卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」
此処に出雲と同様、“大量の銅剣”が埋めてある! 全国歴史ファンの方々、三上山に集合せよ。
BC.2001年の “巨大地震によって変形した宮島 - ⅳ”
  *宮島の大断層帯、「弥山断崖下、焼山の 根炭(ネスミ)を探せ!」  2011 5/29記 
“ねすみ・根炭”とは、筆者の付名・発案で(^-^)、断続地震による断層帯で岩塊と岩塊が擦れて高温を発し山火事となった時、上部の立木は燃えてなくなるが、根部が酸素不足や、低温炭化作用で“炭”として地中に残ること。

【 お知らせ 】
  記事は不定期な日々の(追記)で更新していますが、今回の(5/29)で完了しました。
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長いあいだの長文・駄文にお付きあい頂きまして、ほんとうにありがとう御座いました。‘ネタ切れ’のため次の更新の予定はありません。しばらく休みますので、ご訪問が出来ないかも知れませんが、再開できるその時まで、どうぞ、皆様ごきげんよう♪(^-^)♪ sanks □   2011May30
                                    (深礼) 史実探偵: 平 素人 
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「地名という祖先からの伝言」
時は、BC2001年12月25日の朝方、‘三陸地方発’ (月別アーカイブ:2008 11月、 東北地方の巨大隕石の痕跡を追う!参照)の、巨大地震と大津波が、広島の地に到達する。 
  地名はその地に何があったかをいう ‘人文史’ であり祖先からのメッセージである!
   前記事“巨大地震によって変形した宮島-” からのつづきです。

<宮島の大断層を探せ!> (5/20)
素人の拙い論では、現科学はおろかあなた様までもが信じて頂けないので、もう一度、宮島の地形を交えて観察してみよう^^。

【 島の長さは、約10km余で、幅は約3.5kmのほぼ長方形。全島は花崗岩で、山は急峻し、ほぼ南北と東西の“断層がある”そうだ。島の主峰は<弥山・みせん>で535m。その頂部には巨石群がみられるという。島の南西端には次峰の<岩船山>がある。】 その断層はどこだ?!

△弥山(みせん535m)> (5/21)
宮島の主峰が535mの弥山(みせん)なのは、分かっている。弥>というのは、阿弥陀仏とあるように一番の意味であろうか。しかしながら、山>と書いてセン>と読むのが分からない。思い付けば、鳥取県に大山(だいせん)。鳥取・兵庫県境の氷ノ山(ひょうのせん)等も、セン>と読む。九州の阿蘇山。四国の石鎚山。富士山等は、高いながらも、さん>と読む。中部地方では○○岳(だけ)という。東北では山なのに○○森>。 高知県だったかな? ○○丸>という山名もある^^。 所変われば品(呼び名)変わる? しかしながら、広島の山のほとんどは、さん>と呼び、セン>と呼ぶのは、この山だけと思うが? 何か特別の意味があるのだろうか? どなた様か御教示を^^!

 航空地図等で見ると、下図の →1 →2 →3 に断層帯のようなものが見える。 
      大黒岩
        △前峠山(まえだお)
     多々良潟 
    多々良川 →1              
△大江山
          △三ッ丸子 →2            
            △先峠山(さきだお)          
                     →3 大砂利

△前峠山(まえだお)と、△先峠山(さきだお)> (5/22)
 前峠山と書いて<まえだお>と読む。一般的には<峠>と書けば<とうげ>と読む。地方によっては、峠のことを<たわ>という所もある。前峠(まえだお)とは、“前倒し”の意味ではないのか? 峠の字が漢字か国字かは知らないが、その字形が面白い。 『 山が上下する!』BC2001年12月25日の朝方。本土の<物見台>に避難した祖先は、そこで『山が崩れ行く』のを見た! だから、この名前がついたのだ。事変後、そこに何があったのかと?島に渡ってみれば、『その先にも山が倒れていた』。

≪ この時を想像を含めて再現すると ≫ (5/23)
時は、四千年ほど前の12月25日の朝6時頃。まだ日の出にはほど遠く寝ている時間。東北で発した巨大地震は、その身体が豆粒のごとくに、はじけ飛ぶほどの衝撃でこの地にとどいた。立っていることはとうてい出来ない。人々何があったかも知れないうちに内海で発した津波でその身体をもっていかれる。津波でもっとも怖いのはその土石流や漂流物が持つ破壊力だ! 平均的な水深は前述の<高見>で22mとした。8時半頃に水位はピークに達する。幸いといえば幸いか。当時の住居はたて穴式のような簡素なものであった。命からがら助かった人達が<物見台>で、目にした<宮島>は、腹の底まで揺するような大音響とともに火の手をあげていた。山塊と山塊が擦れて(大黒岩)火を発した(焼山)のだ。<弥山>は燃えあがった。上昇気流は周囲の空気を引き込む。だからこの風を<多々良・ふいご>と地名に遺したのだ。この巨大地震で崩壊した山々は、列島の他の地にも数多く残っているはずだが、発火を伴う程の変異は何処でもあるとは限らない。
①津波が<潮山>に上がり込み! 
②山が<前峠・先峠>と崩れ行き!! 
③更に<弥山>焼山が燃えあがる!!!

 この三拍子が揃った宮島を、神が上がり込み 『神・居着く島・厳島』 として崇めたのだ!
神が棲むから宮島なのだ。その意味での宮島信仰は、神を呼び寄せる出雲信仰とは少し異なる。 貴方が(現科学)が、もし、その時この地に身を置けば『 何を思い、何んと云う?』 筆者がご先祖さまから聞く大事変は、何万年も前の “地質時代”のことを言っているのではない。少なくとも祖先がそれ等の大事変に遭遇し、<早時>や、前峠山(まえだお)先峠山(さきだお)<・・・>の語彙(ごい)を発し、それを<地名や言い伝え>として残すことが出来るようになった “その昔である”ことは否定できない。


 (5/24)
航空地図等で見ると、下図の →4 →5 ↓6 も、断層帯のように見えます? 
     →4
   御床浦                樫木浦
            →5
       △大川山     
                    青海苔浦
                △老王山                          

               (谷川)↓6
                 養父崎浦 

 巨大断層は、一時で出来るとは限らず、幾度かに分けて出来ることもあると云う。この時、同時に出来たかどうか? 又、その変異の大小等も分からないが、同時であれば、新しい土層が見えているはずだから △老王山>とは名付けない。老王>の名からすれば、前峠・先峠>に対しての<老>であるように思えるから、前峠・先峠と同じような谷の地形をもって、それより以前のこととして付名したようにも思えるが、この伝言(地名)だけからでは推しきれない。

<巨大地震で水波の様に振る舞う地殻> (5/25)
廿日市辺りの地図をスクロールしていると、<押ヶ峠・おしがだお>に当たりました。筆者はその詳細を知りませんが気になる所です。国の天然記念物?にもなっているようです。(写真では粉砕岩の堆積と?見える)前論を当てはめれば、この<押ヶ峠>の付名も、その時の「地震波が押し寄せた」と表現しているのではないでしょうか。 数ある(活)断層のなかで<付名のもつ意味>は、その時のものか否かの判断を大きく左右する。何故なら、その付名は祖先がその大事変を “実体験”したかしないかを言っているからだ。

<大事変その後> (5/26)
当時の12月25日は、今より平均気温で15・6℃高かった。(別紙電子版報告書) 年末の 気温を0℃、としても15・6℃は、秋の気温。 だから「安芸=秋?の宮島、厳島」というのかどうかは、筆者のこじつけ?駄洒落であるから責任は持てない。(笑) その後に続く、隕石の冬! 火山活動の目覚め! 海溝ストレスの解放! 断続地震の連鎖! はたまた、豪雨で流れ出る(破砕)巨岩流を<大砂利>と云ったかどうかも筆者のつよい思い込みかも知れません^^? 

岩船山> と 岩国> (5/27)
それでは、何故、東北を震源とする巨大地震が、約1千kmも離れた宮島に大きく作用したのでしょうか?
カテゴリー出雲地方で、幅約5~6km、長さ約60kmの出雲半島を、Dr.いずも氏>は、<破砕半島だ!>と言われました。これも東北から見ると1千km近く離れている。そして、出雲半島は、東北から物差しをあてれば、東北から南西に向かって直行している。そのことから東北から伝わってきた地震波が“蛇がうねる”ように細長い出雲半島に作用し岩塊を破砕したと結論づけた。さらに、中国山地をマントルに浮く超巨大タンカーと考えた時、出雲半島(や宮島)は、それに沿う脇船に例えることが出来る。巨大船にとっては少しの上下運動でも、軽小の脇船(出雲半島)では大きく浮沈するのではないかとした。

宮島の場合は、島の長さは、約10km余で、幅は約3.5kmのイカダ形をしている。そして、これも東北から南西へ向いている。祖先は、その時の宮島の様を巨大津波の中を泳ぎ行く<岩船>だと表現している。今風の巨大タンカーだ! いつぞやは、その巨大タンカーが長波の巨波を受けて、真っ二つに折れたことがある。波長と船の長さが同調すれば、いかに強固に設計された船であろうと真ん中からへし折れる。そのような長波を想定した設計ではなかったからだ。水面につぶてを落とせば中心から離れるに従って波長は長くなる。その1千km離れた所に「タンカー宮島」があった! 都合の悪いことに?進み行く前方に<岩国>という巨岩塊が立ちふさがり、その行く手を阻止する。いかに強固な地殻地表であろうと巨大な地震波が働けば岩塊は、押し流された流氷のように振る舞う。韓国国土地理院では、この度の東日本大震災で日本列島と朝鮮半島が1・2cmほど近くなったと報告しているし、震源を淡路島とした神戸淡路大震災では、神戸山脈で跳ね返った地震波で長田区がやられた。素人の推論が正しければその痕跡は必ずどこかに潜んでいる。

<結び; 宮島の一反木綿と、根炭を探せ!> (5/28)
一反木綿>とは、
ご先祖さまの形容で、山と山が擦れて岩石が溶融し再結晶するとき白脈(主に石英脈)が出来ることだと謎解きしました。その一反木綿が、ご先祖さまの言い伝えでは「出没する」と云っていましたが、その白脈帯はどこにあるのでしょうか? 後の風雨作用で隠されているかも知れないし、土砂崩れ等でその破片が谷川へ流れ出ているかも知れません。○○様のウエブ写真で焼山から断崖を右にして下方の大鳥居を見ている写真がありました。その断崖には“滑り落ちた痕跡”がはっきり写っていました。この山頂付近にある大断崖は宮島へ渡るフェリー上からも見えます。だから、ご先祖さまは、この島を『宮島』に定めた! との結論に至りました。 山歩きの好きな貴方^^ どうぞ、その断崖の下の “一反木綿”を捜して頂けませんか^^?
根炭・ねすみ>とは、
素人探偵がつけた付名(ネズミ?-笑)です。 連続地震による断層帯で、岩塊と岩塊が擦れて高温を発し山火事となった時、上部の立木は燃えてなくなるが“根部”が酸素不足や、接触部から少し離れた所での低温炭化作用で“炭”として地中に残っていることが考えられます。このことは通常の山火事や、一度っきりで起こる大断層とは根本的に異なります。低温炭化とは、発火温度に達していなくても、それが長時間続けば炭化してしまうことです。 弥山>と、焼山>の断層帯があやしい!!
もし、それが発見かれば、14C(大文字Cの左肩に小さく14と書き、シー14と読む)炭素年代測定法で、その時が四千年前のBC2001年12月だと云って下さると嬉しいのですが? (素人考えで^^ → 岩石の年代測定法にアイソトープ法がありますが、これの正確さは万年単位?? 炭素法の正確さは二千年前まで?? 四千年前は、帯に短しタスキにに長しか・・・^^!)

(おまけ) (5/29)
① 航空地図を観ていると、山口県本土東端の和木町と宮島の須屋浦の端が“ジグソーパズル”のようにくっつくように見えます。これは地質年代で万年単位のことでしょうが、元々はくっついていたのかも知れません。そして、今度の四千年前の大事変では、本土岩国へ近づき押し上げらていることが考えられます。岩国の「国」というの概念は大陸からの新しい概念であり縄文石器の時代にはなかったものと思っています。「何故、岩国なのか?」その付名の‘いわれ’を知りたい。そして、押し上げたとすればどこかに段差が出来ているはず。その海底段差の探索は(大学?)の貴方様に委ねることに致しましょう。・・と言っても、二十余年この方、(大学・専門家)に相手にされた試しがありません。いずれ‘拙論は’今世紀を圧巻する時がきます。その時その人達は、どんな顔をなさり、何んと云わはるのでしょうねえ。 まさか^^ 「物証がない! 信じられなかった」とでも? 又々、恨み節がぁ~~!(笑)。 
② 宮島の西端に、高さ43m余の<可部島>という小さな無人島があります。本土にも<可部・かべ>という地名があり、何故<可部>というのか分かりませんが、わたしの予想ではこの島の頂上に、何か“宮島に関係した遺跡”が遺っていると推んでいます。それへの探検・探査はクルージングが出来る(あなた様)に委ねることに致しましょう。ウエブで調べれば、この島には戦時中?と思われるトンネルもあり、その他「七浦巡り」もあるようです^^。そして、宮島に七不思議があるとも聞きますが、その方への挑戦は、ミステリー好きの(あなた様)に委ねることに致しましょう。(^-^!)

これで、この記事を完了しました。長いあいだの長文・駄文にお付きあい頂きましてありがとう御座いました(深礼)。ネタ切れのため^^!、次への更新予定は、今のところありませんが、再開ができるその時まで、どうぞ皆様ごきげんよろしゅう♪(^-^)♪ 再見!      2011 5/29 □
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