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此処に 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」 あり!!
卑弥呼は魏から得た100枚の銅鏡に換えて出雲と “同じ決め事”で 持ち寄った銅剣と銅鐸を封印した!
驚愕の(島根半島)出雲竜! ・Ⅲ
    <驚愕の(島根半島)出雲竜・Ⅰ&Ⅱの結び>
以上<Dr.izumo氏>とともに、何故?出雲に『八百万の神が集まる』ほどのエネルギーが生まれたのか? それは<島根半島・出雲竜にあり!>として、色々に論をまじえてまいりました。 以下、それに加えて、別紙、拙電子出版・「巨大隕石と大津波」の、祖先からの伝言・おおまとめ加筆・削除しながら掲げますので、皆様の御一考の端に加えて頂けたら幸いに存じます。

紀元前2001年、全天を覆ったその彗星は、地球の引力に捕らえられ、イースター島の上空から侵入し、地上絵を遺すナスカ、そして、クリスマスイブとなったヨーロッパに“隕石(竜)のマーキング;環状列石”を残しながら、日本時間で12月25日未明の東北地方に光臨した。 欧州では、その巨塊が赤く輝いたことから赤い服のサンタクロースだと呼び、箒(ほうき)に乗った黒魔女だとも称した。 日本(北海道)の祖先は、その飛翔音から、その巨塊を“竜”と命名した。 この大事変は慈雨を、その津波は列島に、瑞穂を打ちあげ、魚介類という恵みをもたらしたが、その粉塵や、火山活動の活発化は“隕石の冬”という気温の降下も伴っていた。

隕石の冬による変移を、陸中にある島名や貝塚の所在から、気温で15℃~16℃の降下(理科年表より算出^^!)。海水位で6m前後が下降していると推定した。海水位の降下は、ただ単に日本だけに留まらないことにこの論の強みがある。それは、現在、世界中に残されているであろう陸中の州名や島名を拾い集めればわかることだ。

今(2004年2月3日・記)、出雲大社町の<日御碕>に、水深20m~28m付近に加工された石段やほこら、洞窟。そして、沖縄県与那国島にも幅1mくらいの石段が遺されていると聞いた。これ等は、いずれも民放テレビで放映されたものである。今でも素潜りで海底下30mの石段造りは絶無の技だ。とすれば、その水深30mが海面付近であること、人がそれ等の石加工の技術を蓄積した時でなければならない。

さらに、これ等が何のためにあるかというと、人のためではない。1mもの石段を上がり降りする巨人は現存しない。また出雲のほうは、幅50cm?くらいだが岩肌を刻んだものだという。 舟を、魚を、海水を汲みにいくのに、私ならなにもそこまではしない。(笑) この階段は日用的に使用するものではない。 祭祀のためにしつらえたものだ。 「四千年前の竜が海水を飲み干すために降りた階段だ!」(今に、御神輿(みこし)を海へ担ぎ入れるのはその名残かな?) この水中の階段は、それを言った言わないの伝説でもなく、それを記した地名でもない。 これは確たる物証だ!! 加えて、富山県で港湾整備のときに、水深(?十数m?)の海底にも、林立したままの木が沈んでいるという。

『 隕石の冬は、海水位の変化で: 
  大事変前を0とすると、  事変後は、(-28m-6m)、  現在は、マイナス6m
“氷雪と大気”が、その下降分の海水位を保持してくれればいいのだ。 と!、
   このように締めくくるつもりだったが・・・・、???!  マイナス34m!! 』
 その消えた-34mの海水は、いったいどこに!?


海水位の降下が34m! この話は何千万年や、何億年前の地質時代の話ではない。日御碕にあるという海面下28mの石段は人が刻んだものである。<海面下にある>ということと、<人が刻んだ>ということは<動かしがたい事実>である。それも永々と続いていた石器時代の祖先が岩肌を刻む術(すべ)と、工具を持った時からである。

(つぎは、素人考えであると前置きして; 中学生の皆さんに^^!) (2/26)
まえに、惑星のぶつかりで核分裂がおこり、水素や酸素にまで分解し、冷却の過程で水ができる?ことと「質量普遍の法則」とを申し上げておきました。地球の表面にできたH2Oは雷が電気分解しないかぎり他の物へは変換しません。それでは宇宙へ飛散する? 宇宙は無重力ですから、それもありませんねえ(笑) ならば太陽光が?これは素人の知る限りではありませんが、人類史500万年のあいだの増減があるとは思えません。安定であるからこそ大量に存在していると考えています。一度誕生したH2Oは(異変)がないかぎり無くならない。このことからNASAは火星に水がと考えているのかな?


①隕石の冬では、全海洋34mの降下は、絶対無理!
「海進と海退」は、言葉をかえれば、「地球温暖化と氷河記」に言い換えることが出来る。今においては、主に極の氷雪の多少で、その水位が変わる。現在の海洋と陸地の面積の比は、<陸地1に対して、海洋2,42>である。深さ34mの海水を氷雪に変えて全陸地に積み上げれば約80mにもなってしまい、今の私は存在しない。
ならば、大気が水分としてそれを保持してくれたか? これも無理! 空気は無制限に水蒸気を含むことが出来るわけではなく、その温度と気圧によって、その時の最大量が決まる。 例として;関係湿度27℃、80%の密閉空気を冷却してゆけば、23℃で100%の飽和状態となり、それ以下に下げれば余分な分は水蒸気ではなくて水分の形をとる。さらに気圧では、温度が下がれば空気中の各分子は密となり、水蒸気の入る隙間はより少なくなる。 これ等の現象は、水分を多く持つ台風や、冷蔵庫の下に水が溜まるのでもわかる。(今の冷蔵庫は水が溜まらない工夫がされてる?^^!)
「隕石の冬」論で、海水位34mの降下を進めようとしたが自分で自分の首を絞める結果になってしまった。

  Coffe Time !! (茶飲み話?)
“地球温暖化”で思うこと・・・、

地球温暖化  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
  以下; 2009 02 28に検索しました。
< この項目では20世紀後半から顕著になった温暖化について記述しています。一般的な「気候の温暖化」については気候史をご覧ください。  この項目は現在、改稿作業が進められています。ノートページをご参照下さい。>
地球温暖化(ちきゅうおんだんか)とは、地球表面の大気や海洋の平均温度が長期的に見て上昇する現象である。単に「温暖化」と言うこともある。

地球の歴史上では、気候が温暖になったり寒冷になったりということが幾度となく繰り返されてきたと考えられており、「温暖化」は単に地球全体の気候が温暖に変わる現象を指すこともある。しかし普通は、近年観測され将来的にも続くと予想される、「20世紀後半からの温暖化」について指すことが多い。過去の気候における温暖化であることを特に明記していなければ、「温暖化」という言葉は後者を指す。この記事では後者の温暖化について説明する。

大気や海洋の平均温度の上昇だけではなく、生物圏内の生態系の変化や海水面上昇による海岸線の浸食といった、気温上昇に伴う二次的な諸問題まで含めて「地球温暖化問題」と言われることもある。現在、温暖化が将来の人類や環境へ与える悪影響を考慮して、さまざまな対策が立てられ、実行され始めている。

地球の気候に関しては、時間的・空間的にさまざまなスケールで温暖化と寒冷化が起こってきた。この、「人為的・自然起源に関わらないすべての気候の時間的変動」を気候変動(climate change)という。後述のIPCCはこちらの意味を採用しているが、UNFCCCでは「人為的なものに起因する気候の変動」という意味で用いられ、非人為的なものは気候変化(climate variability)と呼んで区別している。また、「人為的・自然起源に関わらないすべての気候の時間的変動」を気候変化と呼ぶ向きもある。地球温暖化問題は「人為的なものに起因する気候の変動」という意味での「気候変動問題」と呼ばれることもある。 * 以上『ウィキペディア(Wikipedia)』より、引用しました。


<短期的な温暖化傾向について>
筆者の実感としての、温暖化による(瀬戸内の)生態系の変化では、松林の減少と、クマゼミの増加がある。筆者の子供の頃は、他の蝉(せみ)はべつとして、クマゼミは珍しい蝉で、アブラゼミがほとんどであった。この二つの蝉は木の高い所へとまりなかなか捕れなかった。クマゼミが虫かごの中にいると誇らしげにした。それが今では逆転しアブラゼミのほうが少なくなり、クマゼミは子供の手の届くところにとまる程になった。又、松林においては、「山といったら」松林のことを指すくらいに松の木だらけであり、松茸などは子供でもひける程にはえていた。それが今では、松の木を捜さねばならない程に減少した。その原因は、酸性雨だの、松食い虫だのといっていたが、筆者は、これも温暖化の影響ではないかと思っている。特に夏が暑いと一斉に枯れるようだ。山中の松が、その立ち枯れで皮がはがれ白い木肌をさらしたさまは、まるで山が白髪化したごとくに見え、これが<北上川の、白髭信仰?>の謎解きにおおいに役だった。


<長期的な気候変動のなかの温暖化について>
地球の気候史については、「気候が温暖になったり寒冷になったりということが幾度となく繰り返されてきた」 種の絶滅をともなう程のおおきな氷河記は、7回前後だったかな? 筆者は、これに付随して磁場の移転(逆転)があるとし、それは地球というマグネットを、他の惑星ハンマーの衝突合体で磁場が移動したり、その舞いあげた粉塵により太陽光をさえぎった為だとしました。 自転車のマグネットを取り出すのDr.もやりましたか。 あれって心棒を取り外してやろうとハンマーでガンガン叩いたら磁力が弱くなりませんでしたか(笑)? その時舞い上がった粉塵は地球の引力と雨とによって、長期的には地表に落下する。その結果太陽光のとおりを良くし温暖化へと進む。今はその温暖化へ進む方向にあります。これを証明するには<濁り水を放置>しておけばいいと言っても、そんな稚拙な実験では誰も納得してくれませんね。(笑)
念のために、後述のほうは、私が言い出したことではありません。(^^!)


 話を戻しましょう、<その消えた-34mの海水は、いったいどこに!?>
②日本列島沈没論<小松左京・氏>というので、世間を賑わせたことがある。
  筆者は、それを読んではいないが、(34mも)列島が沈没したのか??
現状の海水位を 0 として、
  出雲大社町・日御碕の石段の最下段   水深28m?
  沖縄県与那国島の石段の最下段      筆者・不知
  魚沼市・富山湾の埋没林の深さ    筆者・不知(港の造成時発見。深さ数mか?)
 これ等を考え合わせると、人の有史において、「 日本列島が 約30m沈んでいる!」
  
もっとも、富山湾の海底林は、炭素年代測定法で数千年前かと?記憶しています。(塩水中にあるのも土中にあるのと一緒ですかぁ??) さらに、近頃の南海・東南海地震でいわれているように、日本列島プレートの下に、太平洋プレートが潜り込んでいるというから、素人的には列島は浮き上がり傾向にあると思われ、これも矛盾してしまう。 例え太平洋プレートが日本列島プレートを押し込み押し下げたとしても、接触部は熔けて潤滑剤の役目をし、30mも沈み込むまえに負荷に耐えきれず、小刻みにそのストレスを解消すると思われるが!? では、その<日御碕>のあたりだけが陥没したか? この陥没論をいうには、あたりに「溺れ谷」がなければならず、それは存在しない。< 万事休す、・・!!>

押しても駄目なら引いてみな・・、沈み込みが無ければ浮き上がりかぁ~~んっ?んんっ!?
    なにいっ!  『浮き上がりだとぉ~~っ』   列島が30数m浮き上がった!!
        「事実はいつでも、科学という、人知の先に用意きれている」

その時の筋書きは、こうだ。 BC.2001年12月25日、日本の東北地方に巨大隕石が衝突した。(カテゴリー巨大隕石・参照)太平洋プレートによって押し込まれていた日本列島プレートは、その隕石を引き金に、たまっていたストレスを一気に解放した。想像で直径20km弱の小天体がぶつかろうとも、列島を30数mも浮き上がらせるだけの力は発生しない。たゆまなく太平洋側から押しつけている力の蓄積があったから、東北の隕石を引き金に波打ちが連鎖的に伝わり浮き上がっていったのだ。この地震の連鎖・連動は、南海地震と東南海地震でも云われている。

ご先祖さまは、驚いたでしょうねえ。大地震、大津波とともに、列島が30数m?も浮き上がったのだから。でも浮き上がったとは思わず、西進してきた巨大津波に乗ってきた竜神さまが海水を呑み干したから海水が減ったのだと思いました。その後にくる滝のような大雨は、その竜神さまが吐き出した水だとも! その歴史的言い伝え・記憶が、<竜の口部、日御碕に階段を造りましょう>に発展したのだ。

マントル上の岩石プレートは、巨視的・短時的にみれば、板バネの性質をもつ。思いだして下さい。Dr.が云われた「島根半島は粉砕半島」のこと。幅も広く厚みも厚い中国山脈よりも、細く長い島根半島のほうが大きく波打つ。巨船に寄り添うイカダ状態だ! その千々に砕けた粉砕音は如何ばかりか! きっとその地鳴りは竜の咆哮に聞こえたに違いない。 さらにDr.が云われた日御碕の近くにある 『竜のウロコ=五角形ないし六角形の柱状節理』 のことや、出雲の地下にうごめく溶岩のコメントを思いだして下さい。

一時に浮き上がった列島は、ささえの無い浮き上がりだ。跳ね上がったものなら跳ね落ちる。例えが悪いが漬け物板を押さえつけて見てください。その透き間から勢いよく水が噴き出してくるでしょう。それがトコロテン状の柱状節理かな(笑)。 次にはその重みで沈み込みへと移る。この地殻の動きを人間の時間感覚でいってはならない。今度はじんわりと押さえつけが始まる。断定的には言えないが、それによって溶岩が滲みでてきたのが<出雲・妙見山>をはじめ、Dr.がいわれた「あれも、これも?」かな。

では、「何故、東北から離れたところの出雲の地だけに?」
この謎が解けない!!
少し論としては弱いが、 ・・・

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ど素人ですが・・・   釣りじいさん | URL | 2009-03-02-Mon 19:43 [EDIT]
平面的に見れば東北と出雲は遠いと思いますが、
上空から見ればたいした距離ではないのでは・・・。
巨大隕石が途中で何らかの形で衝突を繰り返せば、
その痕跡は北海道から沖縄の3000kmもたいした差ではないような気がするんじゃけど・・・。

 Mr.平 素人 | URL | 2009-03-03-Tue 05:38 [EDIT]
じいさま> おはようごさいます。 コメントありがとう御座います♪
おブログ賑わってますねえ。待望太公望の三月に入りました。楽しみです。わたしのほうは、仮想メモリが少なくなってさていかに・・・トホホです。(3/4に分記で解決♪)
そのお考えを頂いて 「もう一度巨大隕石の気持ちになって考え直してみます」 なにしろご先祖さまは、その巨大隕石を 『八岐大蛇』だといっていますからねえ・・・、(^-^)?

ご存命中に!   釣りじいさん | URL | 2009-03-04-Wed 11:59 [EDIT]
パートⅢですね!
いやいや、是非ともご存命中に出版して頂き、クルーの一員として名乗り出たいものでありや~す。
↑ 「美保関」・・・よく釣りに行った場所です!!


青春とは心のありよう♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-05-Thu 00:22 [EDIT]
じいさま> コメントありがとう御座います♪
願わくばそうあって欲しいですね。このような「突飛論」は得てしてその没後に♪、というのが常! じいさまの御家系は90代以上の長寿系♪ 私んとこは親父が78才で母が88才。今までに20年余りをついやしました。この論が世を圧巻するには、後30年はかかるかも・(^^)? でも今は、「そんなことはどーでもいい!楽しむ気持ち♪」 にして下さったのが<じいさま>、その時が何時やわかりませんが、ともに燃え尽きるまで楽しみましょうかぁ~(笑) 松下幸之助氏いわく『青春とは歳ではなくて、心のありようである』
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 (3/7)に追記しました。
ずいぶん前のことだが、NHK・TVで日本海溝の底に巨大な岩柱が林立している映像があった。その成因は、「地下マグマが海底砂中を貫通し、後に砂が流れて、その姿をあらわしたためであろう」 との解説があった。 ・・??、 素人が思うに、砂の中なら直立の柱状ではなくて、餅・団子状態にべちゃっと広がるのではないのか? 水深6000m~10000mでの水圧は凄いと思うが? さらに、その流れたとされる砂は、いったい何処へ?? 砂というのは流れの弱い所や低い所に溜まるんではないのか? その潜り映像では、ちょっとの動きでも砂塵は舞い上がり、そこに棲む生物は漂うているように見受けたが(笑)? 海流というのは、表層が速くて極底部は遅くなるのが普通と思いますが? ならば、その成因は? <日本列島漬け物石!> が落ち着く時に淵から溶岩という水分を噴き上げた。とするのは素人の妄想でしょうかぁ。

<驚愕の出雲竜・Ⅰの、Dr.コメント第五弾より>
島根半島の地底深くにマグマが潜んでおり、・・・・・、
もし、このマグマが眠りを醒まし、再び島根半島を持ち上げないとも限りません。その時こそ、出雲竜(島根半島)が、覚醒され、動き始めるのではないでしょうか。一番マグマに近い出雲竜の頭部(日御碕)が頭をもたげ、うねうねと続く胴体と尻尾は揺れ動き、蛇行を始めるのではないでしょうか。
そして、柱状節理が示すように一番マグマに近い日御碕の突端(出雲竜の口)から、溶岩の噴出が起きるのではないでしょうか。
不幸なことですが、中越地震、能登地震、中越沖地震と日本海側に相次ぐ異変ともいえる大地震の連発は、出雲竜の眠りを遠くから醒まそうとする揺らぎではないでしょうか。
その時に備えるべき日が近いのではないでしょうか。不幸の到来を喜ぶものではありません。災いを最小限にするために、予知し予期し、その日に何を備えるべきか、平さんのご明察と「平トラダムス」ともいうべき予知能力と想像力に期待したいと思います。


(日本海沿岸の地震) (3/8) に追記しました。
日本海沿岸地震に、師が云われた地震に加えて、奥尻島沖地震(中越地震、能登地震、中越沖地震)それに、大きなものではありませんが島根半島沖地震が時折発生しています。列島の太平洋側に起きる地震が海洋プレートの潜り込みによって発生しているのに対して、この日本海側の地震を発生させるメカニズムは分かっていなかったようで、出雲を除く(?)すべてが不測・不意打ちだったように記憶しています。 もっとも地震はすべて不意打ちですが・・、(^^!)

<日本海側地震の発生のメカニズムについて考える>
日本海側地震を<一連のもの>としてとらえる師の考えに拍手します。そのように考えたことはありませんでした。それに気付けば今までの論の積み重ねから導けるような気がします。
 ①列島は、太平洋側へ地質学的にいう短時間のうちに引っ張られ、弓状になった。
 ②比熱の大きい日本海側と、日本列島岩石塊の間に、比熱と重力の“ほころび”が出来て、鉱質を含む地下マグマが噴出してグリーンタフ帯を造った。(グリーンタフの鉱質は地下熱を放出しやすくてその溶解温度も低いのが特徴だ)
 ③弓状になる時、列島岩塊は耐えきれずに、糸魚川~天竜川でバキッと折れて<中央分断地質帯・フォッサマグナ>を造った。 ( 注; 中央分断地質帯は筆者の造語です。割れたから地下マントルが表出したのであり、この逆では決してない。^^!)
 ④“ブーメラン状”になった列島は、その後に太平洋側から押しよせる海底地殻によって絶えず日本海へ押さえつけられている。
 ⑤ブーメラン列島の一方の<支点>奥尻島で地震がおきた。もう一方の島根半島沖の<支点>にもDr.の云われるように注視しておきたいものだ。
 ⑥この論を確かめる簡単な方法がある。
青森・龍飛崎と、伊豆・石廊崎辺りと、出雲・日御碕の定点観測を過去にさかのぼって調べればよい。きっと“への字形”の端々は遠ざかっているはずだ。
Dr.のお問いかけである日本海沿岸の一連の地震が、何時、空白の出雲におきるかは分からないが用心にこしたことはない。 史実探偵:素人のJobはここ迄、あとは専門家(警察)におまかせ! といっても相手にしてくれないか!?(笑)

<出雲・日御碕の柱状節理について考える> (3/10) に追記しました。
岩石が柱状節理をとるには、溶岩が狭い隙間を下部からの強い力で、“一瞬のうちに”噴き上げるトコロテン状だと申し上げておきました。 Dr.が、日御碕の灯台近くにあると云われた岩柱の五角形・六角形を「竜のウロコ」と、命名されたのは、グッドネーミング♪ そう云われれば竜のウロコにそのようなものを描いていたようなものを見かけた記憶があります。 まさに、「逆鱗に触れる思い!」。 でも、それに五角形があるのですか?六角形だけと思っていたこども心をそそるものがあります。 Dr.推奨の写真付きウエブ見ました。 後でゆっくりじっくり観たいですね。とても興味深いものがありました♪。

【 仮 説 】 では、日御碕の柱状節理は、何時どのようにして出来たのでしょうか? 
BC.2001の年末、東北に端を発した巨大な地震波が出雲にとどく。、約60kmのイカダ状・島根半島は大きく上下に波打つ! ここで注視したいのは、<地震の舟尾効果!←筆者命名>だ。いかに硬い地殻・地塊であろうが、それに対応する強大な力が働けば、岩塊はマントルに浮いた船のように振る舞う。 まず、西進してきた地震波は<島根半島の西部岩塊>の舳先を持ち上げる。これによって舟尾の日御碕は、ぐっと沈み込む! 地震波は第一波が大きいとは限らない。幾度も、々も、揺すられ続ける。 で!、接触・摩擦熱が発生し“トコロテン”が噴きだした。(笑)

では、他の地にも柱状節理は、ないのか? ありました♪
Dr.が、「岩割伝承」があると云われた<丹波?の玄武洞!> 筆者は玄武洞の名は早くから知っていましたが兵庫県の瀬戸内海側にとばかり思い込んでいました。 ん・・・? 混乱!  もう一度調べなおします。( 汗~!) やはり、日本海側でした。

玄武洞は160万年前に起こった火山活動でマグマが山頂から流れ出して固まる時に、規則正しいきれいな割れ目をつくりだしたものです。6000年前波に洗われて姿を現し、・・・(ウェブ・玄武洞公園より)

丹波の山塊は、出雲の山塊と似たような大きさと形をしていて、これもその舟尾の西側に位置しています。 だが、「160万年前に起こった火山活動で、6000年前波に洗われて姿を現した」 とある。素人のいう4000年前とは大きく異なる。 素人は何時もこの年代決定の問題でいきづまってしまう。 放射性同位元素の年代測定法に誤りはない。遠い過去からその岩質が同じ圧力で同じ温度にさらされていればその考えは正しい。だが実際にはそのようなことはあり得ない。その判断や補正のしかたに誤差があるのではと何時も思います。 今、論じているのは、何万年・何百万年も前の地質時代の話をしているのではない。 四千年前の列島になにが起きたかを探している。

「玄武洞は、160万年前のマグマが固まって柱状節理をとった」と、される岩石も、玄武洞の地下にあった160万年前の岩質が4000年前に噴出したと思えばよい。 後は「6000前の波」と、「4000前の大津波」との差をつめる討究がなされれはいいことだ。

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そうだ!   shigechanizumo | URL | 2009-03-09-Mon 09:14 [EDIT]
お久しぶりです。以前の平らさんが作成された大社の地図ですが、地震の構造線が走っています。その構造線は、稲佐の浜の弁天さん(島)から、仮の宮、中村、新町、東新町、越峠、そして馬場へと続いているようです。なぜなら、戦後直後の地震の時に、これらの地域を結ぶ線上の旅館や家が倒壊したのです。とりあえず・・・。


そうですか、ふむふむ♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-12-Thu 01:04 [EDIT]
Dr.> いつもいつも、興味深いコメントありがとう御座います♪
教えて下さるご教示や情報の数々は、とおりいっぺんの調査では出ない、とても貴重な情報です。 Dr.の云われる 「とんでも話」 と、素人の 「こども心」 のハーモニーを楽しく思います。

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<では、何故山塊の西側だけに柱状節理があり、東側にはないのか?> (3/12) に追記しました。
これは地震波の波状攻撃のスピードが速いからではないのか? 船首が沈み込まないうちに、次の波が船首をもち上げる。結果、船首側より船尾側のほうにより大きく作用し沈み込む。 しかし船首側になんの変異がないとは思えないから<石英の溶脈>があるであろうと予測しておきましょうか♪

<ドクターより新しい情報が入った>
「島根半島の西部岩塊の南側に沿って構造線」が走っていた! 構造線というのは、断層や地質のあきらかな違い面が接することをいうようだ。 前述で、島根半島を巨船・中国山地に寄り添うイカダだと表現した。おなじ波の大きさでも巨船よりイカダのほうが大きく波打つ! であるならば、その構造線をトレンチ(掘削)調査してみたい。筆者の論が正しければ<激しく上下運動>を繰り返した痕がきっと残っている。
 さらに、驚くべきは、この構造線の西端?に、<稲佐の浜の弁天(島)>があることだ。師が子供のころ泳いで渡られた(笑)という日本百選にも選ばれている美しい浜と島だ。 この島は写真で見る限り溶岩の噴出であるようだ。 史実探偵:素人は、この島が『四千年前の大事変の時に噴出した』と、断言する。このような強い言葉で言えるのは、この島で旧暦の10月10日に、津々浦々の神々さまが集まるという「神迎祭」がとり行われるという祖先の強い後押しがあるからだ。 その大事変がなければ、この島にそれ程の集客(神)力は生まれない! 弁天さんは女の神様。そして<薗の浜>その後の歴史の変移が思い浮かびます。ねっDr.~♪

<さらに、日御碕、玄武洞の柱状節理と、似たような所はないのか>

他にも   shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:13 [EDIT]
柱状節理といえばその他、越前の東尋坊が有名です。日御碕と同じように海岸に向けてがけが屹立しています。日御碕と異なり、自殺の名所とか。日御碕では東洋一の石造灯台からの飛び降りはありますが、海へ飛び込んだという話はほとんど聞きません。


 Dr.> ♪即応の♪、   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 08:10 [EDIT]
コメントありがとう御座います。(深礼)
東尋坊が柱状節理だとは、知りませんでした。(^^!) さっそく調べてみます。
              <東西の岩塊の長さ>    < 岩塊の形>    <柱状節理の位置>
①島根半島・西部山塊  約  km     鼻高山   mを含む長円形     西
②玄武洞(兵庫県・北)  約8km      ブロックとは云えず、南北に長い   西
③東尋坊(福井県)    約2,5km      標高80,6mのお碗形        西
④綿向山麓の接触変質地帯(滋賀県蒲生郡日野町音羽)
  この山麓の接触変質地帯というのは、石灰岩の岩体に花崗岩の溶岩が噴き抜けて(貫入という)その熱作用により、石灰岩が熔けて大理石化したものである。断層もあるようだ。 年代的に色々に云われていることはさておき、素人が問題にするのは、<綿向山・わたむきやま←ムク=丸裸か?>の名前と、信仰の対象とされた登山道があることである。 この山は中部山岳地帯の西端にあり、<竜王山>と隣り合わせにある。四千年前の大事変により山と山が擦り合わされて、花崗岩が溶岩となって噴出したのだ。「竜王が火を噴き」その火は木々に燃え移り、「綿のように燃え上がった!」 この事変を目の当たりにすれば、祖先でなくとも恐れおののき信仰の対象にする。 重ねていうが人類の記憶にない地質時代の話ではない。<火と大音響>を体験したから、<日野・音羽>の地名がついたとするのは筆者の思いすぎか? 何時になったら専門家がこの異変に気付いてくれるのでしょうか。 「 先ゃ~長ぇ~なぁ~、じいさまぁ(^^!)」

お見通し   shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:26 [EDIT]
弁天さんは、今は海砂の堆積でほぼ歩いて行けますが、私が中学生だった頃は禁断の島だったのです。浜辺から80mくらい沖にあり、島のいたるところで渦が巻いていました。また弁天さんの前の浜辺の波打ち際に立つと、くるぶしくらいの浅瀬でも、足元をさらう引き潮が出現して、あっという間に数十メートルも流されてしまうのです。穏やかな浜辺の中で、このあたりは遊泳禁止となっていました。私が中二の時、うかつにもこのあたりの危険を知らない他市の町内会の団体が海水浴に来て、不幸にも子供三人が足をすくわれて水死したのです。私はたまたま、その日部活のトレーニングを稲佐の浜で仲間としていて、大きな叫び声を聞き駆けつけたところ、三人の子供が波にさらわれたというのです。何でここで泳ぐのだと思いましたが、手遅れでした。一人は駆けつけた漁協の人が地引網をすぐに仕掛けて、それに引っかかり引き上げられましたがすでに死亡していました。私は、それを目撃しました。あとの一人は、それから三日後に数百メートル南の浜に打ち上げられました。その時もトレーニング中で、駆けつけたのですが、無残な姿でした。あとの一人は十日後くらいに、沖合いに浮き上がったそうです。弁天さんは恐ろしいとつくづく思いました。


そうでしたか   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 23:24 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。
それは、それは、悲しくも恐ろしい思いをなさいましたねえ。 私も以前に似たようなことを聞いたことがあります。海流が複雑に流れている海岸には表面流より速い下層流がおきることがあり、それに足をとられて事故にあう。加えて、そのような所の海底砂は、ふんわりと積もっていて足がズボッてしまう。そんな歴史が稲佐の浜で幾度も刻まれたのでしょうか。 師のことばを通して 「出雲恐るべし!」がヒシヒシと伝わってきます。(合掌)

屏風磐   shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:36 [EDIT]
弁天さんは海に浮かぶ島ですが、仮の宮(上の宮)・・・神在月に神々が相談をする(神議り)お宮があるところの近くには、屏風磐という大岩があり、国譲りの使者タケミカヅチはこの磐のところでオオクニヌシと問答をしたとされています。いかにもゴツゴツとした溶岩といった様子の磐です。海砂が堆積する前は、弁天さんと同じように海の中に立っていたことでしょう。今は、三・四メートルの頭を出しているだけです。そしてこの磐の前には、タケミカヅチを祀る速玉神社がひっそりと建てられています。私達は、この神社に必勝を祈願したものです。武運の神だとされているからです。


それは、いいですねえ♪   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 23:50 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。 Dr.& クルーの皆さん♪
その屏風磐にかくれて? {四千年の歴史}をくつがえす祈願・謀議を致しますか!(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<さて、このへんでこの記事を結びましょうか>
文頭にかえり、
今(2004年2月3日・記)、出雲大社町の<日御碕>に、水深20m~28m付近に加工された石段やほこら、洞窟があると聞いた。
 (地もとのダイバー(○○さん)が、その映像を撮影されたそうです)

この現実は、<岩肌に石段を刻んだものであり>そこが空気にさらされ水面上にあったことは、何人たりとも否定できない。後から投げ入れた等の異論が挟めない史実である。 ならば、それは出雲だけには限らない。列島が一律に浮き上がったとは思えないが、他の地にもきっと似たような施設を遺しているはずだ。それを地名という伝言から予測して置きましょう。

* 和歌山県の <日ノ御埼>
出雲の碕は、石へんですが、和歌山の埼は、土へんですからその違いがあるかも? この地にも竜神文化を伝える地名が残っています。
* 静岡県の伊豆 <石廊崎>
石廊とは階段をあらわす言葉であり、<伊豆>は、出雲のいずるから来ているのかも知れない。ここにも竜神文化をあらわす地名があります。
* ほかにもあるかも知れませんから皆さんで捜してくださいね(^^!)。 いずれにしても、その発祥の地は<出雲>ではないかと思っています。そして、その竜神文化の伝播交流の手助けをしたのは( BC210年頃?始皇帝代)に、童男童女3千人を?率いて 、列島の各地を不老長寿の仙薬を求めて来訪した『除福の集団』ではないかとも思っています。(^-^)


【 後 述 】
<驚愕の(島根半島)出雲竜>について、駄文を連ねてまいりました。 この話は、なにも出雲だけに限ったことではなく、遠い昔の話でもありません。 今、出雲・日御碕の海底にその姿を隠している石段は、今私達がお参りしている神社の<石段や回廊>に変身しています。 そして、その鳥居は、BC2001年の巨大隕石という火の鳥がとまる止まり木であり、そのお口をすすがれた石鉢には、竜が吐き出した清水(せいすい)が湧きだしています。 この史実が専門家に、そして世間に伝わらないのは、その事実がなかったからではなく素人の論が至らないからです。 専門は問わない。 より多くの人をうながし、私達一人ひとりが、その持てる力を出し合い、この史実を解明しませんか。

竜の吐き出す清水   shigechanizumo | URL | 2009-03-14-Sat 17:48 [EDIT]
そういえば、日御碕の沖合いにあるトモ島(以前はトド島とも言いました)周辺は、日本でも屈指の巨大クエや石鯛が釣れる場所で太公望の垂涎の島です。日御碕の海岸の海中からは、驚くべき量の真水が湧き出す場所がいくつもあるということです。私も、一度この真水に当てられて死ぬ思いをしました。黒田というところですが、小生得意の潜水をしていたところ、突如として体がしびれるほどの冷水に当たってしまいました。しかも、その湧き上がる冷水に押されて海面近くまで押し上げられたのですが、その間からだの周りには冷水が取り付いていたのです。身体が急激に冷え、心臓麻痺寸前でした。すぐに、近くの夏の陽に熱せられた岩肌に密着して、何とか身体を温めたのですが、それでも数分間はガチガチと歯が鳴るほどでした。つまり、柱状節理の隙間からしみこんだ雨水は、地下に蓄えられ、その冷水が海中に泉のように噴出しているのでしょう。クエや石鯛が大きくなるのも、地上の養分を含んだ真水と海水が混ざるという特異な浸透圧からではないでしょうか。クワバラ・クワバラ・・・。


目に見えぬもの?   Mr.平 素人 | URL | 2009-03-14-Sat 21:54 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。
それは、恐ろしい体験をなさいました。図らずも素人の文面が、Dr.のご体験と符号したのは、なにかの縁(えにし)が働いているのかも知れません。ぜひとも結び文に入れておきましょう。(深礼)

追記(‘09 4/9) 石段の最下段(水深28m付近?)あたり迄に、潮間帯上部に生息する “フジツボ” の付着がみとめられれば決定的ですよね。

「 論より実行!」 春を告げる鳥、ウグイスの初鳴きも聞こえる時候になって参りました。
Dr.& クルーの皆さん! ありがとう御座いました(^-^)。 つぎの記事でお待ちしています。


  次の記事へ、つづきます♪  (3/15)


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COMMENT

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ご存命中に!
釣りじいさん | URL | 2009-03-04-Wed 11:59 [EDIT]
パートⅢですね!
いやいや、是非ともご存命中に出版して頂き、クルーの一員として名乗り出たいものでありや~す。

↑ 「美保関」・・・よく釣りに行った場所です!!
青春とは心のありよう♪
Mr.平 素人 | URL | 2009-03-05-Thu 00:22 [EDIT]
じいさま> コメントありがとう御座います♪
願わくばそうあって欲しいですね。このような「突飛論」は得てしてその没後に♪、というのが常! じいさまの御家系は90代以上の長寿系♪ 私んとこは親父が81才で母が88才。今までに20年余りをついやしました。この論(報告書)が世を圧巻するには、後30年はかかるかも・(^^)? でも今は、「そんなことはどーでもいい!楽しむ気持ち♪」 にして下さったのが<じいさま> その時が何時やわかりませんが、ともに燃え尽きるまで楽しみましょうかぁ~(笑) 松下幸之助氏いわく『青春とは歳ではなくて、心のありようである』
そうだ!
shigechanizumo | URL | 2009-03-09-Mon 09:14 [EDIT]
お久しぶりです。以前の平らさんが作成された大社の地図ですが、地震の構造線が走っています。その構造線は、稲佐の浜の弁天さん(島)から、仮の宮、中村、新町、東新町、越峠、そして馬場へと続いているようです。なぜなら、戦後直後の地震の時に、これらの地域を結ぶ線上の旅館や家が倒壊したのです。とりあえず・・・。
そうだ!2
shigechanizumo | URL | 2009-03-09-Mon 16:02 [EDIT]
松江市の**神社の大岩は、恵曇神社の磐坂彦の磐座だと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/53327106.html
そうですか、ふむふむ♪
Mr.平 素人 | URL | 2009-03-12-Thu 01:04 [EDIT]
Dr.> いつもいつも、興味深いコメントありがとう御座います♪
教えて下さるご教示や情報の数々は、とおりいっぺんの調査では出ない、とても貴重な情報です。 Dr.の云われる 「とんでも話」 と、素人の 「こども心」 のハーモニーを楽しく思います。
他にも
shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:13 [EDIT]
柱状節理といえばその他、越前の東尋坊が有名です。日御碕と同じように海岸に向けてがけが屹立しています。日御碕と異なり、自殺の名所とか。日御碕では東洋一の石造灯台からの飛び降りはありますが、海へ飛び込んだという話はほとんど聞きません。
お見通し
shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:26 [EDIT]
弁天さんは、今は海砂の堆積でほぼ歩いて行けますが、私が中学生だった頃は禁断の島だったのです。浜辺から80mくらい沖にあり、島のいたるところで渦が巻いていました。また弁天さんの前の浜辺の波打ち際に立つと、くるぶしくらいの浅瀬でも、足元をさらう引き潮が出現して、あっという間に数十メートルも流されてしまうのです。穏やかな浜辺の中で、このあたりは遊泳禁止となっていました。私が中二の時、うかつにもこのあたりの危険を知らない他市の町内会の団体が海水浴に来て、不幸にも子供三人が足をすくわれて水死したのです。私はたまたま、その日部活のトレーニングを稲佐の浜で仲間としていて、大きな叫び声を聞き駆けつけたところ、三人の子供が波にさらわれたというのです。何でここで泳ぐのだと思いましたが、手遅れでした。一人は駆けつけた漁協の人が地引網をすぐに仕掛けて、それに引っかかり引き上げられましたがすでに死亡していました。私は、それを目撃しました。あとの一人は、それから三日後に数百メートル南の浜に打ち上げられました。その時もトレーニング中で、駆けつけたのですが、無残な姿でした。あとの一人は十日後くらいに、沖合いに浮き上がったそうです。弁天さんは恐ろしいとつくづく思いました。
屏風磐
shigechanizumo | URL | 2009-03-12-Thu 09:36 [EDIT]
弁天さんは海に浮かぶ島ですが、仮の宮(上の宮)・・・神在月に神々が相談をする(神議り)お宮があるところの近くには、屏風磐という大岩があり、国譲りの使者タケミカヅチはこの磐のところでオオクニヌシと問答をしたとされています。いかにもゴツゴツとした溶岩といった様子の磐です。海砂が堆積する前は、弁天さんと同じように海の中に立っていたことでしょう。今は、三・四メートルの頭を出しているだけです。そしてこの磐の前には、タケミカヅチを祀る速玉神社がひっそりと建てられています。私達は、この神社に必勝を祈願したものです。武運の神だとされているからです。

Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 08:10 [EDIT]
Dr.> ♪即応の♪、コメントありがとう御座います。(深礼)
東尋坊が柱状節理だとは、知りませんでした。(^^!) さっそく調べてみます。
そうでしたか
Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 23:24 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。
それは、それは、悲しくも恐ろしい思いをなさいましたねえ。 私も以前に似たようなことを聞いたことがあります。海流が複雑に流れている海岸には表面流より速い下層流がおきることがあり、それに足をとられて事故にあう。加えて、そのような所の海底砂は、ふんわりと積もっていて足がズボッてしまう。そんな歴史が稲佐の浜で幾度も刻まれたのでしょうか。 師のことばを通して 「出雲恐るべし!」がヒシヒシと伝わってきます。(合掌)
それは、いいですねえ♪
Mr.平 素人 | URL | 2009-03-13-Fri 23:50 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。 Dr.& クルーの皆さん♪
その屏風磐にかくれて? {四千年の歴史}をくつがえす祈願・謀議を致しますか!(笑)
竜の吐き出す清水
shigechanizumo | URL | 2009-03-14-Sat 17:48 [EDIT]
そういえば、日御碕の沖合いにあるトモ島(以前はトド島とも言いました)周辺は、日本でも屈指の巨大クエや石鯛が釣れる場所で太公望の垂涎の島です。日御碕の海岸の海中からは、驚くべき量の真水が湧き出す場所がいくつもあるということです。私も、一度この真水に当てられて死ぬ思いをしました。黒田というところですが、小生得意の潜水をしていたところ、突如として体がしびれるほどの冷水に当たってしまいました。しかも、その湧き上がる冷水に押されて海面近くまで押し上げられたのですが、その間からだの周りには冷水が取り付いていたのです。身体が急激に冷え、心臓麻痺寸前でした。すぐに、近くの夏の陽に熱せられた岩肌に密着して、何とか身体を温めたのですが、それでも数分間はガチガチと歯が鳴るほどでした。つまり、柱状節理の隙間からしみこんだ雨水は、地下に蓄えられ、その冷水が海中に泉のように噴出しているのでしょう。クエや石鯛が大きくなるのも、地上の養分を含んだ真水と海水が混ざるという特異な浸透圧からではないでしょうか。クワバラ・クワバラ・・・。
目に見えぬもの?
Mr.平 素人 | URL | 2009-03-14-Sat 21:54 [EDIT]
Dr.> コメントありがとう御座います。
それは、恐ろしい体験をなさいました。図らずも素人の文面が、Dr.のご体験と符号したのは、なにかの縁(えにし)が働いているのかも知れません。ぜひとも結び文に入れておきましょう。(深礼)

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