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卑弥呼が埋めた「大量の銅剣と銅鐸」
此処に出雲と同様、“大量の銅剣”が埋めてある! 全国歴史ファンの方々、三上山に集合せよ。
<出雲竜を縛り付けている銅戈&勾玉を捜せのⅢ- 掘り上げろ!>
(2018/5/23)
   連日訪問して下さるお客さまへ、ありがとう御座います。 励みになります。
                                           shanks^^
<出雲市に、卑弥呼が関係した「岩戸」の原形が隠れている!>
目峠茶屋跡から坪背山方向へ7分ほど登った所に北へ向かう行き止まりの道跡がある。そこに「岩戸」で閉じられた「南東向きの約十丈の坑道」が土で埋まっている。その坑口は、およそ1700年前の冬至の旭光が、扇形をした鼻突峠から射し込むところでもあった。卑弥呼はそこで大祈祷をおこなった。そこに、“その坑道を掘ったズリの有る無しがこの論の正否をきめる” さらに、その旭光が射した南東ラインの先に、大量の銅鐸が出土した加茂岩倉があります。
>さて先学はどうされますか^-^?
 すべては、猪の目峠茶屋の大文字地形から始まる。そこは、かつては墓泥棒もおそれをなし、今では「タクシー運転手も避けるほどの恐ろしき場所」 自己判断と自己責任でお願いします。雪が積もっているかも知れない。くれぐれもご注意を! あなた様が、そこに近寄り、その祟りをうけても当方は一切かんちしない。
         大の字の円形地042_LI - コピー
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                     皆様へ>
 その“銅戈と勾玉”を掘り上げる相手をして下さる方を捜しています^-^!。コメント下さい!
  コメントは当ブログ本文へ公開、非公開どちらでもお受けしますが、後々、本になるやも知れませんので^^!、
  その時は当方が、そのコメントを無償で使用で出来ますよう御了解ください。貴方さまのコメントを歴史に刻ん
  でおきませんか^^?  私のように大口をたたく者は世に五万といる。だが、それと認められるお人は、2/75
   億人に満たない。


('18/1/01)
since 1988/1/11~から ・これならば、・・・々ば、と広報を重ねて30年になりました^^!。
  → 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!津波は地球の90%を覆い大氷河期となる。
        この電子出版(文芸社)は、14冊売れて(プレミア付?)'16/10/21に絶版しました(^-^!)
  → BC.2001年12月25日朝6時頃、地球を半周した小天体(竜)が東北地方へ降臨した。
  → 卑弥呼は魏から得た100枚の銅鏡を与え、それ迄の生贄銅鐸文化を封印した。
 → 天ノ岩戸の原型が島根半島竜の鷺峠・大の字地形のハライ部に埋封されている。
     (猪目峠茶屋跡から7分ほど登った所で、北へ向かう道跡の行き止まりに!)
      この斜面に土石・ズリの有り無しが隠れた坑道口(岩戸)の存在の正否を決める!
      1700年前の冬至の朝。鼻突峠方向の扇形中央から御来光は(幟)昇ってくる。
     その御射光は、坑道奥の銅鏡に〇〇年の隕石の冬岩戸開きまで幽閉されていた?

   さて、本年'18はどんな年になりますやら^-^?
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<出雲竜を縛り付けている銅戈&勾玉を捜せのⅢ- 掘り上げろ!>
                                      (2017/6/25∼8/15)
筆者が『竜は隕石、竜は神』と言うような施設が、ここになければ今、私たちが行っている歴史はないと断言できる。四千年前。東北に降臨した巨大隕石からの巨大地震によって破砕し、巨大津波に泳いだ島根半島を「神竜」と思うに何んの不思議があろうか。(この詳しくは、カテゴリー,巨大隕石と大津波) 「出雲風土記」では、そこに何やらの神を幽閉したとあるそうだ。伝説や伝聞を表現の違いとし、その 「目から鱗」を取り去れば、学識に長けた貴方さまには、より多くが見えてくるはずだ。そこにそのお宝があることが問題ではない。それが予見できることに問題と楽しみがある。無視され続けて30年。かれこれ2千通を送りました。貴方さまがそれが出土してから大騒ぎする世間さまと同じであって欲しくないものです。
                                 ( 史実探偵: 平  素 人 )
(9/) 新情報<法師崎のやまある記>坪背山
    http://www.geocities.jp/houshizaki/tuboseyama.htm
    この記事を参考に、その場所をピンポイントで絞り込みませんか(^-^)?
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  以下は、 青面金剛さま>より、有り難いコメントを頂いて考察した記事です。
「鷺峠は近づくべきではない」
青面金剛
| URL | 2017-06-17-Sat 15:43 [EDIT]
 平 素人 様、古代史掲示板から来ました。鷺峠は出雲の大神が幽閉されたところ故、地元のタクシーの運転手も、通ることを避ける場所です。幽閉した犯罪者側が、王権の象徴である勾玉や銅矛などを埋める訳も有りません。発掘など、地元の方々の感情を逆なでする結果に成ります。
 また、古い銅山の辺りは、地下の坑道が複雑に入り組んでいて、長い年月の風雨により、坑道の上の土が薄く成っている恐れも有り、それを知らずに歩き廻ると、平さん自身が坑道に落ち込み、閉じ込められる危険性を知るべきです。
出雲の歴史については、大元出版の本をお勧めします。
最初の一冊には、『出雲と蘇我王国』が好いでしょう。
http://www.d1.dion.ne.jp/~kunado/index.htm


鷺峠は近づくべきではない」 のですね。 平 素人 | URL | 2017-06-23-Fri 23:31 [EDIT]
青面金剛様>コメントありがとう御座います^^♪  PCの不調でお返事が遅れました。
<鷺峠は近づくべきではない>のですね。大変貴重な情報を頂きました(深礼)。
前のコメントから〇カ月ぶりのコメントです^^!。「卑弥呼からの伝言」についての送信は20年前からで、「出雲竜を〆縛り付けている銅戈と勾玉」ついては、10年前からですが、歴史全くの素人が「ここにそのお宝が埋められている」と提言しても、私が尊敬するDr.いずも氏を除いて全く無視され反論さえ頂けない年月を重ねて来ました。身元を明かさず、「そのお宝を掘り上げれば一攫千金」というと「そんな詐欺師がいます。お金の話はしない方がいい。」と迄云われました。(笑い) 準備してます「追加情報」に、貴兄>のコメントを挿入させて頂きたいと思います。差し障りがあれば何時でも仰って下されば削除します。今後ともご鞭撻を^^!

  < 追 伸 >
 「タクシー運転手も、通ることを避ける(ほど恐ろしい)場所」 なのですね。
   そんな地元の人しか知りえない情報をお待ちしていました^^。
わたしのような素人が、それ等の埋蔵文化財を 「ここぞ!」と、特定しえても、勝手に掘り上げる分にはいきません。現実的には、それから後のほうが大変で、まずは地主の許可を得なければなりません。肩書や実績のない見ず知らずの他所者が、その仔細を説明しても、これまでの史学にないことを述べる分けですから、不審者扱いを受けるのは必定。例え一度は耳を傾けてくれても、二度目は「忙しい」と体よく断られる。ならば、「専門家に」と思えば史学から外れている事ゆえ門前払い。さらには、行政に報道にと「その報告書」を送りましたが無視される。 ・・で20年経ちました。

次には、「埋蔵文化財保護法」をクリヤーしなければならない。
知らず偶然ならともかく、それと承知しているわけですから、所管の行政、例えば県知事へ、その発掘申請と許可を取らねばなりません。その道すじがある専門家の申請ならともかく、まるで少年・こどものような稚拙な論説文等、提出するだけ無駄な気がします。
合わせて、その場所がすでに埋蔵文化財の認知場所かその周辺であれば、県の教育委員会の許可を取らねばなりません。では 「知りませんでしたと勝手に発掘する」 これって許されるかしら?

(以下は素人知識ですから間違いがあるかも知れません。) ドウゾノご訂正を^^!
こういう場所はえてして寺社領か公共の所有が多いと思いますが、そこが私有地なら、かなり強引にやれる。しかし、地主の許可が必要なのは言うまでもありません。所有者がNOといった場合は、それまでか?。この場合、地主は「私有地につき立ち入り禁止」の表示をしなければならない。 奥の手はあるもので(笑)、例え地主がNOといった場合でも、その公益性が認められれば現状に修復を条件に(立ち木等、出来ない場合はお金に換算^^?)強権をもって調査発掘が出来るようだ。その場合は、地主に文書でその旨の詳細を書留で通知しなければならない。 さらに、そこが土砂流出防止林の場合は、草木一本、土砂の一握りも乱取してはならないと定められている。但し、昔からの地元住民の山野草や、キノコ採りかタキギ取りの入会権は認められているようです。

この調査発掘の費用は並みの金額ではない。
  ウエブ等でご存知のように、その発掘は細微をきわめる。それは個人の出せる金額ではない。出雲での大量の銅剣の時には、何一つも見逃すまいぞ」と、焼き鳥の竹串や、カメラレンズ掃除のパフパフでやったそうですからその費用は推してしかるべしです。ゆえに、その発掘の多くが偶然性か、もしくは毎年の決められた予算内での公共工事前の調査での発見がうなづけます。ちなみに、20年前その道の事業所での参考費用は600万円でした。「史学にない素人の論説に、お金をかけるなど 、もってのほか!」 わたし素人探偵は、この相手にしてくれないことを逆手にとり、私有地ならば、探知機とツルハシかついで、大した費用もかけずに私設観光起業化が出来ないかと^^? これが出土すれば、『卑弥呼絡みが確定し、予見した!』 とのプレミアムが付きますから^^♪ 但し、この場合“卑弥呼が埋めた!”と専門家に鑑定して頂かなくてはなりません(^-^!)。 

そして最後の難関は(出雲の人の)信仰心の厚さです。
  『 学術より信仰!』 簡単に掘らしてくれないと思いますよ。わたしが指さす「その咽首」は、出雲大社の社寺領の可能性が大です。もし、そうであれば、由緒ある千家家のお許しを請わねばなりません。神への畏れとか、祟りとかの信仰心がうすれてきたのは、新幹線の開通や、高速道路の施設のころからと認識しています。今では、「祟り」については、まったく死語化しています?
  島根竜曰く、『その〆縄を解いて、ワシを起こすと史学が変わるぞ! 覚悟してかかれぃ』

ハンドルネイム・青面金剛さま>
 青面金剛は、はじめて聞くことばですので、少し調べてみました。三眼、三角目の夜叉とか、何やらを踏みつけている」との語句が出ました。そういえば、そんな仏画を見たような記憶があります。三眼の発想は異様です。その三眼目の頂点に位置するのが鷺峠の「咽首」かと思います。夜を徹しての大祈祷などの言葉も出てきました。わたしは、銅戈と勾玉が墳墓でない命主社から出土していることに注目しています。その後の亜流はあるかと思いますが、他所に銅戈1と勾玉1のセットで出土した例があるのでしょうか。素人探偵の予見したように鷺峠(猪の目峠茶屋)と伊奈西波岐神社(奥の院)からの出土に至れば、卑弥呼が絡んだことが確定します。なぜなら、長さ60km幅5kmの島根半島を竜に見立てる発想は、四千年前の大地震で破砕半島にした歴史の覚醒(Dr.いずも氏 言)と、銅鏡100個を受けて銅鐸文化から銅鏡文化へと変えた卑弥呼以外には考えられないからです。竜は中国からの伝来が定説ですが、私は、そうは思いません。四千年前、大陸にまで達した巨大地震と巨大津波の探検と不老長寿の薬石を求めた徐福等が、その探検におよんで列島人から聞き集めた “巨大隕石が飛んだ、モンタージュ画の逆輸入” だと、前述記事で謎解きしています。

「信仰心を逆なでする」 竜の逆鱗に触れる!
  前々の記事で 出雲の島根半島西端の日御碕の立っている所は玄武岩柱の噴出があると出雲のDr.氏に教わりました。“宇竜”の地名やら、海底階段の発見やらで、そのDr.と共に、それを「竜の逆鱗、竜の火舌」と名付けたことがありました。そのいきさつは前々の記事で参照して下さい。その地の「探索は陥没の危険をともなう」との御忠告に感謝します。Dr.からも子供のころの探索で大人にひどく叱られたとか。飛蛇(トビョウ)も出るとか。私は、横井さんや小野田少尉を見つけだし『男のロマン』の名言をいった、かつての鈴木青年のような、自費や命を賭してまでの勇気を持ち合わせていません。頭脳寿命も衰えてきました^^!。没後のために拙論を歴史に刻んでおくのみです^^!。□

<追加情報> 2017/05/30 ∼
その1. 地方名<杵築・きずき>について、
 杵築の地名が妙にひっかかる。この杵築は、大社を含めて東西南北がある。筆者が“それと見当”をつけている円形地形(35°24′54.79″N,  132°40′53.26″E,)の行政区が鷺浦になるか、杵築にあるのかは分からないが、「杵・きね」とは、餅をつくキネとあるように、ツキ固める意をもつ。それに「築く」がつけば、何かを突き固めて「何か」を造った意になる。つまり、その円形(に見える)場所は、土を突き固めた“版築土塁”ではないのか? 版築土塁とは、塀を築いたり、河川の土手を築く工法である。今、国技館での土俵も土を突き固めて造っている。その中心に「何かを埋めるのか埋めないのか」を知りたいと思う。もし、それが銅戈や、勾玉に関係するものであればここに、その銅戈と勾玉が埋められていることが確定的となる。      

その2.大の字の地形と泉水(仙水?)について、
 その咽首(筆者がつけた仮称)の地図をよく観察すると、西を上にした大の字の地形にある。大の字はガリバーと小人の国や、呪いのワラ人形と前述したように、島根竜の要(かなめ)であり、そこに 「最新兵器の銅戈を五寸釘のごとくに打ち付けた」ことにもなる。さらに国土地理院の地図をよく観察すると大の字の太い字の部分に「川の印」がついている。普通にこのような地形は数限りなくあり、特に川の印を記入する必要もないと思うが? これは、他の神社でよく見かけることであるが竜の口から泉水が湧き出ている施設がある。その泉水には鉱物等を含んでおり薬水にもなると聞く。そして、咽の字の字形にも注意して頂きたい。因の字形の内に大の字があり、その脇に口がある。そういえば、力士が相撲をとる前に、口をススグのは、ここから来ているのではないのか。ここ島根半島はグリーンタフに接しておりそれ等の鉱水が湧き出しているところが、いたるところにあると思われる。もし、これが当たっていれば、その太い字の点部分には遺跡やイワレが残っているはずだ。筆者はそれ等のありやナシやを伺いたい。
 <鷺峠> 咽首(仮称)の‟大文字地形”と、それは“仙水か”? (国土地理院地図に加図)            竜の咽首041
   35°24′54.79″N,  132°40′53.26″E, h345m。 ☜ ここに、銅戈と勾玉を埋めてありか 

その3. 鷺浦の祭りについて
 鷺浦の地区には、竜に模した荒縄で練る祭りがある(ネットで見ました^^)。これはその昔、巨大地震によって暴れまくり(破砕半島と云われる←Dr言)島根半島竜の首っ玉を縛り付けた名残りと見ることができる。もし、そうであれば、大社側から鷺浦までの約5km余に荒縄を実際に沿わしたことになる。この件は「ああそうか」では済まされない。なぜなら、それだけの量の稲わらの収集を考えねばならず、その収集を可能にした水稲栽培域の人口数や、それを提唱する人物や通念までもが浮かび上がってくるからだ。しかし、さすがに、島根半島竜のこの距離を縛り付けておくのは大変だから、今では、出雲大社の大〆縄や、横綱のマワシに“象徴として”略しておこうとなった。(笑い)このように、今私たちが為している神事や行為に、この謎解きのカギは潜んでいる。(中学生諸君に^^!)

その4. 咽首 ( 仮称 ) の円形地を考える
       『ドンの首』 のことばを聞いたことを思い出しました。今後そこをドンの首と呼ぶことにします。
  ドンの首(ブログ用)
  坪背山
この直径30m程の円形地?を(版築土塁=土俵)造りだとすると、その上部は平たく均していなければならない。その上で武神である力士はシコを踏み塩をまく。なぜ塩をまくのか。これを私流に解釈すると、島根半島は、前述のような巨大竜であり、竜は火を吹く火竜であり、大雨をもたらす水神でもある。 『火竜ならば海水の象徴として塩で鎮火しておきたい』 と思うのが無理のない展開^^? 今に開店時に塩を盛るのは。「ヤク神さま、どうぞ暴れないで下さい」 との願いからではないか。それほどの大行事であれば、その歴史はしばらく続いていたと考えられる。それが卑弥呼からだとなると千七百年以上たっているから、その塩分の多くは雨で流れ去るだろうが、薄く染み入っているかも知れない。正確には土壌分析の調査をしたい ・・と、このように終えるつもりでしたが? 大きな疑問が生じてきた。・・・・・・・、

 340mの丸い等高線より上に5mの盛り上がりがある。そのイメージは土俵ではなく土饅頭に近い。土俵仕様でなければ、上記の考えはまったく役にたたない。今まで営々と積み上げてきた謎解きは、この一事で全てが瓦解してしまう。思いだせば吉備地方・倉敷市船穂町竜王山で、この土饅頭形の頂上があり、その地形に不思議な感覚を味わったことがある。そういえば、船穂町竜王山では、南東の方角にある小さな祠に青い花シキビがたむけてあった。さらに、倉敷市・鬼山、足高神社には小さな土俵(月別アーカイブ2016/3月)が設えてあった。出雲の「ドンの首」でも、それ等と歴史的つながりがあるのか?
     ・・・・ご先祖さま> どうか、この関係のありやなしやを教えて下さい。

「神官は、頭上のすすを お祓いし」、って川柳がありました。
こども心には、そのすす払いが四千年前、出雲にまで届いた巨大な津波の白波の形に見えてなりません。
皆さんも御一緒に、出雲大社にお参りし、頭をたれて『現史学』という、そのススをお祓いして貰いませんか^^? ゴメン言葉がすぎました^^!。 ( 拙「出雲弓ヶ浜の成因」より、)

その5. 「 ドンの首」の饅頭形が気になる、 … どうも気になる。・・・
・・長考・・、 そうだ!土饅頭との考えが間違いではないのか。実際にその地を探索してないので何とも言えないが、これは鏡餅形を表してしているのではないか。以下、鏡餅形として考えを進めてみよう。鏡餅=銅鏡と考えることが出来る。この大祈祷は、卑弥呼が関わったとして、銅鐸文化から銅鏡文化への変換期でもあるから、その線でもいける。埋蔵物は「銅戈と勾玉だけ」と固執したことがいけなかった。それに銅鏡をプラスすればいいわけだ。卑弥呼は、彗星のニアミス時その退散祈祷により、それまで永々と続けてきた“雨乞い水神竜”から、『お天気を司るのは太陽であり竜神様は、そのお使者であるよ』 として太陽主神説を唱えた。(この詳しくは初頭ブログで)のであるから、銅鏡も一緒に埋めた可能性は大である。鏡が一緒だとすると、その歴史は、鏡開きや天岩戸の神話 へと、都合の悪い方へ、さらに広がりそうだが、いずれにしても今、出雲大社での催事の詳細を知りたいと思う。

その6. 三方・さんぼう>からの考察
三方は、神に鏡餅等の供物をお供えする用具で、折敷(おしき)と呼ばれるお盆の下に胴(台)がついた形をしており、その胴に三方向の穴があいていることから、三方・三宝(さんぼう/さんぽう)と呼ばれ、台の穴は宝珠の形やハートの形があり、主に桧の白木で作られている。台の形は、四角が一般的であるが丸い筒状のものもあるようだ。
    http://ameblo.jp/izumo-shintotsukawa/entry-11744162888.html
筆者が注目したいのは、三方にあいた穴である。「なぜ四方でなく三方なのか?」 この刳り穴は只の装飾とみる考えもあるようだが、はたして、そうであろうか? 一般的に言えば、仏具がきらびやかな装飾に進化しているのに対して、神具は一切の装飾を廃し、白木や白磁様の簡潔なものとなっている。このような供物台の制作の進化を考えると、皿・盆に足をつけ、高坏・たかつき状になっていく。なのに、台や胴部の内を空洞につくり、しかも、ジョウゴ状の刳り穴まで開けている厄介な造りになっている。素人的には、神に対して一切の汚れを落とし簡潔にしたいのなら棒状に切った木をくっ付けた形にすればいいと思うが? そのようにしていないのは、何かの意味があるのではないか。 
 <何を狙っているかというと> 
青面金剛さまや、Dr.いずも氏>が言われた「何やらの神を幽閉した」 とあるように“閉じ込めておく為の空洞ではないのか” それが悪しき神か、善なる神かは知らないが、歴史を遡ると、前述の“環状木柱列”で謎解きしたように「冬至の旭光=荒神」を招き入れ幽閉する為に背後だけには穴をあけずに三方とした。その光を包み込む為なら、その穴は木箱に入っている大黒様のように前方だけの穴あけでよいと思うが、それが推めない。 どなた様かご教示を!

 筆者の推理が正しければ、その咽首の円形地の “南東の方角にその坑道の入り口をふさいだ大岩”が現存していなければならないし、今、鷺浦でのお祭りで桧の丸太の“幟・のぼり”を立てているように、 “円形地の四方に掘っ立て柱の痕跡”がなければならない。そして、その坑道〈穴〉の中にそれぞれの象徴である勾玉と銅鏡と銅戈(も?)が埋まっているのは言うまでもない。蛇足ながら 『その穴の中で、銅鏡である大黒天様が、四千年前の冬至の朝に暴れた島根竜が二度と暴れないように鎮め守って下さって居ます』 ということだ。 但し、その探索や発掘によっての危険や、それより何より「神をも畏れぬフトドキ者めが」と、 “その祟り” を貴方さまが被っても、(スパイドラマ風^^!)当方は一切の責任が持てないので自己判断と自己責任でお願いします^^。 

その7. 坪背山、付名の不思議 
 さらに、この円形地の西〇mの所に坪背山がある。なぜ「坪背」と付名したのであろうか。少しこじつけになるかも知れないが、坪の字を分解すると「土を平たくした」にも読める。平たくした土俵の真ん中に鏡餅や盤座は置けない。そういえば、この近くに<太々山・だいだいやま>があった。これも今の橙・ミカンに関係するのかも知れない。「背」とは何かの後ろを意味する。後ろであれば、今の催事で金屏風を背にしているから屏風風の岩があるかも知れない? 鏡餅、それをお供えした三方・さんぼうの後ろの意か? そして、その岩が南東の向きであれば “武神”を刻むか、それらしき名前で言い伝えられているかも知れない。
 この冬至の旭光を銅鏡に招き入れ封印、あるいは入魂する考えは、環状木柱列・ウッドサークル 月別アーカイブ(2009/6月)
で前述したが、・・・まてよ・・・・、 大の字の左ハライ部の先に「大量の銅鐸が出土した加茂岩倉があるのではないか?」 ・・予想は的中した。その南東を指したハライ部の先に加茂岩倉があった。この問題は、大量の銅鐸を埋めた加茂岩倉が先か、銅戈と勾玉と銅鐸を封印した、この円形地「竜の咽首」が先か?に通じる。筆者は、確信はありませんが、①竜の咽首(銅戈・勾玉・銅鏡) ②加茂岩倉(大量の銅鐸) ③荒神谷遺跡(大量の銅剣)の順で封印したかと思います。
   その大祈祷は、冬至十夜に始まり、一月の松の明けまで続いたのでしょうか^-^?

その8.<では誰が埋めたのか> →<卑弥呼の謎解き その後と付言、そのⅡ.>へ移設しました。
この話は、推理とは言い難く、想像といった方がいいと思いますが・・・、とお断りして・・・、
筆者は、(出雲・鷺峠大文字の)その銅鏡 が出土するまでは、それが卑弥呼だと断定したくありませんが、おそらく卑弥呼だと? 卑弥呼は、それまでの幼児を生贄とした荒神竜・雨乞い文化を、東南の空に現れた(地球の歳差運動により当時は真東)、彗星退散祈祷を期に、「その荒神さまは太陽のお使者だ」とし太陽主神説を唱えた。そして、魏から得た100枚の銅鏡を分け与え、それまで荒神を呼び寄せ乗り移るために使っていた銅鐸を持ち寄って封印した。この詳しくは、カテゴリー<この指とまれ>て゛述べています。

その9.冬至の旭光の封印儀式
このドンの首の円形地は、今から四千年前の巨大隕石が放った「冬至の旭光」である荒神を銅鏡に招き入れ幽閉する為の施設である。南東に向かう坑道を掘って前の晩から待機し、その日の出の瞬間の旭光が射すのを待ち受ける。そして、幕内力士が行う土俵入りの所作を思い出して頂きたい。両の手を挙げてその光を招き入れ柏手を打つ。皆さんは、その後の所作で “化粧まわしを掴みあげてストンと降ろす所作”に不思議を感じませんかぁ。しかも一度だけ? 寂しすぎるし、なにか拍子抜けに感じる。わたしなら二度三度と上げ下げして派手にやりたい(笑い)。それは絶対しないで下さい。せっかく取り入れた光神様が逃げ出してしまいますから。

 前述の富山県や石川県にある環状木柱列(ウッドサークル)の記事を読み返して頂きたい。 
東南部の入り口の柱の上に横木が復元されていた。そして、岡山県倉敷市船穂町の高量山の記事ではその旭光の “影をつくるため” のノボリが立てられていたと推理した。であるならば、ここ出雲でも、そのような柱が(北緯〇〇度、東経〇〇度)あたりに立てられていた筈である。その掘っ立て穴の跡を是非に発見けたい。
鏡餅形の南東部の坑道には古墳形式の石の門構えが為されていて、その門は大石の扉で、決して開けてはならずと閉ざされている。さらに、その上には土を被せていると思われるが千〇百年の時を経て、その表土は、青面金剛さま>の言われたように薄くなっているかも知れない。
ここ出雲の“ドンの首”は、それらの歴史の“始まり”である。
  筆者の言うような施設が、
       そこになければ今、私たちが行っている大文字の歴史はないと断言できる

さて、貴方さまは、それが出たら騒ぐタイプですか^^? それとも、今ほかの事が忙しくて、そんなことには関心がない方ですか。いやいや、そこは墓泥棒も恐れたところ 『触らぬ神に祟りなし』、その祟りが恐ろしいから近づかない方がいい、と思われるお方なのでしょうか。(笑い)         
('17/8/15) 青面金剛さま>貴重な情報をありがとう御座いました。
    おかげさまでより深く追求することが出来ました。 今後もよろしくお願いいたします。 □

その10. 坪背山(壺背山) ('17/11/07~)
       http://www.geocities.jp/houshizaki/tuboseyama.htm
<法師崎のやまある記>さまのブログより新しい情報を見つけた。氏の自己紹介では「山口県を中心にした中国地方・その他の山々」の登山家のようで、その山の歴史的背景はもとより写真・動画ありの臨場感にあふれるご記事である。多々ある中の坪背山(壺背山)のご記事に注目したい。筆者が大の字の中心部を、鷺峠としたのは誤りで、その少し南寄りの猪目峠であることを知った。この峠は鷺浦や猪目洞窟へ行く三叉路にあり猪目峠茶屋跡がある。そして近くに弥山への登山口もある。猪目洞窟はおおくの遺物が出土し、その入り口が△目のイノシシにも似ているところからの命名のようだ。弥山(みせん)の山名は安芸の宮島にもありその関連性も気になるが、今回は坪背山に絞りたい。

坪背山は出雲国風土記の烽火山五山の一つ。
その山頂からは、木立にさえぎられてはいるが出雲大社側と鷺浦が見えるようだ。茶屋を登り口とし3~6番までの石柱がある。筆者が円形地形とした場所は3番であり、そこでは筆者が思っていた土俵とか鏡餅形のイメージは、木立を刈払えばいいのかも知れないが沸いてはこない。そこをピークとして尾根道を4番、5番、6番へと進む。6番は明らかな山頂ではなく、なだらかな平地のようであるから、ここで烽火・のろし火を焚いていたのであろう。その平地の広さも問題で、そこに何人が立てるかによって、祈祷の規模がわかってくる。石柱には番号と山境灌水流と刻んであるが、その意味は分からないとのこと。何時にその石柱を立てたのかも分からないが字体や風情からして百年未満と思われる。高さ1m余りの石柱は、かなり立派であり、そこに番号までふっていることは、そこで何かの所作を行っていたと窺うことができる。番号をふっての登山や寺社巡りは多くが知るところであり、真宗や真言宗にその形態を残している。わずか3百メートル余りの山に番号をふり石柱まで立てている重要性とはなにか。1番と2番がどこにあるかを知りたいが、真名井の清水が一番であれば面白いのだが? 石柱の「山境灌水流」とはなにか。「山境」の意は、この尾根道が大社側と日本海側の分水嶺であるとは、前述してきた。

「灌水流」とは、何を意味するのであろうか?
出雲や大社の神事に詳しい人の教えを願いたいところだが、素人なりに考えを進めてみる。潅水とは、潅がい用水にあるように、作物や木々に水をやることと認じている。ちなみに「かんすい」を語句変換すると、冠水、寒水、環水、簡水、換水、鹹水と、なにやら意味ありげな語句がでてくる。古代においては、語彙数が少なく、一つの言葉に多くを重ねていると知るところである。ここは「戦いの為」のノロシを焚く場所が定説であるが、その為だけであれば「流」の字はいらない。分水嶺で水を“流し”北の日本海側に流れるか、南の水稲地側に流れるかの占いの意もあったのかも知れない。坪背山は壺背山とも知った。壺に呼び水を入れ「水田側により多くの水を」と撒きながら登ったに違いない。

壺背山6番の山頂にたどりつく。
↓ この項、筆者の知識不足からの推み違いのため、お詫びして削除いたします。
最後の願いは、底に残した水をカマドにかけ、水蒸気となし「慈雨」を願い天に昇らせる。その時のカマドは瀬戸内で多出している<特種器台>だ。出雲にその方向を向けるという吉備津神社があり、歴史の多くがつながっている。壺の底が尖っている形状は保管には向かない。 祈りが終われば割砕き八方へ破片を放る。山頂からタブレットを投げる風習は今に残っている。これだけの所作は一度きりとは思えない、
筆者の推理が正しければ、
その南側で多くの壺片が発見かるはずだ。
青面金剛さま>に云われてます。くれぐれもマナーや安全に気を付けての探索にして下さい。
言い添えておきますが、出雲での雨乞いの本拠地は、松江市の「茶臼山」であるとカテゴリー「出雲地方で」前述しています。

 以上、猪の目茶屋から、坪背山山頂までをたどって来た。
この道すじに岩屋ありとにらんで来たが、とくに<コレ>といった場所には当たらなかった。
 <法師崎のやまある記>坪背山の文面の最初から始めて、次の文面に注目したい。
<茶屋跡の南端より登山開始  明確な道を進む>
 右に歴史ある茶屋跡を眺めながら緩やかな坂へ向かう。これだけでも烽火山の坪背山へ向かう期待感が高まる。周囲は樹林に覆われているが、足下に夏草も無く歩きやすい。なお、尾根との合流点付近まで目印のビニールテープをつけておいたので、今年いっぱいは持つだろう。登山口から7分程度進めば尾根道へ着き、明確な登山道に合流する。この合流点付近には昔の道が北へ向かって延びているようだが、途中でこの道は消えてしまう


  ドンの首の坑道口
「この合流点付近には昔の道が北へ向かって延びているようだが、途中でこの道は消えてしまう」
皆さん。この文面から“オカシさ”を感じませんか? ここは、脇道と茶屋から登った合流点であり、大文字地形では、左ハライ部の中間にあり、「北の道が」北へ向かう必要のないところ。 必要でないところに道痕がある! 
その先の行き止まりに、その坑道の入り口が隠れているのではないか! 
何やらの神が坑道へ埋められた。あるいは、幽閉されたのであれば、坑道とあるように、その穴を掘り進めるための日数が必要であり、その行き帰りの道を踏み固めることとなる。そこが自然洞穴であれば、わざわざ「坑道」などと断わりはしない。穴を掘るための道があったのである。もし、この坑道の奥に銅鏡がある。あったのであれば、環状木柱列の謎解きで冬至の旭光を迎え入れるとした意もあることから、坑道=光道につうじ、ある程度の長さを持っていることとなる。そして、千〇百年前は銅製器のみと考えられた時期ではあるが、坑道を掘るための鏨・タガネ鉄器が必要になる岩盤にあたるかも知れない。出雲は銅の自然鉱石及び砂鉄の産地であり、大陸技術最先端の土地柄。銅製期にかさなって鉄器の移入があったのかも知れない。

<冬至の旭光>
冬至の旭光については幾度となく触れてきたが、その坑道があるとして考えを進める。その坑道の奥へ南東からの冬至の旭光が射しこむのであろうか。いや射しこまなければならない。
  ここで、千〇百年前の冬至の旭光に触れておきたい。かつてのニュースに、イヌイットの長老が冬至の朝の旭光の昇る位置がずいぶんズレて来たとNASAへ投稿したことがあった。この件に関しては地軸の歳差運動が知られているが、長老の覚えを十五歳から八十五歳として高緯度になればその昇る場所が大きく移動する?かが問題なのだ。 まったくアテにならない素人の計算であるが、「70年に、∠1度時計回りに移動するか?」としたことがあった。どなた様かご教示を!!人生50年と云われた時代。朝日の昇る向山に∠一度、振れようがふれまいが認識は出来ない。英国で日時計の意もあったとされるストンサークルでは、その構築に700年もかかっているとし、日の出の位置がズレてくることから、その意をなさなくなったとして途中止めにしたとする説がありました。でも、今でもそれが観光になっています。逸れた話をもとにもどして、(~~!)
 筆者のいうのは卑弥呼の代である。今からおよそ1700前。その坑口に立ち弥山の山稜のどの位置から昇ってくるのか? それを知りたい。見当では鼻突峠辺りかと思っているが“見分”が必要だ。

     ※ 予想する坑道口の位置 (出雲市大社町杵築東)大の字地形の左ハライ部、
         <北緯35度24分52.89秒 東経132度41分2.82秒>

ここから、第三ポールの下まで、約200mはある。信じられない数字である。実際にどの程度掘っているかは分からないが(ツナシの)十丈約33mは掘りたいところだ。その〇〇を置いた奥まで朝日が見えて光が届く必要がある。その長さは、この歴史の移行かと思える古墳の玄室をイメージすればよい。ついでながら、冬至の日の出は、いつもいつも快晴の日ばかりではない。快晴であっても雲に隠れたりモヤがかかったりもする。以前の記事でも述べたが、それを補正するために冬至十夜が考えだされ、定位置にノボリや剣先(錫杖)を立てたりして、その突先に太陽が昇ればいい。 「お陰様で」や「御来光」の言葉は、これより発生しているのではないだろうか。わたしなら、影より万物を育てるお日い様が欲しいし、一秒間に地球を7回り半もする光の速さを御来光とは云わないで「御射光」と言いたい。「来る」という言葉は光と共に神様が来るということを意味する。この考えは先尖りの山「剣山信仰」へと<歴史の拡散>-筆者の造語です^^!をしている。  ('17/11/11)□

その11. 以降は、皆様にお譲りします。・・・、 今回はとりあえずこれまでにします・・・・^^!
    ・・・ 貴方さま>の情報をお待ちしています。・・・・^^、

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('17/12/01)に、以下を古代史掲示板に投稿しました。
<未掘・出雲の銅戈と大勾玉を掘り上げろ!>⑧
      表題に「参画」 して下さる一人でも多くのお方を捜しています。
[4109] 青面金剛 さまへのお返事です。

>龍蛇縄の祭りは出雲・伯耆・諏訪地方に広く伝わる祭事ですので、その中の二社の一致だけでは根拠が薄すぎます。命主社の大石は荒縄を巻き付け数人で引っ張れば、動かせるものですが、御陵神社のは、岩壁自体が大岩で、動かし様も有りませんので、「命主社と同様に」の条件からは外れます。

又々、貴重な情報ありがとう御座いました。「命主社の大石は荒縄を巻き付け数人で引っ張れば、動かせる」 命主社にそんな大石があったのですか。わたしは大社の石垣造営のために、この命主社のうらの巨岩を石材として切り出していたところ表題の勾玉と銅戈が出土した」との情報を受けて思考を重ねて参りましたが、その表記を命主社の裏の<岸壁、巨岩、大岩、大石、盤座>等の表記に微妙な違いを感じていました。「大社の石垣造営のため」であれば、相当量のものでしょうから、「巨岩の下に」か、「巨岩の下方に」ともとれます。巨岩の真下には埋められないことから後者のほうをとっていました。その時が考古学的造詣のありや無しやにしても、偶然の出土ですから、びっくりしたでしょうし、そのお宝が「ここから出土しましたよ!」の指標がないのを不思議に思っていました。
先様の云われる「大岩」が、どこにあるのかが興味あります。「数人で引っ張れば動かせる」ということは、大きな意味をもちます。古代の祖先が銅戈や勾玉を埋めて、その上に、その大石を載せたのか? それとも、寛文〇年の採掘時に、お宝があった場所として新たに置いた?のかが問題になってきます。前者であれば、筆者の提唱する「島根半島出雲竜の封縛」の意をもちます。

<その「大石」に×印は刻まれていないか?>
先様の推奨されるウエブの検索中に×印をつけた盤座を見かけました。それを再び探し出そうとしましたが見つけられませんでした。それがお返事が遅れた理由でもあります。この×印は荒神谷で大量に出土した銅剣の茎(なかご)にも刻まれており、筆者は、先の記事で、それを「稚児を殺めたこの銅剣二度と使うまじ!」とした卑弥呼がつけたものだとしました。この×印は、バツとかペケとかに呼ばれ、封をするとか不良品につけることは知るところです。この×印がその「大石」に刻まれて、同様な石が御陵神社の巨岩のそばにもあれば、話は面白くなってきます。そして、この地の冬至の旭光・南東ラインにある加茂岩倉に繋がれば話はますます面白くなってきます。
 この×印については、キシ先生の情報にもありますので、それをお借りします。
> 4 ×印
 弥生時代の島根県荒神谷の銅剣などに刻まれ、古墳時代の但馬地方などの土器に書かれている。明らかに信仰的なものとしては高松塚古墳壁画や薬師寺金堂本尊台座の青竜像の首にある。アイヌ民族の神に捧げる酒箸や修験者の錫杖にも付く。
 会津若松城では現存の5つのすべての虎口(入り口)の石垣に×印が刻印されている。

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> 呪いのワラ人形は、侵略者(徐福)の側である、中国由来の道教の呪術ですので、出雲王家の側が用いるものでは有りません。
そうですか。青面金剛さまの云われる中国由来の道教」 キシ先生の云われる五行」等、卑弥呼より〇百年前に来訪した徐福たちが持ち込んだのかも知れないですね。“徐福が不老長寿の薬石探索”に伴った「方士、童男童女、婦人、五穀&樹木種、百工、軍人、船乗り」三千人?の陣容のうちには、それらに長けた人達(外人も連れて行け)がいて、卑弥呼は?それ等の人達が残し伝えた呪術の影響を受けたことも考えられます。

青面金剛さま>お叱りありがとう御座います。
   ご指摘ような欠如が、世間様が相手にしてくれない理由かも知れません。
  > ※平さんは、当初、「先祖からの悲願」⇒「Drいずも氏からのミッション」⇒「出雲の復興のために協力を」⇒ 机上論の探偵。と、呼びかけ人で有りながら、立場をコロコロと変えて、一貫性の無い処が、「そんな詐欺師も居ます。」と言われてしまう原因です。
先祖からの悲願であれば、細目に出雲の地を廻りながら探そう、との貪欲さが全く見られ無い。
 Dr.いずも氏からのミッションならば、断れば良いだけです。
 出雲に何らの貢献も無い、平さんが、復興を呼び掛ける立場にも有りません。
 机上論の私立(史実)探偵ならば、呼びかけて参加者を求める必要も無い。


<表記の違いについて>
先様のおっしゃるままが歴史に刻まれるとチトまずいので、すこし訂正させて頂きます。
この件については、魏志倭人伝でも、口伝者→筆記者→編さん者へと移るにつれて微妙に変わってくることはご存知のとうりです。又、「国引き神話」を大の字とみる」は、Drいずも氏も述べられていましたが、それは後の代のことであり、私は、今回の件とは別ものと見ています。
「先祖からの悲願」について>
 その悲願を私は全く知りません^^!。
出雲の復興について>
 自分の投稿を読み返しましたが「出雲のかつての栄興を呼びもどす」とありますが復興とはありませんでした。「復興」の言葉には八百万の神々が出雲に集う意も含まれますから。
協力を!について>
 肩書や実績や、既成論で世が動くのが常。しかしながら、異論端論が世を変えてゆくのも常であります。足りないのは充分承知しています。素人でもわかるようなことなれば、人脈、学識、実績に長けた先様方が、それに“気付き”さえすれば、簡単なこと。私の出る幕はありません。協力ではなく、共同共立を願っているのです。事が成ったらよりまくる。わたしはそんな人たちの姿を見たくはありません。それが身分を伏せている理由の一つでもあります。
「そんな詐欺師も居ます。」
 これ、有り難くいただきます。でもね^^、わたしは、キシ先生の情報をお借りして、
 鳥祖卵生「没後の灰の中から蘇る孤高孤独のアオサギ」 存命中は無理かも知れない。 
その青鷺が我が家の屋根にとまることがあります。ジライヤのように巻物をくわえ片足あげてドロンと消えましょか(笑い)

sigechanizumo氏>の談、2008/11/14
 http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-21.html
⑦蛇足ですが、「出雲井神社」の宮司さんは、以前は「富」家という位の高い社家が受け持っていました。その富家の後継の人によると、出雲井神社の神は、“出雲大社の裏手3kmの山中”にある鵜峠(うど)銅山の坑道に封じ込められて、大岩で出口をふさがれて憤死したのだと言っていらっしゃいます。富といえば「トミ」=「蛇」なのです。社紋は亀甲紋の中に、何と交差した大根なのです。何を意味するのでしょうか・・・。出雲の熊野大社の神紋は亀甲の中に「大」とあります。大社の「大」と思っていますが、ひょっとして大根の「大」なのかもしてません。

もうすぐ冬至になります。首根っこを押さえる」 根がついたように動かない・動かせない」といいます。 何方さまが先に、島根半島・出雲竜を封縛している
その〆縄や、坑道()や、勾玉(首飾り)、銅戈(五寸釘)を発見ける のでしょうか。
                                    ('17/12/01)□
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(2017/12/17)古代史掲示板に以下を投稿しました。
    http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/4147
  !天の岩戸の原型がここに隠れている!
 <坑道を掘り出した ズリ・土石の廃棄はどこへ?>
  (猪目の峠茶屋跡から7分ほど登った所から、北に向かう道跡の行き止まり斜面下)

  入口を出たところの斜面へ放るのが一番手っとり早い。広場も造れるしぃ^^!。
  “天の岩戸の始源の形がここに埋まっている!”
実地を確かめないと分かりませんが、そこに「掘削した角ばった石」が含まれていれば、坑口の存在が確定的となり、ズリの中の大きな石は斜面の下の方へ転がり寄っている可能性があります。さらに、その量から、どの程度掘り進んでいたかも分かってきます。予想する坑道の長さは十丈。十には、一つ二つのつが付かない止まりの意があります。そして、約1700年前の冬至の朝の御斜光が、南東の谷あい鼻突峠あたりから坑道の奥まで射しこむように掘られていると思いますよ^^! その朝ノボリにあるような八雲がかかっていれば最高! さて、坑道の奥に設えた石棚の上には何が幽閉されているのでしょうか? 勾玉?銅戈?それとも銅鏡? 今も、それ等があるのでしょうか(銅鏡は〇〇百年前の隕石の冬による大飢饉時に「お日様を幽閉したのはまずかった」と合議し岩戸開きして取り出したか??)蛇足ながら、岩戸の前には “シメ縄が張ってあったはず”ですから、発掘には細心の注意をはらってネッ^^!。『此処に、そのズリの有る無しがこの論の正否を決める!』 さて、あなた様は、どうされますう(^-^)?







('18/1/01) mo 様? 貴重な1拍手をありがとう御座いました^^。
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