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此処に 「卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」 あり!!
卑弥呼は魏から得た100枚の銅鏡に換えて出雲と “同じ決め事”で 持ち寄った銅剣と銅鐸を封印した!
徐福達が日本史に与えた影響、そのⅡ.
<徐福達が日本列島で求めた薬石は?>
ご訪問ありがとう御座います。
       ひきつづきの駄文にお付きあいをお願い致します。  
                                   
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【 前記事の要旨 】 
     列島の津々浦々から出土している銅鐸は、
     いつ誰が流布したのか(謎Ⅰ)? 又、「津」の地名は誰が統一したのか(謎Ⅱ)?

徐福そのⅠ:秦の始皇帝(BC.246年に即位)が、徐福に童男童女3000人を与え、東方彼方の日本列島から“不老長寿”の薬石を持って帰れと命じた(又は、除福が願い出た)。

<徐福達が日本列島で求めた薬石は?>
 中国の国土は広い! 秦の始皇帝の富と権力をもってすれば、手に入らぬもの等無いように思われるが。その何んでも有りいの中国が、「何故?」東方彼方の日本列島に薬石を求めたのか? それは列島に(東方神起)恐ろしき神が棲むと思われたからだ。「薬石のためなら、恐ろしき神、何するものぞ!?」それが中国人の心意気だ^^。
  その中国に無くて、日本列島にしか無いと思われるモノは?(素人探偵の独断と偏見から^^!)

その①、 温泉の素  (8/16)
もし間違っていたら御免なさい。中国に活火山は(あっても極少?)あるのだろうか? 中国に無尽蔵にある地下の石炭に野火が付いたカカ山、火炎山は(孫悟空の・笑)あったと想像できるが・・。日本の当時に(今から○○年前)、火を噴いていたかどうかは知らないが、南から桜島、阿蘇山、三瓶山(出雲)?、大山?、焼山、鳥海山、寒風山(男鹿半島)、岩木山、等々がある。徐福達は「やはり列島恐るべし!火を噴く山がある!」と驚いたに違いない。それぞれの温泉の効能は調べるまでもないが、猿でも知っている(笑)。しかし、その湯を(皇帝に)送る分けにはいかない。すでに製塩法は知っている。湯を煮詰めて温泉の素をつくる。日本には、今でこそ温泉水や鉱泉を飲むことは少ないが、その昔には薬として飲んでいたと思われる。それが徐福の後や先かは知りませんが、今でも貴方のお参りしている社寺の脇にはその鉱泉が湧き出ているかも知れませんね。
その②、 オオサンショウウオ  (8/17)
以前の記事でとりあげました。富と権力を得た者が“世継ぎ”を願うのが世の常。これは世界最大の両棲類で日本固有種。大きさは50~70cmで、1mになるものもいる。‘イモリの黒焼き’も、この大きさには叶わない。渓流にしか棲まずその生命力から“ハンザキ”とも呼ばれた。これを見せれば皇帝はきっと喜ぶ。と思っていましたが、今回ウエブで調べると中国の東部(貴州)にも「中国オオサンショウウオ」と呼ばれているものがいた。(汗~)中国って國はなんでもありだね。しかし、絶滅危惧種であり稀少高価であることは間違いない。中国で人工飼育に成功したとか。表皮はゼラチン状、身はカエルに似て淡泊。スープでも食すとあり。日本でも人工飼育に成功したと聞いたことがありますよ。
その③、 カブトガニ
これも絶滅危惧種だが、その昔には精力剤にもなったと云う。今では岡山県の笠岡市周辺にしか棲まず天然記念物。だが、このカブトガニは、中国の南部地方にもいるからねえ^^。

  その他、皆様からの有力情報をお待ちしています(笑)。

④、 Dr.>情報の「深海魚のエキス」。 ・・・これに入る前に・・・、
<朝鮮半島に到達した巨大津波>  (8/18)
これは前々の記事で(後で調べます)としておきました。調べました^^。
 BC.2001年12月25日の未明、日本の東北地方に端を発した巨大津波は、現地時間(時差なし)の朝8時過ぎに彼の地に上陸した。それを朝鮮半島の祖先は、次のような言葉(地名)で、遺し(記録)ている。
 北から<羅津・ラジン>
網羅の網は魚をとる網。羅は鳥をとる羅(あみ)。それに津をつけて<羅津>。津波が鳥を捕まえたのか?? 以前、カテゴリー(出雲地方)で西出雲には鳥のつく地名が多いのを不思議に思ったことがあります。津波は二波三波と襲ってくる。第一波で打ち上げた魚をついばんでいる鳥の群れが、次の波で被災したかと? しましたが真偽のほどは解らない。もしそれがホントなら、ぐっすい(方言^^!)鳥がいたもんだ(笑)。

 <清津・チョンジン> 北緯42°辺り (8/19)
これもカテゴリー(出雲地方)で謎解きしました。通常、風で発生する波が水位の上下動であるのに対して、津波で発生する波は、進行方向へ押し寄される波となる。片V字沿岸津波(前述・筆者提唱)では沿岸の土石を削り取りながら進むがV字湾奥では双方の波が押し寄せるためその場にあった水の抵抗を受け水位は高くなるが土石を含まないので清水域となる。それを祖先は<清津>と云っている。だが、最大の謎は清津がそのV字湾奥ではなくて片V字の沿岸にあることだ。これは弓状列島の地殻地震(地震の力は陸地の方が海より速く伝わる)によって発生した津波の集合場所が?北側へ押し寄せられた?せいかも知れない。それとも・・・??

 <魚大津・オデジン> (8/20)
これは又、直接的でたいへん分かりやすい地名だ。魚が大量に打ち上げた。しかも大きな魚だ。この12月のこの時期どんな魚が打ち上げられたのであろうか? これは全く当てにならない素人の数字であるが、その津波の影響を受けた魚が水深20mより上を泳いでいる魚達としよう。これだと外洋を遊泳しているマグロもひっかかる。日本の縄文遺跡でマグロの骨の出土があったというが。水深20mより深いところの外洋を回遊しているマグロを丸太くり貫き船の縄文の人が漁獲出来るとは思えない。マグロは泳ぎを止めることが出来ない魚である。速く泳ぐときは時速150kmを超えるという。いかに半島の船とはいえそのスピードには追いつけない。縄文時代の人達の漁法では無理がある魚である。日本のどこの遺跡からの出土したのか知らないが、その時の津波によってその大魚が打ち上げられたのではなかろうか? 日本海にもマグロは回遊する。それ等のなかに小魚を追うマグロが混ざっていても不思議ではない。

 次は、Dr.>の云われた深海魚であるが、私素人の考えですが、この時の津波は表層にちかく大陸棚200mまでの影響は及ばなかったのでは無いかと思います。しかしながら、それを完全には否定できない。地殻を大きく揺する巨大地震は時に磁気異常を伴う。これによって深海に棲む魚達が浮き上がらないでもない。大王イカ、竜宮の使い、サメ、そして鯨までもがその犠牲になったとしても不思議ではない。素人の論法が正しければ朝鮮半島のご先祖さまは、必ずそれ等を言い伝えとか風習とかで遺している。<魚大津>とは、わたし素人探偵が言っている言葉ではない。その言葉を発したご先祖にその理由(ワケ)を聞くのが一番てっとり早い。何故<魚大津>と、その地名を付けたのですかって?(笑)。

 <無水端・ムスダン> 北緯41°辺り (8/21)
先のインドネシア・スマトラ島沖地震(2004~2010年)の時、大津波が上陸する前に “引き潮現象”があり、残された魚を取りにいった人が犠牲になったことがある。<無水・ムス>とは、その引き潮(筆者造語=行き潮)のことを云っているのではないだろうか。<端・ダン>は“岬”のことか?? もし、そこが岬であっても筆者の思いが正しければ、その一方の海岸は遠浅になっていなければならない。筆者はその沿岸地形を知りたいと思う。

 <永興湾・ヨンフン> 巨大V字湾奥 (8/22)
永興湾は巨大なV字湾奥をしている。日本の東北地方にコンパスの針をおくとちょうど“受けV字”の位置にあり、当然、筆者は<永興>に巨大津波が襲っているものと見当をつけていた。だが祖先は、そこではなくて<清津>が津波の集合点だと云っている? ・・・、困った?。「永興」とは・・・? この謎解きの鍵は「興る」にあるような気がする。 日本では似たような地名で、愛知県の<興津・こうづ>。静岡県に<興津・おきつ>があり、そこが陸生津波( 筆者の造語で: 海洋からの津波ではなく、先に届いた地震によって発生する津波) の出立地だといっていた。 <永興>の地名の意が分からない・・。 静岡県の<清水>も気になって来だした・・・、ちょっと無理があるが朝鮮半島の祖先は、ここから津波が発生し、<永>は永続の“永”で、『この地より永続して(続けて)津波が興きて(発生して)いった』と云っているのではないだろうか? なにはともあれ素人の思いよりご先祖さまの地名・伝言のほうが優先するからね^^!) 

<注文津・チュムンジン> 北緯38°線の韓国側辺り (8/23)
さらに、その南にある韓国の<チュムンジン>では、『その津波を<注文・ちゅうもん?>します』と云っている!^^? 日本人がお天道様に慈雨をお願いするのと同じ感覚だろうか? 見たこともないような大魚を打ち上げて下さる津波なら、『その津波、注文します』と云ってみたいよね(笑)。筆者の考えが正しければ<注文津>には、その願いが叶う信仰の対象になるような(ありがたい)社寺が必ず遺されている。 南北分断の時に韓国側が 「聖地“注文津”だけは北にやれない!」と云ったかどうかは、筆者の“想像”であるから定かではない^^!。

<この項の結び> (8/24)
ということは韓国にとっての東方神起の神は恐ろしくも有りがたい神様となる。中学生のころに何故、朝鮮の国名なのかと不思議に思ったことがある。 今、やっとその謎がとけた。 その日の『朝方に』 大挙して 『生鮮魚が打ち上げられた』のだ。 だから 『朝鮮國』と名付けたのである。もし、これを確証のない素人の戯れ言だと云われる貴方(専門家)がいたら、わたしは言いたい 『祖先の付けた地名という伝言に反論する余地は微塵もない!』 と。
中国では津のことをシンと発音する。朝鮮ではジンと似たような発音するのに、日本ではツと発音し、そこにはDr.>が指摘されたように日本海で言語のルートは遮断され、そこには何んの関連性も見出せない。当初にあげた謎Ⅱ「列島の津・ツと云う言葉の伝播と統一は、どのようにしてなされたのか?」その謎は深まるばかりである。
謎Ⅰの(銅鐸の伝播)にしろ、謎Ⅱの(津という言葉の統一)にしろ、誰かが何とかしない限り、その伝播と統一はあり得ない。徐福団がその媒体をしたと踏んではいるのだが、その謎解きの糸口すら見えてこない。 トホホ・・・

shigechanizumo | URL | 2010-08-24-Tue 09:25 [EDIT]
朝はどこからやって来るのでしょう。もちろん東方です。鮮はあざやかです。鮮やかな朝が東方からやってくる。その東方とはどこでしょう。出雲です。出雲から鮮やかな朝がやってくる。その朝は、海上から昇る朝日が象徴します。海上とはどこでしょう。出雲の海です。出雲から昇る鮮やかな朝日を伴った朝。そこで朝鮮と出雲は結ばれているのです。慶州の迎日湾はまさしくそのことを地名としたのです。
ところで、朝鮮には「熊津」があります。ぜひこの地名の謎解きを・・・。


史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-08-24-Tue 21:05 [EDIT]
Dr.>  こんばんわ コメントありがとう御座います♪
連日猛暑日が続いております。・・熱い論議なら大歓迎^^。「微塵だにとか世界史に残るとか」ちょっと?(笑)過激な言葉をつかってみました。コメントを記事の本文へ移設させて頂きました^^!

Dr.>の鮮やかな論法に感化されました。100%?翻意致しましょう^^!。確かに朝鮮半島の最東端に<慶州><迎日湾>の地名がありました。この二つの地名は、その位置を考えあわせると旭日を尊ぶ考えからの名付けがなされています。これが≪朝鮮≫の国名に影響していることは多いに考えられます。只、それを下支えするものとしての津波の打ち上げ(恩恵)を否定するわけにはいきません。特に、朝鮮半島の東海岸には<津>に関係する地名が多く<魚大津>の外に、魚の打ち上げを表す<方魚津・パンオジン>。津波の上陸を表す?<洪原・ホンウォン>。上陸した津波の引き潮を表す<退潮・テジョ>等がありました。詳細地図で小字名まで調べるともっとたくさん出てくると思います。日本にもそれに似たような地名があります。朝の襲来を表す、岡山県に<朝寝鼻遺跡>、兵庫県<朝来町>。海産物が打ち上げた、三重県<嬉野>他の地で<福原>等。津波の戻り水を表す<垂水・篠津・下津>このように拾い上げるとキリがありません。 いずれにしても<日・中・韓>のさらなる探求を望むところです。
<熊津>見あたりませんでした^^!。
似たような地名に<元山・ウォンサン>の西60kmほどの山岳地に<熊たむ・ウンダム>たむの字は譚のごんべんをさんずいに変えたもの>がありました。<たむ>は、日本読みで(タン・ふち)で、意味は、水を深くたたえた所でした。<熊津>がどこにあるのかは分かりませんが、ご指摘のように津波は到底及ばないような山の中に<津>のつく地名が、日本にもあります。岡山県<津山市>。岐阜県に<中津川市>。これ等を素人探偵は、何事も例外はつきもの。<津山>は山波。<中津川>は、三河地方の中心の川で、人々の生活圏が拡大するにしたがって、雨乞い信仰の対象が上流の<源流部>へ移っていったかと?推理しましたが、ちょっと弱い論法でしょうか(^^?)

コメント欄より移設しました。難しい字の一部が変換不能のようです^^!。
shigechanizumo | URL | 2010-08-26-Thu 14:55 [EDIT]
「熊津(ゆうしん、웅진、ウンジン)は、古代朝鮮の百済の古都であり、万葉仮名では久麻那利(くまなり、こむなり)、百済語では古莫那羅(コムナル、곰나 루)と表記・呼称される。熊川(錦江)の畔の都市であり、現在の忠清南道公州市にあたる。」とあります。

<熊津> 史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-08-30-Mon 05:32 [EDIT]
Dr.> おはようございます。26~29日までお休みしました。コメントありがとう御座います♪
 又々、むつかしい問題を戴きました(汗!)。人と獣との付き合いのなかで子供心が不思議に思うことがあります。牛神様、絵馬、猪と武神、竜虎、十二支、等々の絵(掛け軸)はよく見かけるのですが、狼と熊の絵は、あまり見たことがありません。地名が地名(伝言)として、いつ頃に定着したかは確定出来ませんが、石器・縄文期においても、列島に熊や狼は人々の命を脅かす存在としてあったと思われます。熊で思い出されるのがアイヌ(ほかを知りませんので差別呼称だったらお許しを)の人達の熊信仰があります。列島の「熊のつく地名」は熊山とか熊野古道しか知りません。それが朝鮮半島にもあることに興味をそそられます。 熊と津は全く異質なもの! 半島の<熊津>・・渡来・・<出雲>・・<國譲り>・・<天孫続→=大和??>・・思いは色々に・・・。・・<熊津>の場所捜しは図書館へ行かねばならぬので・・・(^^!)

 ところで、Dr.> 話は全く変わりますが。いつぞや「出雲大社の御神体は隕石か?」の話がでましたよね。私は、その御神体の形と大きさは“猪の形”をしているのではないかと思っています。確か、乱暴者のスサノウの命が赤むげの猪(=空を赤く飛んだ隕石)を投げ入れた話から・・。Dr.>は、「出雲のシゲちゃん」と呼ばれるほどのお方。決して衆目にさらしてはならぬ御神体ですが、Dr.>なら宮司さんから、その形を聞けるのでは^^?
 <熊津>についてのコメントは保留にさせて下さい。このようにフッと>思い付くことがあるものですから^^!

  shigechanizumo | URL | 2010-08-31-Tue 09:33 [EDIT]
「私は、その御神体の形と大きさは“猪の形”をしているのではないかと思っています。」・・・オッ、鋭いですね。オオクニヌシは二度死んでいます。その一度目が、八十神が、猪が落ちてくるから捕まえろと言って、真っ赤に焼いた大石を転がり落として、それを猪と思ったオオクニヌシが抱きかかえたために死んでしまいます。大やけどをしたオオクニヌシに、ウムカイヒメとキサカイヒメがハマグリの汁と赤貝の粉を混ぜた薬を塗って蘇生させるという話があります。神話とはいえ、どこからこのような話が発想できるのか不思議です。出雲大社の御神体が猪ではないかとは、この話と関係があるのかもしれません。物としての御神体はオオクニヌシの命を奪った猪の形をした大石、霊としての御神体はオオクニヌシそのものではないでしょうか。そして霊薬は、神秘的な深海の何とか貝のエキスだったりして・・・。


Dr.の<出雲大社御神体・隕石説>が現実味を! (9/01)
              史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-09-01-Wed 00:28 [EDIT]
Dr.>  こんばんわ コメントありがとう御座います♪ 
  連日猛暑日が続いております。残暑お見舞い申し上げます。

「ハマグリの汁と赤貝の粉を混ぜた薬」は、意味深な話しですね^^!。 当時は一夫多妻制なのですね? きっと2女神の献身的な看病のおかげでスサノウは蘇生したのでしょうね? 空を飛んだ赤色といい、猪形石といい、重量石といい、Dr.>の云われた「出雲大社の御神体 =隕石・放射能?説」が、出雲に落下した<隕石>として、ますます現実味を帯びてきました。
 ご存じのように、出雲で屋根を突き破って落下した隕石の小片でも相当な衝撃! その隕石(御神体)が空気抵抗を受けて推定で200kg以上も焼け残るには、大気圏突入前の大きさは如何ほどだったのでしょうか? 専門家の考えを聞かねばなりませんが、優に数倍は?超えるでしょうね? 祖先が聞いたであろうその衝撃音は想像するにも余りがあります。又、それが小惑星なら心材に近いほど重い傾向があるとにらんでいます。60年?に一度とかいう出雲大社の御神体移設は、もうすんだのでしょうか? これも想像ですが、御神体(隕石)の、もとは帚星の軌道をとっていたのではないでしょうか? それがある時、地球の引力に捕まって(笑)。 ハレー彗星の周期、伊勢神宮の遷宮の周期、そのおおもとの考えは<60年周期の?彗星=出雲小惑星 → 隕石=出雲大社御神体>であるような気がしてなりません。
 この件は、もとはと云えば、Dr.>が言い出されたこと。 さらなる追求(ガイガーカウンター片手に、その一欠片を!)が出来たらいいですね^^!( ばちあたり~ 汗~!)

<皆さんへ> 出雲大社御神体=隕石説の、Dr.>とのやりとりは、当ブログのカテゴリー「出雲地方」でしています。興味のあるお方は、そちらへどうぞ! その<落下池?>にまで言及してますから^^。<2姫神=隕石の落下痕池>としたら、隕石は二つに分裂か? だとしたら、“円形状の深い池”は二カ所でなければならない。 (その一カ所は、すでにDr.>が^^)
さらに、“ハマグリの汁”は、落下痕池に溜まった水で、“赤貝の粉”は、その時の粉塵と推むことが出来ます。そうであるならば、その池の水は聖水として扱われ、その池の底には溶融跡があり、周囲には飛び散った酸化珪素の粉塵(微視的にも)が今でも残って?いなければなりません。そう言えば、どこやらの社寺で、何やらの男神(=隕石)を、何やらの女神(=落下痕池)が癒したという話しもありましたね。段々面白くなって来たぞ~^^。でも、これはDr.>が言い出されたこと。その責任はDr.>がとってね。わたしは、<徐福>のほうが忙しいので(笑)。

ドクターからのヒント『あの世で生きながらえる薬』  (8/31)
 前記事のコメント欄より、その一部を引用。
前略・・、そして、秦の始皇帝が求めた不老不死の薬とは、あの世で生きながらえることができる薬だったのではないでしょうか。 徐福は、秦の始皇帝にその薬を届けたのではないでしょうか。秦の始皇帝は、その薬を飲んで現世での死に臨んだのです。・・・後略
 西安の兵馬俑が発掘された時。その桁外れの規模(等身大の焼き物○○体)から、世界に大きな衝撃が走りました。その始皇帝の死生観に徐福が大きく関わっていたと考えるのは興味深いことです。『生きて死する!、死して生きる!』即身仏の考えもその一つでしょうか。だけど、始皇帝や当時の死生観にまで踏み込むと大変なことになりそうなので、ここでは現実的な薬石のみに絞って取り上げることに致しましょう。
 先ず思いつくのがケシ坊主からとれる“阿片”。アヘンは、英国が輸出入のバランスをとるために中国にその輸入をせまり、アヘン戦争にまで発展したしろもの。それは強い中毒性があり廃人までにおいこまれ生きながら地獄を味わうことになる。例えそのような麻薬の類を手にいれても、それは一時の快楽であり、皇帝や側近がその使用をゆるさない。そして皇帝には常に暗殺の危険があり “毒味役” が付いていたと思われる。つぎに考えられるのが“トリカブト”。これを長期にとりこめば確実に死にいたるが「不老不死」の考えからはほど遠い。(笑) くすりというものは、その取り扱いを誤れば「毒にも薬にもなる」。不老不死・不老長寿の薬石探しはなかなか難しい。そして、トリカブトは中国が原産地でした^^!)

リアリティ shigechanizumo | URL | 2010-08-31-Tue 09:43 [EDIT]
「等身大の焼き物○○体」・・・これまた鋭いですね。兵馬俑から発掘された焼き物の兵や馬などと、日本の古墳にある埴輪との違いは何か。そのリアリティさだと思います。埴輪にリアリティは感じられません。オモチャのようです。一方、兵馬俑の兵や馬は、まさしく生きている人間や馬を彷彿させます。そこから、古墳の埋葬者には生の復活ということは感じられませんが、兵馬俑からは秦の始皇帝の生の復活という執念のようなものが感じられるのです。

Dr.>  西安の兵馬俑は「どっち向き?」に、なっているかご存じありませんか・? ウエブで調べても分かりませんでした。 東方? 西方? それとも・・? これが分かると始皇帝の求めた楽土はどこにが・・??

実験  shigechanizumo | URL | 2010-09-03-Fri 17:26 [EDIT]
「暗殺の危険があり “毒味役” が付いていた」とありました。逆はなかったのでしょうか。不老不死の妙薬と称するものを持ってきた者がいるとします。誰が最初に飲むのでしょうか。死んでしまいました。その妙薬が、そ、それを飲むことによって死んでしまった人にとって、不老不死の薬でないことは証明できたといえるでしょう。また次のそのような者が現れました。いよいよ怖くて手が出せません。しかし持ってきた者は、これこそが不老不死の薬だと言い張ります。誰が飲むのでしょうか。誰かが飲みました。なんともありませんでしたが、本当にそれを飲むことによって不老不死の身体になったのか、誰も証明できません。老衰で死ぬのが真近な老人に不老不死の薬を飲ませました。元気になりました。しかし、それで不老不死の身体になったと証明できるのでしょうか。この難問に挑戦する人はいませんか。問題:「不老不死の妙薬だと証明することは可能か」!

ある自信  shigechanizumo | URL | 2010-09-03-Fri 17:40 [EDIT]
徐福伝説を根底から覆すある前提があります。
徐福は中国を出発するにあたって、ある物が不老不死の妙薬なるものであることを証明できるということを知っていて出発したのか、あるいは、そのような証明はできないということを知っていて出発したのか。
問題1.もし、持ち帰ったある物が不老不死の妙薬であると証明できる手立てがあるという前提で出発したのであれば、・・・・。
問題2.もし、持ち帰った物が不老不死の妙薬であることなど証明できないという前提で出発したのであれば・・・。
「・・・」にどのような文章が入ることになるのか答えなさい。


<恐ろしい考え?>  史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-09-04-Sat 06:23 [EDIT]
Dr.> おはようございます。 コメントありがとう御座います♪  
  Dr.>コメントによって記事が面白くなると、じいさま>は云っておられました・・・^^。
問題を二つ戴きました。それについては“おそろしいこと”を考え付いていますので、しばらくのお待ちを^^!)
私は、「不老不死」の言葉は願望であり、「不老長寿」は健康で長生きぐらいにとらえています。私は、始皇帝について、かれが何を望んでいたのか? 権力の座の維持か、世継ぎが欲しいのか、自分の血筋(こども)の拡大か、はた又、彼独自の死生観にによるものか。 そして、その時の健康(持病)状態は?等について全く知りません。 そして何故それ等の薬石を求めたのが東方(兵馬俑の向きは東方ではないのか!、日本は西方浄土なのに!)なのか。 さらに、皇帝が除福に命じたのか。除福が願い出たのか。あるいは双方の合意か。これ等の条件が変わることによって微妙に除福団の編成と行動は異なってくるのではないかとみています。コメントのお返事になっていないかと思いますが記事を進めながら考えます。・・・^^!

問題1:問題2  shigechanizumo | URL | 2010-09-04-Sat 15:27 [EDIT]
問題1.もし、持ち帰ったある物が不老不死の妙薬であると証明できる手立てがあるという前提で出発したのであれば、・・・・徐福は持ち帰った物が不老不死の妙薬でないと証明されてしまえば死罪になるので、本当にそのようなものを見つけるまで中国に戻れない。本当にそのようなものを見つけたのであれば、それを持ち帰れば大変な地位を与えられるので当然中国へ帰ったはずではないでしょうか。帰らなかったのは、そのような物が見つからなかったからです。
問題2.もし、持ち帰った物が不老不死の妙薬であることなど証明できないという前提で出発したのであれば・・・どんなものを持ち帰ったとしても不老不死の妙薬であるか否かは証明できないのだから、褒賞ももらえずくたびれ損になる可能性があります。そこで、往路復路のための資材や金品を勝手に使ってしまい、中国には帰らないと決めて出発したのではないでしょうか。
その他様々な解答があると思いますので、期待しています。

それにしても、もし当時の中国で「これは不老不死の妙薬である」との証明が出来る手立てがなかったとしたら、なぜ秦の始皇帝はそのようなものを見つけてくるといった徐福の言葉を信じたのでしょうか。徐福は、「こういった条件を満たす薬であるならばそれは不老不死の妙薬である」といったような証明方法を呈示して、秦 の始皇帝の納得を得たのではないでしょうか。


何故、童男童女か?  史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-09-05-Sun 06:57 [EDIT]
Dr.> おはようございます。 いつもコメントありがとう御座います♪
 これも、直接のお答えではなく、考えもまとまっている分けではありませんが、そのお答えの一つは「何故童男童女か?」にあるような気がしています。 何故「東方彼方に?」については、古代中国にとって、東方は神秘なるところ。「神秘なる所には神秘なる薬が・・・?」と考えたのではないでしょうか。 (これは、私の偏見かと思いますが。古代中国の人々は “人を拒むような危険な場所や深山にこそ、その霊薬が秘そんであり!” との考えが強い?と思っています^^) 古代中国の人々が東方を如何に考えていたかについては、Dr.ブログ>へかえって調べなおさなければなりません(^^!)

<列島にあって中国にないモノ> (9/06)
ひきつづき薬石についての情報をお待ちしています。何故なら、それが列島のどの地方にあるか(徐福が立ち寄った場所か?)によって、それが日本史の解明へと繋がるからです。

護衛隊  shigechanizumo | URL | 2010-09-06-Mon 15:09 [EDIT]
私は、薬石のある場所にはその薬石を護る護衛隊のような動物や障害物があったのではないかと思っています。例えば前にも投稿しましたが、池の底にその薬石があるとすれば、その池には毒蛇がウヨウヨといて水底まで行くことができないとか、洞穴の中にあるとすれば、その洞穴の中には火山性の毒ガスが充満しているとか、あるいははたまた海底にあるとすれば、その薬石に手を伸ばそうものなら巨大なウツボが手を噛みちぎるとかといった具合です。
そうした薬石の効能以前に、そうした薬石に近づくことが出来ないといったファクターも、切歯扼腕、徐福を悩ませたのではないでしょうか。
とすれば、薬石以前に、そうした護衛隊や守護神のような動物がいるところ、あるいは不思議な現象ゆえにその場所に近づけないといったところに薬石があると目論んでみてはどうでしょうか。
ちなみに私は、そこを素通りすると必ず道に迷って方角を失うという場所を出雲で見つけました。しばらく内緒です。


物か術か  shigechanizumo | URL | 2010-09-06-Mon 16:14 [EDIT]
不老不死の妙薬といっても三つの分類が出来ると思います。
ひとつは、その物自体が珍品で、しかも不老不死という効能を自ずと内包しているというものです。
もうひとつは、ありふれた物なのだけれど、その物に対してある術を仕掛ける、あるいはある加工を施すと、不老不死の薬石となるというものです。
さらにもうひとつは、珍品であるけれどもそれだけでは十分な効能を持たず、その珍品に対してしてある術を仕掛ける、あるいはある加工を施すと、不老不死の薬石となるというものです。
徐福が東方に求めたものは、術ではなく物であったことは間違いありません。ありふれた物にある術を施すことなら中国で出来ることだからです。
では、それ自体が効能を持つ珍品を探しにいったのでしょうか、あるいは、珍品ではあるがさらにある術や加工を施すことによって効能を発揮するというものだったのでしょうか。
先に指摘したように、術や加工をを施すということは中国で出来ることですから、徐福としては東方へ赴いて、中国にない珍品ならそうした物を何から何まで持って帰ればよいわけです。
従って、徐福が探しにいったのはそれ自体で不老不死の効能のある薬石だったと思うのです。


<現代の科学で説明できないこと> 史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-09-06-Mon 16:45 [EDIT]
Dr.>   コメントありがとう御座います♪
 Dr.>も、似たようなお考えをお持ちなのですね。科学者からみれば一笑にふされるようなことでも、現代の科学では説明しきれない不思議なことってありますよね。霊薬を守る「護衛隊」ですかぁ^^)。 これは明らかに私の偏見ですが、中国の人って「その危険を好んで?“薬食”を求める」傾向があるように思います。深山にしか生えないという茸や、絶壁の岩ツバメの巣・くまの肉球・しかり、危険をおかしてまで手に入れた “薬食”ほど高価に売れる。なにもそこまでしなくってもねえ、と私は思うのですが?(^^!)
「そこを素通りすると必ず道に迷って方角を失う」 そんな場所があるのですか。出雲恐るべし! ですねえ・・・、(そう云われれば、御ブログで、そこを素通りすると別の場所へ案内する神様がぁ^^) 

史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-09-06-Mon 18:03 [EDIT]
Dr.>  かえってみたら、次のコメントが入ってましたぁ~(^^)
ふうむぅ~~、“不老長寿の薬石” 色々に深読みできるのですねえ。 私のほうは、もう一度、御ブログの 『徐福の記事』へかえって勉強しなおします^^。 さて、・・その記事を捜しだすのが大変だぁ~~~


  つづきます^^♪ 
拍手をありがとう御座います♪ お一人はAさん? もうお一人は I さん? 三人目はどなたかな^^? 出来れば、(公開じゃあなくてもいいですから)「応援します」のコメントも頂ければ励みになります! このように書いたら今は亡き<じいさま>が、『じゃあ、応援します』
 「えっ?」じいさまの場合は「その一言」だけじゃあ済まないでしょ! と、やりとりしたのが想い出されます。私にはあの世があるのやら無いのやらは分かりませんが、どうぞ<この行方>を見定めてくださいね・・・。
 残念ですがこの記事の“仮想メモリ”がなくなってしまいました。
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COMMENT

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史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-08-24-Tue 21:05 [EDIT]
Dr.>  こんばんわ 連日猛暑日が続いております。
 コメントありがとう御座います♪
 コメントを記事の本文へ移設させて頂きます^^!

shigechanizumo | URL | 2010-08-26-Thu 14:55 [EDIT]
「熊津(ゆうしん、웅진、ウンジン)は、古代朝鮮の百済の古都であり、万葉仮名では久麻那利(くまなり、こむなり)、百済語では古莫那羅(コムナル、곰나루)と表記・呼称される。熊川(錦江)の畔の都市であり、現在の忠清南道公州市にあたる。」とあります。
<熊津>
史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-08-30-Mon 05:32 [EDIT]
Dr.> おはようございます。26~29日までお休みしました。コメントありがとう御座います♪
 又々、むつかしい問題を戴きました(汗!)。人と獣との付き合いのなかで子供心が不思議に思うことがあります。牛神様、絵馬、猪と武神、竜虎、十二支、等々の絵(掛け軸)はよく見かけるのですが、狼と熊の絵は、あまり見たことがありません。地名が地名(伝言)として、いつ頃に定着したかは確定出来ませんが、石器・縄文期においても、列島に熊や狼は人々の命を脅かす存在としてあったと思われます。熊で思い出されるのがアイヌ(ほかを知りませんので差別呼称だったらお許しを)の人達の熊信仰があります。列島の「熊のつく地名」は熊山とか熊野古道しか知りません。それが朝鮮半島にもあることに興味をそそられます。 熊と津は全く異質なもの! 半島の<熊津>・・渡来・・<出雲>・・<國譲り>・・<天孫続→=大和??>・・思いは色々に・・・。・・<熊津>の場所捜しは図書館へ行かねばならぬので・・・(^^!)

shigechanizumo | URL | 2010-08-31-Tue 09:33 [EDIT]
「私は、その御神体の形と大きさは“猪の形”をしているのではないかと思っています。」・・・オッ、鋭いですね。オオクニヌシは二度死んでいます。その一度目が、八十神が、猪が落ちてくるから捕まえろと言って、真っ赤に焼いた大石を転がり落として、それを猪と思ったオオクニヌシが抱きかかえたために死んでしまいます。大やけどをしたオオクニヌシに、ウムカイヒメとキサカイヒメがハマグリの汁と赤貝の粉を混ぜた薬を塗って蘇生させるという話があります。神話とはいえ、どこからこのような話が発想できるのか不思議です。出雲大社の御神体が猪ではないかとは、この話と関係があるのかもしれません。物としての御神体はオオクニヌシの命を奪った猪の形をした大石、霊としての御神体はオオクニヌシそのものではないでしょうか。そして霊薬は、神秘的な深海の何とか貝のエキスだったりして・・・。
リアリティ
shigechanizumo | URL | 2010-08-31-Tue 09:43 [EDIT]
「等身大の焼き物○○体」・・・これまた鋭いですね。兵馬俑から発掘された焼き物の兵や馬などと、日本の古墳にある埴輪との違いは何か。そのリアリティさだと思います。埴輪にリアリティは感じられません。オモチャのようです。一方、兵馬俑の兵や馬は、まさしく生きている人間や馬を彷彿させます。そこから、古墳の埋葬者には生の復活ということは感じられませんが、兵馬俑からは秦の始皇帝の生の復活という執念のようなものが感じられるのです。
Dr.の<出雲大社御神体・隕石説>が現実味を!
史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-09-01-Wed 00:28 [EDIT]
Dr.>  こんばんわ コメントありがとう御座います♪ 
  連日猛暑日が続いております。残暑お見舞い申し上げます。
「ハマグリの汁と赤貝の粉を混ぜた薬」は、意味深な話しですね^^!。 当時は一夫多妻制なのですか? きっと2女神の献身的な看病のおかげでスサノウは蘇生したのでしょうね? 空を飛んだ赤色といい、猪形石といい、重量石といい、Dr.>の云われた「出雲大社の御神体 = 隕石・放射能?説」が、出雲に落下した<隕石>として、ますます現実味を帯びてきました。 ご存じのように、出雲で屋根を突き破って落下した隕石の欠片?でも相当な衝撃! その隕石(御神体)が空気抵抗を受けて推定で200kg以上も焼け残るには、大気圏突入前の大きさは如何ほどだったのでしょうか? 専門家の考えを聞かねばなりませんが、優に数倍は?超えるでしょうね? 祖先が聞いたであろう衝撃音は想像するにも余りがあります。 又、それが小惑星なら心材に近いほど重い傾向があるとにらんでいます。 60年?に一度とかいう出雲大社の御神体移設は、もうすんだのでしょうか? これも想像ですが、御神体(隕石)の、もとは帚星の軌道をとっていたのではないでしょうか? それがある時、地球の引力に捕まって(笑)。 ハレー彗星の周期、伊勢神宮の遷宮の周期、そのおおもとの考えは<彗星=出雲小惑星 → 隕石=出雲大社御神体>であるような気がしてなりません。 この件は、もとはと云えば、Dr.>が言い出されたこと。 さらなる追求(ガイガーカウンター片手に、その一欠片を!)が出来たらいいですね^^!( ばちあたり~ 汗~!)
Dr.>  西安の兵馬俑は「どっち向き」に、なっているかご存じありませんか・? ウエブで調べても分かりませんでした。 東方? 西方? それとも・・? これが分かると始皇帝の求めた楽土はどこにが・・??
実験
shigechanizumo | URL | 2010-09-03-Fri 17:26 [EDIT]
「暗殺の危険があり “毒味役” が付いていた」とありました。逆はなかったのでしょうか。不老不死の妙薬と称するものを持ってきた者がいるとします。誰が最初に飲むのでしょうか。死んでしまいました。その妙薬が、そ、それを飲むことによって死んでしまった人にとって、不老不死の薬でないことは証明できたといえるでしょう。また次のそのような者が現れました。いよいよ怖くて手が出せません。しかし持ってきた者は、これこそが不老不死の薬だと言い張ります。誰が飲むのでしょうか。誰かが飲みました。なんともありませんでしたが、本当にそれを飲むことによって不老不死の身体になったのか、誰も証明できません。老衰で死ぬのが真近な老人に不老不死の薬を飲ませました。元気になりました。しかし、それで不老不死の身体になったと証明できるのでしょうか。この難問に挑戦する人はいませんか。問題:「不老不死の妙薬だと証明することは可能か」!
ある自信
shigechanizumo | URL | 2010-09-03-Fri 17:40 [EDIT]
徐福伝説を根底から覆すある前提があります。
徐福は中国を出発するにあたって、ある物が不老不死の妙薬なるものであることを証明できるということを知っていて出発したのか、あるいは、そのような証明はできないということを知っていて出発したのか。
問題1.もし、持ち帰ったある物が不老不死の妙薬であると証明できる手立てがあるという前提で出発したのであれば、・・・・。
問題2.もし、持ち帰った物が不老不死の妙薬であることなど証明できないという前提で出発したのであれば・・・。
「・・・」にどのような文章が入ることになるのか答えなさい。
恐ろしい考え?
史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-09-04-Sat 06:23 [EDIT]
Dr.> おはようございます。 コメントありがとう御座います♪  
  Dr.>コメントによって記事が面白くなると、じいさま>は云っておられました・・・^^。
問題を二つ戴きました。それについては“おそろしいこと”を考え付いていますので、しばらくのお待ちを^^!)
私は、「不老不死」の言葉は願望であり、「不老長寿」は健康で長生きぐらいにとらえています。私は、始皇帝について、かれが何を望んでいたのか? 権力の座の維持か、世継ぎが欲しいのか、自分の血筋(こども)の拡大か、はた又、彼独自の死生観にによるものか。 そして、その時の健康(持病)状態は?等について全く知りません。 そして何故それ等の薬石を求めたのが東方(兵馬俑の向きは東方ではないのか!、日本は西方浄土なのに!)なのか。 さらに、皇帝が除福に命じたのか。除福が願い出たのか。あるいは双方の合意か。これ等の条件が変わることによって微妙に除福団の編成と行動は異なってくるのではないかとみています。コメントのお返事になっていないかと思いますが記事を進めながら考えます。・・・^^!
問題1:問題2
shigechanizumo | URL | 2010-09-04-Sat 15:27 [EDIT]
問題1.もし、持ち帰ったある物が不老不死の妙薬であると証明できる手立てがあるという前提で出発したのであれば、・・・・徐福は持ち帰った物が不老不死の妙薬でないと証明されてしまえば死罪になるので、本当にそのようなものを見つけるまで中国に戻れない。本当にそのようなものを見つけたのであれば、それを持ち帰れば大変な地位を与えられるので当然中国へ帰ったはずではないでしょうか。帰らなかったのは、そのような物が見つからなかったからです。
問題2.もし、持ち帰った物が不老不死の妙薬であることなど証明できないという前提で出発したのであれば・・・どんなものを持ち帰ったとしても不老不死の妙薬であるか否かは証明できないのだから、褒賞ももらえずくたびれ損になる可能性があります。そこで、往路復路のための資材や金品を勝手に使ってしまい、中国には帰らないと決めて出発したのではないでしょうか。
その他様々な解答があると思いますので、期待しています。

それにしても、もし当時の中国で「これは不老不死の妙薬である」との証明が出来る手立てがなかったとしたら、なぜ秦の始皇帝はそのようなものを見つけてくるといった徐福の言葉を信じたのでしょうか。徐福は、「こういった条件を満たす薬であるならばそれは不老不死の妙薬である」といったような証明方法を呈示して、秦 の始皇帝の納得を得たのではないでしょうか。
何故、童男童女か?
史実探偵: 平 素人 | URL | 2010-09-05-Sun 06:57 [EDIT]
Dr.> おはようございます。 いつもコメントありがとう御座います♪
 これも、直接のお答えではなく、考えもまとまっている分けではありませんが、そのお答えの一つは「何故童男童女か?」にあるような気がしています。 何故「東方彼方に?」については、古代中国にとって、東方は神秘なるところ。 「神秘なる所には神秘なる薬が・・・?」と考えたのではないでしょうか。古代中国の人々が東方を如何に考えていたかについては、Dr.ブログ>へかえって調べなおさなければなりません(^^!)
 
護衛隊
shigechanizumo | URL | 2010-09-06-Mon 15:09 [EDIT]
私は、薬石のある場所にはその薬石を護る護衛隊のような動物や障害物があったのではないかと思っています。例えば前にも投稿しましたが、池の底にその薬石があるとすれば、その池には毒蛇がウヨウヨといて水底まで行くことができないとか、洞穴の中にあるとすれば、その洞穴の中には火山性の毒ガスが充満しているとか、あるいははたまた海底にあるとすれば、その薬石に手を伸ばそうものなら巨大なウツボが手を噛みちぎるとかといった具合です。
そうした薬石の効能以前に、そうした薬石に近づくことが出来ないといったファクターも、切歯扼腕、徐福を悩ませたのではないでしょうか。
とすれば、薬石以前に、そうした護衛隊や守護神のような動物がいるところ、あるいは不思議な現象ゆえにその場所に近づけないといったところに薬石があると目論んでみてはどうでしょうか。
ちなみに私は、そこを素通りすると必ず道に迷って方角を失うという場所を出雲で見つけました。しばらく内緒です。
物か術か
shigechanizumo | URL | 2010-09-06-Mon 16:14 [EDIT]
不老不死の妙薬といっても三つの分類が出来ると思います。
ひとつは、その物自体が珍品で、しかも不老不死という効能を自ずと内包しているというものです。
もうひとつは、ありふれた物なのだけれど、その物に対してある術を仕掛ける、あるいはある加工を施すと、不老不死の薬石となるというものです。
さらにもうひとつは、珍品であるけれどもそれだけでは十分な効能を持たず、その珍品に対してしてある術を仕掛ける、あるいはある加工を施すと、不老不死の薬石となるというものです。
徐福が東方に求めたものは、術ではなく物であったことは間違いありません。ありふれた物にある術を施すことなら中国で出来ることだからです。
では、それ自体が効能を持つ珍品を探しにいったのでしょうか、あるいは、珍品ではあるがさらにある術や加工を施すことによって効能を発揮するというものだったのでしょうか。
先に指摘したように、術や加工をを施すということは中国で出来ることですから、徐福としては東方へ赴いて、中国にない珍品ならそうした物を何から何まで持って帰ればよいわけです。
従って、徐福が探しにいったのはそれ自体で不老不死の効能のある薬石だったと思うのです。

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