくお願いします。
鰐と龍 shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 16:56 [EDIT]
中国の伝説上の動物、竜のイメージの原型は、絶滅したマチカネワニではないかという説もあるそうです。・・・『ワニ学者の青木良輔は、竜の起源は、古代に長江や漢水に実在したワニの一種(マチカネワニ)であり、寒冷化により絶滅した後、伝説化したものだと主張している』・・・。ご参考までに。
マチカネリュウ shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 17:11 [EDIT]
URLを紹介します。
http://www.museum.osaka-u.ac.jp/valuable_specimen/sample0012.html
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-22-Mon 22:37 [EDIT]
Dr.> コメントありがとうございます♪
まず始めに、師が掲げられた問題に、知識がなくてついていけなかったり、興味をひかれ道草したりして、コメント記事が遅々としていることをお詫びいたします。(^^!)
「龍と鰐」のお話、とてもおもしろいですね。 わたしも始めは、龍は中国伝来のものとばかり思っていましたが、祖先の「地名という伝言」を受け取るにあたって、絵に描かれている龍は、日本の考えが逆輸入されたものと思うようになりました。(ちなみに、地名で竜とあれば古い地名で、龍と書けばその後の地名かと? あるいは外来の語句(今では英語化)がかっこいいから竜から龍に変えたかと)
【 その構図を簡単に描きますと 】
四千年前、北海道・東北地方の空を飛んだ<赤い巨大隕石>を祖先は「リュウ」と命名した。
東北発の大津波は、すでに相当な文明を蓄積していた大陸に甚大な被害をもたらした。
中国は東方の海洋に、その大地震や大津波をもたらした神がおわすと思った。
そういう歴史的下地があったからこそ、秦の始皇帝は徐福に3000人の童男童女を連れさせ、神が住むという東方列島へ「不老不死」の薬草をとりにやらせた。(たとえ何代かかろうとも必ず持って帰れってか?笑) こっから先は、師のおとくい分野!(笑) その列島の人達は「リュウ」が空から降りてきて、地震や津波や曇天(隕石の冬→類似語、核の冬→粉塵による地球規模の気温降下)をもたらしたという。その「リュウ」は?と聞けば、赤い頭をして尾は細長く、その咆哮は天地に轟き、八方に飛び散ったという。 もとより中国も地鳴りや大津波を同様に経験している。 絵を描くのは中国が得意。八方に散った角 生やし、赤い火の玉握らせて!。こんなものか?と「マチカネワニ」♪。(こっから先は、そのセンセ!)
いかに大陸の文化が優れていようとも、その文化の全てが一方通行で入ってきたとは思えない。その隕石の<赤>を基調とする鳥居や建物は、日本古来のものであり、大陸や、遠くヨーロッパへも渡った唐草模様・アスベスク模様は、日本発の 「緑なす大津波」 だと思いたい。 だから、欧州人が、その震源地・神秘の国ジパングへ操り出したのだとも! ちょっと唐草模様の大風呂敷を広げてみました。(笑)
絶賛 shigechanizumo | URL | 2008-12-24-Wed 14:42 [EDIT]
「中国は東方の海洋に、その大地震や大津波をもたらした神がおわすと思った。」・・・中華思想を打ち破るすばらしい発想です。絶賛!!!中国の人は、すでにその時代に、・・・「日本列島は、地球を覆っている十数枚のプレートのうち4枚のプレートの衝突部にあって、世界的にも活発なサブダクションゾーンのフロントに位置している。」ことを薄々知っていた!
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-24-Wed 20:40 [EDIT]
Dr.ったらぁ~> ほめすぎ、ほめすぎ♪
わたしは、四千年前の大事変を中国の人や韓国・朝鮮、ひいては世界の人達と共に解明できたらいいなと思っています。( 追記;学問に国境はありませんからね♪)
六千年・八千年ともいえる歴史をのこす中国なのに 「中国四千年の歴史」 と、なぜいうのか? こども心には合点がいきません。
謎 shigechanizumo | URL | 2008-12-25-Thu 17:35 [EDIT]
私は、中国大陸はあっても中国という国はなかったと思うのです。日本列島にある程度均一的に暮らしていた人達から見れば、海南島あたりの人、揚子江河口の人、黄河河口の人などを比べると顔かたちは似ていても彼らの文化的な基底・内容の違いにとても驚いていたのではないでしょうか。とすれば、中国・中国と一まとめにすると、とても間違った見方をしてしまうことがあるように思っています。私は、中国大陸と日本列島とは平らさんが考えるように、海・水つながりで考えると分かりやすいと思っています。従って、平さんが日本で起こった大津波によって中国が東の海の方向に覚醒されたという考え方を高く評価するのです。日本への騎馬民族の影響などほんの1500年前あたりの近い過去の出来事に過ぎません、従って、平らさんの時間的な設定、すなわち4000年前の大事変・出来事を中心とした考察に期待しているのです。
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-25-Thu 21:46 [EDIT]
Dr.いずもさん> コメントありがとうございます♪
お褒めのお言葉に恐縮しています。 Dr.のブログ広しといえど、このような絶賛のお言葉みたことがありません。 そのようなお方がそれ程までにと思うと感謝のこころで身が縮むおもいが致します。 師と組めばなにか大きなことがやれそうな気がしています。 世界史においてはBC2001年、日本史においては銅鐸文化が銅鏡文化にかわる時が大きな節目。(それしか知らない^^!) そうですよねえ。中国は他民族国家。 せんだって兵馬俑の朝日記事がありましたが、あれってどっち向きですか? 東を向いていたら面白いですねえ。 どっち向いていたってかまわないのに、なぜ東向きにってことになるから・・・??
期待 shigechanizumo | URL | 2008-12-29-Mon 17:09 [EDIT]
平さん、来年は期待してます。平さんによる、驚愕の超古代史が展開されますよう・・・。
Mr.平 素人 | URL | 2008-12-29-Mon 20:29 [EDIT]
Dr.izumoさん> コメントありがとう御座います♪
Dr.が、この{シップ>に乗船してくださって、夢が夢でなくロマンがロマンでない、志が具現化してゆく喜びがあります♪。 その八つ目の海の先には八代竜王がしくんだ七難八苦が待ちかまえている予感がします。Dr.& クルーの皆さん!来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
Dr.は、明日から4日までお休みですね。ありがとう御座いました。どうぞ御ゆっくり充電なさってください。 クルーの皆さんも♪(^-^)♪
< 結 び >
Dr.izumo 氏>への コメント Ⅸと Ⅹです。 年が変わり2009年1月1日になりました。
表題<出雲の巨大竜を縛り付けている「銅戈」を捜せ!>の結びです。
出雲の祖先には島根半島が、四千年前の東北地方へ降臨した巨大隕石によって発生した巨大津波に乗って西進しているように見えた。 (カテゴリー出雲地方1を参照して下さい)
以来、祖先は島根半島を竜神が宿る島として崇(あが)めるようになった。その後、列島には、禍や慈雨を成すのは、荒神さまである竜であるとの考えが生まれ定着し、稲作の発達から慈雨を願い幼児の人身供犠へとエスカレートした。その文化が永々と続いていたある日に、禍をなすという彗星が現れた。ヒミコは云った。「やがてあの星は全天を覆うだろう。私がその難をのがれるお祈りをしてあげる」と! 結果的にその星はニアミスにおわり人々おおいに安堵した。卑弥呼は荒神は太陽の使者・従神だと称え、それまでに使っていた銅鐸や銅剣を集めて封印し、代わりに太陽神の象徴である銅鏡を与えて、それまでの人身供犠を止めさせようとした。 (詳細は前の記事を参照して下さい)
それに続いて、銅戈によって<島根半島・出雲竜>を縛り付け動かさないようにしたか? というのが今回の謎解きです。 師の御質問に 「平さんが指摘される出雲龍=島根半島(頭が日御碕、尻尾が美保関)は何なのでしょうか」 とありますが、<日御碕を有する山塊が頭部で、美保関より東の地蔵さき(土へん)までが尻尾>だと御理解ください。不適切な表現をお詫びいたします。つづきは師への対応論としてではなく、併記論としてお受取り下されば幸いです。
<ヒスイの勾玉(まがたま)について>
列島でのヒスイの産出は、唯一糸魚川水系のみとされてきましたが、年が明けたから去年に九州でも産出することが発見されました。その論は、横に置いて。古代人がヒスイに持つ感情は師のおっしゃるとおりなのでしょう。 ヒスイの持つ神秘性については、師のブログのコメント欄にもありましたが、こんな話もあります。 中国でのとある土産物店での話です。ヒスイには熱や病をすいとる働きがあって首飾りにし、肌に当てておくと病が退散するというのです。中国には、ヒスイにかぎらず色々な宝石を身につけておくとそれぞれの効力がある考えがあるとも聞きました。 つぎに彼女のとった行動は信じがたいものでした。それを実証しましょうといって、その印材に自分の髪の毛を抜いて巻き付けて。あなたの持っているライターで火をつけろというのです。燃えると思いきや燃えませんでした。その現実を受け入れがたい自分があります。 皆さんもどうぞ確かめてみて下さい。(^-^) (註; ヒスイの産出をネットで調べると、鳥取県若桜、兵庫県大屋、岡山県大佐、長崎県長崎市三重、北海道でも産出とありました)
品質については、御ブログの写真にあるようなものが最高級なようで、とても手が出る値段ではありません。 わたしは、その少しくすんだ煙入りのものより鮮やかなグリーンが好きだというと、他のお土産品を買ってくれたから「あなたにプレゼントする」といって頂きました♪ ヒスイの靱性はダイヤモンドより強靱で、印刻には難儀をしたと聞きました。わたしは、とても気に入って今でも愛用しています。
つぎ、勾玉の形です
勾玉は何故あのような曲がった形をしているのでしょう? その必然性が考えられない。少年心には理解しがたいものでした。 これから述べることは歴史無知の素人の論だとご容赦してお聞き下さい。 勾玉の前身は、動物の牙や角に穴をあけて首飾りにしたようです。 何故首飾りに? 突き刺さると痛いのにねぇ(笑) 念願の勾玉の首飾り買ったが、さて、その尖った先の部分を内側に向けるか、外側に向けるか? こども心に、装飾の意味なら、何もそんな形でなくて球体でも水滴形でもいいんではないのか?と思いました。牙から石へと変わってきたとはいえその形を造るにはより多くの時間と技術の蓄積を必要とする。 前述のように強靱で磨きや穴をあけるのにはより硬いものが必要となる。ちなみに、ヒスイの硬度は6、5~7、一般的にある石英は7、 ダイヤは10。
それでは、何故牙を首飾りに
それは、縄文代にさかのぼり、四千年前の巨大隕石の落下衝突の瞬間の形に起因していると筆者はみています。すなわち、人の頭部が隕石(この場合の人は行者・お太夫さん)で、飛び散る土石や水滴が勾玉の形です。 だから<跳ね上がり>の部分は外側に向けて首にかけて下さい。(笑) カッパの頭部のお皿も、隕石の落下の瞬間を模したものですよ! 他には、大湯の環状列石、ストンサークル等もこの類似形です。 出雲の御神体の落下地の池は、周囲が円形で、その跳ね上がり形を示す似たような大きさの石を並べていたら確定的♪
さて、つぎからが師からお受けしている課題です。
師のお言葉で、『 龍は玉に入り(吸い込まれ)、凝縮されて固形化されたと考えるのです。従って、出雲のヒスイの勾玉には、龍の命(魂)が潜んでいるのです。そのヒスイの薄緑の透けた色は、龍の肌の色の象徴なのです 』
師のお言葉とは、多少のニュアンスは違いますが、あたっていると思います。 この竜神雨乞いの歴史は「卑弥呼」以前と、以後では少し変わっているように思います。 つまり持論をまとめると、卑弥呼以前での島根半島の役割は、荒神・竜神を呼び寄せる媒体。 卑弥呼以後での島根半島は、生命を持ってくる男性根の意がそれに加わったかと? 中学生子女には(吸い込まれる)は、ちょっと刺激的ですが、海や大地がその受け皿かな。 ヒスイについてお詳しい師へ論をはさむ余地はありませんが、ヒスイには、中国や日本、そして中米でも水性・慈雨への思いがあったと受け取っています。
一方、龍がその鋭い爪に握っている<火の玉>は、赤く輝いて空を飛んだ巨大隕石を象徴したものだと謎解きしました。 そして、お稲荷さんの白キツネが持っている火の玉も同類です。白い色は、隕石の冬によって大雪となった白と受け取っています。 さらに、竜ではなくて龍と書けば、中国からの逆輸入で、分かりやすく例えれば「日本が発注者で中国が画家♪」 私は、このような場合中国の史家に「聞けばいいのに」と思います。 その龍は東南西北どちらから来たのかと? 何故「東・トン」を一番先にいういうのかも!西洋ではN・北が先。^^? ついでに卑弥呼の円墳で云われている「歩」の単位についても! 師のブログファンに中国の人がいましたよね?^^!
<出雲のヒスイ製の大勾玉>
わたしは、出雲の大勾玉の大きさや、銅かといっしょに幾つ出土したのかを知りません。「大」がつくからには一般のものに比べると大きいのでしょう。 又、その色相についても師が述べられているように色々な意味合いがあるのでしょう。 色相の好みは人それぞれですが、この勾玉についていえば、中国の影響をつよく受けていると思います。 何故このように言うかというと、その深みがある青い色に白い雲が入っているものは、先に紹介した(青島大学付属の)土産物店で見た最高級のものに似ていたからです。 これは素人の個人的考えですが、宝石をつけて身を飾るのは、人がもつ自己顕示欲と権威付けの象徴的役割からだと思います。卑弥呼以前から縄文代の列島人の考えは、荒神の下において人々は平等であり自己顕示を必要とする社会性はなかったと見ています。 石器・縄文代の宝石に対する考えは、美しい物への憧れはあっても、それによって顕示付けの考えはなく、それが芽生えたのは、列島各地を薬草・薬石を求めて探索したという<除福の大集団>の影響かなと推理します。
<除福について>
わたしが除福のことを知ったのは師のブログが初めてです。歴史の時間いねむりでもしていたのでしょうか(^^!) わたしはその時、身も震うほどのカルチャーショックを受けました。 除福という人物にではなくて、徐福が引き連れてきたという3000人の童男童女にです。話半分という言葉がありますが、その半分の1500人にしてもすごい数です。しかもそれが卑弥呼よりも○○百年前の弥生式生活を営んでいた列島にです。未だ卑弥呼の代すら解明出来ていない?その時の中国には、すでに3000人の人を海を越えて送り出す社会的基盤が出来上がっていたということです。徐福を送り出した皇帝は、秦(しん)の始皇帝です。 不老不死の薬草・薬石を持ち帰えれと東方の島へ使わしたようです。英知に長けていた徐福が願い出たという説もあります。(徐福のことに興味が湧いてきたお人は、ヤフーブログ・いずものこころへ飛んで見てください。わくわくドキドキしたのを覚えています。ちょっと師のことを宣伝してみました。^^!)
通常は 「三千人を引き連れて」 と云えばいいところをなぜ童男童女がつくのでしょうか?
中国語で童男童女といったとき、どの年齢をさすのか知りませんが、壮年という言葉もありますから、幼いというイメージはぬぐえません。おそらく日本でいう少年少女なのでしょう。今の私達にすれば「そんな少年少女やって大丈夫かぁ」という疑問がわいてきます。往復に時間がかかるから? それ等に習熟させてだせばいい? このように肯定的にとらえるとそこで終わり。 3000人の衣食をまかなうことに加えて、「不老不死の薬草・薬石を求めて」という専門的条件が加わるのですから、徐福には相当な指導力と多岐なる教育力が要求される。 これもOK♪とするか(笑)。 では「童女」を連れるのはなぜ? ほんの3・4百年の北米大陸の移民のときでさえ婦女子をつれての航海は難儀したという。 男尊女卑のこの時代、これで生まれたのがレディファースト。 にもかかわらず、童女を連れて行かせたのは「たとえ何代かかろうとも必ず不老不死の薬を持って帰れ」という、始皇帝の強い権力が働いている。
もとより不老不死の薬などあろうはずもなく、徐福にとっては片道切符。 圧倒的優位をもつ3000人が列島各地に分散して探索する。 年月がたちその人達同士で夫婦になったり、現地(日本人)を妻にめとるものも出てくる。 ということは、その人達が定住して日本の薬石を中国へ送るという交流があったと考えることが出来る。その人達がもつ造船、航海術、鉱石、冶金、その他が列島に及ぼし影響は計り知れない。 富山の方だったかな<秦さん>という名字のお方がおられましたよね、Dr♪ でもね、食文化と信仰文化だけは、なかなか同化しない側面をもっています。蛇足ながら、最近岡山県・総社市でも「秦」の地名があるのを知りました。 祖先が地名をつけるとき<一番の関心事>で、周囲が同調し、地域が追認しないかぎり地名としては定着しません。そして、一度つけた地名はなかなか変えられない側面をもっています。変えれば 「あんたの云う山ってどこよ?」ってなりますからね。^^! ちょっと深入りしそうな話をもとにもどして(^^!)
<勾玉の形>
勾玉の形は、「腎臓、胎児の形、あるいはタツノオトシゴ」。 それはそれであたっていると思います。 なぜならそれ等をいうお人は、わたし素人のように直感的に、それと言っているとは思えず、何かの論拠があってのことで、それは地域的差異や、時間的差異かなと思います。 しかしながら 「事のはじまりは、隕石の跳ね返り形」 でしょうね。^^!
勾玉は首につけるもの! 祖先は、その「命主神社」のある場所を巨大龍の首部とみている!
その大勾玉は、出雲巨大龍のために別注したものだ! ならば、それ一カ所ひとつだけかぁ?
勾玉ひとつだけぶら下げて、ハイ首飾り♪ これではちょっと淋しいですよね(笑) それは、この記事の主題である<出雲龍・島根半島を縛り付けている銅かを捜せ!>と、いっしょにして考えることにします。 さきに保留しておいた(クイズ)のヒント二つを持ってきましょう。
出雲竜の概略図
【出雲竜の頭部】 【足部】 【尾部】
<卍?宮?> 猪の目
(口部)宇竜 ↑ 竜山 (島根)?
日御碕 鵜峠 ←_______約60km______枕木山___ → 地蔵崎
八雲山 ↑ 弥山 ムラクモノ剣?
<出雲大社> <松江>?
↑(首部)
<命主神社>勾玉&銅戈
Dr.付言 ⑦ に、
→【 「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。・・云々・・。 富といえば「トミ」=「蛇」なのです。社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。大社の「大」と思っていますが、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません。】 とあります。
【 答 その1. 】 大勾玉は、3カ所に埋めてあります。
もうお気付きと思いますが、その3カ所は、命主( )神社と、鵜峠(うど)と、日本海側の神社( )。お寺の可能性もありますが、仏教以前のことですから御宮さんの方にしておきましょう。 埋めかたは命主神社と同じ! 大岩の下! 大岩ってどの程度の大きさですかぁ? あまり大きいと金属探知機が・・・、
で? それだけでしょうかぁ? 勾玉って首飾りでしたよねえ。 それだけだと、玉がバラけっちゃう!^^! 紐をとおさないとねえ。 何使いましょうか? ちょっと太いが大社のしめ縄使いましょうかぁ。(笑) あの垂れ下がりって、三つでしたか? 二つでしたか? あとで師のブログ写真で調べてみましょう。 三つだったら大正解♪
正月に、<(しめと読みます→)〆飾り>をつかいます。 縛り付けると、締め付けるとでは、ニュアンスが違います。 ご先祖さまは、巨大竜の首っ玉、縛り付け〆付けて大人しくさせようとでも思ったのでしょうかぁ? 横綱は腰ですよね。その他正月に頂いた「煮染め・にしめ」も関係あるのかなあ?
【 答 その2. 】 銅戈は、5カ所に埋めてあります。
上記の3カ所に加えて<松江あたり>と、日本海側にある<島根>かな? この5カ所で大の字が書けます?! 松江あたりはちょっと難しいですが境内の<大岩>が目印♪
これについては、Dr.付言⑦の、『大社の大は、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません』が、おおきなヒントになりました。<ひょっとしなくても大根の「大」>だと気付きました。(Dr.に感謝・拍手♪) 出雲竜は大の字に寝そべっていたのか、伏せていたのかは知りませんが、とりあえず5カ所を押さえとこかと? そして、『出雲井神社の社紋は、亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです』とあります。 出雲の中海には<大根島>という島があります。少年心には変な地名だなあと思っていました。大根ではなくて牡丹の栽培で有名でしたか? <根が生えたように動かない>動かさないための大根です。交差の意味は、さきほどの「〆」と同じ意味ですよね。出雲熊野大社の神紋の亀甲の中に「大」は、大の字に締め付けるでしょうね。 時代劇で罪人を縛り付ける特異な縄のくくり方は、これを表しているのでしょうか。荒ぶる悪しき心をしばりつける。<この×印し>については、当ブログの「卑弥呼が埋めさせた大量の銅鐸と銅剣」で述べていますが、その銅鐸や、銅剣を差し込む部分にも刻印されています。
【 答; その確認! 】
この記事の文頭に、 『 長野県埋蔵文化財センターは、中野市の柳沢遺跡で先月中旬に「銅戈」(どう か)2本が出土したのに続いて、新たに 「銅鐸」(どうたく)の破片2点と「銅戈」5本が出土したとして、』 がありました。
この件に関しての詳細を知り得ていないのですが、「銅戈2本と、銅戈5本銅鐸2片」とが離れた場所から出土したと受け取って話を進めます。 <なぜ2本と、5本なのか?> 2本の方は分かりませんが、5本の方は、荒神を封印するために出雲で5カ所とした数に準じたのではと疑っています。 銅鐸2片の方は、銅鐸から銅鏡へ変わるにつけ、それへの祟り感がうすれたことと、2片を残すことによって、「荒神さま!貴方の帰る所はありません。どうぞ、あきらめてお引き取りください!」 ってかぁ(笑) それを1片や、まったく無くしてしまったのでは、荒神さまがひょっとして見失ったり、どこやらへ間違って取りついては困るからね。 「ご先祖さまよぅ~。貴方の恐れる荒神さまって、その程度のモンかぁ?」 ゴメン言葉が過ぎました。^^! 残りは、ちゃっかり(銅鏡造りの)鋼材へ! 鋼材へのリサイクルは、他の地でもありましたよね。
つづいて「大」の字についてです。
もう、筆者が何を言おうとしているか、お分りかとは存じますが蛇足的につけ加えておきましょう。 この 「大」 の字に関係した行事に、奈良市の 高円山(まどかやま)で行われる<大文字焼き>があります。 ネットで調べるとその他の地でもたくさんあるようです。 「高円山」の、「円山」については、さきにあげた茶臼山の数より多かったかな? またまた 反れそうな話を 「よーそろう。 おもかじいっぱ~い」(笑)もとにもどして! つまり、<大の字の端々の4カ所と、その交わる点の1カ所を加えた5カ所で、出雲の巨大竜は押さえ付けられている!> 京都では「焼く」という言葉を嫌って「五山の送り火」というそうです。この文化の広がりは多い。
その根源は出雲にあり! その後の出雲では四つの神奈備山(かんなびやま→頂上が円山)と、その要である<茶臼山>へと変遷している。 ( 西行きの左大文字・島根半島竜蛇が、東向いて・右大文字としてお帰りになる!) そうでしたよね、Dr.♪ こっから先の政教分離(国譲り神話)について知りたいお方は、Yahoo!ブログ(いずものこころ)の方へどうぞ♪(^-^)♪
( あ と が き )
< 出雲の巨大竜を縛り付けている銅戈を捜せ!>これは、<izumo の Dr.>の啓発と導きがなければ成し得なかったことであり、気付かずじまいで終わるところでした。 深く感謝をいたします。 また、<じいさま、たろうさん・6人+α人のクルーの方達>の参加・閲覧は、おおきな励ましでもあり活力にもなりました。 深くお礼をいいます。 なにしろ20年このかた「だれも相手にして」くれなかったものですからね。(笑) 出雲の銅戈と大勾玉は必ず 「大の字」 に埋められています。 しかしながら、“その錨をあげて八つ目の海へ漕ぎ出す” には、この先、世論を喚起し、行政を動かし、専門家に気付いてもらうという幾多の困難が待ちかまえています。 あとは、Dr.が、これをどのように取り上げて下さるか、上腕周り45cmの腕のみせどころ♪ つぎに「古事記の序記」を、わたくし流にあげて、史実探偵:平 素人の “job No1” を終えます。 遅々駄文に付きあって下さってありがとう御座いました。(^-^)♪
『 朕の聞いている、諸家がもっている帝記(皇譜系)や物語伝承は、正実に違(たがい)、多くの虚偽が加えられている。 今の時に当たりて、その失(誤り)を改めずば、この先、幾年も経たないうちに“その旨”が滅びるであろう。“このこと”は、国家(歴史)の根幹であり、天皇・天皇家(貴方の私の)任(つとめ)である。あれこれとある帝記を選録し、旧辞を討究して、偽りを削り、実(まこと)を定めて、後の世に伝えたいと欲(おも)う。』
長いあいだ遅々駄文に付きあって下さってありがとう御座います。ただいま仮想メモリが少なくなって思案中です。コメントはOKかも?(^-^)♪
拍手をありがとう御座います(^^) 只今までで(‘10 5/21)8拍になりました。
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COMMENT
おっ! いよいよshigechanizumoさんとの共同作業がはじまりますかね~、ますます楽しみ!!
な~んでもええから、何か発掘できるとええですね♪
ファイト! お風邪を召しませんように。
な~んでもええから、何か発掘できるとええですね♪
ファイト! お風邪を召しませんように。
釣りじいさま> コメントありがとう御座います♪
そうですね。なにか一発出れば、いいですね。励ましのお言葉、励みになります♪。 でも風邪のほうは時すでに遅し、熱はありませんが、鼻水と咳かぁ^^! で、<濡れマスクにカリンの実>なすりつけて♪ これ新しい発見!意外にいいですよぉ(^-^)!
そうですね。なにか一発出れば、いいですね。励ましのお言葉、励みになります♪。 でも風邪のほうは時すでに遅し、熱はありませんが、鼻水と咳かぁ^^! で、<濡れマスクにカリンの実>なすりつけて♪ これ新しい発見!意外にいいですよぉ(^-^)!
いやはや、こんな所にわしが・・・どうも、おかど違いのような。
それにしても、shigechanizumoさんと史実探偵さんの情熱と言うか、エネルギーと言うか、一体どこから出て来られるのでしょうかね~。やっぱ・・・卑弥呼の「のろい」? ま、第三者のわしはただただ楽しく拝見させて頂くだけで、ま、なんかのチャンスがあれば、「尺ギス」でも、奉納させていただきやしょうかね、にゃは!
日に日に寒くなります、くれぐれもお体ご自愛のほど。
それにしても、shigechanizumoさんと史実探偵さんの情熱と言うか、エネルギーと言うか、一体どこから出て来られるのでしょうかね~。やっぱ・・・卑弥呼の「のろい」? ま、第三者のわしはただただ楽しく拝見させて頂くだけで、ま、なんかのチャンスがあれば、「尺ギス」でも、奉納させていただきやしょうかね、にゃは!
日に日に寒くなります、くれぐれもお体ご自愛のほど。
釣りじいさま> ご心労多きなかの訪問&コメントありがとう御座います。
卑弥呼の「のろい」ですかぁ、^^! <実況中継>は、二人だけのやりとりより、観客やら、解説がはいったほうが、第三者から見てよりおもしろいものに仕上がりますので、どうぞ、ご協力ください♪。 今後、師とのやりとりでどのように動いていくかは予測出来ません。どうぞお楽しみに。 尺ギスの奉納お待ちしてますよん(^-^)♪
卑弥呼の「のろい」ですかぁ、^^! <実況中継>は、二人だけのやりとりより、観客やら、解説がはいったほうが、第三者から見てよりおもしろいものに仕上がりますので、どうぞ、ご協力ください♪。 今後、師とのやりとりでどのように動いていくかは予測出来ません。どうぞお楽しみに。 尺ギスの奉納お待ちしてますよん(^-^)♪
ようやく体調も戻り気味です
普通は翌日ぐらいには回復するので油断していた
まだときどき咳き込んだりしますが大丈夫です
平素人さんも全国区で動き回り
インフルエンザなんかにかからないようにね
拍手
普通は翌日ぐらいには回復するので油断していた
まだときどき咳き込んだりしますが大丈夫です
平素人さんも全国区で動き回り
インフルエンザなんかにかからないようにね
拍手
へいへい、「じいさま」でやんすよ~。
巨ギスの住むと言う(?)八つ目の海を目指して、シップでの航海、わしも乗り込みやしょうかね~。老人と海にならんように祈りながら、Dr.さん、たろうさん、Mr.さん、よろしくで~す・・・って、一体どうなるんじゃろうかね~、楽しみ、楽しみ♪
巨ギスの住むと言う(?)八つ目の海を目指して、シップでの航海、わしも乗り込みやしょうかね~。老人と海にならんように祈りながら、Dr.さん、たろうさん、Mr.さん、よろしくで~す・・・って、一体どうなるんじゃろうかね~、楽しみ、楽しみ♪
じいさま> コメントありがとうございます。 このコメントも記事に入れさせていただきます♪。 この企画(遊び心と、少年心があって)気に入ってもらえるでしょう? 記事一辺倒では、おもくて愉しくないですからね。 その楽しみ方を教えて下さったのが<じいさま>ですから(^-^)。 責任とっていただきます!
オオッ!!!
shigechanizumo | URL | 2008-12-13-Sat 17:30 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2008-12-13-Sat 17:30 [EDIT]
13日付けの内容は、すばらしい出来です。次を楽しみにしています。「大社の設営は菱根池にあり!」、私も秘かにそのように・・・。付け加えれば、菱根池の北山側には、「本郷・菱根遺跡」があり、これは縄文・弥生と続いた遺跡です。
参考までに
shigechanizumo | URL | 2008-12-13-Sat 17:38 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2008-12-13-Sat 17:38 [EDIT]
Dr.(いずも)さん> コメントありがとう御座います。(^-^)
ドクターに最高の褒め言葉をいただくなんて!と思うとうれしくて、々・・・♪
・・・でしょう!?。 少年期に受けた<思いって>こころの奥底にふかく刻まれていますものね。 わたし素人も、当時「科学だといってることが『何かおかしい?』 今では、それが高じて「今にみてろよ」(笑)
師と組めばそれが、できそうな気がします。PDFあとで調べてみます(人差し指2本でボチボチと・・・、汗~!)
そうでしたか本郷には、遺跡がありましたか。祖先からの伝言として「本・中・元・古・小・子・源」等がつく地名には、その発祥地?としての注視が必要ですね。
ドクターに最高の褒め言葉をいただくなんて!と思うとうれしくて、々・・・♪
・・・でしょう!?。 少年期に受けた<思いって>こころの奥底にふかく刻まれていますものね。 わたし素人も、当時「科学だといってることが『何かおかしい?』 今では、それが高じて「今にみてろよ」(笑)
師と組めばそれが、できそうな気がします。PDFあとで調べてみます(人差し指2本でボチボチと・・・、汗~!)
そうでしたか本郷には、遺跡がありましたか。祖先からの伝言として「本・中・元・古・小・子・源」等がつく地名には、その発祥地?としての注視が必要ですね。
一太郎(たろ)さん> コメントありがとう御座います♪
ハイ! 楽しみにしてください。 それがXmasプレゼントになればいいのですが ^^!
ハイ! 楽しみにしてください。 それがXmasプレゼントになればいいのですが ^^!
どんどん推理が深まっていきます
謎も解かれ、また謎を呼びと・・
迷宮に入り込みながらも
あきらめないで追い求める
平素人名探偵さん、拍手
謎も解かれ、また謎を呼びと・・
迷宮に入り込みながらも
あきらめないで追い求める
平素人名探偵さん、拍手
一太郎さ~ん> コメントありがとうございます♪
「名探偵」だなんてぇ~・・・汗!、 そんなほめことば、はじめてです♪
ほんとにその気になっちゃいますよう。 迷探偵にならないようにがんばりま~す(^-^)♪
「名探偵」だなんてぇ~・・・汗!、 そんなほめことば、はじめてです♪
ほんとにその気になっちゃいますよう。 迷探偵にならないようにがんばりま~す(^-^)♪
龍眼
shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 16:36 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 16:36 [EDIT]
私が不思議に思うのは、「龍」というその「龍」は日本列島の龍だろうか、あるいは中国大陸・朝鮮半島の龍だろうか、それとも南海生まれの龍だろうかということです。そもそも出雲に封印された龍は、出雲産の龍なのか、それとも外地から出雲にやって来た龍なのかということです。鷺銅山や鵜峠銅山と並んで、同じ山塊に鰐淵銅山があるのですが、ここには出雲修験の本山みたいな鰐淵寺があるのです。しかも、推古天皇の「龍眼をいやした」ことから勅願寺となり、推古天皇が女帝であったことから、子年女性の守り本尊として祀られる。といういわくもあるのです。鰐は龍と結びつきます。推理の程よろしくお願いします。
鰐と龍
shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 16:56 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 16:56 [EDIT]
中国の伝説上の動物、竜のイメージの原型は、絶滅したマチカネワニではないかという説もあるそうです。・・・『ワニ学者の青木良輔は、竜の起源は、古代に長江や漢水に実在したワニの一種(マチカネワニ)であり、寒冷化により絶滅した後、伝説化したものだと主張している』・・・。ご参考までに。
マチカネリュウ
shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 17:11 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2008-12-22-Mon 17:11 [EDIT]
Dr.> コメントありがとうございます♪
まず始めに、師が掲げられた問題に、ついていけなかったり、興味をひかれ道草を楽しんだりして、コメント記事が遅々としていることをお詫びいたします。
「龍と鰐」のお話、とてもおもしろいですね。 つぎ、記事のほうへ続けます。
まず始めに、師が掲げられた問題に、ついていけなかったり、興味をひかれ道草を楽しんだりして、コメント記事が遅々としていることをお詫びいたします。
「龍と鰐」のお話、とてもおもしろいですね。 つぎ、記事のほうへ続けます。
絶賛
shigechanizumo | URL | 2008-12-24-Wed 14:42 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2008-12-24-Wed 14:42 [EDIT]
「中国は東方の海洋に、その大地震や大津波をもたらした神がおわすと思った。」・・・中華思想を打ち破るすばらしい発想です。絶賛!!!中国の人は、すでにその時代に、・・・「日本列島は、地球を覆っている十数枚のプレートのうち4枚のプレートの衝突部にあって、世界的にも活発なサブダクションゾーンのフロントに位置している。」ことを薄々知っていた!
Dr.ったらぁ~> ほめすぎ、ほめすぎ♪
わたしは、四千年前の大事変を中国の人や韓国・朝鮮、ひいては世界の人達と共に解明できたらいいなと思っています。
六千年・八千年ともいえる中国なのに 「中国四千年の歴史」 と、なぜいうのか? こども心には合点がいきません。
わたしは、四千年前の大事変を中国の人や韓国・朝鮮、ひいては世界の人達と共に解明できたらいいなと思っています。
六千年・八千年ともいえる中国なのに 「中国四千年の歴史」 と、なぜいうのか? こども心には合点がいきません。
謎
shigechanizumo | URL | 2008-12-25-Thu 17:35 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2008-12-25-Thu 17:35 [EDIT]
私は、中国大陸はあっても中国という国はなかったと思うのです。日本列島にある程度均一的に暮らしていた人達から見れば、海南島あたりの人、揚子江河口の人、黄河河口の人などを比べると顔かたちは似ていても彼らの文化的な基底・内容の違いにとても驚いていたのではないでしょうか。とすれば、中国・中国と一まとめにすると、とても間違った見方をしてしまうことがあるように思っています。私は、中国大陸と日本列島とは平らさんが考えるように、海・水つながりで考えると分かりやすいと思っています。従って、平さんが日本で起こった大津波によって中国が東の海の方向に覚醒されたという考え方を高く評価するのです。日本への騎馬民族の影響などほんの1500年前あたりの近い過去の出来事に過ぎません、従って、平らさんの時間的な設定、すなわち4000年前の大事変・出来事を中心とした考察に期待しているのです。
Dr.いずもさん> コメントありがとうございます♪
お褒めのお言葉に恐縮しています。 Dr.のブログ広しといえど、このような絶賛のお言葉みたことがありません。 そのようなお方がそれ程までにと思うと感謝のこころで身が縮むおもいが致します。 師と組めばなにか大きなことがやれそうな気がしています。 世界史においてはBC2001年、日本史においては銅鐸文化が銅鏡文化にかわる時が大きな節目。(それしか知らない^^!) そうですよねえ。中国は他民族国家。 せんだって兵馬俑の朝日記事がありましたが、あれってどっち向きですか? 東を向いていたら面白いですねえ。 どっち向いていたってかまわないのに、なぜ東向き・・・??
お褒めのお言葉に恐縮しています。 Dr.のブログ広しといえど、このような絶賛のお言葉みたことがありません。 そのようなお方がそれ程までにと思うと感謝のこころで身が縮むおもいが致します。 師と組めばなにか大きなことがやれそうな気がしています。 世界史においてはBC2001年、日本史においては銅鐸文化が銅鏡文化にかわる時が大きな節目。(それしか知らない^^!) そうですよねえ。中国は他民族国家。 せんだって兵馬俑の朝日記事がありましたが、あれってどっち向きですか? 東を向いていたら面白いですねえ。 どっち向いていたってかまわないのに、なぜ東向き・・・??
期待
shigechanizumo | URL | 2008-12-29-Mon 17:09 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2008-12-29-Mon 17:09 [EDIT]
平さん、来年は期待してます。平さんによる、驚愕の超古代史が展開されますよう・・・。
Dr.izumoさん> コメントありがとう御座います♪
Dr.が、この{シップ>に乗船してくださって、夢が夢でなくロマンがロマンでない、志が具現化してゆく喜びがあります♪。 その八つ目の海の先には八大竜王がしくんだ七難八苦が待ちかまえている予感がします。Dr.& クルーの皆さん!来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
Dr.は、明日から4日までお休みですね。ありがとう御座いました。どうぞ御ゆっくり充電なさってください。クルーの皆さんも♪(^-^)♪
Dr.が、この{シップ>に乗船してくださって、夢が夢でなくロマンがロマンでない、志が具現化してゆく喜びがあります♪。 その八つ目の海の先には八大竜王がしくんだ七難八苦が待ちかまえている予感がします。Dr.& クルーの皆さん!来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
Dr.は、明日から4日までお休みですね。ありがとう御座いました。どうぞ御ゆっくり充電なさってください。クルーの皆さんも♪(^-^)♪
謹賀新年
今年の一層のご活躍を祈念いたします
本のわずかな痕跡を糸口に、ひもときをしていく
シャーロックホームズさんの推理は、私には
難解なときが多いのですが、これからも訪問して
勉強させてもらいますね
どうか、本年もよろしくお願いします
拍手
今年の一層のご活躍を祈念いたします
本のわずかな痕跡を糸口に、ひもときをしていく
シャーロックホームズさんの推理は、私には
難解なときが多いのですが、これからも訪問して
勉強させてもらいますね
どうか、本年もよろしくお願いします
拍手
一太郎きん> お祝辞ありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
いいですよ。見ていてくださると思うだけで活力の源になります。当ブログは亀さんペースですから、たまにのご訪問で十分にまにあいますからね。ところで何だか分かりませんが、二日つづけて御ブログへ訪問できません。よろしくです。
いいですよ。見ていてくださると思うだけで活力の源になります。当ブログは亀さんペースですから、たまにのご訪問で十分にまにあいますからね。ところで何だか分かりませんが、二日つづけて御ブログへ訪問できません。よろしくです。
やっとアクセスが!
釣りじいさん | URL | 2009-01-05-Mon 20:06 [EDIT]
釣りじいさん | URL | 2009-01-05-Mon 20:06 [EDIT]
やっとアクセスができました!
このところMr.につながらなかったんですよ。
あけましておめでとうございます。
今年もじっくり読ませていただきますね。
読むだけでなく、積極的に参加できるよう頑張ります!
お風邪を召しませんように。
このところMr.につながらなかったんですよ。
あけましておめでとうございます。
今年もじっくり読ませていただきますね。
読むだけでなく、積極的に参加できるよう頑張ります!
お風邪を召しませんように。
じいさま> ご訪問&新年のお祝辞ありがとう御座います。
あらためて、明けましておめでとう御座います。本年もどうぞよいお年を♪。PCのこと記事が重くなり、表示時間が長くなったり、「スクリプトが」とか、「ブログインが不正操作を」とかのご迷惑をかけてはいないかと心配でした。ご遠慮なさらずに教えて下さる方が私のためになりますので、続いてよろしくお願いいたします♪ 私も<たろさんブログ>で「ブログインが不正操作を」が続いています。んな訳ないのにねえ(笑)ごめんなさい!
クルーの方へも> こんな時「記事の半分を追記欄へ移設?」すれば表示UPが短くなるのかを教えて下さい。( 汗!)
あらためて、明けましておめでとう御座います。本年もどうぞよいお年を♪。PCのこと記事が重くなり、表示時間が長くなったり、「スクリプトが」とか、「ブログインが不正操作を」とかのご迷惑をかけてはいないかと心配でした。ご遠慮なさらずに教えて下さる方が私のためになりますので、続いてよろしくお願いいたします♪ 私も<たろさんブログ>で「ブログインが不正操作を」が続いています。んな訳ないのにねえ(笑)ごめんなさい!
クルーの方へも> こんな時「記事の半分を追記欄へ移設?」すれば表示UPが短くなるのかを教えて下さい。( 汗!)
オオッ!!!
shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 15:43 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 15:43 [EDIT]
私の昨年のドサクサ紛れのコメントによくここまで応えて下さいました。新年早々感謝いたします。Mr.平様の想像力をお借りするために、来週は更なるコメントの渦を寄せたいと思いますので、よろしくお願いします。船出は始まったばかりですから・・・。
竜と銅
shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 16:12 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 16:12 [EDIT]
来週を待たずに第一弾です。島根半島は隆起半島だとされています。隆起したことを示すのが、島根半島の各所に検出される地層の褶曲です。また褶曲に伴った断層のズレが、たくさんの洞窟(猪目洞窟もそのひとつ)を生み出しています。また隆起の際に、岩盤を粉々に砕く圧力が下方部から加わったために、島根半島の山々は破砕された岩石で成り立っています。別名破砕山脈とも言われています。そのために、落石崩落が多く、地合、牛の首といった地域からは海岸線に沿った道路さえも作れないのです。その隆起によって、本来地下深くにあったグリーンタフが生成した鉱脈が銅鉱脈などとなって地上付近に突出したともされています。この銅鉱脈が風雪の浸食によって露出し、自然銅となり、島根半島のいたるところに出現していたとされています。鷺銅山、鵜峠銅山などは、露出した自然銅を採り尽くした後、地下の坑道へと掘り進んだものとされています。その自然銅の純度は99%にもなり、そうした自然銅がゴロゴロしていて、美保関あたりでは小牛の胴体ぐらいの自然銅も見つかったそうです。竜を金属に例えれば銅鉱脈が似合うのではないでしょうか。現実に鷺銅山の山は、地元では古来より「竜」あるいは、「竜山」と呼ばれています。それにしても、日本海海域で他に島根半島のような隆起半島は見かけられません。なぜ、島根半島の部分だけが隆起したのか、しかも標高500m近くまで隆起したのです。また、約65kmにも及ぶ半島でありながら、幅は数キロという細長い半島なのです。どんな力が働いて、島根半島などという特異な半島が形成されたのか、Mr.平様の想像力を借りたいと思います。
竜と銅・第二弾
shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 16:36 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2009-01-10-Sat 16:36 [EDIT]
前のコメントで、「竜を金属に例えれば銅鉱脈が似合うのではないでしょうか。」としましたが、思いつきではありません。銅は他の金属と親和性が高く、ご存知のように、錫や鉛を混ぜると、その混ぜ具合、配合によって様々な性質を持った銅になるのです。クニャクナな銅を作ることもできるし、それを延圧して細長い銅線を作ることもできます。また、ポキンと折れるような非常に固くて脆い銅を作ることもできます。また色も、白銅から黄金色、そして赤銅色など様々な色を演出できるのです。さらに、錆びた時は緑青を生じて緑あるいは青色の金属となるのです。緑青は毒にもなりますが薬にもなるとされています。この千変万化は鉄などの金属には及びもつかないことなのです。そして竜です。竜も昇り竜から眠り竜、怒り竜。八大竜王から竜の落とし子まであります。色も緑色から、白色、金色の表皮を持つ竜とあります。さらに、人に災いを及ぼす竜から、慈雨をもたらす竜もいます。同じく千変万化なのです。銅の属性・神秘性と、竜の属性と神秘性には合い通じるところがあると思うのです。Mr.平様の想像力を付け足していただきたいと思うのです。
Dr.~♪> すごい!凄すぎる。両腕にジンジンときます。
銅については全くの無知ゆえにつよい興味をもっていました。それを人文史にからめるのもさることながら、出雲半島の質的成因については全く分かりません。 形状については。アリューシャン列島、千島列島、日本列島、南西諸島の、各々の<弓状ライン>から、太平洋側へ強い力で引っ張られて形成していると推測できます。(拙電子出版・第三章小惑星の衝突と合体・3-2地球誕生への足取り) それにくっついて来たのが島根半島! 子牛ほどの銅塊ゴロゴロびっくり仰天! ならば、【島根半島(銅)ー能登半島(?)ー佐渡(金)】 のラインが考えられるから能登の(?)が楽しみ♪ これ極秘ですよ(笑) 蛇足ながら、北九州が北朝鮮のハムフン、中国地方がチョンジン・ナホトカ、金沢あたりから北海道の檜山支庁あたりの弓状ラインがシホテアリニ山脈に対応します。これら「ゆば端」が一気に太平洋側へ引っ張られ、その空隙をうめるがごとくに朝鮮半島が折れまがり入り込んだ!
この課題毎日考えても六ヶ月以上! Dr.の頭の廻転の速さには、ついてけない。困った々^^!
銅については全くの無知ゆえにつよい興味をもっていました。それを人文史にからめるのもさることながら、出雲半島の質的成因については全く分かりません。 形状については。アリューシャン列島、千島列島、日本列島、南西諸島の、各々の<弓状ライン>から、太平洋側へ強い力で引っ張られて形成していると推測できます。(拙電子出版・第三章小惑星の衝突と合体・3-2地球誕生への足取り) それにくっついて来たのが島根半島! 子牛ほどの銅塊ゴロゴロびっくり仰天! ならば、【島根半島(銅)ー能登半島(?)ー佐渡(金)】 のラインが考えられるから能登の(?)が楽しみ♪ これ極秘ですよ(笑) 蛇足ながら、北九州が北朝鮮のハムフン、中国地方がチョンジン・ナホトカ、金沢あたりから北海道の檜山支庁あたりの弓状ラインがシホテアリニ山脈に対応します。これら「ゆば端」が一気に太平洋側へ引っ張られ、その空隙をうめるがごとくに朝鮮半島が折れまがり入り込んだ!
この課題毎日考えても六ヶ月以上! Dr.の頭の廻転の速さには、ついてけない。困った々^^!
そのシナリオ
1. 原始薄皮溶融岩体)の小地球に、北太平洋元体惑星が衝突合体! この時、その淵々に“グリーンタフ”という膿が噴出。
2.北太平洋元体の 「沈み込みと、球体化」 の力によって、ゆば状の表皮は、太平洋側へ引っ張られ、各々の弓状ラインが出来あがる。
3.その後、太平洋は知らぬ存ぜぬと、約2億年で海底を塗り替えてしまった。
4. 時は過ぎて、四千年前の東北地方に降臨した巨大隕石によって発生した巨大地震は、波打ちながら西進する。
5.その細長い帯状の島根半島がバックから波打ちながら、幾度も々も揺すられるのですから、いかに固い岩塊とはいえ千々に砕ける。 ご先祖さま驚いたでしょうね。( これ簡単に?調べる方法ありますよ♪ 互いの岩石の接触面が擦れて熔けている!)
6.その噴出帯(グリーンタフ)の切れ端が列島日本海側と、それに対応する大陸側にくっついているかもね♪ 「標高500mの山塊を狙え!」 とりあえず<朝日山地>をあげておきます。これも極秘? 以上、素人探偵の “job No2” でした。
1. 原始薄皮溶融岩体)の小地球に、北太平洋元体惑星が衝突合体! この時、その淵々に“グリーンタフ”という膿が噴出。
2.北太平洋元体の 「沈み込みと、球体化」 の力によって、ゆば状の表皮は、太平洋側へ引っ張られ、各々の弓状ラインが出来あがる。
3.その後、太平洋は知らぬ存ぜぬと、約2億年で海底を塗り替えてしまった。
4. 時は過ぎて、四千年前の東北地方に降臨した巨大隕石によって発生した巨大地震は、波打ちながら西進する。
5.その細長い帯状の島根半島がバックから波打ちながら、幾度も々も揺すられるのですから、いかに固い岩塊とはいえ千々に砕ける。 ご先祖さま驚いたでしょうね。( これ簡単に?調べる方法ありますよ♪ 互いの岩石の接触面が擦れて熔けている!)
6.その噴出帯(グリーンタフ)の切れ端が列島日本海側と、それに対応する大陸側にくっついているかもね♪ 「標高500mの山塊を狙え!」 とりあえず<朝日山地>をあげておきます。これも極秘? 以上、素人探偵の “job No2” でした。
一太郎さん> コメント&パンパンありがとう御座います♪ そんなことはないかも?
出雲半島(銅)-能登半島(?)-佐渡(金)-朝日山地(??) ← 地下鉱脈・グリーンタフの噴出ラインと推んでいます。 グリーンタフが地下深くから地表近くに噴出し、その鉱脈には金が含まれることがあります。 朝日山地は新潟・山形県境ですから、気にとめておいて下さい。<佐渡に近いぶん、ひょっとしたら金鉱脈が!?> これを確かめるの誰でもできますよ! 「佐渡北側の表皮岩と、朝日山地北側の表皮岩の “岩質が同じ” であればその可能性は大きいよね^^!。 何かの情報があったら教えてください。お金があれば山買い占めて・・・、(笑)
それはそうと、御ブログ新春から幾度となく挑戦しても、アクセス出来ません。今日もだめでした。 ごめんなさいね!
出雲半島(銅)-能登半島(?)-佐渡(金)-朝日山地(??) ← 地下鉱脈・グリーンタフの噴出ラインと推んでいます。 グリーンタフが地下深くから地表近くに噴出し、その鉱脈には金が含まれることがあります。 朝日山地は新潟・山形県境ですから、気にとめておいて下さい。<佐渡に近いぶん、ひょっとしたら金鉱脈が!?> これを確かめるの誰でもできますよ! 「佐渡北側の表皮岩と、朝日山地北側の表皮岩の “岩質が同じ” であればその可能性は大きいよね^^!。 何かの情報があったら教えてください。お金があれば山買い占めて・・・、(笑)
それはそうと、御ブログ新春から幾度となく挑戦しても、アクセス出来ません。今日もだめでした。 ごめんなさいね!
竜と銅・第三弾
shigechanizumo | URL | 2009-01-13-Tue 09:31 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2009-01-13-Tue 09:31 [EDIT]
Wikiに次のような指摘があります。『竜山文化は仰韶文化が終わった後の紀元前2500年ごろに始まったもので、こちらの特徴は黒い土器です。ですのでこのようなものを黒陶文化と呼んでいます。この頃には高温で焼く事が出来るようになったために薄手で硬い土器が作られていました。この文化の終わりごろになると銅器も作られるようになりました。』・・・。
黒陶文化が有名なので、青銅器はあまり語られていません。しかし、その影響力は絶大で、次の遼東半島文化につながります。特に、wiki以外の指摘に、・・・『文様には弦文・竹節文・透かし孔などがあり、一部に商(殷)周時代の青銅器にある雲雷文や饕餮(とうてつ)文などに似たものもある。習俗として抜歯・頭骨変形・卜占(ぼくせん)など、大汶口文化からひきついだものがみられる。』・・・とあるように、日本列島にも大きな影響をもたらしたと思われます。
鷺銅山・鵜峠銅山・鰐淵銅山が、鷺の竜山につながる鉱脈を源泉とするなら、なぜに、その源泉を「竜」といったのか。中国の古い大きな文化の記憶が貼り付けられたのではないでしょうか。
ご指摘のとおり、島根半島のグリーンタフは、山形・秋田で再び地表に現れてきます。秋田が鉱山で有名なのはそのためです。そして注目すべきは、八郎潟・男鹿半島と考えるのですが、・・・オッと電話です。
黒陶文化が有名なので、青銅器はあまり語られていません。しかし、その影響力は絶大で、次の遼東半島文化につながります。特に、wiki以外の指摘に、・・・『文様には弦文・竹節文・透かし孔などがあり、一部に商(殷)周時代の青銅器にある雲雷文や饕餮(とうてつ)文などに似たものもある。習俗として抜歯・頭骨変形・卜占(ぼくせん)など、大汶口文化からひきついだものがみられる。』・・・とあるように、日本列島にも大きな影響をもたらしたと思われます。
鷺銅山・鵜峠銅山・鰐淵銅山が、鷺の竜山につながる鉱脈を源泉とするなら、なぜに、その源泉を「竜」といったのか。中国の古い大きな文化の記憶が貼り付けられたのではないでしょうか。
ご指摘のとおり、島根半島のグリーンタフは、山形・秋田で再び地表に現れてきます。秋田が鉱山で有名なのはそのためです。そして注目すべきは、八郎潟・男鹿半島と考えるのですが、・・・オッと電話です。
Dr.~> おはよう御座います。コメントありがとう御座います♪
昨夜は、我が愛(?)が「一緒にねる」と、我がおふとんへ♪ ・でいっしょに熟睡~・・・してしまい。 熟考^^!できませんでした。ごめんなさい。 つづきがあるようなので、その時一緒に・・「黒い土器」興味がわきました。
昨夜は、我が愛(?)が「一緒にねる」と、我がおふとんへ♪ ・でいっしょに熟睡~・・・してしまい。 熟考^^!できませんでした。ごめんなさい。 つづきがあるようなので、その時一緒に・・「黒い土器」興味がわきました。
Dr.> コメントのお返事おまたせしました。
今回のDr.コメントは、中国の歴史についてであり、初めて目にする耳にする言葉が殆どで、その読み方もわからず手こずっています。師のおっしゃる「中国の一言では表せない」多様な歴史の一端をみる気がいたします。そのなかで<中国でBC2500年ごろからの竜山文化とか習俗として抜歯>とかがあったようですから、素人が考えている<竜神文化>は再構築の必要があるようです。 「黒い土器→祭器←隕石の冬>の線を思い浮かびましたが、巨大隕石が四千年前、黒陶文化が四千五百年前ですから、これも当たっていません。
「男鹿半島=グリーンタフ!」、おもしろいお考えですね。さらに広げて「♪西にも東にも~♪」 90年代の初め頃だったかな?「お上が金鉱探しでグリーンタフを!あれって、その後はどうなったのかな?」 私<史実探偵に聞きにくれば【男鹿半島・八竜にも、必ず油田がある!】と、教えてあげるのにねえ。(笑) この場合、相手がお上ですから、たんまりと礼金を♪と、マネージャーの黒孔雀(ブラックジャック)がいってます ^^!)
<追伸>Dr.にお願い これらの、CMのやりとり、<記事に移していいですか?>
記事が長くなりCM欄での対応も即答できないものもあります。そして、記事にしないと通常の訪問者の方には“目に触れない”デメリットがあります。記事にすれば、先々何時のことになる( 没後?)やも知れませんが、「本に」という話もでて、その時の著作権等の問題もクリヤーしておかなくてはなりませんので・・・、(深礼)
今回のDr.コメントは、中国の歴史についてであり、初めて目にする耳にする言葉が殆どで、その読み方もわからず手こずっています。師のおっしゃる「中国の一言では表せない」多様な歴史の一端をみる気がいたします。そのなかで<中国でBC2500年ごろからの竜山文化とか習俗として抜歯>とかがあったようですから、素人が考えている<竜神文化>は再構築の必要があるようです。 「黒い土器→祭器←隕石の冬>の線を思い浮かびましたが、巨大隕石が四千年前、黒陶文化が四千五百年前ですから、これも当たっていません。
「男鹿半島=グリーンタフ!」、おもしろいお考えですね。さらに広げて「♪西にも東にも~♪」 90年代の初め頃だったかな?「お上が金鉱探しでグリーンタフを!あれって、その後はどうなったのかな?」 私<史実探偵に聞きにくれば【男鹿半島・八竜にも、必ず油田がある!】と、教えてあげるのにねえ。(笑) この場合、相手がお上ですから、たんまりと礼金を♪と、マネージャーの黒孔雀(ブラックジャック)がいってます ^^!)
<追伸>Dr.にお願い これらの、CMのやりとり、<記事に移していいですか?>
記事が長くなりCM欄での対応も即答できないものもあります。そして、記事にしないと通常の訪問者の方には“目に触れない”デメリットがあります。記事にすれば、先々何時のことになる( 没後?)やも知れませんが、「本に」という話もでて、その時の著作権等の問題もクリヤーしておかなくてはなりませんので・・・、(深礼)
CMについて
shigechanizumo | URL | 2009-01-17-Sat 16:54 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2009-01-17-Sat 16:54 [EDIT]
もちろんご自由にお使い下さい。楽しみにしています。
竜と銅・第四弾
shigechanizumo | URL | 2009-01-19-Mon 10:54 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2009-01-19-Mon 10:54 [EDIT]
平さんが、出雲竜の頭部だとされる大社・日御碕の山塊の西の果て日御碕灯台は、日本でも珍しい、柱状節理の見られる岩盤の上に立っています。
参考=柱状節理:http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/fieldguide/book/078.html
この参考のhpからすると、柱状節理は溶岩の変形であり、日御碕灯台の下には、柱状節理を作り出した溶岩(マグマ)があるということになります。つまり、出雲竜の頭部は、溶岩(マグマ)の上に横たわっているということになります。島根半島は決して火山活動が作り出したものではないと思っていましたが、ここからすると、島根半島の隆起は、地下深いマグマの活動、盛り上がりが地表に影響を与えたからではないかと思われるのです。さらに、隠岐の島の島前は大きなカルデラだとされています。ここで、三瓶山・大山・隠岐島前を結ぶ大きな三角形が出来上がります。そしてその中間点に横たわるのが、出雲竜(島根半島)だということになります。そして、日御碕の柱状節理が、ただ冷えて固まった溶岩でなく、噴火寸前の溶岩だったとしたら、まさに、竜の口から火が噴き出ていたということになったのではないでしょうか。日御碕の柱状節理・・・是非ご検討ください。更に言えば、これもそれも平さんご指摘の天変地異と関わるのではないかと・・・。
参考=柱状節理:http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/fieldguide/book/078.html
この参考のhpからすると、柱状節理は溶岩の変形であり、日御碕灯台の下には、柱状節理を作り出した溶岩(マグマ)があるということになります。つまり、出雲竜の頭部は、溶岩(マグマ)の上に横たわっているということになります。島根半島は決して火山活動が作り出したものではないと思っていましたが、ここからすると、島根半島の隆起は、地下深いマグマの活動、盛り上がりが地表に影響を与えたからではないかと思われるのです。さらに、隠岐の島の島前は大きなカルデラだとされています。ここで、三瓶山・大山・隠岐島前を結ぶ大きな三角形が出来上がります。そしてその中間点に横たわるのが、出雲竜(島根半島)だということになります。そして、日御碕の柱状節理が、ただ冷えて固まった溶岩でなく、噴火寸前の溶岩だったとしたら、まさに、竜の口から火が噴き出ていたということになったのではないでしょうか。日御碕の柱状節理・・・是非ご検討ください。更に言えば、これもそれも平さんご指摘の天変地異と関わるのではないかと・・・。
竜と銅・第五弾
shigechanizumo | URL | 2009-01-19-Mon 16:06 [EDIT]
shigechanizumo | URL | 2009-01-19-Mon 16:06 [EDIT]
午前中のコメントから、私の妄想癖が・・・。島根半島の地底深くにマグマが潜んでいることは、島根原発の安全性を担保するために周辺の活断層が調査された結果からも判明しています。
これは大変なことではないでしょうか。隠岐の島前がカルデラであったことの証拠は、隠岐の島々の壁腹から黒曜石が産出され、それがナイフ代わりの石器として各地に運ばれていたことからも分かります。黒曜石は火山活動に伴うガラス質の変成岩だからです。
一方、島根半島が、マグマの上に乗っているのは、日御碕の柱状摂理から判明しました。そして、鷺銅山・鵜峠(うど)銅山・鰐淵銅山のように地表近くまで地底の銅鉱脈が押し上げられたのも、マグマの隆起が原因だったのです。
そして、島根半島の南には、休火山から活火山に格上げされた三瓶山(2003年の活火山の定義見直しで活火山に指定された。)があり、また西日本で一番活発に活動したとされる大山が東西軸の上に乗っているのです。
もし、このマグマが眠りを醒まし、再び島根半島を持ち上げないとも限りません。その時こそ、出雲竜(島根半島)が、覚醒され、動き始めるのではないでしょうか。一番マグマに近い出雲竜の頭部(日御碕)が頭をもたげ、うねうねと続く胴体と尻尾は揺れ動き、蛇行を始めるのではないでしょうか。
そして、柱状節理が示すように一番マグマに近い日御碕の突端(出雲竜の口)から、溶岩の噴出が起きるのではないでしょうか。
不幸なことですが、中越地震、能登地震、中越沖地震と日本海側に相次ぐ異変ともいえる大地震の連発は、出雲竜の眠りを遠くから醒まそうとする揺らぎではないでしょうか。
その時に備えるべき日が近いのではないでしょうか。不幸の到来を喜ぶものではありません。災いを最小限にするために、予知し予期し、その日に何を備えるべきか、平さんのご明察と「平トラダムス」ともいうべき予知能力と想像力に期待したいと思います。
これは大変なことではないでしょうか。隠岐の島前がカルデラであったことの証拠は、隠岐の島々の壁腹から黒曜石が産出され、それがナイフ代わりの石器として各地に運ばれていたことからも分かります。黒曜石は火山活動に伴うガラス質の変成岩だからです。
一方、島根半島が、マグマの上に乗っているのは、日御碕の柱状摂理から判明しました。そして、鷺銅山・鵜峠(うど)銅山・鰐淵銅山のように地表近くまで地底の銅鉱脈が押し上げられたのも、マグマの隆起が原因だったのです。
そして、島根半島の南には、休火山から活火山に格上げされた三瓶山(2003年の活火山の定義見直しで活火山に指定された。)があり、また西日本で一番活発に活動したとされる大山が東西軸の上に乗っているのです。
もし、このマグマが眠りを醒まし、再び島根半島を持ち上げないとも限りません。その時こそ、出雲竜(島根半島)が、覚醒され、動き始めるのではないでしょうか。一番マグマに近い出雲竜の頭部(日御碕)が頭をもたげ、うねうねと続く胴体と尻尾は揺れ動き、蛇行を始めるのではないでしょうか。
そして、柱状節理が示すように一番マグマに近い日御碕の突端(出雲竜の口)から、溶岩の噴出が起きるのではないでしょうか。
不幸なことですが、中越地震、能登地震、中越沖地震と日本海側に相次ぐ異変ともいえる大地震の連発は、出雲竜の眠りを遠くから醒まそうとする揺らぎではないでしょうか。
その時に備えるべき日が近いのではないでしょうか。不幸の到来を喜ぶものではありません。災いを最小限にするために、予知し予期し、その日に何を備えるべきか、平さんのご明察と「平トラダムス」ともいうべき予知能力と想像力に期待したいと思います。
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